―東洋のルネサンスとも云われる中国・宋の時代—天目茶碗や曜変天目茶碗、火薬や羅針盤や印刷技術などの科学、青磁などの陶磁器、文化・思想—
◆宋は960年に成立した中国の王朝だ。思想・文化のみならず科学をも発展させた時代であった。平安時代末期の平氏政権は宋との貿易「日宋貿易」を行っていた。この時代の芸術品としてはとりわけ「青磁」が有名である。また「山水画」が花開いたのもこの時代だ。日本に大きな影響を与えた「朱子学」もこの時代に生まれている。そして、ここ福建省の山間部にある「建陽(けんよう)」(現在の南平市建陽)では、前号のブログでも紹介した「天目茶碗」がつくられていたが、「曜変天目」も この時代にここでつくられたものだ。
この時代、中国の禅宗の寺院では「抹茶」が作られ飲まれていた。それが日本に伝わり、日本では現在でも続いている。しかし、中国では、宋王朝の滅亡後、抹茶の伝統は完全に途絶えてしまった。300年間あまり栄えた宋は、1279年に北方騎馬民族の「蒙古(元)」によって滅亡させられた。中国全土を制圧した蒙古は「元王朝」として1388年まで続いた。(その後は「明王朝」となる。) 1274年と1282年、元は「日本に襲来した」(元寇)。
中国の陶工、日本の陶工ともに「曜変天目」の再現に何百年間、情熱をそそいできたようだが、最近になり中国福建省の建盞窯(けんさんくつ)で、かなり曜変天目に近い茶碗が完成もさせられているようだ。ある茶碗の値段は、「112万元(約1900万円)」となっていた。すごい値段だが、一度 この窯に行って見てみたいと思っている。
9月14日(金)の夕方、福建師範大学外国語学部日本語学科を2年前に卒業した趙貴昌君がアパートにやってきた。彼は現在、故郷の福建省南平市建陽の「陶器販売会社」に勤めている。扱う商品の主力は、建盞窯でつくられる天目茶碗だ。最近の「曜変天目」も扱っているらしい。キャリーバックにたくさんの「天目茶碗」を入れてやってきた。
彼が私のアパートに泊まりにきたのは「日本の曜変天目」について教えてほしいこと、また、日本の市場では天目茶碗はどのような市場なのだろうかということを教えてほしいということもあった。この件に関して、いろいろと話をした。(私も、専門でもないので、一般的なことしか知らないのだが‥‥。)
その夜、アパートからほど近い日本式居酒屋で、旧交を温めた。(2015年10月の国慶節時期に、彼の故郷の実家に泊めてもらい、翌日に、世界遺産の「武夷山」に一緒にいったことがある。ここで150元(2500円)くらいの天目茶碗を買った。日本酒のぐい飲みとして愛用している。)
建盞窯は、かなりの「登り窯」もあるようだ。「ぜひ、窯元に来てほしい。案内しますから」と言ってくれていたので、近いうちに行くことになるかもしれない。翌日の14日の午前10時頃、趙君に「日本の抹茶のつくり方」をてほどきしていると、福建師範大学4回生の千亜超君がアパートにやってきた。今年の6月に卒業した福建師範大学外国語学部の学生たちの卒業アルバムを持ってきてくれた。
趙君は、「日本に行って、天目茶碗や曜変天目などの陶器の市場調査のために」、いずれ近いうちに行きたいと思っているようだった。
◆福建師範大学や閩江大学で、いままで通算3回の「日本概況」の授業を担当し、今年の9月からもこの授業を担当している。(4回目) 「日本の伝統芸術」として「茶道」に関する内容も扱っている。その際、全員に「抹茶つくり」の体験をさせている。「茶道茶碗」としては、この建盞窯の「天目茶碗」はとてもよいので、福州の露店市や骨董店などで、「安くて良い茶碗」をいくつか買って、この授業などにも使っている。抹茶や簡単な茶道具(茶筅など)は日本で買って持ってきている。