彦四郎の中国生活

中国滞在記

卒業論文や日本語情景劇の指導も始まった、この11月の1か月間余り—大学構内の光景も、やや秋めくか‥

2023-11-30 18:16:26 | 滞在記

 亜熱帯地方の福建省福州は、11月になり秋の季節になり始めた。と言っても、亜熱帯地方は、樹木のほとんどが色づいたり落葉しない常緑樹なので、風景を見て秋を感じることはほとんどない。ただ、気温は低くなる。11月中旬頃になると、朝の最低気温は10度〜13度、日中の最高気温は20度〜27度くらいと、一日の寒暖差は10度以上となる日が多くなった。

 だだっ広い大学構内には針葉樹林の森もあり、ここは黄色っぽく色が少し変わり始めている11月下旬。正門(南門)近くの閩院酒店(大学のホテル)からは、朝の8時頃にホテルを出て教室に向かう欧米系の外国語学部英語学科の教員たちの姿がある。7〜8人いるこの欧米系の外国人教員たちは、このホテルの一室で生活をしているようだ。

 11月下旬のある日、私の研究室のある福万楼の建物から、授業のためにレンタル自転車で教室に向かう途中、たくさんの学生たちがキャンバスを前にして水辺で写生をしていた。

 11月6日(月)から始まった1回生たち6000人余りの軍事訓練は、11月24日(金)までの3週間も続いていた。11月20日(月)の午前11時45分頃に第一食堂に昼食をとりに行くと食堂内は、つい先ほど午前中の訓練を終えたばかりの迷彩服軍服の1回生たちの姿ばかり。まるで国防大学の食堂のようだった。

 10月27日(金)から2回生たちの「日本語情景劇」の指導を、授業の他に始めた。2020年1月から始まった新型コロナウイルスパンデミックのために、3年間余り行われていなかった日本語学科2回生たち恒例の「日本語情景劇」。3年ぶりに再会されることとなり指導を依頼された。11月中旬までに、4つのグループの劇の「演目」も決まり、台本も11月下旬に入り出来上がった。「日本語情景劇」の上演予定は1か月後の12月30日(土)となる。

 会場に決まった教学楼の2A108教室に、11月27日(月)の昼休み時間に下見に行った。ちょうど、数名の学生が「中国気功」(中国功夫)の発表に向けた練習をしていた。

 この大教室は階段教室となっていて、教室の前面のスペースも広く、超大型のコンピューター画面表示もあり、さまざまなイベントにも使われているようだ。11月上旬には、中国福建省内の日本語学科のある大学のスピーチコンテストも開催された。

 4回生たちの「卒業論文」指導も11月中旬から始めることとなった。私の担当学生は5名。毎週火曜日の午後に、福万楼の研究室で行っている。担当の4つの授業の他に、演劇や卒論の指導が加わり、かなり多忙な日々となった11月。その11月も今日で終わり、明日から12月となる。冬休みで1か月半ほど日本に帰国できる日まで、あと1か月と1週間くらいとなったので、私の心に灯(あか)りも灯(とも)り始めた。帰国できる日を心待ちに、なんとかこれからの日々を送れそうだ。

 11月下旬、通勤で大学方面に向かう113番バスに、まだ暗い早朝5時45分頃に乗り込む。黄色いヘルメットにスコップなどをそれぞれが持っている女性たちがバスに15人ほども乗車していた。地方から出稼ぎに来ている農民工の人たちだ。現在、中国には2憶8000万人余りの農民工がいるとされているが、中国経済の不況の長期化により、省によっては省政府や市政府の財政難にともない、賃金の未払い問題なども広範に起きているとも伝わってくる。

 大学での仕事を終えてアパート方面に向かうバス内でも、このヘルメットをかぶった女性や男性たちをよく見かける。まだ、ここ福建省政府や福州市政府は財政的には、未払い問題は表面化していないようだ。(福州市は2015年頃から始まった地下鉄工事[1号線から6号線]が続いていて、農民工たちも多いのかと思われる。)

