彦四郎の中国生活

中国滞在記

「中米貿易戦争」がエスカレートするなか、5月中旬から中国北京で「アジア文明対話大会」が行われた❶

2019-05-30 18:54:38 | 滞在記

 昨年の12月ころから表面化し始めた「米中二大大国」間の貿易を巡る「貿易摩擦」問題。今後少なくても2025年までの6年間、世界の覇権を競う「米中激突」は対立暖和や激化の紆余曲折を経ながらもおさまることはないだろう。今年の5月に入り、米国は中国製品の関税引き上げ第4弾実施を発表、中国側もその報復として米国製品の関税引き上げを発表している。

 中国のホテルを利用する米国人には25%の料金を上乗せするという処置も始まっている。(米国は5月10日から2000億ドル[約22兆円]相当の中国製品に対する関税を引き上げた。またさらに、ノートパソコン・スマートフォン・衣類などに最大25%の3000億ドル[約33兆円]分の関税も引き上げると表明。一方の中国は6月1日より、米国からの砂糖・アルコール類・電化製品・衣類などの輸入品600億ドル[約6兆5000億円)分相当に対して報復関税を引き上げると表明した。)

 5月9日~10日に「米中貿易協議」のため訪米した中国の「対米経済政策」の責任者でもある「劉鶴」氏。訪米して話し合いを持ったが、最終的に交渉が決裂した。その後中国の報道は、「貿易摩擦」といういままでの表現から「貿易戦争」という表現に変わった。5月14日には、習近平主席や耿爽(中国外交部報道局副報道官)は、「米国との貿易戦争に最後まで付き合う」と表明。現在世界の産出量の80%を占めている中国産レアアースの対米輸出規制も検討されている。(米国は、中国製品の関税対象からレアアースは除外している。)

 日本のテレビ報道番組でも、この「中米貿易戦争」に関する報道がされていた。とりわけ中国外交部の副報道官からは、「米中の共同認識に対して、勝手にハードルを引き上げたのは米国側だ」「中国は貿易戦争を望んではいない。しかし、戦うことを怖れてはいない」「貿易戦争を激しく挑発して"貿易戦争"にしたのはアメリカ側だ」「完全な正当防衛だ」と、激しく応酬している。

 中国共産党機関紙では、「これが中国の態度だ」として、「交渉するなら応じる、戦うなら付き合う、いじめるなら とんでもないことを考える」と報じ、対米強硬姿勢を鮮明にしている。日本のテレビ報道では、「米国が"白旗"の分野も!?中国の新世界秩序とは、関税に強気!中国的"米なき世界とは"」とのテレップも流れていた。また、米中日の3首脳の漫画が描かれ、中国は「談談打打 打打談談」・米国は「打打打打 打打打打」の姿勢の文字。6月28日・29日に日本の大阪で開催予定の「G20」でまであと1か月あまりとなった。

 1か月ほど前には自民党の二階幹事長が訪中し習近平主席との会談を行っている。中国側は「一帯一路」への日本政府の参加を熱望している事情がある。とりわけ一帯一路への日本政府からの巨額資金が口から手が出るほど欲しいと言うのが実情だ。二階幹事長は、「アメリカの顔色ばかりうかがって、日中関係を考えるということではありません」と習近平主席との会談後に語っていたが、このコメントなどは中国側への配慮が強く滲んでいる。

 5月下旬にアメリカのトランプ大統領が日本を訪問し、「日米の蜜月ぶり、関係強化」を世界に印象付けた。新天皇皇后との会談や大相撲観戦やゴルフなど、「友達外交」が展開された。これに対する中国側のインターネット記事や中国共産党系の機関紙、また、テレビの報道番組を見る限り、「日本を批判する」ような記事や報道は あまりされていない。安倍首相と二階幹事長の二枚看板による「日中米」関係へのバランス外交が今は有効性を持っているのだろう。

