天然居士の独り言

主に日記主体のブログです。

渡良瀬遊水地・・・

2023年01月31日 19時13分48秒 | 日記
 全国のニュースでも報道されましたが、
 30日午後、
 栃木県や群馬県などにまたがる渡良瀬遊水地にある谷中湖の北側で
 下草が燃える火事が起き、東方向に燃え広がりました。
 警察や消防によると、火事は1キロ以上にわたって燃え広がり、
 およそ300haが焼けたとみられるとの事ですが、
 住宅などがない方向だったため、家屋の延焼や怪我人はないようです。

 渡良瀬遊水地は、ご存知の方も多いかと思いますが、
 足尾鉱毒事件による鉱毒を沈殿させ無害化することを目的に、
 渡良瀬川下流に作られた日本最大の遊水地(遊水池)です。
 面積は約3300haで羽田空港の2倍以上の広さがあります。
 ゴルフ場が造成されている場所がありますが、
 建物はなく、若干の道路と橋のみがあるだけです。
 遊水地の領域は、
 栃木県・群馬県・埼玉県・茨城県の4県にまたがりますが、
 大半が栃木県栃木市に属し、残りの部分が栃木県小山市、栃木県野木町、
 茨城県古河市、埼玉県加須市、群馬県板倉町に属しています。

 現在の渡良瀬遊水地の中央部には、
 かつて栃木県下都賀郡谷中村がありました。
 周辺に比べて標高が低いため水害を受けやすく、
 村の周囲には囲堤(堤防)が築かれていて輪中地域でした。
 明治20年代になると、渡良瀬川最上流部に位置する
 足尾銅山から流出する鉱毒の排水による被害が大きくなり、
 農民の鉱毒反対運動が盛り上がります。
 1905年、政府は谷中村全域を買収して、
 この地に鉱毒を沈殿する遊水池を作る計画を立てました。
 田中正造などによる反対運動が起きますが、
 谷中村は全域が強制買収され、1906年、強制廃村となりました。
 その後、遊水地の拡張や整備が行われ、
 現在は、法令上、国土交通省が管轄する河川の内部になっています。
 足尾鉱毒事件から100年以上経って鉱毒は減少し、
 主に治水と利水のための地域になっています。
 元々は洪水対策目的の施設であり、
 降雨直後などは全体が水びたしになります。
 利根川に流しきれない渡良瀬川の水をいったんこの地に貯め、
 利根川の水位が下がってから
 徐々に遊水地内に貯めた水を放水する仕組みになっています。

 1980年代のバブル期には、様々な開発構想が出されましたが、
 反対運動などもあり。バブル崩壊などもあって、
 ゴルフ場などが整備されただけになりました。
 一方、本州以南最大の湿地である事から、
 2012年(平成24年)7月3日、ラムサール条約の登録湿地になりました。
 その広大な面積を利用して、花火大会などの会場になっているほか、
 ほとんど電線もないため、
 熱気球・スカイダイビング・超軽量動力機などの
 スカイスポーツも行われています。
 また、コウノトリやトキなどの鳥の繁殖も行われていますが、
 火事の影響はなかったようです。

 毎年3月に、ヨシ焼きが行われていて、多くの人が見物に訪れます。
 これがあるので、僕は全く心配していませんでしたが、
 今年もヨシ焼きは行うのでしょうか?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お楽しみはこれからだ・・・

2023年01月30日 19時07分50秒 | 日記
 2019年10月7日に亡くなった和田誠の著作に、
 「お楽しみはこれからだ」があります。
 映画の中の名台詞を抜き出して、
 和田誠の主に似顔絵を描いたエッセイ集で、
 1975年に出版されています。
 これは「キネマ旬報」に連載されていたのをまとめたもので、
 Part7まで出版されているようです。
 ちなみに、「お楽しみはこれからだ」は、映画「ジョルスン物語」で、
 主人公のアル・ジョルスンが言う台詞との事です。

