彦四郎の中国生活

中国滞在記

中国の温泉に行ってきた。

2014-04-27 05:37:36 | 滞在記
この1週間は、中国のインターネットを通じて「日本のテレビ番組」を視ることができない。何か政治的に日中関係に緊張関係関係が生じたり、中国国内にテロなどの問題が起こったり、重要な政治日程の期間には、このような状況になる。今朝もすべてブロックされていて視ることがまったくできない。まったく視れないことは、中国に来て以来、この1週間が初めてだ。何が起きているいるのだろう。
 昨年度は、テレビをつければ「対日批判」のニュースが放映され続けていた。しかし、今年に入り中国のテレビでは、「対日批判」が激減し、それが今日まで続いてきた。アメリカのオバマ大統領の来日が関係しているのだろうか。
 福州市は、ここ3日間、雷を伴った激しい雨が続いた。ずぶ濡れになった衣服の洗濯物がまったく乾かない。一昨日の金曜日、午前中の授業が終わった後、市内の繁華街にあるカラオケに初めて行った。学生は3人。4時間あまりいた。日本の歌も結構あった。昨日の土曜日、午前中は大学からの急な連絡を受けての提出文書の作成。午後は中国の「映画(チャン・ツァイ主演)」をインターネットを通じて視たりして過ごした。外は激しい雷雨。ようやく夕方に雨が上がったので大学の研究室に行き仕事。午後11時頃アパートに帰った。

 先週の土曜日から日曜日にかけて、中国の温泉というものに初めて行った。2か月前から、「先生、今度 何人かで温泉に行きませんか?」と打診があった。この学生は、卒業後「日中の旅行関係」の仕事を希望している。温泉にもけっこう詳しいらしい。中国の温泉と聞くと、「水着を着て、○○ランドの大きなプールに入る。」というイメージがあるので、あまり気乗りがしなかったので、返事をついつい延ばし延ばしにしていた。
 先日、莆田大学の横川さんが「山と温泉大好き」ということがわかったので、彼を「温泉行」にさそったら二つ返事。さっそく学生に「温泉行き」について返事をようやくすることに。学生によると、4月19日(土)、福州市内からほど近い有名な娯楽リゾート「貴安温泉」は予約がとれなかったらしい。「福州からバスを乗り継ぎし5時間あまりかかる山奥の温泉なら予約ができた。」との連絡が入った。
 19日の午前11時に市内の「福州西バスターミナル」を出発し目指す温泉へ。福州は中国三大温泉郷の一つらしい。たくさんの温泉があるようだ。今回行くところも、有名な温泉らしい。途中、「閩清」という町で、小さなマイクロバスに乗り換えた。

 小さな路線マイクロバスが、「黄楮林(ホアン・チュウ・リン)温泉」を目指して出発。途中で小さな村を通り、村人が乗り降りする。このバスは一日に2便しかないらしい。有名な温泉地にしては、交通の便が悪い。バスの中の温泉客は、私達だけのようだし。物資の輸送も兼ねているようなバスだった。川に屋根つきの橋がかかっている村もあった。1時間半あまりで温泉地に到着した。
 到着したら、立派な温泉ホテルがあった。「学生たち」の部屋と「私と横川さん」の部屋に分泊。けっこうたくさんの人が、自家用車や貸し切りバスで来ていた。さっそく渓谷沿いの温泉に行ってみると、そこは素晴らしかった。渓谷沿いに、大小20あまりの野趣あふれる露天風呂が続いていた。まさに「秘境の温泉」。

 渓谷沿いに山をのぼっていくと大きな露天風呂も。風呂の中で太極拳をしている人の姿。さらに登って行くと大きな滝と渓流。
 日も暮れてきたので、ホテルの宿舎に戻った。ホテル前の広場では、会社の慰安・団結旅行の団体が、ファイヤーを燃やし、大型花火やダンスをしていた。ホテル前の小さな食堂で夕食を食べビールを飲む。
 翌日は、朝8時と午後4時の2本しかマイクロ路線バスがない。ホテルの人に個人タクシーを依頼して、昼頃に温泉地を出発し帰路につく。途中で長距離バスに乗り換えて、福州市内には夕方5時頃につく。
 「中国にもこんな温泉があるんだ!」と思えた温泉だった。次回は、福州周辺にいる「大学勤務日本人」をたくさん誘って、この温泉に来たいと思った。


