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彦四郎の中国生活

中国滞在記

錦秋の駅前渓谷(石清水八幡宮山麓)—中国人留学生を丹波山系に案内する―立命館大学の紅葉

2022-11-27 14:37:29 | 滞在記

 「錦秋の駅前渓谷」と題されたポスターが石清水八幡宮の下宮に貼られていた。「錦秋の駅前渓谷」とは、京阪電鉄「石清水八幡宮駅」から徒歩3~4分余りの所にある小さな渓谷のことだ。国宝「石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)」は日本三大八幡宮の一つだが、この神社のある男山(143m)の谷間の渓谷は、11月下旬になると多くのモミジの大木で錦秋となる。紅葉と渓谷を渡るケーブルカーのコントラストも見られる。

    山の中腹にある神応寺に続く石段の参道付近は今が紅葉の盛りとなっている。石清水八幡宮の下宮付近にある高良(こうら)神社のイチョウもまた、11月中旬から色付き始め、夜はライトアップもされている。11月下旬になり、イチョウも黄色く色づいた。千両もまた黄色い実をつけてきた。(「千両」は黄色い実、「万両」は赤い実をつける。) この神応寺一帯は、春は「青モミジ」、6月は「アジサイ」が群生し、竹林と相まって美しい光景が見られる。

    男山山中の中腹にある松花堂跡地付近には、モミジの大木が数十本あり、ここもまた見事。

 11月10日頃に、中国福建省の閩江大学から京都大学に国費留学中の呉君から「先生、どこか紅葉を見に行きませんか」との連絡が入った。そこで、11月20日(日)に紅葉を見るために丹波山系の京北町にいくこととなった。呉君に、日本の田舎の景色を見せておきたくもあったからだ。当日、呉君の寮がある京都市の修学院の「京都大学国際交流会館」に午前11時半頃に車で到着した。

 この会館には2本のモミジの木があって紅葉が美しい。会館近くには叡山電鉄(京福電鉄)が走っている。呉君の部屋に行ってみる。ワンルームのバス・トイレつき個室。

 鞍馬を経て、花脊峠を越えて、京都市左京区の花脊集落に到着した。茅葺型の家々が多い日本の田舎の光景だ。たまたま、捕獲した鹿の解体を行っていいたので、しばらく見学した。呉君はこのような光景は初めて見たようだ。民家の前のモミジの紅葉が美しい。

 花脊集落から京北町に向かう上桂川沿いの道すがら、みごとなモミジの大木があった。

 道沿いにあった喫茶・軽食の食堂。モミジの紅葉が見事。紅葉を見ながらテラス席で遅い昼食。京北町にある妻の姉の家に立ち寄り、一服させてもらった。また、近くの妻の実家にも立ち寄った。呉君にとっても、日本の田舎の原風景が見られ、紅葉も堪能できたのではないかと思う。

 11月21日(月)の午後、午前中のオンライン授業を終えて、立命館大学に行った。中国渡航就労ビザ取得のために必要な大学院修了証明書をもらうためだ。

 立命館大学の紅葉も盛りとなっていた。

 大学正門近くのコンビニの喫煙所でタバコを一服。中国系らしい2人の留学生と欧米系の留学生1人が、タバコを吸いながら、流ちょうな英語でしゃべっていた。

 11月25日(金)、午前中のオンライン授業を終えて、京都市の吉田山山麓界隈の娘の家に。孫の寛太と2時間ほどの散歩に出る。真如堂から会津墓地、金戒光明寺の三重の塔に向かうと、夕日が西山に落ちて行った。眼下に夕日に染まる京都市内が一望できる。この光明寺は幕末に、会津藩主・松平容保が京都守護職とし赴任し、4年間にわたり1000名余りもの藩士が常時に駐屯した。京都の知恩院とともに、城郭寺院でもあった。

 「満は 損を招き 謙は 益を受く」。出町柳駅前付近の門前の今月の言葉。

 

 

 

 

 


京都御所、真如堂、京都大学の紅葉—京都大学11月祭が3年ぶりに対面で実施された

2022-11-27 10:51:30 | 滞在記

 天候にも恵まれた、この週末の11月26日(土)・27日(日)。京都市内を取り囲む山々や各所のモミジも紅葉も見ごろを迎えた。まさに錦秋の京都でもある。

 11月中旬の14日(月)の午後、中国渡航のビザ取得に必要な「無犯罪証明書」を受け取りに京都御所近くの京都府警察本部に受け取りに行った。帰り道、久しぶりに京都御所(京都御苑)をぶらぶら通りながら、京阪電鉄の出町柳駅に向かう。広い京都御苑に何箇所もあるモミジの紅葉がすすみはじめていた。

 色付いたイチョウの大木もいたるところに。山茶花(サザンカ)の大木に花がたくさん咲いていた。

 京都御所の木々はどれも樹齢があり大木が多い。御所を抜けて鴨川方面に向かうと、「出町柳・桝形(ますがた)商店街」の小さな通りがある。若い人たちも、この地域の商店街で店をやっている人が増えてきている。この商店街の一角にある小さな映画館の「出町座」。これも若い人たちが10年ほど前に作ったものだった。この商店街の「果物店」は、日本一色とりどりの明るい「果物店」の感がある。果物店がとてもとても多い中国でも、このような店は見たことがない。

 孫の寛太(2歳)とよく散歩に行く京都吉田山山麓にある真如堂の紅葉も、11月中旬頃から紅葉がすすみはじめてきていた。

 11月19日(土)、孫娘の一人の「七五三」を、京都の下鴨神社を終えたあと、午後2時頃に京都大学に立ち寄ってみた。京都大学はこの日から22日(火曜日)まで、第64回「京都大学11月祭(大学祭)」が始まっていた。3年ぶりの対面での大学祭。

 大学構内のいたるところ、紅葉が美しい。農学部や理学部のある北部構内のイチョウ並木。大学祭の本部講演は、今年は①「プーチンの戦争とロシア史研究」東京大学准教授の池田嘉郎氏、②「量子情報から創発する宇宙—理論物理学の究極の姿か?」京都大学教授の高柳匡氏。高柳氏は、「宇宙が量子情報の集合体と解釈できることを示す数式を発見」したことで知られている人だ。

 紅葉の隠れた名所でもある京都大学。特に本部構内の工学部・文学部棟のある周辺は美しい。

 「共に生きるとは何か—入管問題、家族の歴史から考えた多様性」フォトジャーナリストの安田菜津子氏の講演チラシも貼られていた。彼女は、毎週日曜日8時からの報道番組「サンデーモーニング」(MBS系列)のコメンテーターとしても時々出演している人だ。

 京都大学から出町柳駅に向かう細い道、京都大学清風荘の塀越しに紅葉が見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 


2022カタールW杯—日本、劇的なドイツ戦勝利、ドイツGKノイアーからの得点—中国での報道は‥

2022-11-27 05:54:59 | 滞在記

 11月21日(月)から「2022W杯カタール大会」が開幕した。世界各大陸のW杯予選を勝ち抜いた32ヵ国。今大会の開催国のカタール国の首都はドーハ。1993年W杯のアジア地区予選最終戦、日本はほぼW杯の初出場が目前となった「日本VSイラン」の試合(会場はドーハ)。ロスタイム(アディショナルタイム)終了30秒前までは2:1と日本がリードしていた。だが、残り30秒でイランにゴールを入れられ同点とされた。これにより、最終的に韓国と勝ち点が並び、得失点差で日本のW杯初出場はかなわなかった。これを日本では「ドーハの悲劇」と言う。今回、日本代表監督の森保一さんも、この時の日本代表選手(MF)だった。あれから約30年余りが経過した。

 カタールの面積は、日本の秋田県とほぼ同じで、人口は約280万人と広島県とほぼ同じだが、国のGDPは世界で約50位、一人当たりのGDPは世界第8位(日本の約1.75倍)。石油や天然ガスの埋蔵量は世界の約13%をも占めている中東の砂漠の国だ。ほぼ全土が砂漠で雨もほとんど降らず、四季もない、年中真夏の国。人口の8割が首都ドーハで暮らす。

 21日の開会式では、中東の衣服に身をまとった大会マスコットの「ライーブ」が登場した。超可愛い。韓国のKポップ「防弾少年団」のJung Kookの歌唱とダンスのかっこよさにも魅了された。

 日本代表の初戦は日本VSドイツ。11月23日(水)の日本時間午後10時にキックオフ。試合開始からの早い時間帯に、伊東からのアシストで、FWの前田がドイツのゴールネットを揺らしたが、惜しくもオフサイド判定。その後、ボールのほとんどをドイツに支配され、前半にPKを与えてしまい1失点。だが、その後も、なんとか日本は1失点で前半をしのぎきることとなった。

 私も、「おそらく、この試合展開では、後半に2〜3点取られて、日本0:4ドイツくらいで負けるのではないかなあ‥」と思ってしまい、ビデオ録画を設定して眠りについた。そして、翌日の早朝4時頃に起きて後半戦を視聴した。なんと、日本が、後半の30分に堂安のゴール、さらに38分には浅野のゴールで逆転をしていた。アディショナルタイムは7分間。日本2:1ドイツ、日本勝利の瞬間がきた。

 「ハラハラして負けるかなと思ったけど、勝ったからびっくり」の声が、日本各地のスポーツバーで観戦していた人からも‥。試合全般を通じての①ボール支配率は、ドイツ65%・日本22%、②シュート数は、ドイツ25本・日本11本、ゴール枠内シュート数は、ドイツ9本・日本3本だった。

 後半早々から、DFに富安を投入し、その後も断続的にMFやFWに堂安・浅野・南野・三苫を投入し、スタートメンバーからの伊東とともに超攻撃的な布陣を敷いてきた日本。鎌田をボランチの位置に移動させ、遠藤とともに堅守・攻撃の起点というシステムをとった。この森保監督の采配が当たった。4年間余りの、超強国に対して勝つための積み重ねの成果が出たとも言えるだろう。後半30分頃から運動量がやや落ちてきたドイツに対して猛攻を仕掛け、また、ゴールキーパー権田の再三の神がかり的なプレー(権田の18秒間)も光っていた。

 24日夕方に「ニッカンスポーツ紙」を買った。一面と裏面の2ページ見開きの紙面で、日本の勝利を伝えていた。

 後半、同点に追いついた堂安のゴール。攻撃的なMF・FW陣の連携したプレーから生まれたゴールだった。また、38分の浅野のゴールは、今大会で、特筆されるスーパーゴールの一つとなるものだった。

 ここ近年のWカップ優勝候補国のベスト3に常に挙げられるのは、フランス・ドイツ・ブラジルだ。次いで、オランダ・スペイン・ベルギー・イングランド、ポルトガルやアルゼンチンやクロアチアやイタリア。これらの国々でほぼベスト11となる。これら11カ国の壁は分厚く、W杯においてベスト8に入るのは、日本にとっても、とてつもなく難しい。前回のW杯ロシア大会ではグループリーグを勝ち抜いてベスト16に入った日本だが、ベスト8をかけた日本VSベルギーは、2点リードしながらも、後半でベルギーに逆転された。これが、サッカー強豪国の底力なのだろう。

 世界NO1ゴールキーパー(GK)とも言われるドイツのノイアー選手(36)。今大会のヨーロッパ予選では、ノイアーは1点たりともゴールを許さなかった。彼は、2010年のW杯からドイツのゴールを守る守護神で、身長は193cm。今大会の大陸予選では、ドイツはカタール大会出場決定1番乗りでもあった。そんなサッカー強国ドイツのGKノイアーから1点でも得点ができるのか?との前評判だった。

 なぜ、このノイアーから2点もの得点が日本は取れたのか。それは、日本の後半からのリスクをかけた超攻撃的な布陣にあった。そして、もう一つは日本選手の気迫がドイツに勝ったことだ。後半30分、三苫がボールをもってドイツ陣内に駆け上がり、南野にパス。その南野がシュートを放つ。ノイアーはこのシュートを弾き返して防いだ。だが、弾き返したのはゴール正面方向だった。そのボールを堂安がシュートした。

 なぜ、ノイアーはゴールからより遠くの斜めに弾き返さずに正面方向に弾き返したのか?その瞬間には、斜め方向からゴールに向かう浅野の気迫の姿がノイアーには強烈に見えたからだ。これを防ぐために正面に弾いたのだ。堂安のシュートがゴールネットを揺らした瞬間、浅野はゴールにスライディングしていた。日本の三苫・南野・堂安・浅野、そして伊東といった攻撃陣が気迫をもって連携してもぎ取ったノイアーからの得点シーンであった。

 後半38分の浅野の超角度のない位置からのノイアーからの得点シーン。あと1m、ノイアーが浅野の近づいていれば、浅野のゴールは生まれなかったかも知れない。さすがのノイアーも躊躇したとも伝えられる。日本勢の気迫にノイアーも飲まれていたのか‥。試合後にノイアーは語った。「最後は意志が決め手だった。日本は本気で何かを手に入れるたいと思っていた」と、日本の気迫が上回ったと嘆いた。

■24日付「ニッカンスポーツ」紙面には、「街クラブ卒 W杯同時に4人 さぎぬまSC―板倉・権田・田中・三苫」の見出し記事。神奈川県にある少年サッカークラブの「さぎぬまSC」。「カワウソはうそつかない」の見出し記事も。11月22日、東京都港区にある水族館「マクセル・アクアパーク」のカワウソの「たいよう君」は、小さなサッカーボールをもって、①日本勝利の缶、②引き分けの缶、③ドイツ勝利の缶のそれぞれの缶に臨んで、①の日本にボールを入れたとの記事。

 この日本の勝利は、中国でも驚愕の衝撃をもって受け止められていた。「史上類を見ない驚きの勝利」「アジアの頂点として別次元の日本」と報じられていた。中国のポータルサイト『捜狐』は、「逆転で完璧な勝利!史上類を見ない展開だ。日本代表がとても羨ましい!」と題した記事を掲載。「日本代表はドイツに2-1で勝利した。これはW杯の3日目に起こった。信じられないほどの驚きのストーリーだ。1日前に、サウジアラビアが2-1でアルゼンチンを相手に起こした番狂わせは、やや運が良かった。だが、日本が2-1でドイツを逆転した試合は、展開という点でさらに史上類を見ないものだった。日本はアジアの頂点として、別次元の衝撃を与えたのだ」とも。

 中国国営の『新華社通信』は、「想像できなかったこと」としたうえで、「アジアサッカーの水準と魅力を世界に知らしめた」と称賛した。

 日本がドイツに勝利したニュースは、中国のテレビ報道などでも速報された。「日本の勝利から学ぶべきだ」との論評も。また、普段は日本に厳しいコメントが多いSNSでも、「このあとも日本がんばれ」「アジアの最強は日本だ」といった投稿が相次いでいた。

■W杯をテレビで観戦している中国人のSNSには、「国外では普通にWカップを開催して、マスクを着けている人もいない」「それなのに中国では至るところで封鎖が行われている。これは、ひどいジョークだ」「私たちの国は、別の惑星なのか」と‥。中国の超厳格な「ゼロコロナ政策」に対しての批判的な投稿も見られると、日本のテレビ報道は伝えていた。

 日本時間の一昨日、ブラジルVSセルビアの試合が行われ、ブラジル2:0セルビアで、ブラジルが勝利した。ブラジルFWのリシャルソンはこの試合で2得点したが、2点目のアクロバテックなボレーによるスーパーゴールは、W杯史上に残るゴールだった。セルビアの監督は日本の名古屋グランパスでもプレーした、サッカーの妖精ことストイコビッチ氏(58)。コーチの一人は日本人でもあった。

 さあ、いよいよ本日27日(日)、日本時間午後7時から日本のグループリーグ第2戦、日本vsコスタリカの一戦がキックオフされる。日本の勝利を祈ることとなる‥。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


故郷の山々も紅葉がすすむ、青春の一つの思いで「日野山の松明登山」—越前ガニ漁の解禁始まる

2022-11-17 06:46:06 | 滞在記

 11月12日(土)、故郷の福井県南越前町に帰省した。実家のある河野地区の集落を取り囲む周囲の山々も紅葉がかなりすすみ錦秋となっていた。

 翌日の朝、福井県越前市に暮らす二人の友人と会い、その後、京都に向かって車を走らせる。南越前町の南条地区の山々も紅葉がすすんでいた。ここに日野山(標高795m)という山がある。古代から山岳信仰の霊場となり、その秀麗な山容から「越前富士」の名がある。越前府中(越前市)の国司となって赴任した父とともにこの地に暮らした紫式部は、雪に白く覆われた日野山を和歌に詠んでいる。また、万葉歌人や松尾芭蕉なども和歌や俳句に詠んでいる。この山の山頂付近は紅葉の季節がすでに終わり、木々は落葉しているが、麓から7合目あたりまでは今が紅葉の盛りとなっていた。

 この日野山の麓に日野神社があり、日野山には一度だけ登ったことがあった。あれは、高校3年生の8月23日のことだった。武生工業高校バレーボール部のチームメートの伊藤君と一緒に、日野山に夜間登山をすることになり、夜の9時ころに日野山の登り口のある日野神社に着いた。この日は年に1度の「松明(しょうめい)登山」が夜に行われる日だった。いわゆる「松明(たいまつ)登山」である。山頂で夜を過ごし、翌朝の日の出(ご来光)を見る行事だった。

 大勢の人が登山口から山に登って行くのだが、この日野神社近くの暗闇の登山口近くで私たち二人は、一人のおばあさんに呼び止められた。そのおばあさんの横には、二人の若い娘(むすめ)が立っていた。そのおばあさんが、「すんませんがあ、この娘(こ)たちをお、いっしょに 山の上まで連れていってえ、くれんやろうかね」と、私たちに突然に頼んできた。福井県でも屈指の進学校でもある武生高校の3年生の娘さん二人だった。「ええけどお」と引き受けて、4人でいっしょに山頂まで登ることとなった。なぜ私たち二人に大切な孫娘さんたちの同伴を頼んだのか、まあ不思議ではあった。真面目そうに見えたのだろうか…。

 懐中電灯は持参しているが、真っ暗闇の中の深夜登山なので、3時間ほどの時間をかけて(昼だと2時間ほどで山頂に着くようだ。)、ゆっくりと山頂に着いたら午前0時すぎとなっていた。夏だが山頂は少し寒かった記憶がある。山頂にはたくさんの人がいたが、土の上で横になり仮眠もした。そばには、同伴することになった18歳の娘たちも横たわっていたいたので、少しドキドキもしながら眠りについた。早朝、山頂からは、福井県・岐阜県の県境にある1200m~1500mの山々から昇る御来光を見た。

 日野山から下山して下宿に戻った翌日の25日から6日間ほど、私は自転車で京都や奈良に向かった。1日目に財布を落としてしまい、無銭の旅路となった。野宿をしたり、京都駅や奈良駅に寝泊まりし、出会った人からお金を借りて旅を続けた。京都から福井県武生市(越前市)に戻る行程では、借りたお金も使い果たし、田んぼの稲籾(いねもみ)を食べながらの行程となった。そして、下宿に帰ったら、日野山登山を一緒にした娘さんの一人であるSさんからの手紙が届いていた。LOVEレターのようなものだった。それから私はSさんと付き合いのようなものを始めた。そんな思い出のある山がこの日野山だった。

 あれからすでに50年が経つ。とても優しく控えめで、可愛らしいSさんだったが、今はどこでどうしているのだろうか。そんな感傷もあってか、52年ぶりに日野神社に立ち寄ることにした。行ってみると、あの時におばあさんに呼び止められた記憶にある場所は、「おそらくここだろう」と確認できた。地元では有名な、Sさんの実家であるS建設の本社建物がいまも南越前町南条地区の国道沿いにあった。

