彦四郎の中国生活

中国滞在記

コロナ防疫:日本の失敗の本質はどこにあるのか❸—コロナワクチン確保の遅れには、あのコンビの復権が‥

2021-04-30 21:31:44 | 滞在記

 人間社会の権力中枢の最高権力者の周りには佞臣(ねいしん)とか奸臣(かんしん)と呼ばれる人たちの群れが生まれやすい。歴史上のいつの時代にも登場する。とりわけ皇帝という絶対権力者が長く長く君臨し続けた中国の歴史にはいつも登場する。佞臣や奸臣とは、「常に主君の側近に位置し、主君と他の家臣、庶民との間に介在して情報を操作する事によって己の権力を作り出している者。主君の公な支持によって、集団におけるその地位と権力を保持されている者」とされる。己の権力維持のために情報を操作するため、君主の判断を誤らせ国を滅亡に陥らせることが多い。口巧みに主君にへつらう・心よこしまな側近臣下をも意味する。

 日本におけるコロナ禍下、有効なコロナ対策が打てないまま浮遊する菅政権(菅首相)のこの佞臣や奸臣にあたる人とは‥。和泉洋人首相補佐官(67)などもその一人ではないかと思われる。そして、その和泉氏と愛人関係にあるとされるのが政府内で「コロナの女帝」「ツボ子姐さん」「ツボ子」とも言われている大坪寛子氏(53)だ。「ツボ」は"お局(つぼ)ねさん" を皮肉った命名。しかもこの二人のコンビ、新型コロナウイルス対策の基本5本柱の中でも非常に重要なコロナワクチン対策分野を担当し采配する官邸側の中心的存在なのだ。また、PCR検査拡充にも反対してきたようだ。

 ―『サンデー毎日』(2020年3月8日号)の「日本の医学研究を"和泉・大坪の不倫コンビ"が仕切っている」との見出し記事、『週刊文春』(2020年5月7・14日号)の「"コネクト不倫"大坪審議官に話を聞くと‥‥丸の内デートは"だいたい業務です"」の見出し記事、『週刊ポスト』(2021年2月19日号)の「菅相も河野大臣も制御不可能 厚労省"コロナの女帝"の復権」の見出し記事(※『菅義偉の正体』などの著者でノンフィクション作家の森功氏の記事)、『高野孟のTHE  JOURNAL』(2021年3月2日)の「あの不倫カップルがやらかしたコロナワクチン調達の失敗」の見出し記事などを読むと、「なぜ、日本のコロナワクチン調達が遅れに遅れていたのか」ということの一面が分かってもくる。4つの記事をまとめていくと以下のようになる。

 昨年2月~3月、横浜に停泊していた「ダイヤモンド・プリンセス号」船内での新型コロナ感染拡大の陣頭指揮をとっていた大坪審議官(当時)。大坪氏はマスクもせずにのんきにふるまって船内を視察する姿やその対策のあまりの杜撰(ずさん)さに、アメリカの『ニューヨーク・タイムズ』紙は、「日本政府は、公衆衛生の危機対策として『これをやってはいけない』見本として教科書に載るようなことをやっている」と痛烈に批判された。

 和泉補佐官は国土交通省の元技官で医学は素人。大坪審議官は内科医ではあるが、研究実績はゼロに近い。この二人がトップに座り、菅首相—和泉—大坪の親密ラインで、コロナワクチン確保と接種の実施に関して取り仕切っていたとの報道がされている。ワクチン確保作戦の官邸側のトップが菅首相の最側近の和泉氏、厚生労働省側の担当責任者が大坪氏(厚生労働省審議官➡内閣官房審議官)。刑事ドラマなどでもよく耳にする"審議官"という地位は、〇〇部長や〇〇局長などより政権に近い「内閣官房審議官」の場合は実質的に上位・上司に位置する権限をもっている。

 写真左より、①②③大坪氏と和泉氏、④杉田氏、⑤坂井氏

 厚生労働省大臣官房審議官としてダイヤモンド・プリンセス号での対応で世界的な顰蹙(ひんしゅく) をかい、さらに和泉氏とのミャンマー・フィリピン・インド・中国の海外出張の折りの五つ星ホテルのコネクティングルームでの2人の宿泊、京都出張時の「かき氷ア~ン」デート。2019年には、2人が京都大学iPS細胞研究所を訪ねて所長の山中伸弥教授を恫喝(※製薬会社などの意向をうけて、医学的な立場から治験に慎重な立場をとる山中氏に対して、「iPS細胞を備蓄する"ストック事業の予算" をゼロにする」と脅す。その後 この恫喝は世間の批判もあり、政府・健康医療戦略室から、「支援が打ち切られる可能性があると思わせたことを深く反省している」との文面が一通送られた。

 "最強の官邸官僚"とも揶揄(やゆ)される和泉氏の威光を借り、強権をふるってきた大坪氏。さまざまな批判が表ざたになり、大坪氏は兼務していた内閣官房健康・医療室次長(室長は和泉氏) を昨年の4月に解任されていた。このころ安倍首相と菅官房長官との間にすきま風が吹き始めていたことも解任の背景にはあるようだ。その後、厚生労働省の子供家庭局の審議官となり、大坪氏にとってはコロナ対策の官邸側責任者の地位NO2を失っていたこともあり、不満も多かったようだ。この不満を和泉氏に常に訴えていたと伝わる。

 昨年8月、安倍首相の突然の辞任発表。そして、彼女(大坪氏)にとって菅政権という好機が訪れる。9月に菅政権が発足すると、子ども家庭局の審議官である彼女は、首相肝いりの赴任治療政策を担う。しかし、やはり厚生労働省内での彼女の評判は悪く、実質的にその政策を取り仕切ったのは別の幹部たちだった。それがまた、彼女にとってはおもしろくない。和泉氏だけでなく、官邸事務方トップの杉田官房副長官(80)や坂井官房副長官にも親密な関係をつくり取り入り、厚労省内での境遇の不満を伝えたようだ。ちなみに、杉田氏はあの学術会議の6人任命拒否問題を主導した張本人だ。