宿舎周辺の早朝

2014-04-23 07:18:18 | 滞在記

 4月18日(金)の夜、莆田(putian)大学の横川さんが泊まりに来た。翌日から福州の山間にある温泉に、学生たちと一緒に行く予定のためだ。4月19日(土)の早朝に、さっそく宿舎周辺を案内した。宿舎のある旧キャンパス内に高くて大きな「木棉(きわた)」(中国名:ムーミェン)がある。赤く大きな花が咲く。そして。6月ころになると、実から「綿」ができてくるようだ。早朝の6時すぎから、周辺の河川公園には、毎日行われている光景「音楽体操・舞踏・太極拳・社交ダンス・バトミントン・集団の語らい議論・気功など」が見られる。小さな川には、「しじみ」などの貝を採る小舟が十数隻。

 およそ中国の人々は、健康への関心が非常に高い国民だと実感した8か月間だった。また、早朝や夕方からの上記の諸活動は、中国社会のすごい「エネルギー」を感じるものだ。市販の薬や医者にできるだけ頼らず、「薬草」「食べ物」「運動」を生活の中で日常化することで「健康・長寿」をしている生活社会でもある。
 横川さんと一緒に散歩中、「集団語らい・議論」の輪に近づいて写真を撮っていると、「輪の中に入れ」と言う。「何人だ?韓国人か?日本人か?」と聞かれるので、「リーベンレン(日本人)。」と答えると、「少し話していけ。」という雰囲気になった。

 その後、近くで毎週土曜日・日曜日の早朝6時から開催される「朝市(骨董・日用品・美術品・食物・古本などの露店が500軒ほど)」に行った。9時頃には、歩行ができないくらいの大勢の群集で溢れて来る。

 1年生数人から、16日(水)に「1年の催し物(会)」があるので来てほしいとの話があったので行ってみた。中国語での「スピーチ」や「漫談」、「歌」などだった。



「四季の歌」と桜、そして紫荊花(ズージンファ)の香る並木。

2014-04-22 05:44:37 | 滞在記

 毎日、通勤するバスが市内の中心部を通過する時、工業路という大通りには「紫荊花」(ズージンファ)と呼ばれる花の並木が長く続く。今まさに満開となり、周辺はかすかに甘く・うっとりとさせられる香りに包まれている。バスの中にも香りが漂ってくる。淡いピンク(桜色)や白い花々が咲き誇るさまは、日本の桜並木に似てもいる。「紫荊花」の「荊」は、中国の昔の国であった「楚(そ)」の別名。福州や廈門(アモイ)、香港といった中国南東部の亜熱帯地方の樹木花として親しまれている。

 基本的な日本語の「話す・聞く」ができ始めた1年生のクラスで、日本語の「四季の歌」を2回ほど練習した。
 「四季の歌」
 春を愛する人は 心清き人
 すみれの花のような    ぼくの友だち

 夏を愛する人は 心強き人
 岩をくだく波のような   ぼくの父親

 秋を愛する人は 心深き人
 愛を語るハイネのような  ぼくの恋人

 冬を愛する人は 心広き人
 根雪をとかす大地のような ぼくの母親

 この歌詞の意味は、1年生の今の段階で、ほぼ意味が理解できる。そして、歌いやすくきれいなメロディーが、彼らにとって「初めて日本語で歌って覚える曲」として適しているようだ。かなり大きく・美しく歌えるようになってきた。今日は、3回目の練習となる。
 昨日、大学の図書館の前を通ったら、5~6本ある八重桜の花が満開になっているのに気がついた。 

山紫水明(さんしすいめい)・青雲山(チンユイシャン)

2014-04-18 04:03:39 | 滞在記

 一昨日から、日中の気温がグングンと上昇し33度。湿気を含んだ暑い空気が福州を覆い始めた。「夏が近いなぁ。」と感じる。
 13日(日)に、学生たちに誘われて「青雲山」に行くことになった。「高い山にひたすら登るのだろう。ちょっと辛いなあ。あまり気乗りしないなぁ。」と思いながらも、
結局同行することになった。しかし、行ってみたらそこは「山紫水明」の渓谷だった。中国に来て以来、初めて綺麗な渓谷を見た。
 13日の早朝6時半にアパートを出て、市内バスを乗り継ぎ、大学北門へ。大学北門から歩くこと20分で、集合場所の大学南門に到着。集合時刻の8時にちょうど間に合った。
「青雲山」ツァーの大型バスに他の学生たちとともに乗り込んだ。毎週土曜日・日曜日にこのツァーが企画されていることを初めて知った。私たちは、当初5人で行く予定だったが、バスチケットが4人分しか取れなかったため4人で行くことになった。

 バスの中では、他の学生たちがカラオケを始めた。そのカラオケの様子は、ちょっと変わっている。バスの前の方にあるテレビに映っている「歌」の音量を聞こえないにして、歌詞の文字だけが映るようにしている。その歌詞を見ながら歌を歌うというアカペラカラオケ。1時間半ほどで「青雲山」の麓に着いた。そこは、きれいな渓谷の入り口だった。

 このツアーは、山に登るというよりも、起伏のある渓谷を巡り歩くという感じだった。渓谷の入り口から最高高所地点まで約1時間半。深い谷に刻まれた美しい渓谷が続いていた。「恐竜時代の植物」だという亜熱帯性の植物もたくさん見られた。また、渓谷に咲く花々も可憐だった。渓谷の最奥には大きな洞窟があった。中国共産党の軍隊が、国民党軍との戦いのため軍事基地にした場所だという。現在では、渓谷の遊歩道が整備されていて、この洞窟までは楽に来れるが、当時は道もない中、どのようにしてここまで来たのか不思議だった。大河「閩江」に流れ行く支流の始まりである「源流」地点も見られた。

 バスの出発時刻は、午後3時。かなり時間があったので、学生と「ポーカーやババ抜き」などのトランプをした。渓谷で泳いでいる若い人たちやバーベキューをしている人たちも見られた。4時半に大学南門に帰った。これからますます暑くなる季節なので、今度行く時は、バーベキューをしたり、泳いだりしたいと思った。




 

清明節②「莆田(putian)大学の日本人教員」に会いに行った。けが人も出そうなバス乗車を経験。

2014-04-14 07:00:52 | 滞在記
 
 清明節連休の最終日(4月7日)の午後に、福州市の隣町である莆田(プーティエン/ふでん)市に行った。11月に参加した「福建省外国人大学教員研修会」の時に意気投合した横川さんを訪ねた。彼は莆田大学に勤めて6年目の41才。この6年間で、外国語学部の日本語学科主任(中国人)から勧められる「中国人女性とのお見合い」を毎年経験させられているようだ。
 前日に中国新幹線の切符を買いに行った。自分で購入するのは初めての経験だった。中国新幹線では、切符の購入時や乗車の際に「パスポート」の提示を求められる。中国人の場合は「身分証明書」が必要。また、乗車時には「赤外線荷物検査」が実施される。巨大な新幹線用の駅である福州南駅に到着。一人で新幹線に乗車するのも初めてなので不安だったが、なんとか乗り込めた。40分ほどで「莆田」に到着した。(料金は25元。日本円で約1300円) 横川さんが出迎えてくれた。

 駅からバスに乗って市内に向かう。700年頃に創建されたらしい「廣化寺」という古刹を案内してもらった。とても広大で自然な敷地に歴史を感じる建物群が見られた。敷地内を歩く「坊さん」の姿勢がとてもよかった。寺の食堂を見ることもできた。

 見学後、「莆田大学」に向かった。学生数約1万5千人の総合大学である。大学の敷地は広大だった(北・中・南の各キャンパスが細長く連なる)。木々も大きく、市民が自由に出入りし散歩したりスポーツをしていた。とても起伏に富んだ坂の多い大学で、植物園の中に大学があるような感じだった。彼に案内されて、「外国語学部日本語学科」の教室棟に行った。清明節の休日にもかかわらず、教室で熱心に勉強する学生たちの姿があった。彼の宿舎に入ると、3LDKの広い宿舎だった。
 夕方より旧市街に出て食事をしたり、「古い城楼」(北宋時代の983年創建)の建物を見た。この街の郊外には「南少林寺」という寺があるので、次回に来た際には行ってみたいと思う。駅に行き、8時50分発の新幹線で福州南駅に向かった。

 福州南駅には、9時半に着いた。清明節の最終日ということもあって、駅とその周辺は大勢の群集が満ち溢れていた。まず、改札出口に並ぶ長蛇の列。タクシー乗り場には100人以上の行列ができていた。バス乗り場は、乗車待ちの人々であふれている。「はたして、バスに乗れるのか?」あまりに人が多すぎて、なかなかバスに乗り込めない。バスの入り口目指して殺到する人々。乗り場で何本かのバスに結局乗れず、40分あまりが経過。意を決して「このバスには絶対乗るぞ!」という思いで人をかきわけ乗り込むことができた。けが人や死者が出ても不思議ではない乗車という経験を初めてした。その後バスを乗り継いだり、タクシーに乗ったりして、宿舎に12時前にたどり着けた。翌朝は、早朝からの授業があるので4時起床。