2018年10月25日・26日に日本の安倍首相が中国・北京を訪問し、習近平国家主席や李克強総理(首相)と会談を行った。7年ぶりの日本の首相の訪中となった。1980年代からは、日本では首相就任のたびに訪日を行っている歴史があるので、7年ぶりというのは、とても長く、この7年間は訪中環境がほとんど難しかったことを意味する。
第二次世界大戦後(日中戦争・太平洋戦争後)、初めて中国を訪れたのは、1972年の田中角栄の電撃的な訪問だった。(毛沢東・周恩来と会談) これによって日中国交回復の扉が少し開けられ、1978年の「日中友好条約」の締結により、日中の正式な国交回復がなった。それまで一般の日本人が中国に行くことはほぼ難しかった。(※中国政府からの特別招待という形での特別ビザで中国に渡航した人たちもいた。私の身近な例では、1972年~74年にかけて、学生運動の新左翼で「毛沢東一派」と呼ばれる人たち[中国の文化大革命を礼讃していた]。京都の各大学[立命・同志社・京大など]に在籍している これらの人たちが訪中したことがあった。)
1982年頃に、中国の最高権力者だった鄧小平が日本を訪問した。日本の首相が訪日をした歴史は次の通りである。①1972年田中角栄(毛沢東・周恩来)、②1979年大平正芳(鄧小平)、③1982年鈴木善幸(鄧小平)、④1984年中曽根康弘(鄧小平)、⑤1986年中曽根康弘(鄧小平)、⑥1988年竹下登(鄧小平)、⑦1991年海部俊樹(江沢民)、⑧1994年細川護熙(江沢民)、⑨1995年村山富市(江沢民)、⑩1997年橋下龍太郎(江沢民)、⑪1999年小淵恵三(江沢民)、⑫2001年小泉純一郎(江沢民)、⑬2006年安倍晋三(胡錦濤)、⑭2007年福田康夫(胡錦濤)、⑮2009年麻生太郎(胡錦濤)、⑯2011年野田佳彦(胡錦濤)。
1980年以降から2011年ころまでは、2〜3年おきに日本の首相は訪日していた。ただし、2001年の訪中から2006年の訪中までは5年間を経過している。この時期の2004年~2005年ころ、「反日デモ」が中国全土で起きていた影響もあり、日本の首相の訪中が実現しなかったようだ。
2006年、中国国家主席の胡錦濤・総理の温家宝が日本を公式訪問した。1982年の鄧小平の訪日以来、実に14年ぶりの中国国家主席の訪日だった。この時、胡錦濤は早稲田大学を、温家宝は立命館大学をそれぞれ訪問している。この時の駐日大使は、現在の外交部長である王毅であった。12年前の話である。(※1990年以降から20年間あまり中国権力の中枢にいた江沢民氏は、1990年以降「反日教育」「反日世論づくりのための反日ドラマ作り」を行った人物で「日本嫌い」としても知られている。彼が訪日をすることはなかった。)
2011年、日本の民主党政権下の野田首相が、「尖閣諸島(中国では釣魚諸島という)」の国有化宣言に中国側は猛反発、その後の中国漁船の海上保安庁の船舶への衝突事件、2012年の中国全土で巻き起こされた大規模な反日デモとなり、1970年以降の日中関係の歴史の中では「最悪」といえる時期となった。この頃は、大学の日本語学科に進学していた学生たちは辛い思いをしていた。親族や親からも、日本語学科に在籍していることを責められた学生も少なくなかったという。
2013年8月末に私は初めて中国に赴任した。この時期はまだ反日デモの余波が残っていた。中国のテレビ放映を見ていると、連日連夜、靖国神社参拝を行った「安倍首相」批判、日本批判のさまざまな報道が繰り返し行われていた。大学への通勤でバスに60分間ほどに乗ると、バスに取り付けられている小さなテレビの画面に、ほぼ1度は「反日報道」がされていたように思う。これは2015年ころまで続いた。バスの車内でこの反日報道がされるたび、車内に一人だけの日本人である私は、とても不安な気持ちにさせられたものだった。
