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彦四郎の中国生活

中国滞在記

無差別殺傷事件が相次ぐ➋—その社会的背景、「コロナ」「教育」「戸籍」など、そして「経済不況」—将来に希望がもちにくい社会背景が‥

2024-11-30 21:53:03 | 滞在記

 

 特にこの11月に中国国内で多発した無差別死傷事件。日本国内の次のテレビ報道番組でも11月下旬に、このことについての特集報道が組まれていた。「深層NEWS」(BS)、「イチメン(TBSニュース)」(BS)などの報道番組で‥。

 「深層NEWS」では連続して2回にわたり、中国での無差別殺傷事件とその社会背景などについて、「無差別殺傷件相次ぐ—社会不安?拡大」などと題されて特集報道。コメンテーターは、興梠一郎・神田外国語大学教授や柯隆・東京財団政策研究所主席研究員・静岡大学特任教授など。

 この報道番組の中で、「無差別殺傷事件」を未然に防ぐため、広東省当局などが管理強化するとした「8つの"喪失者"(8つのタイプの人)」について報道がされた。その8つのタイプの人とは、「➀投資に失敗した人➁職を失っている人➂人生で"失意"に陥っている人➃男女関係で失意に陥っている人⑤人間関係で不和を抱えている人⑥精神的バランスを失っている人⑦精神状態が正常でない人⑧子どもの頃、不遇だった人」。

 そして、「無差別殺傷事件」などを防止するために全国各地で、「居民委員会」(※中国共産党と政府の指導のもと、住民の生活、管理を目的とした地域住民の組織。一応は自治組織の体裁はとっているが、居民委員会の幹部は、党や地方市町村政府からの指名。日本の自治会と一部、似たところもあるが‥。私が中国で暮らす住宅団地にもこの組織はあり、私も毎年約500元[約1万円]の会費を支払っている。)などが、これらの調査・監視を担うこととなるだろうと報道されていた。

 このような調査・監視はかっての「楓橋(ふうきょう)経験」(大衆を相互に監視させる社会統制方法。建国の指導者・毛沢東などがこの方法を広めたとされる。)などを想起させるとの指摘もコメントされていた。

 TBS系のBS報道番組「イチメン」では、阿古智子・東京大学大学院教授をコメンテーターに迎えて、中国における無差別殺傷事件について「相次ぐ無差別殺傷事件 背景に社会への不満」と題して報道。この中で、地方政府が"事件を起こす可能性がある人」としての「三低 三少」ということについて報じていた。

 この「三低 三少」とは、「三低」➡①所得(低)、➁社会的人望(低)、➂社会的地位(低)。「三少」➡①人との付き合い(少)、➁社会と触れ合う機会(少)、③不満を口にできる機会(少)。

 この「無差別殺傷事件多発」の社会的背景として、中国経済低迷、将来への不安の増大があるとの指摘などがされていた。

 11月の無差別殺傷事件の中には、小学校の校門前付近での人への車の突入事件もあったので、私が暮らす福州市内の小中高校でも、校門前付近の車止め防護が設置されるようになっている。私が勤める閩江大学にも、校門前に大きな石が狭い間隔に置かれた。防護柵も。そして、サスマタを持った警備員が新たに警戒するようにもなっている。

 中国における「無差別殺傷事件多発」に関してYahoo Japnを閲覧すると、これに関連した記事は多数書かれているが、私は中国関連ジャーナリストの中島恵さんの記事を関心を持って一読した。中島さんは「なぜ、中国で、このような無差別殺傷事件が続いているのか。」として、「私が考える(事件の社会的)背景は、主に以下の3点だ。」として、次のように述べている。

 1つ目は新型コロナの後遺症がここへきて一気に噴出、表面化しているのではないか、という点だ。‥‥2つ目は、そもそも論だが、やはり教育の問題が非常に大きいのではないかと感じる。‥‥勉強ができないと"人生の失格者"というレッテルを貼られてしまう。‥‥特に、中国で(20)18年頃から実施されている「中考分流」という教育方針だ。‥‥3つ目は戸籍の問題だ。‥中国人を大きく二つに分ける(都市戸籍と農村戸籍)戸籍が、社会のいろいろなひずみや問題、差別を生んでいる。」


 この中島さんが指摘する3つの社会的背景については、私もそう思うところがある。2023年3月に中国に3年ぶりに戻り、親しい中国人にゼロコロナ政策の時のことに聞くと、それはもう、「ほんとうに苦労しましたね!」の一言に尽きる。また、日本のようなコロナによる休業補償制度はまったくなく、倒産や閉店せざるを得なくなった企業・店舗の数ははかり知れない。ゼロコロナ政策によって人生設計が狂った人々が、日本に比べ、はかり知れなく多いことかと思われる。

 「中考分流」政策は、高校入試(中考)において、「普通高校」と「職業系高校」への入学者数を50%・50%に、試験点数によって峻別する制度だ。職業系高校を卒業しても、四年制大学の入学試験を受験はできないという政策になったので、将来に悲観的になる若者が増加しているかと思われる。

 「戸籍」の問題は深刻だ。例えば、年金一つを例にとっても、都市戸籍者は月平均1500元(約3万円)の年金が受給できるが、農村戸籍者の月平均年金額は200元(約4000円)。「農民工」として、都市部に流入し、そのまま高齢者になっても都市で暮らす人も多い。しかし、農民戸籍なので、年金は毎月200元ほど。(※現在、農民工は2億9000万人ほどと報告されている。)

  2023年頃からの住宅バブルの崩壊などを引き金としての深刻な経済不況の長期見通しや超就職難、コロナの後遺症、高校新入試制度の実施、戸籍の問題、住宅ローンの支払い困難問題など、「将来への希望」が閉ざされる「閉塞感」に、今、中国の人々の多くが(中間層も含めて)は直面している。

■日本では、2000年代に入り、小泉内閣のもとでの閣僚の竹中平蔵氏らにより「労働者派遣法」の大改悪が行われ、非正規労働者が多く生まれることとなった。このころ、日本でも無差別殺傷事件がよく起こった記憶がある。

 この11月21日(木)の3回生の「時事日本語」の授業での、学生発表では、日本のYahoo Japanの記事閲覧の中から、「中国車暴走35人死亡 公共の場所で事件相次ぎ衝撃広まる」と題して発表する学生もあった。(※現在も中国では、Yahoo Japanは一般の中国人も視聴可能。ただし、yahoo Japanの検索機能は使用不可となっている。)

 大切なものは「太陽・水・家族」、「家族のために頑張れる」という価値観が大きいフィリピン。国民の「幸福度」は世界でもトップクラスの80%以上の国だが‥。2000年代に入り、フィリピンには3回訪れた。しかし、仕事がない人が多かったのには驚かされる。国民の1割が、海外へ出稼ぎに行き、国の家族に送金し、家族のために頑張っている国だった。
 そのフィリピンでは、最近、日本人を狙った拳銃強盗が多発していると11月下旬に報道されていた。「20年以上フィリピンに住んでいるが今年が一番こういう事件が多い」と、フィリピンで焼き鳥居酒屋を経営している日本人男性が語っていた。

 

 


無差別的殺傷事件が相次いで起きたこの11月➊—11月11日~19日の1週間余りで3件の事件が頻発

2024-11-27 20:39:58 | 滞在記

 2024年の6月下旬から11月下旬までのこの5か月間、私のこのブログ「彦四郎の中国生活」の記事内容には、度重なる台風や異常気象のこと、そして中国国内での日本人(児童や母親)を狙った殺傷事件や多くの人への無差別的殺傷事件のことを書いた記事をたびたび掲載している。特にこの11月11日から19日までの約1週間は、無差別的な殺傷事件が立て続けに3件も起こった。

 2013年9月に中国に赴任して12年目に入っているが、このような無差別的な死傷事件が、今年の後半のように頻繁に起きるのは初めてかと思う。今、中国の人々の暮らしの中に、何かが底流で巻き起きているのだろうと、改めて考えてしまう。今日もバスに乗り、いつものように人々のようすを眺める。町中を行き来する人々のようす、仕事をしている人のようすを眺める。そこに、このような無差別殺傷事件が起きそうな殺気だった雰囲気は感じられないが‥。しかし、何かが‥。

 特に2020年~23年1月までの「ゼロコロナ政策」後の中国社会では、人々の生活・暮らし、仕事、そして政府への社会への思いは、多くの人々が抱く将来への「不安感」、そして今の「〇満感」という言葉で表してもいいくらい、大きく底流で変化しているのかもしれないとも思う。

 11月11日(月)の午後7時頃、中国南東部・広東省珠海(しゅかい)市の体育施設のある運動公園で、体育館(スタジアム)の周囲などで運動している市民を目がけて車が暴走し、無差別に多数の人を次々と死傷させた。12日の地元警察(当局)の発表では、死者35人、負傷者43人と発表された。凶行に及んだ男(62歳)は、その場で拘束された。地元警察当局は、「男は離婚に際しての財産分与に不満があった」と説明。離婚訴訟を巡る裁判結果に対して不満があったとも伝えられる。

 この事件を受けて習近平国家主席は12日、「極端な事件の発生を防ぎ、国民の生命安全と社会の安定を全力で保障しなくてはならない」と、異例の重要指示を行った。また、中国外交部(外務省)報道官も、「中国政府は常に、そして引き続き、このような事件を防ぐための有効な措置を講じていく」との声明を行った。

 しかし、11月16日(土)午後6時30分ごろ、中国中東部・江蘇省無錫(むしゃく)市にある「無錫工芸職業技術学院」(日本の2年間余りの短期大学に相当)構内で、男(21歳)が無差別的に同校の学生たちを刃物で切り付け、8人が死亡、17人が負傷するという事件が起こった。男はこの学校に在籍する学生で、凶行に及んだのちに拘束された。

 地元警察当局は「(卒業単位に必要な)試験に合格できず、卒業できなかったことや、実習(インターンシップ)[※中国の大学では、最終学年の後期半年間は、2~3カ月間のインターンシップ(実習)が必要。それも卒業のための単位となる。]での報酬(給与)に不満を抱いていた」と説明した。この学生の場合、卒業予定の年に単位不足で卒業できず、留年して実習先で長期に働いていたが、数カ月にわたり報酬(給与)が支払われないことに、大きな不満を抱いていたとも報じられていた。

 この男(学生)は事件を起こしたことに関する手紙を残していて、「(中国における労働者の立場を守る)労働法の確立を求める」という趣旨の内容もこの手紙には書かれていたとの報道もされていた。

 さらに、11月19日(火)の午前8時前、中国中南部・湖南省常徳(じょうとく)市の小学校校門前で、車が児童や保護者に突っ込み暴走し、10数人がはねられた。激しく怒る保護者や学校正門にいた(学校の)警備員たちによって、一時停車をせざるを得なくなった車は、窓ガラスを割られ、取り囲まれ車内から男は出され拘束された。暴走する車から逃れるため、校門内などに逃げ惑うSNS映像なども報道された。けがの程度はわからないが、負傷者も多かったと報じられる。この凶行による死者は幸いに今のところ報道されていないが‥。凶行に及んだのは男(39歳)と報道されたが、犯行の動機などの報道は不明のままだ。

 中国の警察当局によると、中国では今年、加害者と被害者の間に面識のない無差別的殺傷事件が19件起きている。それによって63人が殺害され、166人が負傷している。2023年には同様の事件で16人が殺害され、40人が負傷しているため、今年は前年から大幅にこのような無差別殺傷事件が増加したことになる。

 11月19日の小学校校門前での事件を受けてか、私が大学への通勤時のバスの中から、小学校前に車止めの器具が新たに設置かれたり、警察の装甲車両なども登下校時に駐車している光景も見られた。(※中国の小学校では、登下校時間帯は1日に4回もある。日本のような給食はなく、11:30~14:00までの昼休みには、保護者[祖父母の場合が多い]とともに自宅や祖父母宅に帰って昼食を食べる。このため、校門前が多くの児童と保護者で溢れる時間帯は1日に4回となる。)

 


中国福建省厦門(アモイ)のスタジアムで、W杯アジア最終予選第6戦:中国VS日本が行われた

2024-11-24 13:37:19 | 滞在記

 2026年FIFA W杯(サッカー・ワールドカップ)は、アメリカ・カナダ・メキシコの3カ国を会場に開催される。(3カ国共同開催)そして、その大会に出場できる国を決めるための、各大陸での最終予選が今年の9月頃から始まっている。

 2026年大会から、大会への出場国枠が大きく変わることとなった。2022年までの32カ国参加出場枠が、16カ国も多くなり、48カ国出場枠となる。(32カ国➡48カ国) これに伴って、アジア大陸での出場枠も4カ国増えて、4.5カ国から8カ国となった。(4.5カ国➡8.5カ国)  そして、大会開催国は自動的に参加できるという規定がなくなった。このため、アメリカ・カナダ・メキシコの共同開催3カ国は北米大陸最終予選で、自力で大会参加を勝ち取らなければならないこととなる。

 アジア大陸最終予選は2024年9月5日から始まった。Aグループ(6カ国)、Bグループ(6カ国)、Cグループ(6カ国)の合計18カ国代表チームが、2025年6月10日までに、各グループでそれぞれ10試合を行い、その結果、各グループ上位2カ国は2026W杯出場権が確定する。(まず合計6カ国が確定) そして、残る2.5カ国枠を巡って、各グループ3・4位チーム(合計6カ国)が争うこととなる。このためにまず、各グループ内で10試合を終えて、最終的に4位以内に入ることが絶対条件となる。

 日本にとっても、中国にとっても、初戦となった2024年9月5日の日本VS中国の試合は、日本のスタジアムを会場に、日本7:0中国という大差での試合結果となった。(Cグループ➀日本、➁オーストラリア、③サウジアラビア、➃バーレーン、⑤中国、⑥インドネシア)

 私は中国に暮らして始めて12年目と、かなり中国生活が長いので、まずは日本代表の試合が気になるが、次に中国代表の試合も気にかかる。出場枠が48カ国枠へと増加する2026年大会に中国も出場できたらいいのになあとも思う。

 中国代表チーム(国足)は、初戦(9/5)で日本に7:0で負け、第2戦(9/10)ではサウジアラビアに2:1で負け、第3戦(10/10)でも6オーストラリアに3:1で負け、3連敗となった。ところが、第4戦(10/15)では2:1でインドネシアに勝ち、第5戦(11/14)でも1:0でバーレーンに勝った。

 このバーレーン戦は、「5分間の奇跡、地獄から天国へ」とも称されることになった。0:0で試合が推移した後半終了間際、バーレーンがゴールしたが、映像判定でオフサイド判定。そしてロスタイムでの試合終了間際に中国がゴール。怒涛の2連勝とも称され、中国国内でも「W杯に参加できるかも」という期待が再び湧き上がっていた。

 そして迎えた11月19日の第6戦の中国対日本の試合。会場は中国福建省厦門(アモイ)市内の、「厦門白鷺スタジアム(6万人収容)」。私が暮らす福建省福州市から新幹線で南方に2時間ほどのところにある厦門。近隣には、3箇所の世界遺産もある(➀厦門市、➁泉州市、③福建土楼群)有名な都市だ。

 中国時間午後8時(日本時間午後9時)から始まったこの中国VS日本。いろいと波乱含みの大会となった。スタジアムはほぼ赤一色に染まっていた。(※スタジアムの各席には、事前に中国カラーの赤いシャツと、「為中国而戦」(我、この中国の戦いのために)と書かれた赤いタオルが置かれ、中国サポーターはほぼ全員がこれを身にまとい赤いタオルを示し応援していた。)

 日本のブール―カラーの応援団もスタジアムにはいたようだが、赤が全体に多すぎて、ブルーカラーを探すのは難しかった。もう、日本代表にとっては完全アウェーの試合会場。(※私も厦門の会場に行ってみたい気持ちもあったのだが‥) アパートにある2台のパソコンを並べて、1台は日本のYahoo Japan!で試合の推移を文字視聴、もう1台で中国のインターネット試合中継を視聴することとなった。試合開始前の、国歌斉唱の場面では、日本国歌の演奏が流れると少なからぬ中国サポーターからのブーイングが始まった。

 そして、どちらかというと日本が押し気味に試合を進める前半だが、中国もゴールに迫る惜しいシュートを放っていた。なかなか日中両国とも先制点に至らない。しかし、ついにコーナーキックからのボールをFWの小川航基が見事なヘディンで先制。試合途中に日本のゴールキーパーに対してのレーザー光線を、中国サポーターの一人が顔面に照射するということも一度起きていた。

 さらに前半30分過ぎ、中国のサポーターの一人が試合のフィールド内に乱入し、試合はしばらく中断。中継を視聴している限り、この時の会場の中国サポーターは、この光景に歓声を上げているようにも聞こえた。試合のフィールドの周囲を10m間隔に二重に警備員が取り囲んでいたのだが、なぜフィールドに乱入する前に取り押さえられなかったのか、不思議な光景でもあった。この乱入もあり前半の追加(ロス)タイムは5分間。この時間帯に、再びDFの板倉選手がヘディングを決めて追加点。前半が終了して2:0となった。

 後半開始間もない時間帯に、中国は見事なカウンター速攻でゴール。会場は爆発しそうな中国人サポーターの歓喜の声に包まれた。日本がこの最終予選6戦目にして初めといってよい失点をした場面だった。(すでにオウンゴールでの1失点はあったが‥)盛り上がる会場。

 その後、伊藤純也選手のゴール前へのクロスボールを、再び小川航基選手がヘディングでゴール。3:1と再び中国を引き離した。

 スタジアムの掲示版には、この日の観客数・4万5336人が掲示される。試合は3:1で日本が勝利したが、中国チームも日本から1得点するなど、かなり健闘した試合ともなった。(※私は3:2くらいで日本が勝利すればいいのになあと事前には思っていたのだが‥)。試合後に中国サポーターたちに挨拶をしている中国代表に、観客は「よく頑張った」ともとれる雰囲気を表していた。中国のインターネットでの中継では、解説者が、「まあ、中国(国足)はよく頑張った、良い試合をしたと思いますね。もう一点は欲しかったですが。惜しいシーンもありましたからね。9月5日の日本との初戦と比べたら大前進ではありますね」とコメントしていた。

 スタジアムから出るたくさんの人たちの映像も流された。

 翌日の中国のインターネットニュース記事を閲覧する。まあ、この試合に関しては比較的好意的な記事が多かったが、3点とも本にヘディングで決められただけに、その対応の問題も指摘されていた。この試合での日本代表の選手としては、私は伊藤純也・小川航基両選手の活躍がMVPだと思った。

 さて、Cグループでの第6戦が全て終了した。グループでの順位及び勝ち点は、➀日本16点、➁オーストラリア7点、③インドネシア6点、➃サウジアラビア6点、⑤バーレーン6点、⑥中国6点となっている。今後、第7・8戦が2025年3月20日~25日に、第9・10戦が6月5日〜10日に行われる。2位から6位までは勝ち点7~6と5チームが拮抗した大混戦。果たして、4以内に入るのはどこの国となるだろうか。私は中国が4位以内に入ることを望んでもいるが‥。

 中国チームは、すでに、ダントツに強い日本との2つの試合を終えている分だけ有利との見方もある。他の4カ国は、第7戦~10戦の間に日本との対戦を控えることとなる。

※今後、近いうちに、このブログで、10年余り中国のサッカー⚽事情や、サッカーをしている中国人たちのようすを身近に見続けてきて、「中国サッカーの成長と問題点」について、書くことにしたいと思っている。

 

 

 

 

 


雨の日は、痛勤の一日となる私の中国生活なのです

2024-11-24 00:33:06 | 滞在記

 11月17日(日)は、最高気温が32℃余り(最低気温は22℃)の真夏日となっていた亜熱帯気候の福建省福州だが、翌日の18日(月)には大陸性の寒気団が福建省まで南下。急激に寒い日々が始まった。18日の最高気温は20℃、最低気温は16℃となる。そして、その寒さは続き、早朝の最低気温が13℃にまでなったこの1週間。来週半ば頃からは、さらに最低気温が10℃を下回る9℃との予報がされている。

 亜熱帯気候の福建省では灯油ストーブなどは販売されていない。小さな電気ストーブと、日本から持ってきているホカホカカイロで寒さをしのぐ日々の始まりだが‥。19日(火)の夜、寒いので毛布を入れた布団にくるまっていて、ふと気づいた‥。この9月に新しく入れ替えてもらったクーラーは、冷房機能だけでなく暖房機能もあるかもしれないと。(※これまでの旧式クーラーは冷房機能しかなかった。)  

 新しいクーラーのリモコンを調べてみたら、なんと暖房機能もあるではないか。さっそく、暖房機能に切り替えて使うと、しばらくして暖気がクーラーから流れてきた。そして、部屋がかなり温まってきた。これで、この10年間余り、寒さが堪(こた)えた11月下旬から1月下旬までのアパートでの生活も、かなり楽になりそうだ。

 ただ、雨の日の一日は体に堪(こた)える日々に変わりはない。まあ、大学への通勤は、痛勤(つうきん)の一日となり疲れ切る。今週の21日(木)は一日中、雨となった。座骨神経痛や閉塞性血管症による、腰や右足ふくらはぎの痛みの発症は、1年前に比べたら、かなり軽減されてはいるが、それでも200~300mを歩いたら、腰を下ろして2~4分休み、痛みが消えてからまた歩くを繰り返す必要がある。雨の日だと、レンタル自転車を使ったり、腰を下ろせるところがなかなかないから、かなり辛い一日となる。

 いつもはアパートを、この季節、まだ暗い午前5時45分頃に出て、最寄りのバス停まで、途中でレンタル自転車を見つけて、バス停まで行くことが多い。そうすると、6時15分頃にバス停に着くことが多い。レンタル自転車が見つからなくても、ゆっくり歩き、休み、午前6時25分頃までには着ける。(午前6時30分始発の43番バスに乗る。)

 21日(木)はちよっとした中雨だったので、レンタル自転車を見つけても使えない。だからゆっくりと歩いてバス停に行くことにした。こんな日は、いつもより10分早い午前5時35分頃にアパートを出て、雨が降る暗闇の道をトボトボと、ゆっくりと歩いて行く。なかなか雨があたらず座れる箇所は少ない。でも、こんな日でも座って休める箇所はバス停までに5箇所ほどある。

 バスが走っている大通りまで来ると、明かりもある。廃品回収屋の店の中では、いつもドアが閉まっていなくて、この時間には、店主が店の入り口付近の簡易ベッドで眠っている様子が見える。

 バス停にあと500mほどのところまで来ると、午前6時すぎとなり、早朝営業の食堂なども開き始める。露店(屋台)なども始めている。

 バス停にようやく到着する。時刻は6時15分頃。アパートからおよそ40分間をかけて休み休み歩いてきたことになる。(足腰の健常な人なら、ゆっくり歩いても20分くらいだろうが‥) もう、ここで体と足腰はかなり疲れきっている。バス停付近もこの日は雨なので、まだ暗い。暗い中で雨合羽を着て路上の掃除をする仕事の人のすがた。

 午前6時30分頃、ようやく明るくなり始めて、43番バスが来た。始発バスなのでほぼ座ることができるのは助かる。6時50分過ぎ頃に乗り換えのバス停に到着。7~8分ほど待つと、大学正門近くが終点となる95番バスがくる。7時頃なのでまだ空席があるので座れることが多い。バスの中では体を休めながら、日本から持ってきている文庫本を読む時間ともなる。

 午前7時30分頃に大学正門近くのバス停に着く。雨でなければ、大学正門付近に置かれたレンタル自転車を利用して、自分の部屋がある研究室の建物までレンタル自転車を利用できるが、雨の時はまた歩いて15分ほどかかる。足腰に痛みが生じていても、途中で腰をかけて休める箇所はない。研究室でしばらく休み、トイレに行ったり、授業に必要なものの最終確認をする。雨でなければ、ここから再びレンタル自転車で授業を行う教学楼に向かうが、雨の日は、歩いて20分ほどかかる。そして、午前8時20分頃に教室に着き、教室の大型パソコンを立ち上げて、8時30分から授業開始。

