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彦四郎の中国生活

中国滞在記

「広島大学3+1プログラム」留学試験・受験者への個別指導―軍事訓練が終わる

2018-04-29 06:10:35 | 滞在記

 ブーゲンビリアの真紅の色が美しい。大学構内のクリーク(沼地)の「ホテイアオイ」の花が開花してきた。ホテイアオイの群落が一斉に花をつけると、濃い青紫色が一面に広がるさまが見られた。まあ、亜熱帯地方の初夏の景色も これらは見事なものだ。4月上旬に黄色く紅葉し中旬までに落葉、すぐに新芽を出し始めた樹木も今は完全に新緑が濃くなってきた。

 「広島大学3+1プログラム」という1年間の留学制度の試験を受験するための個別指導を、4月中旬から下旬にかけての2週間行った。(※この留学試験の概要については、4月8日付のブログで詳しく書いた。)受験予定の2回生16人を、中国人の日本語学科の教員8人が、それぞれ2人ずつの学生を指導分担しているが、全体指導を担当しているので、私の方も一人一人との個別指導にあたった。だいたい一人あたり20分~40分間くらいを要したので、この2週間は授業がない日にもほぼ毎日大学の研究室に行っていた。

 5月中旬から下旬にかけて、広島大学教員とのテレビ電話を活用した面接試験が予定されているので、残された試験準備期間は3週間あまりになった。学生たち16人の「研究計画書」(広島大学に留学したらどのようなことを研究したいのか)のテーマは以下のとおりである。(※16人中、男子学生は4人。2回生はとても学生数が多く2クラス・64人が在籍している。他の学年は、ほぼ2クラス・40人程度。)

 ①「中国語を母語とする日本語学習者の漢語の処理過程」、②「ビジネス日本語表現の特徴について―敬語と日本語」、③「母語のプラスやマイナス転移―時制や断定・断定回避表現における日本語と中国語」、④「人々の行為習慣と心理活動の関係について―習慣と心理」、⑤「家庭情況は進学や就職の選択に対してどのような影響があるのか」、⑥「日本語の音声に関する研究」、⑦「語用に基づく小学生の英語教材の作成―小学校に於ける中日英語教育比較」、⑧「中日ビジネスマナーの違いについて」、⑨「中国と日本の歴史比較―歴史の違いは現代の中日人民の生活にどのような差異を生んでいるのか(防犯意識を例にして)」、⑩「大学での教授法を中日で比較する」、⑪「中国と日本の庭園景観芸術の比較研究―自然観の共通性や違いについて」、⑫「中国と日本の義務教育での英語教育の比較―受験と会話力」、⑬「日本近現代文学に関する研究」、⑭「漢学と日本文学―芥川龍之介と漢学・漢詩」、⑮「日本の戦国時代の人物と歴史環境に関する研究―徳川家康はなぜ成功したのか―中国の歴史人物との比較調査)」、⑯「私と心理学―深層心理学」

 以上のテーマに関して、一人一人と話し合いながら、テーマについての内容をより深めさせていくのが私の個別指導。中国人の教員の指導だけでは、なかなか深められないテーマも多い。このような個別指導は、なかなか面白いものだ。

 石榴(ザクロ)の花が満開となってきている。大きな岩とそれを覆うような樹木と黄色い花。この景観的美は中国人独特の感性が生み出した自然観的光景だ。岩や石というものに対して、日本人以上にその価値や芸術性を求める中国の人々の歴史的な美意識がある。夏の花、「夾竹桃(キョウチクトウ)」がかなり開花してきている。

 8日間にわたって大学構内3箇所で実施されていた1回生約6000人の軍事訓練が昨日(28日)に終わった。最終日は、いままでの訓練の成果を全体の前で、それぞれの小隊(学部の各学科別)が披露することだった。訓練内容は、連日ひたすら「イーアール・サンースー、イーアルサンスー!」(1ー2-3ー4、1234!)の掛け声を出しての行進練習である。初日あたりはだらだらしていた学生たちの行進も、この1週間の訓練で少しは鍛えられてきたようだった。

 学生たちを指導する軍隊の指導教官たち(写真の迷彩服)の多くは、学生たちより1〜2才くらい上の若い軍人たちだ。彼らは中学又は高校を卒業後、大学には進まずに軍隊に志願した人たちだと思うが、同じような年代の学生たちに対してはどのような思いで訓練指導教官として任務にあたっているのだろうか。いろいろな思いがあるだろうなと思いながら、訓練最終日の様子を眺めていた。

  担当授業の時間がせまってきたので、研究室に近い場所での訓練場を立ち去ろうとしたら、背の高いひときわ大柄な学生が目に留まった。昨年9月からの前期授業で教えていた1回生(外国語学部日本語学科)の学生たちがたまたま、全体の前で訓練の成果を発表しようとする時だった。その様子を観終わって、急ぎ授業に向かった。

◆今日(29日)の午後、日本に10日間あまり一時帰国をすることとなった。今日から3日間は、5月1日の労働節(メーデー)を含めて中国は3連休となる。また、5月4日は「青年節」のため大学の授業は午後休講。9日に中国に戻るが、その間の担当授業は後日行う「振替措置」と大学側に申請し受理されていた。

 日本に一時帰国することができるかどうか、昨日(28日)の午後5時までわからなかった。3週間ほど前の4月中旬にはもうすでに飛行機のチケットは予約購入していた。入国管理局が発行する私の「外国人就労ビザ」が5月23日まで期限だったので、さらに1年間の「ビザ延長」を大学側が最近に申請した。その際パスポートは「入国管理局」に置かれることに。申請が北京の「外国人専門家局」や「各地方の出入国審査局」などの各機関で審査され、認可許可がおりて、パスポートが昨日の28日中に戻らなければ帰国は断念せざるをえなかった。気をもんでいたが、ようやく ぎりぎりにパスポートが昨日の午後5時に手元に戻ってきたので安堵した。

 昨日の28日の午前9時すぎ、「パスポートは本日返却」との知らせが「入国管理局」より大学側にあった。昨日は午後4時近くまで授業があったので、大学から車で1.5時間以上離れている「福州市入国管理局」まで自分でパスポートの受け取りに行くことができなかった。(午後5時には閉まる) このため、大学の「外事所(外国人教員担当部署)」の職員の一人が午後に受け取りに行ってくれることとなった。そしてそれを今度はその人から私が受け取る場所を指定してきた。その場所とは、私が通勤(大学への行き帰り)する途中にある「融信第一城」というバス停だった。

  大学から41番バスに午後4時半ころに乗った。この日は、バス内を簡単には移動できないくらいのすし詰め状態。指定されたバス停で下りるため、なんとか車内を移動してバスの昇降口におり立った。バス停でバスが停車し、降りるドアが開いて降りようとしたその瞬間、その女性職員がドアに猛ダッシュで近づいてきていて、「不要、不要、下車!」と叫び、瞬時にパスポートをバスの外から、車内にまだ片足を残している私に手渡した。そして、パスポートを受け取り、そのまますし詰めのバスに乗り続け、途中乗り換えてアパートに戻った。日本に一時帰国ができることを確信した瞬間の午後5時の光景なのだが、なんともいえない受け渡しの顛末だった。想定外のことがよくおきるのが中国社会でもある。

 

 

 

 

 


人生で初めて、エレベーターの中に1時間あまり1人で閉じ込められた―もう「トンボが」、夏近し―

2018-04-28 08:08:41 | 滞在記

 ディゴの樹木に赤い花が咲き始めた4月23日(月)、大学の研究室がある福万楼(9階建て)のエレベーターに、1時間あまり閉じ込められるはめになってしまった。その時、突然に止まってしまったエレベーターに乗っていたのは私一人だったので、よけいにいいろな不安がよぎった。人生、初めての経験だった。

 いきさつは次のような次第だ。午前9時ころに大学の研究室に出勤。この日の担当授業は3講時目の10時半から開始だった。授業準備を確認して、大学外事所(外国人教員担当事務所)の鄭さんと相談を行うため、9時15分ころに7階(外国語学部教員の研究室がある階)から1階に下りるためにエレベーターに乗った。エレベーターが動き始めて、すぐ(8秒くらい)したら「ガクン!」と大きな音がしてエレベーターが突然止まった。各階を示すエレベーター内の点灯表示が点灯しなくなっていて、そこは電気が消えて「真っ暗」になっていた。しばらくして、エレベーターが突然故障して一人エレベーターに閉じ込められたことを悟った。「これは困ったぞ!‥‥。」しばらく呆然としていた。幸いにエレベーター内の電灯は切れていなかった。

 何とかしようと、エレベーター内を眺めたら、「応急救援電話」の番号があった。私の「中国語」で、会話がはたして相手に状況を理解してもらえるだろうか?しかし、やってみるしかない。携帯電話で番号を押したら相手が出てきたので、「我是寺坂、我是閩江大学日本人老師。我現在、在福万楼電稊。電稊突然停。請帮助帮助!!!」と、なんとか言った。相手に通じているかどうかわからない。「助けてほしい、救助を頼む」という中国語は「救助」という単語が正しいのだが発音が思い出せない。電話で言ったのは「援助してほしい」の意味だったので、この場合は間違った表現なのは分かっていた。

 次にエレベーター内に黄色い色のベルマークがあったので、押してみたら「リリリリリリーーン!」と非常ベルが鳴り響いた。何度も何度も、このベルを断続的に押し続けた。エレベーターに閉じ込められてから30分ほどしたら、中国語で呼びかける人の声がかすかに聞こえ始めた。しかし、中国語がまったく聞き取れない。とりあえず、大きな声でこちらも叫び返した。とにかく、「エレベーター内に人が閉じ込められている状況」を察知してもらえたようだ。少し安心して気持ちが落ち着いてきた。

 この福万楼のエレベーターは2台ある。半年に一度くらい どちらか又は両方が故障で止まり、使えなくことが以前もけっこうあった。だいたい5〜6時間くらいで修理がされていたので、半日くらいはかかるかもと覚悟を決めた。10時半から始まる授業の2回生のクラスの学級委員に電話をかける出ない。メールもしたが返信がない。何度もしたが反応がなかった。「早く電話に出てくれ!!」‥‥。まあ、しかたがない。落ち着いてくると、タバコが吸いたくなったが、ここでは吸えない。次に不安になったことは、「完全に外から密閉されたエレベーター内、酸素はどうなるのだろう」ということだった。酸欠で苦しくなってくるのだろうか。

 閉じ込められてからに1時間ほどたった10時10分頃、人声が大きくなり始め、エレベーターのドアがこじ開けられ始めた。上を見上げると人の顔が何人か見えてきた。「助かった!!」と思った瞬間だった。階と階の中間にてエレベーターが停止していたようで、ロープを投げられて階のエレベーター乗り口まで引き上げられた。大勢の学生や大学職員や修理人らしき人がいた。引き上げられた瞬間を、たくさんの人が携帯電話でバシャバシャと写真を撮っていた。おそらく、インターネット投稿で中国国内に拡散されるかもしれないなあ。

 時計を見たら、10時15分。もう一台のエレベーターも故障して使えないようだったので、救出された6階から階段を駆け下りて、10時半から始まる教学楼の教室まで暑いさ中走って行ったら10時半に少し遅れて間に合った。ことの顛末を学生たちに話をしたら、とても集中して聞いていたが、大勢の人に写真を撮られた話の下りでは爆笑された。もうこんな経験はこりごりだ。この話をこの日の夕方、偶然にバスに乗り合わせた中国人教員の曾先生にしたら、「以前にもそんなふうにエレベーターに閉じ込められた人がいましたよ。その時は、夜の10時ころで、福万楼には誰もいなかったので、翌朝まで閉じ込められたようでした」との話だった。

  季節が夏に向かって日本の京都より1カ月以上早く移り変わってきている。春の花々はすっかり姿を消し、新緑がやや濃くなり、ブーゲンビリアが咲き誇ってきた。なんと、トンボがもう孵化し、水の上を飛んでいる姿が確認できた。中国人は、昼寝の習慣があるが、大学構内に住みついている数十匹の犬たちも昼寝をしていた。野犬の多いこの国では、市内外にはウロウロと野犬が常に徘徊しながらたくさんたくさん暮らしている。犬が苦手で怖かった私は、この5年間あまりですっかり犬がそばに来ても平気になってしまった。人間社会と違って、犬たちにとっては、日本の飼い犬たちと違って「この国はとても自由な国」でとても幸せの国ように思える。

 福州の花、「ジャスミン」の白い花が開花し始めた。満開になるのは5月中旬から6月にかけての花だ。この花が満開になると、もうすぐ夏本番となる。通勤途中のバスの中、ベビーカーに小さな孫を乗せて乗り込んできた50代中頃のおじいちゃん。市内の町並みにも真っ赤なブーゲンビリアが見られる季節。若い出稼ぎ労働者が最近働く場ともなった「出前配達業務」の人達が上司から集められて訓示を聞いていた。

 出勤のためのバス停がある福建師範大学の構内、早朝の6時頃からやっている「広場ダンス」の人達の姿がいつも見られる。夏が近づき始める4月中旬ころから、果物屋や露店ではパイナップルが売られ始める。中国の果物は種類がとても多くて安い。私はパイナップルが果物の中では一番好きなので、冬でもフィリピン産の缶詰をよく買って食べている。しかし、この時期から売られ始めるパイナップルはとても美味しいので、ほぼ毎日食べている。

 昨日27日(金)の早朝、いつものように午前3時ころに起きて、トイレを使ったら、ついに流れなくなってしまった。トイレが詰まってしまったのだが、トイレの詰まりを解消する「ボコボコ」を何度使っても水が流れない。今回の詰まりの具合はとても深刻な状況だというとが分かってきた。断続的に100回以上、いや300回くらいは道具を使って試みるが、ウンともスンとも どうにもならない。そのうち、器具の木の棒の先が手の内側の薄い皮膚をこすりすぎて破れてしまった。皮膚の赤身が出てきて痛い。トイレが使えないから、小便や大便は、とりあえずエレベーターに乗って、尿意を感じたその都度 まだ暗い 外に出て 用を足す。

 3時間ほどやり続けて、完全に諦めかけて、無茶苦茶に自棄(やけ)になりながら、もう最後と思って「ボコボコ」を使っていた午前7時半頃に、奇跡的に「ゴボッ!ゴボッ!」という音がして、水が流れ始めた。「やった!!!!!!、よかった!!!!」と感動した。8時にアパートを出て、この日の大学での授業に急ぎ向かった。

 


短期の間に、中国で爆発的に広がった「シェア自転車」の今―放置・廃棄された自転車の墓場も広がる

2018-04-27 08:23:53 | 滞在記

 2年ほど前の2016年4月、北京に行ったら、「これは何だろう?」と思ったものが、北京市内でぽつんぽつんと見られた。一か所に同じ型・同じ色の自転車が数台置かれていた。しばらくすると人が来て、それを携帯電話から料金を支払ってカギロックを外して乗って行った。何かと思ったら、それは「レンタル自転車」だった。それから1年も経たないうちに、この「レンタル自転車」は中国全土に紙に水が浸みこむように、あっという間に爆発的に広がった。その数も半端ではなく、まるで歩道を自転車が占拠したような場所も少なからず見られた。歩道や横断歩道を渡る場合でも、邪魔になってしかたがないくらいの数が、中国に溢れた。

 このレンタル自転車を扱う会社は、現在30数社にまで膨れ上がった。一つの街に、数社の会社のレンタル自転車が置かれている。会社によって自転車の色や形が違っている。この中で、最大手が「モバイル」、次に続く「OFO」、さして第三位が「Bleugogo」。需要と供給のバランスが完全に崩れ、超供給過剰となった中国のレンタル自転車業界。昨年末には、「Bleugogo」がついに倒産した。そして、その会社の自転車だけでなく、他社の自転車も含めて、中国の街には「壊れた自転車」が多数放置されている状況だ。それらが回収されて山のように積まれている「自転車の墓場」のような場所も多くなった。地下道にも放置されて通行が難しくなっている市内の場所もある。

 携帯電話のアプリ機能を使って、「現金を使わずに」全ての場所での支払いが可能になった中国。その利用者は9億人以上にのぼる。この機能の急激な(2年間で)普及によって始まった「レンタル自転車」。30分間以内なら1元(約18円)の利用料金で、どこに乗り捨ててもOKというシステムはとても便利なものだろう。日本の札幌でもレンタル自転車のこのような取り組みが始まったが、中国のこの料金は、他の国々の同様のサービスに比べると非常に安価。例えば、ニューヨークでは30分あたり3ドル(約320円)と、中国の10倍以上だ。

 しかし、このような放置自転車などの問題は、中国でも「社会問題」となってきている。テレビの報道番組でも、最近しばしば報道されている。もう、街中の歩道を通るときの障害になることが多いのだ。

 大学でも、この自転車が大量に置かれている。だだっ広い大学構内では、これがあるととても便利なことはいうまでもない。広い広い大学ではとても必要なものといえるかもしれない。それにともない、大学構内で運行していた「小さな構内バス(料金1元)」の本数が減少した。しかし、私はいまだ「携帯電話アプリ」を利用した支払い機能を利用することができないので、この自転車を利用できず、構内バスも本数が少なくなったので、二重に困っている「携帯難民」だ。

  ここ福州市内では、歩道をドンドンドンドン走って来る「電動バイク」。逆走するも者も多い。歩道を安心して歩けない。そこにここ2年間でレンタル自転車も多く走り始めた。歩道に平気で堂々と、まったく迷惑を考えないで車を駐車している輩(やから)。

 世界の国民マナー調査ランキングで157位という超低い中国で、このような「レンタル自転車」や「電動オートバイ(免許はいらない。交通規則上は自転車と同じ。)」の超普及は考えものだ。「人へ安全の配慮、人の安心・人権の軽視」という国の実態がここでもみられる。

 


中国、北朝鮮を「中国式一党支配改革開放」へ誘導―「核凍結の動きの裏で」―兄と弟の関係修復❷

2018-04-26 02:15:22 | 滞在記

◆北朝鮮が核凍結などを宣言したことに関し、中国は自国が説得し続けてきた対話路線と改革開放路線の結実と礼賛している。アメリカのトランプ大統領も、日本などとともに北朝鮮に対して続けてきた「制裁措置」の成果だと礼賛している。これは2つとも事実である。アメリカ・中国、そして韓国、日本、それぞれの働きかけがあって、金正恩の「核凍結発言」につながったのだろう。しかし、その内実はどうなのか。

◆NHKの「NHKスペシャル」で、最近3回シリーズで放映されている「金正恩の野望」。これによれば、北朝鮮の核開発技術は2015年から飛躍的に向上したことが証言されている。この年にウクライナの核技術者が多く北朝鮮にスカウトされたと報じられていた。そして、アメリカの主要都市にほとんど到達できる「核を搭載したICBM(大陸間弾道ミサイル)」を2017年末までに完成した。このため、アメリカ国内では、家庭用の核シェルター(※1年間はこの中で生活が可能)がたくさん売れ始めたようだ。

◆つまり、北朝鮮・金正恩側にとっては、「アメリカに対抗するためのICBM核兵器は何発もすでにもう持っている。これはいつでも今後の交渉や軍事戦略で使える。しかし、経済的には非常に窮乏している状態はかなり苦しい。経済制裁のせいでもある。このままでは、体制の崩壊につながりかねない。軍事的なアメリカの圧力もふくめて、心配だ。韓国の大統領に親北的な男が就任したのは、これは事態を打開するためには 大きなチャンスだ。冬季オリンピックの世界的行事も利用できる。」

「中国との関係も冷え切ったままなので、なんとか事態を打開したい。これは最も重要なことた゛。なんらかの形―これ以上の核開発を凍結―が主に中国側の働きかけによって実現されたような印象が出せるような緊急会談を行う―をすれば、中国も首脳会談に前向きになるだろう。」と考えたのだろう。「体制を守るために、もうすでに開発できたICBMを放棄(廃絶)するのではなく、核凍結・開発凍結ということだけであれば、まあ、これ以上の核開発は金も莫大にかかるし、経済政策重視にもっていく必要もあるしな‥‥。」

◆そして、世界をあっと驚かせる「中国・北朝鮮首脳会談―習・金」が行われた。中国側の習近平サイトは、なぜ、この会談を行うことを受け入れたのだろうか。ちょっと考えてみると、次のような習近平サイトの歴史的な情勢判断がみえてくる。

  中国では、中国共産党の機関紙「人民日報」をはじめ中央テレビ局CCTVなど多くの党及び政府のメディアが一斉に金正恩の決断を礼賛し、さまざまな特集を組んでいた。中国は早くから(1992年の鄧小平)一貫して対話路線と改革開放路線を北朝鮮に要求してきただけに、「ようやく中国の主張が実り始めたと、自画自賛しながら」金正恩の決断を讃えている。

 鄧小平から以降の政権、特に2003年の胡錦濤政権時に、北朝鮮・金正日の言動に危機感を覚え、「6か国協議」を発足させ、世界各国で北朝鮮の暴走を抑えてきた経過があったが、なかなか実を結ばずに年月が経過してきていた。つまり、中国は、「①北朝鮮は中国式の改革開放を推進すること。②核兵器の研究開発を終結させること。」を一貫して北朝鮮に断続的に働きかけてきた歴史的経過があったのだ。隣国に中国と同じような体制の国の存在があり同盟関係を続けることは、日米韓の軍事同盟に対抗上必要なことだからである。

  父の死去により権力を継承した北朝鮮・金正恩は、権力基盤をより固めるためにも、中国の働きかけを重視した当時権力NO2とも言われた叔父の張氏を、粛清・抹殺した。そして、「経済建設と とりわけ軍事・核開発の併進路線」を推進した。さらに、異母兄の「金正男」氏を暗殺し、当分は中国側の意向に従わないこともしめた。しかし、経済建設は「経済制裁」の効力もあり、遅々として進まなかった。軍事力強化だけでは、今後 体制存続は 困難になる一方となるだろうとを強く感じ始めていたのだろう。

 このような経過から、中国との首脳会談を切望し始めたのだろう。それは、習近平政権にとっても、長年の中国共産党政権が北朝鮮に働きかけていたことが実現できる願ったりかなったりの機会到来であった。4月20日に北朝鮮で開催された「朝鮮労働党中央委員会総会」で、金正し恩は、核兵器開発の凍結発言とともに、「今や、核戦力の建設は終えたと勝利宣言」をしている。そして、「ようやく経済建設に全力を注ぐ状況が到来した」と力説している。今後の北朝鮮は、「中国式の改革開放」満開という路線をとるだろうと予測される。中国・北朝鮮両国は今後、この「赤い団結」を強化していくというのが、両国の基本路線となるだろう。習近平政権にとっては、「習近平新時代の中国の特色ある社会主義思想」が如何に正しく強大なものであるかを、中国人民に知らしめるとともに、世界各国、とりわけ、アジア近隣諸国や一帯一路周辺諸国などに知らしめるための有効な一手でもあった。

 この中国共産党の「長期的戦略」というのは、中国共産党一党支配化を根本とした したたかさではなかなかのものである。今回の「中国・北朝鮮の兄弟の―「一党支配という血の団結」―関係修復と同盟関係の修復」劇において、アメリカ・トランプ大統領や日本の安倍首相、韓国の大統領などは、中国側からすれば、この劇の成功を導いてくれた(経済・軍事的圧力をかけてくれたからこそ劇が成功した)一配役・ピエロにすぎなかった。韓国は、さすがにこの劇の動きに少なからぬ動揺もあったのだろうか、「日本が中心的に主催してきているTPP参加を検討し始める」との韓国外相(女性)の発言の裏には、「中国依存ばかりしていては危ない」との思いも出始めたからだろう。

 日本の河野外相と中国の王毅外交部長・兼副総理の会談が最近行われた。5月の「日中韓」首脳会談の件や「一帯一路」への日本の参加協力などの議題が話されたようだ。5月にこの首脳会談のために中国側のトップとして来日する李克強首相は、残念ながらすでに第二期習近平政権の権力の中枢ではなくなっている。実質はNO.5〜7くらいの地位・位置付けだ。今後、日本の安倍首相と中国の習近平首相の相互訪問も検討され始めているのだが‥‥。その際、中国側の習近平は日本に何を要求するだろうか。おそらくだが、①一帯一路政策への日本の経済協力、そして、②2020年前後におこる「台湾独立を阻止し、台湾統一(武力侵攻の可能性も)を実現する」という問題で、中国の内政問題だから日本は静観していていろ」ということを出してくるだろう。日本にとってアジアにおけるもっとも友好的な「台湾」を失うことになる可能性は、今のままでは大きい。

 今朝、携帯電話でインターネツトサイトを見ていたら、「台湾独立派が活動続けるならば、一段の措置で対応する」との記事が伝えられていた。これは、中国で台湾政策を担当する「国務院台湾事務弁公室」の馬暁光報道官の記者会見の内容だった。「最近行った台湾周辺での一連の軍事演習は台湾に対する明確なメッセージを送ることが目的」だとし、中国政府は台湾独立派が自由にこれ以上活動を続ける場合は一段上の措置を講じる」と警告。「蔡英文総統や頼国務院院長」などの台湾独立派のいかなる企ても頓挫させるための固い決意、十分な自信と能力と準備を備えていると、アメリカの台湾擁護軍事介入をもはねのけることを表明した。

◆4月25日(本日付)のアメリカの新聞「NEWS WEEK」紙の記事内容より

 ※「見出しは」⇨緊張のなか台湾が軍事演習―中国が攻めてきたら7割が「戦う」―

 4月30日より、台湾は中国の軍事進攻に備えて大規模な軍事訓練を行うことを伝えていた。また、「台湾民主基金」が2018年1月に行った世論調査の結果を記事内容として掲載していた。それによると、①「中国が武力侵攻してきた場合、軍隊に志願するか、その他の手段で抵抗すると回答した人の割合は68%に達している。」、また、②「台湾の独立を懸けた戦争が起きた場合、55%が参戦すると述べたものの、その一方で91%が、独立よりも実質的に主権が保たれた現在の状態の維持を望む」と回答した。さらに「台湾と中国が再統一されるべきと考える人は、アメリカの外交専門誌ナショナル・インスタレストによれば、わずか1.5%にすぎなかった。」との記事内容も紹介されていた。

◆今回の中国による「北朝鮮」との外交、日中外相会談やインドとの首脳会談などなど、そして今後の「日中韓首脳会談」。その根底には、中国共産党政権や習近平が最も歴史的核心(最重要)と位置づけてきた、「台湾問題」があるように思える。この問題を、もし武力侵攻にふみきった際でも、「統一」が成功里に実現できるような 周辺諸国との条件整備を着々と進めてきているようにも思える。すでに、フィリピンのドトゥルテ大統領(国民支持は高い)は完全に中国の手の内にある。

◆時に日本の政治状況をみていると、心配にもなる。コップの中の嵐のような問題ばかりが、国会でも議論されている。また、テレビ報道などでも、森友・加計・セクハラ問題などに終始している。私も「麻生大臣」の責任は重いので辞任を要求したいが、それらばかりが政治課題の中心となり、肝心かなめの「国民の暮らし、働き方のまっとうな改革、国際政治問題と外交」がまったく議題になっていないのは、どうなるんだろうこの国はと心配にもなる。立憲民主党、日本共産党、民進党、希望の党なども、政権のスキャンダルを暴露追求するだけの「週刊誌的な政党」になっている。どの野党も、こと このアジアを巡る外交問題となると 人材がなくほとんど 今後の国づくの外交の大局的・かつ具体的な政策を持ち合わせず、自民党との論争ができないのだろうと思われる。野党の、とりわけ日本共産党なども「欺瞞の民主集中制」を廃止するなどの党内民主主義を活発化するための大改革が必要だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


中国、北朝鮮を「中国式一党支配改革開放」へ誘導―「核凍結の動きの裏で」―兄と弟の関係修復❶

2018-04-25 12:34:03 | 滞在記

 3月21日に中国の「全国人民代表会(全人代)」が終了。習近平氏の「終身制」も可能となった憲法改正を行い、王岐山氏が副主席となり、実質的な「習・王体制」を確立し、権力基盤を盤石なものとした。そして、ついに中国と北朝鮮は、「北朝鮮問題」への「世界があっと驚く」行動をとった。いわゆる3月下旬の金正恩北朝鮮総書記の北京への列車による電撃訪問である。北朝鮮から長距離列車に乗って北京駅に到着した一行は、習近平氏との首脳会談に臨み、その後数日にわたって歓待を受け続けた。

 「多忙な中でも実の兄のように歓待してくれた習主席に感謝の意を表します」「我々は朝鮮半島において非核化を実現するという目標を堅持するとともに、平和と安全を守り、対話を通じて問題を解決する」「祖父と父の遺訓に従って、朝鮮半島の非核化の実現に力を尽くすのは我々の一貫した立場だ」などと、会談での内容を公開した。

 北朝鮮の国営テレビでも大々的にこの会談を報道し、北朝鮮の労働新聞などは、1面から7面までぶっ通しで北京訪問や会談の65枚もの写真を掲載した。「われわれの友情を深めた」とのこれも大々的な紙面だった。4月末には韓国との「南北首脳会談」を、そして5月中にはアメリカとの「米朝首脳会談」となるとも報道。

 2月の韓国での冬季オリンピック開催から今日に至るまでの2カ月と半カ月、北朝鮮や韓国、そして、中国、台湾、に関する情勢は大きく、そして目まぐるしく変化した。日本政府はこの変化についていけなく「埒外(らちがい)」に置かれている状況が印象的だった。韓国政府は「中朝会談開催」についての事前連絡が中国からあったが、日本にはなかった。安倍首相は「重大な関心をもって情勢分析に努めている」とのコメントを出すのが精いっぱいだった。アメリカのトランプ大統領は「米朝首脳会談が楽しみだ」と、唯我独尊的に「俺様がこの間頑張ったからだぜ!」と高らかにコメントしていた。

 4月に入り、200人規模の「中国芸術団」が北朝鮮を訪問した。空港でのチョゴリを着た女性たちの歓迎、実質NO,2とも言われる金正恩氏の妹「金与正」の出迎え。「兄弟である中国人民の芸術使節が滞在中、不便がないように最大の誠意を尽くしたい」と語る与正氏。これは、正恩氏の祖父「金日成」の誕生日に合わせて開催中の「芸術祭」への参加した芸術団への大歓迎といったところである。そして、つい最近の、北朝鮮での中国人観光客のバス事故での多数の死傷者を病院に見舞う金正恩の様子など。

 習近平氏が盤石の権力基盤を作り、さまざまな情勢の変化にともない、「兄である習氏と弟である金氏」の中朝の「兄弟関係」が修復した劇的な動向となった2カ月間。これらの動きは、いったい、その背景や裏にはどんなことがあるのだろうか。考えてみたい。