11月29日(木)の午前、韓国の「大法院(最高裁判所)」で「徴用工」裁判の判決で、再び「原告たちの訴えを認め、日本の三菱重工に約4800万円の支払いを命ずる(原告の5人への)判決」が決定された。「一人は広島の三菱重工での労働に強制連行されていた人の遺族」、そして4人は「女子勤労挺身隊(徴用)」として名古屋の三菱重工で働いていた人たちである。
これに関する日本のNHKテレビ報道などを見た。日本の河野太郎外相は、「あらゆる選択肢を視野に入れ、毅然として対応していく」との談話を発表した。
この11月に入って、かなりたくさんの「徴用工判決問題」に関する日本の新聞・ニュース報道やインターネット記事を聞いたり見たりした。インターネット記事に関しては50以上の記事を読んだだろうか。そのほとんど(90%以上)は、「韓国政府・文政権・判決・韓国民に対する批判記事」だった。その批判記事の多くを読んで、「その批判論調には、賛同できる部分も多いが、何かが決定的に足りないなあ」という感想を私は持った。「批判論調に血が通っていない」というか‥‥。そんな印象だった。
そんな批判論調の記事の中には、「徴用工強制連行はなかったと言えるワケ—韓国で相次ぐ訴訟」というものもあった。その記事によると「日本が徴用工問題で責められる理由は本来存在しない。朝鮮半島での労働者募集は、企業担当が直接募集する"自由募集"が1939年から始まり、1942年からは朝鮮の行政機関を通した募集である"官斡旋"が行われた。応募するのは個人の自由であり、応募しなくても罰則もなかった。
"徴用令"の朝鮮半島での発動は1944年9月であり、"徴用"に応じることはすべての国民に課された義務であり、日本国民だった朝鮮人に適応されたのは、当時の国際法に照らして何ら問題がない。」との内容。この記事も「血が通っていない印象」を私は強く受けた。当時の朝鮮人たちの気持ちというものをまったく考慮していない論調だと思った。また、記事内容に間違いや歪曲・捏造があるとも思った。
丹波マンガン記念館の売店でたった一冊だけ売られていた『死地を越え—帰郷まで・日帝強制徴用の手記』(李相業 著)を読んだ。李さんが15才の時の1943年9月(1944年9月ではない)に朝鮮半島の故郷で「徴用」されたのだった。そして、福岡県の「上山田三菱炭鉱」での朝鮮人たちに対する「人を人と思わない」監督たちの むごいまでの仕打ちの数々がこの手記には書かれている。このような朝鮮人にたいする対応・扱いをした日本の企業ばかりではないだろうが、このようなむごい企業もあったことは事実のようだ。
この11月に読んだ「徴用工問題」に関する多くの「韓国人・韓国政府」への批判は、「国と国との約束」遵守しない韓国・文政権にあることは私も理解できるし賛同もする。しかし、かりにどんな形(「自由応募」「徴用」「強制連行」など)で日本列島の工場や鉱山などに来て働いたとしても、虐待を伴った「労働実態」はかなりあったのではないかと、私は想像もする。賃金が一銭も払われなかった事例も多かったと聞く‥‥。
このような「徴用工」などの労働環境実態を考えずして、「1965年に決着済みだ」と、批判をするばかりの論調に「血の通わぬもの」を感じてしまうのだろう。もちろん、文在寅大統領という人にも その思想・考え方に大きな不安も感じる。また、この「徴用工問題」や「従軍慰安婦問題」をもちあげ「反日運動」を展開する諸団体の人たちにも‥。
今、日本国内のメディアでも日本国民の中にも、「反韓国」の機運が霧のように覆いはじめている。先ごろ、埼玉県秩父市が姉妹都市関係を締結している韓国の都市との「相互職員交流事業」に対して、ネット右翼を中心とした「抗議」(韓国のその年に徴用工像があるとの抗議)が多くよせられ、事業中止を発表した。
「徴用工」「従軍慰安婦」など、当時の日本政府により海外(朝鮮半島外)に招集された朝鮮人の人たちの数は約100万人にのぼるとされる。「徴用工」だけでも20万人以上だとされている。今後 より多くの「徴用工裁判」が起こされる可能性は大きい。「日韓国交断絶」ということになれば、北朝鮮や中国は「ほくそ笑む」。
日本人は、この状況で、「あらためて日本と朝鮮半島」に関する歴史も含めた学びなおし(始め)の必要があるのではないのだろうか。真実、事実を学ばずして、この問題などを巡る「日韓の国交正常化」の未来はありえない。これは、韓国人にとっても同じことが言える。私も遅ればせながら、この「徴用工問題」をきっかけに学び始めをしたばかりである。