天然居士の独り言

主に日記主体のブログです。

5日ほど・・・

2023年06月26日 18時55分23秒 | 日記
 明日から5日ほど日記を休ませて頂きます。
 明後日から、
 例によって大人の休日倶楽部パスを利用して出掛ける予定でいます。
 明日は、所用があったり、準備などもあるため休みます。

 長くお付き合い下さっている方はご記憶があるかも知れませんが、
 僕は、JR東日本の大人の休日倶楽部に入っていて、
 会員特典として、特定の期間内の連続する4日間、
 JR東日本管内の列車に乗り放題の切符が、年3回ほど発売され、
 これを利用して、出掛けています。
 これまでも、ほとんど日帰りで出掛けていますが、
 今回も4日間日帰りする予定でいます。
 したがって、夜には帰宅するのですが、
 これまでも日記を書く余力はありませんでした。

 この時期なので、天候が気になっています。
 それでしばらく前から、
 毎日天気予報を睨みながら行く先を考えていました。
 なるべく天気の良い地域、雨に降られた時に余り濡れずに済む場所など、
 色々考えてはみたのですが、
 まぁ最終的には行ってみないと分からないと言う結論に至り、
 思い切って出掛ける事にしました。

 どこに行くのかと気になる方もいらっしゃるかも知れませんが、
 一応の予定は出来ていますが、
 天候や僕の疲労度などによっては変わるかも知れません。
 今回はJR東管内だけとだけ申し上げて置きます。
 誰と行くのかとも思われる方もいらっしゃる方もいるかも知れません。
 これまでと同じように、全て一人です。
 一人だと自由に予定を変更出来るので楽だと言う事もありますが、
 誰も一緒に行ってくれる人がいないと言うのが本当の理由です。

 予定通りだと、来月2日にはご報告出来るかと思います。
 そのような次第ですので、ご承知おきください。
 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

G7関係閣僚会議・・・

2023年06月25日 19時15分57秒 | 日記
 G7の広島サミットは、
 先月の19日から21日まで行われ終わりましたので、
 まだG7かとお思いの方もいるかも知れませんが、
 昨日から男女共同参画・女性活躍担当大臣会合が栃木県日光市で開催され、
 今日閉幕しました。
 閣僚会合は、15もあるそうで、
 国内でこんなに開かれているとは思いませんでした。
 12月の茨城県水戸市での内務・安全担当大臣会合まで続くようです。
 関係閣僚会議がいつから行われているのか分かりませんが、
 男女共同参画分野の閣僚会合は2017年の
 イタリア・タオルミーナサミットから始まったとの事です。
 栃木県内では、しばらく前から騒がれていたので承知していましたが。

 各国の閣僚らは昨日の午後2時過ぎ、
 日光市中宮祠の県日光自然博物館に到着し、
 地元の高校生の演奏などを聴いた後、
 奥日光の自然や歴史の展示を見て、
 更に中禅寺湖の遊覧船に乗ったり、
 最近できた高級ホテルでのレセプションなどを行ったとの事です。
 G7各国の閣僚が集まっても余り効果があるとは思えませんが。

 今月の20日、世界各国の男女格差を調査し数値化した
 「ジェンダーギャップ指数」が発表され、
 日本は146か国中、125位となった事はニュースになりました。
 この調査は世界経済フォーラムが毎年、
 「政治参加」「経済」「教育」「医療へのアクセス」の4つの分野に基づき
 発表しているとの事で、
 日本は去年と比べ順位を9つ下げ、
 アジア諸国の中でもベトナムやタイ、韓国、中国を下回ったそうです。

 このような中で関係閣僚会議を、よく開催出来たなとも思いますし、
 議長を務めたのは、小倉将信男女共同参画担当大臣でしたが、
 恥ずかしくなかったのかなとも思います。
 閣僚たちの記念撮影が行われましたが、
 小倉大臣だけが男で、他は全員女性でした。
 正に、黒1点ですね。
 これを見ても、日本は遅れているなぁと思いました。

