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彦四郎の中国生活

中国滞在記

3人の孫たちと‥バレエ発表会(ウクライナ・キーウバレエ学校の生徒との共演)、73歳の手作り誕生会をしてもらった

2025-08-26 20:12:09 | 滞在記

 8月23日(土)の午後、京都市内の平安神宮界隈の公園に向かった。平安神宮の大鳥居から参道へ。参道では露店フリーマーケットのテントが並んでいた。ロームシアター・京都(旧京都会館)で娘孫たち(小学1年と3年)のバレエスクール(寺田バレエ・アートスクール)の発表会が午後2時から始まる。蔦屋(つたや)書店内を通り、会場に向かう。

 会場の受付でチケットを提示し、会場に入ると入り口には、京都・キーウ友の会などからの「祝い」の花がたくさん置かれていた。「祝 寺田バレエ・アートスクール第50回生徒定期発表会」。

 この日23日は、寺田バレエスクールの幼児・小学生・中学生・高校生たちと、ウクライナから来日している5人の17歳~18歳の青年たちとの共演発表会だった。翌日24日(日)は、ウクライナのキーウにあるバレエ学校との「姉妹校提携50周年合同コンサート—キーウの友に世界に愛と平和を」が開催される。(※司会者が、ウクライナでは現在も18歳以上の男性は兵役義務があるため国外から出ることは厳重な制限があると話していた。)

 寺田バレエスクールは、1975年にウクライナの首都キーウにある「キーウ国立バレエ学校」と姉妹校提携を結び、今年で提携40周年を迎えた。そして、特に2022年2月にロシアがウクライナ侵攻(侵略)を開始した年の8月、ウクライナの国内外に避難していたキーウ国立バレエ団の団員を集めて、日本各地で公演「キーウの友に愛と平和を」が行われた。続く23年8月にも日本全国公演が開催されている。(この京都でも公演が開催された。) 日本公演実現の中心者は、寺田バレエスクール・寺田美智子校長の息子の寺田宣弘さん(現在はウクライナ国立バレエ劇場芸術監督)。

 現在小学3年になる孫娘は幼稚園年長の2022年の春から寺田バレエに通い始め3年となる。下の孫娘も同スクールに通い始めて1年になる。

 23日、会場は1階も2階もほぼ満席だった。孫娘たちはバレエの化粧をすると別人的になる。この日のパンフレットには、キーウ市長のヴィタリー・クリチコ氏からのメッセージも寄せられていた。

 8月17日付朝日新聞には、「米ロ首脳会談 停戦の進展なし」「会談の主導権はロシアに」「自国不在 (ウクライナ国民)トランプ氏への怒り」との見出し記事。同日の社説には、「米ロ首脳会談 侵略者への厚遇に驚く」の記事。そして、8月19日に米国Foxニュース番組でトランプ大統領は、「自国の10倍もの規模の国力の国(ロシア)に、(ウクライナは)挑んではならない」と述べ、ウクライナがロシアとの戦争を始めたと非難するかのような姿勢を示した。

 18日には、トランプ大統領は、ウクライナのゼレンスキー大統領やヨーロッパの英首相・仏大統領・独首相などともに会談に臨んだ。8月20日付朝日新聞には「トランプ氏"(ウクライナの)安全保証"明言—ゼレンスキー氏らと会談」の見出し記事。25日付同紙には、「ウクライナ独立記念日8・24  侵略から3年半 ロシアがウクライナ各地への攻撃強化」の見出し記事。そして、ウクライナを支え続けているヨーロッパは今‥。今日8月26日付朝日新聞には、「右派の怒号 欧州を揺り動かす—欧州の右派ポピュリズム政党 メディア批判 SNS—日本の参政党と類似も」の見出し記事。

 前述のキーウ市長の寺田バレエスクールへのメッセージの文末には、「近い将来、あなたとあなたの生徒の皆様を、私たちの平和で誇り高い街に再びお迎えできることを願っています。」と書かれていたが、その日はまだ数年は先になるだろうか‥。

 昨日8月25日(月)の午後3時半すぎから、銀閣寺近くの吉田山山麓にある娘の自宅で、孫たち3人による私の73歳の誕生会を行ってくれた。「じいじ 73才のたんじょう日 おめでとう!」の飾り。8番目くらいまでのプログラムに沿って、3年生の孫娘が取り仕切って、まずはプログラムNO.1 主催者の挨拶、No2。手作りカルタ(夏休みの自由研究作品)とり、No3、紙で作った大きな特製ケーキの贈呈。

 NO.4 本物の恐竜ケーキ(近所の菓子店に注文したようだ。)、NO5ケーキを食べる、NO6  3人の歌と踊り(5曲)、NO7  「今日の日はさようなら」の歌、No8終わりの言葉というような1時間半余りの誕生会のプログラムだった。

 まあ、手作り感満載の、ありがたい誕生会を昨年に引き続きしてもらった。

■8月29日(金)の中国再渡航までの1週間、5箇所の病院や医院を廻って、最大90日分の薬なども受け取った。昨日は大阪府枚方市の病院の帰り、京阪枚方市駅近くに本部のあるKEC(近畿教育学院)の木村理事長に、中国のジャスミン茶を届けたKECは日本語教師養成講座のある言語学院なども、枚方市・京都市・大阪市・神戸市・東京などで開校。特に関西の京都や大阪の日本語学校とのつながりもつよい。

 

 


お盆が過ぎて、中国に戻るまでの2週間、親しき人たちとの四条大橋界隈での乾杯🍻🍻🥂が続いた

2025-08-26 11:55:56 | 滞在記

 8月18日(月)、私が京都府の教員時代の教え子の沖野君(37歳くらいかな)が、住んでいる福岡県の福岡市から京都に来たので、夜7時に京都南座前で待ち合わせをした。祇園白川石畳通りにある赤ちょうちん居酒屋の、「祇園侘助(わびすけ)」で乾杯。1時間ほどして二人で店を出る間際、中国人の若い男性の旅行者がふらっと来店。中国語で話したら中国の河南省から一人で旅行に来ているとのこと。

 店の外に出て、店の灰皿でタバコを吸っていたら、通りかかりのフランス人が英語で「一緒にココデタバコいいですか?」と言ってきた。「OK ok」と一緒に‥。まあ、夜の祇園も今年は特に外国人観光客の多いこと‥。沖野君と祇園のフィリピンパブで再度の乾杯をして歌い合う祇園の夜。

 21日(木)の夕方6時に鴨川に架かる四条大橋のたもとで、息子夫妻や妻と私は待ち合わせ。四条大橋西詰の「東華菜館」の6階テラス席で乾杯🍻をした。

 ここからの眺望の素晴らしさは、夜のビアガーデンとしては格別な景色。2時間余りを過ごし、料金は一人2800円程度とけっこうに安い。

 24日(日)の午前11時30分に、四条大橋西詰で、中国各地やウズベキスタンのサマルカンドの大学で教員をしていた亀田さん、北朝鮮と国境が近い中国の延辺大学(中国吉林省延吉市)で教員をしていた黒杉さんと待ち合わせ。近くのビアホール「ミュンヘン」(老舗珈琲館「築地」前)で乾杯🍻、5時間余りをここで話をし、近くの老舗珈琲館の「フランソワ」にてさらに1時間、合わせて6時間余りを3人で過ごした。

 


中国で南京大虐殺事件を描いた映画「南京照相館」公開❷—その予告編(中国国内版)を観た、そして9月には映画「731」が公開される予定

2025-08-26 08:54:40 | 滞在記

 1937年に起きた日本軍による南京大虐殺事件を描いた「南京照相館(写真館)」(2025年7月25日公開)の中国国内向けの予告編を、一昨日(24日)に観た。日本国内でyahoo japanの検索欄に「南京照相館」と入力すれば、「予告編you tube版」と出てきて、その予告編を視聴することができる。(3~4分ほどの予告編)

 映画は8月9日時点での観客数は約5649万人と発表されているので、今日26日時点では8000万人くらいいっているかもしれない。中国の成人人口の約10%近い観客数だ。

 この映画「南京照相館」は、「吉祥照相館(写真館)」の7人の南京市民の視点から南京大虐殺事件の真相が語られる。7人は、虐殺を逃れ1日でも長く生きるため、やむお得ず日本軍のカメラマンたちが撮影した写真を自分たちの写真館で現像の協力をする。しかし、現像したのは日本軍の大虐殺を証明する写真ばかりだった。7人はただ生き延びたいという思いだったものの、自分たちが現像した写真に、誇るかのように平然と虐殺を行う日本軍の姿や、悲惨な目に遭う同胞の姿、民族が存続するか滅亡するかの重大な局面が映し出されていたのを見て、命の危険を冒してそのネガフィルムを持ち出すことにする。

 自分がただ生き延びたいという気持ちから「大虐殺の証拠を残したい」という気持ちへと変化していく過程には、「覚醒の力」がはっきりと見て取れ、「生き延びたい」という思いから「覚醒」への変化が、この映画で最も人の心を揺り動かすコアの部分だと、伸奥(シェン・アオ)監督は語っている。

 3~4分ほどの予告編だが、1分ほどで、日本人としてこの映画の予告編を観ているのが辛くなった。平然と、薄ら笑いを浮かべながら日本刀で中国人を虐殺する場面などは観るのが辛い、中国人なら怒りに震える、泣き出しそうな場面などが延々と続く。そして、中国の人々は怒り泣きながらこの映画を観終わるのだろう‥。

 私も2018年に行った揚子江に架かる南京大橋。そのあたりの河畔だろうか、大河が赤く染まるほどの大群衆への一斉大虐殺の場面など。

 この映画を観たこどもは、大好きだった日本のアニメ映画のカードを破り捨てたとも報道にあった。

 そして、9月18日には、映画「731」が中国国内で公開される。この映画は、またたくさんの人が観ることになるかと思うが、ドイツ・ナチスによる収容所でのユダヤ人の大虐殺(約600万人)とも重なる日本軍の歴史的犯罪であるだけに‥‥、。(関東軍防疫給水部=731部隊/石井史郎軍医中将がリーダーとなる。京都帝国大学医学部の出身者が研究部隊幹部の多くを務め、中国人への人体実験などを行った。)  いま、この中国東北地方の大都市ハルビン市にあった731部隊跡地には、この731部隊に関する戦争博物館もあるようだ。

 「平和と人権—戦争は最大の人権侵害です—」と題されたパンフレット。「80年前には、私たちの 国に戦争がありました。」と書かれ、3つの「ドキュメンタリー映像の上映」が紹介されていた。主催は、公益財団法人「世界人権問題研究センター」。(JR京都駅近くの市立京都芸術大学構内にある)  ここで8月18日〜9月16日まで開催。(土・日、祝日は休館・休み)

 このドキュメンタリー映像の一つに、「731部隊 最後の証言」と題されたドキュメンタリーがある。長野県宮田村出身の清水英男さんによる証言だ。(1945年3月に14歳の清水さんは、731部隊に配属となった。)  この企画は、朝日新聞にも紹介がされていた。

 数日前に韓国の李在明大統領が来日した。李在明氏が大統領に就任したことにより、歴史問題なども出されての日韓関係の悪化が強く懸念されていたが、韓国は「日本重視」の姿勢ももち、共同声明も関係が悪化することなくだされたので、まずは良かったかと思った。

 

 

 


中国で南京事件を描いた映画「南京照相館(写真館)」が大ヒット上映中➊—抗日・反ファシズム戦争勝利80周年、この7~9月は反日感情の高まりも懸念される

2025-08-26 07:33:56 | 滞在記

 この7月・8月、京都市内の丸善書店のベストセラー著書紹介コーナーの新書部門では、『南京事件(新版)』岩波新書・笠原十九司著が第二位の著書として紹介されていた。著書の帯には、「日本軍はなぜ日中戦争に突き進み、蛮行はどのように生じたのか?—この本を読まずして南京事件は語れない/ロングセラーの基本書を増補・改訂した決定版」と書かれていた。また、『七三一部隊の日中戦争—敵も味方も苦しめた細菌戦』PHP新書・広中一成著も平積みで置かれていた。著書の帯には、「これが地獄か—。人体実験、ペスト攻撃、コレラ蔓延—なぜエリートたちが細菌戦にのめり込んだのか?」と書かれていた。

 前号のブログでも書いたが、2025年は日本にとっては「(敗戦)戦後80周年」。中国では「抗日戦争勝利80周年」の節目。この9月3日(抗日戦争勝利記念日)には、北京天安門広場にて「中国人民抗日戦争・世界ファシズム戦争勝利80周年記念式典」(パレード)が開催される予定だ。

 そして中国にとってのこの80周年に合わせた映画「南京照相館(写真館)」[※日本軍による南京での大虐殺事件(南京事件)を扱った映画]が7月25日から中国国内で全国公開された。公開から大ヒットとなったこの映画、ほぼ1カ月後の8月22日時点で5千万人余りの人々の観客動員数となり、26.5億元(約548億円)の興行収入を記録している。(前号のブログで約5000億円と記していましたが約500億円の間違いでした。ここに訂正します。)

 また、映画「731」(日本軍の「731部隊(細菌兵器の研究部隊)の蛮行を描いた映画)は、当初7月31日に公開される予定だったが、満州事変の始まりとなった1931年9月18日にちなみ、9月18日に全国公開される予定へと変更された。このように、この7月から8月・9月はこの二つの映画上映、9月3日の記念式典などが行われ、反日感情の高まりが懸念される時期となる。(私は、8月29日にその中国に戻ることになるが‥。) 

 ここ2~3年、不動産バブルの崩壊など、経済的には深刻な不況が長期化し、大学卒業生たちの就職難も続く‥。このため、国民の将来への不安がとても大きくなっている中国社会。80周年という節目もあるが、私が2013年から12年間中国で暮らす中で、このような反日感情が巻き起こる映画が二つもほぼ同時期に上映されるのは、異例とも感じる。

■日本のファシズムへの道(1930年~45年の15年間)。『日本の歴史第24巻 ファシズムへの道』(大内力著)と題された歴史書にあるように、この15年間は日本が本格的な軍部独裁ファシズムの道を歩んだ時期だった。1931年9月18日から日本の関東軍による満州事変(柳条湖事件)が起き、中国東北部への日本軍の侵攻(侵略)が始まった。(首謀者は、関東軍の石原莞爾・板垣征四郎や朝鮮方面司令官の林銑十郎らとされる。日本政府内閣の承認もないままの軍部独断の軍事侵攻となった。) 中国国内ではこの日本軍の行動に対し抗日救国運動が全国で巻き起こった。

 そして、この軍事侵攻を非難し認めない時の内閣総理大臣・犬養首相は、1932年5月15日に軍部によって暗殺された。(5.15事件)後の1932年9月に満州国建国の宣言がなされた。1936年に時の日本政府の内閣総理大臣などの閣僚が、軍部の青年将校らによって襲撃・暗殺される2.26事件が起きる。

 1937年7月7日に中国北京近郊で起きた「盧溝橋事件(事変)」や同年8月13日に起きた上海事変により、日本は中国との全面的な戦争にさらに進むこととなった。(中国侵略)  そして同年12月、中国政府の首都であった南京を日本軍は陥落させる。ここで南京大虐殺(南京事件)は起きた。

 当時の日本の新聞は、この南京陥落や虐殺を称賛しながら報道し、それを日本国民の多くも称賛しながら読んでいたのかと思われる。当時の大新聞(東京日日など)には、「豪壮 南京入城式」の見出し記事‥。驚くべきことに「百人斬り"超記録" 向井106 対野田105—両少尉さらに延長戦 百人斬り競争の再競争」との見出し記事が掲載されていた。まさに、中国人を「チャンコロ」と日本人は蔑称し、この記事を読む人も多かったのだろうか‥。日本の恥ずべき歴史ともなった‥。

 私は2018年の10月上旬の中国国慶節期間に南京に行った。中国の南京は、西安とともに古代・中世の(明)時代に築かれた城壁が最も大規模に今も残る都市。(外郭城壁は全長約60kmに及んだ。そして内郭城壁は全長35kmに及び、現在もかなりの部分[50%以上]の城壁や門(20余り)が残る。) この城壁や門が見たくて南京に行ったのだった。

 そして、南京滞在の3日目に、「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」(南京大虐殺紀念館)に行った。国慶節の1週間連休時期ということもあるが、おびただしい人々の入館への列。1000人以上の入館待ちの人々、特に10代後半から20代後半の人の割合は7割を超していたのに驚いた。私は2時間ほど並びようやく入館できて2時間余り館内で見学をした。館からでたらもう夕方近くになって夕焼けも始まっていたが、外には入館待ちの長蛇の列が続いていた。

 この紀念館では、日本軍に虐殺された中国人は300000人(30万人)とされていた。この人数には、その真偽を巡って日中間での隔たりは大きく、4~6万人という研究資料や書籍もあり論争が続いてもいる。しかし、この南京で1937年12月に、前述のような「百人斬り競争」のような恥ずべき蛮行が行われていたのも、紛れもない事実であった。

 6月下旬に日本に帰国し、NHKドラマ「あんぱん」の前期総集編を視聴した。その中に、この日中戦争時代の1944年頃の、現在私が暮らす中国福建省福州市での場面が放映されていた。やなせたかしが、兵役に召集され中国の福州にいたころ、現地住民向けに紙芝居などを行ったとされる場面だった。

 昨日、市民図書館で借りていた『兵諌(へいかん)』講談社刊・浅田次郎著を読み終えた。書籍の帯には、「策略の生け贄か、救国の英雄か。—二・二六事件の死刑囚が語る蹶起の深層。西安事件の被告人が訴える叛乱の首謀者、日本と中国の運命を変えた2つの兵乱にはいかなるつながりがあったのか。」と書かれている。

 1936年12月に起きた「西安事件」(首謀者はかっての東北王とよばれた張作霖[日本軍による列車爆破により死亡]を父にもつ張学良将軍か‥)により、それまで内戦状態にあった蒋介石率いる「国民党軍」(中国政府)と毛沢東率いる「中国共産党軍」は停戦し、「国共合作」がなり共同して抗日戦争にあたることとなった。当初、南京を陥落させれば日本と中国の戦争(日中戦争)は終わるだろうと楽観していた日本軍部は、それ以降は泥沼の戦争となった。(日中戦争は15年戦争とも呼ばれる。)

 映画「南京照相館(南京写真館)」が中国で全国公開されてから数日後の7月30日、中国江蘇省蘇州市で、日本人の母子が公衆トイレに向かう途中、石で殴られるなど襲われてケガをした。日本人を襲った男は翌日に逮捕された。蘇州では昨年の6月に、日本人学校のスクールバスが刃物を持った男に襲われ、それを止めようとした中国人の女性(バスガイド)が亡くなっている。

 中国の日本大使館は、「7月から9月にかけて抗日関係の映画及びドラマの放映、軍事パレード等が行われるので反日感情が起きやすい時期なので、中国在住の日本人は気をつけてほしい」と、7月23日付で注意喚起を呼び掛けてもいる。

 

 

 


この7・8月<映画で考える戦後80年>戦争の実像、映画、ドキュメンタリー、ドラマ続々 旧作の再公開

2025-08-23 07:50:34 | 滞在記

 7月中旬頃から8月下旬の真夏の1か月以上にわたって、京都鴨川に架かる三条大橋の東西のたもとに咲く百日紅(サルスベリ)の花。日本での二か月間余りの夏休み滞在、7月には映画「国宝」を観た。そして、8月に入り‥。

 8月8日(金)、映画「木の上の軍隊」(平一紘監督・脚本、堤真一・山田裕貴主演)を観た。第二次世界大戦の沖縄戦で激戦地となった島(伊江島)で、終戦を知らないまま2年間、カジュマルの大木の上で身を潜めていた日本兵の二人がいた。そんな実話を基にしたこの映画はこの7月25日から全国で公開された。

 監督・脚本は沖縄出身の平一紘(35)。映画の舞台は沖縄本島北部の西に浮かぶ伊江島。沖縄戦では米軍が1945年4月1日に本島中部に上陸。4月16日には伊江島にも上陸・侵攻し、日本軍の現地部隊との激しい戦闘の末、21日には米軍に制圧された。沖縄県史によると、伊江島での日本側の死者は軍民合わせて4794人にものぼる。恐怖と飢えにさらされる中で、木の上の二人(下士官と新兵)は衝突しながらも生き延びる。

 2024年の夏、伊江島で撮影に使うカジュマルの木を一時的に移植させるために掘った場所から、日本兵とみられる20人分相当の遺骨が見つかり、遺品や手投げ弾などもあったようだ。実際に約2年間、木の上で過ごしたのは、宮崎県出身の山口静雄さん(下士官将校の少尉/1988年に78歳で死去)と沖縄出身の佐次田秀順さん(一兵卒/2009年に91歳で死去)

 沖縄戦当時、山口さんは35歳、佐次田さんは27歳だった。佐次田さんは、戦争の終結を知ったあと、地元沖縄県うるま市に戻り、結婚し五人の子供の父親となった。

 私が映画「木の上の軍隊」を京都で観ている頃、私の妻は、8月6日から10日までの沖縄旅行に、娘夫妻と孫たち(3人)の合わせて6人で行っていた。伊江島が見える今帰仁城などへも行ったようだ。沖縄土産は「ハブカレー」(猛毒の沖縄地方の蛇・ハブのエキス入り)と沖縄のサトウキビ黒砂糖を買ってきてくれた。いろいろと思い出深い旅行となったようだが、妻が最も印象(心の)に残ったのは、沖縄本島南部にある「糸数アブチラガマ洞窟」(全長270mの自然洞窟)だったと話していた。

 沖縄戦でこの洞窟(鍾乳洞)も住民の避難場所となり、戦局が本島南部に移るにつれて、日本軍の作戦陣地や南風原陸軍病院の糸数分室(「ひめゆり学徒隊」の生徒たちの一部もここにいた。)ともなった。戦闘がこの地で激しくなると、このガマ(洞窟)は、軍民同居の状態となった。そして、米軍の攻撃の的の一つとなり、多くの命が失われることになったガマの一つだった。また、ここのガマには何百人もの重症の傷病兵がいたが、症状の重い者はやむなく置き去りとなり死んでいった場所でもあったようだ。

 妻はこのガマの資料館で売られていたと思われる一冊の著書を買って帰って来た。『今なお、屍とともに生きる—沖縄戦 嘉数高地から糸数アブチラガマへ』(日比野勝廣著)。私もこの書籍を読み、沖縄戦の様相の一端を知った。ガイドの人が洞窟内の電灯を消すと、ガマの中は真っ暗になり何も見えなくなったと妻は話していた。このような中で、人々はわずかな🕯🕯ロウソクを灯りに、生きていたのだろう。

 この夏の8月15日のお盆の日に全国公開される映画「雪風 YUKIKAZE」。日本軍と米軍との戦い(太平洋)の転換点となり多くの日本海軍の主力空母が海に沈んだミッドウェイ海戦(1942年/昭和16年)から、ガタルカナル、ソロモン、マリアナ、フィリピン・レイテ沖海戦、終戦間際の(1945年/昭和20年)戦艦大和の沖縄に向けての特攻出撃艦隊まで、幾多の主要な日米海戦に参加し、沈没することなくほぼ無傷で終戦までを戦い、「幸運艦」とも呼ばれた駆逐艦「雪風」。(沈没した日本艦の乗組員の救助にもあたった。)

 その「雪風」の艦長(竹野内豊)と「雪風」の下士官・兵卒を束ねる先任伍長(玉木宏)の二人を中心に物語は進む。戦い抜き、幾多の命を救い続けた艦。「生きて還す、生きて還る」、その史実に基づく物語。原作は長谷川康夫著『雪風』(小学館文庫)。長谷川氏はこの映画の脚本を担当もしている。私は、この原作を8月上旬より読み始め中旬に読了、8月17日にこの映画を観に行った。「一人でも多くの人を救う!」そんな現代世界に通じるメッセージが込められた映画だった。

 1945年8月の終戦後、「雪風」は、砲塔などの軍備を全て撤去され、中国大陸や東南アジアに残された日本人たちを、日本に輸送する船として2年間余り働いた。艦長はこの間に激務がたたったためか、病気で亡くなっている。先任伍長は沖縄に向かう途中、米国の戦闘機の襲来時に戦死している。こののち、「雪風」は戦時賠償の一つとしてソ連(ロシア)に引き渡され、数年間ソ連で使われたのちに、爆破により沈没した。

 第二次世界大戦終戦80年を迎えるこの夏、戦争を扱った(題材)とした多くのドラマや映画、そしてドキュメントがテレビなどても放送されている。あの戦争による悲劇を忘れず、そして現在をとらえなおし、未来への日本の選択を誤らないために、多くの人にも観てほしい作品がたくさんあった。

 たとえば、8月13日にはNHK総合で「八月の声を聞く男」。元長崎放送局記者の伊藤明彦氏の著作『未来からの遺言 ある被爆者体験の伝記』を原案に、NHK大河ドラマ「麒麟が来る(2020年)」の脚本を手掛けた池端俊策が脚本を担当。主人公の伊藤のモデルを木本雅弘が演じていた。被爆者の一人の役として主演している阿部サダヲの存在感も‥。この夏、長崎と広島に投下された原爆に関するドキュメントやアニメ、ドラマも多く放送されたが、改めて、核兵器の恐ろしさとその使用の非人間性を思う。被爆した何十万もの人々の苦しみを思う。

 この夏の参院選での東京選挙区に出馬し当選した参政党のさやか候補は、「日本は核兵器を持つべきだ。軍事費としては一般的に通常兵器よりも安上がりだからです」と聴衆に語ったが、「語るに落ちた」というか、核武装賛成という主張をするにしても、「安上がり」という言葉をよくも使えるなぁ‥と、その人間としての愚かさ、まっとうな人間としての知性・品性のなさに怒りを感じる。

 丸善書店に8月中旬には、新書購読人気NO2として『核抑止論の虚構』(豊下楢彦著)[集英社文庫]が並べられていた。この8月、シベリア抑留者を描く映画「ラーゲリーより愛を込めて」(二宮和也主演)もテレビで再放送されていた。

 この夏、テレビで映画「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」が放映されたのを視聴した。現代の、母一人子一人のシングルマザーの娘の女子高校生が、1945年の夏にタイムスリップ。そこは特攻戦闘機基地のある町だった。

 そして、特別攻撃隊の隊員と、初めての恋におちいる。そして、彼は特攻機に乗り込み離陸し帰還しなかった。再び現代に娘は戻り、「生きられる、未来もある」という現代社会で、改めて頑張って向き合い直すというストーリーだった。「御国のため、親しき人を守るため‥」と、死に追い込まれた特攻隊員には、深い敬意と哀悼を私は感じる人間の一人だ(死への特攻を美化するわけではなく)。そんな特攻について、日本の若い人たちに観てもらいたいテレビ放映された映画でもあった。

 この映画は2023年に全国公開され、興行収入45億円を突破する大ヒットの作品となった映画だった。原作者は作家の汐見夏衛。主演は福原遥。2026年には、続編の「あの星が降る丘で 君とまた出会えたら。」が制作・全国公開される予定となっている。

 この夏、他に、8月16日・17日の2夜連続でNHKスペシャルドラマ「シュミレーション~昭和16年の夏の敗戦~」なども放映された。また、戦争を描いた過去の作品の再上映(4Kデジタル修復版)も相次いだ。大岡昇平がフィリピン・レイテ島の戦場を描いた『野火』は2度映画化されている。私はこの『野火』を読み、映画を観て、そして、2000年代にレイテ島に3度にわたり行ってきた。

   また、広島原爆投下前後の広島・呉の日常を描いたアニメ「この世界の片隅に」も、各地の映画館で再上映がされた。そして、ドキュメンタリー映画として、終戦間際の満州で、生き延びるために性の相手として差し出された女性たちの声を伝えた「黒川の女たち」(※「黒川」は長野県にある村。この村からも満蒙開拓団が結成されて満州に集団移住した。)  このドキュメンタリー映画の語り(ナレーターは女優の大竹しのぶ。)   映画「長崎 閃光の影で」は、長崎原爆投下後、被爆者の救助にあたった3人の看護学生が主人公。原爆の惨状や極限状態での人間模様に迫っている作品のようだ。(この映画は、滋賀県の各地でロケ撮影が行われた。)

 この7月・8月、テレビでの戦争関係のドラマやドキュメンタリーの放映は、数多くあった。

 8月19日(火)、恐竜好きの五歳の孫の寛太と二人で、京都市内の映画館に行き映画「ジュラシック・ワールド—復活の大地」を観た。この夏、孫との良い思い出になった。

 8月29日には、大学の夏休みでの日本滞在を終えて中国に戻ることになる。次の二つの映画はとても観たいのだが‥。一つは「盤上の向日葵(🌻)」(10月31日から全国公開/坂口健太郎・渡辺謙が主演。)。この映画の原作『盤上の向日葵』(柚月裕子著)は、2年ほど前に読了し、今は中国のアパートにある。もう一つは「宝島—Heros Island」。沖縄がアメリカだったころ(1945年~1971年までの占領、アメリカ統治下)。幼馴染の仲間たち4人が行っていたこと、そしてリーダー格は行方不明に‥。残された3人は、警察官、教師、ヤクザとそれぞれがなる。それから20年後に彼らがたどり着いた真実とは‥。—「俺たちの故郷、"宝の島"を取り戻せ!」(主演は、妻夫木聡、永山瑛太、広瀬すず、窪田正孝) 9月19日全国公開。

 この二つの映画は、いずれ観ることのできる機会はあるかもしれないので、19日に原作書籍を丸善書店で購入した。原作は第160回直木賞の受賞作品『宝船』(真藤順丈著)/講談社文庫(上・下)  中国でゆっくりと読了したい。アメリカ統治下の歴史を知るうえで格好の著作かと思われる。

 終戦から80年の今年。そして昨日、8月22日、私は73歳の誕生日を迎えた。父は3年間余りのシベリア抑留ののち、日本に帰国し、その後に寺坂家に婿入りして母と結婚、私は1952年(昭和27年)に生まれた。

◆この戦後80年の今年の夏、中国ではこの7月~10月にかけて、「抗日戦争勝利」の記念行事や映画の上映が行われる。7月に公開された映画「南京写真館」(日本軍による南京大虐殺事件を扱った映画)は、すでに5000万人近い動員数となり、映画収益も何千億円。9月18日公開の「731」(日本の細菌兵器部隊731部隊の実態を描く)は、すでに多くの中国国民の関心をあつめている。その中国に、私は8月29日に戻る。「反日感情の高まり」が懸念される時期であり、ちょっと中国渡航も心配ともなるが、その中国で暮らすこととなる‥。