彦四郎の中国生活

中国滞在記

中国は、祖父母と孫が一緒に過ごすことの多い社会—中国の人々の暮らしの一(ひと)コマより

2024-04-26 19:59:13 | 滞在記

 毎朝3時に起床している。(寝るのは午後8時半頃)  大学の担当授業がある日は、4時から朝食を食べ始め、午前5時50分頃にアパートを出てバス停に向かう日々。そのバス停付近に向かう途中、スコップを手にし、背中に肥料の袋のようなものをバックにして背負った40代くらいの女性が二人歩いていた。彼女たちもバス停に向かうようだ。大学方面に向かうこのバス停が始発の43番バスの出発時刻は午前6時30分。彼女たちも同じバスに乗り込んできた。これから建築・土木現場に向かうのだろう。

 ある日、バス停に段ボールを底にして、キャリーバックのようにして使っている50歳くらいの女性の姿。同じバス停付近を竹で作った天秤棒の左右に、黒いゴミ袋に物をいっぱい入れた50代くらいの女性が歩いていく。ヘルメットを被った農民工の人などもバスでよく見かける。

 中国社会を一言で表せば「社会や人々のアンバランス」となるだろうか。日本のように人々がかなり均一化した社会ではない。身なりや生活の様子からして、いろいろな階層の人が同時に生きているのが中国という国だ。都市戸籍と農村戸籍の峻別があり、農村戸籍のまま都市で長く生活する多くの人々は、「年金や生活保護、医療保険など、諸社会保障制度が未整備」な中国社会。その中で、私の目に映る、生きるためにさまざまな仕事をして必死に生きる人々の様子を、日々、見続ける。そんな中国の人々(庶民)の姿に、敬意を払いたくなるようなような光景が多いのも中国かと思う。

(※中国で、日本人の私からしたら奇異な中国人の行動はたくさんあるが、そのうちの一つが男性が女性の小さなバックであっても、それを持ってあげるという行為。これは、ボーイフレンドとガールフレンドの間でのことなのだが。2014年頃に、学生たちにそのことを聞いたら、「男性が、もし、女性の持ち物を持たなかったら、私はあなたに愛をもっていませんということになるんです」とのこと。日本人からしたら、男も女も恥ずかしくないのだろうかと思うのだが‥。所変わればだ。)

 中国の人たちの就寝時刻はとても遅い。午後11時~12時頃。そして起床時刻も当然に遅く、午前6時頃〜7時頃になる人が多い。このため、朝は家で朝食を作る人が少なく、近所の早朝食堂で食べて出勤していく人も多い。

 4月21日(日)の午前中、久しぶりに光明港公園に行った。この公園の近くには、かって閩江大学の旧キャンパスの一つがあり、外国人教員用の宿舎があったので、2019年9月から約2年間、この宿舎で生活していた。そして、この河川沿いの公園に日常的に散歩などに行っていた。

 この日の公園を午前10時頃から歩き始めた。カラオケでデュエットをしている人たち、カラオケなしで歌を歌っている(スピーカーはある)老齢の男性。公園内の池の蓮の葉が少し大きくなり始めていた。

 公園のいたるところで見られる祖父母と孫が過ごす光景。親と過ごす子供も多いが、半数は祖父母と孫が公園で過ごしている光景だ。中国社会は、祖父母が孫の世話をする時間が多い。日本の保育園のような施設がとても少なく、親は日常的に子供の祖父母に、子供の世話を頼むことが多い。(中国の定年は、男性60歳、女性50歳。再雇用などは特に制度化されていないので、孫の世話は定年後の人生の大きな生きがいともなる。)

 子供が幼稚園に行っても小学校に行っても、1日に4回もの送り迎え(朝・昼[2回]・夕方)は、祖父母の世話になる人がほとんどかと思われる。このため、祖父母と孫との濃密な日常的なつながりは、小学校卒業まで続く。

 公園内でも、トランプを楽しむ人がとても多い。そのようすを見守る人も多い。刀剣舞の練習をやっている人達の姿も見られる。

 4月20日(土)の午後6時から、福州市内のホテルで開かれた「福州日本企業会」の4月例会に参加した。参加者は約100人。この日は、在広州日本国総領事館の主席領事も参加していた。また、日本貿易振興機構(JETRO)の広州代表所の所長による、「中国における日系企業の最近の動向」と題された講演などもあった。

 会場のホテルの同じフロア―では、2組の結婚披露宴が行われていた。それぞれの披露宴は参加者が100人ほど。中国の経済・景気減速の影響か、以前(5・6年前)の結婚披露宴と比べると参加者の数が少なくなっている(以前は200人ほど規模が多かった)ように思えた。

■今朝、Yahoo !  Japanの記事を見ていたら、「週刊現代」2024年4月27日・5月4日合併号の一つの特集。記事についての紹介が掲載されていた。その記事の題名は、「もはや日本は中国の"10年遅れ"‥!?ライドシェアもAIも"取返しのつかない格差"が開いてしまった」。その記事の概要を読んで、「この記事を書いた人は、考えの足りない浅はかなライターだなぁ」と思った。勉強不足、思考のなさの典型的な記事内容だ。また、こんな記事を特集記事として掲載した「週刊現代」のレベルの低さにも残念な思いがする。

 確かに、ライドシェアもAIも、中国は日本と比べて人々の暮らしの隅々まで格段に進んでいる。でも、それが何だというのだ。中国で暮らして実感するが、この10年間のAIの極端なまでの進み方は、人々の暮らしの幸福度の向上とは決してつながっていない。むしろ、10年前の2013年の頃の方が、素朴な生活がまだあって、かえって良かったような(幸福度がより高い)思いを感じている。AIの生活への浸透の高まりは、人々の幸福度をより下げたと、中国に生活して私は思っている。

 2020年1月から始まった新型コロナウィルス感染問題拡大のため、小中高校での「オンライン授業」も行われたが、このオンライン授業に関する日本の学校の遅れを中国と比較して、テレビなどで批判していた尾木直樹氏なともいたが、この尾木氏などの論調も、浅はかな論調だと思ったこともあった。

 

 

 


新緑と梅雨のような季節が同時にきた、今年の福建省の4月下旬—中国南部の広東省は大洪水になっている

2024-04-25 18:39:16 | 滞在記

 福建省の省都・福州市の緯度は沖縄県の那覇市とほぼ同じで、気候性も沖縄県と同じ亜熱帯性気候。植物の木々や花々も沖縄と似ているが、最も違うのは、沖縄の島々は湿気をともなう気温が福州に比べてそれほど高くないことだ。それは、沖縄では日中は暑くなっても夜になると海風が吹き熱が夜になるとこもらず、冷やされるから。

 東シナ海沿岸の福州は、市内を閩江(びんこう)という大河が流れて東シナ海に流れ込むが、ほぼ四方を山々に囲まれて盆地のような場所にあり、その盆地内の市内中心部から河口の福州港までは約30km。日本の京都市は盆地にあることもあり、夏の「蒸し暑さ」で有名だが、福州はそれよりも蒸し暑い。なにせ、中国の「四大火釜」(福州・南京・重慶・武漢)の筆頭となっている都市なのだ。

 そして、その蒸し暑さは「悶熱(もんねつ)」(※中国語では、メンローと発音される。)と呼ばれる。 悶絶(もんぜつ)するくらいの蒸し暑さという言葉だ。確かに、大学が夏休みになり、7月・8月に京都に戻ると、京都が涼しくも感じてしまう。その「悶熱」の季節が5月からぼちぼち始まり、約半年間後の10月下旬まで続くことになる。(7・8・9月が最も「悶熱」の季節。ほぼ連日、35度から40度。)

 そんな福州の樹木の約75%は常緑樹。木陰を作ってくれる旧市街の街路樹などに多い常緑樹のカジュマルは市の樹木となっていて、福州市の別名は「榕城(ロンチョング)」。「榕」とはカジュマルの樹木のことだ。そんな福州も、4月に入り、落葉樹が新緑の季節となっている。温帯性気候の地域が多い日本の落葉樹は、寒さか訪れる11月~12月に落葉するが、ここ亜熱帯性気候の落葉樹の多くは、それなりに寒い12月上旬~2月上旬までの季節を経て、3月に落葉する木々が多い。そして、落葉してから2週間ほどで新芽が出始め、4月上旬から下旬にかけて新緑の季節となる。

 その光景は、温帯地域に暮らす日本人にとって、秋や春といった季節感がわからなくなるような季節の移ろい方だ。

 4月の気温は、最低気温は15度〜20度あまり、最高気温は20度〜30度余りと過ごしやすい。そして、週に1~2回くらいは30度〜35度の気温となり、だんだんと悶熱の季節へと近づいていく。

 この4月、大学構内や街路樹にもある高く赤く大きな花を咲かせる樹木に花が咲く。この樹木も3月に黄色く紅葉した葉が落葉する。そして、4月に花が咲き、落花したあとに新芽を出して5月から新緑となっていく。

 この落下した大きな花は美しい亜熱帯の花。髪飾りにも似合っているちょっと妖艶な花。そして4月下旬になり、デェイゴの花が開花し始めた。このデェイゴは、沖縄の唄「島唄」の歌詞の冒頭に歌われる。「デェイゴの花が咲き♪ 風を呼び嵐がきた♬ 繰り返す悲しみは 島渡る風のよう ‥‥」。第二次世界大戦下の1945年3月下旬~6月下旬にかけての沖縄戦。その5月中旬~6月下旬はちょうどデェイゴの花が満開に咲いていた季節だったのだろう。

 新緑の季節が盛りを迎える5月10日頃からは例年、日本の九州・四国・本州ほどではないが、1か月間余りの梅雨の季節に入る福州。梅雨時期とは言っても気温はとても高くなり、高温と湿気のアジアモンスーンの季節の到来だ。(沖縄は5月15日頃に梅雨入りとなり、6月中旬に梅雨明けとなる。)

 ブーゲンビリア、ハイビスカス、そして名前は知らないが黄色い花が大学構内に咲いている4月下旬。

 私が暮らす団地のアパートの部屋から見える福建師範大学構内の丘のような山の新緑が今は美しい。(※昨年9月上旬、台風による洪水で市内道路の多くの箇所が3~5日間ほど、水につかり、交通網もマヒ。私のアパートも2日間停電。エレベーターも止まった。窓から見えるこの丘も山崩れが起きた。このため、山肌の一部はコンクリートで塗り固められた。)

 アパート近くの桑の実が紫色に実り、ビワの実も黄色く色づき始めた。日本の京都より、これらの果実は2カ月ほど早く実るようだ。

 例年は5月10日頃から始まる福建省の梅雨入りだが、今年はとても早く梅雨入りしたのかもしれない。4月20日頃から毎日、どんよりとした空模様となり、小雨や中雨、大雨が一定時間降る毎日が続く。福建省の南隣にある広東省や広西チワン族自治区は大雨・洪水の日が4月20日頃から続いている。中国の気象局によれば、このように4月から大雨・洪水が長期間・大規模に続くのは、1954年以来で、100年に一度のこの季節の洪水と報道されていた。

 


