長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

神谷バーで電気ブラン・・・

2015-10-15 08:46:38 | Weblog

久しぶりに神谷バーで電気ブランを飲んだ。

正確にいうと、久保忠廣さんの陶展を渋谷の「炎色野」にいった。

ぼくが習った織田流煎茶道の家元や、久保さんのお姉さま、久保さん

ファンの旧知の常連さんたちがいた。その前に近くの古本屋で加藤唐九郎さん

の本を見つけた。生前、といっても彼が86歳の時に、美濃の若者たちとお茶会を

催していた時の写真が紹介されていた。その青年の中の一人に作務衣を着た

好男子が写っていた。たぶんその茶会の懐石料理をつくってくれた料理人だと思う。

その本とスカイツリーの中で調達した「義侠」を土産にした。土曜日久保さんがきて

その記事を見たら、きっともっと詳しく、その時の料理とか使われた器や、茶室について

話がはずむ、にちがいない。

今回の久保さんの展覧会では、彼が得意とする桃山の「黄瀬戸」「織部」「志野」に

加えて、斑唐津の酒器や備前の徳利や、志野の「燗鍋」(かんなべ・と呼ぶ)

などが、豪華絢爛に並んでいた。想像力豊かな酒徒には、たまらないくらいに愉快な器

たちだ。酒量が落ち、家でゆっくり晩酌を楽しんでいるような「団塊の世代」の先輩たちは、

その先輩たちがそうしたように、書斎、なければ窓際の(会社でも窓際、家でも窓際、人生のせとぎわ・・・すばらしい。端っこ、という

居場所は男の天守閣)ちゃぶ台か文机の上に、根来(ねごろ)の折敷(おしき)を置き、備前の徳利に、斑唐津の盃をおく。

盃とは、皿ではない、と書いてある。杯は、木ではない、と書いてある。皿はやっぱり織部の向附けがいい。

そこにあぶったイカでもいいし、冷蔵庫に残った惣菜でもいい。そんなものを酒肴に、酒を飲みながら本を読む、もしくは

昔よく利いた音楽を聴く、なんて素敵な時間だと思う。

今回は織部の向附けが、今までとは、一味違う気がした。

織部とは戦国武将・古田織部の織部。戦争に明け暮れた後の平和を願う安堵感みたいなものと、

精子もとい生死をかけた人間の極限の美、みたいなものがある。昨今の「なんちゃってオリベ」には

少し辟易とする。ねこもしゃくしもオリベの時代に、?と思っている人はぜひ炎色野で、「ほんまものの織部」

を見てほしい。

備前の徳利に斑唐津のぐのみは、売るほどもっているが、

今回の少し「わびた」感じの織部の向附けに、ちいさないわしの干物でも焼いていれ、伏見の女酒をぬる燗にして、

酒を飲みたいと思った。ちょうどそばのお弟子さまが、久保さんの器を買って支払いをおえたので、むりくり、アビアント

までお誘いした。日本で一番古い地下鉄である銀座線で終点の浅草までの珍道中。

一丁目一番地の神谷バーで、電気ブランをアサヒビールで割り、それをひっかけて吾妻橋を渡る。

生井厳さんの作品は、少し酔って見ると、またすばらしい。

いけない、これから「卒啄珈琲塾」である。今日の夜は「無茶しぃの会」