 僕は、学生時代に読んで以来、Part3までは読みました。
 ある意味、これが僕の映画に関する教科書になっています。
 しかし、この本に出て来る映画が古くて、
 就職して宇都宮に戻って来てしまった事もあり、
 本に出て来る映画が中々観られないでいました。
 レンタルビデオが流行り出した頃、少し観ましたが、
 レンタルビデオでは余り古い映画は観られませんでした。

 この正月から、動画配信サービスをhuluからu-nextに変更しました。
 huluは古い映画が少ないのが理由でしたが、
 u-nextは、料金は高いですが、結構古い映画があります。
 検索して観ると、「ジョルスン物語」はありませんでしたが、
 その元になった「ジャズシンガー」がありました。
 「お楽しみはこれからだ」のPart3までの中にある映画も
 何本かあります。
 洋画と邦画それぞれを製作年順に検索すると
 さながら映画史を見るような感じがしました。

 僕は小さい頃から映画が好きでした。
 亡父に連れられて、よく映画館に行きました。
 学生時代、東京に出てからは、名画座などにも行きました。
 また、テレビで映画を放送するようになってからは、よく観ていましたし、
 結婚してから、やはり映画好きだった同居人とは、
 映画館にもよく行きました。
 レンタルビデオが流行り出してからは、
 借りて来て、よく見ていました。
 1987年のカンヌ国際映画祭で監督賞を受賞した
 「ベルリン天使の詩」を観ていて、二人とも寝てしまい、
 カンヌ映画祭の映画は退屈だと言うことで意見が一致しましたが。

 そのような次第で、u-nextに変更して、
 宝の山に行き当たったような感じがしています。
 正に、「お楽しみはこれからだ」です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

足利市・・・

2023年01月29日 18時21分23秒 | 日記
 昨夜のNHKのブラタモリは、栃木県の足利市でした。
 栃木県内にブラタモリが来たのは、
 日光、那須、宇都宮に続いて4か所目になります。
 日光は前後編の2回でしたから放送は5回目になります。
 以前、山形県の酒田市に行った時は、
 タモリさんが歩いた場所が、観光のコースになっていました。
 地元では、そのような取り組みも出来るのだと思いました。

 足利市は鎌倉時代に足利氏の所領になった古い街です。
 足利氏から尊氏が出て、室町幕府を開いた訳です。
 足利氏は源氏の後裔ですが、源氏の八幡太郎義家が
 七代後に天下を取ると予言した置文が残されていたとの伝説があります。
 その七代目は足利家時と言う御家人でしたが、
 自分ではそれが果たせないので三代後に託して自害したと言われています。
 その三代目が尊氏です。
 詳しくは以前書いたものがありますので、宜しければご一読下さい。
 https://blog.goo.ne.jp/tennnennkozi/e/5cd0c41068257ac597683cc24da528e3

 足利尊氏がNHKの大河ドラマの主人公になった事がありました。
 1991年に放送された「太平記」ですが、
 足利尊氏を真田広之さんが演じていました。
 その時に、尊氏が足利に来た事があるかどうかが
 僕の周りで話題になりました。
 確実な生誕地は不明で、下野国足利荘、
 母の実家である丹波国何鹿郡八田郷上杉荘(京都府綾部市上杉)、
 鎌倉幕府の本拠地である鎌倉などの説があります。
 専門家の話では、足利に来たとの文献はないそうです。
 しかし、自分の父親の本貫である足利に来なかった訳はなく、
 そんなに珍しい事ではないから 
 文書に書かれなかったとしても不思議ではないとの事でした。

 足利氏の館は、現在鑁阿寺(ばんなじ)となって残っています。
 現在でも、四方に門を設け、寺の境内の周りには土塁と堀がめぐっていて、
 鎌倉時代前後の武士の館の面影が残されていて、
 足利氏宅跡として国の史跡になっていますし、
 鎌倉時代に建設された鑁阿寺の本堂は国宝になっています。

 鑁阿寺の近くに足利学校があります。
 フランシスコ・ザビエルは
 「日本国中最も大にして最も有名な坂東のアカデミー」と
 記している事でも有名です。
 創建については、色々説があって定まっていませんが、
 平安時代初期に小野篁が創設したとする説などもあります。
 昨日のブラタモリでも取り上げていましたが、
 教育の中心は儒学でしたが、易学を学ぶために足利学校を訪れる者が多く、
 兵学や医学なども教えていました。
 江戸時代に入ると、毎年の初めにその年の吉凶を占った
 年筮(ねんぜい)を幕府に提出することになっていました。

 足利は、明治時代になると
 隣接する群馬県の桐生市と共に繊維の街として繁栄しました。
 タモリさんも行きましたが織姫神社などもあります。
 そうした繊維の商家の旦那さんの街だったからなのでしょうか、
 食文化の水準も高いと思っていて、
 足利に行くと何を食べても美味しいと言うのが僕の印象です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

闇バイト事件・・・

2023年01月28日 18時32分13秒 | 日記
 ここのところ、いわゆる闇バイト事件による強盗事件が多発しています。
 既に一連の事件による逮捕者は実に30人以上にのぼるとの事です。
 
 今月19日に東京都狛江市で90歳になる女性が、
 全身に暴行を受け殺害されているのが発見されました。
 発覚するきっかけは、千葉県警から警視庁への連絡でした。
 今月12日、千葉県大網白里市の強盗致傷事件で逮捕された男の携帯電話を
 数日かけて解析したものだったとの事です。
 どのような解析だったのか分かりませんが、
 もう少し早ければ狛江市の事件は未然に防げたのかも知れません。
 千葉県警からの情報がいつだったのか、気になる所です。

 この事件をきっかけにして、全国各地で発生した強盗事件が、
 闇バイトで繋がった一連の事件だと分かったような報道ですが、
 実際はどうなのでしょう?
 警察庁では、昨日関係の都府県警の捜査幹部を集めた捜査会議を開き、
 刑事局長(浅見さんではありません)が、
 首謀者の摘発や事件の全容解明にむけ、
 迅速で徹底した捜査を進めるよう指示したと報じられています。
 同一グループによるとみられる一連の強盗事件が
 昨年10月以降、関東地方や西日本の少なくとも8都県で14件発生し、
 これらの事件に絡み実行役ら三十数人を逮捕していますが、
 関連する可能性がある強盗や窃盗事件が6府県で起きているとの事です。
 警察庁は、一連の事件を掌握していたとは思いますが、
 狛江市の事件を含む
 一連の事件が明らかになってから動き出した印象があります。
 日本の警察制度は、各都道府県が独立していますので、
 それぞれ独自の捜査を行うのでしょうが、
 ある意味、全国各地で起こった事件は、
 こうした警察制度の隙間を突いたようにも感じています。

 実行犯たちは、
 ネット上の『闇バイト』に応募して犯行に及んでいたとの事です。
 指示を出していたのは、
 『ルフィ』、『ミツハシ』、『キム』と名乗る人物との事で、
 複数なのか単数なのかも明らかになっていません。
 しかし、フィリピンから指示を出していた事は、ほぼ間違いなさそうで、
 その指示役は、
 現在、フィリピンの入国管理局の収容施設で拘束されています。
 フィリピンの収容施設では、かなり好き勝手が出来るようですが、
 これも不思議な話だと思います。
 この指示は、かなり精度の高い情報のようで、
 金庫の場所に直行しているとの報道もあります。
 しかし、指示は出来るのかも知れませんが、
 情報の入手は、収容施設では困難な感じもします。
 そうなると、フィリピンの指示役と目されている人物も、
 黒幕ではなく更に大きな組織の駒の一つなのかも知れません。
 被害者の情報はどのように集められているのかも気になるところです。

 今、報道されている話では、
 フィリピンに収容されている複数の人物は、
 特殊詐欺を行っていたような感じで、
 警視庁は逮捕状を取っているようです。
 一連の強盗事件の方が特殊詐欺よりも稼ぎが大きいのかも知れません。

 いずれにしても、今回の犯罪は、ネット社会を巧みに使っていますし、
 かなり組織化された犯罪集団のような感じがしています。
 是非、一日も早く全容解明してもらいたいと思います。
 一方で、生活に困って、
 月100万円以上などの甘い言葉に飛び付いてしまう人がいるのも事実です。
 社会の病理現象を解決しない限り、
 色々な形態を変えたこのような犯罪は跡を絶たないのかも知れません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国宝級・・・

2023年01月27日 19時11分09秒 | 日記
 一昨日、奈良市にある国内最大の円墳、富雄丸山古墳の
 未盗掘の埋葬施設から、過去に類例のない盾形の銅鏡と
 蛇行剣と呼ばれる鉄剣が発掘されて話題になっています。

 富雄丸山古墳は、直径109mの円墳で、
 4世紀後半に築造されたと考えられています。
 明治時代に盗掘されていて、その出土品が重要文化財になっています。
 今回出土したのは、円墳から突き出た造り出しと呼ばれる場所なので、
 盗掘者も気が付かなかったのかも知れません。
 埋葬施設は、木の幹を二つに割り、
 内部をくりぬいて被葬者を納めた「割竹形木棺」を粘土で覆った構造で、
 盾形銅鏡と蛇行剣は木棺の外に重ねるように置かれていて、
 いずれも邪悪なものを遠ざける「辟邪」の意味があるとの事です。

 盾形の銅鏡は、長さ64cm、幅約31cmですが、
 この大きさだけでも、これまでに発見された鏡の中では最大との事ですが、
 その盾形の形状も、他に出土例がないとの事です。
 盾形銅鏡を蛍光X線で調べたところ、錫、銅、鉛の成分が検出され、
 表の鏡面にはなめらかに磨いた跡があったとの事です。
 裏面には中国の神獣を簡略化した「鼉龍(だりゅう)」文や、
 のこぎりの刃のように三角形を連続させた鋸歯(きょし)文などの
 幾何学文様が施され、
 中央部分にはひもを通すための丸い突起「鈕(ちゅう)」があります。
 「盾」と「鏡」を組み合わせた前代未聞の斬新なデザインで、
 奈良市教委などは「鼉龍文盾形銅鏡」と名付けたとの事です。

 鉄剣は全長237cm、幅約6cmで、
 蛇行剣と呼ばれる剣の刃が曲がっている形状をしています。
 武器としての実用的なものではなく、祭祀用剣と考えられています。
 これまで国内で85例、韓国で4例の出土例があり、
 今回見つかった蛇行剣は金属をたたいて作られ、
 刃は6カ所で屈曲していました。
 237cmの全長は、
 これまで最大だった宇陀北原古墳(奈良県宇陀市)の
 84.6cmをはるかに上回り、蛇行剣としては国内最古との事です。
 また、鉄剣としても中国・遼寧省で出土した138cmをも上回って、
 東アジア最大の大きさになります。
 記者会見した県立橿原考古学研究所の岡林孝作副所長は
 「古墳時代における金工品の最高傑作」と評価し、
 鏡は盾形で出土例がなく、鏡、剣ともに
 古墳研究史上の画期的な発見で国宝級と述べているとの事です。

 このような副葬品のあった富雄丸山古墳の被葬者は
 誰かと言うのが気になります。
 この古墳は、近くの佐紀古墳群(奈良市)と
 大阪府の百舌鳥・古市古墳群を結ぶ交通の要衝にあり、
 ヤマト王権の有力者が葬られたと考えられています。
 これから、被葬者を巡っては色々な説が出て来るかも知れませんね。

 とにかく、古墳からこのような出土品が出て来るとは思いませんでした。
 古墳が築造された4世紀は、中国の史書にも日本に関する記述がなく、
 空白の世紀と呼ばれています。
 天皇陵の発掘を宮内庁が認めていないので、
 考古学的なアプローチも限定的です。
 まだまだ、驚くような物が
 古墳に眠っているかも知れないなぁと思いました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最強寒波・・・

2023年01月26日 19時05分33秒 | 日記
 24日から日本列島を最強寒波が襲っていました。
 各地で大雪の被害が出ていますので、
 あるいは何かの被害に遭われた方もいるかも知れませんね。
 今回の寒波、特に西日本で被害が大きかった印象です。
 24日、京都の山科駅と大阪の高槻駅の間で、列車15本が立ち往生し、
 乗客約7000人が最大10時間閉じ込められる問題が起きました。
 これまで、このような寒さや雪がなかったのかも知れません。
 何となく慣れていないような感じがしました。

 宇都宮も寒い日が続いていますが、
 幸いな事に雪が降らずに済みました。
 24日は、鬼怒川温泉のチョッと先まで行く用事がありました。
 何とか大丈夫かなと思ったのですが、
 途中で降られると帰るのか大変かと思い、
 下今市まで車で行って、そこから電車にしました。
 帰る時には、晴天になって青空が見えましたが。

 昨日は友達に誘われて、日光に蕎麦を食べに行くことになっていましたが、
 雪が降っている様子だったので、
 市貝町にちゃんぽんを食べに行きました。
 友達がピックアップしてくれるのを待っている間寒かったですが、
 ちゃんぽんは友達のお勧めの通り美味しかったです。

 2018年1月27日、やはり寒さが厳しかった時に、
 給湯器が凍ってハラハラした事があります。
 そんな事があったので、ここの所給湯器が凍らないよう、
 風呂の湯を抜かないようにしています。
 給湯器は凍結しそうになると自動的に温める機能があるそうなので、
 大丈夫かと思っていました。
 これまで水道も少し出していたのですが、
 昨夜は出すのを忘れて寝てしまいました。
 今朝は、何の用事もないので、7時半まで寝ていました。
 水道を出そうとしたら水が出ません。
 しまった!と思ったのですが、それほど時間が掛からずに出ました。
 給湯器は大丈夫かと試してみましたが、出ません。
 前回と同じように、給湯器へ水を送る送水管が凍結したのかも知れません。
 水道を出し忘れたから凍結したのかどうかは分かりません。
 何度か試してみたのですが、結果的に午後1時過ぎにお湯が出ました。
 ホッとしました。
 今朝は、宇都宮の最低気温は-7.5度だったとの事です。
 明日の最低気温の予報は-1度との事なので、安心出来ると思うのですが。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安房小湊へ・・・

2023年01月25日 18時46分26秒 | 日記
 4日目の21日には、千葉県の安房小湊に行って来ました。
 安房小湊は行政区画では鴨川市になります。
 息子たちが小さかった時に、1度行った事があります。
 鯛の浦で遊覧船に乗った覚えはあるのですが、
 その他の事などは、どうもよく覚えていません。
 そんな事もあり、行ってみようかと思った次第です。
 4日間では、一番暖かい所に行くと思っていたのですが、
 結果的には一番寒い日でした。

 安房小湊には、東京から特急の「わかしお」で、2時間弱です。
 もう少し大きな駅かと思っていましたが、
 田舎の小さな駅で、駅の周囲は食堂や物産店も見られませんでした。

 安房小湊では誕生寺に行ってみたいと思っていました。
 誕生寺は、日蓮の弟子の日家が日蓮の生家跡に
 高光山日蓮誕生寺として建立したものです。
 その後の地震や津波によって、現在地に移転されたもので、
 現在、生家跡伝承地は沖合いの海中にあるとの事です。
 日蓮宗では、重要な位置付けなので、やはり立派な寺院でした。
 祖師堂で何かの法要を行っていました。
 野太い導師の読経の声や法具の音など、迫力があると思いました。

 鯛の浦には遊歩道があります。
 風が強くて寒かったのですが、半ば自棄になりながら、
 弁天島が見える所まで歩いて帰って来ました。
 遊覧船にも乗るつもりだったのですが、
 船上は更に寒そうですし、波が高くて船に酔うかもと思い、
 止めてしまいました。

 海の近くに行くのだから、
 美味しい刺身でも食べようと思っていたのですが、
 余りに寒いので、汁物が食べたくなり見掛けた蕎麦屋に入ってしまい、
 温かいタヌキ蕎麦を食べました。

 蕎麦屋から日蓮の両親の墓所のあると言う妙蓮寺に行って、
 指定席を抑えている特急までの時間をつぶす場所がないかと思い、
 1本早い特急で帰る事にしました。

 そう決めて、歩いていたら磯崎神明宮と言う小さな神社を見付けました。
 どんな所かと思って石段を上がった時、
 猿の一群が近くから飛び出して来て山の方に逃げました。
 中の1匹が家屋から崖崩れ防止の金属製のネットに飛び移りました。
 見事なジャンプだと思っていました。
 猿の内、何匹かは山に入らずに僕を見ていました。
 襲って来たらどうしようかとも思ったのですが、
 その気配はなかったので、にらみ合っていました。
 それも飽きたし、早い列車の時間もあったので帰って来ました。

 4日間、拙い旅日記にお付き合い頂き有難うございました。
 本来ならば。写真をご覧頂くと雰囲気もお分かりになるかと思うのですが、
 利用しているフォト蔵の不具合の解消に時間が掛かっていて、
 写真がアップ出来ないでいます。
 メンテナンスが終了したらアップしますので、ご覧頂ければ幸いです。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大磯町へ・・・

2023年01月24日 18時37分10秒 | 日記
 3日目の20日は、神奈川県の大磯町に行って来ました。
 大磯は、明治時代の政府の中枢にいた人たちの別荘がありました。
 そんな事から行ってみようかと思った次第です。

 大磯までは、東京駅まで新幹線で行って、
 そこで東海道線に乗り換えました。
 在来線で1時間強と言う感じです。
 途中、真っ白な富士山が見えて来ました。
 暖かだったからでしょうか、
 少し霞んでいましたが、やはり富士山は良いですね。
 大磯駅前に、エリザベス・サンダースホームの門がありました。
 エリザベス・サンダースホームはご存知の方も多いかと思いますが、
 三菱財閥の創業者の岩崎弥太郎の孫娘の澤田美喜が、
 戦後開いた児童養護施設です。
 施設内に澤田美喜の記念館があるのですが、休館日で観られませんでした。

 駅前からバスに乗って、
 神奈川県立城山(じょうやま)公園に行ってみました。
 城山公園は2つの地区に分かれていて、1つは旧三井財閥の別荘跡です。
 また三井財閥かとの思いもありましたが、
 ここには建物がほとんど残っていません。
 しかし、展望台からの富士山の眺めは素晴らしかったです。
 愛知県犬山市にある国宝の茶室如庵は、
 一時期この三井家の別荘にあったとの事で、
 今は如庵を模した茶室がありました。
 如庵は2018年5月28日に観た事があります。
 http://tennnennkozimitearu.seesaa.net/article/a66726747.html
 また、敷地内に大磯町の郷土資料館が建てられていました。

 城山公園のもう1つの地区が
 国道1号を挟んで反対側にある吉田茂の旧邸です。
 昭和20年代に建設され、吉田茂が住んでいましたが、
 2009年(平成21年)に焼失してしまいました。
 現在は、それが復元されて公開されています。
 詳しくは下記をご覧下さい。
 http://www.kanagawa-park.or.jp/ooisojoyama/

 城山公園の近くに手頃な昼食場所がないので駅に戻りました。
 うどん屋があり、大磯辺うどんと言うのがありました。
 竹輪1本の磯辺揚げが入っていました。
 とても美味しかったです。

 うどん屋から鴫立庵に行ってみました。
 鴫立庵は俳諧道場で、京都の落柿舎、滋賀の無名庵と並び、
 日本三大俳諧道場の一つとの事です。
 敷地内に建てられた石碑にある銘文「著盡湘南清絶地」から、
 「湘南発祥の地」とされています。
 名前は、西行の
 「こころなき 身にもあはれは 知られけり 鴫立沢の 秋の夕暮」から
 取っています。
 この歌には面白い話があります。
 下ネタですが、宜しければ下記をご覧下さい。
 https://blog.goo.ne.jp/tennnennkozi/s/%E9%B4%AB

 鴫立庵から島崎藤村の旧宅に行きました。
 島崎藤村は、晩年の約2年をこの家で過ごし、亡くなっています。
 昭和の普通の民家と言う感じでしたが、藤村は気に入っていたようです。

 更に、現在整備中の明治記念大磯邸園に行ってみました。
 「庭園のみ見学可、建物内見学不可」とあったので、
 建物の外観は観られると思ったのですが、建物は改修工事中でした。
 陸奥宗光と大隈重信の別邸が宙に浮いていました。
 工事が完了すると、良い公園になりそうです。

 バスに乗っている時に「統監道」とのバス停が気になりました。
 島崎藤村邸の解説の方に伺ったところ、
 伊藤博文が、1905年(明治38年)に、
 韓国に設置した統監府の初代統監に就任しました。
 その頃、伊藤が大磯駅と住まいの滄浪閣を往来する便を図るため、
 伊藤本人はもとより、多くの有力者からの寄付により道を整備したそうで、
 そのため、統監道と呼ばれるようになったそうです。
 現在も使われていて、車のすれ違いは困難な位の細い道でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

多賀城へ・・・

2023年01月23日 19時34分02秒 | 日記
 2日目の19日は、宮城県多賀城市に行って来ました。
 多賀城市は、
 仙台市の東側にある史跡などの多い所で、史都と呼んでいます。
 かねてから、多賀城の碑を見てみたいと思っていました。
 多賀城の碑はご存知の方も多いかと思いますが、
 群馬県の多胡の碑、栃木県の那須国造碑と並んで
 日本の三古碑と呼ばれています。
 三古碑は、必ずしも古い方から3つと言う訳ではなく、
 書道史の上で重要とされている金石文です。
 多胡碑も那須国造碑も見ているので、
 これで3古碑を全部見た事になります。

 多賀城市にはJRの駅が2つあって、
 仙石線の多賀城駅と東北線の国府多賀城駅です。
 当初、色々検討していて、これが分かりづらかったですね。
 観光案内所がそれぞれにありますが、
 国府多賀城駅前のそれがプレハブ造りだったのが不安な気がしていました。
 行ってみたら案の定閉まっていて、
 普通ならば表に出ているマップもありませんでした。
 どうしようかと迷っていたら、
 近所の気のよさそうな小父さんが案内してくれると言うので、
 ご厚意に甘える事にしました。

 多賀城は、
 724年(神亀元年)、按察使大野東人が築城したとされています。
 お分かりのように、来年は築城1300年になります。
 このため、多賀城南門の復元工事をはじめ、周辺の整備工事が行われ、
 道路の付け替えなども行われていて、
 親切な小父さんがいないと、道に迷ったかも知れません。
 無事に多賀城の碑を見て、政庁の跡などにも連れて行ってもらいました。
 多賀城は古代の城柵だと思っていたのですが、
 広大な敷地を有する国府が置かれていたのを知りました。
 小父さんの案内で、その後陸奥総社宮に行き、
 更に荒脛巾(あらはばき)神社に行きました。
 荒脛巾は記紀神話や伝統的な民話などに登場しない謎の神とされています。
 多賀城の荒脛巾は腰から下にご利益があるとの事で、
 多くの靴などが奉納されていました。
 腰から下ですから、男根の奉納もありましたが^^

 その小父さんに案内されて浮島神社に行き、駅前で別れました。
 名前も連絡先も交換しませんでした。
 昨年9月に奥様を亡くされたとの事で、
 そんな話を歩きながらお聞きました。
 半日付き合わせてしまって申し訳なかったとは思い、
 お昼でもと言おうかと思ったのですが。

 午後、東北歴史博物館に行きました。
 博物館に入る前に、テイクアウトの弁当を買って、
 日向ぼっこしながら博物館のベンチで食べました。
 長閑な気持ちになれて良かったです。
 博物館では、キングダムの特別展をやっていて、
 受付の女性に勧められましたが、それは従わずに、
 常設展だけを見て来ました。
 中尊寺金色堂の柱の模型などもあり、中々立派な展示でした。
 その後、多賀城廃寺跡を見て帰って来ました。

 やはり写真を撮ったのですが、
 まだフォト蔵のメンテナンスは終わらないようなので、
 終わったらアップしようと思っています。
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

江戸東京たてもの園へ・・・

2023年01月22日 19時42分39秒 | 日記
 4日ほど日記を休んで出掛けていました。
 長くお付き合い下さっている方は、
 あれかとお思いになられたかと思いますが、
 JR東日本の大人の休日俱楽部の
 日間乗り放題のパスを使って出掛けていました。
 昨年は、色々あったのでパスを使えませんでしたので、
 2021年7月に
 富山県の高岡市、新潟県の村上市、秋田県の横手市に行って以来です。
 JR東管内は、雪の降る地域が多いので、今回はそれを避けました。
 今回も、4日間日帰りで出掛けました。
 家に早く帰った日もあったのですが、
 疲れてしまったので、日記は書けませんでした。

 初日の18日は、東京都の江戸東京たてもの園に行って来ました。
 以前から行ってみたかったのですが、
 中央線の武蔵小金井駅からバスで行くので、宇都宮から行くのには面倒で、
 中々行く気になれませんでした。
 行きたい所にはなるべく行こうかと思った次第です。

 江戸東京たてもの園は、
 江戸・東京の歴史的な建物を移築保存し展示する目的で、
 東京都小金井市の都立小金井公園内に設置された野外博物館です。
 全部で30棟の建物が移転・復元されています。
 エントランスの建物自体が、1940年(昭和15年)に
 紀元二千六百年記念式典の会場として皇居外苑に造営された旧光華殿です。

 建物を見始めて、
 これは凄いと思ったのが、建築家の前川國男の邸宅でした。
 前川國男はご存知の方も多いかと思いますが、
 ル・コルビュジエ、アントニン・レーモンドの元で学び、
 モダニズム建築の旗手として、戦後の日本建築界をリードした人です。
 代表作は、東京都文化会館、埼玉県立博物館、東京都美術館、
 熊本県立美術館、山梨県立美術館、宮城県立美術館などです。
 邸内に入って、
 大屋根の中央に吹き抜けの居間とロフト風の2階を配していて、
 とても良い雰囲気の建物でした。
 群馬県高崎市の旧井上房一郎邸に通じるものがあるかと思いました。
 旧井上房一郎邸は、
 アンソニー・レーモンの住まいを写したとされています。
 前川國男は前述のようにアンソニー・レーモンの影響を受けています。
 旧井上房一郎邸は下記をご参照下さい。
 http://tennnennkozimitearu.seesaa.net/article/474672417.html

 三井八郎右衞門邸は、戦後に京都から港区麻布に移築された
 財閥三井本家の和風邸宅です。
 旧三井家下賀茂別邸は、
 以前行きましたがやはり似ているような気がしました。
 http://tennnennkozimitearu.seesaa.net/article/a66486767.html

 子宝湯は、1929年建築の足立区千住にあった宮造りの銭湯です。
 ペンキ絵の富士山はもとより、
 昔行った銭湯の雰囲気に懐かしくなりました。
 物心ついてから、初めて女湯に入りました^^

 2021年11月23日に高橋是清翁記念公園に行った事がありました。
 そして、そこで邸宅が江戸東京たてもの園に移築されている事を知り、
 是非行ってみたいと思っていました。
 高橋是清は、この邸宅で2・26事件に遭い殺害されました。
 2階が現場ですが、2部屋あり、
 どちらの部屋だったかは分からないそうです。
 記念公園は下記の通りです。
 http://tennnennkozimitearu.seesaa.net/article/485900848.html

 その他、建物などについて書き出すとキリがありませんので止めますが、
 とにかく素晴らしい建物が多かったです。
 入園料が大人400円ですが、65歳以上は200円で、
 何か申し訳ないような感じがしました。
 説明や案内をしてくれる職員も多く、女性が多かったですが、
 皆さんにこやかで親切な感じで、好感が持てました。

 園内の様子を撮って来たのですが、
 現在、フォト蔵が不具合でメンテナンス中のためアップ出来ません。
 出来るようになったら、アップしたいと思いますので宜しくお願いします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする