日本への一時帰国中、中国に戻るまであと2日間となった4月7日(月)、午前中に大阪府枚方市の吉田病院での診察を終えてから、自宅からもほど近い木津川・宇治川・桂川の三川合流地の背割堤(せわりてい)の桜並木を見に行った。
京阪電鉄「石清水八幡宮駅」近くの大谷川に架かる太鼓橋界隈の桜、石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)の下宮の桜も満開となっていた。木津川に架かる御幸橋から、石清水八幡宮(日本三大八幡宮の一つ)のある男山を見ると、山桜が美しく咲いていた。
御幸橋から木津川の河原、目の前に天王山、さらに北方には丹波山地や愛宕山も見える。三重県の伊賀上野あたりの山地から流れてくる木津川、琵琶湖から流れてくる宇治川、そして丹波山地から京都・嵐山を経て流れてくる桂川。この三川がここで合流して淀川となる。そしてここに造られた堤防(堤)が背割堤である。背割堤の1.4kmには、約220本の大木となっているソメイヨシノ桜がある。
堤の斜面にそって下にのびた桜の大木の光景は、特に人のまばらな早朝に散策すると幻想的な雰囲気もある。背割堤から男山を見る。この日は平日にも関わらず、大勢の花見客が来ていた。露店のテントも堤下の河床に20余り並ぶ。外国人の姿も多い。この背割堤は、昨年(2024年)の「日本全国花見客数調査」では、全国第五位となっていた。
この日、京都市内の銀閣寺(哲学の道)にほど近いところに暮らす娘の子どもたち3人が、私の妻とともに京都市バスや京阪電車を利用してここにやってきて、背割堤で桜を見たあと、木津川の堤防を歩きながら、タンポポの花やヨモギ、土筆(つくし)をたくさんとりながら、私の自宅にやってきた。私はすき焼きの材料を買いに行き、夕食に孫たちも大好きなすき焼きを作った。妻は子どもたちが採ったタンポポの花を天ぷらにした。
夕食前の30分ほど、私は孫たち3人と自宅近くの水田や畑に散歩に行き、家に戻って夕食となった。孫たちは賑やかに風呂に入り、この日は我が家泊まり。翌朝8日(火)の朝日新聞には、「花盛り1本道」と題されて背割堤の記事が掲載されていた。
朝食の一品は、これも孫たちが摘んできた土筆(つくし)と卵の和え物。午前10時頃に妻と孫たちは、銀閣寺近くの娘の家に向かって帰って行った。
JR東海の最近のポスターには、「春がきた。京都が、咲いた。—そうだ 京都、行こう。」の言葉。3月30日に日本に帰国し、4月9日に中国に戻るまでの10日間余りの日本一時滞在。京都の桜名所は、「高瀬川沿いの桜」と「背割堤の桜」の2箇所ほどしか行けなかったが、日本の桜を見ることができた。日本滞在中に7回にわたる病院・医院への診察と薬もらい、福井県への帰省、丸善書店行き、そして孫たちとの過ごし、日本の桜見物などの日々。
10日間はあっという間に過ぎて、4月9日(水)の早朝7時30分に自宅を出て、関西空港に向かった。次に日本に帰国できるのは3カ月後の7月上旬頃になるだろうか。中国のアパートに夕方に戻り、翌日10日(木)の早朝5時30分にアパートを出て、大学での授業に向かった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます