久しぶりに神谷バーで電気ブランを飲んだ。
正確にいうと、久保忠廣さんの陶展を渋谷の「炎色野」にいった。
ぼくが習った織田流煎茶道の家元や、久保さんのお姉さま、久保さん
ファンの旧知の常連さんたちがいた。その前に近くの古本屋で加藤唐九郎さん
の本を見つけた。生前、といっても彼が86歳の時に、美濃の若者たちとお茶会を
催していた時の写真が紹介されていた。その青年の中の一人に作務衣を着た
好男子が写っていた。たぶんその茶会の懐石料理をつくってくれた料理人だと思う。
その本とスカイツリーの中で調達した「義侠」を土産にした。土曜日久保さんがきて
その記事を見たら、きっともっと詳しく、その時の料理とか使われた器や、茶室について
話がはずむ、にちがいない。
今回の久保さんの展覧会では、彼が得意とする桃山の「黄瀬戸」「織部」「志野」に
加えて、斑唐津の酒器や備前の徳利や、志野の「燗鍋」(かんなべ・と呼ぶ)
などが、豪華絢爛に並んでいた。想像力豊かな酒徒には、たまらないくらいに愉快な器
たちだ。酒量が落ち、家でゆっくり晩酌を楽しんでいるような「団塊の世代」の先輩たちは、
その先輩たちがそうしたように、書斎、なければ窓際の(会社でも窓際、家でも窓際、人生のせとぎわ・・・すばらしい。端っこ、という
居場所は男の天守閣)ちゃぶ台か文机の上に、根来(ねごろ)の折敷(おしき)を置き、備前の徳利に、斑唐津の盃をおく。
盃とは、皿ではない、と書いてある。杯は、木ではない、と書いてある。皿はやっぱり織部の向附けがいい。
そこにあぶったイカでもいいし、冷蔵庫に残った惣菜でもいい。そんなものを酒肴に、酒を飲みながら本を読む、もしくは
昔よく利いた音楽を聴く、なんて素敵な時間だと思う。
今回は織部の向附けが、今までとは、一味違う気がした。
織部とは戦国武将・古田織部の織部。戦争に明け暮れた後の平和を願う安堵感みたいなものと、
精子もとい生死をかけた人間の極限の美、みたいなものがある。昨今の「なんちゃってオリベ」には
少し辟易とする。ねこもしゃくしもオリベの時代に、?と思っている人はぜひ炎色野で、「ほんまものの織部」
を見てほしい。
備前の徳利に斑唐津のぐのみは、売るほどもっているが、
今回の少し「わびた」感じの織部の向附けに、ちいさないわしの干物でも焼いていれ、伏見の女酒をぬる燗にして、
酒を飲みたいと思った。ちょうどそばのお弟子さまが、久保さんの器を買って支払いをおえたので、むりくり、アビアント
までお誘いした。日本で一番古い地下鉄である銀座線で終点の浅草までの珍道中。
一丁目一番地の神谷バーで、電気ブランをアサヒビールで割り、それをひっかけて吾妻橋を渡る。
生井厳さんの作品は、少し酔って見ると、またすばらしい。
いけない、これから「卒啄珈琲塾」である。今日の夜は「無茶しぃの会」