2014年、国際会議の期間に、安倍首相と習近平国家主席との初めての会談がとりおこなわれた。安倍首相が話しかけても、苦虫を噛んだような表情で そっぽを向いてかわす非礼とも受け取れる習近平国家主席の態度が話題になった。それから3年後の2017年、これも国際会議期間に、二回目の「安倍・習会談」が行われた。
2015年から本格始動した中国の「一帯一路」政策、この政策の国際的な信用度を高めるためにも、資金的な問題解決のためにも、「ぜひとも日本も参加してほしい」という秋波を日本に切望をし始めた2017年末時期だった。そして、2017年の党大会で権力基盤を完全に固めて、少しは日本の首脳に笑みを見せてもいいという余裕が生まれもした。このためか、2017年の会談での習氏の表情は、少しの笑みを作るという態度に変化した。
習近平氏はロシアのプーチン大統領などと会談をする際は、満面の笑みを作る。ロシアの外相であるラブノフ氏に対しても満面の笑みを作る。これほど「関係の良しあし」を表情で使い分けるというか、わかりやすいというか、世界的な首脳は習氏が筆頭ではないだろうか。
そして、2018年5月、今年の5月に李克強総理(首相)が公式訪日をした。中国の新聞記事やインターネット記事でも報じられた。雑誌『VISTA看天下』には、「李克強訪日―"破氷"中日」という表紙見出しの特集記事が組まれていた。中日関係の氷が解け始めたという見出しだった。
9月に自民党総裁選挙で石破氏を破り安倍氏が再選。そして、10月11日に中国共産党の宋濤(そうとう)中央対外連絡部長の表敬を総理官邸で受けた。この宋氏は中国共産党の国際部長のような地位の人で、日本でいえば「外務省のNO.3〜4」くらいの人。(福建師範大学卒業生で、習氏の福建省トップ時代の側近の一人) 安倍首相訪中に向けての表敬だった。
10月に入り、北朝鮮訪問の後に中国を訪問したアメリカのポンペオ国務長官。習主席との会談は実現せず、王毅外交部長も そっけない対応に終始し、中国側はポンペオ氏を冷遇。「米中関係」のかなりの悪化状況を象徴する出来事であり、米中関係悪化に拍車をかけることとなった。
10月25日の安倍首相訪中が近づいた10月中旬ころから、中国外務省の報道官の「日本は中国の重要な隣国だ」「関係改善の勢いが強まっている」などの発言、同じ報道官の華春莹(女性)の「中日関係の発展のために重要な訪中」などと、この7年間ではありえなかった発表をし始めた。「日本首相安倍晋三将携500名商界領袖訪華」などの見出しインターネット記事も10月22日以降、多くみられるようになった。
◆前号のブログで、「暴力団追放」の記事を書いた。上記の写真は最近バスに乗った際の、運転手の腕全体の入れ墨の写真。見事な彫り物だ。中国のバスの運転手はヤクザまがいの人もけっこう多かったが、最近になって、やや ヤクザまがいの言動は少し減少傾向にあるかと思う。「俺たち運転手がお前たちを乗せてやっているんだ!」という横暴な振る舞いの多かった公共バスの運転手だが、この少しの変化はなぜだろうか? 福州では地下鉄電車の一部が開通したり、「暴力団追放キャンペーン」の影響もあるのだろうか?
中国では、「職業に対する職業倫理意識」は日本と対極にあるとも言える。客に対するぞんざいで無礼な対応(※中国人は、それが普通だと思っているので腹も立たないようだ)などなど、最近は 少し変化も見られ始めているとはいえ‥‥。日本人が暮らすには中国はこの点はとても厳しい環境の国なので、ストレスも半端ない。旅行で1週間くらい中国に行くぶんにはあまり感じないかもしれない。