日本には約600種の桜があるが、中でも「ソメイヨシノ」という品種は海外の一部の国にも植えられた—中国、アメリカ、ウズベキスタン

2024-04-20 16:30:16 | 滞在記

■桜(サクラ)は、ユーラシア大陸中南部から、中国、日本、米国、カナダなど、主に温帯気候に広範に自生分布している。野生の固有種は世界に100種類余りあるとされ、そのうち日本の野生固有種は11種類(オオヤマザクラ、ヤマザクラ、マメザクラ、オオシマザクラ、エドヒガンザクラ、カンヒザクラなど)。日本の桜の代名詞的なソメイヨシノ(※日本の桜の木の約8割を占めるとも言われる。)やさまざまな枝垂(シダレ)れ桜は、この野生固有種などが自然交配、または人為交配で誕生した桜(サクラ)。そして、日本には現在、約600種の桜(サクラ)があるとされる。

 以下、前号に続き、「JPNプライム」YouTube記事情報の紹介を中心に記します。

 ―世界で称賛される「日本の桜」―

 日本には多くの桜があります。早咲きの河津桜、枝が垂れ下がるシダレ桜、花びらが多い八重桜。その中でも最も一般的なのが、ソメイヨシノです。ソメイヨシノはエドヒガンザクラとオオシマザクラが交配して誕生しました。(自然交配か人為交配かは不明です。)

  現在、日本全国で花を咲かせるソメイヨシノ。実はそのほとんどが遺伝子が全く同じクローン個体であることをご存じでしょうか。ソメイヨシノは、江戸時代、江戸(東京)の植木職人が売り出したものが日本各地に広がりました。その当時、その植木職人が住んでいた付近は「染井村」と呼ばれており、桜の名所の奈良県の吉野山にあやかって、「染井」の「吉野桜」として販売したのが名前の由来です。

 江戸時代以降、ソメイヨシノは日本各地、特に川沿いに次々と植樹されました。桜の名所が川沿いに多いのは、洪水を防ぐためであったと言われています。桜が堤防に根を張り、堤防が崩れにくくなる上、桜の花を見るために多くの人が訪れることで、地面が踏み固められ、より頑丈な堤防になるのです。

 ソメイヨシノは、増やし方、成長の早さの両面で植樹に適した植物です。ソメイヨシノは「挿(さ)し木」や「接(つ)ぎ木」という方法で増やしていきます。このようにして増やしたソメイヨシノは、親木と同じ遺伝子をもつ桜になります。

 ヤマザクラは、花見ができるほどの大きさになるのに10年はかかりますが、ソメイヨシノは5年ほどで見栄えの良い大きさになる成長の早い樹木です。そのため、増やしやすく成長の早いソメイヨシノが重宝され、全国に植樹されていきました。桜の美しさに魅了された日本人の手で、ソメイヨシノなど、様々な種類の桜とともに、桜名所が日本各地に作られていったのです。

 ところで、海外でも日本発祥のソメイヨシノの名所があるのをご存じですか。海外で見られるソメイヨシノとして、日本でもよく知られているのは、アメリカのワシントンDCの桜です。1912年に、日米親善の象徴として日本からソメイヨシノやカンヒザクラなど12種類の桜の苗木3000本(その内、1800本がソメイヨシノ)が寄贈されました。

 最初に贈られてから110年以上。その間には太平洋戦争もありました。そんな時期にも桜は切られずに保たれ、今でもなお、「桜まつり」が開催されるなど、全米で愛されているのは嬉しいことです。

■中国の武漢大学や、南京市、無錫市などにもソメイヨシノの桜名所がある。

 アメリカや中国以外でも、日本の桜が楽しめる国があります。中央アジアの国、ウズベキスタンの首都・タシケントの桜です。この街の桜は全て、日本から空輸され、日本の造園業者の指導のもと、ウズベキスタンの人々が植樹しました。ところでなぜ、桜はウズベキスタンに植樹されたのでしょうか。ウズベキスタンは、1991年にソビエト連邦から独立した共和国です。

 第二次世界大戦後、ソビエト連邦のシベリア地方や、このウズベキスタンなどにも、多くの日本人が捕虜として収容渚に入れられ強制労働を強いられていました。過酷な環境下、多くの日本人が命を落とし、この地に葬られました。

 時は流れ、2009年にウズベキスタンのタシケントで「日本祭り」が開催されました。日本からの訪問団の一人が街の郊外の日本人墓地に行ったのですが、その荒廃した荒れ果てたようすに驚き、当時のウズベキスタン日本大使にその墓地のようすを伝えました。その後、日本大使館の働きかけもあり、墓地は整備されたのですが、殺風景。そこで、日本の桜を墓地に植える構想が浮かんだのでした。

 現地のウズベキスタンの人々も、「当時の捕虜の日本人の勤勉さ・まじめさ」に好感をもち続けていた人も多く、積極的に、墓地の整備や桜の植樹にあたりました。そして、桜は墓地周辺だけでなく、市内の中心部などにも植樹されていきました。(約1300本)  現在、タシケントは日本の桜の名所となっています。

■中国、アメリカ、ウズベキスタンなどの国の他にも、日本の桜が植えられて桜名所となっているところがあるかもしれません。

 

 

 

 


「まるで天国のようだ」「死ぬまでに一度は訪れたい魔法の光景」、英国のBBC放送や米国のワシントン・ポスト紙などが世界に向けて報道した日本の桜

2024-04-19 23:16:19 | 滞在記

 今年の4月上旬に一週間ほど日本に一時帰国した際、日本の桜を見に訪れた外国人観光客のあまりの多さに驚いた。大学生時代以来、長く京都に住んでいるが、こんなに外国人が多い桜の季節は初めてのことだった。特に欧米系の人がとても多いようにも感じた。

 ―3月の訪日外国人数は308万人、単月で初の「300万人超え」―春の桜シーズンで訪日需要が高まる―

 上記のような報道もされていた。日本政府観光局(JNTO)が発表した3月の訪日外国人客が308万1600人。訪日外国人を国・地域別にみると、3月として訪日客数が過去最高となったのは、韓国、台湾、香港などアジア地域に加え、米国、カナダ、英国、フランス、オーストラリアなど17か国・地域にのぼった。また、米国やカナダなどは単月で過去最高を記録した。(※中国は、日本への個人旅行は認めているが、2019年までのような団体旅行を、コロナ問題後はまだ認めていない。このこともあり、2019年3月と比較して35%減だった。)

 4月の訪日外国人観光客の発表は5月に入ってからだろうが、京都などの4月のようすからして、3月以上の単月400万~500万人余りの訪日者数があるかとの予測もされる。なぜ、日本の桜が咲き誇る時期に海外からの観光客が今年は特に激増したのだろうか。その背景の一つには、英国BBC放送や米国ワシントン・ポスト紙などが、日本の桜について特集報道をしたこともあったようだ。

 このことについて、「JAPANプライム(JPNプライム)」(※YouTube—海外の大手メディア・教育機関・著名人などから見た日本についての情報を発信している。)のYoutube記事の概要を以下に紹介したい。この情報記事を見て、私は「なるほど、それもあって海外、特に欧米系の海外旅行客が4月上旬の京都に殺到していたのか」と少し分かったようにも思えた。

■「JPNプライム」より—[海外の反応]YouTube報道名:「まるで天国のようだ!」日本の桜のあまりの美しさをBBCなどが世界に向けて報道—

 日本の桜は世界中の人々を虜にし、その綺麗さと儚さは、BBCが特集を組むほどです。今年も桜の季節がやってきました。3月中旬、日本のテレビのニュースでは、桜の開花状況や満開状況などが毎日のように取り上げられています。この時期になると、なんだかわくわくする日本人は多いのではないでしょうか。

 そして、日本人はもちろん、実は、海外の方にも日本の桜は大人気なのです。桜が咲いてから散るまでの期間はたった2週間。そのわずかなシーズンを狙って、桜目当ての外国人観光客がこぞって押し寄せます。イギリスのBBC放送では「日本は異世界のようだ」「それはまるで天国のようだ」と特集報道、同じくイギリスの大手旅行ガイド「ラフ・ガイド」では、日本の桜を「死ぬまでに訪れたい場所」「日本で桜を見ることは魅力的な体験だ」と報道、アメリカの有力紙ワシントン・ポスト紙では日本の桜についての記事が数多く掲載されたのです。

 桜の美しさが知れ渡ったことで、近年多くの外国人観光客が桜を目当てに訪れるようになりました。特に北米やヨーロッパからの観光客が多く、4月の来日者数は年々増加傾向にあります。桜の美しさは国境を越えて人々を魅了し続けているのです。実際に美しい日本の満開の桜を見た光景は、SNSにて世界中に発信され続け始めてているのです。

 さらに、満開を通り過ぎ散り始める「桜吹雪」の美しさにも感動のコメントが集まっています。「散っているのに生命にあふれているよう。おおげさでもなんでもなく、本当に夢の中の風景みたい。」「日本、そこは桜の降る国。なんとも美しい。」「桜吹雪を見るだけでも、日本に行く価値がある!」。私たち日本人と同様、外国人も桜のある風景を楽しんでいるのですね。

 ところで、外国人観光客は「桜を見ること」だけを楽しんでいるのではありません。実は、日本人の「花見」にも興味を寄せているまです。桜の下に人々が集まり、食事やお酒を楽しむ花見文化にも外国人の注目が集まっています。外国人がどんなところに驚いているのか、興味・関心をもっているのか、4つの場面を紹介します。

 1つ目は、大勢で楽しむ姿です。桜の木の下に大きなビニールシートを敷き、宴会が行われていますよね。お酒を飲み、お弁当やおつまみを食べ、大勢で語らう姿にびっくりするそうです。(海外にもピクニック文化はありますが、家族などの少人数なのです。)

 2つ目は、日本の「夜桜」を楽しむ文化です。桜の名所では「ぼんぼり」が灯されます。夜に花をライトアップして楽しむ文化は海外ではなく、外国人が驚くポイントの一つです。また、ほのかな明かりに照らされた桜の幻想的な美しさも衝撃を与えます。そんな夜桜見物の世界にはまる外国人観光客も多く、「こんなにキレイな花見があったのか」「日本人の美的感覚は素晴らしい」「こんな夜桜見物が、アメリカでも流行ってくれるとうれしいんだけどなあ」「片手にビール、片手に団子を持って寒い夜を過ごすほど楽しいことはない」と、絶賛の声が聞かれます。

 3つ目は、「屋台」(露店)です。桜の名所でもシーズンになると多くの屋台が設置されます。焼きそば、たこ焼き、焼き鳥、からあげやおつまみ、子供の好きなフライドポテトやリンゴ飴など、屋台の種類も多く豊富です。屋台でお酒や食べ物を買って、日本人のように花見を楽しむ観光客も多くいます。中には近くの日本人と仲良くなる人もいるようです。

 4つ目は、日本人のマナーの良さです。「花見でお酒を飲んでいるのに、暴れる人がいない」「花見が終わった後、きちんと片付け、ゴミを持ち帰っている」など、日本人のマナーの良さを称賛する投稿も多くみられました。

 このように、日本の桜も花見文化も、海外から大注目されています。「日本にしかないもの」として注目され、「日本に来るなら絶対に花見の季節」と言う人も少なくありません。日本の桜は、観光資源の一つとなっていると言っても過言ではないのです。

■以下、次号に続く。

 

 

 


中国の人たちも近年(ここ10年ほど)、なぜ桜の花見をするようになったのか—日本を通じて桜を再発見した中国の人々

2024-04-17 20:26:16 | 滞在記

 2013年に、初めて中国の福建省の大学に赴任した時に、2007年頃から福建師範大学に赴任している日本人教員が、「中国でもようやく、3年ほど前から(2010年頃から)旅行ということをする人が少しずつですが増え始めてきました」と話していたのを思い出す。中国人が旅行をするようになったのは、まだわずか12・3年ほど前からなのだ。そして、2015年頃からは、国内外を問わず、旅行をすることが空前のブームとなった中国。それは「爆発的」とも言える国内外への旅行者の急増だった。それとともに、中国では花を見に行く旅行(花見旅行)も急増していった。

 中国には、昔から中国人が好きな中国十大名花と言われる花がある。「梅、牡丹、蓮、菊、蘭、つつじ、椿、金木犀、水仙、月季花(バラの一種)」の10種の花である。その中には🌸の花は入っていなかった。もちろん中国にも花を愛でる習慣は古くからあったが、例えば梅や牡丹などを大勢の人が見に行くというような習慣はあまりなかったのだった。しかし、ここ10年余りの近年になって、いろいろな花を大勢の観光客が見に行くという光景が出現したのが中国だった。

 その背景には、社会の経済的発展にともなう人々の経済的な生活向上があり、2014年ころからのスマホ携帯電話の普及ということがある。そして、それまであまり関心がもたれなかった🌸桜の花が、中国では空前の関心がもたれ始めることとなったのは、直接的なきっかけとしては日本への旅行の影響がある。2015年頃から海外旅行に行く人が急増し始めた中国だが、日本での旅行で桜を見て、その素晴らしさに感動し、スマホで友人・知人たちにさかんに知らせることにより、桜の花に対する関心が拡散していった。「中国人は日本を通じて桜のすばらしさを再発見した」と言ってもいい。

 中国の統計によると、花見など桜に関連する中国の行楽客はのべ3億4000万人(2019年)に達し、関連の消費支出は600億元(約12兆円)を超えた。2020年からの3年間は新型コロナ感染問題による「ゼロコロナ政策」により、このような花見観光と支出は激減したが、2023年の春より回復し始め、この2024年には、桜関連の市場は1000億元(約20兆円)になるとも言われている。(※旅行以外にも、「さくらフレーバーの珈琲とか、さくら味のソフトクリーム」など、食品や菓子などの市場も拡大している。中国で最も利用者の多い検索サイト、百度[Baidu]の発表によれば、春の花で検索数が最も多いのは桜で、梅や桃、菜の花などを圧倒的に上回り、トップだったとのことだった。)

 桜の花を巡る昨今の出来事から中国社会の変化について少し考えてみたい。

 ※上記写真は武漢大学構内と桜

 日本では南は沖縄(2月開花)から北は北海道(5月開花)まで、全国津々浦々で桜の花が咲き、まさに「桜の国、日本」となる。しかし、中国では桜の花がたくさん咲く「桜の名所」などと言われるところはまだ少ない。私が10年以上暮らす、ここ中国福建省の省都・福州市でも、桜の花が咲くところは、まだあまり見かけられない。

 中国で桜の名所として古くから知られているのは、湖北省武漢市にある国立武漢大学。清朝末期の1893年創立の歴史ある大学で、大学構内の桜は日中戦争当時、武漢を占領した日本軍が植えたものがその始まりだった。現在でも、武漢大学の桜はその8割の木が、日本軍が植えた桜の直接の子孫だという。

 ※上記写真も武漢大学構内と桜 ※メジロが桜の花にはよく来る。メジロは鳥の中でも中国人には最も人気の高い鳥かと思う。

 中国では正式な国花は制定されていない。(日本の国花は正式に「桜」「菊」と制定されている。中国では正式ではないが、国花選定の議論が出るたびに「牡丹」や「梅」が第一候補として挙げられてきた。歴史的に見ても、桜にそれほど愛着を示してはいない。) それがここ10年あまりの近年になって、なぜ中国人は急に桜好きになったのか。その背景には大きく3つの理由があると言われている。

「①日本に旅行に行く人が増え、日本の桜の魅力を知った。➁スマホ時代になり、画像や動画で友人・知人や多くの人々に伝えることが即座に可能になった。そして、桜は梅や牡丹よりもその圧倒的な光景のインパクトがある。③視覚効果が高く、木の成長が早く花も咲く桜(特にソメイヨシノ)は、地域振興としての観光資源のニーズにフィットした。「桜」は観光客を呼び込み「儲かる」ことがわかり、商業的にプロモーションする地方政府や企業が増えてきた。」と。

※上記写真は、江蘇省の省都・南京市の桜。南京市へは私も2018年の10月に1週間ほど訪れた。街の周囲は長大な城壁に囲まれた中国の古都だった。玄武湖周辺や鶏鳴寺とその参道、南京大学や南京航空大学や南京林業大学などの構内の桜などが、桜の名所として知られている。

※上記写真は、南京市にある鶏鳴寺の参道や境内の桜。夜になるとライトアップもされる。

 スマホ時代の到来は、間違いなく中国での桜人気の到来を後押ししている。中国人の人たちは「どうだ、すごいだろう」「こんなすごい光景のところに行ってきたよ」という、「見せびらかして誇る」ことが好きだ。中国の花見は、木の下で飲食、宴会、家族や友人・知人とで楽しむという風習は一般的ではない。花見での最大の関心事は、「人が驚くような、感嘆するような写真や動画を撮ること」にある。そして、それを友人・知人、そして多くの一般の人に誇ることだ。

 とにかく、自分は他人よりすごいものを見た、きれいな場所に行った。こんな素敵な体験をしたということを、写真や動画に撮り、親しい人に見せ、「どうだ、すごいだろう」、「褒めて、褒めて」と暗黙に迫る。見せられた方は内心、「まあそれほどでも」と思っても、適当なツッコミを入れつつ、とにかく褒める。大勢が集まってワイワイやるのが好きな中国の人たちにとって、こういう親しい者どうしの「見せびらかし」の場は、最も楽しいひとときなのだ。

 それには被写体が特別に鮮烈なものでなくてはならない。そんな写真や画像や動画を見て、自分もまた行ってみたくなる。そして、次々に観光客がその地を訪れる。中国の桜の名所と言われるところは、そのような連鎖が起きていて、この10年間余りでたくさんの人が訪れて、写真や動画に撮られてきている。日本への桜名所へも中国人が多く訪れた。今年2024年の4月4日の清明節連休期間、中国人の海外旅行先人気トップは日本となっていた。

※上記写真は、江蘇省無錫(むしゃく)市の桜の名所・黿頭渚(げんとうしょ)の桜園(中日櫻花友誼林)。左端の写真は、1998年に日中友好団体でこの地の桜植樹の中心となった長谷川清己氏。

 長谷川氏は、日中戦争時代に一日本軍兵士として中国に従軍していた。その戦争への悔恨から、無錫市への桜植樹(日中友好)を始めていった。1998年から1991年までに、約3000本の桜を植樹した。その後、地元の人たちを中心に植樹が続けられ、現在では約3万本の桜名所となっている。

 ※上記写真も無錫市の桜園。

 ※上記写真も無錫市の桜園。

 ※上記写真は、貴州省の省都・貴安市にある世界最大の桜園。ここの桜は2010年頃に植えられたもので、その歴史はとても浅い。桜による地域振興、観光客を呼び込むためだった。「世界最大」というインパクトの驚きがあり、「ずごい、すごい」となる。

 ※上記写真は雲南省の茶畑に植えられた桜(無量山桜花台)。茶畑の緑と桜のピンク色とのコントラストが美しい観光名所となっている。ここの桜は2013年頃に植えられた。

■このように、中国でいま起きている桜の花ブームは、これまでの中国の伝統的な花を愛でる鑑賞とはちょっと別の流れから新たに生まれてきているものであるようだ。日本のソメイヨシノに代表されるが、グローバル化の流れに乗って中国にも伝播したものと言える。