彦四郎の中国生活

中国滞在記

中国の結婚事情―特に、男性側の大変さ—

2014-11-29 11:54:39 | 滞在記

 昨年の11月の今頃、3回生(現在4回生)の授業で、中国の結婚事情について学生達が、「中国では、家と自動車を男性が準備しなければ結婚できません。」と口を揃えて言うので、少々驚いたことがあった。ディベートの授業で、「結婚するなら、見合い結婚がいいか、恋愛結婚がいいか?」を実施した時も、学生達はかなり熱を帯びながらディベートをしていたのを思い出す。あれから1年間が経つ。学生たちの兄の結婚に関する事情や、様々なことを学生達と話したりするなかで、かなり「中国における結婚事情」というものが分かって来た。
 福州市の「閩江公園」や「三坊七巷」という場所に散歩に行ったりすると、結婚をしたカップルが記念撮影(アルバム用)をしている光景をよく見ることができる。最近では、この光景を見るたびに、「よくぞ結婚までこぎつけましたね。辛苦了。(シン・クーラ)[お疲れ様でした。]。」という気持ちになる。それほど、中国において「結婚」に至ると言うのは結構大変なのだ。特に「男性」が------。
 現在の中国では、大学の進学率が30%近くまで上昇を続けている。女子の進学熱も盛んだ。大学で教えている女子学生達に、「何歳までに結婚したいですか?」と聞くと、「3分の1が25歳まで・3分の1が27歳まで・3分の1が30歳まで・結婚しないが10分の1」となる。男子学生に聞くと、「2分の1が30歳まで・2分の1が33歳まで」となる。中国全土では、25歳までに結婚するというのが平均的な社会通念となっているようだ。(1970年代までの日本では、「女性は25歳までに、男性は30歳までに」が平均的な社会通念だった。)
 中国共産党の報道部が最近次のような題名の記事を出した。「27歳までに結婚しない女性は、黄色く変色した真珠になる。」。この記事は、中国内外に波紋を呼んだようだが、最近の中国では晩婚化が進み始め、社会制度の基盤である結婚・家族制度が揺らぎ始めたことへの懸念を表明したものだ。所謂、中国政府版「結婚の勧め」記事だ。女性・男性ともに高学歴化が進みっつあるなかで、「剰女(ションニュイ)」といわれる女性たちの存在が社会問題とされている。「剰女」とは、30歳超で高学歴・容姿にも恵まれている独身女性のことだ。売れ残り女性という意味合いも強い。また、「剰男(ジョンナン)」とは、30才以上の結婚できていない男性のことで、買えない男性という意味合いが強い。

 中国の人口では、男女の比率は120:100となっているが、一人っ子政策の影響で、例えば33才では293:100、27才では199:100となっている。このように結婚適齢期の年代の男女比率の大きな違いは、特に男性が結婚できない原因となっている。特に、農村部では若い女性が都会に出るケースが非常に多く、花嫁不足が深刻である。このため、特に中国中南部の農村では、結婚相手の見つからない中国人の男性が、国際結婚相談所を利用するケースが増加しているようだ。健康で若く働き者のベトナム人女性やラオス・タイなどの女性との結婚がブームになっている。また、都市部でも花嫁を見つけるのは大変らしい。上海などの大都市では、「花嫁募集」「花婿募集」の掲示板が町中にあるようだ。この掲示は、主に息子・娘の親たちが作成して掲示するという。また、「見合いでテート」のような「出会いと・結婚」をテーマとしたテレビ放送の視聴率は高いらしい。また、結婚問題に関する書籍はよく売れているようだ。
 そして、結婚が難しい最大の問題は、「家と車」が準備できないことだろう。

 日本においては、二人が結婚しようと思えば難しい問題は中国よりは はるかに少ない。二人で結婚式を挙げて、アパートを借りればことはすむ。しかし、中国ではそういうわけにはいかない。男性側の方が、結婚前に5万元から10万元以上(200万円以上)の結納金を女性側に渡す。そして、住宅を準備し、できれば自動車を所有することが必要になる。中国では、借家に住むのは貧乏人という考えが根強くあるし、福州などの地方大都市では借家(アパート)そのものが極めて少ない。住宅は安くても100万元(2000万円)はする。日本の月収の3分の1くらいが、現在の平均月給である。(平均月収は、福州では2500元くらい➡日本円で10万円) つまり、日本で2000万円のマンションアパートを買うとしたら、中国ではその3倍の6000万円の物件を買うような感じになる。これに加え自動車(10万元➡200万円)も購入するとなると、結婚のための費用は莫大になる。これを30才までに準備することは難しい。親も親戚や知り合いからお金を借りて、息子のために準備することになる。
 結婚後の離婚率も、年々増加してきている。中国の北京市での離婚率は、現在30%。上海では28%となっている。

 中国の高校では、現在でも「恋愛カップル」禁止だそうだ。1990年代までは、中国の大学でも恋愛禁止規定があり、見つかった場合は退学処分だった。しかし、現在の中国では、大学の恋愛は自由となっている。特別な事情が無い限り「寮生活」を4年間送る。したがって、恋愛カップルが大学内で多く見られる。手をつないでいる者たちや、肩に腕を置きながら歩くカップルも日常茶飯事にな見られる。抱き合っているカップルもある。これが中国の大学の光景の一つなのだ。しかし、ほとんとのカップルは、大学卒業と同時に分かれるようだ。「恋愛」と「結婚」は別だという風潮がかなりみられる。「親孝行」という言葉があるが、中国ではこのことがとても大切に今もって考えられている。いくら好き同士でも、親の反対があったら結婚に至らないケースがほとんどだという。親は、自分たちの住む町から近い所の相手と結婚してほしいと願っている。
 来年の6月に卒業する4回生のうち、最近 親の勧める「見合い」をして、結婚がほぼ決まった女子学生が2人いる。






2014年、北京の書籍販売ベスト10に2人の日本人作家—『項羽と劉邦』(司馬遼太郎)を読了して―

2014-11-23 10:07:57 | 滞在記

 8月下旬に中国に来る際、司馬遼太郎の『項羽と劉邦』という中国の歴史上有名な人物を主人公とした歴史小説(単行本上中下3冊)を持ってきた。以前読んだことがあるのだが、読み直してみたらとても面白い。8月中旬に中国の「西安・敦煌」を一人旅した娘(高校の歴史教員)が、「お父さん、今 『項羽と劉邦』という本を読んでいるけど面白いわ。」という話をされたので、もう一度読んでみようと思い中国に持って行った。
 つい最近になって、読み終わった。あまりに面白いので、一気に読まずに  毎日少しずつ読んでいった。今、中国で生活していることもあって、この歴史小説がより身近に感じられたりもする。歴史小説の舞台になっている陝西省の西安や河南省の洛陽に行ってみたいと思った。物語の舞台は、紀元前221年に中国に秦王朝(秦の始皇帝)が統一国家を作り、その秦が紀元前206年に滅亡し、その秦を滅亡させた「項羽と関羽」が覇権を争って戦う時代。さまざまな個性や性格を持つ歴史上の人物が登場し描かれている。この頃日本は、まだ縄文後期の時代で、邪馬台国の卑弥呼も誕生していない。戦いに最終的に勝利した劉邦が漢王朝を立てた紀元前202年から350年後に邪馬台国ができる。中国の歴史の遠大さと奥の深さに ただ驚くばかり。この小説は、中国語に翻訳されたら 多くの中国人を虜にするだろうなぁと思った。物語にでてくる場面の、「四面楚歌」という四字熟語の起原、項羽の恋人である「虞美人(ぐびじん)」などは、日本でも割と知られている。

 さて、2014年度の「北京市書店書籍販売ランキング・ベスト10」が最近発表されていた。福州の大型書店に行ってもよく見受けられる日本人作家が2人入っていた。ベスト4が「渡辺淳一の本」で、ベスト6が「東野圭吾の本(『白夜行』)」。北京や上海の書店では、平積みされているコーナーが設置されているようだ。

 その他の日本人作家で、中国で読者が多いのは、村上春樹、松本清張。川端康成の「伊豆の踊子」や「雪国」なども上海では書店で平積みのコーナーが設置されていたらしい。中国では、日本に比べると書店の数が少ないが、露店で古本が売られている光景はよく目にする。一昨日の夜も、宿舎近くの路上で荷台車付三輪バイクで古本が売られていた。三冊で10元(約200円)となっていた。

大学の運動会(运动会)—その練習風景—、日本への一時帰国

2014-11-23 07:04:39 | 滞在記

 11月12(水)から15日(土)までの3日間、大学は運動会のため授業がおこなわれない。私は、毎週火曜日は授業の担当がない日なので、11月11日(火)から11月16日(日)までの6日間の休みがとれた。この6日間をどう過ごそうかなと以前から迷っていた。新幹線に乗って福建省「竜岩」の街に行き、「竜岩大学」に勤めている鶴田さんに泊めてもらい、世界遺産になっている「福建の土楼」を見学しようかなとも考えた。しかし、結局 日本に一時帰国することにした。福井県の故郷で一人暮らしをしている母が最近、「体調が悪くて一週間入院した。」ことを知ったからだ。故郷に帰れば、親友とお酒が飲めるのも楽しいと思った。

 さて、日本に一時帰国する前日の11月11日(火)の午後、研究室を掃除したり片づけをしようと思い大学に行った。研究室のある福万楼という建物の近くに第一運動場がある。そこでは、運動会を翌日に控えた学生達の最後の練習やリハーサルが行われていた。
 開会式の入場行進の際、中国国旗を持って入場する学生たちの練習が行われていた。各学部の1回生による集団演技体操のリハーサル練習はなかなか見応えがあった。1か月ほど前から大学のいろいろな場所で、夕方になると練習をする光景が見られていた集団演技体操だ。各学部によって、音楽も演技内容も違っているが、みんな真剣に最後の練習をしていた。

 練習風景を見終わった後、大学の中を歩いていたら、揃いの服で記念撮影をしている学生たちがいた。写真をとってもいいか?と聞くと、「いいですよ。どうぞ。」とポーズをとってくれた。集団演技にしろ写真にしろ、「中国の人は、集団の動きを揃えることに、日本人以上に美を感じる国民なんだなぁ。」と思うことはよくある。

 12日(水)の夕方、日本の自宅に着いた。日本は、紅葉がきれいだなと感じる。そして、翌日の13日(木)の午前中は、耳鼻科医院や内科医院に行つた。午後、故郷の福井県にJRで帰郷。母は退院して間もないが、元気を回復したようで少し安心した。故郷の親友とも遅くまで酒を飲んだ。たのしいひと時だつた。
 13日(金)に関西に戻り、立命館大学で「留学試験」のことを問い合わせた。夕方、大阪に行った。心斎橋のユニクロにも行った。西日本で最大のユニクロ店舗だが、中国人の観光客が多いのにびっくりした。店内は、中国語が飛び交っている。私のいる中国福州市にもユニクロがあり、よく利用する。ユニクロの製品は、中国で買う方が値段がかなり高い。例えば、日本で5000円のものだったら、中国では8500円。中国人の客に、「なぜ、日本のユニクロで買うのですか?」と中国語で聞いてみたら、「日本で買う方がかなり安いので、大量に買ってお土産にするんです。それに、同じ製品でも日本で買ったものは高級なイメージがするので、お土産をもらった人はとても喜びますよ。」とのことだった。近くの大阪大丸の店の前で、記念撮影をしてもらっている中国の女の子も見られた。

 15日(土)は、妻と京都市内の「島原(旧 花楼街)」に行った。「角屋」や「輪違屋」などの建物を見学した。その後 書店に行き、学生の卒業論文指導や日本の大学院試験に必要な書籍などを購入した。
16日(日)、中国に戻る。次に日本に帰れるのは、大学が1カ月間半の冬休みに入る1月の下旬以降になる。(中国では、12月31日まで授業がある。1月1日は休み。翌日の2日から授業再開。2月上旬の旧正月「春節」は、中国全土で1週間以上の休みとなる。)


 

私も、中国での生活に疲れる時が時々ある―心も体も折れそうになる数時間—[中国の自殺者数]

2014-11-22 10:02:14 | 滞在記

 福州も気温的には秋の季節に入っている。紅葉する樹木が少ないので、秋の風情はあまり感じられないが、気温は涼しくなってきた。大学の木々も多少は色づく木がある。そして、亜熱帯地方の赤やピンクのブーゲンビリアや桜の花が咲いているような木もみられる。

 中国では、学校でも職場でも「昼休み時間」が長い。昼寝の習慣があるためだ。
 昨日は、少し汗ばむくらい暖かな昼下がりだった。大学構内で生活している野良犬は結構多い。彼らも、いろいろな格好で昼寝で熟睡しているのが なんとも「中国らしい」と思ったりもする。

 昨日の金曜日。午後2時から5時半まで、1年生と2年生の授業があった。午後に90分授業を2回連続で行うのは結構大変である。授業が終わって、北門のバス停(始発バス停)に行く。金曜日の夕方は、週末とあって市内に繰り出す大勢の学生でいっぱいだ。41番バス、150番バスの2つの路線が市内行きなのだが、バスが来るたびに大勢の学生がバスに殺到する。昨日に乗ったバスも満員。座れなかった。満員のバスは体を動かすことも自由にできない。そして、夕方の渋滞。このバスは、昼の時間帯であれば市内の中心地まで40分ほどで到着できるが、昨日は1時間半かかった。始発時点でもう満々員なのだが、次々とあるバス停で、乗客がさらに乗ってくる。降りる出口からも乗ってくる。まさにすし詰めになる。このようなバスの中でも、大声で携帯電話している人も多い。とてもとても疲れる。
 そして、ようやく中心部で大勢の人で溢れている「宝龍広場(バオロン・グァンチャング)」に到着。ここでバスの乗客が大勢降りる。ようやく座れた。しかし、大勢の人が乗りこんでくる。地下鉄工事をしている関係もあり、付近の交通状況はすざましい。以前「デーブ・インパクト」というアメリカ映画を見た。巨大隕石が地球に落下するので都市から避難する人々や車で、道路が大混雑する場面があったが、それを思い出す光景が ここでは見られる。多くの車から同時に、けたたましい音で鳴らされるクラックション。まだ夜の7時半ごろだが疲れきる。「博美詩邦」というバス停で下車し、乗換のバスを待つ。

 さらにバスに乗って(座れた)宿舎近くの「連藩」というバス停で下車。大学のバス停を出発して1時間50分ほどが経っていた。このバス停周辺も、大勢の人々の群れで満ちている。すごいエネルギーが発散されている。精神的に疲れる。その場所にあるスーパーマーケットに入って買い物に行く。夕方の8時ころだというのに大勢の客でごったがえしている。レジもかなりの人が並んでいる。何よりも疲れるのが、スパーのあちこちから聞こえる「拡声器」を使った呼び込み繰り返しテープ。とても早口の短い言葉が繰り返し繰り返し耳に入ってくる。とても疲れる。
 スーパーでの買い物袋と自分のカバンを持ちながら、10分ほどかかる宿舎に向かう道すがら、「中国でこのまま生活することに自信がもてなくなってくるなぁ。」と思ったりする。心が泣けてくる。
 宿舎のアパートに着いて、まずはビールを飲み疲れを癒す。が、台所のドアを開けた瞬間に、ネズミが走り逃げる光景。昨年の9月から12月までも苦労したが、ネズミが毎日侵入してくるのだ。昨年12月に完全にガムテープで密封した(鼠が入らないように)換気扇。1か月ほど前の10月中旬から、再び何重にも巻いたガムテープを食い破り台所に侵入する。それも毎日。穴の開けられた場所を薄い鉄板を敷き、その上にガムテープ。すると、違う箇所を開けて入って来たようだ。もう、疲れる。再び、その箇所を鉄板で修復しなければならないなぁ。9月~10月中旬までは、蟻🐜の侵入に大いに悩まされたが、今は鼠🐭。帰宅までの疲れと相まって、「心も体も折れそう」になる昨夜の数時間。(※大学の研究室がある「福万楼」7階の部屋にも、10月中旬から3週間あまりネズミが住みつき大変だった。学生に来てもらい、本棚などを動かして、ネズミを追いい出した。)
 それでも、ビールを飲み、シャワーを浴びると 疲れも減少し やや元気が回復する。疲れた日には早く寝るのが一番だと早々に眠る。今朝起きると、体の体力が回復し、折れそうになった心も回復する。中国での一人暮らしは孤独感と相まって結構たいへんだなぁと思いはするが。

 中国の年間自殺者数は、「300万人以上」になったという。これは、中国のインターネット経由で見た「NHKスペシャル」番組から知ったこと。年々、増加しているようだ。そして、最も自殺が多いのが「農民工」といわれる、経済的に貧しい地方から都市に働きに来ている人達だという。中国社会は、ここ10年間の超急激な社会変化の中で、家族・一族を中心とした濃密な相互扶助的社会も変わって来た。故郷に帰りたくても帰れない事情をかかえ、都会の厳しさや孤独感にさいなまされる人々も多いのだろう。南京市の揚子江にかかる全長4キロあまりの橋は、自殺者が耐えないという。なぜこの橋で多くの人々が命を終えるのか。「母のもとに帰りたい。」という願望があるのだという。中国人にとっての揚子江は「母なる大河」と思えるようで、どうせ死ぬならこの河で死にたいと思い、川面から100メートル以上もある橋の欄干から飛び降りていく。海のような川からは死体もあがりにくいという。経済発展の中、現代中国の人々にとっても、生きるに辛いことが多い社会となってきているようだ。






生まれて初めて蛇を食べたこと

2014-11-07 09:10:23 | 滞在記

 中国では、日本では一般的に食べられることのない動物を食べる食風がある。例えば「蛙(かえる)」。この蛙は「ヒキガエル」で、けつこう大きい蛙だが、スーパーマーケットでも生きたまま売られているのだから、けっこう食べる人が多いのだろう。次に「亀」。大きい亀から小さい亀までが「露店」などでは売られている。特に、「すっぽん亀」は、日本に比べるとよく売られていて、値段も安い。また、中国各地でよく捕れる。
 ※下記の写真 「すっぽん亀を捕獲する人たち](福州の閩江)
 
 鼠も一部の地方では食べられる。福建省の「竜岩(りゅうがん)」地方では、よく食べられるという。町中にいるドブネズミではなく、山の中に主に住んでいる「山鼠」だ。竜岩出身の女子学生が「先生、お土産です。」と鼠の燻製を持ってきた。また、別の女子学生からも、3か月後にお土産としてもらった。食べたくないので、一つは日本の友人に帰国の際にあげたが、食べたかどうかわからない。また、「犬」も貴州省や湖西省、湖南省では普通によく食べられているようだ。ある省では、「犬祭」なるものが1年に一度あって、その祭のために食材にされる犬の数が10万匹あまりだという。昨年の11月に湖西省のあるレストランに入ったら、「地方名食」として「犬料理」のポスターが貼られていた。学生の故郷の家に遊びに行った時に、家で飼われていた2匹のうちの一匹について学生が言った。「父が好きなので、こちらの犬は食用に飼っているんです。」と。次にその家を訪れた時、その犬は食べられていたようだった。

 先週の土曜日、学生の故郷の家に行った。今日は、蛇料理を食べさせるという。「いやだなぁ。しかし、出されたら断れないなぁ。どんな味だろう」。昼食として近くの川で採ったばかりの「タニシ貝」が料理された。そして、料理する前の「蛇」が冷蔵庫から出された。皮を剥かれたてピンク色になっている蛇が香取線香のように丸まっていた。毒蛇だという。ますます食べたくなくなった。家の祖父が先日捕まえたのだという説明。説明は続く「蛇を気絶させて捕まえるには、蛇の頭付近に近い胴体(首?)を堅い棒で強打する。」のだそうだ。

 「蛇料理」が出された。食べてみた。おいしくも何ともない。味のしないゴムを食べているような食感だった。スープが少しだけ味がした。生まれて初めて蛇を食べた。(3切れ) 食べた後の骨を並べてみた。恐竜を発掘調査した時に「しっぽ」を並べてみた時のことを思い出した。昼食後、街の歴史に詳しい人に、「大きな楠の木にカジュマルが巻き付いている大木」や「孫悟空」を祀ってある小さな寺などを案内してもらい、夕方に福州に戻った。