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彦四郎の中国生活

中国滞在記

エリート高校生も、「制服姿でビールを飲んだり、タバコを吸ったり」の光景も—中国では、飲酒・喫煙の年齢制限は規定されていない

2024-10-30 18:49:10 | 滞在記

 この10月21日(月)・22日(火)・23日(水)の3日間、アパート近くの福建師範大学倉山キャンパスの運動場で、福建師範大学付属高校の運動会が開催されていた。人口700万人余りの福建省の省都・福州市の高校の中でも、この高校は偏差値がベスト3に入る(ベスト1は福州第一高校)高校でもある。いわゆるエリート高校だ。

 中国の高校も大学も、日本の高校の文化祭や大学の大学祭のようなものはほとんどないが、軍事訓練と運動会は3日間余りもとって実施されている。その運動会は、リレーなどの競技もあるが、なにか、日本の小学校・中学校の体力測定のような競技(走り幅跳びなど)も多い。

 そんな福建師範大学付属高校の運動会3日目の23日(水)の昼に、師範大学前にある日本(和食)の店「熊本家」に昼食をとりにアパートから出かけて行った。熊本家のこの日は、師範大学付属高校の生徒でいっぱいだった。いつも座る席に行く時、男子高校生の客の一人が、日本のキリンビール(大瓶)をラッパ飲みしている光景にでくわした。「おお、それ日本のビールだね」と中国語で話しかけると照れていた。私はこの日はサンマ定食を注文。日本人である私に興味をもったらしい、別の生徒が中国語で私に話しかけてもきた。

 昼食を食べてアパート方面に帰ろうとした途中、高校生が歩きタバコをしながら、向こうから歩いてきた。タバコを吸いながら仲間の高校生と、「時代遊侠」と看板にかかれた、ネットゲームの店への階段を登って行った。(※中国の小中高・大学の昼休み時間は2時間~2時間半ほどあるので、高校生たちは、自宅まで遠いから学校近くの食堂で食べて、このようにネットゲーム店に入って息抜きする生徒もあるようだ。)

 中国の「喫煙」「飲酒」は何歳からできるのかというと‥。はたして‥。法律的な制限はないが正解である。いちおう、中国で市販されているタバコの中には、「禁止中小学生吸烟」(小学・中学生、喫煙禁止)と書かれているものもあるにはあるが、‥‥。まあ、中国でも小中学生がタバコを吸っている光景は、10年間以上の中国生活でも見たことはないが‥。

 日本では20歳にならないと「喫煙」も「飲酒」もしてはいけないと、法的に決められている。(※多くの国々は18歳以上だが‥。) そして日本での男性喫煙率は、1966年をピーク(80%以上)として、減少し続け最近ではピーク時の3分の1の30%余りとなっている。年齢的には、40歳~45歳の年齢層が喫煙者のピークとなっている。(※女性の喫煙率は約8%)

 私は中学生の13歳の時に初めて喫煙した。福井県越前海岸の漁師村に生まれ育った私だが、大きくなった男とはタバコを吸わなきゃ恥ずかしいという風潮だった地域と時代。高校に入り、実家を離れ武生市(現・越前市)で下宿生活をしたこともあり、タバコは常習の習慣となった。(当時から「ハイライト」という銘柄を喫煙し始めた。町にはまだタバコの自動販売機はない時代なので、タバコ屋のおばあさんに気をつかいながらタバコを買っていた。)

 高校では1年に1回くらい突然の抜き打ちで、授業中に喫煙検査が行われた。化学実験の酸性・アルカリ性を調べるリトマス試験紙のようなものを舌で濡らし、喫煙反応を調べる検査だった。私は喫煙が本格化した2年・3年の時は当然に喫煙反応が出た。そして、3年生の時に、高校を卒業したM先輩の家で3~4人で喫煙していてタバコがなくなったので、当時武生の町で一台だけ、国鉄武生駅前にあったタバコの自動販売機にタバコを買いに2年生の中村久夫君と自転車に二人乗りをして買いに行った。学生服姿で夜の11時頃に買いにいったのだが、覆面パトカーに駅前からつけられて、M先輩の家の前でサイレンを鳴らされ補導された。(私は生徒会長だったのだが、当然に学校からは謹慎・停学処分となった。)

 高校を卒業して、はれて喫煙・飲酒ができる年齢18歳となった。(当時は、社会的に高校を卒業したら喫煙・飲酒はあたりまえの時代だった。)あれから54年が過ぎていったが、今の喫煙数は1日に20本入り箱で4箱~5箱(80本~100本)。中国に赴任してから喫煙本数は激増もした。72歳のこの年で、すごいヘビースモーカーだが、これまでの54年間でタバコを買うのに使ったお金を計算したら、約6500万円余りとなった。現在も、大学からの給料の4分の1はタバコ代に消える。こんなことを思うと、喫煙の習慣はないにこしたことはないとも思う。ただ、飲酒ができる、タバコが吸えるというのは私の健康の証(あかし)かとも思っている。

 ちなみに喫煙者が多い都道府県はというと、北海道・青森県・福島県・茨城県・栃木県・山梨県・福井県・三重県・長崎県となっている。また、世界の喫煙率ランキング(男女合わせての成人人口での)は、2位ミャンマー(44.1%)、19位フランス(33.4%)、44位中国(25.6%)、66位アメリカ(23.0%)、81位韓国(20.8%)、89位日本(20.1%)などとなっている。

■飲酒・喫煙ができる年齢(法律的に)—ほとんどの国々は喫煙も飲酒も18歳以上となっている。アメリカは、飲酒21歳以上、喫煙18歳以上。日本は飲酒も喫煙も20歳以上。この二か国は世界の例外的な国。(※また、イスラム教国のサウジアラビアとアラブ首長国連邦などの国では、法律的に飲酒は禁止されている。)

 では中国はどうなのかというと、中国では未成年者(18歳以下)へのお酒・タバコを販売(酒店・タバコ店)は禁止されているが、法律的には飲酒・喫煙に関する明確な年齢制限は規定されていない。

 2013年に初めて中国の大学に赴任して、私が勤める大学の学生たちに、「中国では何歳からタバコを吸ってもいいのですか?何歳から酒を飲んでもいいのですか?」と聞くと、「特に何歳からでもいいです。きまりはありません。」との答えが返ってきていた。

 中国で暮らして12年目に入っている。中国の男性の喫煙率は50%~60%をはるかに超えていると思う。町中の歩きタバコとポイ捨てが当たり前の国だ。ただ、女性の喫煙率はとても低く1%くらいかと思われる。かって1960年ころの日本が、「女がタバコを吸うのは不良女」とみられていた時代と同じように、最近までは(2015年頃まで)、タバコを吸う女性は不良という社会風潮が強くあった中国社会でもある。(※世界のタバコ生産量の約40%を中国が占めている。)

 


刃物での事件が相次ぐ—経済悪化の長期化と社会不安の増大が背景にあるとの指摘も—大卒・院卒の就職状況

2024-10-27 22:22:58 | 滞在記

 「新型コロナパンデミック」に伴う中国の「ゼロコロナ政策」が終焉し、2023年3月に3年ぶりに中国に戻った。そして、福州市内のアパートから市郊外にある大学への通勤を再び始めることとなった。通勤バスが大学に近くなっていく頃、バスの車窓から見える高層住宅群。13~14棟ぐらいはあるだろうか。私が3年余り中国にいなかった間に建設が始まったのかと思う住宅群だ。建物自体はほぼ完成していると思われるが、人が暮らしている気配がほとんど感じられない。いわゆる中国における「鬼城(きじょう)」(※建設が途中で中止されている高層住宅群。)の一つかと推測される。

