彦四郎の中国生活

中国滞在記

5月10日ごろから始まった「梅雨」の季節

2014-05-28 06:47:07 | 滞在記

 5月に入って「デェイゴ」の真っ赤な花(沖縄の「島唄」デェイゴの花が咲き 風を呼び嵐が来た----)が開花し始めた。デェイゴの木の花が満開になってきた5月の10日頃から、福州は本格的な「梅雨」の季節となった。同じ頃、日本の沖縄も梅雨入りした。毎日雨が降り続く。亜熱帯特有の「スコール」と呼ばれる激しい雨も降る。日本の「梅雨」の降り方よりも長く激しい降り方。洗濯物が数日間乾かないので、ストーブを利用して乾かすことも多い。
 雨が降らなければ、蒸し暑い。気温は30度を超える日が多い。「梅雨の晴れ間」の一昨日は、34度だった。桐の木の花によく似た紫色の花を咲かす樹木が美しい。そして昨日は、「ジャスミン」(茉莉花)の花が開花し始めた。かすかに薫る上品な香り。

 中国の大学では、6月下旬頃が卒業式となる。閩江大学でも5月に入って、「卒業式の制服」を着た学生たちが卒業に向けて、後輩や親しい仲間たちと記念写真を撮る場面をよく見かけるようになった。後期の授業は、6月中旬までで、6月20日からは「期末試験期間」となる。そして、7月5日ぐらいから約2か月間の夏休みが始まる。ここ数日間は、期末試験の作成に追われるようになった。
 宿舎のバス停付近にスイカ売りの車。半分に切ったスイカを買った(10元--150円)。とても甘くて美味しい。中国は果物が豊富で安い。開店祝いの店の前で「南方の民族音楽」を奏でる一団があった。

 5月20日(火)の夕方。福建師範大学の教員たちと会食をした。とても安くて美味しい店だ。5月18日(日)には、福建師範大の藤田さんとともに福州市内の「さくら日本語学校」を訪問。

 5月25日(日)、市内の大型書店へ。書店の背後にある「于山」の丘陵景勝区を散策したら「辛亥革命記念館」があったので入った。入場無料。孫文らを中心とした「辛亥革命」(1911年~)は、翌年「清王朝」を終焉させた。ここは、福建省の革命司令部があった場所。ここから見える「人民広場(五一広場)」の中にある福建省芸術文化センターでは、毎週末に民舞劇が行われている。一度見てみたい。
 6月1日(月)は、「端午節」のため、中国の学校は休日となるようだ。

 



結婚式のため、日本に一時帰国。

2014-05-27 19:34:13 | 滞在記

 5月9日(金)、午前中の授業を終え、大学が手配してくれた車で福州長楽空港へ。福州から上海空港を経由して日本に一時帰国した。京都の自宅に着いたのは、午後11時半頃。翌日の10日(土)、従兄の娘の結婚式に参加するため神戸へ。
 関西国際空港から京都の自宅まで、いろいろな交通機関を利用して帰る道すがら、日本の人々の様子に違和感を感じる。なぜだろう。金曜日の夜の電車の中。背広にネクタイ姿の人も多い。人々もだいたい同じような階層の人。服装も「小奇麗」。そして、わりと静か。一方、中国の公共バスの中は、いろいろな階層の人々が乗り込んでいる。年齢も多種多用。若い人、中年、老人、赤ちゃん、「工人」と呼ばれる作業用ヘルメットをかぶった人など。そして、静かではないバス内の喧噪。

 中国社会に少し長く住んでいて、「日本社会」に違和感を感じる始める自分。2月の一時帰国の時は、日本に対するこのような違和感は感じなかったのだが------。10か月を過ぎると、このように感じ始めるものなのだろうか。
 そんな、違和感も2日間もすればなくなってきた。やはり「日本はいいなぁ。」と思う。新緑の美しい季節の日本。福建省の福州周辺は、中国内でも森林が非常に多い地方なのだが、山の森が「浅い」。緑が「浅い」。一方、日本の山の森は「深い」。緑が「深い」。京都の八坂神社の後方の東山や自宅近くの「石清水八幡宮」の山。なんと山の緑の「深く」「濃く」「豊か」な森なのだろうか。温帯気候で、植物の多様性に満ちた「森と水の豊かな国、日本。」を改めて実感する。

 11日の夕方。家族や息子の親しい人と、祇園の「やげんぼり」という店で会食。その後、先斗町の「みちのく」という店に一人で行き、歌を歌う。この店は学生時代からずっと行っている店。店の主人は変わり、今は「梅若会」という関西では大きな民謡団体の拠点ともなっている店。店の女性主人と、私が勤める閩江大学での「日本事情」の授業で「日本民謡講座」の特別授業の実現に関して相談をした。

 12日(月)の早朝。宇治市の「三室戸寺」へ。「つつじ」や「しゃくなげ」の群生の美しさ。三重の塔。日本庭園。日本の「木の文化」や「自然との一体感の文化」を、中国と比較して強く感じる。中国は「石」の文化である。そして、中国人は「石」が大好きな国民であった。
 13日は、中国の宿舎に送るための「郵送物」の購入と郵送で一日が過ぎた。そして、学生達が書いた「ハガキ」(以前、閩江大学に勤務していて、現在日本に住む元先生たちへのハガキ)を80枚投函した。

 14日(水)、中国へ戻るための旅。上海経由福州。福州空港に午後7時到着。翌日は、早朝から授業。

中国の農山村と棚田へ(五一節)

2014-05-21 08:39:26 | 滞在記

 5月1日(木)は、中国の五一節(労働節)にあたり、全国的に祭日となった。5月2日(金)を休日とする会社や学校も多く、大学も休講。5月4日(日)に、5月2日(金)分の授業を行うという日程となった。このため、1日から3日までの3日間は全国的に休日。
 この3日間、学生の故郷に再び行った。学生とその友人、そして福州の日本人会社経営者(男性)と私の4人で、長距離バスに乗り福建省の三明市へ。

 以前にも泊めてもらった学生の祖父(おじいちゃん)の家へ。私はこのおじいちゃんが大好きで、中国語のほとんどできない私と、言葉はほとんど通じないが、以心伝心の関係にあるのが不思議な気がする。いつも美味しい薬膳料理を作ってくれる。

 今回は、学生の父と兄とともに、三明市尤渓県の農山村地域や山の寺院に行くことになった。尤渓県の農山村地域は「煙草(たばこ)」の栽培が盛んなようで、たくさんの煙草畑が見られた。山村地域には、小規模な水田が作られていて、棚田もみられた。そして、耕作が放棄されている水田も見られる。

 かなり高い山の上に、歴史ある寺院があった。ここにみんなで参拝する。山頂に、枯れない水場がある。何百年も水が枯れることのなかった水溜りのような水場。この場所が神聖な場所として祀られている。日本ならここに神社ができるのだが、中国では寺院なのだ。この寺院の近くに宿泊旅館と食堂を兼ねた家があった。ここで昼食やお酒。この家の4人兄弟の子供たちが可愛らしい。一番上の兄は、17才ぐらいで、一番下の男の子とは歳が離れている。

 翌日は、新幹線で三明市内に行った。学生の中学・高校時代の親友と三明大学に行ったり、学生の家族が以前住んでいた家に行ったり。そして夜に再び尤渓に戻る。5月3日の夕方、連休最後の日となるので、高速道路は渋滞しながらも、長距離バスで福州に戻ってきた。翌日の4日(日)は、授業日となった。