 11月28日(火)の夕方、大学からアパート近くまで戻り、腰かけて、腰や足の痛みを鎮めていると‥。目の前には、かわいらしい竹かごを電動バイクに満載して売っている女性。道路向こうの団地入口には、「賀 新郎・吴任偉 新娘・王雪 新婚誌嬉—WEDDING」と書かれた赤いバルーン門が置かれていた。まあ、このような光景は日本ではまず見られないが、この団地内に新婚夫婦が住むことの祝いのバルーンのようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


中国の医療事情と健康保険制度について―中国の医科系大学(医学部・薬学部)のこと

2023-11-26 19:59:32 | 滞在記

  中国の医療事情について少し話をしてみたい。10年間余り中国で暮らす中で、中国の医療事情もある程度わかってきた。まず思うことは、中国の人々はできるだけ医院や病院に行かないようにしているということだ。それにはいくつかの理由があるのだろうが、その最大の理由は治療費が高いことにある(日本のような国民健康保険制度が整備されていない)。また、病院に行くと長い行列のために順番待ちも長くなることにもよる。

 そのため、できるだけ病院に行かずに、健康な体をできるたげ維持するために、朝や夕方などには、公園や広場での集団体操や広場舞(ダンス)などなど、いろいろなことを日々行っている光景が多く見られる。これは、特に50歳以上の年齢になるとより熱心にもなるようにも思える

 中国の医院や病院は1級から3級までの等級分けがなされている。3級が最も評価の高い病院(医師・設備・治療技術の実績など)で、1級が最も評価の低い医療機関となる。そして、人々が最も多く利用する医療機関が地域にある「診療所」。この診療所には、医師が一人いて内科的な疾患に対応しているところが多い。問診だけの診察なので、それほど深刻ではない病状の対応に限られる。症状に合わせ薬が処方され渡してくれる。(※看護師がいる診療所もあるが多くは医師一人。) この診療所には公立診療所と、より小さな私立の診療所がある。

 私も2015年頃にこのような診療所に行って点滴を受けたことがあった。3級の病院に該当するのは、大学附属病院や省立や市立の人民病院などだ。私はこの省立病院(福建省立第二病院)に2014年に初めて行った。胃潰瘍(3箇所もあった)の治療のためだ。その後、2018年にも歯の痛みの治療でこの省立病院に行ったことがあった。

 上記写真:福建医科大学附属第一病院に入ってみる。大きく広いロビーを埋め尽くすように人々が列をつくっている光景。どの国の人々も、病気(病状)が深刻なものであればあるほど、より良い病院で衣料を受けたいと願うものだが、大都市の大学病院や総合病院志向はどこも同じで、中国はその巨大な人口から、病院診察券(診療受付チケットの発行)の獲得合戦は半端なものではないようだ。

 地方在住の患者さん(深刻な病気の)及び家族は数日前から都会に出てきて、すぐ病院に行くのではなく星のかずほどあるとも言われる診察券発行代行屋に出向くようだ。代行屋は朝の3時・4時に病院受付に並び診察券を手に入れて依頼者に渡すということとなる。病院の方は、物理的に一日の診察人数に限界があるため、その日の診察が受けられるかどうか‥ということになる。

■日本の健康保険制度の大きな特徴は、国民全員を公的医療保険で保障していることだ。全国どこの医療機関でもこの医療保険で診察や治療を受けることができる。(フリーアクセスで原則3割負担/年齢によっては1~2割負担)

 一方、中国の医療制度は戸籍(都市戸籍・地方戸籍)や就業の有無によって加入できる健康保険が2つに分かれており、公的医療保険制度でありながら、強制加入と任意加入が併存している。そして、日本のように患者の希望で全国どこでも受診できるフリーアクセスではない。自分が健康保険料を払っている自治体の地域以外で受診する場合は、保険はきかず全額10割の事故負担が原則となる。また、病院のレベルや医師のレベルによって自己負担額が異なる点も特徴として挙げられる。前号のブログで書いたが、歯科の治療には保険は適用外(全額自己負担)となっている。

■中国では救急車(120番)は有料。基本料金の他に、走行距離によって料金が加算される。救急車内で応急治療が発生した場合も加算される。また、受診する医師のランクによっても診察料金が異なる。病院や医院での治療後にまとめて支払う日本のシステムと違って、中国では前払い制度。診察・治療、そして薬を渡された後に、不足分を支払ったり、または、余剰金が返却される。入院時には保証金も支払わなければならない。

(※このようなシステムの国はとても多いと思われる。日本の国民健康保険医療制度は世界で最も進んだ国なのだろう。毎月の保険料支払いは、私の場合は1万5000円余りととても高いが。それに加えて毎月の介護保険料が加算されると2万2000円ほどにもなる。)

■この10年間ほどは、中国で、もし大きな病気やけがで入院の場合には、「大学側が私に対して加入しているの医療保険」が適用できる契約で赴任していた。しかし、「70歳以上になったらこの医療保険には加入できないので、全額負担になりますよ」と、現在71歳の私には大学側から告げられている。中国では、70歳以上になったら健康保険は適用外になるのだろうか…。(公的健康保険だけでなく、日本と同じように民間会社の健康保険も中国では加入者が広がってもいるようだ。)

■福建省の福州市内には、福建医科大学と福建中医薬大学の二つの公立大学がある。私が初めて中国に赴任した2013年当時は、医師になるということの人気はもう一つで(給料の安さなどの理由か…)、この大学に合格するための偏差値はそれほど高くなかった。(福州大学や福建師範大学の方が偏差値がかなり高かった。まあ、日本の京都にある立命館大学や同志社大学に合格できる受験学力があれば合格できていた。)  しかし、10年後の今、この二つの医科系大学の偏差値は、かなり高くもなってきているようだ。

■中国ではこの10年間で、私立の医院や病院がとても多くなっている感もある。

 

 

 

 


歯の強い痛みで歯科医院(牙科/口腔)に行く―中国の歯科治療事情とは

2023-11-23 08:40:36 | 滞在記

 11月1日から1週間ほど日本に一時帰国した際に、行きつけの歯科医院で歯のチェックをしてもらっていたので、次に日本に帰国する1月まで、中国で歯の痛みなどは起きないだろうと思っていたのだが‥。中国に戻って5日後の11月13日(月)から歯のかすかな痛みが始まった。翌日の14日になると歯の痛みが強くなり、大学の授業中にも痛むので、日本から持ってきている薬・正露丸を痛む歯の上で溶かしながら痛みを少しでも抑えた。(正露丸は、少しだが局部麻酔的な効果があるようだ。)

 大学からアパートに戻って、2015年に行きつけの歯科医院でもらっていた痛み止めの錠剤を探すと、1錠だけが残っていた。このままでは痛みで夜も眠れないので、貴重な最後の1錠を午後7時頃に服用すると、30分くらいして痛みが治まってきた。この日は、坐骨神経痛や血管性の問題による腰や足の痛み、そして歯の痛みと、"痛みの三重痛"の一日だった。

 15日(水)、この日は大学の授業がないので、朝はゆっくり過ごしていたが、午前7時ころには痛み止め薬の効果がなくなってきたようで、再びズキズキと歯の痛みが始まった。我慢の限界なので、午前9時頃に、福州市内に住んでいる閩江大学卒業生の王さんに連絡、彼は午後からは仕事から離れることができるとのことで午後2時頃に私のアパートに来てくれた。そして、歯科医院で午後3時からの診察を受ける予約をしてくれた。

 予約した「美可普口腔」という私立の歯科医院に行くと、その立派さに驚いた。受付の人だけで3人のスタッフ、歯科医師は10人余りが在籍しているようで、医師たちの写真が受付付近に掲示されていた。(午前9時〜12時、午後3時〜午後9時まで診察・治療/月曜日〜日曜日  開院)   「口腔連鎖院」と書かれていたので、いわゆるチェーン医院のようで、この福州市内にも何箇所か「美可普口腔」があるのだろう。

 (レントゲン技師による)歯のレントゲン検査を受けた後、診察が始まった。診察をしてくれた女医さんによると、とても小さな虫歯があるが、その虫歯の穴を治療して詰めても痛みはなくならないとの診断だった。歯のかなり深い箇所での炎症が起きており、それが神経を刺激して痛みが起きているのだという。(王さんに通訳をしてもらう)  このため、「根管理治療処置」が必要なので、それをこの歯科医院でするか、日本に帰国してするかという選択を今後考えていく必要があると伝えられた。(今、虫歯治療をするとかえって痛みが強く長引く可能性が大きいので、虫歯治療はしない方がいいとも伝えられた。)   また、痛み止めや炎症を抑える薬は、この歯科医院では処方できないとも伝えられた。(薬はこの病院では出さないようだ。)

 受付で診察代金を払おうとしたら、王さんから「治療をせずに診察だけならば、免費(無料)なので、お金の支払いは発生しません」と告げられた。さらに王さんは、「中国では、歯科の治療では健康保険は使えません(健康保険の対象外治療)」とも話していた。

 歯科医院を出て近くの薬局に行き、歯科医院での診断内容を王さんが店員に説明すると二種類の歯の薬が出された。一つは痛み止め、もう一つは歯根箇所の炎症治療薬だった。アパートに戻り、この二種類の薬を服用したらすぐに効果が表れ始め、痛みが治まってきた。

 歯科医院に行ってから今日で1週間が経過した。この1週間、毎日3回、炎症治療薬を服用し続けている。もう一つの痛み止めの方は、5日間ほど服用後、今は服用していない。このようすなら、来年の1月中旬から大学の冬休みで日本に1か月半ほど一時帰国する際に、根管治療を受けることができそうにも思っている。

■中国の歯科治療をする医院などは主に四つある。①まず、これは正式な営業許可を受けているものではないようだが、野外での歯の治療。露天市場など、たくさんの人が集まるところで歯の治療を行っている。虫歯を直したり、入れ歯、義歯なども行っている。私はこの野外歯科のようすを写真で撮っていたら、スタッフが血相を変えて怒り出し、撮影した写真を消去させられたこともあった。やはり違法治療なのかと思われる。

■②最も多い歯科治療院は、「牙科」と書かれている治療院。名前を見ただけで怖くなる‥。この歯科医院には医師が一人だけいるだけで、看護師などはいない。③「口腔問診」と書かれた少し大きめで衛生的な歯科医院。最近はこれが増えてもいる。今回、私が受診した歯科医院はこの「口腔問診」の大型医院に入るのかと思われる。④大きな、公立や私立の総合病院での歯科。私は2017年の6月にここで歯の診察を受けたことがあった。

■私の坐骨神経痛などの痛みは、アパートの室内にいる限り、ほとんど痛みは生じない。でも、歯痛はアパートでもどこでも痛みが襲い続くので、耐え難く死んでしまいたい気持ちにもなる。その耐え難い痛みを少しでも意識から遠ざけるために読書をしたりもしていた。『極楽 征夷代将軍』(文藝春秋社刊)垣根涼介著[今年度の直木賞受賞作]は、歯痛にも耐える程、読み応えのある、とても優れた筆力を感じる作品だった。室町幕府を開いた足利尊氏とその弟の足利直義、そして足利家の執事の高師直の三人を描いた時代小説。歯痛が最も激しかった11月14日に読了した。

 最近読み終えた書籍の中で、『殺人者』(新潮文庫刊)望月諒子著も素晴らしかった。今年の5月には吉岡里帆主演でテレビドラマ化放映もされたようだ。

 

 

 

 

 


仏教というものに惹かれもするこのごろ―五木寛之著『親鸞』の"他力"の教え―ハマスvsイスラエル戦争とは‥

2023-11-19 09:03:59 | 滞在記

 「幸せを 感じる力が 運命を決する」「今日の いい一日を すごす」「鰹節は 身を削って 他のためによき ダシとなる」。中国に戻る前日の11月7日(火)の午後、京都市内の出町柳駅近くにある三つのお寺の門前に書かれている言葉を見る。ここ5カ月間余りの腰や足のかなり辛い痛み、1週間も続いた下痢症状など、生きることの辛さを日々感じているだけに、「幸せを‥」「今日の‥」の言葉がスッと心に染みいってもくる。
 この三つの寺院は、それぞれの仏教宗派は違うが、門前に書かれている言葉は、仏教というものの教えの一端を示すような言葉でもある。「生きること 老いること、病(やまい)、そして死‥」。このことに一つの考え方を示した人がいた。その名はブッダ(仏陀)。71歳の今、最近はこの仏教というものに惹かれたりもするこの頃‥。

 ブッダが生(う)まれ生(い)きた時代は今から約2500年前のインドの地。「人はなぜ苦しむのか‥。老いをどう受け入れ、苦しみといかに向き合うのか‥」を思索したブッダ。そして、そのブッダの思索は、アジアモンスーンの東南アジア、中央アジア、チベットや中国、そして日本において長い年月を経て、いろいな教えに変化しながら伝播していくこととなった。

 私なりには、仏教の教え(叡智)の神髄は「諦(あきら)め・諦観(ていかん)」により現実を受け入れることだと最近は思うようになった。今の現実を「しかたない‥」と受け入れ、そんな自分の「今の生(せい)」をもって、「今日の一日をすごす」、できるだけ、「今日の いい一日を すごす(生きる)」ことかと思うようになった。辛いことの多いかった日でも、「今日もほら こんないいこともありました‥」と感じる心、つまり、「幸せを感じる力」の大切さを思う。そして、「寛容」ということも仏教の教えの神髄の一つなのでもあろうかと思う。つまり、「憎しみを越えて‥」か‥。「無常」も神髄。

 11月8日頃から15日にかけて、ユーチューブチャンネルにて、2011年に放映されたNHKスペシャル「五木寛之 21世紀仏教への旅」(第1集〜第5集/各集[回]47分)を視聴した。(第1集「ブッダ最後の旅 インド」、第2集「心をつなぐ教えを求めて 韓国」、第3集「幸福の王国をめざして ブータン」、第4集「禅 混迷の時代を生きる 中国・フランス」、第5集「"他力"救いをめぐる対話 日本・アメリカ」)

 1932年に日本で生まれた五木寛之氏は、生後まもなく、父や母(学校の教員)の赴任(転勤)にともなって、当時は日本の統治下にあった朝鮮半島のソウル(京城)やピョンヤン(平壌)で幼年期や少年期を過ごし、1945年8月の日本の敗戦(終戦)を迎えた。家族そろっての日本への逃避行(引揚げ)中に、収容所に入れられたりもし、そして母は亡くなった。13歳~15歳の彼にとってかなり壮絶な体験だったようだ。1947年にようやく、父・弟・妹とともに日本の福岡県に帰還‥。その後、早稲田大学に進学したが、学費滞納で退学することともなった。

 1967年に『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞を受賞、1969年には『青春の門』で吉川英治文学賞を受賞しベストセラー作家となっていった五木寛之氏。そんな五木氏は1972年~74年には休筆、そして1981年~84年にも休筆している。

 1981年からの休筆期に、彼は京都にある龍谷大学の聴講生となり、京都駅近くの大宮学舎(キャンパス)で千葉乗隆教授の「仏教史」などの仏教関連の講義を3年間にわたり受講し続けることとなった。朝鮮半島から日本への帰還のことや、龍谷大学での聴講生時代のことは、前記した「五木寛之 21世紀仏教への旅」でも描かれていた。1998年には『大河の一滴』というベストセラー書を著(あらわ)してもいる。

 私が五木寛之氏の『親鸞』講談社刊(「青春篇」「激動編」「完結編」全6巻)を、市民図書館で借りて読み始めたのは昨年の12月から今年の2月にかけてのことだった。とても面白く、かつ読みやすく、親鸞がたどった仏教の求道の過程がとてもよく分かり、読み終えるのが惜しくなるような書籍だった。彼はこの『親鸞』を2010年~14年にかけて執筆し発表した。五木氏が80歳代の文学作品だった。

 そして、「五木寛之 21世紀 仏教への旅」で世界各国を訪れたのは彼が70歳代後半から80歳代はじめにかけてのことだった。そんな五木氏は現在91歳となっているが、この11月10日には、『新・地図のない旅』を発刊している。

 仏教に関しての著作も多い作家に瀬戸内寂聴さんもいた。51歳の時、仏教の天台宗の寺にて得度し尼僧ともなった彼女は、2年前の21年11月に享年99歳で亡くなった。雑誌『ハルメク』のインタビュー記事には次のような寂聴さんの言葉(話)が掲載されてもいた。

 ―その日、その日を拙(せつ)に生きる―2011年7月号より

 私はどれほど健康な人でも、賢い人や高僧であっても、最後はぼけてしまった人を何人も見てきました。年をとると、体が心の滋養にはならなくなる。自分がどのように老いて死ぬか、私たちには誰にもわからないのです。それはやはり恐ろしいことです。だからこそ、私たちは、明日はないと思って、「今日は努力したな」と眠り、朝に目が覚めたら「ああ、まだ生きている」と感謝して、その日、その日を拙に生きる、それしかないのです。

 ―人生にはマサカという坂がある―2013年9月号より

 人生は本当に山あり、谷あり。坂もいっぱいありますが、その中にマサカという坂があります。私たちはある日突然に、そのマサカに行きあたる。「まさか!」ということが起きるんです。(中略) 仏教の根本思想は「無常」です。生々流転、すべては変わっていくのです。幸せなことは続かないとマサカを覚悟しつつ、もしマサカの坂に行き当たったら、「無常」という言葉を思い出してください。同じ状態は続かない。すべては流れて動いているというのが無常、「常ならず」です。いいことはきっとまた起こるのですから。

■大学で担当している「日本概況」の特別講座で、11月13日(今週月曜日)には「日本の宗教文化」(日中比較)を講義した。(約90分間)   学生たちもけっこう真剣な面持ちで、話しにうなづきなからも聞いてくれていた。主に日本の仏教と神道、そして、霊魂や丑(うし)の刻(こく)参りなどの呪術などについても話した。中国の道教についても話す。中国では最近、若い人たちの仏教寺院巡りが大きなブームとなっている。中国経済の不況や就職難、社会の閉塞感などが、その時代背景にもあるかと思われる。

■日本の仏教界にもいろいな宗派がある。主には①「天台宗や浄土宗や浄土真宗」、②「真言宗などの密教」、③「曹洞宗や臨済宗などの禅宗」がある。②はこの世界についての哲学的な理解による悟り、①は"他力本願"的な悟り、③は禅による"自力本願"的な悟りという感があるが、①②③ともにつまるところは、結局、「自力を内包する他力本願」かと思われる。

■「人間は欲望を持つことで、わりと勝手に都合のいい物語を作り出してしまう。だからそこに苦しみも生まれる。物語を作り出すことを止めて、世界のありのままを認識できるようになれば、執着から解放されラクになる。それが悟りなのだ。」と説かれもする。そうは言っても、それは"簡単にできること"ではないし、それが正しいことなのかとも疑問ももつ。だって、人間から欲望や都合のいい物語をもたなくなって、それがいいとは思えない。それでも"どうすれば苦しみはなくなるのか"という方向性を知っておくと、それだけでラクになることは多いかとも思う。

 ユーチューブ放送にて最近、「戦争とは?―宗教を巡る争いと戦争―ユダヤ教・イスラム教・キリスト教が争う理由/イスラム・ガザ戦争」を視聴。その説明は分かりやすく、とても優れたものだった。この世界の宗教には、四大宗教である➀キリスト教、②イスラム教、③ヒンズー教、④仏教がある。それぞれの宗教信者比率は、①32.9%、②23.6%、③13.7%、➃7.0%となっている。他には、中国の民間習俗宗教である⑤道教や、キリスト教・イスラム教などとも宗教の起源地がほぼ同じである⑥ユダヤ教などがある。⑤の比率は5.9%、⑥の比率は0.2%。

 ①②⑥の聖地としてパレスチナ(イスラエル)のエルサレムがある。そして、そのそれぞれの宗教を巡る争いや、宗教と政治権力が結びついたためにおきる戦争が、長くこの中東パレスチナでは続いている。10月上旬より始まったガザ地区を拠点とするイスラム勢力の一つハマスによるイスラエル攻撃、それに対するイスラエルの反撃が始まって1か月以上が経過した。イスラム各勢力がそれぞれの存在感をアピールするための「テロの時代」再びという感もある。

 「戦争とは?―宗教を巡る争いと戦争‥‥」で解説者は、この六つの宗教の中で、仏教について、「怨(うら)みによつて、怨みは止まらず、慈悲によってのみ止(や)む」(ブッダ「法句経」より)や、「善と悪の二項対立を越えた思考―"老少善悪の人を選ばす"」(親鸞「歎異抄」より)を紹介してもいた。改めて仏教の「寛容」の世界観というものが注目もされる時代ともなったのかもしれない。

■戦争とは?➡個人またはその組織の権力維持や権力拡大といったような、欲望によって起こされるのが戦争だとつくづく思わされる。それに、歴史観や宗教観などが、とってつけたようにその個人や組織の戦争理由として展開される。プーチンという個人と彼を支持する組織のメンバーたちによるウクライナ侵略戦争しかり、今回のイスラエルへのハマスの攻撃から始まった戦争もしかり。東シナ海での戦争への緊張状態もしかり‥。独裁的に権力をにぎった個人とその組織の権力維持や権力強化というドロドロした人間的欲望から戦争は起きる。

 この10日間余り、日本のテレビ局TBSの報道番組「報道1930」をユーチューブによって視聴。中東、ウクライナ情勢、米中首脳会談などについて報道されていた。

 中国国内でも、ここ数日間は、中米首脳会談のことが、インターネット各局、新聞、テレビなどでも大きく取り上げられ続けた。

 来年1月上旬に行われる、世界が注目する台湾総統選挙の候補者が11月24日には判明する。中国との対話を重視する国民党や民衆党の3人の立候補候補が総統選挙の候補者を1人に一本化する動きがみられるという情勢。一本化となれば、その支持率は50%を超えることとなり、現政権の民進党の候補者の支持率33%を大きく超えることとなり、中国寄りの政権が誕生することが現実味をおびる状況にもなってきている。さあ、11月24日にはどうなっているか‥。

 

 

 

 

 

 


孫たちに会った翌日、中国に戻る―今年の中国福建省の11月は、肌寒い日が早く訪れた—学生たちの軍事訓練が始まっていた

2023-11-16 12:38:29 | 滞在記

 中国に戻る前日の11月7日(水)、自宅にたくさん実っている富有柿の一枝を切って、午後に京都市内の大文字山が望める娘の家に行った。中国に戻る前に孫たち3人の顔を見ておきたかったのだ。富有柿の枝から柿をもぎ取らせてあげた。孫たちも、この10月から12月には、7歳・5歳・3歳となり、「七五三」の年齢となる。初孫誕生でおじいちゃん(じいじ)になって、もう8年が経過したことになる。

 11月8日(水)の夜に中国福建省福州に戻りアパート部屋で翌日は授業準備に一日が暮れた。日本で買って帰った坐骨神経痛の痛み対策のサポータ(腰コルセット/バンテリン社製品)が、少し、腰や左足の痛みを和らげてもくれるようだった。

 11月10日(金)、この日は午前も午後も授業。この季節に咲く樹木の黄色い花が美しい。亜熱帯地方にある福建省(中国沿岸南部)は、5月上旬から10月下旬までの夏の季節が終った。今年の11月は、この10年の間でも、最も早く肌寒い気温の日が早く訪れた。11月中旬に早くも、13・14度の最低気温を記録している。こんな年は初めてだ。

 樹木の90%以上は常緑樹の亜熱帯植生。大学構内の樹木も、ほとんどが常緑樹だが、ほんの少しだけ黄色っぽくなって落葉する木々もある。植生で秋らしさはほとんど感じられないが、気温は肌寒い日々が多くなり、一応11月は秋の季節となり、12月からはさらに気温が下がり冬の季節にと移ろう。

 私の研究室もある福万楼の前では、新しい建物を建築するための工事がこの9月より本格化している。そして、その工事現場となりの大学スタジアム(運動場)では、11月6日(月)より1回生たち6000人余りの軍事訓練が始まっていた。例年は2週間の軍事訓練だが、今年は3週間もあり、なぜか異常に長期間の軍事訓練となっている。ひたすら、「イー・アル・サン・スー(1・2・3・4)」の掛け声での一糸乱れぬ集団行進ができるためにこの3週間が延々と続けられる。

■中国の小学・中学・高校・大学での軍事訓練

 小学校の高学年➡長距離を徒歩で目的地に行き帰りをする。中学➡2日間ほどの期間の校内での軍事訓練が行われる。高校➡5日間ほどの期間の校内での軍事訓練が行われる。大学➡2週間ほどの期間の軍事訓練が行われる。10年ほど前までは、銃(実弾は入っていない)を持っての軍事訓練も行われていたが、最近では、ほとんど行われていない。

■中国の果物は、売られている種類が多く、値段がとても安い。今の季節は、日本と同じように🍊🍊ミカンなどの柑橘類がよく売られている。そして、柑橘類の種類もとても多い。