天然居士の独り言

主に日記主体のブログです。

びわ湖毎日マラソン・・・

2021年02月28日 19時08分53秒 | 日記
 今日、びわ湖毎日マラソンが行われました。
 琵琶湖沿いを走るこのコースでのマラソンは、今回が最後になるとの事でしたので、
 久しぶりにこれを観戦していました。
 琵琶湖はもとより、石山寺の前や瀬田の唐橋の近くを通る
 風光明媚なコースだと思います。
 これだけ水の見えるコースも他にないような気がしますので、
 今回で最後になるのは、残念な気がしました。
 放送したNHKも、その辺を意識したのでしょうか、
 琵琶湖の眺めもかなり盛り込まれていたように感じました。

 このマラソン大会は、比較的平坦で、高速コースとされていました。
 しかし、最後のレースで日本新記録が誕生するとは思いませんでした。
 結果はご承知の通り、2時間4分56秒で鈴木健吾選手が優勝しました。
 36km付近で、給水を取り損ねたので覚悟を決めてスピードを上げたとの事でしたが、
 独走になって、日本新記録が出るか、日本人初の4分台が出るのか、
 ハラハラしながら見ていました。
 これまでの記録は、昨年の東京マラソンでの、大迫傑選手の2時間05分29秒でした。

 初めて2時間10分の壁を突破したのが、
 1978年の別府大分マラソンで宗茂選手が2時間09分5秒6の記録でした。
 それまで宇佐美彰朗選手が保持していた2時間10分37秒8の日本記録を
 7年3カ月ぶりに更新しました。
 その後、1分刻みで見ていくと、2時間08分台まで約5年、
 2時間07分台までは約3年と記録更新が続きましたが、
 2時間06分台への突入はその後、約13年間掛かりました。
 さらに高岡寿成選手が2002年に2時間06分16秒の日本新を出して以降は、
 2018年2月25日の東京マラソンで、
 設楽悠太選手が2時間06分11秒の記録を出すまで、
 15年4カ月も日本記録の更新はありませんでした。
 しかし、その後2018年10月7日のシカゴマラソンで、
 大迫傑選手が、2時間05分50秒で05分台に入り、
 大迫選手はこの記録を更に縮めていたのですが、
 その1年後に2時間04分台に突入した訳です。
 ここのところ、日本人男子の選手も力を付けて来ているのでしょうね。
 これからの記録の伸びが楽しみです。
 因みに、1964年の東京オリンピックの時、
 エチオピアのアベベ・ビキラが優勝した時の記録が2時間12分11秒2で、
 これは当時の世界最高記録でした。
 この50年余りの間に、シューズや練習方法など技術革新があったのでしょうが、
 マラソンの記録も大幅に向上していると改めて思いました。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2・26事件・・・

2021年02月26日 19時01分06秒 | 日記
 今日は2月26日です。
 今から85年前の1936年(昭和11年)2月26日、
 青年将校らによるクーデター未遂事件である、2・26事件が起こりました。
 先日読んだ本の中に、東京で起きた大事件の日は大雪だったとの話がありました。
 その大事件とは、下記の通りです。
 「赤穂浪士討ち入り」、元禄15年12月14日(1703年1月30日)
 「桜田門外の変」、安政7年3月3日(1860年3月24日)
 「二・二六事件」、昭和11年2月26日(1936年2月26日)
 もっとも、今日のネットに載っていた饒村曜さんと言う気象予報士の方の記事によると、
 昭和11年2月26日は、3日前の大雪による積雪が残っていて、
 青年将校たちが行動を起こした午前4時には雪は降っていなくて、
 襲撃が終わった後の午前8時頃から降り出したとの事でした。

 2・26事件については、
 2015年に「宇都宮と2・26事件」とのタイトルで書きました。
 手抜きで恐縮ですが、それをコピーしておきます。

 2・26事件の反乱軍の中心的人物の1人安藤輝三大尉で、
 安藤は旧制宇都宮中学に在学していました。
 安藤大尉の父親安藤栄治郎は中学の英語の教師で、
 1917年(大正6年)に第二鹿児島中学から宇都宮中学転勤になった関係で、
 輝三も宇都宮中学に転入します。
 安藤栄次郎は、その後慶応義塾の舎監になります。
 安藤輝三は中学2年の時に陸軍の仙台幼年学校の試験に合格したため、中途退学します。
 そのため、卒業者名簿には載っていませんが、
 現在の宇都宮高校に残る「半途退学者名簿」には載っているとのことです。

 幼年学校から陸軍士官学校と言う、戦前のエリートコースを歩んだ安藤は、
 昭和10年に歩兵第三連隊の中隊長となり、当時の青年将校の指導的な役割を果たします。
 安藤は決起への参加を最後まで渋っていて、参加を決意したのは23日の事でした。
 反乱当日、安藤は、鈴木貫太郎侍従長宅を襲撃し、
 銃撃した後、止めをさそうとしますが、侍従長の夫人に懇願され、思い止まります。
 このため鈴木貫太郎は一命を取りとめ、後に総理大臣になり、
 太平洋戦争の幕引きをします。
 鈴木貫太郎は、安藤輝三は命の恩人だと言っていたとの事です。

 2月29日に、有名な「兵に告ぐ」が出され、
 安藤大尉はピストルで自決しようとしますが、叶いませんでした。
 その後の軍法会議において死刑の判決が下り、刑死しました。

 反乱軍は、首相官邸も襲撃しますが、
 当時の首相岡田啓介の秘書官松尾伝蔵が岡田首相に似ていたため、
 誤って射殺され、岡田首相は難を逃れます。
 この、松尾伝蔵は元陸軍大佐で、妻のトシホは岡田首相の妹です。
 松尾は1919年(大正8年)から、宇都宮の歩兵59連隊の連隊長を務めていました。
 大正年間に宇都宮に住んだ人物が、
 2・26事件の時には、加害者と被害者に別れてしまった訳です。

 安藤輝三が所属した歩兵第三連隊には、
 後に埼玉県知事になった畑和が二等兵で所属していましたし、
 落語家の柳家小さんもいました。
 ともに、事情が分からぬままに、警視庁の占拠に出動したとの事です。
 僕の父親は、制圧部隊として参加しました。
 当時、宇都宮にあった第14師団の騎兵第18連隊にいた親父にも
 出動命令が下り、東京まで出掛けたそうです。
 どの方面だったのか、生前聞いておけば良かったと思いますが、
 今は聞く事ができません。

 なお、明日は所用により日記などを休ませて頂きます。
 ご承知おき下さい。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

足利市の山火事・・・

2021年02月25日 19時01分43秒 | 日記
 ここのところ、全国のニュースでも報じられている栃木県足利市の山火事ですが、
 21日に発生してから5日目になったのに、鎮火の見通しが立っていないようです。
 空気が乾燥していて消火活動が難航しているとの事で、
 市は引き続き合わせて207世帯に避難勧告を出しています。
 今日午後3時の時点でおよそ100haが焼け、
 さらに燃え広がっているとの事です。

 現場は、足利市にある両崖(りょうがい)山で、標高は251mほどです。
 報道では、両崖山に接する天狗山(標高259m)にも火の手が広がっているとの事です。
 この山は、足利市中心部にある山で、観光名所の織姫神社からのハイキングコースもあり、
 市街地を望む眺望も良い事から、多くの人で賑わう場所です。
 原因は、煙草の火との話もありますが、いずれにしても人為的なもののようです。

 ここのところ、余り雨が降っていないために乾燥していたところに、
 やはり風が強かった事もあって、火事が広がったのだと思います。
 栃木県では、この時期乾燥し風も強いので、山火事が起こる事があります。
 1977年(昭和52年)3月15日には、
 旧黒羽町・旧馬頭町において1,518ヘクタールが焼失する大規模な山火事がありました。

 既に自衛隊のヘリコプターなどの消火活動が行われています。
 地元だけではなく、県内各市の消防なども応援に駆けつけているようですが、
 特に今回は市街地の近くなので、心配しています。
 この近くに、知り合いの家があるので、昨日電話をしてみました。
 とにかく、煙や臭いが酷くて大変だと言っていました。
 消防も住宅を守る事を最優先にしていると思いますが、頑張って欲しいと思います。

 その知り合いも言っていましたが、
 ここまで広がってしまうと雨が降る以外難しいかも知れません。
 明日降るかと思っていましたが、
 今のところの予報では、雨が降るのは関東南岸で、足利市の周囲は降らないようです。
 しかも土曜日には、また風が強くなるとの予報なので気になります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

孔子廟訴訟・・・

2021年02月24日 20時11分48秒 | 日記
 孔子を祭る「孔子廟」の敷地として、
 那覇市が社団法人に土地を無償で使わせたのは、
 政教分離を定めた憲法に違反するかの点が問われた裁判の上告審判決で、
 最高裁大法廷は今日、「違憲」と判断しました。

 政教分離をめぐる過去5件の大法廷判決では、
 いずれも神社と国や自治体との関わりが問題になりましたが、
 儒教施設に関する判決は今回が初めてです。

 問題になったのは、那覇市の松山公園にある「久米至聖廟」です。
 1335㎡の敷地に、孔子像を置く建物や儒学と沖縄の歴史を学べる施設などがあり、
 一般社団法人「久米崇聖(そうせい)会」が2013年に市の許可を得て建設したもので、
 市は「体験学習施設」と公益性を認め、年576万円の使用料を免除していたものです。
 久米至聖廟は儒学の祖である孔子やその門弟が祭られ、
 正殿や琉球で最初の公立学校とされる「明倫堂」などで構成されていました。
 14世紀に中国福建省などから琉球に渡来し、
 琉球王朝の繁栄を支えた久米三十六姓が17世紀に久米村で廟を建立したのが始まりで、
 18世紀には明倫堂が建設され、儒学教育が行われました。
 しかし至聖廟は沖縄戦で焼失し、
 1975年ごろ、那覇市若狭の久米崇聖会所有地に再建されました。
 2013年に久米地域にある松山公園に移転し、
 今でも地域に向けて論語の講座などが開かれているとの事です。

 2018年の那覇地裁判決は、孔子の霊を迎える祭礼を年に一度行っていることや、
 施設に一般公開されない部分がある閉鎖性に加え、
 孔子の「世俗化」を拒むような崇聖会の姿勢に着目し、
 儒教が宗教かに関わらず「宗教的性格の色濃い施設だ」とし、
 運営を支える使用料の免除は
 「国の機関たる地方公共団体による宗教的活動」にあたると判断したもので、
 今回の最高裁の判断もこの一審の判断に基づくもののようです。
 最高裁判決では、儒教が宗教であると判断している訳ではなく、
 久米至誠堂で行われている儀式や運営などを総合的に判断したものようで、
 年に1度行われている、孔子の生誕を祝う釋奠祭禮(せきてんさいれい)について
 「神格化した孔子をあがめる宗教的意義を有する儀式」と指摘しています。

 儒教が学問なのか宗教なのかは、面白い問題だと思っています。
 僕は、若い頃に「論語」を読んで以来、何度か読んでいて、
 特に専門的に学んだ訳ではありませんが、興味を持っています。
 仏教もキリスト教も神道も宗教である事は間違いないと思うのですが、
 では儒教はとなると、宗教ではなく倫理や哲学などの学問だと思っています。
 その点からすれば、儒教ではなく儒学と呼ぶべきなのかも知れません。
 栃木県の足利市の足利学校に孔子廟があり、やはり年に1度釋奠が行われています。
 今回の判決を受けて、こうした行事をどうするのか気にはなります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

酒場放浪記・・・

2021年02月23日 19時13分21秒 | 日記
 「吉田類の酒場放浪記」と言うテレビ番組をご存知でしょうか?
 毎週月曜日夜9時からBSTBSで放送されている番組です。
 1時間番組で、15分ずつ4店舗を紹介していますが、
 撮り下ろしは、最初の1店舗だけで、残りの3店舗分は、以前放送したものの再放送です。
 緩い感じの低予算番組と言う印象ですし、いい加減な感じもしますが、
 そのいい加減さが嫌いではありません。
 僕も、毎週必ず観る訳でなく、いい加減に観ています。

 昨夜、この「吉田類の酒場放浪記」が1000回を迎えたとの事で記念番組がありました。
 番組が始まったのは、2003年9月の事で、
 当初は大人の趣味を紹介する「グッドライフ」という番組の1コーナーでした。
 吉田さんの人柄と飲みっぷりが、共感を呼んだとの事で、
 2009年4月から現在の月曜午後9時のレギュラー枠となりました。
 BSTBSの番組では、1000回に到達したのは初めてとの事なので、
 看板番組になっているようです。

 番組は、冒頭、酒場から近い駅付近に吉田さんが現れ、
 その街の酒場事情などについてコメントし、
 その後、付近の名所・施設・店舗などを散策します。
 散策の後、酒場に入り店舗の様子を紹介し、
 吉田さんが実際に注文、飲食しながら酒肴に寸評を加えます。
 常連たちとの交流も定番のシーンで、この番組では「ご常連」と呼んでいます。
 最後は、店から出た吉田がのれんの前でまとめのコメントをし、
 次の店にハシゴに向かうという体で終わりますが、
 その後ろ姿に、吉田さんが詠んだ俳句が入ります。
 昨夜の番組では、リモートでゲスト出演した俵万智さんが、
 冒頭と最後の吉田さんの後ろ姿を短歌に詠んでいました。

 吉田類さんは、イラストレーターでかつ俳人であり、酒に造詣の深い方です。
 最近は、NHKなどにも出演しています。
 昨年の11月23日には、「吉田類のにっぽん百低山」との番組が
 NHKのBSプレミアムで放送されていました。
 いずれ、また別の低山を紹介されるのかも知れません。

 僕が、このタイトルで日記を書くのは2回目です。
 2014年2月26日に書いています。
 この時は、僕がかつて上司と行っていた宇都宮市内の居酒屋が、
 2日前の番組で放送されて、驚いたので書きました。
 その居酒屋のご主人は亡くなって驚いた事を、やはり亡くなった上司の事と併せて、
 2018年6月28日の日記に書きました。

 僕は、酒を飲まない訳ではありませんが、それほど強くはありません。
 一人でふらっと居酒屋に入って飲んだ事は、これまで数回程度です。
 この「酒場放浪記」は、もっと酒が強ければ、
 僕もこんな風に各地の酒場を歩けたのにとの思いで、観ています。

 吉田さんは、番組では47都道府県の全部の居酒屋を紹介しているとの事です。
 現在71歳ですが、
 次の目標は、順当ならば2023年9月に迎える20周年だと昨夜の番組で言っていました。
 僕もそれまで楽しみに観ようかと思っています。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暖かい一日・・・

2021年02月22日 18時31分40秒 | 日記
 昨日に続き、今日も暖かいと言うよりは暑い位の1日になりました。
 宇都宮の最高気温は、22度だったとの事で、
 昨日の22.7度を下回りましたが、
 平年よりは12.4度高く5月中旬並みの暖かさでした。
 昨日は、栃木県内の14の観測地点で今年最高を記録しましたが、
 今日は、那須塩原市や日光市などの県北地域で、この記録を更新したようです。
 現在も暖かく、この2日間、エアコンを入れていませんので、
 省エネになったと思います。

 僕は午前11時頃用事があって出掛けましたが、
 昨日よりも暑いように感じました。
 出掛けたついでに、お昼を食べようと思いました。
 何を食べようかと考えるまでもなく、冷たい蕎麦で決まりだと思いました。
 以前書いた中国人のやっている蕎麦屋さんではなく、
 昨年から行き出した、東武デパートの近くの蕎麦屋さんです。
 やはり以前書きました、ラブホテルの前を通って行く店です。
 ここの蕎麦は、透き通るような白さの更科で、美味しいと思っています。
 メニューが豊富な店で、ご飯物もありますし、半分の丼物もあります。
 しかし、今日は冷たい蕎麦を食べたいと思ったので、
 単純に大盛り蕎麦にしました。
 今年最初の盛り蕎麦でしたが、冷たくてサッパリとして、春を感じました。

 これまた以前書きましたが、
 僕が通っていた高校では、下駄履きでの通学が認められていました。
 蛮カラを気取った連中は朴歯の下駄でしたが、
 普通の生徒が不通に下駄を履いていました。
 僕も下駄で通学していましたが、途中から下駄履きでの自転車が禁止になり、
 それからは下駄を止めてしまいました。
 でも下駄は好きです。
 特にこの季節、少し寒いと感じながらも素足になって履く下駄は、
 春を実感できたと思っています。
 大学に入学して、下駄を持って行って履いてみましたが、
 電車内、あるいは駅の階段など、危ないと思って履かなくなりました。

 以前、やはりこの時期に下駄を履きたくなって、家の下駄箱を探してみましたが、
 残っていませんでした。
 買おうかとも思ったのですが、
 舗装されて勾配のある道の上を歩くのは危ないかと思い買っていません。

 天気は、このまま暖かさが続く訳ではなく、また寒さが戻るようです。
 余り一気に暖かくなると、夏の暑さが気になりますので、丁度良いのかも知れません。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新諸国物語・・・

2021年02月21日 18時34分39秒 | 日記
 昨日は、テニスの全豪オープンで大坂なおみ選手が優勝しました。
 良かったですね。
 僕は余りテニスを観る事はないのですが、
 放送時間帯も良かったので、最後まで観ていました。

 その後、午後9時20分から、CS放送の時代劇専門チャンネルで、
 「新諸国物語 七つの誓い黒水仙の巻」を観ました。
 正直言って、新諸国物語については全く知らなかったので、
 これは何だろうと言う気分でした。
 観た後、少しこれについて調べてみました。
 新諸国物語は、1952年から平日の午後6時30分から45分までの間、
 NHKでラジオドラマとして放送された、北村寿夫原作の一連の冒険活劇です。
 全部で7作あって、下記の通りです。
 白鳥の騎士(1952年放送)
 笛吹童子(1953年1月5日 - 12月31日放送)
 紅孔雀(1954年1月4日 - 12月31日放送)
 七つの誓い(1955年放送)
 オテナの塔(1956年1月2日 - 12月31日放送)
 天の鶯(1959年放送)
 黄金孔雀城(1960年放送)
 この内、「笛吹童子」は1960年、「紅孔雀」は1961年から62年にかけて、
 テレビドラマ化されていますので、これは観た記憶があります。
 テレビドラマより先に、それぞれ東映が映画化しています。
 ラジオ・テレビ・映画のいずれかでご存知の方も多いかも知れませんね。
 なお、山城新伍主演で有名だった「風小僧」は、
 「紅孔雀」のスピンオフ作品との事でした。

 余談ですが、笛吹童子と紅孔雀の主題歌をご存知の方も多いかと思います。
 いずれの曲も作曲は福田蘭童ですし、「七つの誓い」もそうでした。
 蘭童は、夭逝した洋画家の青木繁と、洋画家の福田たねの子どもです。

 昨夜観た「新諸国物語 七つの誓い黒水仙の巻」は、
 1956年に製作された映画ですが、カラーでした。
 出演した俳優も、中村(萬屋)錦之介、東千代之介、千原しのぶ、大川橋蔵、丘さとみ、
 山形勲、吉田義夫、月形龍之介など当時の東映の人気俳優が出ていました。
 内容は、子ども向けなのですが、
 ヒマラヤ山麓の村や日本が出て来て、話が飛び過ぎている感じでしたし、
 踊りのシーンなども長く、子ども達は分かったのかなと思ってしまいました。
 活劇シーンは沢山あったので、それなりに人気があったのでしょうね。
 最後のシーンは、さらに話が続くと言う感じでしたので、
 続編があるのかも知れません。
 また、放送されたら観てみたいと思いました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花粉症・・・

2021年02月20日 18時42分00秒 | 日記
 僕は花粉症です。
 いつ頃から目が痒くなるようになったのか分かりませんが、
 2月か3月には目が痒くなって、朝などに目を洗う薬で目を洗っていました。
 日記を確認したのですが、2008年頃には目を洗っていたような感じです。

 2009年2月には、近所の内科医から薬を処方してもらったのですが、
 継続して服用しないで済んだようです。
 それからは、やはり目を洗うだけで済ませていましたが、
 血圧の薬を処方してもらっている内科の医師から、
 花粉症の薬も処方してもらうようになったのは、2015年2月からです。
 それ以降、毎年内服薬と目薬を出してもらっています。
 この内服薬、厄介なのが空腹時に服用するもので、
 朝起きた時に飲むように言われています。
 ところが、朝ボーっとしていて、よく飲み忘れてしまいます。
 飲み忘れても、特にくしゃみが頻発したり、鼻水が出続けたりしませんので、
 まだ、それほどの重症ではないのかも知れません。
 あるいは、今年は、新型コロナウイルスの関係で、
 これまで、ほとんどしなかったマスクを常用していますので、
 そのせいなのかも知れませんが。

 もう1つ厄介なのが目薬です。
 僕の場合、花粉症は目に来るようなので、目薬は必要なのですが、
 中々上手く点せないでいます。
 僕が不器用だと言うのが、一番の理由なのでしょう。
 俗に2階から目薬と言いますが、正にそのような感じです。
 キチンと計った訳ではないのですが、
 薬の3分の1位は目に入っていないような気がします。
 特に、久しぶりで目薬を点す今頃が上手く行きません。
 これも例年の事で、慣れて来る頃には、大体花粉症の時期が過ぎるのだと思います。

 今日は、外科に行って来ました。
 以前から行っている太股の痛みの薬がまだ止められないでいます。
 少しずつ量を減らしていますが、時々飲み忘れた時に、痛みが出る感じです。
 この外科は、いつも混んでいて、行くと3時間は掛かります。
 今日は幸い2時間で済みました。
 そのままお昼を食べて、少し宇都宮城址公園を散歩して来ました。
 公園の河津桜が咲き出していました。
 やはり今年の春は暖かくなるのが早いのかも知れません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東北新幹線・・・

2021年02月19日 18時09分37秒 | 日記
 昨日は上京していました。
 2月13日深夜の地震で、東北新幹線は現在一部区間で不通になっています。
 今日、JR東日本は、2月24日始発から全線で運転を再開すると発表しました。
 再開後も当面の間、一部区間で速度を落として運行するため、
 列車本数は通常の3分の2程度となり、
 東京・仙台間や東京・盛岡間の所要時間も1時間程度長くなるとの事ですし、
 通常ダイヤに戻すのは3月下旬ごろを見込んでいるとの事です。

 昨日は、東京駅と那須塩原駅の間は運行していましたが、臨時ダイヤになっていました。
 それなので、当初は在来線で行こうかと思ったのですが、
 このような時の新幹線の様子はどんな状況かと思い、新幹線で行く事にしました。
 東北新幹線が一部不通のため、山形新幹線や秋田新幹線も止まっているようです。
 多くの方が不便な思いをされているのでしょうね。

 臨時ダイヤを確認したら、
 朝は通勤客用なのだと思いますが、概ね20分に1本程度は走っています。
 しかし午前8時台になると1時間で1本になってしまいます。
 そのため、午前7時50分の列車に乗りました。
 ネット上などでは、福島県内の方などが、
 那須塩原駅まで車で来て新幹線を利用しているとの噂があり、
 普段よりも混んでいるかと思ったのですが、
 それほどの事はありませんでした。
 帰りは午後6時台から午後8時台は概ね1時間に2本運行していましたが、
 それを過ぎると1時間に1本になっていました。

 10年前の東日本大震災の時の状況を調べてみました。
 3月11日に地震があって、
 3月15日には、同じく東京駅と那須塩原駅間が開通しました。
 あの時は、那須塩原駅の周辺では、路上駐車の車が沢山あったとの話がありました。
 放射能が恐ろしくて、逃げたいと思われた方が多かったのかも知れません。
 3月22日に、盛岡駅と新青森駅間が開通し、その後徐々に開通区間が増えましたが、
 全線で震災前に戻ったのは半年後の9月23日だったとの事です。
 在来線の復旧は更に時間が掛かって、
 常磐線が上野駅と仙台駅の間の全線が復旧したのは昨年の3月14日でした。
 昨年11月26日に、この常磐線の特急で福島県の双葉町に行き、
 さらに在来線で仙台駅まで行った事は以前日記に書きました。
 JR東日本では、今回の東北新幹線の不通に合わせて、
 上野駅と仙台駅間の特急列車を増発しているとの事ですが、
 それでも片道4時間30分程度は掛かるはずです。
 新幹線ならば、最速で片道1時間30分程度ですから、やはり大変だと思います。

 今回の地震により、電柱などの倒壊があった事ですし、
 何よりも安全の確保が最優先ですから、
 ある程度時間が掛かるのは止むを得ないのでしょうね。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

防犯カメラ・・・

2021年02月17日 18時42分37秒 | 日記
 先日の事です。
 僕は、普段よく通る路地を歩いていました。
 その路地の出口(一方通行です)の角に、僕の友人が営む店があります。
 誰かと話している彼の声が聞こえて来ました。
 近づくと、彼と2人の若い男が話しています。
 何かの営業か仕事の関係かなと思ったので、
 通り過ぎようと思ったのですが、彼と目が合ったので、挨拶をしました。
 何か言いたそうでもあったし、何となく話が終わりそうな感じでしたので、
 3人から少し離れた所で待っていました。

 2人が去った後、友達と話をしました。
 それによると、来ていたのは警察官で、
 特定の日の時間帯の防犯カメラの映像を見せて欲しいとの話だったそうです。
 防犯カメラは、店の後ろの3台ほど置ける駐車場に付いていました。
 カメラの角度からすると、確かにその路地を通る人が映っていそうです。
 何かの事件の被疑者の足取りを追っているのでしょう。

 僕は、そのような場所に防犯カメラが付いているのは知りませんでした。
 その路地は頻繫に通りますので、僕は何度も映っている事になります。
 もっとも、ここしばらく、宇都宮市内を他の人と歩いた事がありません。
 いつも一人ですから、何らかの問題がある訳ではありませんが。
 彼の所の防犯カメラは、一定期間が過ぎると古い映像の上に新しい映像を録画するので、
 古い映像は自動的に消去されるとの事です。

 そうは言っても、
 何かヤバい事をした時には、この路地は通らないようにしようと思いましたし、
 この路地を通る時には、出来るだけみすぼらしい姿は避けて、
 歩くのも颯爽と歩かなくてはいけないと思いました。

 その話を聞いた後、何度かその路地を通りました。
 歩くのには一方通行は関係ありませんから、
 カメラの前を行ったり来たりしています。
 これまでは、自然体で歩けましたが、どうもカメラが気になります。
 友達に言わせると、そんな映像を一々見ている暇はないとの事でしたが。

 考えてみたら、街中にそのような防犯カメラが沢山あると思います。
 不審者と思われないよう、気を付けて歩かないといけないなぁと思いました。

 明日は所用により日記等を休ませて頂きますので、
 ご承知おき下さい。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする