■前号のブログで、文章の書き間違いがありました。「毛寧副報道局長の死去を悼むということを報告した。」と書いてしまいましたが、この文章は書き間違いで、「毛寧報道は、(谷村新司氏の)死去を悼むということを報告した。」が正しいです。すみません、訂正します。
谷村新司さんの歌の中でも、私の心の中にあり、居酒屋などのカラオケでよく歌った3曲がある。「昴(すばる)」「群青(ぐんじょう)」、そして「帰らざる日々」。「群青」は1981年に公開された映画「連合艦隊」の主題歌ともなった。
私の弟が45歳の若さで亡くなってしまった。東京での葬儀を終えて、夜に新幹線で京都に帰り祇園界隈の行きつけのスナックにいった。そして、弟の死がたまらず、「帰らざる日々」を歌って気持ちがこみあげてきて泣いた。この歌の歌詞は次のように始まる。
「帰らざる日々」 最後の電話を握りしめて 何も話せずただじっと 貴方(あなた)の声を聞けば 何もいらない いのちを飲みほして目を閉じる‥‥bye bye bye 私の貴方 bye bye bye私のいのち‥‥
谷村さんも帰らざる人となった‥‥。「いのちを飲みほし‥‥bye bye bye 私のいのち‥」となった。
谷村新司さんは、「歌は海も空も超えていく。歌が国境を越えるという感動がある。」という言葉をよく言っていた。その言葉通り、谷村新司の歌は国境を越えて中国でも愛された。摩擦が絶えない日中関係だが、10月17日、中国外務省(外交部)副報道局長の毛寧氏は「谷村さんは音楽で交流の懸け橋を築いてきた。両国の見識のある人々が、中日平和友好の楽曲を歌い継いでいってもらいたい」と、特にその功績を強調もしていたのが心に残った。
そんな谷村さんだが、2018年には、週刊文春に「谷村新司 息子 トイレ盗撮で家族離散の哀歌」と題された記事が掲載された。谷村新司さんには一人の息子と一人の娘がいる。息子さん(現在45歳)は谷村新司さんの事務所の職員だったが、事務所の女子トイレ盗撮をしたとして、事務所をやめさせられることとなった。そして、彼は妻と離婚し、谷村新司さんとの親子関係も断絶となってしまったようだ。
この10月8日に谷村新司さんが死去し、近親者だけの葬儀が行われたが、息子さんは葬儀に来なかったと伝えられる‥。谷村新司さんもまた、晩年のこの5〜6年は、この息子さんとのことは心痛とともに気がかりなことだったのだろうと思われる。
2010年以降、私が知る限り、中国外務省(外交部)が日本人の死去に対して哀悼の声明を出したのは、この谷村新司さんの他には俳優の高倉健さん(1931―2014年)[享年83歳]がある。2014年の外交部声明は「高倉健先生は中国人民のだれもがよく知る日本の芸術家であり、中日の文化交流の促進に重要かつ積極的に貢献した。われわれは哀悼の意を表す」という内容だった。(※2014年は尖閣諸島問題を巡って、日中共同世論調査でも日中双方ともに相手国に対して「良い印象をもたない」が93%に達するなど、2000年以降で日中関係が世論的に最も厳しい時期でもあった。)
■1976年に日本で公開されたサペンス・アクション映画「君よ憤怒の河を渉(わた)れ」(主演:高倉健、中野良子、原田芳雄など)が、文化大革命終焉直後の1979年に中国で、外国映画として初めて公開されることとなった。(中国での映画名は「追捕」) この映画は当時の中国の人々(約10億人の人口)にとって大反響となり、人口の8割の約8億人がこの映画を観たとされている。この映画を観た中国の男性たちは、その後の数年間は、高倉健のような寡黙な男性の雰囲気を真似(まね)て暮らしていたとも伝わる。
2006年には、中国の映画監督・張芸謀(ジャン・イーモー)のもとに作られた映画「単騎、千里を走る」(主演・高倉健)が公開された。(※張芸謀は、映画「初恋のきた道」など数々の名作を作り、2008年の北京夏五輪や2022年北京冬五輪の開会式の芸術監督を務めた。)
■高倉健さんが、2006年頃から中国の北京にある「北京電影学院(大学)」の客員教授であったことはあまり知られていない。この大学は中国唯一の映画関係人材を養成する大学で1952年に創立されている。映画だけでなく報道・テレビ界などで活躍している卒業生も多い。(※演技科・文学科・美術科・撮影科・録音科・アニメ科などがある。張芸謀や陳凱歌などの中国の著名監督などは撮影科の卒業生。)
ちなみに、俳優などを目指す人が憧れる大学には、「中国戯劇学院」(北京市/1950年創立)と「上海戯劇学院」(上海市)などがある。「初恋がきた道」などの主演女優の章子怡(チャン・ツィー)なども「中国戯劇学院」の卒業生だ。
高倉健さん主演の映画「君よ憤怒の河を渉れ」での主演女優・中野良子さん。この映画を観た8億人の中国人にとって男女ともに憧れの女性・理想の女性となった。その中野良子さんは、1950年生まれで現在73歳となる。これまでに中国には100回以上行き100箇所以上の場所を訪れたそうだ。(日中交流の仕事を今も続けている。)
中国人の人々にとって憧れの女性・理想の女性として、もう一人、山口百恵さんがいる。1984年から中国のテレビで放送された日本のテレビドラマ「赤い疑惑」シリーズ(山口百恵主演)。この当時、まだ中国にはテレビが普及していなかったため、それなりに大きな町の商店などにあるテレビには、近隣の山間地などからも人々がきて視聴したと伝えられている。山口百恵さんが歌った「いい日旅立ち」や「コスモス(秋桜)」。「いい日旅立ち」は1978年に発表された。この時、山口さんは19歳だった。この曲の作詞・作曲は谷村新司さんだった。山口百恵さんは1959年生まれで現在64歳となる。
1980年代の中国の人々にとって、中野良子さんと山口百恵さんの二人は女性美の基準となり、楊貴妃の子孫とまで言われた。女神降臨という感じだったかと思われる。
■2013年1月に大学の学生の故郷の家に3泊4日の旅に行った時のこと。学生の父や母の友達なども来て、10人ほどの歓迎宴会となったのだが、中国の人たちから、「ガオツァン・ジィエンは知ってるか?ジョンユエ・リァンズーをどう思うか?」「シャンコウ・バイフィーは素晴らしいが、あなたはどう?」などと聞かれた。何のことが質問の意味が分からないので、とまどったが、筆談で書いてもらってようやく質問の意味が分かった。「高仓健」(ガオツァン・ジィエンと発音)、「山口百恵」(シャンコウ・バイフィと発音)、「中野良子」(ジョンユエ・リャンズーと発音)のことを聞いていたのだった。
学生の父や彼の友達たちはその当時45歳前後だったので、現在は55歳前後となる。おそらく中国の50代以上の人ならば、高倉健・中野良子・山口百恵の三人は、誰もがよく知っている日本人なのだろう。
宮崎駿さんが2013年に引退宣言をした時、中国では大きな話題となった。2005年代に入り、中国ではスタジオ・ジブリの宮崎駿監督らが作ったアニメ映画「天空の城ラピュタ」など多くの作品がが大人気となっていたからだ。そして、2015年頃からは新海誠監督のアニメ作品が中国では人気を集めている。日本のアニメーション映画やドラマ(※「ドラえもん」など)は、多くの中国の人々を惹きつけてきた。
■日本でもそうだが、例えば、ある国への「印象」は、その国の映画や音楽など文化面の影響も、とても大きいように思われる。いわゆるソフトパワーの影響だ。2023年の日中合同世論調査でも、40%近くの中国人が「日本に対する印象で良い印象/どちらかといえば良い印象」と回答している。