昨日、「津軽百年食堂」という映画をレンタルして見た。ほかの映画をかみさんに
頼んでいたのだが、それにプラスしてこれがきた。タイトルは聞いたことがある。
13日(火)から、炎色野(ひいろの)で、久保さんの陶展が始まる。
今回は酒器が多く出品される。チンコ徳利や今回初めて「燗鍋」のような
鍋にそのまま酒ごと入れて燗ができるようなものも多くでる。そのひとつ
が、送られてきたので、昨日はそれで「繁升」をぬる燗にして、飲みながら
その映画を見た。監督が大森一樹さん。
彼の映画「ヒポクラテスたち」というのに、だしてもらったことがある。京都時代に
修行していた「からふねや」という珈琲屋。そこの下賀茂神社の近くの小さな本店
の店長だったころのお話。ぼくはそのころ御所の隣にあった立命館の学生だった。
監督は、下賀茂本通りをはさんで隣接していた京都府立医大の学生だった。
そこから下って(四条方面に)、200mくらいのところに、うらぶれたおでんや「安兵衛」があり、
ときどきそこでいっしょに伏見の「名誉冠」を飲んだ。一度飲んでいる時に停電になった。
ぼくら学生がその年上の店主のことを「やすべい」と呼び捨てしていた。やすべいが
カウンターにろうそくを置いた。飲み足らないぼくらふたりが残って朝まで飲んだ日に、
その映画のことを聞いた。酔った勢いで「ぼくをだしてくれへん」みたいなことをいったら、
「いいよ」と笑って名誉冠を白い磁器で、くいっと飲んだ。それからすぐに東京にでてきて、
初めてのクリスマスの日に、ひとりで荻窪のルミネの中の映画館で「ヒポクラテス・・」を見た。
彼がときどき飲みにきてくれた「からふねや」というのが、その後自殺した「なんやら」いう俳優さんが
しゃべるシーンがあった。「飲み屋でした小さな約束」が映画に刻まれていたことに感動した。
いつかまたどこかで会う機会があったらお礼をいいながら、ぬる燗をお酌したいと思う。
「津軽・・・」も彼らしいメッセージがいろんな場面で吐露されていて、とてもよかった。
「かもめ食堂」という映画も好きだ。あの映画を見てから、珈琲を入れるときに、
ペーパーの中にこんもりした珈琲の粉を指でおさえ、なんじゃらかんじゃらいうおまじないは
言えないけど、気持ちを整えるのが、ならわしになった。その監督とは縁あって時々、いっしょに
酒を飲むことがある。「かもめ食堂」のエキスも、人と人が出会って有機体になっていく「カフェ(食堂でもあり、喫茶店でもあり)」
が、ごはんや珈琲を供するだけでない「存在意義」みたいなことを教えてくれている。百年というより未来永劫の黄金則
がそこのあるように思う。
志野の燗鍋と黄瀬戸のぐいのみで3合飲んだ。斑唐津のぐいのみと備前の徳利というのが、昔から左党のあこがれだった。
志野の酒器もいい。とくに今回は、土と釉薬の配合を7種類つくったらしい。志野のファンは、来週の火曜日に
渋谷にある「炎色野」にいって、迷いながら「一生もの」の自分の分身みたいな酒器を探してみることをおすすめする。
迷ったら、7本買ってみるのもいい。毎日晩酌でとっかえひっかえしながら飲む。独灼であっても相手がそばにいるようで、
楽しいこと間違いない。人生の後半戦はこんな楽しみがいいと思う。年をかさねるほど酒は美味くなる。そして相棒の
酒器も古色がついて美人になっていく。まるで毎日が美人と露天風呂で飲んでいるような幸福感と恍惚感に包まれるに
違いない。