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彦四郎の中国生活

中国滞在記

中国では格安で食べられる食堂などを日々利用する人が増加していることなど、BS日テレ「深層NES」で報道もされていた

2025-02-26 08:47:03 | 滞在記

 2月が終わるのは早い、あと2日後の28日の翌日は3月だ。この2月中旬から下旬、米国大統領トランプ2.0とロシア・プーチン大統領による、米国とロシアとの間での「ロシアのウクライナ侵略戦争」停戦(※ロシアに有利な)に向けた動きが急加速し始めている。この「ロシア・ウクライナ戦争3年間」のロシア経済を大きく支え続けてきたのは中国のおかげとも言える。

 この2月上旬の中国の春節期間中、中国から日本への観光客がたくさん訪れた。京都祇園にある行きつけの喫茶店「マルヤマ」にも、中国人観光客が立ち寄り、4人の男女全員が喫煙を楽しんでいた。その喫茶店に置かれている最近の週刊誌『週刊現代』には、「中国深層—」の小さな記事(近藤大介)が掲載されていた。近藤氏は、「私なりに今年の中国の流行語を予測すると、"低空経済"かと思います」と書いていた。

 中国は昨年2024年、経済状況の悪化が加速し、就職難・失業、リストラ、給料未払いや減額の嵐が吹き荒れた1年間だった。そんな中国の人々だが、日本などへの海外旅行に来ることができる人々も数として多いのだが、おそらく80%~90%の人々は現在の日々、そして将来への生活不安がとても大きく、海外旅行なんて考えることもできない1年だったかと思われる。今年はどんな1年になるのだろうか‥先行きはいまだ不透明だ。

 2月10日頃、BS報道番組「深層NEWS」(BS日テレ・読売テレビ系列)では、コメンテーターとして柯隆(  東京財団政策研究所主席研究員・静岡大学特任教授  )と江藤名保子(学習院大学教授)をコメンテーターに迎えて、中国の経済及び人々の暮らしに関して報道していた。字幕テロップには次のような言葉があった。「春節に合わせた大型連休」「経済の低迷 市民生活の困窮ぶり—経済低迷に直面する市民の実態」などと題された報道。

 中国では地方から都市部への出稼ぎ労働者が約3億人余りいる。この春節期間は、故郷に帰省する人々が多かったが、「(実家に)帰りたいけど、(経済的余裕もなく)働かなきゃいけないので帰れない」「コロナ前とは比較にならないほど(経済や仕事確保が)悪くなっている」「今は経済全体が基本的に下降している。(明日の暮らしも)不安だ‥」の声などが報道されていた。

 そんな中国では今、格安の値段で食べられる町中の食堂を日々利用している人が多くなっているとの報道。また、中国では自分の身分として、とても嫌がられている「非正規労働者」が3割超となっていることなども‥。「免費」(無料)と書かれた食堂が、いくつかの都市でもできているとの報道もあった。

 低迷続く中国経済だが、新たに中国東北部地方(黒竜江省・吉林省・遼寧省)での「氷雪経済」の振興が打ち出されてもいる。いわゆるウインタースポーツやウインター観光による経済増収益の振興だ。これまで、中国ではウインタースポーツや観光はあまり一般的ではなかったが、新たに振興していこうと政府は取り組んでもいる。これにより、目標として2027年までに1兆2000億元(約25兆円)、2030年までに1兆5000億元(約31兆円)の経済効果を見込んでもいる。


「立春」の季節が終わり、「雨水」の季節に入った—大学構内の寒緋桜や桃、椿の花々、梅の季節は過ぎていた

2025-02-22 10:18:41 | 滞在記

 2月17日(月)から大学の2学期(後期)授業が始まったので、久しぶりに大学に出勤した。私の今学期の担当授業はこの日か開始。1月28日の大晦日から始まった今年の中国の「春節(旧正月)」は、2月12日の「元宵節(げんしょうせつ)」行事をもって終わった。大学の正門からの通りには、まだ春節の赤い祝い提灯が、取り外されないまま木々に飾られていた。

 2月3日の「立春」の季節が終わり18日からは「雨水(うすい)」の季節に入った。"雪"から"氷雨(ひさめ)"の季節へと変わり本格的な春の季節への移行期間とされる「雨水」の季節。「立春」や「雨水」など、1年の季節を表す二十四節気は、紀元前4世紀頃(中国の戦国時代)の中国の中原(現在の河南省あたり)で作られた。現在ではここ中国と日本で使われてもいる。

 大学構内の針葉樹林の葉は冬枯れだが、八重椿は満開の最盛期の時期を少し過ぎた頃。

 桃の花も満開の最盛期を少し過ぎ、花がしぼみ始めてもいる。ブーゲーンビリアの花の咲き残りがまだ少し残る。

 常緑樹の多い亜熱帯地方の福建省。この季節に黄色く紅葉する樹木もあって季節感が日本のように分かりにくくもある。大学構内には竹林も‥。

 構内の梅林はすでに満開の時期が過ぎ去って落下している花がとても多い。梅の季節はもう過ぎた感じだった。

 この雨水の季節に満開となっている「寒緋桜(カンヒザクラ)」は、日本の沖縄の桜と同種の濃いピンク色の桜。

 久しぶりの授業で学生たちの笑顔の表情に接すると少し元気もでてくる。

 大学の食堂での昼食。今週食べたメニューと値段を少し紹介すると‥。写真左から2枚目は、「白ご飯+4品」で13元(260円)、3枚目き「まぜご飯+4品」で20元(400円)。12元〜15元(240円~300円)の昼食をとる場合が多い。日本の立命館大学の学食などの値段のほぼ半分くらいかな。

■中国に戻った2月14日〜16日は日中の最高気温が13℃~16℃と暖かかったが、17日(月)からはずっと最低気温7℃、最高気温10℃の寒い日々が続いている。亜熱帯地方福建省の大学の教室や食堂は暖房設備がないので、一日中寒さの中で過ごすこととなっている。まだ、ズボン下やマフラー、ホカホカカイロや手袋が必要な日々が続きそうな季節。


中国に戻っての困りごとがさっそく起きてきた。アパートのコンセント不能問題や給与の大幅遅延、ネットの問題など‥。

2025-02-19 09:14:19 | 滞在記

  2月14日(金)、関西空港から中国の福建省福州に向かう厦門(アモイ)航空の機上のシート(席)には、鶴に乗る可愛らしい女性のイラストと「媽祖巡安 一鷺相伴」と書かれた文字。厦門(アモイ)という都市のある福建省と台湾の間の台湾海峡。その沿岸地域には「媽祖(まそ)信仰」が根付いている。媽祖は船の安全航行を空から見守る女神。

 福建省泉州の媽祖を祀る「天後宮(てんごうぐう)」には、七福神が乗っている海上の船を上空から白鷺に乗って見守り続けている媽祖の絵馬(えま)が置かれていた。さしずめ、シートのイラストと文字は、厦門航空の飛行機の航行を媽祖が白鷺に乗って、飛行機に寄り添って、見守っているという願いなのだろう。

 関空から3時間30分余りのフライトで、福州空港に着陸した厦門航空の飛行機をおりて、入国審査を受ける場所に行く。入国審査の列を監督している空港職員が、「なぜ中国に来たのか?」とちょっと厳しい顔で質問をしてきた。「(工作)仕事です。閩江大学の教員をしています」と返答すると、その職員は、「おお~!私は閩江大学の卒業生です。そうですか、どうぞどうぞ‥。」と態度が一変。さらにその職員は、「この人は閩江大学の日本人教員だよ。(入国に問題ないと思うから)早く通してあげて!」と大きな声で入国審査をする空港職員に呼びかけてくれた。まあ、コネ社会の中国ともよく言われるが、こんな光景も中国的ではあるのかな‥。

 おかげで入国審査がいつもよりとても早く終わり、飛行機の機内預けキャリーバックを受け取り、荷物検査の場に向かう。(※日本の空港での検査は麻薬持ち込みには厳しいようだが‥) 今回、初めて経験したのだが、私の荷物の中で大きな最も大きなキャリーバックを開けて検査をすると告げられた。キャリーバックの中の一つのカバンの中にまとめている15冊ほど書籍(※ほとんどが文庫本小説)を問題視したようだった。書籍を調べて「問題なし」と判断され、荷物検査場を通過できた。中国では最近は、外国人入国者の荷物の中の書籍関係には、わりと厳しい検査をしているのかとも思われた。

 久しぶりにアパートに戻り、さっそく困ったことが起きていた。アパートの室内にある20箇所ほどのコンセントのうち、半分の10箇所余りのコンセントが使えなくなっていることだった。ちょっと調べてみたが、なぜなのか分からない。幸いなことに、室内の電灯やエアコン(冷暖房)、シャワー、台所などのコンセントは以前と同じように使用できる。

 翌日の15日(土)の午前中、スーパーマーケット(超市)に行き、できるだけ長い延長コードを3個買いに行った。使用可能なコンセントから合計7個の延長コードをつないで、さらにつないでつないで、生活に必要な諸電気器具に電気を通した。このためアパート室内は配線延長コードが複雑に複雑に交差している状態となった。

 8階の部屋から見えるアパート団地棟や福建師範大学の建物、そして目の前の小高い山の緑や趙氏祖廟の伝統的な建物。日々目にするこの緑の光景にどれだけ気持ちが救われるか‥。この光景があるから長い年月の中国生活が送れているのかもしれないとも思う。

 アパートの棟のあるエリアの入り口付近に1本の寒緋桜(カンヒザクラ)があり、濃いピンク色の花が開花し始めていた。この寒緋桜は日本の沖縄の桜と同じ種類のものだ。毎年、2月中旬から下旬にかけて満開となる。ここの寒緋桜もあと10日間ほどで満開になりそうだ。日中の気温は10℃~17℃ほどだが、朝や夜の気温は7℃~10℃ほどとまだ寒い亜熱帯地方の福州市。

 アパート棟のある周辺は駐車された車で溢れている。棟のある入り口ゲート付近も車が好き勝手に駐車されているため、車と車の間の狭いところをようやく通れる。中国では車を購入する際の車庫証明が必要ないため、どこに行っても多くはこのような光景だ(歩道もしかり)。

 1月25日前後に大学から支払われるはずの1月支給の給与がまだ支払われていないのに困ってもいた。毎月25日前後に教員の銀行口座に送金されるはずの大学の給料がまだ支払われてこない。私の中国の銀行口座の残高も余裕がなくなってきてもいる。大学の外国人教員や留学生への業務を担当するのが大学の外事所。この外事所への問い合わせが欧米系の英語科所属の教員から、2月上旬に入り「まだ1月支給の給与が入っていないよ。いつ支給されるの‥?困るよ。」のメール問い合わせが外事所のアプリに入るようになっていた。

 外事所から、「1月の給与支給が大きく遅れていてすみません」のそれに対する返信。そしてようやく、外事所から、「グレートニュース(すごいお知らせ)です。明日の午後、みなさんの1月給与が支払われることになりましたよ」とのメール連絡が2月17日の午後に入った。この外事所からの連絡に、欧米系教員たちの「Oh!great news!!」の返信。実に3週間以上もの給与遅配なのだが‥。「グレイトnews」と表現し喜び合うのが今の中国でもある。昨日18日の午後5時頃に、アプリを通じて1月支給の給与入金が確認できて、一安心もした。これで3月分のアパート代金なども支払える‥。

■中国では1年前の2024年になってから、特に経済状況が厳しくなっている。民間企業での給与の長期(何カ月もの)間にわたる未払いや給与の大幅減額が、中国全土で起きている。そして突然の大量リストラは、大手企業でも横行している。これは公務員の場合であっても、減額や遅配が恒常的に全土で起きてきている。地方政府(省や市や郡など)の地方財政がとても厳しくなってるためだ。(※地方政府財源の4割以上を不動産関連が占めていたため、その不動産バブル崩壊などで財源がとても深刻化している。私がこれまで勤めていた福建師範大学や閩江大学などは公立{省立)大学なので、給与の支払いは福建省や福州市の財政からとなっている。)

 公務員の場合は、給与減額や遅延はあっても、民間企業に比べてリストラの危険はかなり少ないので、大学卒業生の公務員試験への倍率はとても高い。また、中国にある日系企業への就職希望者も激増している。日系企業は、給与支払いや雇用保障にまじめだからだ。つまり安定している就職先と‥。また、日本など海外での就職希望者や留学希望者も増加しているようだ‥。

 現在勤めている閩江大学からはとても遠く通勤には苦労する、私が8年間余り暮らしている住宅団地(2万人余りの老若男女が暮らす)だが、ニワトリが放し飼いとなっていたり、野菜の路上売りなど、なにかほっとする光景に、けっこう大変な日々の中国暮らしだが、わりと心も落ち着く場所でもある。

 昨日(18日)の夕方5時過ぎころから、突然にインターネットができなくなった。何度試してみてもネットがつながらない。これはとてもつらく、いつ回復できるのかもわからない大変なことだが‥。諦めて、早々の7時頃に眠りについた。翌朝(今日)の午前3時頃に起床してネットを試したら回復ができていた。これは、私の中国生活においては「とてもGreat!」なことだ。ネット環境の不安定の問題は、病気と並んで中国生活での最も大きな困りごとの一つ。

 


冬休み中の日本滞在を終えて、再び中国へ戻る飛行機へ搭乗す

2025-02-16 21:16:00 | 滞在記

  日本の今年の冬は、寒波が断続的に長期に続く。"10年に一度の寒波と大雪の年"になっていると報道される。来週の2月18日頃からも再びの寒波と大雪との予報。滋賀県の琵琶湖の湖北地方の冬景色にまだ続きそうだ。2月11日付京都新聞には「雪化粧に艶めく春色—滋賀(守山)・菜の花」の見出し記事が掲載されていた。

 2月11日(火)、中央アジア・ウズベキスタンのサマルカンド国立外国語大学教員の亀田さんが日本に帰国した。その翌日の12日(水)の昼に、京都の祇園四条界隈のファミレス・サイゼリアで亀田さんと会い、お互いの近況やこれからのことなどを話しながら、2時間余りを過ごした。

 亀田さんとサイゼリア前で「再見(さようなら、またね。)」。近くの老舗京漬物店「村上重本店」に立ち寄ると、店先には「仏手柑(ぶっしゅかん)」(インド・ヒマラヤ山麓減産のミカン科)の黄色い果実が見られた。鴨川に架かる四条大橋から、冠雪した丹波山地を臨む。

 もしかしたら、祇園白川石畳の通りの梅は開花しているかもしれない、中国に戻る前に梅花を見ておきたいと、四条大橋を渡って行ってみた。かなり蕾は膨らみ始めてはいたが、開花はもうしばらくか‥。

 丸善書店に立ち寄ると、今年の季節を先取りした椿の生け花。中国の携帯電話アプリ・ウイチャットに、中国南部で最近撮影された寒緋桜(カンヒザクラ)が満開になっている写真が投稿・送信されていた。福州日本企業会メンバーの鵜飼さんからも寒緋桜の写真が投稿・送信されていた。寒緋桜は日本の沖縄で咲く桜と同じ種類のもの。例年、2月上旬ころに開花し始める。

 2月5日(水)の夜に京阪電車でうっかり忘れ物をしてしまった。翌日、京阪電車に問い合わせをすると、京阪電車の大阪・京橋駅の忘れ物センターに保管されているという。7日に京橋駅に忘れ物を取りに行った。久しぶりに大阪の京橋駅界隈(JRと京阪電車)に行ってみることした。めったに行くことのない大阪だが、この京橋の飲食店界隈や通天閣のある天王寺界隈は昔から、それなりの魅力がある大阪の街の数少ない場所。

 昼飲みをしている人も多いこの界隈は、「昭和の時代のレトロ感」があり、ほっとできる雰囲気がまだ残る。

 息子の妻や、娘や孫娘たちからもらったバレンタインチョコレートも大きなキャリーバックに入れて、2月14日(金)の午後13:05分発の中国・厦門(アモイ)航空の飛行機便に搭乗した。再び、けっこう日々の困りごとや苦労が多い異国・中国での暮らしが始まるんだなあ‥。

 

 

 

 

 

 


「北野天満宮(天神さん)、上七軒(花街)」の界隈を巡る—この界隈の間借り下宿を追い出されたこともあった学生時代

2025-02-16 09:07:12 | 滞在記

 2月10日(日)の午後、立命館大学を訪れたのち、わりと近くにある北野天満宮の界隈に立ち寄りたくたくなった。この季節、梅で有名な北野天満宮なので、中国に戻る前にちょっと行ってみたくなったのだ。立命館大学前からバスで6~7分ほどで着く。今年の日本の冬は、京都地方でも寒波が断続的に長く続き寒い日が多い。例年ならここの梅は2~3分咲きになっているはずなのだが‥。

 947年の平安時代中期に、菅原道真を祭神として創建された北野天満宮。全国約1万2000社の天満宮・天神社の総本社で、古くより「北野の天神さん」と親しまれている。特に学問の神様としての信仰が厚いため、多くの受験生たちも参拝に訪れる。毎月25日の「天神市」(縁日)には、境内にたくさんの露店が立ち並び、買いたくなるような骨董品も多い。

 一の鳥居を見上げて境内に入る。祭神・道真の使いとしての牛の像を撫(な)でる母と幼子の姿も‥。

 境内を進み梅園(苑)に向かう。でも梅はまだ蕾(つぼみ)のようだ。梅苑は1月25日〜3月16日の期間に開園しているが、今年は2月10日になってもまだまだ蕾。梅苑内には「北野盆梅展」をやっている建物があるので、その盆梅展(室内)に行けば開花している見事な盆梅が見られるのだろうが‥。入苑料金が1200円(梅苑・盆梅展・抹茶とお菓子)とけっこう高いので、今回は入苑しないことにした。(※例年は2月中旬が見ごろだが、おそらく今年の梅の見ごろは2月下旬になりそうだ。)

 二箇所の山門をくぐり本殿に向かう。梅苑に入場しなくても境内には梅木が多いが今はまだ蕾。国宝の本殿や拝殿など4つの建物は国宝となっていて、安土・桃山文化を代表する神社建築は、二条城や西本願寺の唐門などと同様に、その絢爛豪華さがとても見ごたえがある。

 本殿の建物の端には、京都・伏見や神戸・灘の有名酒造会社の酒樽がたくさん置かれている。私が大学卒業後の20代後半に一時期、酒造工(蔵人)として仕事をしていた剣菱酒造の酒樽もあった。この剣菱酒造(神戸の灘五郷)は、江戸期の忠臣蔵の討ち入りの際の映画やドラマでもよく映される剣と菱のデザインの酒樽。四十七士が討ち入り前に、この酒樽から一杯ずつ酒を飲み吉良邸に討ち入りをしていく。私の父も祖父も、この剣菱酒造の杜氏(とうじ)=工場長を長年務めていた。

 境内に「長五郎餅」の店があった。古くからの長い歴史をもつ「北野名物」の餅らしい。2023年に刊行された『スピノザの診察室』(夏川草介著)[2024年本屋大賞ノミネート/約400万部が刊行されている。京都の町中の診療所の精神科医が主人公。] この書籍には、主人公が大好きな「長五郎餅」として文中に出てくるようだ。

 北野天満宮に隣接している京都五花街の一つ「上七軒(かみしちけん)」の通り。京都五花街の中でも最も古くからある花街とされる。その上七軒の歌舞練場では、もうすぐ「北野をどり」(3月20日~4月2日)が、上七軒の舞妓や芸妓たちによって上演される。この「北野をどり」が閉幕する頃、桜の季節の祇園の花街では「都をどり」の開幕となる。

 また、7月からはこの上七軒歌舞練場では庭に面した場所に「ビヤガーデン」が行われ、舞妓さんなどがお酌などをしてくれたりもする。

 実は私は、京都の大学に入学して初めて下宿をしたのがここ上七軒の界隈だった。4月上旬に個人の小さな家(2階の一室を間借り。玄関などは下宿の大家さんと同じ。)に入ったのだが、連休明けの5月中旬から、大学の授業をほったらかして、1か月間ほど九州の水俣病問題の現地(熊本県水俣)に行った。下宿のおばさん(65歳くらいの)は、不良学生かヘルメットをかぶる新左翼活動学生と思ったらしく、九州から京都に戻ったら即座に、「あんたはん、この下宿を出て行っておくれやす」と告げられた。

 実家からの仕送りはしない(学費も生活費も)という約束で大学生になっているので、住まいもなく金もなくなり、大学の空きクラブボックス(室)を見つけて、布団だけを下宿から運び、そこで1か月半ほど雨が続いた梅雨の季節に暮らした。急いでバイトを探し、祇園の八坂神社前の中華料理店で深夜勤務(午後10時~午前5時)、そこで賄(まかな)いを食べられたので食いつないだ。昼は大学の食堂や町中の食堂でライス(ごはん)だけを注文し、持参のふりかけをかけて食べていた一時期だった。そして、7月中旬の祇園祭の頃になり、バイトのお金もようやく入り、二畳間の下宿を間借りすることができた。

 夏休みに入り、ひたすらいろいろなバイトに明け暮れて、後期の授業料(7万円)もなんとか稼いだ。[後期授業料納期期限に結局間に合わず、大学事務室に事情を話し、少し納期を待ってもらった。当時、「学生ローン」という名の、サラ金業者の店もあり、時々、この店からお金を借りたりして、学生生活をしのいでいた4年間だった。](※1年間の大学授業料は14万円だった。)

 あれからもう50年余りが経った。あの追い出された間借りの家はどこだったのだろう‥。上七軒の界隈を20分間余りうろうろと歩いてみたが、その場所がもう思い出せなかった。まあ、そんな思いでもある北野天満宮界隈でもある。

■前回のブログで立命館大学のことを書いた。『立命館大学がすごい』という著書の表紙に書かれていたことの一つに、「2024年『THE』大学ランキング関西私大1位」というものもあった。この『THE』世界大学ランキングの「THE」とは、「Times Higher Education」。現在の世界の大学総合評価ランキングとしては最も権威のある機関となっている。

 まあ、2024年の「国家公務員試験総合職試験合格者数」や『THE』の大学評価など、大学の評価としては立命館大学の評価の指針ともなるかと思う。それもそうだが、私が思うに、立命館大学が日本の700余りの大学の中で、学生・教職員が大学の運営や大学づくりに民主的に積極的に参加できる制度をもっているという、日本で最も民主的な大学であるということには誇りがもてる。(※近年、「自由」の学風として伝統的に名高かった京都大学などは、とても残念ながら、この民主的な「自由な学風」が急速になくなってきている。このため、「京大名物」の大学周囲のタテカン板なども撤去されてしまっている。)