 菅首相—(和泉補佐官・大坪氏)―杉田・坂井副官房長の親密ラインにより、大坪氏は子ども家庭局審議官の職のまま、再びコロナ対策の厚労省と官邸の中枢に入ることとなる。ワクチン確保の事業は主に災害対策担当審議官が実務を扱ってきていたが、その審議官が外され、大坪氏がその災害対策審議官のポストに入ることとなり、コロナの女帝として振る舞い始めた。大坪氏の完全復権である。そのコンビの下で、昨年7月以来、ファイザー、モデルナ、アストラゼネカ各社との"口約束"まがいの合意はできたが書面における正式契約までには至っておらず素人的仕事になっていたことが判明。

 それがわかってきた昨年末から、ワクチン供給が遅れに遅れる失態となって、自分(和泉)と大坪氏が責められる事態を回避するため、「ワクチン確保には厚労省だけではなく、国際交渉面では外務省、自治体との連携では総務省、予算面では財務省など省庁横断的に動く新大臣が必要で、それは国民的にも人気のある行革担当相の河野が適任」などと言って菅首相に進言し、ワクチン確保・接種の全責任を河野氏に押し付けられるようにしたと言われる。(河野氏のコロナ相就任後まもなくして、河野氏と坂井氏の主導権を巡るバトルも起きた。)

 職務上から言えば、田村厚労相と西村経済再生相(=コロナ担当も)がいるのに、屋上屋を重ねる必要はなく、田村厚生相にワクチン担当を仕切らせればいいのに、菅首相の覚えめでたい河野氏に出番を与えて菅首相の歓心を買い、国民に対しては一種の目眩し(めくらまし)の効果を期待し、自らは責任を軽くして保身を図るという、まあいかにも和泉氏らしい菅首相操縦術とも言えるだろう。

 まとめは以上のような内容になるかと思うが、なんとも言葉に詰まってしまう、コロナワクチン確保を巡る舞台裏だ。前号ブログで記した京都大学医学部の西浦教授の「立ちはだかる分厚い何枚もの壁」とは、コロナ対策基本戦略を立てられない「①政府コロナ対策分科会(尾身会長)」の実態であったり、この「②菅首相を取り巻く官邸官僚たち」の壁なのではないかと思われる。

◆大坪氏は東京慈恵会医科大学(私立) を1992年卒業後、医学部で助教を務め、厚生労働省傘下の国立感染症研究所に出向し、2008年に医系技官として厚生労働省に入省した。2013年に第二次安倍内閣が誕生し、菅官房長官が就任すると、和泉氏が内閣官房の健康・医療戦略室の室長に就くと、大坪氏は課長級の参事官として起用され、ほどなく次長に昇格。内閣官房審議官となる。異例づくめの大坪氏の10段飛び人事だったと言われる。

 大坪氏は2013年のこのころ離婚しているので、その後は独身。彼女の子供のことについては情報がなくベールに包まれている。おそらく男女の関係によるこの大坪氏の昇格人事だったことが多分に推測もされるが‥。和泉氏の方は妻や家族がある。まあ、二人の男女関係に関しては、男と女のことだからよくある話の一つにすぎないが、いままでのコロナ対応政策の失敗をしつ続けてきている二人のコンビに、国民の命にかかわる最重要国政課題のキーマンを任せているこの菅政権にはじくじくしたものを思う。悲しくもなる‥。

 さすがにこの二人のコンビをコロナワクチン対策のその中心においてはまずいと思ったのか、最近ではコロナ担当相の河野氏と厚生労働相の田村氏が、官邸でのコロナワクチン担当の中心になりつつあるのかも知れない。昨日4月29日、医療崩壊を起こしている大阪府の1日のコロナ感染による死者が44人にものぼってしまった。第4次感染拡大の事態は新幹線並みのスピードで日々、迫ってきている。 

 

 

 

 

 

 

 

 


コロナ防疫:日本の失敗の原因はどこにあるのか❷防疫対策のしっかりした司令塔戦略センター構築が必要

2021-04-25 19:21:37 | 滞在記

 打つ手なしの状況に陥っている日本のコロナ防疫対策。現在進行している第4波コロナ感染急拡大に対する3週間あまり想定の緊急事態宣言や蔓延防止重点措置も、おそらく効果があまり期待できず、国民はかなり疲れ果ててきている。3回目となる緊急事態宣言は、5月11日以降も延長される可能性も大きいし、また他の道県にも緊急事態宣言が出される可能性も大きい。岐阜県や福井県などでは県独自の緊急事態宣言が出され始めてもいる。その場しのぎの政府のコロナ対策が、安倍政権末期の昨年7月ごろから続き、特に9月の管政権以降の昨年末からのコロナ対策の様相は混乱を極めてきている。

 よく民報各局の朝の報道番組に出演している昭和大学医学部客員教授の仁木芳人氏は4月4日付の新聞赤旗日曜版に、「第4波封じ込めを―モニタリング検査 100倍 200倍に増やせ」という見出し記事で、新型コロナ対策の基本中の基本について、感染対策5つの柱として「①飲食の感染防止、②変異株への対応、③戦略的な検査(無症状者のモニタリング検査、高齢者施設等への集中的・定期的検査)、④安全・迅速なワクチン接種、⑤医療体制の強化」をあげている。そのうえで、「日本のPCR検査の取り組みは欧米と比べ周回遅れどころか、2周回くらい遅れているといわざるをえません」と語る。

(※コロナ・モニタリング検査とは、感染拡大傾向を早期に把握するための検査。コロナに感染しながら無症状の人がどれだけいるかを把握するための検査。PCR検査を行い、2〜3日後にスマホアプリにて結果連絡される。仁木氏のが5本柱の一つにあげるモニタリング検査は、これだけ感染拡大が広がっている第4波の状況下ではその意義は薄れてきてはいる。感染拡大感知が必要な時期に有効性の大きいものだ。現状況下ではむしろ、モニタリング検査ではなく、重点地区での全員PCR検査が必要だと思われるが。)

 評論家の森永卓郎氏は、「まん延防止等重点措置の対象自治体(緊急事態宣言の4都府県含む)に住民全員をPCR検査して、陽性者を隔離するのが、最も効率的かつ効果的だと思う。対象となる国民は3290万人で、1人当たりの検査費用を2000円とすると、必要な予算は658億円となる。飲食店への休業補償に伴う協力金と比べて、ケタ違いにコストが低いのだ」と語る。

(※アメリカは1兆円の国家予算を投じてコロナワクチン開発製造に成功している。この額を日本政府がワクチン開発に投じていればとの思いもする。日本政府がワクチン開発ではなくGOTOトラベルに投じたお金は2兆円。)

 いずれにしても、コロナ防疫・感染拡大抑え込みのための基本戦略は何なのかは、この1年間のコロナ禍下の中で見えてきている。それは、「①PCR検査をできるだけ広範に行い、陽性者を隔離し保護治療、感染拡大を防ぐこと。②マスク・手洗いの励行、距離の励行、会食・飲酒などさまざまな場での感染防止措置。③コロナワクチン接種の実施④クラスター発生への対応。⑤医療体制の全国的協力体制づくりと強化」という特にこの5本柱の重要性を基本中の基本の戦略とすることだ。

 この日本のコロナ対策・防疫の失敗の原因はどこにあるのか?防疫・コロナ対策の基本戦略ができていないからだ。その基本戦略を推し進めるべくしっかりとした組織・センターが確立されていないからだ。これが致命的な欠陥となっている。

 4月2日付の朝日新聞に1ページの紙面に京都大学教授医学部の西浦博教授のインタビュー記事が掲載された。昨年、コロナ感染抑制には「人との接触8割削減」が必要と呼びかけたたことから「8割おじさん」とも言われた人だ。昨年春の第1波の際、厚生労働省クラスター対策班の中心となっていた人である。1年を超えたコロナ禍下での闘いの中で、見えてきた日本社会の課題、特にコロナ対策の政府の問題点の深刻さなどを語っている。インタビュー記事には、「届かなかった提言—最悪を避けるため傷負う覚悟で訴え」「政治家、覚悟のかけらもなかった」との見出し記事だ。

 この記事の中で、西浦氏は、「一番大きい問題は組織の問題です。第1波のとき、厚生労働省のクラスター班で働いていたのですが、そこで分析した結果が、政策的な判断を下す官邸に届くまでに、厚い壁のようなものが何枚もありました。科学的な知見を採り入れた政策判断と、官僚制システムがかみ合っていない」と語る。

 コロナ対策の政策決定をする官邸と厚生労働省のコロナ班との間に分厚い官僚機構や政府コロナ分科会などが立ちはだかり、科学的な知見に基づいた政策決定がなされていないということだ。このため、いきあたりばったりの政策に終始し、コロナ対策基本中の基本の戦略がつくれてこないまま1年以上が経過していることとなる。「官僚や政治家たちの多くは 感染抑制に向けた覚悟のかけらもない」とも語る。おそらくこれが日本政府のコロナ対応の現実なのだろう。

 また、西浦氏は、「東京五輪開幕があと3カ月に迫った状況で、日本は最大の危機を迎えています。五輪の"1年延期" を、選手を含め、広く議論してもらえないでしょうか。オープンな議論に議論を望みます。おおかたの国民へのワクチン接種が1年後にできているなら、東京五輪もさらに1年延期するのが有効な選択肢ではないでしょうか。政府の英断を望みます」と訴えている。

 北村義浩氏(日本医科大学特任教授)も仁木氏と同じく、よく朝の報道番組に出演している人だが、「世界はもっと強い対策を打っているし、私の知る限り、弱い対策(まん延防止重点措置)から強い対策に移行するくらい後手後手の国は日本くらいのものと」としながら、「事態は新幹線のようなスピードで進んでいるのに、まるで自転車でもこいでいるかのような認識。5メートル先に小さな子供(危機)が飛び出して来ても、間に合うと思っていたわけですけど、新幹線だから急ブレーキを踏んでもムリなんです」と語る。

 東京都医師会会長の尾崎治夫氏は、4月25日付の新聞赤旗日曜版の「感染急拡大"第4波"今が正念場—国を挙げた感染対策の体制が必要」との見出し記事で、「都心部・感染中心地で、面的・集中的なPCR検査や抗原検査を徹底して行い、無症状者を含めた感染者を見つけ出し、隔離・保護することです」とPCR検査の重要性を指摘。さらに、「1年先、2年先見越した 科学的な戦略を作れ」との小見出し記事には、「‥‥どうしてこのような状況なのかと言えば、PCR検査体制の遅れに象徴されるように、国を挙げて感染症対策に取り組む体制になっていないからです。アメリカのCDC(疾病対策センター)のような司令塔ともいうべき組織もありません」と、防疫対策のためのしっかりした組織・センター、司令塔の構築への緊急の再編・構築の必要性を語っている。

 この1年以上の日本政府のコロナ対策では、誰が、どの組織が司令塔なのか、国民にとってもよく分からない状況が続いている。一応、首相の職にあった安倍前首相や菅首相が個人としての司令塔なのだろうけど、組織としての司令塔がまったく見えてこない、またはない、という状況が続いている日本。首相だけでなく、政権与党のNO2NO3の二階自民党幹事長や麻生副総理兼財務大臣らの問われる責任もとても重い。また、昨年の9月中旬まで厚生労働相で現在は官房長官の職にある加藤氏の責任もまた大きい。だれもがまっとうなコロナ対策組織づくりをしてこなかったからだ。

 写真左より、①西村氏②田村氏③尾身氏④脇田氏⑤中川氏(日本医師会会長)⑥河野氏

 また、政府のコロナ対策の先頭に立ち続けている感のある西村経済再生担当相。なぜ、厚生労働相ではなく経済再生担当相が国民にコロナ対策や対応などを説明する先頭にたつのか、国民はずっと疑問を持ち続けていることかと思う。最近になりコロナワクチンの問題ではようやく田村厚生労働相が矢面(やおもて)に立ち始めてはきているが‥。河野行政改革担当相は2月ころから菅首相からコロナワクチン接種担当相兼務を命じられてその職にあるが、その存在意義もまた分かりにくい。本来なら厚労相の田村氏が兼務すべきかとは思うのだが‥。とにかく、「司令塔」的な組織がなく、それぞれが それぞれの部署で単独的にやっている印象だ。

 では、「政府のコロナ分科会」(尾身分科会会長)なるものの組織はどんな位置づけなのだろう。国民は、ここが司令塔的な組織かと思わされていたが、実はそうではないようだ。単なる政府・官邸のコロナ政策のための諮問機関で、その司令塔的権限はほとんどないことも最近は露呈してきている。20人ほどの委員で構成されているこの分科会の副会長は国立感染症研究所所長の脇田氏。

 委員は、感染症の専門家や医師らが約3分の1、経済や経営の専門家が約3分の1、その他の約3分の1は全国労働組合の役員など。委員20人の顔ぶれを見ていると、なるほど、単なる諮問委員会にすぎず、司令塔ではまったくないことが分かる。委員の多くは「PCR検査の広範な実施」には反対の意見をもつ人が多いと聞く。尾身会長自身も3つの大きな半官民病院の理事長職にあり、PCR検査の広範な実施により、病院への陽性患者の受け入れ増加になることを危惧してPCR検査の広範な実施は消極的と言われているし、実際このことを首相に提言したこともないように思う。

 日本における、ズルズルと締まりのないコロナ対策の元凶は、この「コロナ対策司令塔」がないことに起因している。だからまっとうなコロナに立ち向かう戦略が立てられず、それぞれの担当相や政権の実力者、担当者たちや、首相側近補佐官たちが、それぞれの権益、自己権力保身のために動いている感がある。

 写真左より、①鍾南山②陳時中③オードリー・タン

 中国では、感染抑制のための国民の精神的な支柱として、感染症専門家である鍾南山氏の存在が大きい。中国共産党からしても一目おかざるを得ない、とても国民から信頼と尊敬の篤い人物だ。2003・4年のSARS(コロナ)対策問題でも今回の新型コロナ対策問題でも、老体に鞭打って国民の先頭にたち続けけてきている。

 民主主義政治のもとにある台湾は、世界で最も国民の大きな納得と支持を受けながら新型コロナ対策に成功してきている国だろう。蔡英文総統のもと、特に陳時中  台湾衛生福利部長(厚生労働相の相当)のコロナ対策への存在は大きい。「鉄人大臣」とも国民から愛称と畏敬を集めている人物だ。その陳氏の率いる司令塔組織のもとに、携帯アプリなどのIT を活用してのコロナ対策が有効に取り組みをしている。この分野は司令塔の戦略のもと、IT担当相のオードリー・タン氏(唐鳳)が中心となって担う。

 この携帯アプリITを活用したコロナ感染拡大防止対策。誰かがコロナ陽性と判明した場合、その陽性者との濃厚接触者には即座に携帯アプリに連絡されるシステム。中国でも台湾でも、そして世界のかなり多くの国々で広まり活用され、コロナ感染対策に生かされている。日本では「COCOA」という名称でこのアプリの機能を広めようとしたが、この4月中旬の朝日新聞の「COCOA不具合放置—国と企業 無責任の連鎖」という見出し記事の内容のように、ほぼこのアプリの活用は広まっていない。

 この「コロナ対策のIT」に関しては、週刊雑誌『NESWEEK(日本語版)』4月20日号の特集「コロナ制圧のカギ—日本を置き去りにする デジタル先進国、新型コロナを完全に抑え込んだ中国デジタル監視の実態、台湾・韓国にも遅れた日本がすべきこと」に 世界各国のITとコロナ対策のようすも掲載されている。

 週刊ポストの最新号の表紙に、「府民からも 隣県民からも 大阪ぎらい 吉村知事失敗の本質—メッキが剥がれた」の文字。その記事には、「やってるフリは一流やけど」「ワシらは"まん防"より"辛抱"や—もうかなわんわ!」の見出し記事が。

 維新の大阪府知事の吉村氏や大阪市長の松井氏、とりわけ吉村知事の連日のテレビ出演なども含め「頑張ってはるで」ということは私もある程度はわかる。苦労もしていることだろう。だが、あれだけテレビ出演していて、府民・国民にさまざまな要請や理解を求めたり、国のコロナ対応に批判の意見を挙げたりして、府独自の対策を講じたりと、府民・国民に訴えてもいるのだが‥。「テレビに出てパフォーマンスをすることをなくしたら、彼女に何が残るのですか。何も残らない。」と元国会議員で、最近はテレビの報道番組などでもよく顔を見る杉村太蔵氏に言い放なたれていた東京都知事の小池氏。

 この二人の知事に共通していることは、テレビを通じてのアピールは上手なのだが、コロナ対策の基本中の基本である「PCR検査拡充」の必要性などをこれまで一言でも言ってこなかったことだ。政府に要請したこともまったくない。特に大阪のPCR検査実施率は東京や関東の県の実施率に比べても格段に低い。つまり、この1年間、吉村府知事も小池都知事もコロナ対策の基本の5つの柱戦略を語ることなく、「失敗」を露呈してきている。つまりは、メッキが大きく剥げてきたということかと思う。

 特に、第2回目の緊急事態宣言の前倒し解除を国に率先して要請、隣接する京都や兵庫もこのため解除され、1カ月後再び、今度は関西を中心に感染拡大第4波の大波となったことや、せっかく準備した重症者病棟の数をこの2月に大きく減少させたことなどの失策が続いている。「吉村はんの言う事やから、しゃあない、聞いておこか」というかっての吉村知事への府民の信頼感も大きく揺らいでいるようだ。

(※吉村知事の最近の表情は自信をなくした表情が多い。これはやはり完全にコロナ対策に行詰まりがあり焦燥している表情かと思う。吉村氏自身、コロナ対策の基本中の基本を認識していないので、焦燥感はでるだろう。基本の5つの柱を再認識すべきだ。東京都の小池知事などは雲隠れしたように、あれほどパフォーマンスアピールでのテレビ出演に嬉々としていたころがなかったかのように、テレビ出演をできるだけ控えているようだ。まあ、本質はかなり卑怯な人だ。それに比べて、吉村知事の方がまだ潔い。旗色が悪く自信を喪失していても 言い悪いは別にして潔くテレビ出演を頑張り続けてはいるのだから‥。)

◆前出の森永氏は、「コロナ分科会は2度も感染収拾に失敗したのだから、今後の感染対策で最も必要とされるは、委員の総入れ替えではないか」と語る。前出の西浦氏の語る、"官邸を取り巻く官僚たちなどの厚い壁"とはいったい誰たちのことなのか? 次号ではこのことを記したい。いずれにしても、「司令塔」として機能するの組織改編が最も緊急な急務ではあるが‥。今の管政権では‥。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


コロナ防疫:日本の失敗の本質はどこにあるのか❶―この1年間で、この第4波は最大の危機に直面か‥

2021-04-24 10:04:50 | 滞在記

 「コロナ第4波のピークは10月―東京1日5600人も、東京五輪開会式を"変異株"ショックが直撃―AIが予測」との見出し記事(『週刊朝日4月16日号』)は、ショッキングな内容だった。

