彦四郎の中国生活

中国滞在記

『君の名は。』の原作・監督❷—新海誠:作品『秒速5センチメートル』と『言の葉の庭』は素晴らしい

2016-11-26 06:21:18 | 滞在記

 私が新海誠の作品を初めて観たのは、中国に赴任した翌年の2014年1月だった。閩江大学の学生に「先生、日本のアニメーション映画で とてもいい作品がありますよ。」と教えられて、インターネットで観てみた。『秒速5センチメートル』という作品だった。観終わって、「いい作品だなあ--。こんな作品があったのか---。だれが作ったのだろう---。」と思った。監督名は、新海誠となっていた。この名前は 初めて聞く(観る)名前だった。「才能をもった人なんだろうな---」と感じた。

 『秒速5センチメートル』は、3部構成となっていて①[桜花抄]「場所は東京、小学生時代からの幼なじみの男女があって、女の子が中学校2年の時に 関東の田舎に転校、その後 男の子は おもいきって女の子に会いに行く。②[コスモナウト]「男の子は鹿児島県の種子島の高校に転校し生活する。遠く離れた2人。女の子に よく携帯メールを書いて送信しようとするが、ついに送信しないままに---。③[秒速5センチメートル]「東京の大学に進学した男の子。そして東京で就職して仕事をしている。女の子は どうしているのだろう----。最後に会ってから13年間が過ぎていた。東京の町かどの踏切で偶然にすれ違う二人-----。」

 「秒速5センチメートル」とは、「桜の花びらが散り落ちる時の速度。この速度で13年間歩き続けると、地球の南極から北極までの距離(20498.4km)になるという意味がこめられているようだ。」と、一週間前に 日本のアニメにも詳しい男子学生が携帯電話インターネット記事を示して教えてくれた。彼曰く「新海は才能がある。彼は宮崎駿を越えるかもしれない---」と。

 『言の葉の庭』という作品が素晴らしかった。「雨の日に新宿御苑で初めて出会う男女。男は高校生、女性は20代後半くらい。二人とも雨の日の朝になると-この御苑でよく会うことが続いた---。高校生の夢の一つは、将来 靴職人になることだった------。」

 新海誠は、1973年生まれ(長野県南佐久郡小海町)の43才。大学卒業後の会社員時代は、夜中に帰宅したあと午前3時頃までアニメーション制作を行い、翌朝6時に起床し出社するという生活も送っていたようだ。主な作品に、①『ほしのこえ』(2002年)、②『雲のむこう、約束の場所』(2004年)、③『秒速5センチメートル』(2007年)、④『星を追う子ども』(2011年)、⑤『言の葉の庭』(2013年)がある。

 『星を追う子ども』は、随所に宮崎駿およびスタジオジブリの模倣が施され、新海いわく「今回の作品は、ジブリ作品を連想させる部分が確かにあると思うんですが、それはある程度自覚的にやっているという部分もあります。」とコメントしている。

 私が新海誠の作品を観て思うのは、宮崎駿とジブリの作品が、「東洋と西洋と日本(和)の世界を併せ持った―和洋折衷の世界」としたら、新海の作品は「和の世界」(映像的にも作品的内容的にも)だなあと感じさせられることだ。かって、谷崎潤一郎は「和の世界とは『光の中の影がかもしだす世界』である」と語っていた(※障子に映る光と影など)ことがある。新海の描く作品の映像は、まさに「光と影」の和のコントラストの世界であると思う。新海の描く「東京」のなにげない風景は、東京という巨大都市が それはまたそれで 和にみえるから不思議である。その場所に行ってみたいという情緒性に駆られてしまうから不思議である。

