天然居士の独り言

主に日記主体のブログです。

開いているか・・・

2020年03月17日 18時45分54秒 | 日記
 明日は出掛けようと思っています。
 公的な施設を目的の中心にして、
 その他1日のんびり遊んで来るつもりでいます。
 こう言う時期ですから、
 メインの施設がやっているかどうか、気になりました。
 HPではやっているように書いてありますが、
 一応確認した方が良いかと思い、電話を掛けてみました。
 すると、今日は開いているけど
 明日開いているかどうかは分からないので、
 明日また電話してくれとの事でした。
 それはないのではないかと思いました。
 少し離れた場所ですので、開館時間以降に電話していたのでは、
 そこだけで終わってしまいます。

 どうも埒が明かないようなので、そこを所管している部署を教わって、
 そちらに電話をしてみました。
 そちらでは、HPに書いてある通りの話でしたが、
 このような社会状況なので、発症者が出たりした場合、
 突然休館になる可能性もあるとの事でした。
 外国から来ても、突然入国を拒否される場合もあるご時世ですから、
 それならば、分からない訳でもありません。

 言っている事に、そんなに違いはないようですが、
 明日開いているかどうか分からないと言うのと、
 突発的な事象が起こった場合に休業するとでは、
 受け取る方の印象としては、大きな違いがあります。
 最初に電話した所の人は、
 もう少し言葉の勉強をした方が良いかも知れません。

 と言う次第で、何かあれば身の不運と諦める事にして、
 明日は出掛けようかと思います。
 どこに行くかは、明後日のお楽しみと言う事にさせて頂いて、
 取り合えず、明日は帰宅が遅くなる可能性もありますので、
 日記等は休ませて頂きます。
 宜しくお願い致します。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2日間ほど・・・

2020年03月16日 17時39分36秒 | 日記
 さいたま新都心にある病院に入院していた長男は、
 先週、東京都武蔵村山市にある病院に転院しました。
 転院まで、若干の紆余曲折がありましたが、
 当人の希望の病院に転院でき、 
 本格的なリハビリテーション治療に取り組む事になりました。
 当人のモチベーションは依然として高く、
 どこまで治療の効果が上がるかは、
 今後の当人の頑張り次第の状況は変わりません。

 この新しい病院は、チョッと交通不便な場所にあります。
 さいたま新都心では、車椅子で出掛けて外食するなど、
 気ままな入院生活を送っていましたが、
 新病院は住宅街の中にあって、周囲に出掛ける場所もない感じです。
 病院の方もかなり厳格な所で、監禁状態に近いようです。
 しかも、今の新型コロナウイルス騒動の影響で、
 土日の面会時間も午後3時半から午後7時に制限されています。

 交通が不便なので、長男の嫁さんが車で行ってみたいとの意向でした。
 そのため、一昨日は一般道で、昨日は高速で行く事にして、2日間付き合って来ました。
 長男の車には、ナビが付いていませんが、
 僕が助手席に乗ってスマホのナビを見て、指示を出しながら行きました。

 一昨日はナビ上では1時間20分ほどでしたが、
 天気が悪かった事もあり、
 途中でアウトレットモールに入る車の渋滞に捕まった事もあり、
 結果的に2時間ほど掛かってしまいました。
 帰りは山道を通って帰って来ましたが、1時間半ほどでした。
 昨日は、教習中に1度高速を走った事があるそうですが、
 実際の運転では初めての高速の運転なので、かなり緊張していた感じでした。
 特に帰りは夕方で暗くなってしまい、
 僕が代ろうかと言ったのですが、自分で運転すると頑張っていました。
 両日とも、上尾に戻ってから、二人で夕食を摂って、僕は帰って来ました。
 2日間とも宇都宮を出るのが昼近くでしたが、
 ともに帰宅が午後10時を過ぎましたので、疲れてしまいました。