 21日(木)は、➀➁時間目(8:30~10:10)と③➃時間目(10:30~12:10)が、3年1班、3年2班のそれぞれの「時事日本語」の授業。かなりの日数・時間をかけて授業準備をしているので、学生たちも意欲的に学習していた。この学びの喜びがあるので、なんとか辛い通勤の日でも耐えられる。

 午後12時30分頃に大学の第一食堂に行き昼食を摂る。そして、昼過ぎからようやく小雨になってきたので、レンタル自転車を利用して大学正門近くのバス停に向かう。午後1時20分頃の95番バスに乗って座り一息つく。この日のように雨で疲れる日は疲労感が激しく、すぐに眠気がやってくる。案の定、バスの中で眠りこけてしまい、乗り換えのバス停を過ぎてしまう。ハッとバスの中で目覚め、慌ててバスを降りる。「ここはどこだろう‥?」

 かなりの距離を20分ほど歩き、ようやくいつもの乗り換えのバス停まで戻る。そして、再びバスに乗りアパート近くのバス停に到着。ここから再び歩いてアパートに戻る。まあ、小雨ならなんとかレンタル自転車を使うが、中雨となる一日は、通勤というよりも、「痛勤」の一日となる。やはり72歳の身には堪(こた)える雨の日。

 翌日22日(金)は朝から快晴の一日となった。95番バスに乗っていたら、途中のバス停で子供2人と母親が乗り込んできた。そして、私が座っている一番奥のバス席近くに、子供二人が座った。(母親はバスの一番前の席に座っている。) 私が文庫本を読んでいる姿に興味を持ったのか(※中国では、バスや電車の中で読書をする人など皆無なので)、私の席のとなりに来て、人懐こく話しかけてきた。どうやら二人の顔立ちは似ているので姉妹のようだ。少し話してみたら、二人は小学1年と3年とのこと。これから学校に通学のようだった。可愛らしい姉妹で、日本の孫たちを思い出しもした。

 快晴のこの日、正門付近でレンタル自転車を利用して研究室に向かう。「南洋風水墨画展 11/20~12/1  美術学部」と書かれた大きな看板。

 夏の終わりの花「芙蓉(ふよう)」がまだ咲き残っている11月下旬に入った大学構内。

 俳優の火野正平さんが、亡くなったとの報道。刑事ドラマや時代劇ドラマの名脇役、そして最近ではNHKBSプレミアムでの「にほん縦断 こころ旅」を楽しみにして、この10年間余りよく視聴していた。この番組は、5人余りのスタッフとともに自転車で日本全国各地を巡る旅番組。いつも、年齢にまけず、頑張って自転車をこぐ姿に敬意を払いながら視聴していた。そんな健康的な日野正平さんが、私にとっては突然のように75歳で亡くなったとは、ちょっとはじめは信じられなかった。なんで‥。日野正平さんよ、安らかに‥。(※この4月に腰の痛みを発症し、さらに6月に腰の骨折などもあって、「こころ旅」の出演を休み、再起を期してリハビリに励んでいたとも報じられてもいた。)

 

 


大学の1回生、軍事訓練が行われた—中国の葬儀のあとの宴会は、都市部でも今も健在です

2024-11-23 20:28:16 | 滞在記

 大学の授業がある教学楼の建物群の前。2023年頃から電動バイク(50ccバイクとほぼ同じ性能だが免許不要)が中国全土で急激に増加したが、大学構内もまた急増した。少なくても、学生のおよそ6割強はこの電動バイクを、自分が暮らす大学の寮(原則として学生全員が寮で暮らす)付近に駐車し、広大な大学構内を移動して授業などに向かったり、大学構内外に行く時などに使ってる。

 閩江大学の学生数はおよそ2万4千人余りなので、約1万5千台もの電動バイクが大学構内で稼働していることとなる。あと、私も日常的に利用しているレンタル自転車。1回の使用量は20分以内なら1元(20円)。電動バイクをもたない学生たちは、このレンタル自転車を主に利用したりしている。大学構内には、数百台はあるだろうか。

 ちなみに、この電動バイクの値段は、安いもので1500元(3万円)、高いものだと4000元(8万円)くらい。1980年代~2015年頃までの中国の一つのイメージは、洪水の流れのような自転車の群れだったが、現在の中国は群れる電動バイクの洪水の流れ。町中の交差点での信号無視は当たり前で(最近は信号を守る人も増えつつあるが‥)、歩道をこれで走るのも当たり前の世界。50ccのガソリンバイクと違って、電動なのでエンジン音がなく、歩道で歩いていて音もなく後ろから来て横をあまり減速せずに通るので、中国の歩道はどこも危険歩道である。横断歩道はとても危険で、身を守るように、360度に気をやって歩き渡らねばならない。

 今年もまた、大学構内の2箇所の大学スタジアムで、1回生約6000人の軍事訓練が始まった。(今年は11月18日・月曜日より11月23日・土曜日までの約1週間。) 2013年に初めて中国の大学に赴任した頃は、9月中旬から下旬までの約2週間、炎天下の中で軍事訓練が行われていたが、2018年頃から炎天下の9月ではなく涼しくなった11月や寒い12月に1週間行われている。

 訓練内容は、イー・アル・サン・スー(1・2・3・4)の掛け声とともに、隊列を揃えての行進訓練が、繰り返し行われる。(午前8時半から、昼休憩の2時間半をはさんで、午後4時頃まで)  これを炎天下の40度近い、亜熱帯地方の9月気温の中で2週間余りやっていた頃の光景は、まあ、大学入学早々の学生たちにとっても相当にキツイ2週間でもあった。

 ちなみに、中国の小学校・中学校・高校でもこの軍事訓練は行われている。小学・中学・高校と年齢が高くなるほど、軍事訓練の日数は増加していく。

 軍事訓練が行われているスタジアム入口付近には、大きな看板が立てられていた。「築軍 国家安全人民防線」「防範間諜行為保安国家秘密」「珍愛生命 拒絶毒品(※麻薬など)」「樹立馬克思主義(※マルクス主義)宗教観 防邪教」などと題された看板群。要するに、ここ10年余り、長期的に国家として取り組んでいる「強力な軍隊育成」「国家安全スパイ防止」「邪教防止」「麻薬等防止」の国家的キャンペーン。

 大学での授業を終えて、大学正門付近から1時間半ほどをかけて、バスを乗り継ぎしてアパートのある住宅団地に夕方近くに戻る。団地の道路には、屋台(露店)がよく並ぶ。「梅花小‥」と書かれた焼き菓子は、美味しいのでたまに買って帰り夕食にすることもある。

 11月18日(月)、夕暮れがせまった頃に、ようやくアパートのある棟に着くと、隣の棟では葬式(通夜)の知らせとテントが設営されていた。「訃告‥」と書かれた看板を見ると、亡くなったのは1942年生まれの83歳の人のようだ。(※中国は日本と違って、誕生の瞬間に1歳となる。生後1年がたつと2歳。) 中国の現在の平均寿命は77歳(男75歳、女79歳)なので、長生きした人のようだ。(※だから、平均寿命は日本式の年齢でいえば76歳。)

 翌日19日(火)、早朝7時頃から葬儀楽隊の演奏が1時間余り行われ、私のアパートの部屋にもよく聞こえてきた。その後、出棺が行われ火葬場に行くこととなる。私がこの12年間余り中国で暮らしていて、葬儀は日本のように寺院や葬儀場で行われるのではなく、このような住宅団地(マンション)でも、自宅で執り行われることが多いようだ。そして、火葬が終わり、昼前からは、雨が降っても大丈夫なように、近くの団地内道路の橋の下で、大きな釜などで煮炊きした料理や酒などが並べられた葬儀宴会が行われていた。

 日本では最近はほとんど葬儀場で葬式が行われるので、このような葬儀宴会はほとんど見られなくなり、ちょっと静かで寂しい葬儀となっているが、中国ではまだ、都市部でもこのような葬儀宴会は健在だ。

 今日、11月23日(土)、アパート近くの福建師範大学運動場(スタジアム)で、これも近くにある海軍幼稚園(福建海軍学校の付属的幼稚園)の運動会が、午前中に行われていた。幼稚園児(全員)や母親(全員ではないようだが)も、かって(1940年代から70年代にかけての)の中国解放軍人民兵服や、(1965年~75年にかけての)文化大革命時代の紅衛兵のような服装をして運動会に参加していた。