彦四郎の中国生活

中国滞在記

谷村新司さん死去(享年74歳)❷ ― 日中合同世論調査「相手国への印象」と "相互の 文化交流"の影響力を想う

2023-10-28 19:20:56 | 滞在記

■前号のブログで、文章の書き間違いがありました。「毛寧副報道局長の死去を悼むということを報告した。」と書いてしまいましたが、この文章は書き間違いで、「毛寧報道は、(谷村新司氏の)死去を悼むということを報告した。」が正しいです。すみません、訂正します。

 谷村新司さんの歌の中でも、私の心の中にあり、居酒屋などのカラオケでよく歌った3曲がある。「昴(すばる)」「群青(ぐんじょう)」、そして「帰らざる日々」。「群青」は1981年に公開された映画「連合艦隊」の主題歌ともなった。

 私の弟が45歳の若さで亡くなってしまった。東京での葬儀を終えて、夜に新幹線で京都に帰り祇園界隈の行きつけのスナックにいった。そして、弟の死がたまらず、「帰らざる日々」を歌って気持ちがこみあげてきて泣いた。この歌の歌詞は次のように始まる。

 「帰らざる日々」 最後の電話を握りしめて 何も話せずただじっと 貴方(あなた)の声を聞けば 何もいらない いのちを飲みほして目を閉じる‥‥bye bye bye 私の貴方 bye bye bye私のいのち‥‥

 谷村さんも帰らざる人となった‥‥。「いのちを飲みほし‥‥bye bye bye 私のいのち‥」となった。

 谷村新司さんは、「歌は海も空も超えていく。歌が国境を越えるという感動がある。」という言葉をよく言っていた。その言葉通り、谷村新司の歌は国境を越えて中国でも愛された。摩擦が絶えない日中関係だが、10月17日、中国外務省(外交部)副報道局長の毛寧氏は「谷村さんは音楽で交流の懸け橋を築いてきた。両国の見識のある人々が、中日平和友好の楽曲を歌い継いでいってもらいたい」と、特にその功績を強調もしていたのが心に残った。

 そんな谷村さんだが、2018年には、週刊文春に「谷村新司 息子 トイレ盗撮で家族離散の哀歌」と題された記事が掲載された。谷村新司さんには一人の息子と一人の娘がいる。息子さん(現在45歳)は谷村新司さんの事務所の職員だったが、事務所の女子トイレ盗撮をしたとして、事務所をやめさせられることとなった。そして、彼は妻と離婚し、谷村新司さんとの親子関係も断絶となってしまったようだ。

 この10月8日に谷村新司さんが死去し、近親者だけの葬儀が行われたが、息子さんは葬儀に来なかったと伝えられる‥。谷村新司さんもまた、晩年のこの5〜6年は、この息子さんとのことは心痛とともに気がかりなことだったのだろうと思われる。

 2010年以降、私が知る限り、中国外務省(外交部)が日本人の死去に対して哀悼の声明を出したのは、この谷村新司さんの他には俳優の高倉健さん(1931―2014年)[享年83歳]がある。2014年の外交部声明は「高倉健先生は中国人民のだれもがよく知る日本の芸術家であり、中日の文化交流の促進に重要かつ積極的に貢献した。われわれは哀悼の意を表す」という内容だった。(※2014年は尖閣諸島問題を巡って、日中共同世論調査でも日中双方ともに相手国に対して「良い印象をもたない」が93%に達するなど、2000年以降で日中関係が世論的に最も厳しい時期でもあった。)

■1976年に日本で公開されたサペンス・アクション映画「君よ憤怒の河を渉(わた)れ」(主演:高倉健、中野良子、原田芳雄など)が、文化大革命終焉直後の1979年に中国で、外国映画として初めて公開されることとなった。(中国での映画名は「追捕」)  この映画は当時の中国の人々(約10億人の人口)にとって大反響となり、人口の8割の約8億人がこの映画を観たとされている。この映画を観た中国の男性たちは、その後の数年間は、高倉健のような寡黙な男性の雰囲気を真似(まね)て暮らしていたとも伝わる。

 2006年には、中国の映画監督・張芸謀(ジャン・イーモー)のもとに作られた映画「単騎、千里を走る」(主演・高倉健)が公開された。(※張芸謀は、映画「初恋のきた道」など数々の名作を作り、2008年の北京夏五輪や2022年北京冬五輪の開会式の芸術監督を務めた。)

■高倉健さんが、2006年頃から中国の北京にある「北京電影学院(大学)」の客員教授であったことはあまり知られていない。この大学は中国唯一の映画関係人材を養成する大学で1952年に創立されている。映画だけでなく報道・テレビ界などで活躍している卒業生も多い。(※演技科・文学科・美術科・撮影科・録音科・アニメ科などがある。張芸謀や陳凱歌などの中国の著名監督などは撮影科の卒業生。)

 ちなみに、俳優などを目指す人が憧れる大学には、「中国戯劇学院」(北京市/1950年創立)と「上海戯劇学院」(上海市)などがある。「初恋がきた道」などの主演女優の章子怡(チャン・ツィー)なども「中国戯劇学院」の卒業生だ。  

 高倉健さん主演の映画「君よ憤怒の河を渉れ」での主演女優・中野良子さん。この映画を観た8億人の中国人にとって男女ともに憧れの女性・理想の女性となった。その中野良子さんは、1950年生まれで現在73歳となる。これまでに中国には100回以上行き100箇所以上の場所を訪れたそうだ。(日中交流の仕事を今も続けている。)

 中国人の人々にとって憧れの女性・理想の女性として、もう一人、山口百恵さんがいる。1984年から中国のテレビで放送された日本のテレビドラマ「赤い疑惑」シリーズ(山口百恵主演)。この当時、まだ中国にはテレビが普及していなかったため、それなりに大きな町の商店などにあるテレビには、近隣の山間地などからも人々がきて視聴したと伝えられている。山口百恵さんが歌った「いい日旅立ち」や「コスモス(秋桜)」。「いい日旅立ち」は1978年に発表された。この時、山口さんは19歳だった。この曲の作詞・作曲は谷村新司さんだった。山口百恵さんは1959年生まれで現在64歳となる。

 1980年代の中国の人々にとって、中野良子さんと山口百恵さんの二人は女性美の基準となり、楊貴妃の子孫とまで言われた。女神降臨という感じだったかと思われる。

■2013年1月に大学の学生の故郷の家に3泊4日の旅に行った時のこと。学生の父や母の友達なども来て、10人ほどの歓迎宴会となったのだが、中国の人たちから、「ガオツァン・ジィエンは知ってるか?ジョンユエ・リァンズーをどう思うか?」「シャンコウ・バイフィーは素晴らしいが、あなたはどう?」などと聞かれた。何のことが質問の意味が分からないので、とまどったが、筆談で書いてもらってようやく質問の意味が分かった。「高仓健」(ガオツァン・ジィエンと発音)、「山口百恵」(シャンコウ・バイフィと発音)、「中野良子」(ジョンユエ・リャンズーと発音)のことを聞いていたのだった。

 学生の父や彼の友達たちはその当時45歳前後だったので、現在は55歳前後となる。おそらく中国の50代以上の人ならば、高倉健・中野良子・山口百恵の三人は、誰もがよく知っている日本人なのだろう。

 宮崎駿さんが2013年に引退宣言をした時、中国では大きな話題となった。2005年代に入り、中国ではスタジオ・ジブリの宮崎駿監督らが作ったアニメ映画「天空の城ラピュタ」など多くの作品がが大人気となっていたからだ。そして、2015年頃からは新海誠監督のアニメ作品が中国では人気を集めている。日本のアニメーション映画やドラマ(※「ドラえもん」など)は、多くの中国の人々を惹きつけてきた。

■日本でもそうだが、例えば、ある国への「印象」は、その国の映画や音楽など文化面の影響も、とても大きいように思われる。いわゆるソフトパワーの影響だ。2023年の日中合同世論調査でも、40%近くの中国人が「日本に対する印象で良い印象/どちらかといえば良い印象」と回答している。

 

 

 

 

 