 サミットについては、以前にも書きましたが、
 アメリカのお友達の国の親睦会のように感じています。
 栃木県としては、日光を世界にアピール出来たと言っているようですが、
 果たしてどれだけの効果があったのでしょうか。
 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無線ラン・・・

2023年06月24日 18時43分57秒 | 日記
 我が家では無線ランを使用しています。
 CATVから受けたのを、無線ランで飛ばしています。
 これまでは、2階の居間の近くまでCATVの受け口が来ていたのですが、
 昨年光回線に切り替えた際に、
 受け口が電話機の近くでないとダメだとの事で、
 1階に無線ルーターを移し、少し距離もあり壁などもあるので、
 出力の大きなものに買い替えて、これまで安定して使えて来ました。

 ところが、最近何故か接続が安定しなくなりました。
 ネットに繋がるのに時間が掛かったり、途中で切れたりしていました。
 先日来た次男が、スマホを使いながら何だか安定しないと言っていました。
 その対応策として、
 オフラインの作業は従来通りの居間で行っていましたが、
 ネットにアップするなどの時は、
 パソコンを階下に持って行ってやっていました。
 階下ならば安定して繋がっています。
 これも手間と言えば手間なのですが、
 もう少し様子を見て、
 直らないようならCATVに訊いてみようかと思っていました。

 パソコンはそれで良いのですが、
 テレビもインターネットに接続していて、
 動画配信サービスで映画を観たりしています。
 やはり、ここのところ次第に動画配信サービスに繋がらなくなりました。
 楽しみの映画が観られないのは辛いですし、
 テレビを階下まで持って行くのは不可能に近いです。
 困ったなぁと思っていました。

 昨日、ネットでこのような場合の対処法を調べてみました。
 すると、無線ルーターを再起動すると直る場合があるとの事でした。
 無線ルーターの再起動ってどうやるのかよく分かりませんでしたが、
 ネットの情報では、一度電源を落として、
 しばらくしてから電源を入れるように書いてありましたので、
 それでやってみました。

 そうしたら、あら不思議と言う事もないのでしょうが、
 無事に繋がるようになり、安定した感じにもなりました。
 本当にホッとしました。

 これまでネットの接続が安定しなかったので、
 色々な調べものに時間が掛かるため、後回しにしていましたが、
 今日は、日中調べもをしていました。
 疲れましたが、改めてネットの有難味を感じました。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昼飲み・・・

2023年06月23日 18時22分47秒 | 日記
 昨日は、後輩との酒飲みでした。
 先月あった先輩のお祝いの会で顔を合わせ、
 その内飲みましょうと言われていました。
 1か月ほど時間が空きましたが、少し前に連絡があり昨夜になりました。
 午後5時との指定に少し早いなと思いました。
 彼と待ち合わせの場所に向かう途中、別の後輩と行き会いました。
 その後輩も、これから酒飲みだと言っていましたが、
 やはり午後5時だと言っていました。
 高齢者の酒飲みは時間が早いようですね。

 以前、宇都宮でも昼飲みをやっている店を2軒ほど知っていました。
 昼飲みとは言っても、午後からの開店だったような気がします。
 2軒ともノスタルジックな感じの店で、
 1軒は天井が低く薄暗い感じがしました。
 もう1軒は古い建物で、天井が高く広々としていました。
 小林旭がギターを抱えて出て来ても不思議ではないと、
 よく人に話していました。
 両方の店とも既に廃業してしまったと思いますが、
 営業していた頃は、夕方から仕事帰りの人で賑わっていました。
 僕が知らないだけで、他にもあったとは思います。
 競輪場の近くでも、昼から酒を出す店があったような気もします。

 東京では、昼から開いている店や飲んでいる人を何度も見掛けました。
 宇都宮では、上記の店が閉店してから、
 余り見掛けないなぁと思っていましたが、
 最近は、昼飲みやっていますの看板などを見掛けるようになりました。
 そんな店が多くなっているのかなと思っていました。

 昨夜飲んだ後輩にその話をしたら、
 最近はスタート時間が早くなっていると言っていました。
 遠方から来る人がいる場合などは、
 昼飲みをやっている店を探して集まると言っていました。
 そう言えば、先月の中学のクラス会も昼からでした。

 昔は、夜遅くまで飲んでいましたが、
 最近は、2軒目に行く事はほとんど無くなりました。
 夜は若者の時間、昼は年寄りの時間なのかも知れないと思いました。
 もっとも、僕は飲み歩きはしませんが、
 夜型人間であるのは変わっていません。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧友・・・

2023年06月21日 18時59分43秒 | 日記
 昨日は、午前中から午後まで会議が続きました。
 午前と午後、それぞれ別の会議でしたが、このような事も珍しい事です。
 疲れるかと思って、日記を休んだ次第です。
 家に帰って美味しいビールで喉を潤しました。

 今日は、たまにお昼を食べに連れて行ってくれる友人とのランチでした。
 友人は2人で、共に高校の同級生で、かつて同じ職場に勤めていました。
 いつも一人の車に乗って出掛けます。
 今日はどこに連れて行ってくれるのかと思ったのですが、
 日光市の中心部に、やはり高校の同級生がやっている蕎麦屋があるので、
 そこに行こうと言う話でした。
 お昼近くに待ち合わせて、友人の車で日光市まで行って来ました。

 日光市は町並みが整備されて綺麗になりました。
 それぞれの店がセットバックしたのでしょう、
 歩道が広がり新しい店も増えていました。
 友人の蕎麦店には、以前1・2度行った事があります。
 かつて同居人と行った覚えがあります。
 日光に着いたのは、午後1時近くになりました。
 友人の店に行ったら、店の前の3台分位の駐車場は満車で、
 店の外にも行列が出来ていました。
 流行っているなぁと話ながら、
 市営の無料駐車場に車を入れて彼の店に行きました。
 やはりすぐには店に入れませんでしたが、
 少し待ってから店に入れました。

 席に付いて、注文してから、調理場の友人に声を掛けました。
 彼と会ったのは、2011年5月11日の高校の同窓会以来だと思います。
 しかし、すぐに向こうが僕の名前を言ってくれたので、
 覚えてくれていたのでしょう。
 待っていたら、注文しないそばがきや湯波の煮物が出て来ました。
 京都では湯葉と書きますが、日光では湯波です。
 奥さんがサービスですから召し上がって下さいと言うので、
 遠慮なく頂戴しました。
 只だからと言う訳ではありませんが、いずれも美味しかったです。
 そして蕎麦です。
 少し汁が辛めかなと思いましたが、これもとても美味しかったです。
 自家製粉手打ち蕎麦と言うだけあります。
 まだお客が入って来ていましたので、余り長い話は出来ませんでしたが、
 丁寧にお礼を言って、また来ると約束して帰って来ました。

 道々車の中で、色々な話も出来ましたので、楽しいランチでした。


 休みが続いて恐縮ですが、明日も用事があるので、
 申し訳ありませんが、日記などは休ませて頂きます。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

留岡幸助のこと・・・

2023年06月19日 17時59分28秒 | 日記
 5月27日の日記で、岡山県高梁市に行った話を書いた時に、
 留岡幸助の事は別途書くと書きましたが、
 ついつい遅くなってしまいました。
 留岡をご存知の方も少ないかと思いますが、
 日本の社会福祉の先駆者で、
 感化院(後の教護院、現在の児童自立支援施設)教育の実践家です。
 留岡は、1864年4月9日(元治元年3月4日)に
 現在の高梁市で生まれています。
 19歳だった1882年に、
 日本組合基督教会高梁基督教会堂で洗礼を受けました。
 この教会堂が現在の建物かと思っていましたが、
 1889年(明治22年)の建設との事ですから、建物は違いました。
 1894年(明治27年)から1897年(明治30年)にかけてアメリカに留学し、
 感化事業を学びました。
 帰国後、東京府の巣鴨監獄で教誨師を務めながら、
 感化院設立のために奔走し、
 1899年(明治32年)、
 現在の豊島区に、民間感化院「家庭学校」を設立しました。
 この「家庭学校」は、
 現在は児童養護施設となり東京家庭学校として続いています。
 1914年(大正3年)、「流汗悟道」の信条のもと、
 大自然の中での農作業などの労働体験を通じて感化事業を行うため、
 北海道遠軽町に130万坪(439ha)の広大な国有地の払い下げを受け、
 東京家庭学校の分校として、北海道家庭学校を創設しました。

 何故、ここまで留岡幸助について書いて来たかと言うと、
 僕は、1988年(昭和63年)に
 この北海道家庭学校に行った事があるからです。
 北海道家庭学校は、10数人の児童が1つの寮で生活し、
 教護の夫婦やその家族と一緒に生活する夫婦小舎制を行っています。
 この時は、ある寮に泊めてもらって
 2泊3日で児童たちと共に生活をして来ました。
 児童たちは、午前中勉強し、午後は農場などで働きます。
 留岡の理念に基づき、野菜作りや環境整備、敷地内の土木作業、山林作業、
 除雪、炊事など、生活に必要な作業活動を
 児童と職員・家族が共に取り組む生活を教育活動の中心に置いています。
 児童が作った枝豆は、見た目は綺麗ではありませんが、
 味が濃くてとても美味しかったのを覚えています。

 当時の校長は、谷正恒先生でした。
 家庭学校の敷地内には、
 1919年(大正8年)に建てられた礼拝堂があります。
 現在は北海道の有形文化財になっていますが、
 素朴な感じですが、とても厳かな気分になります。
 その礼拝堂で、谷先生から教護事業の様々な事を話して頂きました。
 たまたま、帰る日が5日だったので、
 敷地内にある平和山に登り、留岡幸助の遺髪を納めた記念碑の前で黙祷し、
 讃美歌を歌って来ました。

 家庭学校の本館の前に留岡の胸像があり、
 その下に「一路到白頭」との文字が刻まれています。
 「一路白頭に到る」は留岡の言葉で、
 1つの事に生涯をかけるとの意味です。
 先日、高梁市に行った時に、この言葉を思い出し、
 僕は真逆の人生だったなぁと思いました。


 なお、明日は所用により、日記などを休ませて頂きますので、
 お含み置き下さい。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三球照代・・・

2023年06月18日 18時33分37秒 | 日記
 今日は暑い一日でした。
 この夏初めてエアコンを入れました。
 先日、エアコンのクリーニングをやってもらいましたので、
 流石に効きが良いですね。
 午後入れたら、気持ちが良くて起きていられませんでした。

 今日、三球照代のコンビ名で活躍した夫婦漫才の、
 春日三球さんが亡くなったとのニュースがありました。
 亡くなったのは、5月17日で、89歳だったとの事です。
 奥さんの照代さんは、1987年に51歳で亡くなっていたとの事です。
 その後、新しいコンビを結成したり、ピンで活動していたようですが、
 その記憶がありません。
 照代さんとのコンビが絶妙だったからかも知れません。

 三球照代は、1970年代、地下鉄の漫才で一世を風靡しました。
 三球「…しかし、地下鉄の電車をどっから入れたんでしょうねぇ。
    それ考えると一晩中眠れなくなるの」
 照代「あなたも面白いこと言うわね」
 三球「あらかじめ電車を地下に埋めておいてトンネル掘りながら
    『確かこの辺に埋めたよなー』
    『あったぞあったぞ、電車が』なんて」
 照代「そんなわけないじゃないの」
 三球「じゃ、あなた知ってるんですか?
 照代「当たり前じゃない。地下鉄の階段から入れたんですよ」
 三球「え、そうなんですか?」
 照代「常識よ」
 三球「そうなんですか。よく改札が通れましたねぇ。
    それ考えると、また眠れなくなっちゃう」
 照代「寝りゃいいじゃないの。眠そうな顔をして」
 こんな感じの漫才でしたね。

 三球さんのとぼけた話ぶりと間の取り方が大好きでした。
 「黙ってようなぁ」などの独特の言い方を
 時々自分でも使ったりしていました。
 台本を誰が考えていたのか分かりませんが、
 地下鉄に電車をどこから入れるとかなど、
 意表を突くようなネタが
 三球さんの口調に合っているように感じていました。

 僕は、小さい頃から演芸番組が好きで、よくテレビで観ていました。
 最近の漫才は余り面白くなくて観なくなりましたが。
 今は、YouTubeで手軽に昔の映像を観る事が出来ます。
 今夜は、これから三球さんを偲んで、漫才を観ようかと思っています。

 ここのところ、有名人の訃報が多いです。
 昨夜は、元広島カープの投手の北別府さんが
 亡くなったニュースがありましたし、
 今日は、作家で脚本家の平岩弓枝さんが9日に亡くなったとの事です。
 名前を知っている方が亡くなるのは、やはり寂しく感じます。

 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

解散・・・

2023年06月17日 18時41分05秒 | 日記
 ここのところ衆議院の解散が噂になっていましたが、
 僕は、前回の総選挙から2年も経過していないのに、
 何で解散なのかと思っていました。

 昨年7月の参議院選挙の前、政官界では「黄金の3年間」が流行りました。
 一昨年の衆院選に続いて参院選に勝てば2025年まで国政選挙はなく、
 岸田総理は腰を据えて政策に取り組める
 3年間の時間を手にするとの意味です。
 参議院選挙の結果は、ご承知の通り与党が議席を伸ばした訳なので、
 3年間は国政選挙はないと思って来ました。

 参議院選挙直前の安倍元総理の殺害事件に端を発した、
 旧統一教会との癒着の問題や、相次ぐ閣僚の失言などで、
 内閣支持率が急低下しました。
 その支持率が、G7サミットなどで上がって来ましたが、
 それでも岸田内閣発足直後と比べるとまだ低い状況でしたし、
 秘書官だった長男の写真問題などで、再び支持率が下がっていました。
 こうした中、野党側の対応が間に合わないだろうと言うのが
 解散の理由だったのかも知れませんが、
 もしそうだとするならば、余りにも手前勝手な話だと思います。

 実際に総選挙になって、与党がそこそこの議席を獲得したならば、
 次に来るのは大増税だと思っていました。
 防衛財源確保法が成立していて、税外収入を使う事になっていますが、
 これは、税外収入があるのならば、
 財政の再建や税金を安くするために使うべきものです。
 その観点からすれば実質的な増税だと思っています。
 更に、異次元の少子化対策の財源が決まっていません。
 防衛費にしても少子化対策にしても、
 ばら撒くだけばら撒いて、その尻ぬぐいは税金以外ありません。
 何でも良いから増税したいと考えているのが
 財務省の考えのような気がします。

 そうした状況の中で、何で解散の話が出たのか理解出来ません。
 あるいは、自民党内での政権基盤を強化するため、
 岸田総理は力を示したかったのかも知れないとも思いますが、
 どうでしょうか?
 ともかく、総理大臣が持つと言われている解散権を
 玩んだような感じがします。
 これだけ解散をほのめかして、あっさりやりませんと言うのは、
 逆に岸田総理個人の力量を問われる事になりそうな気がします。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

足尾・・・

2023年06月16日 19時00分41秒 | 日記
 足尾は、現在は合併して、日光市になっています。
 江戸時代からの銅山として知られ、大量の銅が採掘されましたが、
 明治時代に入ってから、極端に採掘量が減ったところで、
 古河市兵衛が払下げを受けて経営を行って再建し、
 20世紀初頭には、
 日本の銅産出量の40%ほどの生産を上げる大銅山に成長しました。
 それと同時に、日本最初の公害事件となる足尾鉱毒事件が起きました。
 その後、1973年(昭和48年)に閉山になり、
 1988年(昭和63年)にそれまで続いていた精錬部門も廃止されました。

 足尾銅山の閉山から50年になりますが、
 この足尾を45年に渡り描き続ける
 埼玉県草加市在住の女性画家の個展が開かれているとの事で、
 知り合いに勧められたので、今日観て来ました。
 先日のNHKの県域ニュースで、
 この知り合いがインタビューを受けていた事もありました。

 絵画は、精錬所などの建物があった頃から、
 煙突だけが残る現在までの姿が描かれていました。
 中にはヘリコプターに乗って上空から見た様子も描かれていました。
 それと同時に、公害で樹木が無くなった荒々しい山が、
 少しずつ緑化されて来た様子も描かれていました。
 絵も素晴らしいけれども、貴重な資料かもしれないと思いました。

 僕は、就職した若い頃、仕事で何度か足尾に行きました。
 当時は、日足トンネルが貫通はしていましたが、
 出来たばかりで通行は出来ませんでした。
 そのため、細尾峠と言う
 車のすれ違いも困難な所のある道路を通って行きました。
 泊まった事も数回あります。
 油絵の他にスケッチも何点か展示されていて、
 こちらには足尾の町の風景がありました。
 見覚えのある建物などもあり、懐かしくなりました。

 足尾にはしばらく行っていません。
 調べてみたら、2007年4月29日に長男と行ったのが最後のようです。
 その後、町がどのように変化したのか、見に行っても良いかと思いました。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小銃の発砲・・・

2023年06月15日 18時41分53秒 | 日記
 14日午前9時10分頃、岐阜市の陸上自衛隊日野基本射撃場で、
 18歳の自衛官候補生が男性隊員3人に向け小銃を発砲し、
 2人が死亡する事件が起きました。

 昨日、この事件を知った時に真っ先に頭に浮かんだのが、
 先日観た映画の「フルメタルジャケット」でした。
 この映画は、ベトナム戦争の話ですが、その前に多くの時間を割いて、
 アメリカ軍の海兵隊での新人訓練の様子が描かれています。
 教官に虐められ、仲間からも嫌われていた訓練生が、
 卒業の前に、教官を射殺して
 自分も自殺するとのエピソードが描かれています。
 海兵隊の教官は情け容赦なく罵り、徹底的に新人を責め立てます。
 そうしないと、兵士本人も周囲の仲間も危険だからとの理由なのでしょう。

 実際に自衛隊でどのような訓練が行われているのかは分かりません。
 殺傷能力のある兵器を扱う訳なので、
 訓練は厳しいものがあるとは思いますが、
 現代の若者の状況を踏まえた訓練が行われているのでしょうか?
 陸上自衛隊では、1984年、陸上自衛隊山口駐屯地・射撃場で、
 訓練中の自衛官の小銃発射事件がありました。
 2等陸士(当時21歳)が64式小銃を同僚の自衛官に向け3発発射し、
 4人が重軽傷を負い、うち1人が翌日に死亡しました。
 この2等陸士は、殺人などの疑いで送検されましたが、
 その後の鑑定で「犯行当時重度のうつ病だった」と精神鑑定を受けて、
 不起訴処分となっています。
 今回の自衛官候補生の動機や精神状態などは
 今のところ明らかになっていません。

 1984年の事件の時には、
 2等陸士は小銃と実弾を持ったまま自衛隊車両で逃走し、
 2km離れた山林で逮捕されるまで5時間かかっています。
 今回の事件のあった射撃場の周囲には住宅があるとの事ですので、
 周囲の住民は不安でしょうね。
 岐阜市だけでなく、同様の立地条件は全国各地にあります。

 下野新聞では、背景に隊員不足があるかも知れないとの話が出ていました。
 2021年には、応募者は2万8千人で、実際に受験した人が2万4千人弱、
 合格を出した1万7千人に対し1万2千人が辞退し、
 採用出来たのは5350人で、計画達成率は86%だったとの事です。
 防衛省幹部は、
 「自衛官のなり手がいない事に原因の一端がないか、
  採用基準を下げていないか、
  改めてチェックする必要がある。」と述べているとの事です。

 自衛隊では、
 昨年の女性隊員に対する性暴力問題、
 今年のヘリコプター事故、
 そして今回の事件です。
 岸田総理は防衛力の増強に躍起になっているので、
 防衛省は追い風だと考えているかも知れませんが、
 足元は大丈夫なのかと言う気になります。

 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする