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彦四郎の中国生活

中国滞在記

ある日の夕方—乡士少年・街头献艺—

2015-11-27 03:38:50 | 滞在記

 福州に再び来て1ケ月と少しが経った。11月25日頃までは、最高気温が30度くらいの日がけっこうあったが、昨日から急に寒くなった。北からの冷たい空気が南下してきているようで、最高気温が18度前後。夜は気温が冷え込む。最低気温は12度前後。今朝は、さらに寒い。北京では、最低気温がマイナス5度となっているようだ。上海の最低気温が4度、東北地方・黒竜江省の省都ハルピンの最低気温はマイナス20度となっている。
 一週間ほど前、市内の中心地にほど近い「三坊七巷」に行ってきた。部屋が殺風景なので、絵を飾りたいと思った。1年ほど前から、「けっこういいなあ--。」と思っていた絵がある店に行き、その絵を買った。650元(約1万3千円)の値段だった。

 近くにある郵便局に行くと、「櫛(くし)」の芸術品が売られていた。日本へのお土産にいいと思い、買った。

 この「三坊七巷」に、新しい映画館ができていた。建物も、この地区の情景を配慮したものになっている。いくつもの上映会場室があるようだ。007も上映していた。中国に来て、まだ一度も映画館に入ったことがない。いつか、入ってみたいと思っている。

 午後4時半ころ、市内中心部にある「電脳城」という場所に行く。パソコン・携帯電話などの電化製品の店が多く密集している。プリンターのインクを購入する。一本120元(2400円)と非常に高い。日本の2倍以上の値段。近くの、小学校の下校時刻には、大勢の大人が子どもを迎えに来ていた。中国では、日本の集団登校のようなものはない。

 「電脳城」の近くの通り、バス停に向かって歩く。午後5時半、もう暗くなっている。音楽が聞こえるので行ってみる。少年のような子が、チャルメラのような楽器を演奏していた。大きな赤い布に、何かが書かれている。「郷士少年 街頭献芸」。中国語での自己紹介文。意味は次のようだった。
              「農村出身の少年 街頭での芸披露」
 みなさん、こんにちは。私は紀歆軒、今年15才です。山東省の普通の農民家庭の子どもです。私は音楽が好きです。曲を作るのも好きです。楽器もすきです。いろいろな歌曲楽器を独習しました。そして、これが私の好きなことです。
 私の家は、以前は平静でした。しかし、父が仕事をしなくなってから、母は家を出てしまいました。遠く河北省の張家口にて再婚をしてしまいました。今は、母とは連絡も関係も持っていません。父からも、家を出ていくように言われてしまいました。そして、私は家を出て、芸を売って暮らしているのです。
 私は、私の生活の苦しさを あなたたちに訴えるのではありません。同情を得るつもりはありません。私はただ、みなさんに自己の力(音楽)を知ってほしいのです。音楽を聞いてほしいのです。私の生活を支えるための、なにがしかの支援を! ありがとう。

 まあ、このような意味なのだが---。彼の足元には、トランペット・笛などの さまざまな楽器があった。茶碗もあるが、茶碗での演奏はなかなかのものだった。茶碗で、よくドレミの音階が出せることに驚いた。10種類以上のものを使い演奏していた。15才の少年が、このような生活をしていることには、驚きだが、これも中国という国なんだと思う。今は、山東省の附近は、雪も降っているので、わりと暖かい南方の福建省で旅の芸をしているのかもしれない。 近くの露店で、電動バイク(電動自転車)に乗ったアベックが注文し、バイクに乗ったまま食べていた。中国の人は、場所を選ばす どこでも食べる人がけっこう多い。

 午後6時半頃、宿舎方面へのバスに乗りこむ。この時間帯の市内中心地のバスは大変だ。超満員のバスに、さらに人が乗り込むので、手足が動かせない状態になる。渋滞も激しい時間帯なので、通常の2倍以上の時間がかかる。宿舎近くの「師範大前」のバス停で降りる。学生街近くの歩道橋、階段におじいさんの物乞いがいる。歩道橋の上には、二胡を弾くおじいさん。(物乞い) いろいろな露店が、歩道橋から見える。いろいろな人が、いろいろな仕事をしながら生きている中国社会。








福建師範大学倉山校区(キャンパス)➂―芸術地区―

2015-11-21 05:08:36 | 滞在記

 福建師範大学倉山キャンパスの正門を入ったあたりには、朝といい夕方といい、多くの市民がなにがしかの過ごし方をしている光景が日常的に見られる。縄跳びをしている小学校低学年の姿。しばらく見ている。髪型がおかっぱなのは、昔の日本の女の子を思い出す。キャンパスの奥まったところに、第二運動場がある。ここは、学生が多い。芝生の上で談笑するグループ、ジョキングする学生----。

 学生寮が立ち並ぶエリアの中心に食堂がある。食堂付近には、いろいろな店がある。寮は新しいものもあれば、古い建物もある。寮の近くには、すぐに「長安山公園」とよばれる小高い丘の山がある。ここも大学の敷地内にある山なのだが、登って行くと あまり整備がされていない森山だった。一番高い所に「展望台のような休息所のような建物」があったが、キャンプテントが張られていた。だれかがここに住んでいるようだ。
 芸術地区に続く小道に向かう。歩いていると石畳の小道がある。

 芸術地区は、旧音楽学部と旧美術学部があった建物群だ。両学部ともに、現在は旗山新キャンパスに移転しているので、建物群は 現在使用されていない。「家庭教育基地」という建物があり、家庭教育に関する研究所が地区内にある。ここからも、「長安山公園」の小高い山が見える。

 ここは、現在ほとんど授業としては使用されていない建物が多いが、観光客やカメラマン、そして結婚写真の撮影スポットとして有名な場所のようだ。いつ行っても、大きなカメラを持った人や結婚写真が撮影されている。

 2組の結婚カップルの写真撮影がこの時行われていたが、仰向けに寝ころんでキスをしているシーンなどは、あまり日本の記念撮影アルバムでは見たことがないなあ。カジュマルの木の根の張り方がなんともいえない光景だ。

 教会をイメージさせる教室建物もある。なにかほっとさせてくれる大学の敷地地区である。











 

福建師範大学倉山校区(キャンパス)②―外国語学部日本語学科―

2015-11-20 18:38:49 | 滞在記

 私の宿舎から歩いて20分あまりすると、福建師範大学倉山キャンパスの正門に着く。けっこう重い鞄を持ちながら、外国語学部のある建物まで さらに10分を歩く。11月中旬を過ぎても、福州はけっこう暑い日が続く。天気が、曇りや雨でなければ30度前後。3階にある教員控室に着くと、汗ばんでいる。雨や曇りの日は、23度前後くらいになる。しかし、湿気がまだ多い。夕方から早朝までは、かなり涼しくなる。
 正門を入ると、「文化楼」という文学部などの建物が正面に見えてくる。

 体育館や市民に開放されている運動場を見ながら、文化楼の近くまで行くと、大きなカジュマルの大木。木陰が涼しい。ここから、右手方向には科学会堂という大きな建物まで、広くて長くゆるやかな坂道が続く。

 科学会堂に行く坂道は行かずに、文化楼を左手方向の坂道を上ると図書館がある。さらに、歴史を感じる建物群が続く。大きな樹木の上には栗鼠(りす)が見えることもある。学内でたたずむ老人たちの向こうに、いつもよく利用するコピー屋さんがある。A4版を35枚コピーして2.5元(約50円)だから、1枚が約1.5円と安い。

 化学楼の前に、書物を広げているギリシャ風の女性像。情報学部や行政楼の西洋風建物を通り過ぎて行く。いろいろな歴史性を感じる建物群の前を歩く。

 ようやく、外国語学部のある建物に着く。宿舎から徒歩30分ほどかな。自転車がほしくなる。歴史的に有名らしい人物の石像や書物の石像。そして、5階建て西洋風の外国語学部の建物。3階と4階の教室で授業を担当している。
 外国語学部の前身創立も、1907年。現在、英語学科と日本語学科、及び 対外中国語学科の学科がある。外国語学部の学部生は約1100人。そのうち、4分の1の約250人ほどが日本語学科の学生である。(1学年が約55人で、2クラス<1クラス約27人程度>ある。)  大学院生は、学部全体で100人ほど。日本語学科の院生は約20名がいる。日本語学科の教員は、中国人教員18人、日本人教員3人の合計21人と、かなり多い。
 学部生の教科としては、「総合日語1〜5」、「読解」、「聴解」、「高級口語」、「日本事情(日本概況)」、「日本語書作(作文)」、「日本古典語法」、「日本近現代文学選読」、「日本新聞読解」、「日本語文法」、「翻訳」、「日本文化事情(文化概論)」、「実用文日本語」、「通訳」、「日本文学史」などの授業教科などがある。かなり多彩な授業が存在していると思う。さらに、「論文演習」の授業がある。中国の大学には、約300の大学に日本語学科があるといわれているが、ここはかなりレベルの高い日本語学科の一つのようだ。

 授業が終わって、外国語学部の建物の下にある図書館を見る。熱心に勉強している学生たちの姿が見える。

 森の中のような道を通って、文化楼のある建物の中の教室を覗いてみる。階段型の大教室がいくつもある。2時間20分もある昼休み、学生達が自習をしている。お母さんに連れられた小学生の女の子が勉強している姿もみられた。

 文化楼近くのバスケットコートで過ごす学生たち。バレーボールコートでは、地域の一般人たちが、ゲームを楽しんでいた。かなり、地域に開かれたオープンな雰囲気のある大学だと感じる。









 





福建師範大学倉山校区(キャンパス)①―福建師範大学という大学―

2015-11-20 09:18:28 | 滞在記

 福建師範大学には4つのキャンパスがあるが、その中心キャンパスは、福州市内にある「旗山校区(新キャンパス)」と「倉山校区(旧キャンパス)」である。旗山キャンパスは広大だが、倉山キャンパスはそれに比べてそれほど広大ではない。しかし、かなり広い。このキャンパスには現在、文学部や外国語学部、経済学部、地理学部、国際学部などの学部がある。

 福建師範大学は百年の歴史を持ち、1907年に清のラスト・エンペラーの師匠にあたる陳宝琛が創立。現在、27の学部と多くの大学院(修士・博士課程)をもつ総合大学である。学生数は約2万5千人(内:院生が約3000人、海外からの留学生も多い。) 約2500ある中国の大学でのランキングは100位以内に入る名門大学の一つらしい。福建省内92大学中では3位(1位厦門<アモイ>大学、2位福州大学)、で いわゆるエリート大学の一つになっている。

 倉山キャンパスには、歴史的な建物が多く残っている。国際学部やさまざまな研究所のある「勝利楼・和平楼・民主楼」の建物などは荘厳な感じすらする。

 和平楼を道路から見る。西洋と中国が合わさった、見事な建築物だと思う。

 和平楼から道路をはさんで、「留学生」たちの宿舎会館がある。17の国から来ているという留学生はどれだけいるのだろうか。かなりの数になるようだ。ちなみに日本人留学生は10人ほどいるらしい。

 和平楼・勝利楼・民主楼などの建物群の近くに、古くからある教職員寮の建物があった。また、昔の学生寮に使っていたような建物もある。「福建師範大学武装学院(学部)」の運動場が見えた。市内中心部方面に落ちる夕焼けが美しい。この「武装学部」というのは、いったいどんな学部なのだろうか。



大学運動会の時期―閩江大学と福建師範大学の学生が宿舎に来る②―

2015-11-13 04:29:56 | 滞在記

 11月6日(金)。福建師範大学大学運動会の2日目の昼頃、「先生、今日の夕方に宿舎に行ってもいいですか。」と師範大の3年の学生から電話があった。夕方の6時頃に、スパーマーケットで買った食材を持って3人の学生が来た。趙君は福建省南平市、張さんは河南省漯河市、劉さんは福建省泉州市がそれぞれの出身地だ。張さんが、「故郷・河南省の料理の味が恋しくて、作りたいのです。」ということだった。
 1時間あまりをかけて、4種類の料理をつくってくれた。その間、わたしと趙君は日本のドラマを見ていた。観月ありさと阿部サダオ主演の「日本人と中国人」の交流をめぐるドラマなのだが、面白い。趙君に、スーパーマーケットで買ってきた鳥の足を勧められた。まあ、美味しいのだが、日本人には苦手な食べ物ではある。三本足の見た目に食欲がわかない。これを中国人は実に好きであるらしい。
 張さんは、中国の女子大学生には珍しく、料理を自分で作るのが好きなようだ。4人でいろいろなことを話し、ビールを飲みながら食べた。辛いが美味しかった。そして、後かたずけをきれいにしてくれて、9時ころ帰って行った。
 たくさん作ってくれた料理は、翌日の朝食から11月8日(日)の夕食まで、朝・昼・晩と食べて完食した。以下は、「3年書作」の授業の宿題で提出された。彼女らの作文の一部である。(※中国では、「中学校の時から寮生活をしていました。」という学生が割と多い。大学生となれば、ほぼ全員が4人~6人部屋の寮に入る。寮には、学生が炊事をするための施設はどの大学にもない。その環境のためか、女子学生でも料理を作る経験が乏しいまま、結婚に至る場合が多いようだ。)(※作文は原文のまま)

「大学運動会中の生活」 張○○
 ------------------------------。二日目の午前は宿題と小説を書きました。午後、劉さんと趙さんと一緒にスーパーに買い物に行きました。先日、うちの料理が懐かしくてしかたがなかったですから、インターネットで特別なスープの調味料を買いました。スーパーで野菜や卵や餃子などを買い終わり、直接に寺坂先生の寮に行きました。先生の台所を使ってうちの日常料理を作って、先生と劉さんと趙さんと一緒に喋りながら夜ごはんを食べて嬉しかったです。先生はビールをくださってありがたかったです。-----------------------------------------------------。

 「随筆」    劉○○
 
 ------------------------------。運動会の二日目、ルームメートの張さんと二クラスの趙と私は一緒にスーパーに行って買い物をしてから、寺坂先生のアパートに行って夕食を作りました。私は食べるのは好きですが、料理を作るのは苦手です。張さんを手伝っただけです。その時、張さんは料理を作る様子を見て、私もそうなりたいです。将来、家族や恋人に美味しい料理を作りたいですから。頑張ります。
 その日、私たちは話しながら河南省ならではのスープやおかずを食べました。あと、ビールも飲みましたよね。家族みたいだと思います。とても楽しいです。