 日本への「対日批判」はあれだけ激しかった2012年~2014年を経て2015年より和らげ始め、2018年より友好的な論調さえも出し始めたた中国政府。一方、この5月中旬から これまでの対米姿勢を改め、「全面的な反米キャンペーン」を展開し始めている。米国と中国が敵対した朝鮮戦争(1950年~53年)を描く映画をテレビで連日放送し始めた。(中国国営中央テレビの映画専門チャンネルは、5月16日から、番組の編成を変更。中国人民が外部の侵略や干渉に反対し、国を守った快挙としての朝鮮戦争という位置づけ。)

 この映画の主題歌の曲に「反米歌詞」を新たに加えた『貿易戦争』という歌がカラオケや中国の携帯電話サイト「微信」などを通じて配信されフォロワーが急激に広がっているようだ。歌詞は、「加害者があえて戦おうとするなら、私たちは彼が気を失うまで殴るだろう」など。

 「米国が中国に今後敗北"白旗"する可能性が大きい分野」とは、IT関係の分野だ。今後6年間で、世界政治・経済の中心となってきている情報産業分野は「4G」の世界から「5G」に変化するとみられている。中国は2015年より国家の総力をあげて民間企業(アリババ・ファウエーなど)と緊密に連携しながら、情報産業分野で世界のトップに立つことをめざす「2025中国製造」計画を行っている。これは、今後「中米」のどちらが世界覇権を握るうえで超重要なことだ。

 『中国製造2025の衝撃』の著作・遠藤誉さんは、中国政治と社会情勢に精通している「中国ウオッチャー」の第一人者だ。日本のテレビ報道番組に出演し、「一帯一路」政策への日本の参加に強い懸念を表明していた。中国は現在、アメリカとの「貿易戦争」において持久戦の構えをとりはじめ、「中国製造2025」において米国に逆転する戦略を描いている。壮大な「一帯一路」政策は、西ヨーロッパのイタリアや東ヨーロッパ諸国との関係強化などもさらに進展させ、世界でのその影響力を着実に強めてきている。

 2025年まであと6年間だが、来年1月(2020年)には台湾総統選挙が行われる。この選挙結果の動向により、米中対立は貿易戦争に留まらず軍事衝突の可能性もありうる。2020年夏は東京でのオリンピック開催が予定されているが、「台湾」を巡る情勢は、オリンピック以上というか比べものにならないくらい、日本にとっては 今後の国の命運を左右する重要な問題かと思う。

 


私の生活には "なくてはならなくなった" 「シェア自転車」だが、最大手だった「ofo」は破産寸前とも

2019-05-28 14:01:13 | 滞在記

  2016年の春ごろから 2年間あまりで、中国国内において「紙に水が浸みこむ」ように あっという間に爆発的に広まった「シェア自転車(レンタル自転車)」。2018年の春には70数社のレンタル自転車会社にまで膨れ上がった。これらの中で、最大手が「モバイル」社、次に続くのが「ofo」社、そして3位が「Bleugogo」社。あまりに業界が膨張しすぎて、「需要と供給のバランス」が完全に破綻し、供給超々超過多となったのが2018年春ごろだった。そして、競争による淘汰が進み、2018年末には あっという間に30社ほどに減少した。

 1年前には、福州市内でも交差点を渡った歩道のところにはずらりと無秩序にこの自転車が置かれていて、歩道に簡単に行けないくらいくらい邪魔にもなっていた。つまり、横断歩道を渡っても歩道にずらっと自転車が置かれているので、すぐ歩道に行けない。そこに信号無視の電動バイクがビュンビュンと川の流れのように殺到してくるのだからかなり危険な状況であった。2018年には業界3位の「Bleugogo」社は倒産した。そして今、業界2位の「ofo」社も倒産寸前となっているようだ。そして私も、今の「ofo」の会社の営業状況に困っている者の一人だ。

 2018年の6月に私は初めてスマートフォン式の携帯電話を、学生たちに協力してもらい一緒に販売店に行って「WUAWEI」社のものを買った。もうG4のスマホ携帯電話がなければ中国での生活はできないと思ったからだ。店での支払いから何から何までスマホ携帯のアプリでの支払いが必須な国になっていた。

 大学内の食堂や売店もバス(現金も使用できるが、使う人はまれ)も、そしてシェア自転車の利用もスマホアプリが必要となった。広大な大学構内でのシェア自転車の普及によって、学内での移動に利用していた「小白(シャオバイ)」と呼ばれていた小さな車も、利用者が減っていた。満席になるまで発車しないので、20分間くらい車の中で出発を待つのもざらだった。だから学内に溢れている便利な「シェア自転車」を利用して、教室棟から歩けば20分は  ゆうにかかるバス停のある北門や南門までの移動に利用したかったからだ。授業が終わってバス停まで疲れた体を 凄い湿気と暑さの中をとぼとぼ歩くのは もう辛かった。

 G4のスマホ携帯電話を買って、ようやく「シェア自転車」を利用できるようになった。このレンタル自転車は30分間以内の利用であれば1元(16円)と安く、どこに乗り捨ててもよかった。爆発的に中国全土に普及するわけだ。授業が終わって、バス停まで行くのも とても便利になった。スマホのアプリの「支付宝(シーフーバオ)」[アリババ社:中国最大のIT関連会社、馬雲が創立]を開くと、この会社と提携しているシェア自転車会社の数社の画面が出て来る。

 例えば「ofo」を利用しようとする場合、いくつか画面をクリックすると、自転車がどのあたりにあるかが付近の地図に表示される。自転車のバーコードにスマホの読み取りバード画面をかざすと、鍵を解除するための自転車ごとに違った4桁の数字が出て来るので、自転車についている数字のそれを押せば解除される。利用した後は、鍵をかければ自動的に料金の支払いも完了する。

 何社もあるシェア自転車で、最も利用登録がしやすいのが「ofo」だったので、日常的に利用できるように「利用登録料金」を支払って利用を始めた。もう、私の生活になくてはならないシェア自転車となっていった。ところが、利用し始めて半年がたち、冬休みで日本に1か月半ほど帰国した。そして2月22日に再び中国に戻り、大学構内に行ったら、あれほど溢れていた「シェア自転車」が全体的に激減していた。中でも最も多かった「ofo」の自転車は見つけるのが難しいほどになっていた。他社の自転ばかりが置かれているばかりだった。他の会社のシェア自転車の利用登録は私だけでは難しかったので、しばらくは困ったままで、バス停まで また歩かざるを得なかった。

 大学構内の南門近くのバス停付近には、黄色い「ofo」などの自転車が歩道に山のように積まれていた。シェア自転車の墓場とも呼ばれる光景だ。

 2018年の春頃から、中国全土においてこの墓場が大規模に あらゆる都市に出現しはじめてニュースでも報じられていた。シェア自転車会社によって、自転車の色が違うので、上空からの写真では「色とりどりの花畑」のようになっている四川省重慶市の映像もあった。

 無造作に乗り捨てられ、どぶや藪の中などに倒されて放置されている自転車もよく見られる。「これって犯罪やん」と思うが、市内でも大学構内でも、鍵がこわされ、新たに「自己用」のカギが付けられ、私用とされている「シェア自転車」もよく見られれる。どこにでも乗り捨てられるという便利さはすごいアイデアだが、「公共性・社会的マナー」(民度)がまだまだ弱い中国社会では、このような状況は予想もされていたことかとは思う。

 2010年の上海万博の頃から、中国政府は国際社会が提唱する「低炭素社会の実現」に背を押される形で、「公共自転車」普及の取り組みを始めた。北京や上海などの都市の「実験地区」で2012年頃から「実験」が始められた。それは、日本でも今までにあった「決められた場所に自転車を置く」という形式だった。しかし、その後の中国のシェア自転車の形式は、いままでの世界のどこにもないものだった。それは、2013年頃から急速にというか爆発的に普及したスマホでの決済利用者が中国全土に広がったことによるものだった。

 そのスマホ決済のシステムを利用し(連携し)、レンタル自転車の新しい方法を開発し、「ofo」を創設したのが、当時 北京大学の学生だった「戴威」氏と「薛県」氏。二人は時代の寵児となった。現代中国の新発明ともいわれた新システムだった。その後「ofo」は、2017年末には世界200か国に事業展開を宣言し、日本では札幌市や和歌山市でこの事業が試験的に開始し始められた。しかし、その後1年ぐらいで、撤退することとなった。 