 埼玉県から東京都の郊外にかけて、やはり車の通行量が多いですね。
 栃木県内の道路とは比較になりません。
 それだけ人口密度が高いのでしょう。
 脇で乗っていて、色々な町並みを見ながら、多くの人が住んでいるのを実感しました。
 都会の人は運転が上手になるのも分かるような気がしました。
 道路も整備されていますが、片側2車線の道路が多く、難しそうな感じです。
 彼女も片側1車線の道路に入るとホッとすると言っていました。
 彼女の運転もだいぶ上手になって来ました。
 もう大丈夫かなとも思うのですが、
 不安に感じるようならばいつでも付き合うから連絡をくれるように言っておきました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

河津桜・・・

2020年03月13日 18時37分35秒 | 日記
 昨日、昼食後の散歩で宇都宮城址公園に行ってみました。
 以前から一部咲いていた河津桜が満開になっていました。
 昼休みの時間でもあったので、多くの人が来ていました。
 昨日は天気も良く、カメラを持って来なかった事が残念に感じました。
 今日は特に予定もありませんでした。
 考えてみたら、しばらく写真も撮っていません。
 余り使わないとカメラが腐ってしまうかも知れないと思いました。
 腕は元々大した事がありませんから、鈍る事はありませんが。
 そんな事から、午前中カメラを持って公園に行って来ました。
 天気予報では晴れとの事でしたが、
 薄曇りで、昨日の方が条件は良かったような気がしました。

 河津桜は、オオシマザクラとカンヒザクラの自然交雑種であると推定されています。
 1955年(昭和30年)に、静岡県賀茂郡河津町で偶然原木が発見され、
 当初は違う名前でしたが、1974年(昭和49年)に河津桜と命名されました。
 1月下旬から2月にかけて開花する早咲き桜で、花は桃色ないし淡紅色で、
 ソメイヨシノよりも桃色が濃く、花期が1ヶ月と長い特徴があります。
 最近は各地で植えられていて、ご覧になる方も多いかと思います。
 宇都宮城址公園にいつ植えられたのかは分かりませんが、
 公園にはソメイヨシノも植えられていますので、
 長い期間、桜を見る事を考えたのかも知れません。

 宇都宮城址公園は、平安時代の後期より宇都宮氏代々の居城となり、
 関東7名城の1つに数えられている宇都宮城の跡に、
 2007年(平成19年)3月25日に開設された都市公園です。
 宇都宮城は、戊辰戦争や戦災、周囲の都市開発によって殆どすべての構造物が失われ、
 昭和中期にはわずか本丸土塁の一部が残されるだけで、
 この遺構は「御本丸公園」として整備されていました。
 僕が小学生の頃は、よく遊びに行った所でもあります。
 その御本丸公園に、土塁や櫓を建設して復元されたのが城址公園です。
 2016年10月23日に、連続爆破事件が起こり、
 犯人が自殺した他、近くにいた人が重傷を負いました。
 この日は僕も城址公園の近くにいたのですが、
 運良く帰宅したので、爆発に巻き込まれずに済みました。

 今日も、公園には、午前中から人が来ていました。
 それだけ城址公園の河津桜が有名になっているのだと思います。
 小さなお子さんをベビーカーに乗せて来ているお母さんなども結構いました。
 久しぶりに土塁の上に上がって、のんびりと写真を撮って来ました。

 城址公園から、普段歩いている田川に行って、
 河川敷内を歩いて来ました。
 田川は、昨年10月12日に台風19号による大雨で溢水した河川です。
 現在、河川の浚渫工事をしています。
 河川沿いに枝垂桜の並木があります。
 やはり今年は早いのですね。
 少し蕾が出来ていました。

 今日の写真をアップしましたので、宜しければご覧下さい。
 http://photozou.jp/photo/list/2882708/9317904

 明日は、所用により日記などを休ませて頂きます。
 あるいは明後日も休むかも知れませんので、お含みおき下さい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無観客・・・

2020年03月12日 18時29分03秒 | 日記
 昨日、第92回選抜高校野球大会を主催する日本高校野球連盟と毎日新聞社は、
 新型コロナウイルスの感染拡大を受け、大会を中止すると発表しました。
 高野連は、今月の4日に、無観客試合での実施とする方針を出していましたが、
 政府が10日に、国内のスポーツ・文化イベントの開催自粛を、
 10日程度続けるよう要請した事があるのかも知れませんし、
 出場校が宿泊する大阪府と兵庫県内で感染者が増えたことも理由かも知れません。
 19日からの開幕を楽しみにしていただけに、残念です。

 大相撲春場所は、8日から無観客で開催されています。
 開催されている大阪は、大坂相撲の歴史があって相撲人気の根強い土地ですから、
 観戦を楽しみにされていた方も多かったと思います。
 僕は、リタイア後、毎場所テレビ中継を楽しみにしています。
 今場所、今日までの5日間、全部観ている訳ではありませんが、
 初日を観ましたし、今日も観ました。
 どうも盛り上がりに欠けるなぁと言うのが、ここまでの全体的な感想です。
 相撲は不思議なもので、
 好取組が1番あると続く取組も熱戦になる事が多いような気がします。
 熱戦の連鎖反応ですね。
 初日の取組を観ていて、何か淡泊な一方的な相撲が多いなぁと感じました。
 今日も、栃ノ心と照強、遠藤と正代など良い相撲もありましたが、
 どうもその熱戦が続かないように感じました。

 僕は、2017年9月10日の秋場所の初日を、国技館に初めて観に行きました。
 その時の感想などは、9月14日の日記に書きました。
 驚いた事など沢山ありましたが、
 その中の1つに、呼び出しの人の声が素晴らしい事がありました。
 幕下の取組など、余り観客の入っていない時には、
 その声が国技館に響いていました。
 観客が入ると、音が人に吸われるのでしょうか、余り感じなくなりました。
 無観客で行われている今場所は、テレビで観戦していても、
 最後まで呼び出しや行司の声、更には力士のぶつかる音や廻しを叩く音など、
 音の面では良く聞こえて、それはそれで臨場感があると感じています。

 テレビ観戦の楽しみの1つが、向こう正面に座る観客の顔が見える事です。
 有名な人などが観戦に来ている事があります。
 また、粋筋なのかどうかは分かりませんが、
 凛とした綺麗な女性を見るのも楽しみの1つでしたが、これは不可能ですね。
 残り10日、どのような相撲や館内の様子が見られるか、楽しみです。

 バスケットボールのBリーグは、現在リーグ戦を中断して、
 2月28日から3月11日までの間のB1とB2の全試合99試合を延期していますが、
 昨日、今月14日から4月1日までの131試合を無観客で行うと発表がありました。
 Bリーグ全体のスケジュールを考慮した結果なのでしょう。
 この間、テレビ放映や動画配信を行うとの事なので、
 観戦できる機会が増えるかも知れません。
 中止とした高校野球との判断の違いを指摘されて、
 大河チェアマンは、
 「プロの興行で中止と言うのは、例えば会社の営業を止めるのと同じ決定。
  部活動とは判断軸は違う。」と説明したとの事です。
 これはこれで正しいような気がします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3月11日・・・

2020年03月11日 18時58分08秒 | 日記
 今日は、先日亡くなった元上司の葬儀がありました。
 家族葬で行うとの事でしたが、近い人から知らせがあったので、
 行っても良いかと思い参列する事にしました。
 葬儀は、完全に親族だけでしたが、
 葬儀の後、一般の会葬者も焼香だけは出来ました。
 新型コロナウイルスの関係で、
 なるべく室内での人混みを避けたいとの意向だったのでしょう、
 屋外で葬儀が終わるのを待っていました。
 少し風が強かったですが、良い天気で暖かかったので助かりました。
 花粉は飛んでいましたが。
 色々なルートから情報が流れていたようで、多くの人が参列していました。
 現職の頃お世話になった方も多く来ていて、
 久しぶりにお目に掛かる人が何人もいました。
 故人のご人徳なのでしょう。

 葬儀が12時からで、焼香が終わったのが午後1時を回っていました。
 お腹が空いたので、吉野家なのですが、蕎麦も出す店に寄りました。
 この店は、5年以上前、同居人が旅立った日の朝、
 病院から家に帰って来る同居人を迎える準備のため、先に帰宅する際、
 長男と次男と一緒に寄って、やはり食事を摂った店です。
 前夜からほとんど徹夜状態で、何も食べていませんでした。
 その後の色々な段取りを話しながら、3人で食べた覚えがあります。
 美味しかったかどうかの記憶がありませんでしたが、懐かしくなって入りました。
 我が家からは距離があるので、入ったのはその時以来です。
 やはり葬儀の帰りだった事もあって、色々な事を思い出していました。

 今日は3月11日です。
 ここのところ、毎年、この日は地震や津波の映像をYouTubeで観ています。
 東日本大震災とその後の津波については、多くの映像が残されています。
 もう何度も観ていますが、初めての映像もありました。
 テレビの映像や避難された方の映像など、膨大な量が残っていて、
 貴重な記録だと思います。
 改めて、あの時の戦慄を思い出しながら、
 もうこのような映像を観ないで済めば良いと思いました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

出血・・・

2020年03月10日 17時48分50秒 | 日記
 昨日は、所用のため上京していました。

 一昨日の夕食、豚カツを食べる事にしました。
 豚カツと言えば付け合わせは千切りのキャベツです。
 僕は、濃いとんかつソースをかけたキャベツが好きなので、
 キャベツを食べたいからフライ物にする感じもあります。
 キャベツを切りながら、包丁が指に当たった感じがして、
 あれ?とは思いましたが、すぐには血が出ませんでした。
 しかし、やがて血が出て来ました。
 血染めのキャベツも嫌なので、すぐに傷口を洗って、絆創膏を貼りました。
 絆創膏に少し血の染みが出来ましたが、止まったような感じでした。
 風呂にも入りましたが、もう出血は止まったと思いました。

 昨日の朝、宇都宮駅に向かって歩き出しました。
 その内に、左手がぬるぬるする感じになりました。
 何だろうと思って見たら、左手が血に染まっていました。
 あるいは、下げたバッグに親指が当たったのかも知れません。
 ティッシュで拭こうと思いましたが、とてもぬぐい切れそうもありません。
 このままでは、人を刺して来たように思われるかも知れない位に真っ赤です。
 左手を隠しながら、急いで駅まで歩いて、駅のトイレで血を洗い、
 その後は指を舐めて血を吸い取りながら、コンビニで絆創膏を買いました。
 すぐに、それを貼って、何とか収まりました。

 今日、たまたま馴染みの中華料理店に行ってお昼を食べました。
 世間話をしている内に、何かの拍子に料理の話になり、
 一昨日、キャベツを切っていて、指も切った話をして、
 昨日の出血の話もしました。
 そこの店主に、俺は絶対に手を切らないと言われ、なるほどと言っている内に、
 そこの奥さんに、そのジャンパーの染みはその血の跡かいと言われ、
 慌ててみたら、結構な染みが出来ていました。
 昨日もこのジャンパーを着て出かけました。
 手から出血した時に、衣類は大丈夫かと一応は見たのですが、
 その時は気が付きませんでした。
 何人か人にも会いましたが、誰も何とも言いませんでした。

 ジャンパーもだいぶ汚れて来たところなので、
 明日にでもクリーニングに出そうかと思っています。
 それにしても、チョッと包丁が当たっただけだと思ったのですが、
 今日まで尾を引くとは思いませんでしたし、
 日記に書くような事になるとも思っていませんでした。
 そんなに切れる包丁ではないですし、そろそろ研ごうかと思っていたほどなのですが、
 弾みなのでしょうか?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

元上司・・・

2020年03月08日 17時57分00秒 | 日記
 昨日は、出掛けてしまい、日記などを休んでしまいました。

 今朝、後輩から元上司が亡くなったとの連絡がありました。
 91歳とのご高齢でしたので、いずれその日が来るかとは
 漠然と思っていましたが、突然の訃報に驚きました。

 元上司とは、
 1995年度(平成7年度)と1996年度(平成8年度)の2年間、
 同じ職場で働きました。
 数多くの貴重な経験をさせてもらいましたし、教えて頂いた事も沢山あります。
 怒鳴られた事も何度もありましたが、
 そうした中で育てられたとの思いを強く持っています。
 不肖の教え子でしたので、期待に沿うほどの成長は出来ませんでしたが。

 その後も、公私ともに様々な機会にお付き合いさせて頂きました。
 同居人の葬儀には、奥様と一緒に参列して下さいましたし、
 彼女の棺に花を手向けて下さいました。
 最後にお目に掛かったのは、3年ほど前になります。
 僕が常勤の仕事が全て終わったので、ご挨拶に伺い、
 1時間ほど歓談して来ました。
 それ以来お目に掛かれませんでした。

 知らせを受けてどうしようかと思ったのですが、
 今日の内ならば、それほど多くの人が弔問に来ないかと思い、
 午後、お宅に行って来ました。
 上手い具合と言うのも変ですが、弔問客の隙間に入れたようで、
 奥様にお悔やみを申し上げる事が出来ました。
 お線香をあげて来ました。
 寝ているような穏やかなお姿でした。
 夕食後、突然お亡くなりになったとの事で、
 苦しまずに大往生されたのだと思います。

 行きはバスでしたが、帰りは歩いて帰って来ました。
 歩きながら、多くの事が思い出されました。
 書き出したらキリがありませんので、ここでは書きませんが、
 何かの折に書く事があるかも知れません。

 一緒に働いていた頃から、何度か酒を飲む機会がありました。
 とにかく話題の豊富な方で、飲んでいる時の話が面白いのです。
 まだ飲む機会もあるかと思っていましたが、とても残念です。

 明日も所用により、日記などを休ませて頂きますので、
 お含みおき下さい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新型コロナウイルス雑感・・・

2020年03月06日 18時19分27秒 | 日記
 僕は、感染症の知識がある訳でもありませんし、医者でもありません。
 ですから、あるいは間違っているのかも知れませんが、
 どうも今回の新型コロナウイルス騒動は騒ぎ過ぎのような気がしています。
 WHOが昨日時点で公表している感染者数は94,310人で死者は3.270人です。
 感染者数で死者数を除すと3.5%になります。
 日本国内の場合、今日の午前9時現在で、感染者数360人、死者6人で1.7%です。
 今回の新型コロナウイルスの致死率は、専門家によってマチマチですが、
 高い人でも4%程度で、1%以下だと言っている人もいます。
 20世紀初頭のスペイン風邪の致死率は、10%から20%と言われていますので、
 それとは比べ物にならないような気がします。
 更に、新型コロナウイルスにより重篤化する傾向があるのは、
 高齢者や持病を持っている人との事ですが、
 高齢者で罹患しても、8割以上は重篤化していないようです。
 そんな事から、現在のマスコミや政府は騒ぎ過ぎのような気がしています。

 今日から、新型コロナウイルスのPCR検査が保険適用になります。
 これで不安な人は検査してもらえるようになるのかと思ったのですが、
 どうも希望する人がすべて検査を受けられるのではなく、
 依然として、全国800か所の「帰国者・接触者外来」に限られているとの事です。
 しかしながら、検査が増えれば、感染者も増えるのかも知れません。
 多分、ほとんどが軽症の人だと思いますが。

 昨日、安倍総理は、中国の習近平国家主席の訪日が延期になった事を決まると、
 中国、韓国などからの訪日客の実質的に入国を拒否する対策を打ち出しました。
 水際作戦の強化との事ですが、
 既に国内で感染が起きているのに、今更水際作戦でもないだろうと思います。
 何かピントがずれているように感じました。
 多分、後手後手に回っていると指摘されている新型コロナウイルス対策で、
 特に右派の人たちの間で主張されている
 中国人や韓国人を排斥する声に従ったのだと思いました。
 これまた、専門家会議などで議論した話でもなく、
 安倍総理の独断によるのでしょうが、
 隔離施設の準備や手続きなどは、まだ決めていないようで、
 単なる思い付きのような感じがしています。

 今回の実質的な入国禁止措置、全国の観光地では、既に外国人観光客が来なくなって、
 どこでも悲鳴が上がっていますから、
 観光への打撃はもう大きくはないかも知れませんが、
 中国からの部品の調達が出来ずに、日産が製造を休止するなどの影響が出ている、
 製造業では、致命的な影響を与えそうな気がしています。

 安倍総理は、新型インフルエンザ等対策特別措置法を改正するとの事で、
 この法律に新型コロナウイルスも盛り込むようです。
 新型コロナウイルスについては、
 あえて法改正しなくても対応は可能との指摘があります。
 高検検事長の定年延長など、恣意的な法解釈が得意な安倍総理には珍しく、
 正攻法でやろうとしていますが、
 この法律が民主党政権の時に制定されているのが気に入らないのかも知れません。
 いずれ、私の手で法律を改正しと言いたいのでしょうね。
 それは構わないのですが、
 この法律に基づく緊急事態宣言が気になっています。
 憲法改正の論点の1つである、緊急事態条項に繋がりかねないと思うからですが、
 これまでの新型コロナウイルス対策にみられるように、
 思いつくままに国民の影響などを考える事もなく、
 単なる自己保身のままに対策を行っている安倍総理には、
 この宣言をさせるべきではないと思います。

 いずれにしても、高齢者などを除く多くの人には、
 それほど危険性がないと思える新型コロナウイルスですが、
 安倍総理の独り善がりの対応策によって、
 日本の経済や社会システムを壊しそうで、そちらの方が気になっています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

40年・・・

2020年03月05日 19時49分43秒 | 日記
 既に何度か日記に書きましたので、
 長くお付き合い下さっている方はご記憶があるかも知れませんが、
 3月5日は、亡父の命日です。
 1980年(昭和55年)に亡くなっていますので、今日で丁度40年になります。
 親父は1914年(大正3年)3月11日に生まれました。
 したがって、享年は65歳ですが、あと少しで66歳となるところでした。
 このため、2018年に僕が66歳になった時は、
 親父の年を超えられてホッとしました。

 親父は群馬県の沼田市の近郊の旧薄根村の石墨で生まれました。
 現在は沼田市になっています。
 小学生の頃に、親父の叔父さんの家に行った事がありますが、山の中でした。
 その頃まだ養蚕をやっていたので、二階で蚕を飼っていて、
 その桑の葉を食べる音が今も耳に残っています。

 旧制の沼田中学を卒業後、親戚を頼って東京の浅草に行ったようです。
 そこから早稲田実業関係の学校に通ったようですが、
 その当時の早稲田実業には夜間部などもあり、幾つかの学科に別れていました。
 どこに入学していたのか詳しくは聞いていません。
 その後、家が貧しかったからとの事で、職業軍人になります。
 宇都宮に師団本部のあった陸軍第14師団の騎兵第18連隊に所属していましたが、
 最初からその連隊だったのかどうかも聞いていません。
 当時は日本にも騎兵隊があり、主に偵察などが任務だったようです。
 2・26事件の時には、鎮圧部隊として東京に行ったと聞いた事があります。

 満州事変の時に、中国に出征していたかどうかはよく分かりませんが、
 支那事変の時には、出征していました。
 その頃には親父も士官になっていたようで、中尉だったと聞いています。
 支那事変後は、第14師団は満州に駐屯していましたので、
 親父も満州にいたのだと思います。
 ハルピンやチチハルなどの地名は、僕は小さい頃から聞き知っていました。
 多分、お袋とは支那事変の頃結婚したようです。

 太平洋戦争になると騎兵は改編され、装甲車の部隊となって、
 パラオに派遣され、そこで終戦を迎えました。

 戦後、宇都宮に帰還し、そのまま住み着いたようです。
 2・3の会社に勤めた後、損保会社に入って定年まで勤めていました。
 1979年に胃癌になり、入退院を繰り返していましたが、
 最期は、自宅に戻っていて、息を引き取りました。

 当時、忙しい職場にいた僕は、前夜お袋から呼び出されました。
 急いで帰宅してみましたが、苦しむでもなく寝ていたので、
 少し拍子抜けした覚えがあります。
 それでも、これから更に看病も大変だろうと思い、
 お袋を先に寝かせ、僕が枕元で待機し、親父と少し話をしていました。
 最後は、昭和の次は何と言う元号になるだろうと言っていました。
 明け方近くなって、急に息が静かになったので、慌ててお袋を起こし、
 近所の医者を呼んで来ましたが、意識が戻る事なくそのまま息を引き取りました。
 命の火が消えるような静かな最期でした。
 今でもその時の事を鮮明に覚えています。
 生前、親父とは意見が合わず、何度も親子喧嘩をしていましたが、
 今になって思うと、それらの喧嘩も良い思い出です。

 もう40年も経ってしまったのかぁとの思いがあります。
 その間色々な事がありました。
 嫁さんが来てくれて、長男が生まれ次男が生まれました。
 その嫁さんも2014年12月18日に逝ってしまいました。
 二人に面識がありませんでしたが、今は一緒に眠っています。
 40年前、就職したばかりだった僕も定年退職し、今は年金生活になっています。
 光陰矢のごとしと言いますが、多くの事があったにしても、
 過ぎてしまった時間は速いものだと感じます。

 今日は、墓参りをどうしようかとも思ったのですが、
 色々都合もあり、
 親父の口癖の1つに「死に仏よりも生き仏」と言うのがありましたので、
 この間の事情は理解してくれると思い、
 仏壇に新しい花を買って来て供えただけで勘弁してもらいました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

休校しないところ・・・

2020年03月04日 18時57分21秒 | 日記
 今朝の下野新聞の1面に、
 「茂木町、休校方針転換」とのタイトルで、
 栃木県の茂木(もてぎ)町が、新型コロナウイルスによる感染拡大を防ぐため、
 町内5小中学校(中学校1、小学校4)で
 10日から実施するとしていた臨時休校の方針を転換、
 春休み前まで通常通り授業を行うことを決めたとの記事が載っていました。
 このニュースは、朝日新聞デジタルでも報じていますので、
 ご覧になった方もいらっしゃるかと思います。
 栃木県内では、大田原市が午前中だけ授業を行っていますが、
 公立校で臨時休校を全く行わないことを決めたのは茂木町が初めてです。
 茂木町は、栃木県南東部に位置する人口12,000人程度の過疎の町です。
 1950年頃には、人口は3万人を超えていました。

 古口町長は
 「休みに入る準備期間があまりに短すぎる。
  ウイルス対策にはなるかもしれないが、
  子どもたちの生活面や学習面、健康面等を考慮すると
  本当に大丈夫なのか納得がいかなかった」と強調したと報じられています。
 なお、同町内や近隣市町で感染者が出た場合は即日臨時休校に入るとの事です。

 安倍総理が、自分からの思い込みで、周囲の声を押し切って、
 各地域の置かれている実情や、保護者の状況、
 そして何よりも子ども達の事などを考えもしないで、一斉休校を要請しましたが、
 安倍総理よりは、茂木町の町長の方が政治家としてはるかに優れていると感じました。
 古口町長は、判断するにあたり、
 各校の校長、PTA会長、教育委員、町議らから意見を聴いたと報じられています。

 NHKニュースウェブの3月2日の記事によると、
 2日現在で、家庭や教育への影響を考慮し、
 当面は小中学校を休校とせず授業を続ける判断をしたのは、
 7つの県の19の自治体で、小中学校の数は、合わせて295校に上るとの事です。
 島根県では、県立高校も休業していないようですし、
 松江市や出雲市の小中学校など156校が、当面通常どおりの授業を行うとしています。

 総理大臣からの要請だからと言って、唯々諾々とこれに従うのではなく、
 地域の状況などを十分に踏まえ、子ども達の事を考えて、
 判断すべき事のような気がします。
 既に始まったところでも、子ども達の生活状況などを再度見直して、
 授業を再開する事があっても良いのではないかと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする