彦四郎の中国生活

中国滞在記

"瀟瀟春雨下、相約一把傘"中国の人たちからの日本へのマスク等の支援―コロナ災厄で、DV・離婚が世界で

2020-04-19 08:28:53 | 滞在記

 "瀟瀟春雨下、相約一把傘"(春雨や 身をすり寄せて 一つ傘)。これは、中国遼寧省大連市の市政府から日本の北九州市に送られてきた大量のマスクなどの支援物資のダンボール箱に書かれていたメッセージだ。"日本加油!"(日本ガンバレ!)のメッセージとともに届けられた。

 岡山県備中高梁市にある吉備国際大学。小さい城下町にあるこの大学は4000人ほどの学生数のうち1500人ほどが中国を中心とした留学生たちが占める。4年ほど前に、この町に一泊して備中高梁城を見学した際に、この大学も訪問し 学務課の人から留学生たちのことなどを聞いたことがあった。JRを利用して岡山市までアルバイトに通う留学生も多いとのことだった。この大学に、中国人留学生の卒業生たちからマスクなどの支援物資が届けられた。

 京都府宇治市にある萬福寺には、私が暮らす中国福建省からマスク4万枚が送られてきた。この寺とかかわりの深い中世期中国の禅僧・隠元禅師の縁に基づくものとのこと。日本で中国語検定を実施している「日本漢語水平考試HSK事務局」にもマスクが中国から届けられた。「山川異域 風月同天」(山河は違う地域だが 風や月は同じ空にある)のメッセージが段ボールに書かれていた。

 4月10日頃、京都府綾部市には中国江蘇省常熟市からマスク2万枚が送られてきた。「出入相友 守望相助」(いつでも互いに友人のように接し、ともに見守り助け合おう)「綾部市頑張れ」のメッセージがダンボールには書かれていた。綾部市は1月下旬に、市が備蓄していたマスク2千枚を常熟市に支援寄贈していた。「10倍返し」だと、綾部市は感謝した。京都市には中国湖南省長沙市からたくさんのマスクが送られてきた。2017年から文化芸術交流を続けけてきた縁だという。

 大量のダンボール箱の中は医療器具やマスクが入っていた。このダンボールを日本に送ってきたのは中国の映画界の団体とそれに所属する男優・女優たちだ。中国版「ランボー」の主演者・呉京(ウージン)や女優の楊幕(ヤンミー)などの名前も。日本語で「日本の皆様の中国に対する温かい支援と応援に感謝します」、中国語で「一衣帯水、一起加油!」「一衣帯水唇歯相依、一起加油! 日本&中国」などのメッセージ。

 3月下旬頃から、中国各地の市や省(主に日本の都市との友好都市関係)だけでなく、団体や個人有志たちから、マスクや医療器具などの支援物資が、感謝のメッセージとともに、「日本ガンバレ」と書かれて とりわけ日本に届けられることが多くなった。これはなぜだろうか。もちろん、1月下旬から2月下旬頃までにかけて日本の都市や県、個人有志や団体から中国各地にマスクなどの支援物資がたくさん送られた経過もあり、その返礼の思いもあるのだが。とりわけ、なぜ日本なのか。

 中国が新型コロナウイルス感染拡大の爆発的拡散の最中にあった2月2日、中国外交部の華春瑩報道局長は、「多くの国々からの支援物資の支援に感謝しています。とりわけ日本からの支援物資には"武漢加油!・武漢頑張れ!、中国加油!・中国頑張れ!"と中国語で書かれてあり、さらに、"山川異域 風月同天"の漢語のメッセージには特に感動しました」と語る映像・画像などは、中国でも日本でも報道されていた。

 実は、韓国から中国への支援物資は日本より韓国の方か時期的にも早く、量的にも多かったのだが、韓国のことは、ことさらの感謝として取り上げてはいなかった。これはなぜだろうか。いくつかの要因があるかと思うが、まず、言葉というもののもつ力・メッセージ性があるかと思う。日本と中国は世界でただ2つの"漢字を日常言語として使う国"である。韓国語のメッセージは中国人にはわからないが、日本語や日本の漢語文字は中国人に伝わりやすい。「山川異域 風月同天」という文章は、その後 中国では流行語ともなった。

 次の理由として、1月23日に「武漢封鎖」が発表されて、ほぼ即座に「中国からの入国禁止措置」を発表した国がいくつかあった。それらは、ほぼ中国ととても親しい友好国・兄弟国だった。北朝鮮はなんと武漢封鎖前日の1月22日から「中国からの入国禁止」を発表、続いてロシアは1月下旬に「中国からの入国禁止」を発表した。ここ数年、中国寄りの国策を撮り続けているフィリピンも1月下旬に「観光半ばの中国人観光客を強制的に中国に戻す」という措置をとり「中国人入国禁止」を発表した。中国人からすれば、この悲嘆にくれ始めた時期に、日ごろは愛想のいい協力関係の強かった国々から「裏切られた」という思いだったかと思う。「それに比べて日本は……」という思いが生まれてきたのかと思う。日本の人々からのメッセージはより心に刻まれたことだろうかと思う。

 三つ目は、中国の人々が抱く日本という国への憧憬というか尊敬というか、そのような敬慕感情が以前からあることだ。この日本への感情は単純なものではなく、1990年代から始まった「反日教育」にともなう「鬼子日本には負けたくない」という感情と表裏をなしてはいるのだが。このような敬慕感情は韓国という国に対しては、中国人はあまり抱いていない。

 四つ目は、中国政府がアメリカとの対抗上や一帯一路政策のためにも、日本政府との友好関係をより確かなものにしたいという思いや、4月に予定もされていた習近平主席の日本訪問という日程のこともあったのかと思われる。

◆日本の安倍首相への批判も日本では大きくなりつつある。その一つは「なぜ、迅速に中国からの入国を禁止しなかったのか。中国への忖度や今年度の東京五輪招致への執着が災いを大きく広げた」というものだ。これはこれで、確かに的を得ているところもあるのだが、日本と中国の未来を考えるとき、事はそんなに単純に批判できるものではないと、私は思う。がしかし、まずは感染拡大を抑えることが最重要。これらの批判が高まってきたことはしかたがない。今日19日(日)の報道では、ついに日本での感染者数が1万人を超えてきた。

◆世界の国々、とりわけ日本への感謝を表明した外交部会見から3日後の2月5日、華春瑩報道局長は、「美流感己致1900万人感染1万多人死亡、比例高于中国疫情」と、アメリカのインフルエンザ感染者数や死亡者は中国の新型コロナウイルス感染者の状況より深刻だと表明し、アメリカを牽制し、中国国民にも「アメリカの方が大変な状況なんだよ」と国民の不満や不安をそらそうとも中国政府は試みていた。

 兵庫県豊岡市にある兵庫県立コウノトリ郷公園が、「鳥取市内で生まれたコウノトリの中国への飛来が確認された」と発表した。これまで日本で巣立ったコウノトリの海外への飛来は、韓国で9例確認されているが、中国では初めてとのこと。親のペアはいずれも豊岡市で生まれている。昨年5月に鳥取市内の巣塔から巣立った雄のコウノトリが中国・浙江省台州市(東シナ海沿岸)で4月6日に確認・撮影された。昨年の12月にも目撃されていたという。撮影したのは中国人のバードウオッチャーの人だった。鳥は入国制限という人間世界とは違って、国境はないのだろう。

  この浙江省台州市の台州病院からも、4月1日に熊本市にマスクや防護服などが届けられた。熊本大学に留学経験のある医師の提案で、同医院が送ってきたのだという。また、県と熊本市が郷土運営する団体にも3月下旬、熊本大学に留学経験のある中国人たちの同窓会から2万枚のマスクが届いた。にダンボール箱には、「熊本頑張れ 一滴水之恩 湧泉相報」(一滴の水でも受けた恩は湧き水にして返す)と書かれていた。

 日本の京都では4月10日過ぎころから、南方の国からやってきた燕(つばめ)の姿をよく目にするようになってきた。日本で生れ、巣立ち成長し、そして秋から冬になると暖かい南の国々に飛んでいく。そして、日本が春の季節になると、再び、自分が誕生した日本の古巣へとぴたっと戻る燕たち。『東洋の理想』(岡倉天心著)の一節「アジアは一つ」を思い出す。 

 日本では4月17日に、「緊急事態宣言」を全国都道府県にて宣言。都市封鎖や外出禁止・制限はないが、人との接触をできる限り減らしてとの強い要請や全国的な営業休止要請。私もだが、できるだけ家にいて過ごす人も多くなった。一日中家族と過ごすことの多い日々がもうすでに半月あまり前から始まっている日本だが、いつまで続くかわかららい状況下、誰もがつのる不安感やイライラ・ストレスは避けられないものかと思う。

 中国では春節始まりの1月24日以降、外出禁止や制限が2カ月あまり続いた。ずっと2カ月間、家に家族と共に過ごすことにより、不安やストレスが大きく、夫婦関係や親子関係にもさまざまなものが変化もしたかと思う。4月上旬の日本のテレビでは、「中国、離婚数が増加、離婚調停の依頼数が25%増えた」「離婚届は記録的な数に」「中国 家庭内暴力の事案も増加」との報道があった。また、4月7日には、「グテーレス国連事務局長が"世界的にDV(家庭内暴力)急増 国連が警鐘"世界各国に対策要請」「フランス DVが1週間で3割増加」なども日本のテレビで報道されていた。

 4月11日、中国では「111人の新たな感染者が―そのほとんどは海外からの帰国者」と報道されていた。3月上旬になり、感染の拡大がほぼ抑制され始めてきた中国。3月中旬頃から、海外に暮らす中国人の帰国希望者が増加。ヨーロッパのロンドン発上海行の片道航空券などは、相場の10倍以上の18万元(約280万円)以上に高騰していた。発売後2時間で100席以上が完売したという。中国への渡航便が90%以上削減されているための高騰だ。

 私が暮らす中国福建省の福州市では、2月4日から都市封鎖の実施、外国からの入国者に対しては2月下旬には「自宅ではなく2週間の指定ホテル隔離」が早々と決定された。北京では3月中旬までは外国からの入国者は自宅隔離だったが、それ以降はホテル隔離に変更された。そしてほとんどの地域でもホテル隔離となっていった。こんな中、高額の航空券を購入し、この3月中旬すぎ頃に中国に戻ってきた女性が逮捕されていた。日本のテレビ報道によると「ドイツから帰国した留学生 隔離がイヤ!バスから逃走」「女性への批判が沸き起こる―"留学生のイメージに泥を塗った」「海外で悪い考え方を学んできたのか」と批判されているという。今現在、彼女は拘束を解かれたのだろうか?

 

 

 


武漢「都市封鎖」の解除―ONLINE授業を通じて、2カ月以上の"故郷の省"での暮らしや今の町の様子を聞く

2020-04-18 19:00:50 | 滞在記

 4月16日、安倍首相は新型コロナウイルス対応の特別措置法に基づき、緊急事態宣言の対象区域を日本全国に拡大した。また、特に13の都道府県を特別警戒区域に指定。このため、私が暮らす京都府も18日(土)からの「一斉休業要請」が行われることとなった。17日夕方に近くの大型スーパーマーケット「イオン」に、ボールペンや蛍光ペンなどの文房具を閉店間際に急ぎ買い物に行くと、各商店の休業の長期化に備えて、多くの人が急ぎの買い物に訪れていた。

 一応これらの宣言は5月6日までを目安としているが、感染拡大にいつ歯止めがかかるか予測がつかない状況となってきているのでいつまで緊急事態が続くがみんな不安は大きい。17日には「感染9000人超す」の新聞報道がされ、今日18日は9800人、明日には1万人を超すのかと思われる。

 世界的には今日18日時点で感染者数が220万人を超え、死者数も15万人を超えた。4月10日には165万人を超えたと報道されていたので、この1週間でもすごい爆発的増加の一途をたどっている。アメリカの68万人やヨーロッパ諸国の感染拡大だけでなく、1か月前にはほとんど感染者のいなかったロシアでも3万人近くになった感染拡大の爆発的急増も報告されている。また、アフリカ諸国では今後は数百万人の感染拡大が懸念され始めている。アジアでは、インドやフィリピンなどでの感染者数増加も報道されていた。

 中国の国家衛生局院士・鍾南山氏は、4月10日頃の中国国営中央TVの討論番組の中で、「既にウイルスが変異していて感染力が強くなり、致死率がインフルエンザの20倍以上になっている。世界が共に努力しウイルス研究をしなければならない」と語っていた。それにしても、今回の新型コロナウイルスの世界的流行のもととなった中国共産党一党支配下の中国という国について、怨嗟の思いを抱く人々も多いかと思う。

 その中国だが、国家衛生局が3月29日に「中国での感染拡大は抑え込むことに成功した」と宣言をした。そして、4月8日には武漢の都市封鎖を解除すると発表した。例年3月中に2週間をかけて開催される「全国人民大会(全人代)」の開催が延期されていたので、それを4月中に開催させたいという中国政府の意向を優先させた「見切り発車」との見方が有力だ。

 中国メディア「財新」の報道では、「武漢で感染拡大が収まったか判断できない―専門家が伝える」「湖北省では毎日、無症状感染者が確認され、応援の医療チームが撤退を延期」などの報道も3月23日頃にあった。香港のサウスチャイナ・モーニングポスト紙には「無症状感染者4万3000人以上が 中国政府の非公開資料で統計から外されていた」との報道も。この報道なども受けて、後に中国政府はこの指摘を公的に認めることとなった。

 3月29日の国家衛生局の宣言・発表を受けて、湖北省や武漢などを除き、中国全土での都市封鎖や外出が緩められ始めた。 中国国民にとっては待ちに待った戸外での活動制限解除の実施である。3月に入り、春節のために帰省していた労働者たちを都市に戻し、中国の多くの省や市では企業活動は再開されてきていた。工場などの昼食風景は通常の食堂ではなく、工場内全域で 一定の間隔をとって食べる様子なも報道されていた。

 中国国民にとって今年の「清明節」は特別な3日間となった。先祖の墓参りなどをする「清明節」は国家の祝祭日。今年は4月4日(土)から6日(月)までの3連休となった。湖北省や武漢以外の中国各地には、大勢の人々の待ちに待った遠出観光の人々であふれた様子が日本のテレビでも「殺到 中国 緩んでる? 観光地が大混雑―冷え込んだ地元経済を刺激しようと、当局が無料開放―安徽省・黄山」と報道されていた。2カ月間もの間、自宅から出ることを強く制限・監視されてきていた中国国民の爆発的な喜びの気持ちはとても理解できるところだ。

 清明節の4月4日の午前10時、中国全土では半旗が掲揚され、一斉にサイレンや車のクラクションが3分間鳴らされ、ウイルス感染で亡くなった死者の霊に中国全国民は黙祷を捧げた。1月上旬に新型肺炎が発生したことの警鐘をしたため、行政処分を受けて、その後 病院勤務に復帰して新型コロナウイルスに感染し死亡した李文亮医師。多くの国民から彼への行政処分の不当性を指摘された中国政府は、この日、中国共産党員だった彼を国家英雄である「烈士」としての認定することを発表した。(彼と同時にウイルス肺炎について情報を共有し警鐘した他の7人については、依然 当局の監視下にあるとも伝わる。)

 そして、いよいよ4月8日、「武漢の都市封鎖」が午前0時に解除された。市外への移動が2カ月半ぶりに解禁され、深夜にもかかわらず数千人が武漢発の列車に乗るために駅に押し寄せた。勤務先のレストランがある上海に向かう男性は「武漢はこの流行で多くを失った。武漢の人々は大きな犠牲を払った」、「封鎖が解除され、私たちは皆とてもよろこんでいると思う」と語っていた。

 前日夜の午後11時30分から、全国の中国国民はテレビの前に釘付けになっていた。武漢解放の瞬間を目にするためであった。武漢の高速道路入口から市外に出るゲートが上がり、車が河口から遡上する鮭(シャケ)のように群がって武漢以外の地方へ流れて行った。「謝謝 武漢―武漢!致敬座英雄的城市」のテレップ報道が中国全土に流れた。76日間、武漢では5万7000人が新型コロナウイルスに感染し、そのうち2574人が死亡するという巨大な犠牲を払った。(無症状感染者や自宅待機で亡くなった人などはこの数字には含まれていない。)  亡くなった人たちの苦しみやそれを見守る家族たちの辛い思いはいかほどだっただろうか。おそらく、多くの場合、遺体と別れを告げる間もなく 急増の墓地へと遺体は搬送されていったことかと思う。

 どのくらいの人が春節の帰省からの2カ月半あまり、自宅や勤務先に帰れなかったか、また、どれくらいの旅行者、出張者が武漢で足止めされ、最後に金も尽き、泊まるホテルもなく、どこかのビルの下で寒さをしのいだのかは、はかり知れない。武漢や湖北省以外の省や都市や地方に暮らす人たちも、ものすごい苦労の2カ月間だったにちがいない。だがしかし、武漢という都市のロックダウンから解放される喜びは、中国人でさえもテレビで見ていた人が体感できるものではないかと思う。今、日本では、中国の人たちの苦労がほんの少しは実感できる事態に近づきつつあるのかもしれない。

 武漢には「黄鶴楼」という有名な楼がある。この日、広東省深圳の企業が千機のドローンを長江(揚子江)の上に飛ばし、時には文字、時には黄鶴楼を上空に描いて、武漢封鎖の解放の歓喜にわく市民を喜ばせた。1880年代創立の名門・武漢大学は中国で最も有名な桜の名所だ。1937年の日中戦争の最中、武漢を占領した日本軍によって植えられた桜の植樹から始まった桜並木が1000本以上続く。武漢市民だけでなく多くの中国の人々が3月中旬ころにここの桜を見に訪れるが、今年はだれもこの桜の咲く光景を見ることができなかった。

 4月9日付の朝日新聞、「武漢解放"うれしい"けど―封鎖解除 外出は制限」「"解放"武漢 警戒は続く―全人代見据えた判断か」の見出し記事。ようやく夜の公園にも人が戻ってきていた。ウイルスへの長い警戒感が身に着いたためか、マスクをつけて、さらに透明のビニール袋を頭からすっぽり被って自転車に乗っている人の姿も報道されていた。都市封鎖が解かれた武漢だけでなく、中国全土で再び"警戒"が強めてはきている。

 武漢都市封鎖解除に伴い、再び感染が広がるのではないかという不安も中国国内では依然強いようだ。「武漢"解封"後会出現病毒拡散馬?―中国病疫中心専門家回応」という中国の記事が。また、鍾南山氏は、今後の状況について、「無症状感染者多具有伝染性主要来自両外」との見出し記事もあった。「ウイルス感染は終わりに近づいたのではなく、新しい段階に入ったのだ。世界的な流行が猛威を振るう中で、中国に帰国しようとする外国からの人たちの感染が懸念される」とこの専門家は中国共産党機関紙『人民日報』の取材に答えていた。3月28日から、中国政府は「外交官以外の外国人の入国を禁止」を発表した。

 4月10日頃、中国南部の広東省広州市でアフリカ系住民の人たち4500人あまりを強制的にウイルス検査を行い、このうち1100人あまりが感染が判明したと報道されていた。この広州にはアフリカ系住民が多く暮らすアフリカタウンのような地区がある。この強制的な中国政府の処置に、差別・人権問題としてのアフリカ諸国からは中国政府への抗議が行われた。このような抗議は、中国政府に頭を下げ続けてきたアフリカ諸国としては異例なこと。

 3月16日(月)から、私が勤務する福建省福州市にある閩江大学でも2学期(後期)授業が開始された。インターネットを使ってのオンライン授業開始であった。開始から1か月間が経過した。後期の授業を担当している2回生の2クラスの35人あまりと3回生2クラスの35人あまり、そして卒業論文指導を担当している4回生の7人。

 この1カ月間の授業の中で、およそ80人余りの学生たち一人一人に 新型コロナウイルス感染拡大問題下での中国での生活を語ってもらった。学生たちは、現在も大学に戻ることはできずに、各省の故郷の家などでオンライン授業を時間割通りに受講している。私は日本の京都の自宅から、彼ら一人一人、または全体とつながりながら、パワーポイントやリアルタイム映像、そして同時音声を使いながら、授業をしている。学生たちの故郷は 中国全土に広がっている。感染者数の多かった湖北省、それに次ぐ湖南省や四川省や江西省や河南省が故郷の学生も多い。

 学生たちの話では、「とにかく家からでることができなかったのが辛かった。食べ物や生活必要品は確保はできたが‥」という話が最も多かった。2月上旬から3月下旬までの約2カ月間の外出禁止または制限の辛さを話す学生が多かった。1月10日すぎから大学は冬休みに入っていたので、「こんなに長い休みは 高校3年の時の大学入学統一試験(高考)が6月8日にすんで、それから9月の大学入学までの約3カ月間の休みの時以来だ。外出ができないので、この2カ月間は半年間くらいの長さに感じた」という感をもつ学生も多かった。また、近所での感染出現などの日々の恐怖感や身近な人の感染による死を語る学生もあった。

 そして、早く早く、大学に戻れる日が来ることを心待ちにしている学生たちの話も多かった。対人関係に苦手感のある男子学生が一人いるが、彼だけは、「私の場合は、故郷にいてのオンライン授業生活が心落ち着く日々です」と話していたが。また、家にずっといるので、「料理を作ることをかなり経験しました」という学生も多くあった。中国の学生は女子学生も家で料理を作った経験をもつ学生はとても少ないのが一般的。これは一人っ子政策などとも相まって、「子供は家の手伝いよりまず勉強」という ここ20年間あまりの近年の社会風潮によるためだ。

 3月中旬になり、中国各地での都市封鎖解除が進み始め、3月20日頃から徐々に外出が緩やかにできるようになり、3月下旬頃からは、外出がかなり自由にできることになってきたことが、学生たちの話からうかがうことができた。学生たちの話によって、地域や省や都市によって、最近ではマスクを外して外出する人もけっこうあるとのこともわかる。

 私の方からも「ONLINE 授業 NEWS」として、映像などとともに 日本の京都の今を 毎週編集して学生たちに伝えている。学生たちは5月9日・10日には大学に戻ることとなる。そして5月11日からは大学の教室での平常授業が開始されることとなった。約4カ月ぶりの正式開学である。しかし、私は、「中国政府の外国人入国禁止措置」が解けるまでは中国に渡航することができないので、このONLINE授業を日本から続けることになりそうだ。早く教室での授業がしたいのだが。

 もし、中国渡航の日が来ても、中国での2週間のホテル隔離生活が まず 待ち受けている。これも辛いことだが。まだまだ先が見えない。

 

 

 

 

 

 


「全体主義統治下での徹底した監視・管理体制で感染抑制・防止に成功」―自信を取り戻す中国の人たち

2020-04-12 13:33:29 | 滞在記

 1月23日の湖北省の省都「武漢封鎖(ロックダウン)」での徹底した都市封鎖開始から約50日後(約1か月と3週間後)の3月10日に習近平国家主席が武漢入りし、「我々はこの危機的な事態にほぼ勝利した」と中国国内外にアピール。この日のアピールをどれだけ中国国民は心待ちにしていたことだろう。

 中国国内の津々浦々、農村地帯の僻地地区にいたるまで、国民それぞれが暮らす住宅区からの出入りは厳しく監視・管理されてきていた。それぞれの住宅区に何箇所もある出入り口はほぼ1箇所に限定、他は封鎖し監視員がそこに昼夜を問わず不寝番をする。中国の都市部では団地に暮らす住民が圧倒的に多い。団地だけでなく住宅区でも、普段から出入り口には門番(城管)が常駐しているので、この監視・管理体制は即座に実行が可能となった。

 さらに城管(門番)だけでなく、多くのボランティアがこれに加わる。中国全土に網羅される中国共産党の組織は人間全体の神経細胞組織のように末端まで整備されている。中国の中国共産党員は約9000万人、それに共産党員ではない人も多いが「共産党青年団(共青団)」の団員が約8000万人。二つの組織の両方ともの構成員となっている人もけっこう多いので、二つの組織を合わせて実質人数は1億4千万人くらいになるかと推察される。実に中国の人口の10人に1人となる。

 私が暮らす中国福建省福州市の「蘭庭新天地」という団地には、約3万人あまりが暮らす。この団地には、「南区」と「北区」がある。私が暮らす南区の出入り口は通常3つある。この団地の「社区(※日本の自治会のようなものだが、中国共産党の指導のもとにあるので権限はとても強い)」には、私も毎年1000元(約16000円)ほどの区費を支払っている。

 このような監視・管理体制が徹底した国家なので、今回の新型コロナウイルス感染拡大防止の政策として即座に実行が可能となった。武漢市だけでなく、2月10日ころまでには100以上の大都市が都市封鎖をされた。福州市も2月4日に都市封鎖が通告された。福州市でも「3日に一回だけ、各家庭で1人だけが 食料品などの買い物に行ける」という外出制限の日々が2月4日から始まった。

 とりわけ武漢市を含む湖北省の人々は、省全体が省封鎖となり、苦しい忍耐の日々を過ごすこととなった。医療崩壊の危機となった湖北省には、全国各省から続々と医療チームが派遣されていた。防護服の着用などの際に邪魔になったり、ウイルスの髪への付着を防ぐ目的として、看護婦の女性たちの多くは丸刈りにして湖北省に向かった。

 中国の女性は長髪が多く、長い美しい髪を大切にする文化が根強く残っている国だが、「看護婦が頭をそる様子を美しい自己犠牲の精神発露」として盛んに報じられ続けていた。これは、中国での感染拡大のピーク期が始まる2月10日の習主席の「新型コロナウイルス感染報道の50%以上は、感染と戦う感動的な内容の報道を、とくに医療従事者らの感動的な話の宣伝を強化しろ」との求めに応じてのことだった。頭をそられることに、涙を流しながら応じた看護婦もいたとも伝わる。

 防護服に身を包むタクシーの運転手たちの映像、「外出禁止などに違反したら、年金の支給は断たれて当然だ」「今後の年金をどれだけもらえるかは、出かけた回数によってきまる」という意味の赤い横断幕が掲示された映像。長い自宅での生活を強いられている中で、友人・知人とのつながりは携帯電話アプリを使ったものに限られる。そんな中、自撮り棒を使って洗濯機の中やカラになったポテトチップの袋の中から撮影された動画写真の投稿なども中国のネット記事に掲載されていた。

 長い長い自宅からの外出制限の生活の中、食料品の買い出しも制限。このため、スーパーなどの業者に携帯電話アプリで注文して、アプリでお金を支払い、住居のある社区の門前まで配達してもらうというシステムが一般的ともなった。このシステムを社区の委員会が一括管理するところも多く、「不当に値段が高すぎる」「管理や金額を公正にしないやつは辞めろ」などの抗議行動が出たところもあったと日本のテレビで報道されていた。

 「枝切りバサミで散髪、モップで洗髪―このままじゃ店が潰れると"無接触理髪店」の記事も。開店できず客もこない理髪店がこのままでは店は潰れると窮地の一策として考えた新サービスと紹介されていた。まあ、長く伸ばしたモップでの洗髪はともかく、長く伸ばした枝切りバサミでの散髪は、特に客はハラハラものかと思うが、感染拡大の中では、この方法も理解できないことはない。それくらい心理的にも中国国民はウイルス感染に恐怖を感じる日々だったのだろう。緊急事態宣言が出された現在の日本は、国民の多くはこれからこのような心理状況となっていくのかとも思う。4月12日現在、日本での感染者数は前日から692人の増加となり、6742人(クルーズ船感染者数など含まず)となった。世界的には前日比5万人超の増加となり、170万人を超えた。

 2月19日、「武漢保衛戦」(武漢を守る戦い)はついに、新たな感染者は「初の0」と中国政府によって発表された。(後になって判明するが、軽症の感染者はこの0にはカウントしていなかった)  武漢勝利を宣言した日とアピールされ、中国は歓喜にわいた。

 そして、3月10日に習近平主席が初の武漢入りをし、武漢勝利と中国政府の強力なリーダーシップというものを中国国内外にアピールした。武漢にて感染との戦いに従事していた医療関係者のこれまで英雄的行動や喜びの姿も大きく報道された。

 3月10日の習氏の武漢訪問後、感染対策の中心的存在となっている鍾南山院士は、「これからの感染対策の重点は、輸出ではなく輸入だ」「外国から中国に入国してくる感染者をくい止めることが重要となってくる」と述べた。3月中旬には中国全土での1日の感染増加数は100人を下回り2桁となった。

 このような状況の変化にともない、昨年の12月20日すぎに「新型肺炎」の警告を行い、「デマを拡散した」として行政処分を受け、その後医療活動に従事するも新型コロナウイルスに感染し亡くなった李文亮医師に対して、「肺炎警鍾医師の処分『不当』中国国家監察委員会―批判回避を図ったか」という朝日新聞の記事が3月中旬に掲載されていた。この記事の内容(不当処分撤回)は、中国のインターネット記事でも掲載されていた。

   中国の有名企業家(大手不動産会社トップ―中国版ツィツター「微博」に3700万人のフォロワーをもつ)、任志強氏が3月12日ころから行方不明になった。任氏は過去(2015〜16年頃)に習近平国家主席を批判し、「物言う企業家」として知られ、最近は新型コロナウイルスを巡る政府の初期対応などを非難していたと香港紙は伝えている。香港紙の報道によると、任氏は中国当局が感染拡大の情報を隠蔽したと指摘したうえで、感染の抑え込みに成功したとして習氏が自らの権力を強めようとしていると批判したという。

 任氏は中国共産党チェイナセブンに匹敵する政権内NO2ともNO3とも言われる王岐山氏とのつながりがとても強いとされている。政権内での権力構造の変化も推測される。これに関しては、今日・4月12日付の朝日新聞の社説に、「ナンバー8はいま何思う」と題されて掲載されていた。この記事によれば、任氏の消息は、「規律違反に関する取り調べを受けている」と4月7日に発表がされと書かれていた。

 3月20日すぎのころから、中国国内では外出制限がかなり暖和され始め、移動が活発になり始めていた。観光地などにも「市政府」などが発行した「健康証明書」の提示があれば行くことができるようになってきた。

 3月下旬には、北京の万里の長城への観光も可能になってきたようだ。入場口で体温などの健康チェックを受け、健康証明書を提示し、許可されれば入場となる。過密をさけるため、2m以上の距離を保ちながらの観光となる。入場人数にもかなりの人数制限をしながらの観光客受け入れとなった。

 中国全土の省や市の中でも、一部地域での小学校・中学校・高校の通学開校も3月20日以降開始されるようになった。学校の校門では、体温測定などの健康チェックや健康証明の提示後、入校している様子が中国のインターネット記事に掲載されていた。

 3月28日、中国政府は「外交官以外の外国人の入国を当面禁止する」との発表を行った。これは、外国から入国する人の感染が多く出ているための措置だった。これにより、私も含めて、中国の日系企業の日本人駐在員や大学の日本人教員などは、これが解除となるまでは中国に入国することができなくなった。日本政府も3月30日に「中国人や韓国人や欧米諸国などからの入国を当面禁止する」と発表した。また、日本から外国に行くことの取りやめが強く要請されることともなった。

 2月20日頃から欧米などでの感染拡大が爆発的に広がり、その感染者数は中国での感染者数をはるかに超えるようになってきた。その感染拡大防止に翻弄されている世界各国の様子が中国でも日々報道されていた。一方の中国では3月上旬以降は感染者数を二桁に抑制させることができ始めた。そして3月中旬すぎには外国からの入国者の感染者以外の感染増加がほぼなくなってきた。

 「世界で最も安全な場所は中国」と、中国人は今 この4月に入り自信を取り戻したかのように思える。中国国民の2カ月半にわたる苦労を思えば、それはそれで本当によかったなあと思うことなのだが‥‥。

 

 

 

 


新型コロナウイルス感染拡大「非常事態宣言」―この先が見えない"世界で165万人超のパンデミック"という事態

2020-04-11 20:36:14 | 滞在記

 世界の新型コロナウイルス感染者数が4月11日時点で165万人を超えた。そして死者数は10万人を超えた。とりわけヨーロッパ諸国とアメリカでの感染者数が3月以降、爆発的に拡大している。1か月前の3月10日、アメリカでの感染者数は230人ほどだったが、昨日4月10日には46万5000人超となっている。ヨーロッパでは、スペインが15万3000人超、イタリアが14万3000人超、フランスが11万8000人超。ドイツも10万人を超えている。

 3月20日頃以降、感染者数の新たな増加を抑え込んできた中国は、4月8日、中国の武漢市での2カ月半に及ぶ「都市封鎖」を解除した。中国政府の感染者数は4月8日の時点で8万2700人と公表しているが、感染していても軽症だった人4万3000人あまりをカウントしていないことを公表したので、実際には12万5000人超以上だが実数はそれをはるかに上回るだろうと言われている。その他に、イランが6万3000人超、イギリスが5万3000人超、トルコが3万1000人超、ベルギーが2万3000人超などとなっている。

 3月25日付朝日新聞には、「パンデミック加速 新型コロナ40万人迫る WHO事務局長 改めて危機感」との報道がされていた。この3月25日の40万人から実に半月ほどで4倍の165万人にまで感染者数が爆発的に増加したこととなる。私的利益のため、中国政府への過度の忖度配慮を貫き通していて世界的な爆発的パンデミックを引き起こすこととなったWHOデドロス事務局長が「改めて危機感」など"何をいまさら"感がある。彼などはこの世界的疫病感染パンデミックを引き起こした2人の主犯のうちの一人であり、その重大かつ決定的責任についての声も世界的に強まっている。

 オーストラリアの沿岸には、いまも港への寄港が認められていない「コロナ漂流船」とも言われる大型クルーズ船が10隻ちかくもある。いずれの船にも3000人ほどの乗客・乗員が不安の中で寄港を待ち受けている。4月上旬には、自宅待機や隔離状況など、各国の政府から外出制限にある人の数は24億5000万人超、世界人口の約31%以上にあると報道されていたので、今日4月11日時点ではさらに増加していると思われる。

 3月29日、東京都心では32年ぶりとなったこの季節の積雪。満開となっていた桜の上にも積雪となった。「なごり雪」というよりも、「花見阻止雪」といった感じの積雪。この日、京都地方は好天に恵まれ、満開近くとなった所々の桜を求めて多くの人が集まっていた。しかし、東京では感染者拡大が急速化していて、上野公園や井の頭公園、代々木公園などの桜の名所は3月25日ころからGW明けの5月7日まで通行が禁止となっていた。そんな中、4月1日には各地で入社式が行われていたが、一同が集まっての入社式そのものを中止するという会社も多かった。

 4月6日、日本の安倍首相もついに「緊急事態宣言」に向けて動くことを発表した。その際、ヨーロッパなどの「都市封鎖・ロックダウン」と「緊急事態宣言」にともなう政策はイコールではなく、「都市封鎖」そのものは行わないことを発表。この頃には、一日の全国感染者数が360人を超えるようになり、国民もかなりの危機意識をもつように変わってきた。

 翌日には一日の感染者数が初めて500人を超えた。特に東京と大阪の感染者数増加が多いのだが、全国47都道府県全域での感染拡大が広がってきていた。私の故郷である福井県は3月中旬頃は感染者がいない県の一つだったが、3月下旬に入り急増していった。4月3日に故郷の南越前町の自宅に戻ると、この町でも1人の感染者が出ていた。隣接する越前市(武生市)でも10日には6人の感染者が確認された。

 東京・大阪・愛知・兵庫などの感染者増が日々のテレビや新聞報道でされているが、4月6日時点で、実は人口10万人あたりの感染者数で最も多いのが福井県という報告があった。福井県の人口は78万人、「10万人あたりの感染者数は6.7人」。二番目は東京の6.5人、三番目が京都の4.5人、四番目が大阪の4.4人、五番目が千葉の3.7人と報告されていた。全国平均は2.8人であった。(上記写真の右から1・2番目のグラフ・表)

  そして4月7日、安倍首相は緊急事態宣言を7都道府県(東京・埼玉・千葉・神奈川・大阪・兵庫・福岡)を対象に出すこととなった。これにより、7都道府県の知事はさまざまな要請や自粛、行政指導を行う権限をもつことができるようになり、感染拡大阻止に向けての動きが一気に加速化するようになってきた。京都府や愛知県なども緊急事態宣言対象を求めて政府に要請している。

 4月11日の朝日新聞の報道では、日本の感染者数は前日より634人増加し6076人(クルーズ船などの750人あまりを除く)、死者数は133人となっている。

 この日本の「緊急事態宣言」の発令に関して、4月7日の中国の新聞・テレビ・インターネット報道などでは、日本のテレビ報道を紹介するなど、大きく取り上げられていた。「感染者数4555人(クルーズ船除く)」「首相が"緊急事態宣言」「安倍首相"このペースでは5日間で2倍という感染拡大者数になる 1カ月後には8万人の感染者数を超える"」や「日本の感染拡大を表すグラフ」、「安部終于宣布緊急状態!」などと報道されていた。 

 4月7日の中国のさまざまな報道では、世界各国の感染者数なども報道されていた。

 10万人あたりの感染者数では3番目に多い京都府。11日の報道では174人の感染者数だが、その半数近くは3月中旬ころにヨーロッパ旅行から帰国した3人の京都産業大学の学生に端を発した集団爆発感染・クラスター。私の自宅のある町からも近い井手町の住民もこのクラスターに巻き込まれて多くの感染者が出ている。11日現在、私が暮らす京都市の南に隣接している八幡市の感染者数は2人とまだ少ないが‥。

 このような新型コロナウイルス感染の急拡大、緊急事態宣言発令の中、「感染した人で軽度症状の人や濃厚接触者など検査判定待ちの人」などを受け入れる施設が足りなくなり始めている。アパホテルの女性社長は「全国にあるアパホテルをその施設として受け入れる用意がある」ことを表明した。楽天の三木谷会長なども、「楽天トラベル」の繋がりや機能を通じて、全国のホテルに施設としての受け入れを打診し始めているようだ。

 慶応大学の慶応病院の100人あまりの研修医たちが、東京都の自粛要請が出された翌日にもかかわらず、「居酒屋➡クラブ➡カラオケ」と10時間あまりにわたる宴会を行い、クラスター感染を引き起こしたことが報道されてもいた。自粛への油断は 今は大敵だ。