 2018年末ころから、これらのシェア自転車業界は全体的に過当競争や利益の面での採算が難しくなり始め、倒産する会社がさらに増えてきた。業界最大手の一つ「ofo」もその一つだった。2018年の11月に「ofoはもう危ない」という風評が流れ始めた。利用者の登録料取り戻しが殺到し始めたことなどが報じられた。インターネットでの2019年4月上旬記事には、「今日有関ofo破産的声明新聞 厳重失実。ofo目前営業一切正常、‥‥」(※今日、ofoが破産するというニュースは真実ではない。我が社は 正常に営業されています。)とのofo社の声明文が掲載されていた。

 現在、創業者の二人は、中国の「債務者ブラックリスト」に掲載されている。中国では「ブラックリスト掲載者」は100人に1人いるとと言われている。これに掲載されると、罰則として、「飛行機や新幹線など」の購入ができなくなる。

 私はこの4月、学生に手伝ってもらって「他の社」の自転車の利用ができるように新たに登録したので、その社のものも使えるようになった。しかし、閩江大学構内で現在、8割近くを占めている会社の自転車は使用できない。外国人の登録がかなり難しいからだ。(可能なことは可能なようなのだが)   1.5割が4月上旬に新しく登録した会社の自転車。0.5割がofoの自転車。つまり、近くに20台があれば、そのうち未登録で利用できない自転車が16台、利用できるものが4台。債務をかかえ倒産もささやかれるofoの自転車は、中国政府から「新たな新車の導入」を1年前から禁じられているので、ようやく見つけても半分は壊れていて利用できないものが多い。だから、再び学生に手伝ってもらい、8割を占めている自転車シェア会社の登録をなんとかする必要に迫られてもいる。

 中国社会、及び中国人は、起業するにしても開業・開店をするにしても とても早く判断して実行するという特徴がある。「まずは、向後の憂いはあまり考えずにやってみよう!」精神が旺盛だ。年間に1000万件が新しく起業し、3年以内にその半数が廃業にいたるといわれる中国社会。大学生の就職も、入社後3年以内に辞めて他の企業・会社に転職する割合は5割を超える。私の暮らすアパート周辺の店でもも3年以内に半数以上が廃業し、新しい店ができるということの繰り返しだ。しかし、この精神は、一概に「おそまつ」とは言い難い。ある意味、「活力にあふれている」とも言えるからだ。いずれにしても現代中国社会の変動は社会の隅々までスピードが速い。

 

 

 

 


卒業論文発表会、2日間にわたる卒業パーティー。寂しくなるが、学生たちとの別れの時がきた

2019-05-27 06:33:21 | 滞在記

 2019年5月19日(日)の午前中、実習(インターンシップ)に行っている4回生たちが、全国各地の実習先から大学に戻ってきて「2019年閩江大学外国語学部日本語学科/卒業論文発表会」が行われた。

 午前8時30分に全員が「控室教室」に集合。日本語学科副主任の何准教授から「卒業論文発表会」に関する説明が行われ、午前9時より3つの教室にて論文の発表が始まった。2015年9月に入学した学生たち37名。私は彼らが1回生の時には福建師範大学にて教鞭をとっていたので、2回生からの彼らの授業を担当した。1回生の時に授業を担当していた日本人教員の井上先生(奈良県在住・:現在は日本語学校勤務)も日本からやってきた。そして、彼らを2年間教えたことのある鈴木先生(現在は福建師範大学の留学生として中国語を学んでいる)もやってきた。今年から外国語学部(英語学科と日本語学科)の論文発表は、全て英語か日本語で報告することに変更になった。午前中の発表の中から3人の論文が優秀賞として選出され、午後に3人の発表が再び行われ、最優秀論文が選ばれる。

 この日の夕方から大学の北門近くのレストランで「卒業パーティー」の食事会・宴会が開かれるので、一旦はバスでアパートに戻って休むことにした。南門からの95番バスに乗りしばらくすると、ベビーカーで乗り込んできた赤ちゃん連れの若いお母さんが2組乗り込んできた。京都にいる孫たちや娘を思い出す。

 夕方の6時頃、41番バスに乗り、大学の北門に着く。6時半から始まるとの連絡が入ったので、30分ほど北門近くにある福建職業大学のキャンパスをぶらぶら歩いてみることにした。ここのキャンパスに入るのは1年ぶりくらいだろうか。大きな葉っぱの亜熱帯の植物がジャングルのようになっている場所がここにはある。水芭蕉にちょっと似ている花を咲かせていた。

 北門付近には移動式の軽トラ「露店食」の店が路上にずらりと並んでいて、いつも学生たちで賑わっている。30人ほどが集まった卒業パーティー。日本では卒業式当日の夕方から「卒業パーティ―」が行われるが、中国では卒業式に全員がそろうことは近年すくなくなりつつある。だから、卒業論文発表会の日には全員がそろうので、この日にパーティーを開くことが多くなったようだ。30人あまりがこの日の乾杯に参加していた。彼らとの別れの会でもあるので、一抹の寂しさがあるが、とにかくこの日は、一緒に乾杯!!だ。

 この日の宴には、井上先生も参加した。いろいろと世話にもなった学生たちでもあった。そして、2017年の12月30日に私のアパートで、日本から福建省にやってきた娘夫妻とともに鍋パーティーを一緒にしたのもこの学生たちだった。

 南米の詩人「ルイ・アラゴン」の詩に、「教えるとは学ぶこと 学ぶとは誠実を心に刻むこと」というものがある。この詩のようには教えたり学ぶことはなかなか難しいが、卒業する学生たちとは それなりに 親密に学び合う関係が 相互に少しはできあった学生たちだったと思える卒業生たちだ。午後9時ころに一次会が終わって北門で記念撮影。15人ほどの学生が二次会の「カラオケ」に行くので、寺坂先生も是非にとのことなので行くことになった。

 15ほどの大学のキャンパスがある福州の「大学城地区」の中心的な場所にある商店街はいつも学生が多い。閩江大学からバスに乗って15分ほどにあるこの一角にカラオケ店があった。携帯電話のタクシーアプリでタクシーを呼び寄せ分乗して店に。便利になったものだ。「藍瓶子―Blue Bottle K Bar」という名前の店に入る。中国のカラオケ店の店内で販売されている飲み物や酒類はとてつもなく高いので、男子学生2人がビールを買いに外に行って、しばらくしてリュックサックに背負って戻ってきた。15人ほどがカラオケに来ていた。

 彼等は日本語学科の学生なので、けっこう日本の歌も知っていて歌っていた。やはり日本アニメの主題歌などもよく歌われていた。例えば「ドラえもん」「スラムダング—黒子のバスケ」など。「未来へ(中国語名:后来)」は日本語の歌としてはよく歌われる。中国の歌も次々と歌われていた。私は、「乾杯(長渕剛)」「世界に一つだけの花(スマップ)」「映画タイタニックの主題歌」を歌った。

 11時頃になったので、私は翌日の午後は授業もあるので、学生に頼んで「タクシー配車アプリ」でタクシーを呼んでもらった。タクシー内には「水のペットボトル」が置かれ、自由に飲んでくださいとのことだった。なんと、運転手が制服のようなスーツを着ていたのには驚いた。清潔なきちっとした服のタクシー運転手は珍しい。「なんだか、日本のMKタクシーのような雰囲気のタクシーだなあ」と思った。しばらくして眠りにつき、20分ほどして目覚めたらアパートの近くまで来ていた。中国在住6年で、いままでに一番丁寧な別世界対応のタクシーだった。

 後日、タクシーをアプリで呼んでくれた学生に聞いたら、「タクシー配車アプリでは、"丁寧なサービス対応をするタクシーと普通対応のタクシー"の2種類があります。料金が違います。」とのことだった。「そうだったのか!」と納得できた。ちなみに、このタクシー料金は、アプリで乗車前に学生がすでに支払っていたので(約50元—約800円)、後日に学生に50元を学生に渡した。アプリを使ったタクシーというものを初めて経験したが、便利なものだということを実感した。

 翌日の5月20日(月)も、卒業パーティーが開かれ、この会には中国人教員の先生たちや日本人同僚教員、鈴木先生も来ていた。全体の参加者は30人ほど。午後の2コマの授業が5時半に終わり、研究室にて休憩。会場は大学構内南門にある大学のホテル「福建閩院酒店」。午後6時半から2時間ほどのパーティーとなった。全国各地の故郷などや実習先、就職先に戻る学生たちだが、遠方では「甘粛省の敦煌(とんこう)」付近や「中国東北地方」の黒竜江省から来ている学生もいる。斉さんという女子学生の故郷はシルクロードの敦煌に近い場所。彼女の顔立ちはどことなくシルクロード地域でみられる東洋と西洋の両方の血を受け継ぐ女性だ。

 37人の学生の多くは、中国国内で就職していく。日系企業に就職が決まっている学生も何人かいる。今回卒業する学生のうち、中国の大学の大学院入学(合格)に進路が決まっている学生が3人(四川外国語大学や大連外国語大学など)、日本の立命館大学大学院を受験(この6月―7月)し、合格すれば9月末より入学予定の学生が1人。日本の広島大学の大学院に合格し、9月に入学する予定者が1人。まず7月に日本の日本語学校に入学し、日本の大学の大学院を目指す学生が2人いる。また、今年の12月に中国大学の大学院受験予定者が2人いる。大学院で学ぶ準備をしているのは現在のところ合計9人となっている。中国国内では、大学院進学者が年々増加傾向にある。

 6月中旬には、中国国内の約2800の大学は卒業式シーズンを迎える。約800万人が卒業する予定だ。米中貿易戦争が長期化する中、中国経済には景気減速傾向が深刻化しはじめ、学生たちの就職もより厳しくなってきている。日本への留学者も増加傾向にあるのは、より就職のチャンスを広げるためでもある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


大学構内の林に栗鼠(リス)が数匹じゃれている―最近は、中央アジア諸国からの留学生も増えてきた

2019-05-26 06:57:44 | 滞在記

 5月21日(火)、午後2時から90分間の「日本文化論」の講義を終えて、教室棟3階のトイレで用をたしていたら、目の前の樹木の枝を動き廻っている栗鼠(リス)が数匹。撮影しようと思い階下に降りて、その樹木林に。樹木は5階〜6階の高さまである。

 樹木の高いところから真ん中あたりまで、そして隣の樹木の枝へと飛び移ったりと、いろいろと動き廻っていた。確認できただけでも4匹が じゃれ合っているようにして動き廻っている。楽しそうだ。家族だろうか? 栗鼠の種類は日本のエゾリスとおなじような種類で、色は茶や灰が混じって黒っぽく尾が長い。4月下旬にも、私の研究室のある福万楼近くの道をすばやく走って行った。

 2年前まで勤めていた、福建師範大学の外国語学部のある旧キャンパスの林でもこの種類の栗鼠を何回か見たが、日本の大学では、北海道大学構内にある原生林でエゾリスを見たことがあった。

 2013年に提唱され、2015年ころより その動きが具体的に始まった中国の国家プロジェクト「一帯一路」政策。その政策範囲はアジア・ヨーロッパ、アフリカ、そして東南アジア諸国にまたがる。2014年頃からアフリカからの留学生が閩江大学に入学しはじめた。学生寮に住まいながら「中国語」などを学習する。2016年頃からは、東南アジア、とりわけインドネシアやミャンマーの留学生も多くなり始めた。そして、2019年からは、中央アジアの国々からの留学生たちも見かけるようになってきている。

 休み時間にトイレ近くでいつも集まっている数人の留学生に声をかけてみたら、祖国は、中央アジアの「キルギスタン」や「カザフスタン」や「ウズベキスタン」などの国々だった。これらの国々は、1990年までは「ソビエト連邦」だった国々で、ソ連崩壊後に独立した国々だったので、公用語の一つとしてロシア語が現在も使われている。留学生たちの祖国は違ってもロシア語で会話ができるらしい。

 ちなみに、キルギスタンもカザフスタンも中国の北西部にある国で、三国は国境を接している。昔のシルクロードには、タクラマカン砂漠の北方にある「天山山脈」の北路と南路があったが、「天山北路」に位置する国がキルギスタンとカザフスタン。キルギスは国土の40%が標高3000m以上の国で、高原の名馬の産地として古来より有名な地であった。いつかは行ってみたいと思っている国である。中央アジアには、他に「タジギスタン」「トルクメスタン」「アフガニスタン」などの国々がある。この6か国の国名の「〇〇〇スタン」の「スタン」とはどんな意味があるのだろうか。こんど彼らに聞いてみよう。

 6月中旬の卒業式も間近になり、大学構内の幹線道路沿いに、各学部・学科の「優秀学生」のパネルが5月20日頃から掲示されている。全体で100人くらいの学生にのぼるのだろうかと思う。中国では、中学校や高校などでも「優秀学生」を校門の前とかに掲示することが多くみられる国柄だ。

 5月24日(金)、日本語学科4回生の周珂さんと大学の第一食堂の3階にある教職員専用食堂で一緒に食事をした。彼女はこの7月に日本の日本語学校に行き、日本の大学の大学院を目指すことになっている。以前から日本留学についての詳しい話を聞きたいと言っていたので、この日の昼食となった。研究室に近い水辺には、真っ赤やオレンジ黄色のブーゲンビリアが満開となっていた5月24日。

 石橋のある水辺の「蓮(はす)」の葉が大きくなり、そして赤ピンクの蕾が膨らんできていた。蕾が50個ほど見える。来週あたりには開花が始まりそうだ。6月上旬にはこのあたりは蓮の花で美しくなるだろう。日本の京都などの蓮の開花よりも約1か月半以上早い。中国語では「莲(リエン)」と発音する。

 

 

 

 


大学構内の初夏—6月の卒業に向けて集まる4回生たち—デェイゴの花が咲き、満開となり、そして散る。

2019-05-25 20:02:06 | 滞在記

 4月下旬から花が開花し始め、5月中旬には大学構内の何箇所かにある亜熱帯樹木の「デェイゴ」の花が満開となった。あの沖縄の「島唄」の歌詞の冒頭にある「デェイゴの花が咲き 風を呼び嵐がきた♪」の花である。5月25日頃には花が散り木の下は赤い絨毯(じゅうたん)が敷かれたようになった。4月下旬の開花は初夏の始まり、そして散るころは夏の本格的な始まりを告げる「デェイゴの花」。

 大学構内の水辺では、青い可愛い花を咲かせている水性草、花の枯れているアヤメの葉にはカエルの種類の赤い卵が産みつけられていた。水辺のバナナの実も少し大きくなりかけている。

 初夏と本格的な夏の訪れを告げる「藍花」(盈木)の淡い花が大学構内でも咲いていて、そして散り始めていた。黄色いポピーのような可愛らしい花が、広場に咲いていた。

 5月中旬頃になって、卒業式服を着て大学構内を歩いている4回生の学生たちの姿が目立つようになってきた。4回生の学生たちは、「中国の全ての大学では、4回生の後期には2〜3カ月間の「実習」(企業実習・インターン)が義務付けられている」ので後期期間は大学の授業もない。だから3月と4月の期間は大学に不在の者がほとんどだ。

 そして、5月中旬頃~5月末までの時期には、各学部・学科ごとに「卒業論文発表会」が行われるので全員が大学に1週間ほど戻って来る。全員がそろっているこの時期に「卒業アルバム」の写真を撮るので卒業式の服を着ている学生の姿が目立つようになる。黄色いこの時期の花も満開に。

 初夏から夏の花である石榴(ザクロ)やハイビスカス、グラジオラスのような花も咲いている。

 5月10日頃から「ジャスミン(茉莉花)」が開花し始めた。近くに行くと高貴な香りが匂ってくる。

 閩江大学と提携関係にある広島大学に1年間留学をするための受験も始まった。5月16日(木)の午後、今年度の受験生で最初に面接を受ける学生となった閻君学生がこの日、私の研究室で 30分間ほどの 広島大学の教員との「面接(インターネット)」に臨んだ。