彦四郎の中国生活

中国滞在記

予想外・台風22号の発生とその後の進路予想で、一時、帰国を諦めかけたが……

2017-10-30 14:59:26 | 滞在記

 10月27日(金)早朝、アパート近くの41番始発バス停から乗車。この日、福建師範大学の女子学生たち20人あまりがが続々と乗り込んできた。舞踏サークルの学生たちだろうか、全員が「目と眉の間に赤いラインメーク」を施していた。この日に新キャンパスの方で発表があるのだろう。閩江大学に着くと大きな看板が南門近くに2つ立てかけられていた。「TPPと中国FTAを比較する」という内容で、おそらく中国FTAの優位性を講演するのだろう。対外経済貿易大学の伏軍教授の講演となっていた。もう1枚は「美術学部学生、就職説明会及び企業説明・面接会」。

 大学構内のブーゲンビリアが咲き誇る。午前8時半から午前中いっぱい4時間の授業を終えて、研究室の方でカップラーメンの簡単な腹ごしらえをし少し休む。午後2時から始まる授業に向かう途中、大学構内の工事関係の仕事に来ている男性たちが、藤棚の下で昼寝をしていた。この日の日中最高気温は33度くらいだろうか。

  この日、夕方にアパートに戻りシャワーを浴び、急いで日本に一時帰国するための荷物作りに取り掛かる。29日(日)に親戚の結婚に伴う「親戚同士の顔見世会(披露食事会)」に参加するため、この日の帰国となった。1週間前の10月21日(土)頃、大型台風21号が日本列島各地に大きな被害をもたらしたばかりなので、しばらく台風は日本列島には来ないだろうと思った。しかし、23日(月)に「フィリピン東方の太平洋上で新たに台風22号が発生」というニュースが飛び込んできた。しかも、28日(土)には「関西国際空港付近の和歌山県に上陸」という進路予想が示されていた。「これは困った、日本に戻れないかもしれないな」と気持ちが少し落ち込んだ。

 その後の26日(木)朝の報道では、台風の進路がやや北西の沖縄方面を迂回するため、28日(土)夕方には 台風はまだ奄美大島付近との進路予想が発表されたので、「帰国できるかもしれない」と胸を少しなでおろした。

 28日(金)の夜9時頃、アパートを出てタクシーを拾い、3日前に学生に頼み予約してもらっておいた「如家酒店」という全国チェーンのビジネスホテルに向かい9時半ころ到着。翌日、空港行の午前5時始発バスに乗るために、この日 バス停ちかくのホテルに宿泊が必要だった。

 部屋のテレビを付ける。「不忘初心継続前進」という中国共産党大会関連の映像が映し出されていた。「日中戦争当時」の「反日ドラマ」も放映されていた。中国共産党軍と「国民党軍」や「日本軍」との戦いのドラマは 今日でも毎日多くのドラマが放映されている。

 日本軍将校を演じているのも、そのほとんどが中国人俳優だが、かなり訛りの激しい かたことの日本語でしゃべる。顔つきも「鬼子日本」の冷酷な形相であることが多い。

 夜11時ころに眠りにつき、翌朝3時半ころに目覚め、4時半ころに部屋を出た。部屋のドアの外側に名刺大の「性サービス」のカードチラシが置かれていた。ホテルの従業員が置いたのだろう。「幼師 学生妹 乗務員 俊男―安全・方便―24h小時―各種性感90後 兼職美女」と書かれていた。「俊男」とは、見目麗しい美男子という意味だろうか。ホテルによって違うが、中国のホテルに泊まると、このようなカードが部屋ドアの下に置かれていることが時々ある。

 空港行バスに乗り、6時過ぎに到着。空港の外にある喫煙所でタバコを吸っている女性を見かけた。4年前には見かけることがほぼなかったが、少しずつだが女性の喫煙も増えているのかもしれない。空港内の小さなキオスクに行くと、東野圭吾の書籍がたくさん平置きされていた。6〜7冊はあるだろうか。東野圭吾はここ数年、中国では最も読まれている作家の一人かと思う。稲盛哲学(稲盛和夫・京セラ会長)の書籍もあった。彼の講演会などには、たくさんの人が聞きに来る最近の中国。金儲けばかりに向いていた中国社会の企業経営者がそのことに行詰まりを感じ、稲盛さんが掲げる「家族主義」的経営哲学の講演を聞きに来る。これも社会の一つの変化でもある。

 中国国家地理という雑誌がある。なかなか優れた雑誌なので、時には買うことがある。チケットカウンターで、「今日の上海12:20分発関西空港行のこの飛行機便は飛びますか?台風の影響で飛ばないということはありますか?」と問い合わせると、「飛ぶ」とのことだったので、とても安心した。7時55分発、福州➡上海浦東空港行の飛行機(中国東方航空)がほぼ定刻通りに出発した。

  1時間20分ほどで上海浦東空港に到着した。この空港は、世界一の規模ともいわれる北京空港に次いで巨大な空港だ。福州空港で預けた「機内預入荷物」が万が一ここで取らなければいけないかもしれないので、荷物が出て来る場所に行き荷物をチェックしたが出てこなかった。関空まで同じ航空会社なので、運ばれるようだ。一安心する。そこで、まずはタバコを吸いに空港外にいったん出て吸う本をため吸い。再び、第一ターミナルに、荷物検査を受けて空港建物内に入る。

 ものすごい数の乗客が出国検査を受けていた。何列もある長蛇の列に並ぶ。この空港は、欧米系からアラブ・アフリカ、そして東南アジアの乗客がとても多く目につく。日本人も多い。日本人と中国人との見分けは、髪型・服装・化粧の仕方などで一瞬にしてこのごろは分かる。さらに、荷物検査場に進む。出国検査と荷物検査で合わせて1時間ほどを要した。関西空港行き12時25分まではあまり時間がなくなってきた。ようやく、出発ロビーに行くと、なんと空港内に喫煙場所があるではないか。あまり時間はないが、とにかく一服に走る。

 50分近くの遅れで、関西空港に向けて飛行機が飛び立った。2時間と少しで午後4時すぎに日本に着陸。久しぶりに家に帰った。家でテレビを見てみると、問題の台風は「29日(日)の夕方、近畿の紀伊半島に上陸」との予報だった。一日ずれていれば、上海からの飛行機便は欠航だっただろうから、日本に帰ることができなかった。やれやれだったなと思う。

 翌日29日(日)、早朝から激しい雨が降る一日となった。正午から京都市内のホテルで開催された、「結婚・親戚相互顔見世の披露宴」に中国から一時帰国し参加することができた。

 閩江大学は11月1日(水)から3日(金)まで、大学体育祭のため授業が休講となる。このため、5日(日)の夕方に関西国際空港発の直行便で中国福州に戻る予定。10月31日(火)の1回生と3回生の授業を休講措置としたので、中国に戻ったら近日中にその補講をしなければならない。

 

 

 

 

 


「習近平新時代中国特色社会主義思想」が党規約に!―「個人名」と「思想」明記

2017-10-26 20:31:28 | 滞在記

 10月1日〜8日までの中国「国慶節」期間が終わってからのこの3週間あまり、中国は全土をあげて「第十九回共産党大会」を盛り上げるための宣伝が、いたるところで展開された期間だったといえるだろう。世界もその大会の行方に固唾(かたず)を飲んで注目をし報道していた。18日に開幕し24日に閉会、そしてその翌日の25日には、最も注目を集めた「チャイナセブン(党常務委員)」がついに発表された。ようやく、この3週間が終わったという感がある。

 この3週間、福州は例年の国慶節後にも続く「暑さと湿気」が影をひそめ、拍子抜けするくらいの涼しい(と言っても、28〜30度くらいはあるのだが)となった。10月23日には、今年初めて「秋の雲である鱗雲」を夕方に見ることができた。いよいよ季節の変わり目だと嬉しくなった。今日26日は、久しぶりに蒸し暑い日となり、日中の最高気温は32度となったが、夕方には涼しさが戻っていた。夜になり、「三日月」がきれい。

 

 日本の台風21号の被害の様子が、衆議院議員選挙の結果(「安倍」自民党の勝利、立憲民主党の躍進)とともに、中国のテレビで報道されていた。実は、明後日28日(土)に、親戚の結婚関連で日本に帰国する予定だ。23日(月)、「フィリピン東方の熱帯低気圧が台風22号となり、28日には日本列島に上陸か?」という報道を突然に日本からの報道で知って暗澹(あんたん)とした気持ちとなった。進路予想を見れば、28日の午後には紀伊半島近くまで来ている。「日本に帰れない可能性が大きくなってしまったな……」と少し気持ちが沈んでしまった。

 昨日25日、太平洋高気圧の影響で、関西に台風が接近するのは、29日(日)との進路予想変更となったので、帰国できる可能性がでてきて少しだけホッとしている。福州➡上海経由(乗換)➡関空の飛行機便だが、飛んでくれることを祈っている。11月1日(水)〜3日(金)の3日間は、閩江大学の運動会があり、授業は休講となるので、中国には5日(日)に戻る予定。

 24日(火)、中国共産党大会の最終日。この日の大会の注目点は「党規約に習近平という個人名を明記した思想や理論」というものが入るかどうかだった。そして、「習近平新時代中国特色社会主義思想」という名の規約が採択された。

 ―これは何を意味しているのか―

 党規約の冒頭には、「マルクスレーニン主義思想、毛沢東思想、鄧小平理論、三つの代表(重要思想)、科学的発展観」などがあるが、「中国人の個人名+思想」という形の政権スローガンは「毛沢東思想」だけしかない。中国では「理論」より「思想」が上にランクされているので、これにより習近平氏は毛沢東氏と並んだこととなる。マルクスレーニン主義(思想)は、社会主義・共産主義そのものなので、それを除いて「中国共産党」に関してのみ言えば、中国には「毛沢東思想」と「習近平思想」があるのみだということになる。

 翌日の25日(水)に発表された「新チャイナセブン」には、次期指導者候補と目されていた50代の「胡春華氏(54才)と「陳敏爾氏(57才)」の名前がなかったので、「これは習氏が三期目続投を目指すという可能性も」という報道が世界各国でも報じられた。この習近平思想の党規約明記とともに、巨大な権力を持った政権が生まれたと考えていいだろう。かって、毛沢東氏の個人崇拝の多大な弊害や被害の反省から、ある程度の集団指導体制を1970年代後半から取り続けて来た中国。それから37年後の今年、再び「習近平氏」の個人崇拝にもつながる国内的な雰囲気作りが進行してきているようにも感じることは多い。言論の徹底的な統制もそのここと関連しているようだ。

 中国の報道統制を計る機関も、「我々は習近平総書記の指導のもと、適切な統制をさらにすすめる」との報告を、党大会期間中に対外的に発表していた。習氏が15才からの7年間あまり「下放」されていた住居の跡地は、「聖地」とされ年々多くの見学者が訪れ始めている。

 大会期間中、北京市内では、「大音量―世界に愛されています―カラオケ熱唱の女性グループ」という見出しのNHK報道もされていた。これによると、習近平氏や中国共産党を「賛美・ほめちぎる曲」が12曲あり、これを北京市内各地で大音量でカラオケで歌っているようだ。「習様、みんなに褒められている習様♪」という題名の歌詞をみると、「習様 習様、私たちに愛されています。彼は勇敢で 虎からハエまで 全部やっつけてくれた……」という内容。それを聞いていた若い女性に、NHK記者がインタビューしていたが、「彼(習氏)は大きな変化をもたらしてくれましたから…」と答えていた。大きな音量も、習氏を褒める歌だから大音量も許されるのではないですかねという感じの返答だなと感じた。

 インターネツト各局でも、大々的に十九回党大会を報じていたが、3分から10分程度で見られるような様々な映像を作成し国民に提供している。例えば、「領航」「共築中国夢」「中国的紅色夢想」「記録片・習近平治国方略」「老外看中国庫恩、中国将」(※これは、外国の大学教員の中国共産党と習近平氏を評価賛美する内容)というようなものであったので、私も観てみた。

 この5年間の「腐敗撲滅」の取り組みなどで、習氏の政敵ともよばれた人物の更迭なども同時に進めて、今回の党大会で「一強」としての権力集中を進め、「中国の夢」という壮大な国造り、そして世界の覇権を握ろうとしている習近平率いる中国共産党政権。私などは、政権の「光と闇」の両面を強く感じている。

 「習近平主席を礼賛、持ち上げ、日本批判…鳩山由紀夫元首相が中国紙に語ったこと」という見出しの、産経新聞の記事がインターネットで配信(10月24日付)されていた。これによると、300万部以上の発行部数を誇る国営新華社通信傘下の日刊紙「参考消息」は、10月11日付の紙面に、鳩山氏のロングインタビューを掲載したというものだ。企画のタイトルは「党大会特別報道 中国はなぜ自信があるのか」。鳩山氏の「中国政府の改革の勇気は高い評価に値する」との言葉が主見出しで踊っていると報道されていた。習氏や一帯一路政策などへの賛美しながら、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」との日本の諺(ことわざ)を持ち出し、「大国は実力を盾にして周辺国に優越感を示しがちだが、中国の大国外交はそうではない。まさに ことわざ通りだ」と習政権を持ち上げていたという記事内容だった。

 この記事を読み、唖然とした。鳩山氏ならあり得るかなとも思った。

 

 

 

 

 

 

 


中国の「貧困攻堅」政策と農民工―都市戸籍をとれない生活―成長する中国の裏側

2017-10-25 19:00:55 | 滞在記

 中国の都市に林立する最近の高層マンションは低くても30階以上が普通である。これらには、中所得者層以上の人たちが住む。初めて中国の都市を訪れた人は、普通の住宅マンションのあまりの高さやそれらが林立するさまに驚く。そして、立ち並ぶ高層住宅の周りには、老朽化した2階から3階建ての建物が密集している光景も多い。このような老朽化した建物には、年老いた人たちや地方の農村部からの「農民工」の人たちが多く住む。「貧富の差」というものがまざまざと見える光景である。

 農民工の人たちの仕事は、土木・建築関係に従事している人が多いことは前号にも述べたが、都市の路上屋台や路上での野菜や果物、魚や肉などを売って生活している人も多い。夫は土木・建築関係に従事、妻は路上販売というケースや夫婦二人ともに建築・土木関係というケースなども多いようだ。何軒もの食堂と契約して「料理」の宅配便配達に従事している人も出てきているのは最近の傾向だ。

 中国の都市には「執勤(ジーチン)」という名前の組織がある。警察の仕事をある程度補佐するような勤務で、地区警備隊といったほうがわかりやすいだろうか。都市の地区ごとに10名程度で警戒にあたる。これがけっこう住民から評判があまりよくない場合が今までは多かった。路上屋台や路上物売りは、中国の都市には非常に多い。しかし、一応 違法でもあるので、たまに取り締まりを執勤が行うことがある。これが始まると、店を出している人たちは「蜘蛛の子を散らすように」、商品の荷物をとりあえず持てるだけ持って逃げていく。つまり強制的暴力的な破壊排除である。この現場を2回ほど見たことがあったが、かなり破壊はすざましかった。(多くの場合は普段は屋台等を黙認している場合が多い)

 土木・建築現場での仕事は、けっこう疲れることも多い日々かと思う。福州などは半年間が夏なので、なおさらだ。

 中国の戸籍制度である「戸口」制度の下では、農村戸籍の者が出身地の農村を離れると、医療、住宅、教育などの各種公共サービスを受けられなくなることがほとんどだ。仕事面でも、工場や建設現場、食堂などでの不安定なものが多く、農民工と都市戸籍の住民の間には大きな格差が存在している。農民工は一時的な居住権しか得られず、都市によっては、その権利取得に多額の支払いを求めるところもあると言われている。

 

 農民工の不利な立場は教育でも現れる。農民工の子どもは、都市戸籍の子どもと同じ学校へは通えず、私立学校の学費負担を余儀なくされる。私立学校には高い学力を保証したり特色のある教育内容を提供するものもあるが、それらは少数であり、多くは公立学校との教育水準が大きく下回る学校が多いと言われている。

 このため、多くの子どもたちは、故郷の村で「祖父母」に育てられながら学校に通うケースが多い。私が担当した学生たちの中にもこのようなケースの小中学校生活を過ごした者も少なくない。(※「私の子供時代」という作文などを書いてもらうと、父母は出稼ぎに行き、祖父母に育てられた思い出を書く学生も少なくなかった。)

 ※上記の写真・記事は「90後」といわれる1990年代生まれの若い女性「農民工」。

◆「貧困攻堅」という表現での中国政府の政策の一つに「中国南西部や西部」などから出稼ぎに大都市に来ている「農民工」の数を減らすことにある。そのために、農民工の出身が多い地域の開発を行い、地域雇用を創設する政策を始めている。中国の現在の余剰人口は5000万人といわれる。「一帯一路」プロジェクトと連動させながら、2022年、2035年というそれぞれの目標の年までに かなり「貧富の差」「格差の問題」「貧困問題」の解決が国家的には進められていくだろうと推測される。

 

 

 

 

 

 

 

 


中国の「貧困攻堅」政策と農民工(地方からの出稼ぎ)―約3億人の問題❶一

2017-10-25 05:10:28 | 滞在記

 10月24日(火)、第19回中国共産党大会(※第一回は1921年)が閉幕し、今日25日(水)に中央委員会総会が開かれて、中国の新しい指導部(チャイナセブン)が発表される。党大会開幕初日の18日、習近平総書記の3時間半にも及ぶ報告の中では、いくつかの今後の重要指導方針が提示されたが、その中の一つが「貧困攻堅」(貧困問題の解決に向けて、堅く攻撃する)というものだ。

 その貧困問題(経済格差問題)とは、中国の東シナ沿海の省や市と中国内陸部の省や市との格差、とりわけ内陸部の農村地域の貧困(経済的)問題の解決に他ならない。このため、習氏の報告では、中国共産党結党100周年にあたる2022年までにこの貧困問題のある程度の解決を計り、2035年までに中国社会全体の経済格差問題の解決計るというものだった。

 「一帯一路」の政策は、中国から東南アジア・中央アジア・ヨーロッパを結ぶ、主に「西へ西へ!」という地政学的政策なので、この大プロジェクトを通じて、貧困地域の多い「南西部や西部の省や自治区」の経済的発展とともに貧困問題の解決を計るという壮大なプロジェクトでもある。福建省福州市は「海の新シルクロード(一帯一路)」の重要拠点市となったこともあり、市内や郊外での地下鉄・住宅マンション・道路・商業施設などの建設がいたるところで進められている。

 地方の農村部からの出稼ぎ者(農民工)の人たちの姿も日常的に見かけることが多い。近所で重い木を運んで街路樹を植える作業をしていた。9月の炎天下の中、だらだらと汗を流して歩く私に比べて、ほとんど汗も流さずに働く姿には驚きを感じた。この農民工の人たちには女性の姿もけっこう見られる。バスの中に、ヘルメット姿で乗車する人の姿も日常的だ。

 中国の人口約14億人のうち、農民工の人数はどれくらいいるのだろうか。2013年に中国国務院統計局が発表したものによれば、農民工は2億6900万人でその平均月収は2609元(約5万円)とされていた。2016年の発表では、2億8000万人でその平均月収は3275元(約6万円)に上昇となっていた。その他、勤務時間は減少傾向にあるが約6割の農民工労働者の勤務時間は1日8時間を超えていること、8割の農民工労働者は週に44時間を超えていることなどが報告されていた。また、平均年齢は39歳となっていた。現在、大学新卒の月給は、沿海の都市部では4000元〜5000元(平均約9万円)ぐらいなので、農民工の人たちの賃金は長時間働いてもまだ厳しいものがある。

  市内で農民工の人たちを見かけることが多い時間帯は、昼の12時ころから1時半、そして一日の仕事が終わった夕方の6時ころである。中国では昼休み時間がどの職場でも2時間程度あるので、顔見知りや仲間の農民工の人たちが、いろいろな現場や職場から集まって(電動バイクを利用している)、主に賭けトランプをして楽しむ姿が多い。路上で楽しむ場合も多い。様子を見ていると10元札(約190円)が飛び交っていて、100元札(約1900円)が出されることは少ない。小銭を賭けて楽しんでいるようだ。

 農民工の仕事といえば、建設・土木現場というイメージが強いがそれだけではない。レストランの店員、食堂の宅配便員、運輸関連、屋台の物売りなどなど多岐にわたっている。また近年、貧困率が高い中国西部や南西部(貴州省や雲南省など)での雇用の増加が目立ち始め、第3次産業に携わる農民工の割合が急速に伸びきているようだ。

 農民工は、主に2つの種類に分けられている。(①自分の戸籍と家がある農村地域から割と近いところに出稼ぎに行っている。②とても遠いところに出稼ぎに行っている。) 2億8000万人の農民工のうち、①と②の割合は、現在ほぼ半数ずつくらいと言われている。①の場合、1か月に一度くらいは子供が待つ家に帰ることはできるが、②の場合は1年に1度帰れるかどうかというところのようだ。

  仕事を終えて生活する住居は、10人〜30人くらいが同じ場所で寝泊まりし生活していることが多いようだ。まあ、粗末なバラック住まいであったり、古い民家の住まいを余儀なくされる。プライベートの確保もなかなか難しい。

 夫婦で農民工として都会で働いている人たちもけっこう多い。そして、赤ちゃんをここで出産し育てている場合もある。故郷が偲ばれるなかなか厳しい生活かと思われる。

 中国共産党機関紙人民日報系の「環球時報」は、農民工の窮状について、「自国に住んでいるのに不法移民のような状態だと言われている」と報じていたことがあった。「貧困や農民工」に関する対策は、中国社会の不安定要素の大きな問題であるだけに、その具体的な政治対応がかなり今回の共産党大会で出されてきたことは注目に値する。

 

 

 

 

 

 

 


福州の街角―日本に1年間留学していた福建師範大学の林君と会う

2017-10-22 20:55:25 | 滞在記

 10月18日(水)、この日は「第19回中国共産党大会」の開催日だった。毎水曜日は授業がない曜日なので、午前中は授業準備、午後3時ころから市内中心にある店に「印刷機用インク」を買いに行くことにした。店にほど近い所にある「茶亭公園」に4カ月ぶりに立ち寄った。中国らしい庭の風情が美しいこじんまりとした公園であり、福州市内では心がかなり落ち着ける数少ない貴重な場所でもある。

 茶亭公園の正門の前の通りに、人が集まっていた。二胡の音曲に合わせて歌を歌っているおばさん。それをなんとなく聞いている人たち。近くでトランプをしている人たち。中国福州の街角や広場や公園などでよく見かける光景だが、現代の日本では見られない、ゆったりした風景だなあと感じる。

 インクが売っている店に向かう。「JEEP」という車が駐車されていた。日本にいる息子が乗っている車と同じ名前の車種だが、同じ「JEEP」でも種類が違う。中国では、ここ2・3年「RV車」の人気が高まっている。買い物を済ませた後。近くの「如家酒店」という名前のビジネス・チェーン・ホテルに行く。10月29日(日)に、親戚の結婚における親族の顔見世の会があるので、28日(土)に上海経由で日本に帰国予定だ。しかし、福州から上海に向かう飛行機が午前7時50分発とかなり早いので、市内中心部から空港に向かう「空港バス」に午前5時半の始発に乗る必要があるため、乗り場に近いこのホテルに前日から泊まる予約のためだった。

 この辺の裏通りは、昔ながらの路地が残っている。いろいろな商売をしている小さな店が路地に並んでいる街の一角。アパ-トに向かうためにバス停に行く。「朝夕奔梦」(朝夕夢が駆け巡る)とのバス停の看板の横で、日本の縁日の屋台でよく売られているような中国風味のソーセージを食べている若い女性たち。トイレ以外、どこでも場所を選ばず、物を食べる中国の人も多いが、若い女性たちも例外ではない。

 午後五時ころになり、仕事帰りの人達たちの電動バイクがあふれ出す。閩江の川にかかる橋から夕陽が落ちていく。バスを降りる。小学校から下校するおじいちゃんやおばあちゃんと孫たち。中国人の人生生活の生きがいには、孫を育てるということはがかなり大きなウェートをしめている。50歳を過ぎてからの、生きがいや楽しみでもある。日本の都市ではこれほど孫と祖父母の距離が近いのは少なくなってきているのだが、何か羨ましい社会の一面だ。アパート近くの道で、サトウキビが売られていた。中国の人はこれが好きだ。サトウキビを機械で絞ったジュースを求める人も多い。

 いつもよく利用する果物店に立ち寄る。10月に入り柿が売られ始めた。北西方の秋が早く来る地方で収穫されたものだろうか。赤くなっているがややかたい富有柿、熟した「熟し柿」が売られていた。「熟し」はとても美味しいので買って帰ることにした。富有柿を「干し柿」にしたものも売られている。

 9月は、悶絶するような暑さと湿気の日々だったので、仕事で大学に行く以外は、なるべく買い物にも出かけることなども少なくしていた。ようやくすずしくなってきたので、出かけやすくなってきた。

 昨日の21日(土)の夕方、福建師範大学4回生の林光志君と会って海鮮料理店に行く人になった。彼は、小学生の中学年のころまでは日本の東京で生まれ育ったのだが、その後中国にわたり中国の小学校に転校し、”中国語という言葉の壁”を苦労しながら乗り越え、名門の福建師範大学に入学した逸材だ。昨年の秋より日本の「桜美林大学」に国費留学生として1年間留学生活を送り、今は 師範大学に戻ってきている。いろいろな話をしながら、ビールを飲み海鮮を食べ合った。将来の「日中の架け橋」の人材としても期待をする学生でもある。「上海外国語大学」大学院の試験に最近臨み、合格が決定した。