 さて、山陰海岸から越前海岸にかけての「🦀蟹(カニ)漁」が11月6日から解禁された。毎年、11月6日から翌年の3月20日までが解禁(漁の期間)となる。ただ、資源確保のためにメスのカニであるセイコカニ(コッペカニ)の解禁は12月31日までの期間限定。カニ漁の漁港は、鳥取県から京都府や福井県、石川県までにまたがる。福井県では、南越前町の隣町である越前町が県内最大のカニ漁の漁港。いわゆる「越前ガニ」の本場だ。そして、私の故郷・南越前町や越前町には、約60軒余りのカニ料理を食べさせる旅館や民宿が軒を連ねる。

 このズワイガニは、山陰地方では「松葉ガニ」と呼ばれている。水深200m~350mの海底に生息しているズワイガニ。小さい子どもの頃は水深200m~250m付近で生息し、10年余りをかけて成体(大人)に成長する。寿命は13年~15年くらい。成体は300m~350mの水深付近に生息している。この日本の山陰・北陸のカニの漁場は、日本列島の森から流れ出るミネラル豊富な水が、海底の底流水をつくり、カニの成長にとってとてもいい生息環境となっている。

 11月12日(土)・13日(日)は、山陰海岸、越前海岸などの各地の漁港でカニ祭りが開催された。解禁が始まって1週間余りなので、初物としてカニが売られていたので、オスのカニも、メスのセイコガニも値段はとても高い。例年、12月の上旬あたりになると値段もかなり安くなる。そして、年末には再び値段が上がってくる。私が子どものころは、「また、カニか」というくらい、毎日の食卓にカニがだされていた。特にメスガニのセイコは当時は売り物にならないので、毎日のようにセイコガニを食べていた。故郷の越前海岸は12月中旬からは「カニと水仙」の里となる。

 13日(日)、京都に戻る途中、福井県の敦賀港にある「日本海市場」に立ち寄り、セイコガニ2尾と焼き鯖1尾を買って、妻へのお土産とした。

 帰路、滋賀県と京都府にまたがる比良山系と、丹波山地の間を流れる安曇川沿いの鯖街道を通った。この街道は、京都市の出町柳まで続くが、沿道の山々はずっと紅葉が美しかった。

 11月11日の午後4時頃に、孫の寛太(もうすぐ2歳)と久しぶりに吉田山山麓の真如堂に歩いて散歩に行った。京都市内の紅葉の名所の一つだが、境内の紅葉がかなり色付き始めていた。見頃は11月下旬、特に11月25日~27日前後かと思う。近くの、金戒光明寺や哲学の道、永観堂や南禅寺の紅葉も見事だ。

 

 

 

 


この11月はサッカーの季節—全国高校サッカー選手権・京都府大会準決勝を観戦する―W杯カタール大会、JIを残留戦

2022-11-10 04:23:00 | 滞在記

 この11月6日(土)、第101回全国高校サッカー選手権の都道府県代表を決めるための、京都府大会の準決勝を観戦しに行った。準決勝の会場は、京都市内の「たけびしスタジアム京都(旧・西京極スタジアム)」。サッカーの試合をスタジアムで観るのは実に7年ぶりだった。私は40歳代になってサッカーを始めた人間だ。それまで、サッカーをテレビやスタジアムで観戦することは好きでも、競技としてサッカーをやったこともなかった。(バレーボールは高校時代にクラブでやっていて、20代〜30代までは、競技をするのも大好きだった。)

 上記写真上段右が私(45歳)

 京都市に隣接する京都府八幡市にはサッカーの地域リーグがあって、18チームがあった。1部リーグが8チーム、2部リーグが10チーム。そのうちの1チームが、私たちが新しく結成したサッカーチームだった。チーム名は、イタリアプロサッカーリーグの「セリアA」にちなんで、「セロリA」。通称「セロリ」。この「セロリA」には、多い時には25名ほどが登録していた。市内の工場で働くペルー人3人が加入していた時には、ものすごく強いチームとなって、1部の上位にまでいったこともあった。そのチームの代表に私は最初からなっていた。ポジションはゴールキーパー。チームメンバーは、20代前半から30代前半までがほとんどで、40代以上は私一人だった。平均年齢は26~27歳くらいだった。このチームは10年間ほど存続し解散した。だから10年間ほどサッカーをやっていたことになる。

