ブーゲンビリアの真紅の色が美しい。大学構内のクリーク(沼地)の「ホテイアオイ」の花が開花してきた。ホテイアオイの群落が一斉に花をつけると、濃い青紫色が一面に広がるさまが見られた。まあ、亜熱帯地方の初夏の景色も これらは見事なものだ。4月上旬に黄色く紅葉し中旬までに落葉、すぐに新芽を出し始めた樹木も今は完全に新緑が濃くなってきた。
「広島大学3+1プログラム」という1年間の留学制度の試験を受験するための個別指導を、4月中旬から下旬にかけての2週間行った。(※この留学試験の概要については、4月8日付のブログで詳しく書いた。)受験予定の2回生16人を、中国人の日本語学科の教員8人が、それぞれ2人ずつの学生を指導分担しているが、全体指導を担当しているので、私の方も一人一人との個別指導にあたった。だいたい一人あたり20分~40分間くらいを要したので、この2週間は授業がない日にもほぼ毎日大学の研究室に行っていた。
5月中旬から下旬にかけて、広島大学教員とのテレビ電話を活用した面接試験が予定されているので、残された試験準備期間は3週間あまりになった。学生たち16人の「研究計画書」(広島大学に留学したらどのようなことを研究したいのか)のテーマは以下のとおりである。(※16人中、男子学生は4人。2回生はとても学生数が多く2クラス・64人が在籍している。他の学年は、ほぼ2クラス・40人程度。)
①「中国語を母語とする日本語学習者の漢語の処理過程」、②「ビジネス日本語表現の特徴について―敬語と日本語」、③「母語のプラスやマイナス転移―時制や断定・断定回避表現における日本語と中国語」、④「人々の行為習慣と心理活動の関係について―習慣と心理」、⑤「家庭情況は進学や就職の選択に対してどのような影響があるのか」、⑥「日本語の音声に関する研究」、⑦「語用に基づく小学生の英語教材の作成―小学校に於ける中日英語教育比較」、⑧「中日ビジネスマナーの違いについて」、⑨「中国と日本の歴史比較―歴史の違いは現代の中日人民の生活にどのような差異を生んでいるのか(防犯意識を例にして)」、⑩「大学での教授法を中日で比較する」、⑪「中国と日本の庭園景観芸術の比較研究―自然観の共通性や違いについて」、⑫「中国と日本の義務教育での英語教育の比較―受験と会話力」、⑬「日本近現代文学に関する研究」、⑭「漢学と日本文学―芥川龍之介と漢学・漢詩」、⑮「日本の戦国時代の人物と歴史環境に関する研究―徳川家康はなぜ成功したのか―中国の歴史人物との比較調査)」、⑯「私と心理学―深層心理学」
以上のテーマに関して、一人一人と話し合いながら、テーマについての内容をより深めさせていくのが私の個別指導。中国人の教員の指導だけでは、なかなか深められないテーマも多い。このような個別指導は、なかなか面白いものだ。
石榴(ザクロ)の花が満開となってきている。大きな岩とそれを覆うような樹木と黄色い花。この景観的美は中国人独特の感性が生み出した自然観的光景だ。岩や石というものに対して、日本人以上にその価値や芸術性を求める中国の人々の歴史的な美意識がある。夏の花、「夾竹桃(キョウチクトウ)」がかなり開花してきている。
8日間にわたって大学構内3箇所で実施されていた1回生約6000人の軍事訓練が昨日(28日)に終わった。最終日は、いままでの訓練の成果を全体の前で、それぞれの小隊(学部の各学科別)が披露することだった。訓練内容は、連日ひたすら「イーアール・サンースー、イーアルサンスー!」(1ー2-3ー4、1234!)の掛け声を出しての行進練習である。初日あたりはだらだらしていた学生たちの行進も、この1週間の訓練で少しは鍛えられてきたようだった。
学生たちを指導する軍隊の指導教官たち(写真の迷彩服)の多くは、学生たちより1〜2才くらい上の若い軍人たちだ。彼らは中学又は高校を卒業後、大学には進まずに軍隊に志願した人たちだと思うが、同じような年代の学生たちに対してはどのような思いで訓練指導教官として任務にあたっているのだろうか。いろいろな思いがあるだろうなと思いながら、訓練最終日の様子を眺めていた。
担当授業の時間がせまってきたので、研究室に近い場所での訓練場を立ち去ろうとしたら、背の高いひときわ大柄な学生が目に留まった。昨年9月からの前期授業で教えていた1回生(外国語学部日本語学科)の学生たちがたまたま、全体の前で訓練の成果を発表しようとする時だった。その様子を観終わって、急ぎ授業に向かった。
◆今日(29日)の午後、日本に10日間あまり一時帰国をすることとなった。今日から3日間は、5月1日の労働節(メーデー)を含めて中国は3連休となる。また、5月4日は「青年節」のため大学の授業は午後休講。9日に中国に戻るが、その間の担当授業は後日行う「振替措置」と大学側に申請し受理されていた。
日本に一時帰国することができるかどうか、昨日(28日)の午後5時までわからなかった。3週間ほど前の4月中旬にはもうすでに飛行機のチケットは予約購入していた。入国管理局が発行する私の「外国人就労ビザ」が5月23日まで期限だったので、さらに1年間の「ビザ延長」を大学側が最近に申請した。その際パスポートは「入国管理局」に置かれることに。申請が北京の「外国人専門家局」や「各地方の出入国審査局」などの各機関で審査され、認可許可がおりて、パスポートが昨日の28日中に戻らなければ帰国は断念せざるをえなかった。気をもんでいたが、ようやく ぎりぎりにパスポートが昨日の午後5時に手元に戻ってきたので安堵した。
昨日の28日の午前9時すぎ、「パスポートは本日返却」との知らせが「入国管理局」より大学側にあった。昨日は午後4時近くまで授業があったので、大学から車で1.5時間以上離れている「福州市入国管理局」まで自分でパスポートの受け取りに行くことができなかった。(午後5時には閉まる) このため、大学の「外事所(外国人教員担当部署)」の職員の一人が午後に受け取りに行ってくれることとなった。そしてそれを今度はその人から私が受け取る場所を指定してきた。その場所とは、私が通勤(大学への行き帰り)する途中にある「融信第一城」というバス停だった。
大学から41番バスに午後4時半ころに乗った。この日は、バス内を簡単には移動できないくらいのすし詰め状態。指定されたバス停で下りるため、なんとか車内を移動してバスの昇降口におり立った。バス停でバスが停車し、降りるドアが開いて降りようとしたその瞬間、その女性職員がドアに猛ダッシュで近づいてきていて、「不要、不要、下車!」と叫び、瞬時にパスポートをバスの外から、車内にまだ片足を残している私に手渡した。そして、パスポートを受け取り、そのまますし詰めのバスに乗り続け、途中乗り換えてアパートに戻った。日本に一時帰国ができることを確信した瞬間の午後5時の光景なのだが、なんともいえない受け渡しの顛末だった。想定外のことがよくおきるのが中国社会でもある。