 変異株の感染急拡大によるコロナ第4波はどこまで拡大するのか?AI(人工知能)による予測では恐るべきシナリオが待ち受けている。記事は、日本のコロナ対策「失敗」の元凶でも"感染症対策ムラ"が抱える深刻な問題点も書かれている。このAI分析は筑波大学大学院の倉橋節也教授(社会シミレーション学)が発表したもの。

 AIによる感染拡大のシミレーショングラフ(東京都)は、「①東京が感染者数1500人で緊急事態宣言発令/高齢者優先でワクチンを1日7万人(都民人口の0.5%)に接種した場合のシミレーション」と「②感染者500人で緊急事態宣言発令/ワクチンを1日7万人(都民人口の0.5%)に接種し、うち3割を59歳以下に振り分けた場合」の2つが掲載されていた。①の場合の感染ピークは10月20日、1日の感染者数は5600人と試算される。②の場合の感染ピークは8月30日、1日の感染者数は700人と試算される。いずれも、東京五輪が開催された場合の閉会後がピークとなる。

 ちなみに、まん延防止重点措置や緊急事態宣言などの規制措置を有効に実施しない場合は、①の場合の10月20日の感染者数の予測は1日23万人と予測。日本でも欧米のような猛烈な感染爆発が起きる可能性が示唆されている。

 ①の場合、東京だけでもこれだけの感染者数なので、全国の1日あたりの感染者数は優に1万をはるかに超えることとなり2万人・3万人台となる可能性も示唆される。東京では4月3日には1日446人の感染者が確認され、昨日の4月23日では1日759人が確認されている。同日、大阪は1162人、兵庫は567人。愛知・神奈川・埼玉・福岡などはいずれも200人超え。北海道・千葉・京都などは100人超え。全国では1日5113人の新規感染が確認された。1・2・3波と比べてとても早いスピードでの感染者の急増状況。

 明日25日から5月11日までの17日間、大阪・東京・兵庫・京都の4都府県には3度目の「緊急事態宣言」が発令されるが、100人・200人超えの6道県にも「緊急事態宣言」の発令が必要ではないのだろうか。(※面積の大きい北海道の判断は微妙だが)    4都府県だけの宣言実施ではコロナ抑制の効果には大きな疑問が残る。

 変異株コロナウイルスが感染拡大の主流となりつつあるが、二重変異株という新たなタイプのコロナウイルスに感染した人も出始め、「二重変異種上陸」の報道もされ始めた。

 週刊朝日の記事にはまた、「"感染症ムラ"の非常識が招いている第4波"打つ手なし"の悪夢—厚労官僚も"能力不足"。"ガラパゴス化"した厚労省・感染研の変異株検査は"周回遅れ"」の見出し記事も。日本のコロナ感染対策の失敗の本質は、安倍政権や菅政権がきちんとした感染対策の組織を作らず、対策責任をたらい回しにし続けていることに起因していることだ。基本戦略がまったく確立できていないのだが、これについては、次号以降のブログで少し詳しく述べたいと思う。以下、本号では、昨年の春からここ2月を経て現在に至る、日本のコロナ状況や対策の経緯について、再確認のためにも記す。

 日本における新型コロナウイルス感染拡大は現在、最大の危機ともいわれる第4波に入っている。第1波は昨年春の3月から5月にかけての時期だった。安倍政権のもと、昨年4月7日には第一回目の緊急事態宣言が7都道府県に発令、その後4月16日からは全国的に緊急事態宣言が発令された。ピーク時の1日全国感染者数は800人ほどで、宣言が解除された5月25日の全国の1日感染者数は20人までに減少した。しかし、第2波が7月~9月の夏に来て、お盆帰省には自粛ムードが広がった。この第2波の1日の全国感染者数のピーク時は1600人ほどで第1波の2倍だった。

 第3波は11月下旬頃から始まり、年末年始を挟んで、2021年1月中旬ころにピークを迎えた。ピーク時の1日の感染者数は約8000人に上る。1月8日から11都道府県に2回目となる緊急事態宣言が発令され3月21日に宣言が解除(※大阪府だけは府の要請に基づき1週間早く解除)。解除時の1日感染者数は1110人と「高止まり」。その後、変異種による感染拡大が大阪・兵庫より急拡大。このため、蔓延防止重点措置(まん防)が大阪などから要請され急きょ発令される事態に。(①4/5大阪・兵庫・宮城②4/12京都・東京・沖縄③4/20埼玉・神奈川・愛知・千葉④4/23愛媛、以上11都府県)

 そして、今回、明日4月25日からは、大阪・東京・兵庫・京都の4都府県には緊急事態宣言が当面5月11までの17日間発令される事態となっている。(7県は「まん防措置」のまま) 長期を見越した防疫感染抑制戦略がないままの"打つ手なし""基本戦略なし"の管政権下でのコロナ対応に国民の不安は増大し続けている状況だ。

 4月9日付朝日新聞、「東京・京都・沖縄、まん延防止へ」「第4波 大阪は医療崩壊 2日連続1000人超」。17日付朝日「大阪 病床数超す」「大阪府吉村知事 緊急事態宣言の要請」などの見出記事。日本医師会の中川会長「これまでで最大の危機だと思います。感染力が強い変異株ウイルスが主体になりつつあるということです」「早期の緊急事態宣言のが必要ということです」とのテレビ報道での記者会見。

 4月16日・17日付朝日「大阪の指揮をとる 感染"災害レベル"と府健康医療部長の藤井睦子氏」「まん延防止 新たに10都府県に拡大」などの見出し記事。後期高齢者を主対象としたコロナワクチンの第1回目接種がようやく4月12日から一部だが開始され始めることとなる。

 中国のインターネットや新聞などでも、このような日本の状況について、「東京奥運(五輪)黄了?日本疫状持続反弾(リバウド)!恐大規模暴発」などと報道されていた。

   4月20日付朝日、「感染大波 宣言またか―1年間同じ繰り返し」の見出し記事。非常事態宣言の発令にともない、大阪市では「午前中2時間オンライン授業―登校して給食—下校帰宅して、午後オンライン授業」を実施と発表。教育現場にも混乱が生じている。

 4月19日、教育評論家の尾木直樹氏が、大阪府の吉村知事のコロナ対応に、「大阪のドタバタ劇!??!」と題したブログで、「何をドタバタやってるの。連日のTV出演で熱心に語っている割には全てにおいて[後追い後追い」の連発。いくら何でも大阪のみなさんはよくぞついていかれますね」と批判の意見を述べていた。また、続けて、「TVは、地道に成果を上げている首長さんをもっと紹介することが大切なのではないでしょうか」とも。

 確かに、山梨県などは東京に隣接しているが、驚くほど感染者が少ない県だ。そのあたりの報道はTVではほとんど報道されてきていない。大阪府での感染拡大を受け、ネットでは吉村氏のテレビ出演に対する「ほんとテレビ出演好きだな」「テレビに出ている場合か」などの批判は増えてきている。

 緊急事態宣言の発令に関して、中国のインターネットや新聞などでも報道されていた。4月23日、朝日「酒類提供店に休業要請」の見出し記事。

 今日24日付朝日には、「まん防対象地区」でも「酒類提供をやめる」ことを要請と西村経済再生担当相。このごろ小池東京都都知事をTVで見かけることが少なくなった。どうしてだろう‥。もう疲れきったのかな‥。都知事もお手上げ状態かと推測もされる。

 この4月に入り、世界の1日あたりの新規感染者数は約50万人。「変異株の猛威に 世界は危機感」との報道。中でもコロナワクチンの最大生産国でもあるインドでの再びの感染拡大は深刻で、1日の新規感染者は約20万人超。だが、バイデン政権となり、ワクチン接種がすすむアメリカは感染拡大に歯止めがかかり減少してきている。特にイギリスではワクチン接種がすすみ、この1月8日には1日約7万人の新規感染者数だったのが劇的に減少。4月8日には1日の新規感染者数が3126人となり、日本の同日3405人を下回った。

 

 

 

 

 

 


百済寺❷信長が惚れ込んで自分だけの勅願寺とするも、可愛さあまって全山焼き討ちにされた城郭寺院

2021-04-16 21:30:10 | 滞在記

 百済寺の奥深くまで今回初めて見て廻ることとなったのだが、寺院の中心地区には300あまりの僧坊が建ち並んでとの説明のとおり、棚田や段々畑のように山の山頂に向かって坊の跡地が次々と現れる。山城の郭(曲輪)そのものだ。三椏(ミツマタ)が花を満開になり、いたるところに群生している光景。こんなにたくさんの群生を初めて目にした。三椏の群生の横で石楠花(しゃくなげ)の花が開花していた。境内の山道のいたるところに三椏が群生している。

 「桜の国、日本」では桜はどこでも見られるが、三椏のおびただしい群生はなかなか珍しい。説明版などによると、和紙の原料となる三椏、楮(こうぞ)、雁皮(がんぴ)の三木は繊維質がとても多いため、鹿なども食べなく食害がほとんどないようだ。

 境内のゆるい山道を登って本堂に着いた。横に鐘堂が。この百済寺は滋賀県(近江国)で最も古い寺院。開基は聖徳太子で604年(飛鳥時代)。寺伝によれば、聖徳太子は当時来日していた朝鮮・高句麗の僧とともにこの付近に来た際に、ここに寺院を建立することを決めたのだという。朝鮮の百済(くだら)国の寺院に由来した「百済(ひゃくさい)寺」と銘名。渡来系氏族の氏寺としても開山された可能性も高い。(※この時代、近畿各地に寺院が建立されている。大阪の四天王寺・京都太秦の広隆寺・飛鳥の飛鳥寺・奈良の法隆寺など)

   平安時代から中世にかけて、1000余りの僧坊をもつ大伽藍だったようだが、1498年の火災や1503年の戦乱(近江守護六角氏と近江守護代の伊庭氏との戦い)に巻き込まれて、かなりの建物が焼失。その後、建物は再建され寺勢も回復。六角氏は、琵琶湖畔に近い観音正寺のある山を城郭化し観音寺城(本城)とした。そして、ここ百済寺には坊を山城の郭(曲輪)仕様に城郭寺院への改修し、石垣も多用して城塞化。観音寺城の支城の一つとしての位置づける。観音寺城と同じく、石垣を多用して防御力を強化している。

 そのような曲輪化機能をもった百済寺の坊や主要な建物を配置した全山の模型が、本堂内に置かれていた。寺院の入り口にあたる赤門から本堂までの高低差(比高)は100mある。かってはここ本堂の裏手の山中に五重の塔もあって跡地が残る。本堂のあるところから仁王門を見下ろす。長く続く苔むした石段、周囲の杉などの大木、そして仁王門。ものすごく風情のある、幽玄な美をもつ一画だ。なかなかこのような深山の幽玄さをもつ大寺院はちよっと珍しい。

 高所にある本堂から石段を下って仁王門に、仁王門から本堂に続く石段を見る。なんという幽玄美か感嘆する。さらに参道(大手道)の石段を下って仁王門に続く道を見る。苔むした石垣に囲まれた石段が真っ直ぐに続いていた。京都市内などの寺とはまた違った自然と調和したというか、自然の中に溶け込んだ大伽藍の寺院だ。

 散り椿が参道の石段に点在している。苔むした石垣の上にも椿が散っている。1573年(元亀4年)、再び百済寺は戦乱に見舞われた。織田信長の「百済寺全山焼き討ち」である。この信長と百済寺の関係は実に興味深い。信長という人間を知るうえでも‥。なんと、戦国の覇者・織田信長がこの百済寺に魅了され、生涯で唯一の勅願寺と定めていたことが文献に残っている。ちなみに勅願寺とは、簡単に説明すると「かかりつけのお寺」のようなイメージ。

 このため、信長は「百済寺に対する租税要求や人足の要求」を禁止し、「他の者が祈願寺にすると申し出ても受け入れてはならない」との禁制を出した。ようするに、ここは信長だけの祈願所だという宣言だ。これほどまでに惚れ込んだ寺院だった。その惚れ込んだ寺院を全山焼き討ちにした。惚れ込んだ女が他の男に気を移したことに怒り、女を殺して焼き尽してしまう心理と同じだ。可愛さあまって憎さ百倍の心理。

 1571年に信長は比叡山全山焼き討ちをしている。1573年に武田信玄が死去し、長年の信長包囲網は崩れることとなる。これに安堵した信長は本拠地の岐阜城に近畿・京都より戻る途中にここ、惚れている百済寺で2~3泊逗留する。百済寺から5kmほど南西に鯰江(なまずえ)城という平城があった。愛知川の河岸段丘に築かれた城で、ここに信長に抵抗を続ける六角氏が籠っていた。この城を信長軍団の佐久間信盛・柴田勝家・丹羽長秀などが包囲していたが城はなかなか落城しなかった。

 城がなかなか落城しないのは、実は城外に六角氏への協力者があったからでもある。それが百済寺だった。僧侶たちは、信長軍に知られないように兵糧を運び込んだり、六角軍にいる将兵や兵士たちの妻子を坊に密かに匿うなどの協力をしていたのだった。比叡山延暦寺の全山焼き討ちが2年前の1571年にあったというのに、百済寺の僧侶たちも見上げた根性というか‥。このことを知った信長は惚れて愛していた百済寺の全山焼き討ちを4月11日の挙行した。

 想像するに、百済寺側は信長からのラブコール的禁制にひどく頭を悩ませていたのではないかと思う。悩みに悩んで、信長とも、そして長年の深い付き合いと親交のある六角氏とも関係を続けることとなったのではないかと推測される。要するに、百済寺としては信長のことが好きでもなく、むしろ同じく天台宗の総本山である延暦寺を焼き討ちにして三千人を皆殺しにした憎むべき男だが、時の最高権力者のラブコールは嫌でも断れず関係をもたされたが、いままでの恋人だった六角氏とも密かに関係を続けて意地をみせていたのではないかと思う。完全な信長の片思いだったのかと思う。しかし、宗教嫌い的な面のある信長をそこまで惚れさせた魅力がこの寺院には当時もあったのだろう。

 全山焼き討ち後、百済寺の石垣の石や仏石は琵琶湖畔に新しく築かれる信長の居城・安土城の石垣として大量に運ばれた。安土城の見事なまでの大手道は、ここ百済寺の真っ直ぐなな美しい参道に着想を得て作られた。つまりは、かって愛し惚れた百済寺を怒りにまかせて焼き尽くし、この安土城に近世城郭として、新たな自分だけの百済寺として築城したとも言える。

 なにやら、この信長と百済寺との関係は、『源氏物語』で、光源氏が、幼い頃に亡くなった母・桐壺の更衣によく似ている藤壺の更衣(※源氏の初恋の人・天皇である父の後妻で光源氏にとっては5歳年上の義母、源氏は恋したい性的関係をもってしまい藤壺は子を身ごもり出産。この事実を知らず父の天皇は崩御。藤壺は出家する。)の姪で、藤壺に似た幼い紫の上を養育し理想の女性に育てて妻とする物語に似通ったところがある。藤壺の更衣は百済寺、紫の上は安土城である。

 戦国時代に来日していた宣教師のルイス・フロイトはこの百済寺のことを書簡に「百済寺と称する大学には、多数の相互に独立した僧院や座敷と庭園・築山を備えた僧房が建ち並び、まさに地上の楽園が‥」と書いている。

 全ての建物が焼き尽くされ、火は半月間消えなかった。本尊の"植木観音"とも呼ばれる 飛鳥時代に作られた十一面観音像(3.2m)は、僧侶が背負って山頂に向かって逃れ、本堂から8km離れた奥の院近くに移されて守られた。このとき、僧侶が背負って逃れた際に仏像の足が山道で引きずられ損傷した。この損傷のため、この仏像は国宝指定とはなっていないようだ。秘仏とされていて、半世紀(50年)に一度、開帳(公開)される。

 信長の焼き討ちにあった百済寺はその後、1582年に本能寺の変で信長は死去、この信長や豊臣秀吉に仕えた堀秀政によって仮本堂が1584年に建てられた。1600年代の江戸時代になり復興がされはじめ、1650年に本堂・本坊・赤門・仁王門が建立され現在に至っている。現在においてもこれらの建物以外の僧坊などはない。

 参道脇の苔むした地面に「百済寺の美を絶賛した人々」と書かれた盤が置かれていた。「鎌倉:藤原定家 安土・桃山:ルイス・フロイス 江戸:春日局 昭和:白洲正子、小林秀雄 平成:五木寛之など」の名前が。

 百済寺の境内は積雪もけっこう多く、例年50cmほどの積雪を記録する。信長の焼き討ちにあうまで、この寺では「百済樽」と名前のつけられた酒がつくられてもいたようだ。2017年にこの酒の復刻版が地元の酒造会社の蔵でつくられたと聞く。

 今年2021年の1月2日、NHKで「正月時代劇ドラマ」として、江戸時代の絵師「伊藤若冲」を描いた『ライジング 若冲—天才かくの覚醒せり』が放映された。このドラマの一場面では、ここ百済寺の仁王門とその周辺が撮影場所となっていた。

 2年ほど前に全国公開された映画『関ヶ原』では、本坊の回廊式庭園と縁側などが撮影場所になっている。また、映画『駆け込み女 駆け出し男』やドラマ『剣客商売』・『功名が辻』などの撮影場所ともなっている。

 国史跡の寺院でもある。四月上旬、三つ葉ツツジも咲き始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 


湖東三山の一つ百済寺❶—1000坊もの大伽藍は信長に全山焼き討ちにされた—お食い初めのこと

2021-04-15 13:41:12 | 滞在記

 滋賀県の琵琶湖の湖東地方、三重県との県境には鈴鹿山脈の山々がそびえる。この鈴鹿山脈の山麓に湖東三山とよばれる三つの古刹(寺院)[北より「西明寺」「金剛輪寺」「百済寺」]や永源寺の古刹がある。日本の紅葉100選に選ばれている古刹群で、秋には湖北地方の鶏足寺などもふくめて多くの人がここ湖東の古刹群の紅葉を見に訪れる。湖東三山の三つの古刹はわずか7kmの間にある。

 この古刹群の中でも、永源寺、百済(ひゃくさい)寺、鶏足(けいそく)寺の三古刹はとりわけ秀逸だ。この4月4日(日)、この古刹群の近くで孫のお食い初め儀式が予定されていたので、その折りに古刹の一つ百済寺を再び訪れることにした。

 4月4日(日)、娘の長男・寛太のお食い初めが、娘の夫の実家(滋賀県東近江市永源寺町)の山田家で行われた。長女・次女に次いで3人目のお食い初めとなった。このお食い初めの儀式は平安時代から行われているようだ。昔は衛生・医療面でも栄養面でも乏しかったため、無事に育つことが難しく、幼くして亡くなる子が多かった。このため、さまざまな節目に赤ちゃんの成長を祈る儀式がとりおこなわれた。お食い初めもその一つだ。

 生後100日頃の節目には、早い子だと乳歯が生え始めてくる子もいる。この時期に、初めて箸(はし)を使って魚などを食べさせる(口までもっていって食べさせるまねをする)仕儀をする。一汁三菜が基本で、赤飯・鯛(たい)・吸い物・煮物・香の物などを、しきたりによって口に運ぶ仕儀をする。「お食い初め」は、「箸祝い」「箸揃え」とも呼ばれる。

 「歯固めの石」と呼ばれる小石を歯茎に触れて、歯が丈夫に成長することも祈る。このお食い初めは、「この子が一生、食べ物で困りませんように」と祈る儀式でもある。

 お食い初めを終えて、午後1時半頃、山田家を後にして、近くにある百済寺に立ち寄ることにした。この日はあいにくの曇り後雨の予報、ぽつぽつと雨も降り始めた。この時期、百済寺境内には三椏(みつまた)が群生しているとの記事を3月ころに目にしていたので、お食い初め儀式の後、この寺に行こうと思っていた。山田家から車で15分ほどで妻と百済寺に着いた。着いた頃、百済寺は弱い雨に煙(けむ)っていた。

 今から5年ほど前の2016年7月に初めてここ百済寺を訪れた。近くまで来て道が分からなくなり、田んぼ横の狭い車道を歩いていた中学生らしき男の子に、「百済寺(くだらでら)はどこですか?」と聞いてみたら、「ええっ?」という怪訝(けげん)な表情。知らないと言う。そして、この時、寺の名前は「百済寺(くだらてら)」ではなく、「百済寺(ひゃくさいじ)」であることを初めて知ることとなった。

 今回でここ百済寺に来るのは3回目となる。初めて来て寺院入り口の門(赤門)に立って参道とその周辺を見た時、「この古刹寺院は城郭寺院だ」と直感した。ゆるやかに曲がりながらも、山頂に向かってほぼ一直線に登っていく苔むした石垣に囲まれた石段の参道。参道沿いの坊の跡地は山城の郭(曲輪)状に段々畑や棚田のように配置されている。赤門の周辺には、長大な空堀や土塁跡が現存していた。石垣に囲まれた参道は、織田信長が築かせた安土城の大手道に似通っているとも思えた。

 1回目と2回目に来た時は、寺院の入り口にあたる赤門と参道、その周辺など、百済寺の一部しか見ていなかった。それだけでも、「すごい寺院だ」と感じたのだが、今回は、本坊や本堂などの寺院の中核や300あまりの坊の跡地なども見て廻ることにした。今年の1月2日、NHKの正月時代劇ドラマ「ライジング若冲」でも、ここ百済寺の本堂近くの仁王門が舞台の一つとなっていたようにも思えたからだ。百済寺全域を見て廻るために、本坊の受付で拝観料を払うことに。(※「坊」➡「寺院の僧侶が住まう住居・建物」や「寺院の信者たちが宿泊する建物」のこと)

 本坊前に着くと三椏(みつまた)の群生が目に入った。桜の花と雪柳と三椏の群生。これがこの季節の百済寺の花々。

 本坊の建物前に百済寺の由来が記されていた。境内の三百坊の跡地の配置図。戦国時代に来日した宣教師のルイス・フロイスの「地上の楽園、一千坊」の説明。百済寺の大伽藍'境内)には300の坊があり、その周囲にはさらに700の坊、合計約1000(千)ものの坊があったとフロイスは記している。ここが「この世の楽園のさま」とも。「境内には石楠花(しゃくなげ)も開花していた。

 秋の紅葉時の参道の写真。さぞかし見事な風情の光景が出現するのかと思う。「最後の山城—百済寺城」の説明。岡田准一主演の映画「関ヶ原」がここで行われた時の写真などが掲示されていた。本坊の庭園に向かう途中、周囲の森の高い木々に数匹の野猿(やえん)たちがいて、木々を飛び移っている。子猿の可愛らしい姿も。

 本坊の建物に入る。巨石が庭にいくつも置かれている。池に沿っての周り回廊式の庭園は、小雨に煙り始めた。山や森を背景にした、なかなか見事な庭園と縁側だ。

 本坊の回廊式庭園を山の方に少し登る。みごとな山櫻の大木があり満開となってた。見晴らしの良いところに「戦国時代ロマンの大舞台」と書かれた絵図(看板イラスト)風景が書かれていた。天気が良いと、観音寺城や安土城、琵琶湖、比叡山や比良山系が見渡せるようだ。ここから見る夕日も、とても美しいと記されている。この日は雨に煙り遠くは何も見えなかったが‥。

 近くに、織田信長の祐筆(秘書官)だった太田牛一著の『信長公記』と、宣教師ルイス・フロイト著の『日本史』に記された百済寺に関する記述の一節が説明看板となって設置されていた。それによると‥‥。

 『信長公記』―百済寺伽藍放火のこと―

 四月七日 信長公、御帰陣。其の日は守山に御陣取り、是れより直ちに百済寺へ御出で、二、三日御逗留あって、鯰江の城に佐々木右衛門督楯(義治)籠るを、攻め衆人数、佐久間右衛門尉、蒲生右兵衛大輔、丹羽五郎左衛門尉、柴田修理亮に仰せつけられ、四方より取り詰め、付け城させられ候。

 近年、鯰江の城、百済寺より持ち続け、一揆と同意なるの由、聞こしめし及ばる。四月十一日、百済寺堂塔・伽藍・坊舎・仏閣悉く灰燼となる。哀れなる様、目も当てられず。其の日は岐阜に至りて御馬を納められ候ひき。

 『日本史』

 信長は近江の国では、さらにそれ(書写山)以上の寺院を絶滅するように命じた。

 それらは篤く敬われており、九百年このかた、あらゆる戦乱を免れて今に至ったものであったから、そこは相当な富が蔵されていた。それは百済寺と呼ばれた。