谷村新司さんが逝去(74歳)➊―中国の多くの人々、中国政府が哀悼の意を表明—「彼の歌は中国人民に愛されている」と‥

2023-10-22 15:46:18 | 滞在記

 歌手の谷村新司さんの所属事務所が10月16日、谷村さんが10月8日に死去したと発表した。今年の3月に急性腸炎のために手術を受けて以降、病院で入院治療を続けていて、アリスの全国ツアー再開などに向け意欲を語ってもいた矢先の急逝(きゅうせい)だった。谷村さんは1948年大阪生まれで、享年74歳だった。

 谷村さんの急逝に、中国各メディアは直ちにこのニュースを報道し、故人を悼み、谷村さんと中国との深いつながりや友情をふり返っていた。(※谷村新司さんは、1981年に初めて中国のコンサート舞台に登場して以来、中国と密接なつながりを持ってきた。2003年には中国での新型肺炎[SARS]撲滅支援のコンサートを開き、その収益金の一部を中国側に贈った。

 2004年からは、上海音楽学院(大学)音楽工程学科に招聘(しょうへい)されて教授を務め、日中音楽文化研究センターの顧問を兼任して、中国人の音楽人材の育成にも携わった。2010年の上海万博開催期間中、日本のPR親善大使を務め、開会式では「昴(すばる)」を歌い、会場の人々は深い感動に包まれた。

■国立上海音楽学院は、中国で最初の音楽専門高等教育機関として1927年に創立された。学生数は大学院生を含めて約2500人ほど。現在も、中国の音楽関係の大学としては最高峰の一つに位置づけられる。現代音楽だけでなく、中国の伝統楽器や歌曲などにも造詣が深い大学だ。

 谷村さんは、この上海音楽学院のある上海を、「第二の故郷」とも語っていた。2017年、日中国交正常化45周年、デビュー45周年を祝うために谷村さんが上海で行ったコンサートで、中国のファンたちから「45」と書かれた文字のパネルをプレゼンもされていた。

■「昴」「花」「浪漫鉄道」など谷村新司の有名な歌は、50曲余りが中国語バージョンにアレンジされ、中国のカラオケなどでもよく歌われていた。私も学生たちと行った中国のカラオケで「昴」を歌ったこともあった。一番は学生たちが中国語で、二番は私が日本語でという感じだった。(※日本の居酒屋スナックやカラオケ店などには、中国の歌はけっこうある。中国のカラオケ店にもまた、日本の歌[日本語など]がある。)

 10月16日に谷村新司の死去が明らかにされて、「日本国宝歌手谷村新司去世」(10.18)と題された中国のインターネット記事など、中国の各メ。ディアは直ちにこのニュースを報道し、故人を悼み、谷村新司と中国との深い友情をふり返った。彼の死は、中国最大のインターネット検索大手「百度(バイドゥ)」では検索第二位に入るなど、各種インターネットサイト検索ランキング上位に入り注目を集めた。

 中国外交部は定例会見の場で、毛寧副報道局長の死去を悼むということを報告した。(10・17)  この会見について、インターネットの新聞では、「外交部:対谷村新司先生逝世表示哀悼」と題された記事などが見られた。このような中国外交部の「死去哀悼声明」が出されたのは、2014年の俳優・高倉健以来だった。また、呉江浩中日中国大使は10月16日、個人のツイッターで「谷村新司さんは日本の音楽界の国宝級人物として、その歌も中国人民に愛され、中日両国人民の文化交流に重要な貢献をした。亡くなられても歌声は永遠に残る」と述べた。

 

 

 

 


日中世論共同調査—日本国内や中国国内での一般報道ではなかなか見えてこない、中国人の日本に対する思いも垣間見える世論調査だ

2023-10-19 18:26:36 | 滞在記

 2005年から毎年行われてきている「日中合同世論調査」の2023年の結果がこのほど(10月中旬)に発表された。この合同調査は、日本の民間非営利団体「言論NPO」(工藤秦志代表)と中国の「中国国際伝播集団」が毎年行っているもので、今年が第19回目となる。今年は8月から9月にかけて、日本と中国で世論調査を行った。(サンプル数:日本1000・中国1506)

  「ほぼ唯一といっていい、日本に関する中国の世論調査」から、さまざまな日本と中国での日中間に関する報道では見えにくい中国人の人々の「対日世論」の本当のところも垣間見えてくる。