 2016年9月26日配信の「中国インターネット掲示板」の記事より

―日本がまた精神映画を出してきた!大ヒットの『君の名は。』に「さすが日本アニメ」「日本アニメは宮崎駿が引退しても新海誠がいる」―

・「中国での公開はあるのだろうか。」・「この映画なら200億円突破は問題ないだろう」・「予告編を見たけど、これは見るに値する映画だと思った」・「これは、インターネット配信ではなく映画館のスクリーンで見たい」・「でも中国での上映はありえないと思う。ブルーレイが出るのをまつしかない」・「日本のアニメ界は宮崎駿が引退しても新海誠がいる」・「さすが日本アニメだ。あの映画とストーリーには服さざるを得ない」・「新海誠監督は、ストーリーさえしっかり作れば天下無敵というのは誰もが知っているところ」・「日本で見たけど、これはかなりいい作品だよ。秒速5センチメートルの画風でストーリーも完璧」・「中国で製作のアニメ映画は中国国内では市場が小さすぎる。子供の頃見たライオンキングやジブリの作品は芸術品といえるレベル。パソコンで見たのではあの感動は味わえない」・「日本がまた精神映画を出してきた」「宮崎駿が引退して、日本のアニメ界は終わった!中国アニメが日本に逆襲と主張していた奴がいたが、ここまで恥知らずなことを言えることに感服する」などのコメントが掲示板に掲載されていた。

 日本のアニメ界には、ほかに 細田守(1967年生まれ・49才)と鹿野秀明(1960年生まれ・56才)がいる。細田守は、『おおかみこどもの雨と雪』『サマーウォーズ』などの作品がある。鹿野秀明は、『新世紀エヴァンゲリオン』『ふしぎの海のナディア』などがある。2016年には、『ゴジラ』29作目の『シン・ゴジラ』(大ヒット)の脚本と監督を務めた。

 

 

 

 

 

 

 


中国公開の劇場版・日本映画❶―『君の名は。』中国公開12月2日から、異例のスピード上映―

2016-11-25 11:05:28 | 滞在記

 8月26日の劇場公開以来、日本で大ヒット中のアニメ映画『君の名は。』(中国での映画題名:『你的名字』)の中国での劇場公開が12月2日から始まる。11月23日付けで、日本での興行収入は190億円を越え、観客数は1400万人を数えたようだ。日本以外では、台湾で10月21日に公開され、ここでも観客動員数が1位となっている。監督の新海誠は、中国では日本以上に以前からファンが多く、中国で公開されれば 多くの観客動員数が見込まれると思われる。

 [日本映画の歴代興行収入ベスト3] は、 ①『千と千尋の神隠し』(308億円)②『ハウルの動く城』(196億円)③『もののけ姫』(193億円)。『君の名は。』の観客数や興行収入は、『千と千尋の神隠し』に次いで、年内に2位となることは ほぼ まちがいないだろう。

 ちなみに、外国映画も含めると、これまでの歴代興行収入と観客数は ①『千と千尋の神隠し』(308億円・2350万人)、②『タイタニック』(262億円・1683万人)、③『アナと雪の女王』(255億円・2003万人)、④『ハリーポッター/賢者の石』(203億円・1620万人)、⑤『ハウルの動く城』(196億円・1500万人)、⑥『もののけ姫』(193億円・1420万人)  となっている。

 今回、とりわけ関係者を驚かせたことの一つに、中国でのスピード公開の実現がある。中国は外国映画の公開に対しての厳しい審査があることに加えて、年間で上映できる外国映画に本数枠を設けているからだ。(※2000年代初めから2013年までは わずか20本。2014年からは34本。昨年、中国のファンが公開を心待ちにしていた劇場版『進撃の巨人』[三浦春馬主演]は、審査の結果 上映公開許可とならなかった。)

 11月5日から14日まで、日本に一時帰国していたが、中国に戻る前日の11月13日(日)の午後、京都市内の「MV京都」に『君の名は。』を見に行った。若い人が多かったが、年配の方の姿も けっこう見られた。端の席に座っていたのだが、椅子の座りごこちの良さからか、中国での時々の昼寝習慣からか、上映開始30分くらいで眠ってしまったようだった。目覚めたら 映画は終盤にさしかかっていたようで、あらすじ(ストーリー)が さっぱりわからないまま終了した。隣は若い女性が座ってたが、「私は ひょっとしたら眠っていびきをかいていたのではないでしょうか。そうでしたら すみませんでした。」とも、きまりが悪くて聞けず、そくさくと劇場を出た。

 中国に戻った11月14日の夜、インターネットで私宛のeメールを閲覧していたら、中国人のある女子学生から「先生、これを視てください。」と、『君の名を。』を視ることができるサイトを送信してくれていた。翌日と翌々日の夜の二回にわたって全編を視た。あらすじがわかった。だが、主人公2人の男女の入れ替われや時間的な差異などが少々複雑で、ちょっとわかりにくいところがある作品だった。「観終ったあとに、1曲の音楽を聴いたと思えるものを作りたい」とは、監督・新海誠のパンフレットでの言葉。

  映像は とても 心にしみる 包まれるような画像だった。なかなか良い作品ではあると思った。(※学生が送信してくれた『君の名は。』は、英語と中国語の字幕がついていた。もうこんなに早く「海賊版」が出回っているのかと驚かされるが、他の学生の話によると 「『君の名は。』が日本で8月に公開される前に、6月にアメリカで「DVD」(英語字幕版)が先行発売されたようで、そのDVDから さらに中国語字幕をつけた海賊版が出回っているらしい」とのこと。)

 『君の名は』という映画の題名を聞くと、佐田啓二と岸恵子が主演した映画を思い出す。1951年、ラジオで連続放送さけると、日本国中の夕方の「銭湯の女湯」から人がいなくなったと言われているくらい大人気となり、2年後に映画が製作され 多くの人が観た映画。岸恵子演じる真知子の頭から被る「真知子巻き」も流行したようだ。

 佐田啓二は、すでに早くに亡くなったが、彼の息子の中井貴一は顔だちが父によく似ている。岸恵子は1932年生まれの今年84才。二十歳を過ぎたころ、『君の名は』で映画デビューし、鶴田浩二と恋におちいったが、松竹芸能社から二人の恋を引き裂かれ(別れさせられる)、一人フランスに渡って行った女優でもある。その後 かなり年上のフランス人映画監督と結婚し女児を出産した。その娘さんは今年53才。

 昨年(2015年)に「徹子の部屋」に出演していたようだ。80才代にして いまだ美しい人だ。昨年、岸恵子は『わりなき恋』という小説を出版した。今年、それが文庫本になっていたので買って読んでみた。60才代の女性と50才代の男性との恋と性愛について、その後の10年間以上にわたる恋の曲折と愛と そして家族  仕事、人とのつながりと人生を描いた作品。この小説、すばらしかった。なにか、川端康成が晩年の60才代に書いた『山の音』とつながるものを感じた。

◆「彦四郎の中国生活」のブログは、今回で300号になりました。見てくれている人、視読ありがとうございます。

 2013年8月29日に中国に赴任して以来、今日で1400日目くらいになります。長い長い3年と3カ月間に感じます。中国で生活することの苦労の多さに 心が折れそうになることも よくありますが、大学での授業など 生きがいを感じながらもなんとか日々を過ごしています。

◆前々回のブログ「一つの結婚式❷」において、最後のあたりの文章「----、当初 新郎の両親が希望--」とありましたが、「----、当初 新婦の両親が希望---」が正しい文でした。

 

 

 


「山、装いを始める」京都―中国人観光客も日本の着物を装う京の街―

2016-11-17 06:00:50 | 滞在記

 日本の季節を表す言葉に、「春、山笑う」「夏、山滴る・山茂る」「秋、山装う・山飾る」「冬、山眠る」という言葉がある。私が日本に一週間ほど帰国していた11月6日から13日までの京都周辺の山々は、「秋、山装い(やま よそおい)を始める」季節であった。自宅のある「石清水八幡宮」の山も「山の装い」が始まっていた。11月下旬には、見事に「山飾る」となるだろう。

 京都市内の高島屋百貨店に行くと、正面玄関を入ったところに大きな生け花があった。見事な松と季節の花々のコントラスト。この生け花の横に、来年公開の映画『花戦さ』のポスターが掲示されていた。主演は野村萬斎。そして、市川猿之助・中井貴一・佐々木蔵之介・佐藤浩市などの共演者。原作本は「鬼塚忠」。戦国時代末期から安土桃山時代、「花の名手・池坊専好と茶の名人・千利休、そして豊臣秀吉。秀吉の専横で、利休をはじめとして 罪なき人たちが次々と非業の死を遂げさせられる。怒りに震える専好は秀吉への仇討ちを決意する。それも刃ではなく花を用いた方法で----。」華道家元・池坊に伝わる史実をもとに描かれた物語。 

 鴨川に架かる三条大橋から木屋町通りの高瀬川に沿って歩く。紅葉が始まっていた。

 八坂神社から円山公園を歩く。たくさんの外国人観光客。とびかう中国語や英語。中国からの観光客は、2年ほど前までは、2月の「春節(旧正月)」や10月の「国慶節」の時期が中心だったが、ここ1〜2年、特に最近は「季節や時期を問わず」に訪れる人が多くなってきた。そして、日本の着物を着て京都の市内を歩く人も年々増えてきた。着物を子どもにも着せていた中国人観光客がいたので、少し話した後 写真を撮らせてもらった。

 今年度の閩江大学では、「卒業論文」指導の授業担当を依頼され、8人の学生を担当している。学生たちから「日本で買ってきてほしい」と頼まれた本を数日間かけて書店で何冊か購入する。また、立命館大学大学院に留学している李君から「先生、すみませんが これらの化粧品や薬を 中国にいる母にプレゼントしたいので 中国に持ち帰ってくれませんか。大学の後輩の3回生の王輝君に渡してくれれば、彼が 私の母に送ります。」との依頼された。

 ほかに、閩江大学の学生からの突然の商品写真付きの「これらを日本で買ってきてほしいのですが、よろしくお願いします。ほかに、友達からも頼まれたので 次の商品もお願いできますでしょうか」とのメールが日本に届く。このような化粧品関係の大量依頼は少々気分の悪いもので困るのだが、しかたなく 数軒のドラッグストアーで商品を探し 購入する。最近は、帰国のたびに このような依頼が増えて運び屋的になり、肝心な自分の荷物の運搬にも支障がでてきている。

 11月14日(月)、早朝5時45分に自宅を出て 関西国際空港行の「空港リムジンバス乗り場」に向かう。午前7時20分頃に空港到着。午前9時40分発の中国東方航空「上海浦東空港」に搭乗。

 2時間あまりで「上海」に到着。空港で次の「福州行」の便を5時間あまり待つ。巨大な空港で、タバコを吸いながら 本も読みながら 待つことのできる場所を見つけた。空港の建物外の場所だが、長い待ち時間をそこで過ごした。中国時間の午後4時10分発の福州行の便は、30分遅れで飛んだ。1時間半ほどで福州に到着。アパートに午後8時半に到着。日本の自宅を出発して15時間かかったので、かなり疲れる。

 翌朝、3時に起床し 授業準備を確認して 早朝から大学の授業に出かけた。

 

 

 

 

 

 


一つの結婚式❷於:料亭「菊乃井」―素晴らしい料亭で「手作り感と素朴さ」溢れた結婚披露宴となる

2016-11-12 10:44:02 | 滞在記

 新郎新婦の入場と、芸妓さんの日本舞踊のオープニングで始まった結婚披露宴。この披露宴の司会は、なんと 新婦の弟だった。親族が司会をする結婚披露宴というものを初めて経験した。もともと、新婦の友人(※結婚式場に勤め、結婚式や披露宴での司会の経験がある)が司会をする予定だったらしいが、急に参加することが難しくなったようだ。このため、急きょ弟が司会をすることになったという。

 この新郎の弟・博史君の司会というものは なかなか素朴ながら 趣きがあり 上手でもあった。芸妓さんの日舞の後、新婦・悦子の父・髙室美博の挨拶。この挨拶、なかなか 面白く 趣きがある 義兄らしい挨拶だった。司会の博史君が、自分の父を初めに紹介する際、名前を間違えて言ってしまったので、会場の人の爆笑を誘い 座がなごやかな雰囲気になるきっかけともなっていった。挨拶の最後に、「瀬戸の花嫁」という歌を伴奏なしで歌った。なんでも、義兄の説明によると、前日に「カラオケができる機器」を この料亭に依頼連絡したところ、「料亭の雰囲気に 少々そぐいませんので、宴席でのカラオケのご使用はご遠慮させてもらっています。まことに申し訳ございません」とのことだったらしい。まあ、これも素朴な雰囲気の歌唱でなかなかよかった。

 新婦の友人の「乾杯の音頭」のあと、宴席が始まった。「女将」の村田京子さんが 客一人一人に挨拶とお酌に廻って来た。芸妓さんも お酌に廻ってくれていた。料亭の仲居さんたちの立ち振る舞いや接待の所作の美しさにも感じ入る。

 この料亭の「日本懐石料理」で出される一品一品の見事さにも驚きを感じた。「日本の品性と料理の味」が次々と目の前に現れて来た。見た目の季節感を感じる美しさや情緒や趣き。紅葉した柿の葉や銀杏の葉、黒い漆塗りの料理盆、小さな盆に置かれた生け花。小さな笊(ざる)の形をした小さなものは昆布で作られたもので、松葉も 菓子と昆布で作られていた。

 新郎・新婦の友人たちや職場の上司・同僚の挨拶が続いたあと、席を立ち、新郎新婦の友人や新郎新婦の席に行き乾杯をする。

 なごやかで素朴な雰囲気の中で宴が進み、花婿・花嫁のケーキ入刀やスライド写真を使っての二人のプロフィール紹介。デザートの柿が絶品だった。今まで経験したことのない食感だった。

 新郎・新婦から新婦の両親への「感謝の言葉」が伝えられ、「花束」が渡された。両親ともに 可愛い娘の新たな旅立ちに感無量だろうと思った。特に、父は 経験した者でしかわからない 娘が手元から離れていくという 相当の寂しさというものも感じながらこの瞬間を迎えていることだろうと思われた。

 京都府の農林課・営林局に永らく勤め、定年前の数年間は京都府立大学にも勤務していた義兄(新婦の父)は、在野の歴史研究家でもある。地元・京北町山国の「幕末の山国勤王隊」関連の歴史研究家としては、第一人者ではないかと思う。最近亡くなった、評論家・歴史家でもある松本健一氏とも「日本の精神史」を巡って 長い親交をもってきていた。もし、大学の歴史学の教員になっていたら、それなりの研究実績が 今よりさらに幅広くできているかとも思われる。新婦の母は、永らく小学校に勤務し ここ数年 大学の芸術学部の陶芸科で学びながら いい作品を作っている。日本の伝統芸術や日本の精神文化というものに深い関心を寄せながら生きてきた新婦の両親でもある。

 新郎・新婦が昨年の8月に初めて出会って、交際し、この結婚に至ったわけだが、初めて両親に「結婚」のことを相談してから、両親がこの結婚を許すまでの間、娘の父親・母親として この国際的な結婚に いろいろな思いがあっただろうと思われる。私も、新郎・新婦が幸せな結婚生活となることを祈ってやまない。

 新婦が大好きだったおじいさん(義兄や私の妻の父の茂雄さん)は、亡くなっていて この結婚式にはいない。義兄の新婦の父・美博さんは、この結婚式披露宴で、新婦のおじいさんの好きだった「軍歌」をぜひ歌いたいという思いがあったようで、「この席にはいない、新婦悦子の大好きだったおじいちゃんがよく歌った歌を歌います。」ということで、披露宴の最後に 私も一緒に歌うことになった。私は「割りばし」でバイオリンを演奏しながら、義兄とともに「ここはお国を何百里、離れて遠き満州の 赤い夕陽に照らされて 友は野末の石の下」など2曲 新婦のおじいちゃんがよく歌っていの軍歌を歌った。

 披露宴の開始から3時間あまりが経過し6時過ぎ、宴はお開きとなった。外は暮れていた。

 帰る道すがら、昼に神前結婚式が挙行されていた八坂神社の舞台を見る。芸妓や舞妓の名前、お茶屋の店名が書かれた提灯が明るく架けられていた。祇園の石畳の道を歩き、小腹がすいていたので、「眠眠・祇園店」に入る。ここは、私の学生時代から営業している店だった。当時、この祇園界隈で深夜営業で朝5時まで開いていた中華料理の店が2軒だけあった。私が1年間アルバイトをしていた、八坂神社近くの「祇園飯店」(※今はもうない)と この「眠眠」。今、この店で 中国からの留学生がアルバイトとして働いていた。

 眠眠から数軒隣の「一銭洋食」の店の前を通ったら、ソースの独特の匂いがたまらなくなり、ここでも食べることにした。

 今日の結婚式と披露宴は、心に残るものとなった。古式ゆたかな、歴史ある神社での神前結婚式、日本を代表する料亭での素晴らしい料理と雰囲気の中での、素朴で温かな 手作り感のある披露宴。この結婚式会場や披露宴会場は、当初 新郎の両親が希望したのだと思っていたが、話を聞くと 新婦が特に希望したようだった。英語がけっこう堪能で外国文化や生活や外国人に関心が高いと思われる新婦・悦子ではあるが、やはり 日本文化や日本の心に深い関心を持ちながら生きて来た両親の影響も知らず知らずのうちに受け継いでいたのではないかとも思った。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


一つの結婚式❶—於:「八坂神社」での神前結婚式に臨む―ブラジル日系3世の花婿と日本人の花嫁

2016-11-12 07:14:47 | 滞在記

 11月7日(月)、姪(妻の兄の娘)の結婚式と披露宴が、京都の八坂神社と料亭「菊の井」でとりおこなわれた。この日は、前日までの寒々しい雨模様から一転して、秋晴れの暖かい日となった。12時半頃に、八坂神社に行った。神前結婚式は午後1時に開始された。新婦(花嫁)は「白無垢」、新郎(花婿)は「羽織袴」という衣装だった。

 社務所から八坂神社の正殿と南門の間にある「八坂神社の舞台」に花嫁・花婿の行列が向かう。大勢の国内外からの観光客が神前結婚式の様子を取り囲み、見守り、写真を撮影していた。私たち式の参列者は 神殿舞台での式の最中は「撮影は禁止」を告げられていた。20分間あまり、神官や巫女、和楽器演奏者(神官)のもと、三々九度の杯などを交わし つつがなく式が終了した。式終了後、舞台を下りて 再び社務所に花嫁・花婿行列として戻って行った。

  新郎の「仲アレシャンドレ」君(通称・アレックス)は、ブラジル・サンパウロ州出身の日系3世である。父方の祖父母が 日本からブラジルに移住した日本人。父は日系2世、母はブラジル人女性。姉・兄・弟がある。日本に来日して5年目になり、「ひらがな・カタカナ」は読めるが、漢字はなかなか難しいらしい。日本語の会話は けっこう話せるようになってきたという。来日後、静岡県・大阪府・福井県・三重県などで働き現在に至っている。年齢はだいたい27才くらいだろうか。気のいいラテン系青年の印象を受けた。新婦とは大阪で知り合ったとのこと。

 この結婚式には、日本から地球の裏側にあるブラジルからは遠方すぎるということもあり、アレシャンドレ君の親族は参加できなかったようだが、共に来日した日系の親友と来日後に出会った日系の親友の二人が式に参列していた。後日か1〜2年後かわからないが、新郎新婦がブラジルを訪問する際に、ブラジル現地で、新郎の家族や親戚縁者や友人が集まった宴が行われることになるのかもしれない。

 午後3時から始まる「結婚披露宴」の会場は、八坂神社境内から円山公園を通り、円山音楽堂にほど近い、京都東山山麓の奥まったところにある料亭「菊の井」本店。八坂神社からは歩いて7〜8分ほどのところである。この料亭は 京都で いや日本で 今 最も有名な料亭かもしれない。ミシュランガイド3つ星、なかなか予約が取れない料亭のようだ。

 新郎・新婦が披露宴会場に入場。京都の花街の一つ「宮川町」の芸妓さんによる日本舞踊から宴が始まった。なかなか見事な三味線と舞。

 披露宴開始前に中2階にある喫煙室に行く。小さな小部屋だが、窓と外の景色との調和が見事。「菊の井」を紹介した本があったので、ぱらぱらめくり読む。この料亭の主は、村田吉弘氏。「日本料理を世界に発信する」中心的な役割をこの10年間あまりしてきた人だ。テレビ番組などでもよく見ることも多い。

 ※京都の嵐山にある「嵐山吉兆」も素晴らしい。以前に職場の忘年会の幹事をしていた時、同僚の人に強く強く勧められて予約したことがあった。ここも「ミシュランガイド3つ星」。❶「料理」❷「料亭の建物・部屋などのしつらえ」❸「料亭とその周りの自然環境」❹「料亭の人びとの対応・所作」を総合的に思うに、この「菊の井」と「嵐山吉兆」は、日本の懐石料理の料亭としては双璧ではないかとも思われる。ちなみに、この「菊乃井」のお食事の値段は手ごろなものもある。例えば、昼食は、4000円~、夜の食事は9000円~となっている。しかし、予約をとるのに、平日であっても3カ月先からという具合で 予約がとても難しい店のようだ。しかし、2〜3カ月先であっても、予約して来てみる価値は十二分にある料亭かと思える。

 宴席、一人一人の席に置かれていた「二人のプロフィール小冊子」「披露宴参加者一人一人の個人あて・新郎新婦からの小さな個人メッセージ」「式参加者パンフレット」「ハート形せんべい」が とても 心のこもった手作り感が感じられた。このあと、この披露宴はどのように展開していくのだろうか。

 ―次号に続く―