7月15日に日本に帰国して3ケ月が経った。半年間あまりは、日本での生活に戻りたかったが、10月21日に中国に再び赴任することになった。転勤先は福建師範大学。7月まで赴任していた閩江学院と同じ福州市にある。10月上旬には赴任する予定だったが、40日以上を要する「就労許可証」の認可や中国の国慶節(ゴールデンウィーク)などの関係で10月21日となった。
ブログの更新は、8月27日以来 久しぶりだ。9月から10月中旬までのことを記したい。
―「安全保障法案」にゆれる日本―
9月は、「安全保障法案」をめぐる問題が日本国内に起きていた。8月30日には、国会周辺に12万人の「法案反対」デモが集まったという。京都市内でも、法案に反対する集会やデモが盛んに行われていた。このたくさんの「法案反対」の集会やデモの動きに対して、8月31日の各新聞の報道はかなり違っていた。「朝日・毎日・京都」の各新聞は一面に報道されていたが、「読売・産経・日経」の各新聞は ほとんど報道しなかった。また、各テレビ局も「報道自粛」をしていた。これだけの大きな問題と国民の動きに対して、報道しない新聞やテレビ局の姿勢には大きな疑問を感じた。
9月に入り、「法案反対」の動きが全国的になるにつれ、9月10日頃からテレビ局でもぽつぽつと報道がされるようになってきた。今回の「法案」に対する世論調査なども報道されるようになった。
9月10日報道の「NHK」世論調査によれば、①「安保法案の今国会での成立について」ア:(よいと思う)24.5% イ:(よいと思わない)65.5%②「法案反対デモが国民意識を代表しているか」 ア:(代表していると思う) 46.6% イ:(代表していると思わない) 36.9%という結果だった。要するに、多くの国民が「今国会での成立」に反対し、半数近くの人が「デモは国民意識を代表している」と思っているという結果だった。
「法案」や抗議行動を巡る このような国民的な意識の中で、橋下徹大阪市長(維新の会)は、8月30日の国会周辺デモについて自身のツイッターで次のようにコメントしていた。「たったあれだけの人数で国家の意志が決定されるなんて(ことがあれば)民主主義の否定だ。デモは否定しない。国民の政治活動として当然だが、デモで国家の意志が決定されるのは絶対に駄目だ。日本の有権者数は1億人。国会前のデモはそのうち、ほぼ数字にならないくらいだろう。サザン(オールスタース゛)のコンサートで意思決定する方がよほど民主主義だ。」と。
橋下氏の「政治感覚---。民主主義感覚---。」何かおかしい。思考が幼稚で、民主主義感覚レベルが低い。橋下氏に投票したことのある有権者は、このツィツターを見て「さすがに恥ずかしく思った--。」かもしれない。そして、「今度この人に投票するのは慎重に考える必要がある----。」と感じたかもしれない。投票したことのない私も恥ずかしく思う。橋下氏の発言や行動には、それなりに「おもろい・興味」はあるのだが----。彼の この政治感覚は、民主主義の発達していない国の政治指導者たちの感覚とよく似ていると思った。
9月18日の深夜、「安全保障関連法案」が強行採決された。翌日の19日(土曜日)に、京都市内で高校生の主催した「法案反対」の集会・デモに行ってみた。集会・デモの参加者は、400人あまり。そのうち、高校生は20人あまりいただろうか。私がいままで参加したデモとは、かなりちがっていた。高校生たちを先頭に、ラップ調のテンポで、街行く人にメッセージを伝えるデモ。街行く若い人も、デモの様子を携帯写真にとる人が多くみられた。特に、若い人の感覚にも届くものがこのデモにはあるような気がした。
9月19日(土)の『毎日 小学生新聞』を紹介したい。とても優れた記事だったからだ。一面の見出しは「安保法案―国会の中と外で―」「多数決で負けるのにデモをする意味があるの」[文:編集長 西村隆]
記事は次のように始まる。「集団的自衛権を使える法律など、安全保障関連法案が成立する寸前だ(18日昼現在)。安倍晋三総理大臣を支える与党は、国会の衆議院、参議院の両方で過半数を占めている。話し合いを打ち切り、多数決に持ち込めば法案は成立する。それなのに毎晩、国会の周辺では反対のデモが繰り広げられている。総理大臣はまったく聞く耳をもたないのに。ボクは国会周辺を歩いた。そして考えた。どうしてデモをする? 負けるのが分かっているのに意味があるの?」---中略---
「参加者は、手作りのブラカードを持ち、都合の良い時間にやってきて都合がつかなくなると帰って行った。団体やグループから命令されたり指示されたりして来た「私たち」ではなく、本当に自分の思いを訴えたくて来た「私」が集まっていると思った。そこで考えた。「国会内の多数決で負けるのに、ここに集まって声を出す意味は何だろう ? 」----中略----
「憲法は、国民の権利を保障する一方、国民にも義務を課している。子どもに教育を受けさせる義務(26条)、働く義務(27条)、税金を納める義務(30条)の三つだ。試験問題ならこれで満点。でもキミには次の条文を読んで考えてほしい。[12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。] ここにも国民の義務があった。「国民」とはキミやボク、「私」一人ひとりのことだ。ボクはデモで声を上げることは、[自由と権利のための不断の努力]につながると答えを見つけた。キミがこの記事を読んで考えているこの瞬間も、[自由と権利のための不断の努力]と信じている。
9月3日(木)、中国で「中国戦勝記念70周年」の軍事パレードが北京で開催された。このため、3日(木)・4日(金)・5日(土)・6日(日)と4連休となったところも中国では多かったのではないかと思う。この軍事パレードは、日本のテレビでも詳しく放映されていた。1982年、アヘン戦争での敗戦以来、国難に直面し続けた中国。100年間の屈辱を絶えて、再び国力を増した中国。中国国民にとっては、「ようやくここまで国ができてきた。」と誇りに感じる人も多かっただろうと思う。
一方、中国の軍事力を背景にした対外政策(東シナ海や南シナ海など)に不安を感じる国々も多い。今回の「安全保障法案」問題も、中国の対外政策を不安に感じるからこそ、「法案に賛成」「法案の成立もやむなし」と考える人も多いはずだ。今日の国際情勢を巡って、「法案問題」については さらに勉強をする必要を感じている。
今朝の新聞やインターネットで、「朝日テレビが、藤井聡氏の出演を当分見合わせる。」とのニュースを報じていた。藤井氏(46才)は、京都大学大学院教授で安倍内閣・内閣官房参与。いままで、朝日テレビなどにもよくコメンテーターとして出演し、内閣官房参与でありながらも、今回の「法案」を巡る問題や、橋下氏が進めようとしている「大阪都構想」に対する批判発言をしていたのだが----。なぜ、出演拒否になったのかは、おそらく橋下氏たちの抗議に反応してしまったのだと思うが、残念なことだ。テレビ報道番組では、「大阪都構想」に賛成・反対の両方のコメンテーターを出せばいいと思うのだが--。テレビ局の関係者は、今回の措置について恥ずかしく思わないないのだろうか。「自由と権利のための不断の努力」を考えているのだろうか。とりわけ、報道機関に勤める人達の「不断の努力」の責務は大きいと思う。
―友人たちとの再会―
9月4日(金)、友人の鈴木さん・小林さんと京都伏見にて再会し、飲み語る。9月8日、大学時代からの友人である高貴君に再会し、京都祇園にて飲み語る。
―中国からの留学生、京都市北区のアパートに引っ越し―
閩江大学時代の学生、林さんが 京都の立命館大学大学院に合格し、9月15日に京都に引っ越してきた。1か月半ほど滞在した大阪の寮から、京都に引っ越しをした。彼女の荷物を車で大阪から京都まで運ぶ。そして、留学生生活が本格的にスタートした。