 そんな私のサッカー経験もあり、2013年に中国に渡航するまでは、地元京都のプロサッカーチーム「京都サンガ」の試合や高校サッカーなどを観戦しにときどきこの西京極スタジアムに足を運んでいた。

 久しぶりの西京極スタジアム。高校サッカー選手権京都府大会の準決勝は、第一試合11:00~「東山高校(私立)VS京都共栄高校(私立)、第二試合13:30〜「京都橘高校(私立)VS大谷高校(私立)」のカードとなった。(※「京都共栄高校」は、京都府北部の福知山市にある。それ以外の3校は京都市内にある。) 前日、チケットを予約してコンビニでチケットを受け取った。11月6日(土)、午前10時40分頃にスタジアムに到着した。この日も秋晴れの一日となった。

 京都府内には102校の高校があり、国公立は約62校、私立は40校。これらの高校の今年の頂点に立つのはどこなのか。1回戦からの一発勝負(負ければ終わり)のリーグ戦は、やはり見応えがある。ここ数年間、京都府大会の最強豪高校と評判をとっていたのは、京都橘高校、東山高校だった。この2校がやはり準決勝に勝ちあがってきていた。京都府内のサッカー強豪高校としては、他に、「洛北高校(公立)」「京都共栄高校(私立)」「久御山高校(公立)」「山城高校(公立)」「桂高校(公立)」「立命館宇治高校(私立)」などが知られている。

 公立高校では「城陽高校・莵道高校・洛東高校」などもそれなりに実績がある高校だ。私の息子は、小学の5年生からサッカーを始め、中学・高校とクラブに入っていた。高校は久御山高校だった。そんなこともあり、私も40歳代になってサッカーを始めた経過があった。

 準決勝第一試合の東山高校VS京都共栄の試合は、白熱した、どちらが勝つかわからない試合展開となった。水色のユニホームの京都共栄、赤のユニホームの東山。

 試合は1:0で東山高校が勝った。この東山高校サッカー部の先輩には、2022サッカーWカップ・カタール大会の日本代表になった鎌田選手(MF)がいる。

 第二試合の大谷高校(白のユニホーム)VS京都橘高校(紫色のユニホーム)の試合結果は、0:5で京都橘高校が圧倒的な強さを展開した。京都府大会の決勝戦は、11月12日(土)に、サンガスタジアムで行われる。

 11月7日付と8日付の京都新聞には、「高校サッカー京都府大会準決勝、京都共栄(0:1)東山   大谷(0:5)京都橘—決勝は東山VS京都橘」の見出し記事。「遠い1点 サンガドロー/サンガ入れ替え戦へ」「JI入れ替え戦 13日 サンガVS熊本 サンガスタジアム」の見出し記事。京都のJ1チームの今季の最終戦「磐田VS京都サンガ」の試合は、0:0のドローに終わった。この試合に勝てば、京都サンガはJ1残留ができたのだが、1点が遠かった。13日(日)に、J1参入を目指すJ2のFC熊本と、J1残留を目指す京都サンガFC(J1、16位確定)のブーレ―オフ(PO)の一戦がサンガスタジアムで行われる。  

 そして、いよいよ4年に1度のサッカーW杯が中東のカタールで開催される。11月1日には、26人の日本代表メンバーが発表された。(うち、18人はW杯日本代表新選出) W杯の1次リーグは11月20日~12月2日、ベスト16チームによる決勝トーナメントは12月3日~12月17日、そして18日が決勝となる。日本代表の1次リーグでの試合は、①11月23日がドイツ戦、27日がコスタリカ戦、12月1日がスペイン戦となる。

 私が期待する日本代表の選手ベスト5は、①伊東純也選手・②鎌田大地選手・➂三苫薫選手・④久保建英選手・⑤遠藤航選手(いずれもMF)。特に、伊東・鎌田・三苫の三選手。はたして決勝トーナメントに進出できて、初めてベスト8まで入れるかが注目される。