彦四郎の中国生活

中国滞在記

世界の推理小説文学の金字塔「松本清張と東野圭吾」❷—日本近現代文学選読の講義より

2018-12-13 09:00:01 | 滞在記

 2018年9月から4カ月間あまり、「日本近現代文学選読」の講義(授業)担当した。この授業は、福建師範大学に赴任していた時を含めて3回目の授業担当となった。福建師範大学の教科書には、松本清張が扱われているが、閩江大学の教科書には掲載されていない。しかし、日本の近現代文学者としては、松本清張はきわめて重要な作家である。「彼は純文学作家ではなく推理小説作家だから‥」と文学的に松本清張を低く見るむきもあるようだが、それは「文学」というものを、かなり狭く考えている人の固定観念にすぎないと私は思っている。

 松本清張は1909年に広島市で生まれ、露店で細々と商いする両親とともに、山口県下関市、福岡県小倉などで幼少・少年期をバラックの住居で暮らす。小学校卒業と同時に、電機会社の給仕として働き始めた。15才の頃から、本を買うお金がないので本屋で日本近現代文学や世界文学を立ち読みしながら多読。18才の時に会社が倒産したので、印刷所にて働き始めた。27才で見合い結婚、34才で軍隊に招集され朝鮮へ。そこで終戦を迎えた。

 1950年、生活のためもあり初めて小説を書く。この『西郷札』が直木賞候補となった。41才の時である。1952年、『或る小倉日記』が芥川賞を受賞した。さまざまなジャンルの「推理小説文学」を書き、1992年に享年83才で没した。

 一昨日(12月11日)、日本のテレビ番組で「砂の器—松本清張原作」(テレビドラマ版)を見た。これはかなり以前に映画でも見たことがあったが、やはり「すごい」4時間あまりのテレビドラマだった。砂の器に限らず、彼の作品は 歴史、社会、人間、事件というものを、さまざまなジャンルにわたって描く。その作品数もとても多い。私は、松本清張の何百という作品のほとんどは読んだが、あまり「ハズレ」がない。

 日本近現代文学選読(全15回/90分)の講義の一つとして、「松本清張—東野圭吾に連なる日本推理小説文学作家」と題して授業を行った。松本の短編作品の一つ『1年半待て』を、この日はテキストとして使った。まずは、松本清張という人や代表的な作品などの紹介をし、60分ほどをかけて『1年半待て』の全原文を読ませる。(朗読CDも使用) 学生たちの反応は、「とてもとても面白く、人間をよく描いている」だった。

 松本清張は「推理小説の読者」で言う。「いわゆる純文学だが、‥‥一つは思想がありそうにみえるがいかにも晦渋であり、一つは身につまされる話だがいかにも単調で‥‥、また、広い読者をもつことを目的としていない。ところで、なぜ、そのような文学に読者が少ないか。答えは簡単である。読む側に面白くないという観念があるからだ。‥‥純文学の神殿から逃亡した読者は、それではただちに、いわゆる大衆文学の面白さにつくか。大衆文学は面白さに奉仕している文学である。しかし、これはあまりに奉仕が露骨すぎて、かえって面白くないのである。」

 「私は今の推理小説が、あまりに動機を軽視しているのを不満に思う。それは、トリックだけに重点を置いた弊だが、解決編にちよっぴり申し訳みたいに動機らしいものをくっつけたのでは、遊びの文章というよりほかはない。動機を主張することが、そのまま人間描写に通じるように私は思う。‥‥私は、動機にさらに社会性が加わることを主張したい。そうなると、推理小説もずっと幅ができ、深みを加え、時には問題も提起できるのではなかろうか。」

◆世界の推理小説文学作家として有名なアガサクリスティ(イギリス)にしても、同じくイギリスの推理小説家「エドガー・ランポー」にしても松本清張のような視野の広さや深さはなく、事件を巡っての探偵と犯人のことばかりが書かれている。つまらないなあと私などは思う。私も少年期には夢中になったが、日本の江戸川乱歩の作品にしてもそうである。溝口の「金田一探偵シリーズ」などは、面白いし歴史性も感じるが、ジャンルが「怨念」に限られる。そして、森村誠一の推理小説文学は、社会性があって、面白い点でもなかなかのものだが、なにか人間の描き方がもう一つ画一的で浅い。

 松本清張は、世界的にも「推理小説文学」の金字塔として、比類のないすごい存在だったと私は思う。東野圭吾はこの松本清張を愛読した。東野圭吾は多大に松本清張の影響を受けている作家といえると、私は思う。

 松本清張—東野圭吾、この日本が誇る「推理小説文学」の系譜。東野は、現代的なテーマやジャンルを舞台として、多くの作品を書いている。「白夜行」「さまよう刃」「麒麟の翼」などなど。ちなみに、「麒麟の翼」などは、「砂の器」とどこか似通った読後感を受ける。講義では、松本清張の「一年半待て」の読後に、再び、松本清張の文学の特徴について話をし、続いて東野圭吾作品について語った。

 

 

 

 


世界の推理小説文学の金字塔「松本清張と東野圭吾」❶—中国で最も読まれる作家・東野圭吾

2018-12-13 05:11:34 | 滞在記

 中国国内の書店に行くと、書店の最も目立つ中心的な場所に東野圭吾の書籍が平積みにされて、「東野圭吾コーナー」的に陳列されている書が多い。中国は日本と違って「書店」というものが極端に少ないので、ここ700万人口の福建省省都・福州市でも「書店らしい書店」というと1店舗しかない。かなり大きな書店だが、ここでも東野圭吾コーナーが書店の中心的な場所や書棚に設置されている。

 福州市内の伝統的な家屋が残る「三坊七巷」という地区の商店街の一画にある雑貨店舗には、日本の書籍がけっこう置かれているが、この店でも東野圭吾の本(中国語訳)が多く置かれている。

 福州長楽国際空港の書籍売り場では、「中国国内書籍販売BEST20」が陳列されていた。2位『解优雑貨店』(『ナミヤ雑貨店の奇蹟』)と15位『風雪追撃』(『風雪の追撃』)と17位『人魚之家』(『人魚の家』)は東野圭吾作品。20冊中じつに3冊が東野圭吾作品と、驚異的な書籍販売数だ。

 北京市で最も大きな書店「王府井書店」に行き、中国国内外の作家たちの文芸書が置かれている7階に行く。日本の書籍のコーナーではかなりの本が置かれていて、けっこう充実もしている。本棚と本棚の間に並べられている日本の書籍。このうちの1/3は東野圭吾。

 太宰治の『人間失格』も置かれている。この作品も中国では最近、購読され多く読まれている作品の一つだ。その他の作家として、中国の書店で この5年間の日本の作家としてよく見られるのは渡辺淳一。村上春樹の作品は、現在も関心を持つ人も少数はある。宮部みゆきや湊かなえの作品も、最近は少し関心を持たれ初めてきたが、まだそう多くはない。近代文学者としては、夏目漱石の作品もあるが、川端康成の作品の方が夏目漱石作品より関心が少し高いかと思われる。日本の古典である『源氏物語』や『枕草子』などもたまに目にする。

 中国において、日本の作家で高い関心をもたれ、とてもよく読まれているのは、東野圭吾と太宰治だろうかと思う。これは、私なりには納得できることだ。二人の作家の作品で、東野圭吾の作品は面白いのだ。面白いだけでなく、「人間心理」をも描く面白さがあるからだ。それに、読みながら「感動」できる要素もある。

 太宰治の『人間失格』は、これはもう世界的にも稀有な「すごい文学作品」とでもいうのだろうか。「私は人間を極度に恐れていて、それでも人間を求めずにはいられなかった‥‥"道化"、それは私の人間への最後の求愛だったのです。」という文章は、やはり 太宰だからこそ書けるすごい一文だ。日本以上に人間への信頼と不信の狭間に生きることの多い中国社会、太宰のこの言葉は、日本人以上に 自分たちの存在のあり方そのものとして 共感がもたれるのかもしれない。

 この二人に比べて、村上春樹の作品、例えば『ノルウェーの森』などを読んでも、「面白さも 人間的探求の深さもなく ストーリも内容も空疎、単なる比喩的言葉遊びの好きな作家で退屈きわまりない」ということだろうか。2013年頃は、中国では「日本の現代文学者」の中で「最も世界的に有名」ということで、書店に並べられる日本書籍の筆頭だったが、現在では、もうあまり並べられていない。

   以上が、2018年度における「中国の書店」での日本の書籍の状況だった。

 東野圭吾の書籍は、2013年頃は 中国の書店ではポツンと置かれる程度だったが、『白夜行』がまず多く読まれるようになり、2015年頃からは、爆発的に読まれるようになってきている。中国においては、日本の推理小説文学は、東野圭吾ブームで火が付いたのだが、この東野圭吾に多大な影響を与えたのは松本清張の作品だった。「人間を描く推理小説文学」である松本清張—東野圭吾という日本の推理文学作家の系譜であるが、松本清張の名や作品を知る中国人は まだほとんどいない。