長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

こんないい天気

2009-09-24 08:53:36 | Weblog
朝から涼やかな風がふき、空気はからっと気持ちがよく、
空も青々と澄み切っていて、草や木や鳥たちが、謳歌しているようないい朝。
こんないい天気は、1年でも何日もないので、大事にしたいと思う。
軽く一時間くらいジョギングと散歩をし、朝食をすませ、ひさしぶりに
「つばさ」を見た。
庭木に水をあげ、めだかにえさをやり、お店の植物にも水をあげる。

これから、少し準備をして、今日は建築家の白井さんのアトリエに
いく予定。

先週は、元気のことで、いろいろな人にお世話になった。

まず、水曜日に元気を病院に連れていくとき、前のガス管工事の人たちは、
お店にくる人に、「ワンちゃんの具合が悪くなって、病院にいった」ことを
説明してもらった。病院の先生やスタッフには、ほんとうにお世話に
なった。元気も「吉田病院」と縁があったことを、きっと喜んでいる。

その後、自宅で息をひきとった。それを聞きつけた近所の経師やさんが
「寂しくなったので、最後にシゾウ(秘蔵の意味)の酒をもってきた」
と、田酒の山廃をもってきてくれた。洗張りやの張福さん、近所の黄粉飴や
の家族も、花を手向けにきてくれた。ねんどのまいか先生、英語の岩本先生も
元気におわかれをいいにきてくれた。

翌日は、骨になった元気を、親戚や友だちが、尋ねてきてくれた。
一番喪失感の強い日だったけど、いろいろな人に励まされた。

金曜日は、朝から、じんじんさんや、お茶の会にきてくれたMさんたちが、
花をもってきてくれた。ぼくは、花が似合わないけど、彼らは絵になっていて、
それをおくられた元気も、なんとなくうれしそうだった。SPICE CAFE
のシャフのご両親も、茶花をもってきていただいた。伊藤さんは、腕のいい
木工やさんで、元気の小屋とベランダのドアをつくってもらった。
細部まで神経が行き届いていて、元気も新築の天守閣に鎮座する殿様みたいな
気持ちだったのではなかろうか。あまり食欲もなく、気落ちしているぼくたちに、
SPICE CAFEのおかあさん、通称しょうこさんが、あんぱんを差し入れて
くれた。あの慈悲深い味は、一生忘れられないと思う。10月3日にやる「エリカ庵」
さんも不思議な食べ物を差し入れしてくれた。

金曜日の夜は、「偲ぶ会」みたいなタイムドメインになった。いつものメンバー
と、元気を偲びながら、「早春」や「くどき上手」などを飲んだ。
親といっしょで、くどき下手だった元気は、一生独身だったけど、
ほんとうに、いろいろな人に愛された。
元気も最後まで、「逝く日」を決めていたように、次の日が定休日の午後に
旅立ち、誰にも迷惑をかけず、次の日が火葬の日になり、翌日に仲間たちに
おくられ、シルバーウィークも連日いろいろな方が、弔問にこられ、ピアノ
と、その隣の席が、祭壇のようになっている。

昨日はSPICE CAFEのシェフ夫妻が、夕方の休憩時間に弔問に
きてくれた。親子家族スタッフ、お客さん・・みんないい人たちだ。その後ピアニストの文庫ちゃんが、「蒼天」をもって、きてくれた。
「蒼い天に帰っていった元気を思い」ということらしい。彼が
天真庵の工事中に差し入れてくれたお酒が「帰山」だった。
「自然にかえる。自分のほんとうにいい場所にかえる。」というような
意味だった。そして、その酒を扱っている四つ木の杉浦酒店さんと縁ができ、
世継ぎのあやちゃん夫婦とも家族みたいな付き合いになり、よく間違われる
東砂のリカーショップすぎうらさんたちとも、親戚みたいなつきあいになった。
そして、いい酒友のSさんが大学の後輩で酒博士みたいなSさんを連れて
きてくれたり・・・・酒の和も広がってきた。元気は生前は飲めなかったけど、
今は、お店では、久保さんの織部の盃で、家では、志野の杯で飲んでいる。

まだこちらにきて、お店を開いて、2年半しかたっていないけど、ほんとうに
素晴らしい人たちに囲まれながら、毎日過ごしているのだなあ、と痛感した
一週間でもあった。

明日は富川勝智さんの「19世紀ギターの夕べ ぱーと3」
元気が演奏の時、拍手がおきると、駆け寄っていって「ブラボー」みたいな
ことをやっていたけど、明日は静かに、19世紀のヨーロッパの秋、みたいな
ものを満喫したいと思う。