7月中旬頃から8月下旬の真夏の1か月以上にわたって、京都鴨川に架かる三条大橋の東西のたもとに咲く百日紅(サルスベリ)の花。日本での二か月間余りの夏休み滞在、7月には映画「国宝」を観た。そして、8月に入り‥。
8月8日(金)、映画「木の上の軍隊」(平一紘監督・脚本、堤真一・山田裕貴主演)を観た。第二次世界大戦の沖縄戦で激戦地となった島(伊江島)で、終戦を知らないまま2年間、カジュマルの大木の上で身を潜めていた日本兵の二人がいた。そんな実話を基にしたこの映画はこの7月25日から全国で公開された。
監督・脚本は沖縄出身の平一紘(35)。映画の舞台は沖縄本島北部の西に浮かぶ伊江島。沖縄戦では米軍が1945年4月1日に本島中部に上陸。4月16日には伊江島にも上陸・侵攻し、日本軍の現地部隊との激しい戦闘の末、21日には米軍に制圧された。沖縄県史によると、伊江島での日本側の死者は軍民合わせて4794人にものぼる。恐怖と飢えにさらされる中で、木の上の二人(下士官と新兵)は衝突しながらも生き延びる。
2024年の夏、伊江島で撮影に使うカジュマルの木を一時的に移植させるために掘った場所から、日本兵とみられる20人分相当の遺骨が見つかり、遺品や手投げ弾などもあったようだ。実際に約2年間、木の上で過ごしたのは、宮崎県出身の山口静雄さん(下士官将校の少尉/1988年に78歳で死去)と沖縄出身の佐次田秀順さん(一兵卒/2009年に91歳で死去)
沖縄戦当時、山口さんは35歳、佐次田さんは27歳だった。佐次田さんは、戦争の終結を知ったあと、地元沖縄県うるま市に戻り、結婚し五人の子供の父親となった。
私が映画「木の上の軍隊」を京都で観ている頃、私の妻は、8月6日から10日までの沖縄旅行に、娘夫妻と孫たち(3人)の合わせて6人で行っていた。伊江島が見える今帰仁城などへも行ったようだ。沖縄土産は「ハブカレー」(猛毒の沖縄地方の蛇・ハブのエキス入り)と沖縄のサトウキビ黒砂糖を買ってきてくれた。いろいろと思い出深い旅行となったようだが、妻が最も印象(心の)に残ったのは、沖縄本島南部にある「糸数アブチラガマ洞窟」(全長270mの自然洞窟)だったと話していた。
沖縄戦でこの洞窟(鍾乳洞)も住民の避難場所となり、戦局が本島南部に移るにつれて、日本軍の作戦陣地や南風原陸軍病院の糸数分室(「ひめゆり学徒隊」の生徒たちの一部もここにいた。)ともなった。戦闘がこの地で激しくなると、このガマ(洞窟)は、軍民同居の状態となった。そして、米軍の攻撃の的の一つとなり、多くの命が失われることになったガマの一つだった。また、ここのガマには何百人もの重症の傷病兵がいたが、症状の重い者はやむなく置き去りとなり死んでいった場所でもあったようだ。
妻はこのガマの資料館で売られていたと思われる一冊の著書を買って帰って来た。『今なお、屍とともに生きる—沖縄戦 嘉数高地から糸数アブチラガマへ』(日比野勝廣著)。私もこの書籍を読み、沖縄戦の様相の一端を知った。ガイドの人が洞窟内の電灯を消すと、ガマの中は真っ暗になり何も見えなくなったと妻は話していた。このような中で、人々はわずかな🕯🕯ロウソクを灯りに、生きていたのだろう。
この夏の8月15日のお盆の日に全国公開される映画「雪風 YUKIKAZE」。日本軍と米軍との戦い(太平洋)の転換点となり多くの日本海軍の主力空母が海に沈んだミッドウェイ海戦(1942年/昭和16年)から、ガタルカナル、ソロモン、マリアナ、フィリピン・レイテ沖海戦、終戦間際の(1945年/昭和20年)戦艦大和の沖縄に向けての特攻出撃艦隊まで、幾多の主要な日米海戦に参加し、沈没することなくほぼ無傷で終戦までを戦い、「幸運艦」とも呼ばれた駆逐艦「雪風」。(沈没した日本艦の乗組員の救助にもあたった。)
その「雪風」の艦長(竹野内豊)と「雪風」の下士官・兵卒を束ねる先任伍長(玉木宏)の二人を中心に物語は進む。戦い抜き、幾多の命を救い続けた艦。「生きて還す、生きて還る」、その史実に基づく物語。原作は長谷川康夫著『雪風』(小学館文庫)。長谷川氏はこの映画の脚本を担当もしている。私は、この原作を8月上旬より読み始め中旬に読了、8月17日にこの映画を観に行った。「一人でも多くの人を救う!」そんな現代世界に通じるメッセージが込められた映画だった。
1945年8月の終戦後、「雪風」は、砲塔などの軍備を全て撤去され、中国大陸や東南アジアに残された日本人たちを、日本に輸送する船として2年間余り働いた。艦長はこの間に激務がたたったためか、病気で亡くなっている。先任伍長は沖縄に向かう途中、米国の戦闘機の襲来時に戦死している。こののち、「雪風」は戦時賠償の一つとしてソ連(ロシア)に引き渡され、数年間ソ連で使われたのちに、爆破により沈没した。
第二次世界大戦終戦80年を迎えるこの夏、戦争を扱った(題材)とした多くのドラマや映画、そしてドキュメントがテレビなどても放送されている。あの戦争による悲劇を忘れず、そして現在をとらえなおし、未来への日本の選択を誤らないために、多くの人にも観てほしい作品がたくさんあった。
たとえば、8月13日にはNHK総合で「八月の声を聞く男」。元長崎放送局記者の伊藤明彦氏の著作『未来からの遺言 ある被爆者体験の伝記』を原案に、NHK大河ドラマ「麒麟が来る(2020年)」の脚本を手掛けた池端俊策が脚本を担当。主人公の伊藤のモデルを木本雅弘が演じていた。被爆者の一人の役として主演している阿部サダヲの存在感も‥。この夏、長崎と広島に投下された原爆に関するドキュメントやアニメ、ドラマも多く放送されたが、改めて、核兵器の恐ろしさとその使用の非人間性を思う。被爆した何十万もの人々の苦しみを思う。
この夏の参院選での東京選挙区に出馬し当選した参政党のさやか候補は、「日本は核兵器を持つべきだ。軍事費としては一般的に通常兵器よりも安上がりだからです」と聴衆に語ったが、「語るに落ちた」というか、核武装賛成という主張をするにしても、「安上がり」という言葉をよくも使えるなぁ‥と、その人間としての愚かさ、まっとうな人間としての知性・品性のなさに怒りを感じる。
丸善書店に8月中旬には、新書購読人気NO2として『核抑止論の虚構』(豊下楢彦著)[集英社文庫]が並べられていた。この8月、シベリア抑留者を描く映画「ラーゲリーより愛を込めて」(二宮和也主演)もテレビで再放送されていた。
この夏、テレビで映画「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」が放映されたのを視聴した。現代の、母一人子一人のシングルマザーの娘の女子高校生が、1945年の夏にタイムスリップ。そこは特攻戦闘機基地のある町だった。
そして、特別攻撃隊の隊員と、初めての恋におちいる。そして、彼は特攻機に乗り込み離陸し帰還しなかった。再び現代に娘は戻り、「生きられる、未来もある」という現代社会で、改めて頑張って向き合い直すというストーリーだった。「御国のため、親しき人を守るため‥」と、死に追い込まれた特攻隊員には、深い敬意と哀悼を私は感じる人間の一人だ(死への特攻を美化するわけではなく)。そんな特攻について、日本の若い人たちに観てもらいたいテレビ放映された映画でもあった。
この映画は2023年に全国公開され、興行収入45億円を突破する大ヒットの作品となった映画だった。原作者は作家の汐見夏衛。主演は福原遥。2026年には、続編の「あの星が降る丘で 君とまた出会えたら。」が制作・全国公開される予定となっている。
この夏、他に、8月16日・17日の2夜連続でNHKスペシャルドラマ「シュミレーション~昭和16年の夏の敗戦~」なども放映された。また、戦争を描いた過去の作品の再上映(4Kデジタル修復版)も相次いだ。大岡昇平がフィリピン・レイテ島の戦場を描いた『野火』は2度映画化されている。私はこの『野火』を読み、映画を観て、そして、2000年代にレイテ島に3度にわたり行ってきた。
また、広島原爆投下前後の広島・呉の日常を描いたアニメ「この世界の片隅に」も、各地の映画館で再上映がされた。そして、ドキュメンタリー映画として、終戦間際の満州で、生き延びるために性の相手として差し出された女性たちの声を伝えた「黒川の女たち」(※「黒川」は長野県にある村。この村からも満蒙開拓団が結成されて満州に集団移住した。) このドキュメンタリー映画の語り(ナレーターは女優の大竹しのぶ。) 映画「長崎 閃光の影で」は、長崎原爆投下後、被爆者の救助にあたった3人の看護学生が主人公。原爆の惨状や極限状態での人間模様に迫っている作品のようだ。(この映画は、滋賀県の各地でロケ撮影が行われた。)
この7月・8月、テレビでの戦争関係のドラマやドキュメンタリーの放映は、数多くあった。
8月19日(火)、恐竜好きの五歳の孫の寛太と二人で、京都市内の映画館に行き映画「ジュラシック・ワールド—復活の大地」を観た。この夏、孫との良い思い出になった。
8月29日には、大学の夏休みでの日本滞在を終えて中国に戻ることになる。次の二つの映画はとても観たいのだが‥。一つは「盤上の向日葵(🌻)」(10月31日から全国公開/坂口健太郎・渡辺謙が主演。)。この映画の原作『盤上の向日葵』(柚月裕子著)は、2年ほど前に読了し、今は中国のアパートにある。もう一つは「宝島—Heros Island」。沖縄がアメリカだったころ(1945年~1971年までの占領、アメリカ統治下)。幼馴染の仲間たち4人が行っていたこと、そしてリーダー格は行方不明に‥。残された3人は、警察官、教師、ヤクザとそれぞれがなる。それから20年後に彼らがたどり着いた真実とは‥。—「俺たちの故郷、"宝の島"を取り戻せ!」(主演は、妻夫木聡、永山瑛太、広瀬すず、窪田正孝) 9月19日全国公開。
この二つの映画は、いずれ観ることのできる機会はあるかもしれないので、19日に原作書籍を丸善書店で購入した。原作は第160回直木賞の受賞作品『宝船』(真藤順丈著)/講談社文庫(上・下) 中国でゆっくりと読了したい。アメリカ統治下の歴史を知るうえで格好の著作かと思われる。
終戦から80年の今年。そして昨日、8月22日、私は73歳の誕生日を迎えた。父は3年間余りのシベリア抑留ののち、日本に帰国し、その後に寺坂家に婿入りして母と結婚、私は1952年(昭和27年)に生まれた。
◆この戦後80年の今年の夏、中国ではこの7月~10月にかけて、「抗日戦争勝利」の記念行事や映画の上映が行われる。7月に公開された映画「南京写真館」(日本軍による南京大虐殺事件を扱った映画)は、すでに5000万人近い動員数となり、映画収益も何千億円。9月18日公開の「731」(日本の細菌兵器部隊731部隊の実態を描く)は、すでに多くの中国国民の関心をあつめている。その中国に、私は8月29日に戻る。「反日感情の高まり」が懸念される時期であり、ちょっと中国渡航も心配ともなるが、その中国で暮らすこととなる‥。