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長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

ナシの木育ちよ

2009-09-08 06:36:50 | Weblog
♪おどみゃ 島原の おどみゃ 島原の
ナシの木 育ちよ
何のナシやら 何のナシやら
色気ナシばよ ショウカイナ
はよ寝ろ 泣かんで オロロンバイ
鬼の池の久助どんの連れん来らるばい

今週はナシをたくさんもらった。
取引先の熊本の会社のボンがおくってきたものが荒尾のナシ。
ここは昔から有名で、すごく大きい品種のものがあったりする。
昨日近くの洗張りやさんにもらった松戸のナシもおいしかった。
元気もナシが大好物なので、うれしそうに食べていた。

今日は「英語で蕎麦会」
明日は「ダメから始める中国語」

11日(金)が般若になったヨッシーと林太郎のコンサート。
25日(金)が「19世紀ギター ぱーと3」

フライパンで焙煎

2009-09-07 06:31:25 | Weblog
昨日かよちゃんが遊びにきた。
大阪の実家の近くにあるこーひーやさんから、
エチオピアのモカ・イルガチェフの生豆をお土産にもらった。
お昼のラッシュみたいな混雑が一段落にていたので、
フライパンで少し深めに焙煎していたら、その香りで、
また店が満席になった。焙煎の香りが人を誘ったみたい・・

モカ・イルガチェフは、エチオピアでとれる豆。でも残留農薬の問題で
1年以上日本に輸入されていない。今は昔、みたいな幻のような豆だ。

フライパンで豆を焙煎していると、みんなにめづらしがられた。
でも、少量(100gから200g)だったら、これにまさるものは
ない。
色の変化がわかりやすいし、10分過ぎくらいに、パチパチとはぜてくる。
そうしたら火を少しおさえて、二回目のパチパチをまつ。そしたら、いい香り
と一度めよりも少し小さな連続音でパチパチと言い出す。そこで呼吸をあわせて
「ここが最高」と思ったところで、火をけして、豆を猿にいれて、それをふちわ
をつかって、さます。
「はじめちょろちょろ、中ぱっぱ、赤子泣いても蓋とるな」のお米よりも
簡単。
これからカフェを始めようと思っている方は、ぜひ焙煎をやってもらいたい。
家でゆっくりとコーヒーを楽しみたいと思っている人も、焙煎をおすすめ
する。

明日は「英語で蕎麦会」
明後日は「ダメから始める中国語」

「てとりあしとりコーヒー講座」でも始めようかしらん?




お菓子

2009-09-06 06:20:21 | Weblog
一哲さんのお菓子もうまかった。
昨日お客さんにいただいた、ましゅまろ亭のイチゴ味、チョコ味も
うまかった。「やるな」というお店が近くにもあって、なかなか楽しい。

京都の売茶翁のお茶会から一週間。二階は、畳をひいたままになっている。
昨日は京都から玉露の新茶が届いた。そばも、春蕎麦の新そばだし、「新」
づくし。女房も畳もお茶もそばも新しいのがいい。
玉露を、入れてみた。先週京都から好日居の横山さんが、土産に
くれた「柚子蓼琥珀」というに西加茂にある霜月(そうげつ)のお菓子だ。
神光院のバス亭のすぐ近くにある。神光院といえば、かの太田垣蓮月さん
が隠居していたところ。そこで多くの詩や、蓮月焼きという萩焼みたいな
焼き物に自分の詩を綴った器をつくった。煎茶の世界では、憧れの人だ。

あまりお客さんは気づかないけど、二階にはいつも蓮月さんの書を飾ってある。
ほそ長い筆を使って、やわらかいタッチで、素敵な書を書いた人だ。
その書をみながら、霜月秘伝という琥珀色した柚子蓼琥珀(ゆずたでこはく)をいただくと、口の中に柚子の香りがひろがって、あたかもめの前に加茂川が流れて
いるような風情になった。みごとな京菓子の真髄を垣間見た気がした。



頑固一哲

2009-09-05 06:45:26 | Weblog
昨日家に帰ってメールをチェックしていたら、ワカのメールに
天真庵にくる熊本の弁護士の同級生が50才でなくなった、とあった。
九州気骨の会の幹事だった菊川一美君が、マイケルジャクソンが死んだ
日の前後に49歳で旅立った。ほんとうに人生は、いつおわりがくるか
わからない。

熊本といえば、敬老の日に、「ぼした祭り」がある。
今は、藤崎宮秋の大祭という。もともとは、加藤清正が
挑戦を「ほろぼした」という、ぼ・し・た祭り。
筆舌では及ばないほど、素朴な奇祭だ。
でもこの祭りを体験すると、熊本がよくわかる。
「肥後」と、韓国とはもともとかかわりが深い。
北朝鮮を見ていてわかるけど、気候的にきびしくて
食物の調達がとても厳しい土地。いっぽう海ひとつ
へだてた肥後の国は、温暖で食べ物も豊富だった。
だから大陸が苦しいときに、肥後の国の人たちが「庇護」
してくれた、という韓国語が「ヒゴ」という国の語源らしい。

「肥後もっこす」というのは、がんこもの、という方言。
一昨日の休みの日に、玉ノ井(東向島)をぶらぶら歩いていたら、
新しいお菓子やをみつけた。無垢の看板に「一哲」と書いてある。
いかにも頑固な職人さんがはじめたお店。
いろいろ買ったら、どらやきを試食させてもらった。
イタリアンメレンゲで浮かせた無添加・オリジナル皮に、
「さつまいも餡」をつつんである。「うまい」といったら、すかさず
「おいしい材料が手に入るのが、なにより幸せです」と、頑固一哲な
職人が笑った。

ジャクと豆の木

2009-09-04 06:13:46 | Weblog
そんな記事が昨日の新聞で紹介されていた。

ジャックではない、ジャク。日本名が舎久鶏という鶏で、
その鶏のフンからコーヒー豆を焙煎したら、美味いらしい。
コーヒーは嗜好品なので、なんともいえないが、どうも
この手の商品は、マユツバが多いような気がする。

6月の休み、とあるリゾート地の近くで「自家焙煎」の看板を
見つけて、入ってみた。
ブレンドを飲んでみた。主人は、聞きもしないのにいろいろうんちくを語る。
だいたい蕎麦やも、こーひーやも、うんちくがさきにくる店は、まずい店が
多い。この店も例外ではなかった。
「もっとうまいコーヒーはないのか?」と思っていると、
その主人が「コピ・ルアク飲んでみますか?」という。
インドネシアのジャコウネコのフンから取る幻のコーヒー豆だ。
1杯3000円だった。コーヒーとしては高いけど、一度は
飲んでみるかと頼んだ。
結果、まずくて、ぜんぶ飲めなかった。
きっと、焙煎が下手なのか、高価な豆なので、回転がおそくて
豆が古いのだろう、と思い、「生豆で買ってかえっていいですか?」
とたずね、持ち帰った。100g4000円だった。

その豆を自分で焙煎した。フンの中から拾う、ためか、豆の
種類とか鮮度がまちまちなのか、焙煎すると、色がいろいろ。
飲んでみた。やはり美味くはなかった。
ブレンドにしようか、という気持ちにもなれず、100g4000円の
豆を捨てた。

世のなかは広い。コーヒーを1杯が3000円だから飲む人がいる。
東京スカイツリーができて、世界中から観光客がくるようになったら、
「路地裏のネコ珈琲」といって、1杯3000円のコーヒーを
メニューの中に入れてみようかしらん。



休み

2009-09-03 08:47:28 | Weblog
昨日はかっぽれだった。
だいぶ涼しくなったけど、やはりたっぷり汗をかいた。
先週のお茶会のなごりで、畳をひいたまま、踊った。
やはりお座敷で生まれた芸なので、畳の上でやると
うまくいくようになっている。でもこんな芸をつきつめていくと、
畳の上では死ねないかもしれない。
大概の人が病院のベッドで死ぬ時代なので、堅気の代名詞みたいに、
「畳の上で死ぬ」というのは、それこそ死語になりつつある。

今練習している「深川」は、坊さんが、こっそりと吉原に通う
くだりがある。今は相方と同じ踊りをやっているが、
近い将来は別々なふりつけで踊る(けんかかっぽれ)予定。
そうなれば、お座敷から声がかかれば、「あいよ」といって、
出張して、踊りたいと思う。

今日は休み。
午後は煎茶のお稽古。もう少し寒くなると、
「煎り番茶」の手前になる。ほうろくで緑茶を煎る香りが
なんともいい気持ちになる。

下町ぶらり

2009-09-02 06:59:12 | Weblog
だいぶ秋らしくなってきた。
京都に鈴虫寺というのがあるけど、東京でも
鈴虫の鳴きすだく音が秋の気配をいっそうきわだたせる。

秋は散歩がいい。地図ももたず、迷い道や、路地裏を
静かに歩くのがいい。
ぼくは方向音痴なので、今でも買物の時などに、違う道を
使うと、明後日の方向にいってしまう傾向がある。
だから、というわけではないけど、ときどきお店に電話が
あって、「今○○にいるのですが、ここからどうやって
いけばいいのですか」などときかれると、いいけげん(いいかげんでは
ない、ファジー)に答えるみたいなところがある。
昨日は、十間橋から電話してきた女性3人が、そこから2分で
これるところなのに、30分くらい迷ってお店についた。
そして、蕎麦とコーヒーを食べて帰られるときに、「どこからですか?」
ときくと、「横浜です」、というので、では、迷ったついでに、
もっとディープな下町を散歩していったら如何?、とすすめ、
京島界隈のおすすめぶらり旅を指南したら、そちらのほうに
いかれた。結果は知らないけど、けっこう、その界隈を散歩し、
この町を気に入り、この町に住み着く、という人が多い。

旅する町は、旅人となっていくのにいい。でもこの押上界隈は、
住んでこそ意味がある場所かも知れない。新しいタワーも100m
を超えて、いろいろなところから見えるようになった。
旅人となってくる人と、ぶらりとくる人では、景色がまったく
違うのだろうと思う。

昨日は11日にやる「クラシックコンサート」の打ち合わせを
かねて、林太郎君が新しい我が家にやってきて、一献。
ワカも合流し、彼の弟君がおくってくれた高田酒造の「紫蘇の
焼酎」を飲んだ。
林太郎君はヨーロッパから帰国して、この町に旅人のようにやってきたが、
最近はすっかりこの町の景色にもとけこんできた。11日
のコンサートの後、島根と福島で同じ内容のものをやるらしい。
これからは、地方の時代といわれて久しいけど、ほんとうに、
彼らのようなほんものの音楽や芸術家たちの波動が、静かに優美に
全国津々浦々まで、ひろがっていってほしいと思う。
ワカのふるさとは熊本の人吉。人のいい、水のいい、いいところだ。
そこの人たちに、林太郎君のスカルラッティーを「生」で聞かせて
やりたいと、暑く語った。

ぼくたちは、今きっと、新しい時代の扉をあけたところにたっている。
「ぶらり」と同じように、地図も道しるべもない。でも選挙の時も
「風」を感じて、投じたように、直感を大切にし、自分にも他人にも
いい方向に向けて、歩いていく時代がきたようにも思う。
こんなに楽しい時代はない。1歩1歩が新しい1歩。
こんなうきうきする時代に、うかうかしていられない。

今日はかっぽれ。
人生を闊歩するように、精進していきたい。
♪さて カッポレ カッポレ・・・


ながつき

2009-09-01 06:48:34 | Weblog
今日から「ながつき」だ。
季語がなくなったような都会では、衣替えのこの季節
ほど、季節を感じるときがない。
昨日は台風が接近したこともあり、気温がぐっと下がったので、
「秋」の気配がいっそうに感じられた。

庭の紅葉も少し紅葉を始めた。
足長蜂もこの2日は姿が見えない。

蜂といえば、蜜蜂が少なくなったので、いろいろな
植物の生育が不十分らしい。
千葉から「春蕎麦」の新そばが届いた。昨年にくらべて
だいぶ収穫量が減ったらしい。でも、やはり「新そば」
は、いい。

政治も新しい時代になった。
「平成」は、大掃除をして、平たく成る、という
言霊らしいが、古くさび付いたようなものは、
やはり処分したり、新しくしたほうがいい。
でも「育つ」ものは、大事に手入れしたり、時代に
あわせたりして、育てていけばいい。
いろいろなものが、実る秋。
芸術の秋でもあり、食欲の秋でもある。