彦四郎の中国生活

中国滞在記

祇園祭②―後祭(あとまつり)―、そして大阪天神祭

2014-07-29 09:51:32 | 滞在記

 今年の祇園祭は、49年ぶりに「前祭と後祭」に分けられた。また、150年ぶりに「大船鉾」が復活した。このため、後祭の7月24日は、「鉾や山の巡航」+「花笠巡行」+「八坂神社での奉納舞など」が執り行われた。

 午前9時半、烏丸御池を「鉾や山」が出発、午前10時に八坂神社を「花笠巡行」が出発した。

 午後1時より、八坂神社で「奉納舞」が始まった。「獅子舞」・「鷺踊り」・「六道念仏舞と蜘蛛・獅子」・「宮川町と祇園町の芸子舞」などが執り行われた。

 翌日の7月25日、大阪の「天神祭」に行った。物凄い数の「露店」が立ち並ぶ。大勢の人。外国人観光客も、京都の祇園祭ほどではないが見受けられる。そしてなかなかの活気とエネルギーを感じる祭だ。淀川の「大きな船」には、たくさんの人が乗り込んでいる。露店で「ひょっとこ」と「おたふく」の面を買った。大学の「日本概況」の授業で使ってみよう。

 京都の「祇園祭り」と、大阪の「天神祭」を比べてみると、祇園祭は「歴史や文化の奥深さと美しさ」を感じる。天神祭りは「活気とエネルギーと商売」を感じる。また、祇園祭は「町衆」の団結した力と伝統と格式を感じた。一方、天神祭は「旦那衆(金持ち)」の力(※船に乗り込むことができるのは、企業や会社、団体が特別に招待した人だけが乗船できる。)を感じた。

 祇園の後祭の宵山で、「ゆかた」(女性用)を買った。これも大学の授業で使いたい。










祇園祭①―前祭(さきまつり)―

2014-07-29 07:48:58 | 滞在記

 7月1日より1か月間、京都の祇園祭が執り行われた。7月11日に帰国して、何度か祭の会場に足を運んだ。平安時代から続く「祇園祭」は、応仁の乱により中止されていた祭を「町衆」が中心となり1500年に復活させて以来、脈々と続いている。そして、「日本三大祭」(大阪天神祭・東京神田祭・京都祇園祭り)の一つでもある。
 毎年、祇園祭の「宵宵山(15日)や宵山(16日)」に行って、各鉾や各山で販売されている手ぬぐいを買う。今年も買った。その数は15本。中国人へのお土産にもする。

 今年の宵山には、家族と一緒に出かけた。ものすごくたくさんの人だった。

 アメリカ大手旅行雑誌「Travel+Leisure(トラベル・アンド・レジャー)」誌が毎年夏に発表する読者投票ランキングが、2014年7月2日ニューヨークで発表され、世界の魅力的な都市を決める「Top10 Cities」ランキングで、日本の都市としては初めて「京都」が第1位に輝いた。

 祇園祭の時期、東南アジアや欧米からの観光客がたくさんきている。そして、祭に参加している。

 祇園祭の時期は、市内の中心地にある商店の女性店員たちの多くが、浴衣(ゆかた)姿となる。日本女性の「浴衣姿」、良く似合って美しい。また、外国人が来ても美しいと思う。日本で「祭」といえば「浴衣」が定着してきているが、中国では「チャイナ服」を祭に着る人は、あまり見られない。

 宵山見物の後、家族で四条大橋のたもとにある中国料理の老舗「東華菜館」のビアガーデンに行った。中国人のアルバイト店員と話した。「東京工業大学大学院」の入学を目指しているとのことだった。








学生たち5人が、日本の大学:夏季短期セミナーに参加・来日した②「憧れの京都へ」

2014-07-27 14:58:41 | 滞在記

 7月10日から7月23日までの2週間、日本の大学(神戸松蔭女子学院大学)の夏季セミナーに閩江大学の学生5人が中国から参加した。
 7月20日と21日の二日間は、セミナーの最終日前々日の「自由行動日」。7月20日に、参加学生のうちの二人を京都案内。一日間で京都を案内するのはとても難しい。少なくても3日間を要する。どこへ案内しようか?
 朝の早朝に自宅を出て、7時半に宿泊地の「学生会館」到着。JRを利用して京都に午前9時半ころ到着。まずは、金閣寺と近くにある立命館大学を案内した。「金閣寺はとても素晴らしい!」と感嘆していた。寺の中で「抹茶」を飲む。近くの立命館大学では、時計台の前で武道系のクラブ員たちと記念撮影。

 次に、鴨川へ。「出町柳」の鴨川の中に入り「きもちがいい。日本の川はとても綺麗!」と感嘆していた。

 続いて、「出町柳駅」から京福電鉄で「八瀬駅」に。再び渓流の水の綺麗さに感嘆していた。日本一のケーブルカーやロープウエイを利用して、涼しい「比叡山」へ。頂上のレストランで「昼食」。琵琶湖を眼下に植物ガーデン園を見て回ったり、園内で開催されていた「ゆあさ まさやギター・ミニコンサート」を聞く。ここでも、ギタリストと記念撮影。午後3時頃に下山した。

 バスに乗って、「銀閣寺界隈」と「哲学の道」の入り口へ。「日本らしい、京都らしい風景だ!!」と言っていた。午後5時半に、祇園にある「やげんぼり」という日本料理店を予約しているので、タクシーを利用して「平安神宮」「青蓮院」など東山界隈を通ってもらいながら、よく利用する「祇園」の店へ。ここで私の娘と合流。娘と学生たちは、中国の福州で何度か会っていて、携帯で日本―中国間を連絡し合ったりしている間柄。

 夕方7時すぎに、祇園から四条大橋を通り「先斗町」へ。先斗町にある「みちのく」という、行きつけの居酒屋へ。ここの店で、学生たちは、日本の歌や中国の歌をカラオケで歌った。「また、ぜひ来たい!!」と言っていた。この店は、私が学生時代から来ている「民謡酒場」のような居酒屋。現在は、関西の「三味線や踊り」の団体である「梅若会」の拠点の店になっている。中国の閩江大学での私の担当授業の一つ「日本概況」の時間に、「梅若会」の何人かに中国まで来てもらい出演してもらうために、今後 大学との交渉や準備をしていかなければならない。
 午後8時55分京都発―午後9時28分新神戸着の新幹線に乗るために京都駅に向かう。ところがこの日、関東地方は夕方から「ものすごい雷雨」になり、新幹線が1時間以上ストップ。宿舎の学生会館に事情を話し、帰りが送れることを連絡。ようやく9時50分ころ新幹線に乗車でき神戸に戻った。宿舎には、11時前に着いた。もう京都の自宅に帰れないので、料金を払って「学生会館」に泊めてもらった。




学生たち5人が、日本の大学:夏季短期セミナーに参加・来日した①「憧れ続けた日本へ」

2014-07-27 14:31:08 | 滞在記

 7月10日(木)、閩江大学外国語学部日本語学科3年の学生5人が、「憧れ続けた日本」へ初来日した。日本に来日を果たすまでの道のりは、たやすくはなかった。そして、セミナー期間の2週間が終わり、5人の学生は それぞれの思い出を胸に、7月23日(水)に中国に帰国した。
 現在、日本人の「日本から中国へ」は、個人の観光や私的な目的のために15日間以内であれば「ビザ」の取得は必要がない。中国政府からマークされている人物でない限り、日本人の中国への出入国はかなり自由である。しかし、中国人の「中国から日本へ」は、数日間の滞在であっても「ビザ」を取得しなければならない。単なる「観光」のために1週間の「ビザ申請」を個人がしても、ほとんど日本の外務省(日本大使館)からは認可されない。(※旅行社が主催する団体旅行(ツアー)に限っては、大幅な「ビザ」緩和が2008年頃より実施され、多くの中国人が観光や買い物のため、日本にくる人が年々増加している。日中関係の緊張関係があっても、ウナギ登りに年々増加している。)

  神戸松蔭女学院大学の夏季短期セミナーは、定員が18人。今年度は、「韓国やイギリス、中国やインドネシアの松蔭大学との提携校(北京外国語大学)などの大学生」、「マレーシアや中国の非提携校の大学生」が参加した。セミナーの期間は7月10日から7月23日まで。大学の学生会館を宿泊施設として実施された。3月ごろから閩江大学の参加希望学生の選考が始まった。(4人の定員) 日本語学科の先生による日本語能力などの試験や面接を経て、3月下旬に合格者発表。合格できなかった学生は、「ショック」を受けていた。5月に入り、韓国からセミナーに参加する予定の学生が一人キャンセルしたため、閩江大学内での選考で次点の学生が補欠合格。参加者が5人となった。(閩江大学は、神戸松蔭とは提携校ではないので、今回が初参加) また、この5人にビザの認可が出て、実際のビザ証の取得に至るまでもけっこう大変だった。
 セミナーの日程と内容は、二日間の日本人家庭への「ホームスティ」、「日本文化、歴史、茶道、華道、日本文学」などに関する授業の受講、奈良市への「見学課外活動」、神戸市内への「課外活動」、そして、参加学生一人一人のテーマ調査発表などが行われた。7月20日(日)~21日(月)は、自由行動の二日間。それぞれの学生がこの二日間を自由に行きたい所にでかけることができた。

 閩江大学の日本語学科主任の林先生より、「日本でのセミナーや学生たちの様子を見に行ってほしい。」、「神戸松蔭のセミナー担当の池谷先生と打ち合わせをしてほしい。」などの依頼をされていたので、7月16日(水)と7月22日(火)の2回、神戸松蔭女学院大学を訪問した。また、学生達の宿泊している学生会館へも行った。

9月7日(日)から9月21日(日)までの2週間、神戸松蔭女学院大学の学生3人と池谷先生が、中国の閩江大学に「実習」に来る予定である。いろいろな「日本語学科」の先生達の授業を参観したり、「実習授業」に学生が取り組んだりする予定だ。このためのいろいろな打ち合わせが、今後も日本や中国で続く。


 






日本の風景にホッとするのはなぜだろう―それは水田文化圏と畑文化圏の違いかな―日本の居酒屋文化も

2014-07-19 09:22:25 | 滞在記

 中国の大学が7月上旬より夏休みに入り、日本に一時帰国して1週間が経った。日本の梅雨明けも間近にせまり、暑い日が多くなってきた。。日本に帰国して、日本の風景にだんだん慣れてきたのだが、「なぜ日本の風景にホッとする」のだろうか。
 中国の揚子江(長江)流域の地域には「水田」が非常に多いらしいが、私の生活する福建省福州市の周辺には「水田」が非常に少なく、多くが「畑」である。日本に帰って思うのだが、都会の周辺には「水田」が少なくなってはいるが、でもやはり水田がある。この風景が「ホッと」とした気持ちを持たせてくれる。

 日本の川。これも「ホッと」させてくれる。都会を流れる川が、中国と比べるときれいだ。京都の鴨川べりに連なる「川床」は、風情もありいいなぁと思う。水田を大切にすることにより、森や川を大切にしてきた日本の水田文化圏。これは世界に誇れるものだと思う。政治の世界も、「この文化圏のことを大切に後世に伝える」努力をもっとすべきだと思う。

 帰国後、大学での授業準備のため、宇治市にある「源氏物語ミュージアム」に行ってきた。世界最古の長編物語の世界を、「日本概況」の授業の中で中国の学生にどう伝えるか。

 祇園や木屋町、先斗町にある「行きつけの居酒屋」にも、夜な夜な足を運んだ一週間だった。この居酒屋文化も日本独特のものだと思う。居酒屋が連なる「祇園や先斗町」は、世界遺産に推奨すべきではないだろうか。このように「飲み屋」が密集する地域は、世界的にもそう多くある場所ではない。
 今年、「世界で一番人気のある観光都市」は、京都だったそうだ。世界の人々を「ホッとさせる」ものが、やはり多い都市なのだろうと思う。