 2023年の調査結果では、中国に「良くない」印象を持つ日本人は92.2%で、昨年比で4.9%も増加。2005年の調査開始以来2番目となる高さだった。(※これまでの調査で、中国に「良くない」印象が一番高かったのは、2014年の93%。) 一方、日本に「良くない」印象を持つ中国人は62.9%で、昨年比で0.3%増加とほぼ横ばいだった。(※これまでの調査で、日本に「良くない」印象が一番高かったのは2013年の93%。ちょうど私が中国に赴任した年だった。)

   ■今年の調査で、中国に「良い」印象を持つ日本人は7%余り。日本に「良い」印象を持つ中国人は37%余り。(※これまでの調査で、中国人が日本に「良い」印象を持つが一番高かったのは2019年と2020年の48%余り。2021年には急減して32%余りに。2022年・23年は少しずつ増加してきている。日本人が中国に「良い」印象を持っているが一番高かったのは2007年の35%余り。その後年々減少してきて2014年には7%余りまで減少。その後2016年より増加を続け、2019年には18%余りまで回復していた。)

  今年の調査結果として、福島原発処理水の海洋放出について、中国人で「大変心配している」「ある程度心配している」と回答したのは合わせて47.6%。一方「全く心配していない」「あまり心配していない」との回答も合わせて26.7%と3割近くあった。また、「現時点では判断できない」は25%余り。

 日本人では、「全く心配していない」「あまり心配していない」が合わせて37.3%、「大変心配している」「ある程度心配している」が合わせて33.2%だった。また、「現時点では判断できない」は29%余り。

■—「日中関係の発展を妨げるものは」という設問への回答では―

 原発処理水問題が今後の日中関係の障害になるかどうかについては、両国の人々の見方は大きく割れた。日本人の36.7%が「日中関係の発展を妨げる」と回答。これは、尖閣諸島問題など領土を巡る対立(43.6%)に次いで2番目に多かった。一方、中国人では、処理水問題を挙げたのは5.8%に過ぎなかった。言論NPOは、「処理水への反発は中国では落ち着いており、日本の反中感情だけを悪化させる事態になっている」と分析している。処理水の問題があっても、中国人の対日感情は悪化していないとも読み取れる。

■—「自国の将来を考える上で最も重要な国は」との設問への回答では―

 日本人の53.5%が「米国」と回答。「中国」は二番目に多かったが5.7%という結果だった。

 中国人では「ロシア」が27.0%、「アメリカ」23.0%、「日本」は三番目に多く15.0%。「ロシア」は昨年調査では48.4%と突出して1位だったが、今回は20%以上減少してアメリカと近い水準になっている。日本は昨年は5.8%だったが、今回は大きく増加した。

 注目すべきは、「今後の日中関係について」で、日本人で「良くなる」と回答したのが4.2%なのに対して、中国人で「良くなる」と回答した人は31.6%にのぼっている点だ。中国政府が日本政府の対応を批判し続ける中、何が正しいのかを選別し、日本の良さを理解し、日本を訪れる中国人の姿がうかぶ。日本に好印象を抱いている中国人は少なくないのだろう。10年前に中国に赴任した頃に比べると、さまざまな情報を選択し「何が真実なのか、何が正しいのか」を自分なりに考える中国人はかなり増えた印象もある。

 一方で、今後の日中関係が「悪くなる」と回答した中国人も40.1%だった。両国の今後を楽観する人、悲観する人が二分されている状況だ。さまざまな情報を得て両国の動きを冷静に見続けている人たち、中国政府からの情報を重視する人たち、といったところが推測もされる。日中関係は中国の国内事情にも左右される、微妙なバランスの上に成り立っている。

 処理水の問題を巡っては、中国人に冷静な対応を呼びかけた中国共産党系紙の「環流時報」の社説がネット上で通常よりも長く掲載され、閲覧されたという。中国政府はある時期を境に対日批判を抑える方向に舵をきった(今年の9月上旬頃)との見方もされている。「日中共同世論調査」のいろいろな設問に対する中国人の回答をみても、一言では語れないのが中国の人々だ‥。

■「日中関係の発展を妨げるもの」として、最も多かった回答は日中ともに「領土巡る問題」(日本人43.6%、中国人39.5%)。[日本では次いで「原発処理水を巡る問題」36.7%、「中国のメディアの反日的な報道」約35%、「中国の軍事力の増強と不透明さ」約18%、「中国の歴史認識や歴史教育」約12%となっている。一方の中国では、「経済摩擦」約28%、「日米同盟と日本の軍事力増強」約22%、「日本の歴史認識や歴史教育」約12%、「原発処理水を巡る問題」5.8%。]

■日中平和友好条約締結1978年から45年が経過したが、その平和友好条約が機能していないと回答したのは、日中ともに半数近かった。また、日本人の6割以上、中国人の7割以上が、「両国政府の外交努力不足」と回答していた。

■日中共同世論調査からは、日本国内や中国国内の一般報道などではなかなか見えてこない、中国人が日本に対して思っていることの実像が垣間見えてもくる貴重な調査でもある。

 

 


毎日が足腰の痛みで、辛い中国生活だな➋―アパートに戻るとほっとする日々—大学構内で時々見かけるタイワンリス

2023-10-15 22:27:01 | 滞在記

 今学期の月曜日と火曜日は、午前中の1~4時間目(8:30-12:10)の授業だけなので、第一食堂で昼食をとり、午後1時過ぎに大学の南門(正門)近くのバス停にレンタル自転車で向かう。この前の10月10日(火)、南門に向かう途中の大学構内の水辺のバナナの木付近で二匹の栗鼠(リス)を見かけた。大学構内に生息しているリスは、日本の本州・四国・九州に生息している日本リスに比べて体が一回り大きく、特に尻尾が長く太い。タイワンリスという種類だ。日本では外来動物として、太平洋側の都道府県で生息範囲を広げているようで問題視されてもいるリスのようだ。(日本列島の固有種の日本リスの生息が脅かされているため。)

 大学の南門を出て近くのバス停付近のレンタル自転車置き場に自転車を停め、スマホ機能で1.5元(約30円)の料金を支払うと自動的に自転車はロックされる。95番バスに乗り、途中のバス停で、163番バスに乗り換えてアパート近くの師範大学(師大)バス停に至る。(大学前から、およそ1時間20分くらいを要する。)

 特に金曜日は、午後の授業もあるため、足腰の坐骨神経が疲労のためか神経がとても過敏となり、師大バス停からアパートまでの間はかなり痛みの頻度がきつくなり辛い時間帯となる。アパートまでの中間地点までは、長くゆるやかな坂道が続くためレンタル自転車が利用しにくい区間だ。また、腰かけるところもほぼない。この時に助かるのが、歩道に置かれているレンタル自転車。レンタルして利用するのではなく、自転車の座高のサドルを下げて腰掛け、痛みを和らげるため2〜3分ほど休む。また歩き始め、また、次の置かれているレンタル自転車に座り痛みをしのぐ。

 レンタル自転車が置かれていない時には、街路樹のカジュマルの樹木の根っこに腰かけたりもする。そしてようやく、アパートまでの中間地点の腰掛けることができる場所に到着。ここまで来ると一安心できる。5分ほどここで休む。

 ここからは、いたるところにある腰掛ポイントに座り、アパートの部屋まで時間をかけて進む。健康な足腰ならば師大前バス停からアパートの部屋まで10分もあれば着けるが、このような足腰の状況なので30分間ほどは必要となる。

 私のアパート近くに今、6〜7本のバウヒニアという名の亜熱帯樹木の花が満開となっている。遠くから見ると桜が咲いているようにも見える。この花は、香港の花として知られ、香港の旗にも描かれている。この花が見え始めたらアパートまでもうすぐだ。部屋にようやく戻れて、疲れた体と痛みを鎮めるために、冷蔵庫の氷を氷嚢(ひょうのう)に入れて腰を冷やすと1時間くらいで足腰がクーリングされて痛みや疲れが鎮まる。アパートの室内で生活する分には、足腰の痛みが発症することは少ないのが救いだ。アパートの部屋から臨める山の緑に癒される日々。

 3日前の10月12日(木)、この日は大学の授業がない日だった。午前11時頃にアパートを出て、レンタル自転車なども利用して、アパートから2.5kmほどの距離にある大型スーパーマーケットにインスタントコーヒーの瓶などを買いに行った。バス停近くの食堂で昼食を摂り、アパート近くまで戻ると、身体障害のある4人がグループを組んで付近を巡回していた。小人症の男女二人のうちの女性がカラオケで歌謡曲を歌っていた。とても歌唱力があり上手な歌声が、蘭天新天地の団地内に響いている。一人の男性は両足切断のため台車に引かれていた。5元札を1枚、彼に渡した。

■足腰がこのように不自由になってくると、町中で見かける高齢者などの足の不自由な人がとても気にもなり始めている。「ああ、私と同じく痛みなどと付き合いながら生きているんだなあ‥」と。腰を曲げて歩いている人のほとんどは、痛みを少しでも和らげるためにあのような姿勢になるんだと、実感として分かるようにもなった。

■雨が降る日は、腰かけることがなかなかできず、とても苦労する。レンタル自転車のサドルを下げて、手ぬぐいで座席を拭いて、傘をさしながら腰を下ろして休むこととなる。

■11月1日(水)から11月3日(金)までの3日間、大学の体育祭のため授業は休講日となる。4日(土)・5日(日)まで5日間は休みとなるのだが、6日(月)・7日(火)の担当授業を休講措置にして、8日(水)までの1週間、日本に一時帰国することにした。足腰の治療を受けたい。9月下旬から10月上旬、日本に一時帰国した際には、中国の国慶節期間ということがあり、福建省福州―関西空港間の飛行機料金は往復6000元(約12万円)もしたが、11月の飛行機便は往復2000元(約4万円)と、とても安くなっていた。

■10月11日(水)、この日は大学の担当授業がない曜日なのでアパートで授業準備をしながら、ゆったりと過ごした。インターネットのyoutubeで11日から12日にかけて、NHKドラマスペシャル「海峡」(2007年放映)を視聴した。第1回〜3回までの、とても優れたドラマだった。南朝鮮(韓国)の釜山で生まれ育った日本人女性と南朝鮮(韓国)人男性の海峡を越えた愛と生の軌跡を描く大型ドラマだった。1945年、終戦を迎えた釜山で出会った2人は、それぞれの祖国で生きることとなり、長い長い別れが来る。そして、それぞれは結婚もすることに‥。晩年になり二人は再会する‥。

 ジェームズ三木脚本 出演は、長谷川京子・眞島秀和・津川雅彦・川上隆也・橋爪功・美保純・豊原功補など

 

 

 

 


たびたび、このことを言うのも恐縮なんだけど‥毎日が足腰の痛みで、辛い中国生活だな➊‥我ながらようがんばってるなあ

2023-10-15 15:25:22 | 滞在記

 10月6日(金)に日本から中国に戻って今日で10日目となった。この10日間、坐骨神経痛による腰と左足の太腿の痛み、動脈血管の問題による右足のふくらはぎの痛みに耐える日々となっていて、辛い中国生活だなあ‥‥我ながらよく痛みと付き合いながら、「よくやっているなぁ、がんばってもいるなぁ‥」と、自分をほめてもやる日々を過ごしている。

 毎週の月曜日・火曜日、そして金曜日は、大学での担当授業が1時間目(午前8時30分~)からあるので、次のような生活行動となっている。就寝時刻はほぼ毎日午後8時から9時の間(早い時は7時から8時の間)。午前3時には起床する。午前4時過ぎに食パンにジャム(3種)を塗ったものと牛乳の朝食をとる。そして、食後の朝のトイレをすませて、各種の薬を飲み、カバンに荷物の準備をして、午前5時15分を目標に8階のアパートの部屋を出る。

 バス停までは健康な足腰ならば10分間もあれば到着できるのだが、ほぼ25分間余りをかけてゆっくりとバス停に着く。8階からエレベーターで1階まで下り、外に出てしばらくすると足腰が痛み始める。10月上旬から中旬のこの時期、外はまだ暗い。アパートからバス停まで1kmと少しくらいの距離なのだが‥。25m~50m間隔くらいで、腰を下ろして座れるところがあれば座る。痛みが激しくならないうちにとにかく、座れるところがあれば腰掛ける。3分ほど腰掛けると痛みが治まり楽になる。そしてまた歩く‥。

 毎朝、5時25分頃に、道路や歩道の掃除をするおじさんの姿に出会う。ゴミを道路や歩道にポイ捨てする人がとても多い中国社会(目の前にゴミ箱があってもポイ捨てをする人が今も多く見られる)‥。おそらくこの福建省の省都・福州市には数千人〜1万人余りのこのような地区・地域・エリア掃除の人たちがいて、毎朝、掃除をしているように思われる。

 蘭天新天地団地(およそ3万人余りが暮らす)の入り口付近には大通りの上三路通りがある。ここまで来るとバス停までの半分の距離に達したこととなる。歩道にはレンタル自転車が置かれてもいるので、スマホアプリを使って自転車をレンタルする。自転車に乗っている時には足腰の痛みが生じないからだ。ここから自転車だと2〜3分で師範大学前バス停付近に着くことができる。ちょうど時刻は5時40分頃となる。午前5時30分始発の113番バスがここのバス停には5時40分頃に到着するが、始発バスは人が多くて座れないので、次の45分頃に到着する113番バスに乗る。

 閩江の大河に架かる橋をバスが渡る頃に空が少し開け始める。師大前バス停から15分ほどで、次のバスに乗り換えるバス停に到着する。時刻は午前6時頃。空があけて来る。10分ほどこの乗り換えのバス停で41番バス(6時に始発)を待つ。6時10分頃に41番バスに乗る。バス停で待っている時間やバスに乗っている間は足腰の痛みはほぼ生じない。

 41番バスの運転手は時々、バスを3分ほど停めて自分の朝食(テイクバック)を買いに行く。6時10分から40分間余りをかけて、41番バスは終点の閩江大学北門に到着する。時刻は6時50分頃。このバス停から北門に向かう。途中から少し足腰が痛み始める。北門から大学構内に入り、まず、座れるところに行く。大学の北門近くに転がる大きな石の上に腰かけることもある。とにかく腰掛けられるところは、どこでも座る。北門から100mほど行くと、レンタル自転車置き場があり、レンタルする。とても広大な大学構内を自転車で自分の研究室のある建物(福万楼)まで約10分間。

 午前7時10分過ぎに福万楼の7階にある研究室に着き、疲れた足腰と体を休めながら休息を十分にとったり、トイレに行ったりする。午前8時前に福万楼の建物を出て、再びレンタル自転車で授業を行う教学楼に向かう。10月中旬に入り、金木犀(きんもくせい)や銀木犀が開花し、香りが漂い始めた。5〜6分で教学楼に着き、休み休みしながら階段などを登り、再び出始めている痛みに付き合いながら、その日の授業を行う教室に向かう。午前8時20分には教室に着けるように‥。5分ほど教室の椅子に座り、痛みと疲れを鎮める。

 今学期の授業を担当している2・3・4回生の学生たちには、私の足腰の痛みについてはすでに話をしてあって、授業中は座って授業を行うことも増やしている。このため、教室内には私が座る椅子を教室の教卓周囲(教室前方)に3つを準備している。3~4分以上立ちながら、歩きながら授業を続けると軽く痛みが出始めるので、椅子に座って授業を続ける。

 午前中の授業が12時過ぎに終わって、教学楼から最も近い第一食堂に昼食に向かう。途中、痛みが発症するので、3~4回は腰かけ休むをしながら食堂にやっと到着する。食べに行くのも一苦労だ。月曜日と火曜日は午前中の授業だけなので、昼食が終ったら、食堂前からレンタル自転車で大学南門(正門)に向かう。7〜8分で正門に至り、そのままレンタル自転車で近くのバス停に向かう。

 金曜日は、午前だけでなく、午後の5時間目・6時間目(午後3時40分まで)まで授業があるので、昼食後に福万楼の研究室までレンタル自転車で戻り、再び1時30分頃にレンタル自転車で教学楼に向かう。さすが、午後の授業もある金曜日は、足腰だけでなく体全体が疲れ切るので、足腰が痛む頻度も短い時間間隔となる。