 2024年現在、このような建設途中で工事が中断されている建物戸数や、建設は完成して売りに出されているが売れていない建物戸数の数は、不動産バブルの崩壊に伴って、合わせて1億戸数にのぼると報道もされている中国の不動産業界。この不動産不況やIT関連バブルの終焉に伴い、中国は長期の経済不況に入っていると報道される。

 10月19日(土)に放送された「ニュースの疑問」(BSテレ東:毎週土曜日午前9:30~)は、「底が見えない中国経済—不満のはけ口どこへ」と題されて報道されていた。(※私はyoutubeで視聴)  コメンテーターは興梠一郎・神田外語大学教授。興梠氏によると、中国の経済状況の打開のために、中国政府はこの9月24日に、大規模な景気刺激策を打ち出した。(「中国経済刺激バースカ砲」とも言われた。)このため、中国の株価市場は急上昇した。

 さらに、国慶節明けの10月12日、中国政府は次の景気刺激策を打ち出した。だが、国慶節期間をピークとして株価上昇は止まり、やや下降し始めた。株価の一定の上昇は、中国の人々に久しぶりに光明感をもたらしたが、本格的な経済の好転には、構造的な問題があるために至ってはいないと興梠氏は指摘する。そして、中国軍は10月14日、台湾を取り囲む大規模な軍事演習を行った。

 中国の長期経済不況と大学学部・大学院生の卒業生の増加により、大卒・大学院卒の就職状況も、一段と厳しくなってきているようだ。『週刊現代』9月14・21日合併号の中国の大学・院卒業生の就職内定率などに関する特集記事によれば、Ⅰ:➀大学卒業生数は、2018年には820万人だったのが、2023年では1158万人に増加。

 ➁2023年と24年の学歴別の就職内定率推移は、「修士・博士」は23年(56.7%)➡24年(44.1%)、「学部」は23年(47.5%)➡24年(45.1%)、「高等職業専門学校」は、23年(54.4%)➡24年(56.6%)。➂大学ランク別の就職内定率推移は、「双一流大学(超名門を含む一流大学)」は、23年(58.9%)➡24年(57%)、「普通一本(比較的上位の大学)」は、23年(48.5%)➡24年(44.7%)、「普通二本(比較的下位の大学)」は、23年(46.1%)➡24年(42.3%)、「高等職業専門学校」は、23年(54.3%)➡24年(56.3%)と掲載されていた。

 Ⅱ:「日本に押し寄せる留学生—その理想と現実—専門の予備校も乱立/8割は日本で就職」、Ⅲ:「(日本への)ネオ中国移民の人生設計」と題された記事も掲載されていた。

(※中国の大学卒業生の、日本とは違う就職事情—中国の大学は9月始まり、6月卒業のシステムとなっている。私が中国の大学に赴任した2013年頃も、通例、6月の卒業時期までに就職が内定している学生は40%~50%ほどで、7月~8月までの期間に就職内定が確定する学生も多かった。このため『週刊現代』の記事内容の内定資料(おそらく、4回生の4月頃の内定率)のようには、日本と単純に比較できないとは思う。日本では4回生の12月ころまでに(卒業式以前に)、ほぼ90%の学生の就職が内定しているが、中国の就職内定の最終時期は卒業式後の8月だからだ。)

(※私が勤める大学の日本語学科でも、2018年頃より大学院受験が増え始めた。そして、2023年からは急増している。学力の高くない学生までもが大学院受験を行うようになっている。おそらく3人に1人が受験しているかと思われる。)

 「看中国」という報道番組(日本のテレビ報道番組、youtube配信)でも10月中旬にこの大学・大学院卒業生の就職問題が特集報道されていた。この報道では、次のような内容が報道されていた。➀中国では2023年に大学(短大含む)進学率が60%近くまで増えていること(※日本の進学率とほぼ同じくらいまで)、➁「就職難の修士・博士が激増している」こと。➂最近、中国政府が発表した定年制の延長(男60歳➡63歳/女50歳➡55歳[幹部は55歳➡58歳]を、15年間をかけて徐々に行う)により、若者層の就職市場のポジションがさらに空かなくなるとみられること。

 ➃大学院生が学部生よりも増加するという、逆ピラミット構造も大学により出現していること(※日本の大学院修士課程は通常は2年間だが、中国は3年間となっている。)

 このような中国の経済状況や大学生の就職状況もあり、中国から日本への留学は、コロナパンデミックが終わった2023年から再び増加してきている。(※留学生の約45%が中国からの留学生。)

 10月下旬の日本のネットニュース報道では、「中国で再び切りつけ事件—経済悪化の不安が背景か」と題された報道。9月下旬から10月に入り、刃物を使った殺傷事件が相次いで起きているようだ。9月30日に、上海市内のスーパーで、刃物で切り付けられた市民3人が死亡、15人がケガを負わされるという事件が起きた。犯行に及んだ男(37歳)はその場で逮捕された。「経済トラブルを抱え悩みを晴らそうとした」と供述との報道も。また、国慶節明けの10月8日に、広東省広州市で、小学校(中国の)の校門付近で、中国人の子供が男(60歳)に刃物で襲われ3人がケガを負わされる事件も起きている。

 今年6月には江蘇省蘇州の日本人学校の児童が刃物で襲われたり、9月には広東省深圳で日本人学校の児童が刃物で襲われ死亡する事件も起きている中国。そして、10月23日には、浙江省寧波で、通学中の中国人女児と母親が男(50歳)に切りつけられて負傷し、病院に搬送される事件も起きている。

 これらの事件の背景には、経済悪化と社会不安があると指摘もされる。このテレビ報道の中での上海市民のインタビューでは、「日本人であっても中国人であっても、子供に手を出すべきではありません」「経済がよくなくて、みんながストレスが多いと思う」「人々が前よりイライラしています。これからもっとひどくなると思います」などとコメントしていた。

 これらの事件についてのSNS投稿では、「経済がよくないからこんな事件が増えるんだ」「無差別で毎回子供が狙われるなんて‥」の投稿など‥。日本でも2000年代に入りこのような無差別殺人・傷害事件は何度も起きているが、中国では2023年になり起きてきている。

 今日、10月27日、李克強・前中国首相が死去(享年68歳)して1年となった。李克強氏の故郷の旧宅周囲での市民の献花は、中国当局によって許されなかったとの報道がされていた。そして、今日27日、日本では衆議院議員選挙投票日。午後10時時点の報道では、与党の自民・公明の過半数大幅割れの議席減が報じられ始めている。日本の政治の不安定化時期の始まりか‥。国際情勢が一段と厳しくなってきている2024年10月下旬なのだが‥。

 

 


中国でも驚きで報道されたアジア卓球選手権大会での、団体女子と男子シングルスでの張本妹・兄の活躍

2024-10-20 21:32:21 | 滞在記

 10月7日から13日の1週間にわたつて、中央アジアの国・カザフスタンで「第27回アジア卓球選手権大会」が開催された。(上記写真右は、大会を終えて日本に帰国し、成田空港で記者会見に臨む張本智和・美和 兄妹)

 この大会の3日目の10月9日、女子団体決勝で、日本が中国を3-1で下して優勝した。中国を破っての同大会での優勝は、1974年の横浜大会(日本)以来、実に50年ぶりのことであった。そして、同大会に限らず、アジア競技大会、世界選手権、五輪オリンピックといった、世界の卓球界の4大主要大会において、日本女子が団体戦で中国に勝ったこと自体が50年ぶりでもあった。

 このアジア卓球選手権大会で、16歳の張本美和が世界ランキング(2024年10月8日付け)で、1位の孫頴沙と、4位の王芸迪を、そして平野美宇が6位の陳幸同を破り、3-1で日本が中国を倒したのである。(※伊藤美誠は孫頴沙に0-3で敗れた。)しかも、日本はエースの早田ひなを怪我で欠いての勝利だった。とくに絶対的中国のエースである孫頴沙を張本美和が日本勢では初めて破った(3-2)ことは、世界に衝撃を与えた。

 男子団体は中国がチャイニーズタイペイ(台湾)を下し優勝している。

 中国のネット記事などでも、この大会で女子団体決勝で日本に敗れたことは衝撃をもって受け止められていた。そして、改めて張本兄・妹の存在について関心が集まっている。

※上記写真も中国のネット特集記事。

※上記写真も中国のネット特集記事。張本美和を「恐るべき16歳」と表現していた。

 そして、兄の張本智和(21歳)の方は、男子シングルス(個人)の決勝で、中国の若きエース候補である林詩棟(19歳)[世界ランク3位)をゲームカウント3-1で破って優勝した。(これも1974年以来50年ぶりの日本勢の優勝だった。) また、シングルス3位にも日本の篠塚大登(男子)と、伊藤美誠(女子)がなった。

 他に、女子ダブルスでは、大藤沙月・横井咲桜ペアが優勝。2位は張本美和・木原美悠ペア。

 この張本智和が個人優勝をしたことも、中国のネットニュースで大きく取り上げられていた。

 個人女子シングルスの決勝は、日本の張本美和と北朝鮮の金琴英(キム・クムヨン)。(※パリ五輪の混合ダブルスでは、このキム・クムヨンのペアは、1回戦で早田ひな・張本智和ペアを破っている。) 張本美和はキムに敗れた。これも恐るべき北朝鮮のキム・クムヨンである。

 10月17日、ワールドカップサッカー、アジア最終予選(各国10試合ずつ)の4戦目、中国はインドネシアに2-1で勝利し、ようやくの1勝目となった。中国ネット記事では、連日、この勝利の喜びの記事が掲載されている。

 

 


このごろのこと—まだまだ真夏日が続く

2024-10-19 22:10:43 | 滞在記

 10月1日から7日まで、中国は「国慶節(中国建国75周年)」連休だったのだが、この期間に延べ19億人余りが国内を移動したと報じられた。国慶節連休期間の7日間は、中国国内の高速道路は全て無料となるため、全国的にどこも大渋滞が発生。また、この連休を利用しての海外旅行者の出入国者数は約1300万人との報道なので、海外に行って(出国)、戻った人(入国)の実数は約650万人となる。海外旅行先人気1位は日本との報道も。

 国内の有名な観光地はどこも多くの人の波となっていた。万里の長城や黄山などの、この期間の映像をみると人がすし詰めの状態で進んでいる。私もかって、この国慶節期間に福建省の武夷山(世界遺産)に行ったことがあるが、このようなすし詰めだったので、山登りも少しずつしか進めず、ちっとも疲れなかったというか、頂上まで行くのにものすごい長時間がかかったことを思い出す。

 中国に関する日本の報道番組「看中国」では、「中国で1日から大型連休—経費を抑える旅行が大人気」と題した報道がされてもいた。

 私は10月2日(水)から日本に一時帰国し、9日(水)の夕方に中国に戻った。10日(木)、11日(金)、そして12日(土)[※この日は10月7日月曜日の振替出勤・授業日]と三日連続の大学での授業。12日(土)の早朝、アパートからバス停に向かう途中、「閩王(びんおう)廟(びょう)」前には、廟の何かの行事のために赤いバルーンなどの飾りつけが行われていた。(※「閩国」—唐が滅んだ907年から、960年までの間の「五代十国」時代に、現在の福建省を中心に存在した国。十国の一つ。)

 「閩王廟」の近くには、軽トラ(自動二輪車[バイク]に荷台が付いたもの)に、ものすごく荷物を山のように積んで駐車している。露店(屋台)の荷車を押している30代くらいの女性が道を行く。バス停には農民工の50代くらいの女性が、建築・土木現場で使用するヘルメットやスコップ、ホウキ🧹・チリトリなども持って、二人座っていた。

 アパートから1時間半余りをかけて閩江大学正門(南門)に着き、大学構内に入ると金木犀(キンモクセイ)の香りが漂っていた。研究室(自室)のある福万楼付近も金木犀が多く、大学構内にはおよそ50本余りがあるようだ。

 研究室でしばらく休み、授業を行う教学楼の建物群に向かう途中の水辺。小舟に乗り、蓮の葉の手入れをしている女性の姿。中国風石橋付近も金木犀の香りが漂う。

 午前中の授業を終えて、大学食堂で昼食をとり、レンタル自転車で大学正門に向かう。アパートに戻るため、またバスに乗る。

 10月15日(火)の昼過ぎ、この日は授業がないので、アパートからほど近いコピー屋さんに、授業で使う学生用資料をコピーに出かけた。住宅団地入口付近では、昼休みに市内各地から集まった農民工の男たちが十名あまり、路上わきで賭けトランプをしたり、思い思いに休んだりしているいつもの光景。

 近所の食堂に向かう途中、住宅団地に暮らす高齢者たち十数名が集まってトランプを楽しんでいる、ここもいつもの光景。しょい篭(かご)に小さな子供を乗せて歩いているお母さんの姿も。電動バイクに小さな子を後ろに乗せているが、よく見るとお母さんと子供は、落ちないようにベルトで結ばれている。(※免許取得も必要のない電動バイク。この小さなバイクに、3人乗りは当たり前で、4人乗りもよく見かける。運転する人の前に子供が一人がしゃがみ、運転者の後方には、大人が1人。そしてその大人と運転者の間に小さな子供。)

 10月16日(水)の午後3時半頃、アパートから最も近い警察署に行き、「外国人居住証明書」発行の申請に行った。(通訳のために、3回生の譚さん・黄さんも同行。) 申請が終わり、彼女たちとともに福州市内中心地にある日本料理店「古都」に久しぶりに行くこととなった。

 10月11日、2024年ノーベル平和賞が「日本原水爆被爆者団体協議会(被団協)」に授与されるとの発表。ウクライナとの戦争でロシアのプーチン大統領は戦術核兵器(小型核兵器)の使用に言及したり、中東での戦争でも核兵器使用がうわさされるなど、核兵器の使用が現実味を帯びている世界情勢だけに、この受賞は意義もある。中国でのネット報道でもこの受賞は取り上げられていたが、記事の扱いはとても小さい。

 10月17日、俳優の西田敏行さんが亡くなったことが報道された。(享年76歳)  中国外交部(外務省)の毛寧副報道局長は定例の会見で、この西田敏行さんの死去を悼む声明(中国人民の「古き良き友人」として)を出した。中国外交部が日本人の死去を悼む声明を出すのは、昨年2023年10月の谷村新司さん以来となる。

 西田敏行さんは、1988年に日中合作映画として公開された「敦煌(とんこう)」(原作・井上靖)に出演(他に佐藤浩市・中川安奈など多数の日本人俳優)に出演して以来、「日中文化交流協会」の一員として、亡くなるまで活動もしていた人だった。

 今日10月19日(土)の、アパートの窓から見る秋空のイワシ雲(鱗「うろこ」雲)の光景。でも今日の最高気温は33℃の真夏日。昨日18日(金)は35℃のうだるような猛暑日。亜熱帯地方にあるここ福建省福州市は、5月上旬から10月下旬までの約半年間は夏の季節。11月になると、ようやく秋めいた過ごしやすい気温となる。昨日の大学構内の金木犀の花は枯れて、漂う香りもなくなっていた。

 

 

 


京都・鴨川に架かる「四条大橋」「三条大橋」の界隈—「瑞穂(みずほ)の国、日本」と秋祭り

2024-10-13 21:51:10 | 滞在記

 10月6日(日)、午後の京都・鴨川に架かる四条大橋のたもと、出雲の阿国(いずものおくに)像のそばに「藤袴(ふじばかま)祭」の小さなポスターが掲示され、藤袴が数鉢置かれている。少し藤袴の花の蕾(つぼみ)も見られる。四条大橋界隈は日本人と同じくらいの数の外国人観光客がたくさん行き来していた。

 四条大橋から鴨川越しに三条大橋や丹波山地をのぞむ。鴨川の堤には人々が座っている。京都市の中心的市街地の四条河原町からほど近い「花遊(かゆ)小路」。こんな細い路地にまで、海外からの観光客の姿が‥。

 三条大橋のたもとの禊(みそぎ)川では、子供たちが川に入って水遊び。この日の気温は30℃くらいの晴天。鴨川の堤にはたくさんの人々が座る列。

 涼(りょう)を求めて外国人観光客も座って談笑。こんな都市部の川べりの光景は、世界的にもほとんどなく、京都が世界の観光人気(魅力)都市のベスト5内に毎年入る所以(ゆえん)かと思う。

 この鴨川沿いの四条大橋から三条大橋にかけての界隈、丸善書店という大型書店があり、喫茶店(喫煙もできる老舗)も多い。この界隈は毎週来てもあきることはない世界的な魅力のエリアかと思う。

 この日は丸善書店に立ち寄り、近くの「六曜社珈琲館」へ行った。

 10月4日(金)の午後、哲学の道にほど近い吉田山山麓の娘の家に向かった。出町柳駅近くの常林寺(通称:萩の寺)の萩は見ごろが過ぎていた。門前に「かぎりある 人生 今を大切に」の書が書かれていた。娘の家の近くの馬場公園界隈。芙蓉の花が美しい。

 赤と白の彼岸花(曼殊沙華)が公園に咲く。最も早く紅葉が始まる樹木である花水木(ハナミズキ)の紅葉が始まってもいる。元気な3人の孫たちの顔を見る。勤務する中国の大学の卒業生から、「孫さんたちにどうぞ」と渡された文房具(ペンケースなど)を、孫に渡したら喜んでいた。

 京都府教員時代からの長い友人でもある鈴木さんや小林さんと、10月7日(月)の夕方に会って一杯飲みが9カ月ぶりにできた。場所は京都市伏見区の大手筋商店街の居酒屋「満丸(マンマル)」。鈴木さんは私より5歳余りの年上、小林さんは同年齢の72歳。小林さんは現在も、宇治市内の小学校に非常勤講師として勤務(午前中勤務)を続けている。

 この10月は、日本では全国津々浦々で秋祭りが行われる。娘の家の近くでは「日吉神社神幸祭」(10月20日の日曜日)があり、孫たちも法被(はっぴ)を着て子供神輿を引く。13日(日)、岡崎の平安神宮界隈では「第22回京都学生祭典」、20日(火)は恒例の京都時代祭。

 そして京都市の丹波山地にある京北町(妻の実家がある)山国地区では、13日(日)に「山国さきがけフェスタ・山国祭」が執り行われ、維新勤皇山国隊の演奏行進や神輿が町中を練り歩く。

 10月上旬の日本は、稲の実りの季節、「瑞穂(みずほ)の国、日本。」の季節。全国各地津々浦々の祭りもまた、この稲作の収穫を祈るものに関係したものが多い。そして日本文化というものの源流、日本人という民族性の形成には、この稲作づくりがとても深く影響している。

 一週間の日本への一時帰国、そんな「瑞穂の国、日本。」から再び、10月9日(水)の夕方に中国に戻った。翌日10日(木)の早朝から大学の授業に向かう。11日(金)・12日(土)と授業が続き、今日13日(日)はアパートで来週からの授業準備等に一日が過ぎた。明日13日(月)もまた、早朝から4回たちの「日本文学作品選読」の授業に向かう。今回は、中島敦の『李陵』と『山月記』についての講義をする。