天然居士の独り言

主に日記主体のブログです。

小坂町へ・・・

2019年06月29日 20時44分31秒 | 日記
 25日は、秋田県の小坂町に行って来ました。
 ご存知の方も多いかと思いますが、
 小坂町は明治から昭和にかけて、小坂鉱山の町として栄えた所で、
 その当時の芝居小屋などを利用して、明治百年通りとして整備され、
 2005年(平成17年)度の、
 国土交通省の都市景観大賞「美しいまちなみ賞」を受賞した町です。
 ニセアカシアの並木がありますが、残念ながら遅かったです。

 小坂町へは、宇都宮を6時54分発の新幹線に乗って盛岡に行き、
 盛岡から高速バスで90分、小坂高校前のバス停に着きます。
 ある程度の観光地なので、バスを降りた所に何か案内の看板があるかと思いましたが、
 そのようなものは一切なく、山道を下って行くと、ようやく町の中心部が見えてきます。
 明治百年通りに着いたのは、ほぼ12時でしたので、何か食べようと思いましたが、
 途中にも百年通りにも目立った飲食店がありません。
 駐車場のような広場の隅にお土産屋とそば・うどんの店があったので、そこに入りました。
 毛氈の敷かれた縁台があるだけで、どこで食べるのかと思いましたが、立ち食いでした。

 最初に行ったのが、小坂鉱山事務所でした。
 1905年(明治38年)に建設された、ルネサンス様式の外観を残す建物で、
 1997年まで事務所として使われていましたが、小坂町に無償譲渡され、
 旧小坂鉱山病院跡地に移転復元されたもので、重要文化財になっています。
 内部に螺旋階段があって、とても良い雰囲気の建物だと思いました。
 館内には、小坂鉱山についての展示があり、興味深く見られました。

 鉱山事務所の前には、かつて「聖園天使園」という保育園だった建物もあります。
 現在は天使館と名付けられていて、玄関には修道女と小さな女の子の像もありました。

 次に行ったのが、芝居小屋の康楽館でした。
 建物は国の重要文化財で、
 旧金毘羅大芝居(香川県仲多度郡琴平町)や永楽館(兵庫県豊岡市)とともに、
 日本最古級の劇場の一つとして知られています。
 1910年(明治43年)に、小坂鉱山の厚生施設として建設されたもので、
 小坂町が譲渡を受けて、現在でも毎日大衆演劇が行われています。
 入口を入ると、担当の青年が案内してくれました。
 2階席の手すりには、キセルの焼け焦げなども残っているなど、
 当時のままの姿で残っています。
 更に、舞台や花道の下のいわゆる奈落も案内してくれて、
 花道にあるせり舞台であるすっぽんや、舞台上の周り舞台なども、
 現在でも人力で動かしているとの事でした。
 行った日にも公演がありましたが、空いている楽屋を見せてもらいました。
 壁一面に多くの役者のサインがありました。
 俳優の小沢昭一は、康楽館を支援していたとの事で、色紙がありました。
 座席は総て畳敷ですが、桟敷席には傾斜を設けていて、見やすくなっていました。
 また、1階の後ろには、枠で囲った監視場があり、戦前には、官憲が常時いたそうです。
 この日は、午後2時から新月海斗さんの芝居があり、既にお客が少し入っていました。
 案内の方に、失礼だがと断わって、どの位のお客が来るのか訊いてみました。
 団体が来るとほぼ満席になるが、普段では10人位の時もあるとの事で、
 観客が何人でも公演はやると言っていました。
 7月には、松竹大歌舞伎が来て、
 松本白鸚と幸四郎の襲名披露が2日間あると嬉しそうに話していました。

 その次に行ったのが、レールパークです。
 廃線となった旧小坂鉄道の駅と線路がそのまま施設になっています。
 寝台特急「あけぼの」の車両を利用した宿泊施設もあり、
 その内の1両は中を観る事ができます。
 冷房が効いていたので、座席に座って一休みしました。
 僕もかつて、寝台特急に乗ったことがありますが、その時の事などを思い出して、
 とても懐かしい気持ちになりました。

 最後に、小坂町総合博物館郷土館に行きました。
 小規模な博物館ですが、面白い物がありましたので、写真に撮って来ました。

 予定した施設を見ても、まだバスの時間まであったので、
 赤レンガ館を使ったカフェに入り、コーヒーを飲みながら休憩しました。
 入口の売店の女性が、アフリカオオミミズクと言うフクロウを飼っていて、
 面白いので、少し見せてもらいました。

 明治百年通りから小坂高校までは、かなりの上りになります。
 大変だろうなぁと思ったら、大館行きのバスが小坂高校前を通るとの事なので、
 これで小坂高校前に行きましたが、30分以上バス停で待つ事になってしまいました。
 16時31分発のバスに乗り、
 盛岡駅で新幹線に乗り次いで、20時16分に宇都宮に着きました。

 明治百年通りは、周囲の街中とは切り離した感じで整備されていて、
 普通の観光地のようなお土産屋や飲食店が並んでいるのとは異なり、
 俗世間を離れた別天地のような趣がありました。
 綺麗な水が流れる水路や、花壇や樹木の手入れなども行き届いていて、
 多分住民の方の熱意も感じました。
 今回は時間に余裕もあったので、のんびり歩く事が出来てとても良かったです。

 25日の写真は下記にアップしましたので、宜しければご覧下さい。
 http://photozou.jp/photo/album/2882708

 明日は所用により日記などは休ませて頂きますので、
 お含みおき下さい。

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4日ほど・・・

2019年06月28日 15時31分28秒 | 日記
 4日ほど日記を休みました。
 大人の休日俱楽部パスの期間ですから、
 どこかに出掛けたのだろうと思われた方もいるかも知れません。
 25日から出掛けていたのも間違いありません。

 日記を休む時には、出来るだけ前もって書いておくようにしています。
 24日もその旨書いて早めに寝ようと思っていました。
 少し時間が空いたので、前々から何度か通知が来ていた、
 Windows10の更新プログラムを実行しようと思いました。
 この更新に時間が掛かりましたが、
 終わってパソコンの作業を始めようとしたら、ネットに繋がりません。
 慌てて、プロバイダーのサポートに電話をしました。
 担当の方の指示に従い色々やってみましたが直りません。
 メーカーの方に問い合わせてもらう方が良いとの事なので、
 メーカーのサポートに問い合わせました。
 最初のガイダンスで、Windows10の更新プログラムに関しては、
 マイクロソフトのサポートに問い合わせてくれと言われました。
 そちらに問い合わせようとしましたが、その時点で営業が終了していました。
 そのような次第で、ネットに繋ぐことが出来ませんでした。
 出掛けるのを取り止めようかとも思いましたが、
 天気も良さそうですし、前から計画していましたので、
 帰ってから直す事にしました。

 本来ならば、今日も出掛けるつもりでいましたが、
 天気が悪く、台風も来ているとの事ですし、若干疲れていた事もあり、
 なおかつ、今日行こうと思っていた所の指定席が
 目論み通りに取れていないと言う事もあったので、
 今日は出掛けずに、マイクロソフトのサポートに連絡しました。

 営業開始時間に電話を掛けたら、すぐに繋がりました。
 状況を説明し、指示に従って色々な作業をしてみました。
 1時間位で、直ってネットに繋がったのですが、
 最後の確認で再起動をかけてみたら、やはりまた繋がらなくなってしまいました。
 結局、更新されたものを削除して、元のシステムに戻す事で解決しました。

 この方法は、僕も考えていた事でしたが、
 注意書きに何か起こった場合は、自己責任との事でしたので、躊躇っていました。
 サポートの方から起こり得る事を教わりましたが、
 何かあった場合には、サポートからの指示だったという事もあるので、
 勝手にやるよりは、少しは親切に対応してくれるだろうと期待できます。
 ネットに繋がっている時に、画面共有しながら、
 パソコンの状況をサポートの方が調べていましたので、それも役に立つかも知れません。

 そのような次第で、現在のところは無事に使えていますので、
 こうして日記を書くことが出来ました。
 ネット以外で連絡がつく方からは、どうしたのか?との問い合わせもありました。
 有難い事だと思いました。

 どこに出掛けていたのか、詳しいご報告は明日以降にさせて頂きます。
 ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。

コメント (2)
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参院選後・・・

2019年06月23日 15時02分47秒 | 日記
 色々噂があった、衆議院の解散はなさそうな気配で、
 来月参議院議員選挙が行われる模様です。

 ここのところ気になっているのが、参院選後と言う言葉です。
 多くの重要な事項、特に選挙で与党が不利になると思われる事項の公表が
 参院選後に先送りになっています。

 先月来日したアメリカのトランプ大統領に対しては、
 常軌を逸するような接待攻勢を行って、
 農産物や工業製品の関税引き下げが主要項目になっている日米貿易交渉は、
 参院選後に結果を出す事を頼んだようです。
 トランプ大統領がそれを暴露してしまいましたが、
 妥結時期を参院選後に遅らせてもらった訳ですから、
 日本に不利になる事は見えています。

 5年ごとに公的年金の将来的な支給水準の見通しを示す年金財政の検証についても、
 5年前には、6月初旬に公表されていましたが、
 NHKですら、
 「政府・与党内からは参議院選挙を前に結果を公表すれば争点化するおそれがあると
  懸念する声も出ていて、公表は選挙のあとにずれ込むのではないか」と
 報じているように、参院選後になりそうです。

 政府が21日、経済財政運営の指針「骨太の方針」を閣議決定しましたが、
 社会保障費の抑制では、高齢者の就労促進や予防医療など
 反発の少ない項目に紙幅を割き、
 後期高齢者医療制度や年金・介護の見直しといった重要課題には踏み込まず、
 社会保障の給付と負担の見直しについては
 「2020年度の骨太方針で政策をまとめる」と記すにとどめ、
 国民負担増を伴う改革の多くを参院選後に先送りしています。

 何となく、ありとあらゆる手段を使って、選挙に不利な情報を隠し、
 選挙に有利な情勢を作ろうと躍起になっている感じがします。
 本来、国政選挙は、
 今後の日本の行く末に関係する情報を公開して、
 国民の判断を仰ぐべきものだと思います。
 森友・加計疑惑の真相隠し、自衛隊日報隠ぺい、毎月勤労統計のデータの偽装など、
 安倍政権の隠蔽体質が参院選に臨むに当たっても露骨に表れているような気がします。
 国民は、騙され続けるのでしょうか?

 安倍総理は、一昨日と昨日、テレビやインターネットの番組に出演し、
 勝敗ラインを与党で過半数と発言しました。
 この過半数は、改選議席の過半数か、非改選を含めた過半数かは明示していません。
 今回の参院選で与党が改選過半数を確保するためには63議席が必要で、
 非改選を含めた場合は53議席になります。
 言い逃れを許さないためには、
 是非53議席を下回る結果になって欲しいと思いますが、どうなるでしょうか?

 いずれにしても、与党が勝つと、
 国民の負担は増大し、憲法改正に進んでしまうような気がします。

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アラモ・・・

2019年06月22日 16時48分19秒 | 日記
 昨日は、朝の新聞で、映画の「アラモ」をやる事知りました。
 月間の番組予定で見た記憶はあるのですが、
 昨日だとの認識がありませんでした。

 昨日は、朝から雨が降っています。
 これは一日引きこもって家で映画鑑賞かと思いました。
 午前中に雨は上がりましたが^^
 散歩がてらお昼を食べに行って、映画の始まる午後1時には家に帰りました。

 「アラモ」は、ご存知の方も多いかと思いますが、
 ジョン・ウェインが監督し自ら主演した西部劇です。
 メキシコからテキサスが独立した際に、
 実際にあったアラモの戦いをベースにして、1960年に公開されています。
 僕は小学生の頃に、親父に連れられて観た覚えがあります。
 その後、学生時代に名画座で観た記憶がありますし、
 何度かテレビでも観ましたので、よく知っていると思ったのですが、
 こんなシーンがあったかなと思う場面が多くありました。
 特に、戦闘の場面に至るまで、忘れていたのが多かったようです。
 テレビの放映時間は、午後3時45分頃まででしたから、
 通常の上映時間の162分の映画だったのでしょう。
 以前観たテレビの放映はもっと短かったような気がするので、
 あるいは、かなり編集されていたのかも知れません。

 悪い奴から美女を守ったり、酒場での乱闘や多くの牛を運ぶシーンがあったりで、
 古典的な西部劇なのだと思いました。
 ジョン・ウェインは保守的思想の持主でしたから、
 自由のためには命を賭けて戦う男の姿を描いています。
 メキシコ軍の兵士達に対する畏敬の言葉を義勇兵に語らせる点や、
 最後まで残った女性と子どもに敬礼するメキシコ軍の士官たちの姿に、
 騎士道精神と言う言葉を思い起こしました。

 ジョン・ウェインが演じたのが、デビー・クロケットでした。
 歌にもなっているテネシー出身の英雄で、下院議員もやっていました。
 僕は、リチャード・ウィドマークが好きですが、
 彼が演じたのが、ボウイナイフに名前を残しているジム・ボウイでした。
 アラモで死んだから英雄になったのかも知れないなどと思っていました。
 一度観たと思っていた映画も改めて観てみると、
 また別の面が見えてくるのかも知れません。

 映画が終わった後、買い物に行ったり、転寝をしてしまったので、
 日記を書くのが面倒になり、昨日は休んでしまいました。

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夏椿・・・

2019年06月20日 18時19分25秒 | 日記
 夏椿については、昨年も日記に書きましたので、
 長くお付き合い頂いている方はご記憶かも知れませんが、
 我が家にある樹木は、山椒の木と夏椿だけです。

 我が家は25年ほど前に建て替えましたが、
 それ以前の家には、僅かな庭もあり庭木が多少ありました。
 しかし、敷地面積が狭いため、総て処分してしまいました。
 設計士さんが、家の採光を考えて中庭を設けてくれましたが、
 何か樹木を植えた方が良いだろうと言う事になって、
 以前の庭の唯一の生き残りの山椒と新たに夏椿を植えました。
 夏椿は順調に育って、これまで何度か仕事師さんに頼んで剪定しています。
 しかし、その後頼む方がいなくなってしまったため、伸び放題にしていました。
 3年ほど前には、余りにも高くなり過ぎたので、
 僕が剪定してみましたが、その翌年は咲く花が少なくなりました。
 生命力の強い木なのでしょうか、昨年はかなり咲きました。

 今年は6月5日に咲き出しました。
 春先から花芽の数が多かったので、今年はかなり咲くだろうと思っていました。
 夏椿の花は白い清楚な花なので、僕は好きです。
 毎日窓から花を見て楽しんでいます。

 しかし一日花なので、咲いた翌日には落ちてしまいます。
 毎朝、落ちた花を拾うのが、ここの所の日課になっています。
 先日熱海に行って帰った時には、木の周囲に白い絨毯のように落ちていました。
 そのままにしておくのも風情があるのかも知れませんが、
 落ちた花は直ぐに茶色く変色してしまいますので、やはり毎朝拾う事にしています。

 今朝も、昨夜来の雨によるのでしょうか、かなり落ちていました。
 幾つ位落ちているのか、疑問に思ったので、今朝は数えてみました。
 全部で135輪ありました。
 一日に100輪を超えて咲いているのですね。
 改めで驚きました。

 中国の唐代の詩人孟浩然の詩に有名な「春暁」があります。
 「春眠暁を覚えず」の詩ですね。
 「処処啼鳥を聞く」の後、「夜来風雨の声 花落つることを知る多少」と続きます。
 少し季節は違いますし、花の種類も違うのでしょうが、
 今朝、拾い終わって、そんな文句が浮かびました。

 夏椿の花は咲いている時には、
 大きな熊蜂のようなのが飛んできて蜜を吸っているようです。
 地面に落ちると、ダンゴ虫や蟻の御馳走になるようです。
 ダンゴ虫には悪いとは思うのですが、残しておく訳にもいかず、拾っています。
 その代わり、花と一緒に焼却処分になるのは可哀想ですから、
 なるべく払うようにしています。
 花を拾った時の大慌てで逃げようとする様や、
 すぐに丸くなるのを見るのも面白く、楽しんでいます。

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街を歩けば・・・

2019年06月19日 18時20分44秒 | 日記
 昨夜は、栃木県内で大雨が降りました。
 栃木県内でレーダー解析による1時間当たりの雨量が、120ミリになったとの事で、
 記録的短時間大雨情報が出されたとテレビのニュースでやっていました。
 宇都宮市はその頃雨が降っていなかったので、どこで降っているのかと思ったのですが、
 県南部の佐野市辺りだったようです。
 その後、宇都宮市でも降り出しました。
 それほど長い時間ではありませんでしたが、しっかり降りました。
 今朝の下野新聞によると宇都宮市にも大雨洪水警報が出ていたそうです。
 宇都宮市も広いですから、北部で降ったようです。

 結構雨が降ったので、気になるのは田川の様子です。
 どんな感じかなと思って、昼食後散歩がてら見て来ました。
 さすがに水量が多く、流れも速かったですね。
 普段歩く川の左岸側の遊歩道は大丈夫でしたが、
 右岸側の遊歩道には水が上がっていました。
 上流に向かって歩いて行くと、田川が中小河川の御用川と合流する地点があります。
 やはり水量が多くて、御用川沿いの遊歩道の上まで水が来ていました。
 御用川に鉄板が架かっていて、普段それを渡るのですが、
 鉄板の上にまで水が来ていたので、これは危ないと思って引き返しました。

 今日は、街中でよく人に会う日でした。
 家の近所で、お孫さんをベビーカーに乗せて散歩している先輩と会いました。
 元の職場は別でしたが、色々な機会に会っていた先輩です。
 昨年4月に第二の職場も退職していますが、
 毎週2・3回、孫のお守をさせられていると言っていました。

 お昼を食べに行った帰り、昔の職場の顔なじみに会いました。
 中々色っぽい女性で、もう定年に近いのではないかと思います。
 化粧品店に買い物に行った帰りだと言っていました。
 それ以上綺麗になってどうするのかと、お世辞を言っておきました。

 散歩を始めた所で、昔同じ職場だった女性と行き会いました。
 彼女は旧今市市に住んでいますが、よく宇都宮市に来ていて、何度か行き会います。
 電車で来て、駅前でレンタサイクルを借りて市内を走り回っています。
 僕が、帽子も被らず、水も持たずに散歩しているのを見て、
 それは危ないと注意してくれました。
 自分では大丈夫だと思うのですが、
 もう少し暑くなったら、何か考えないといけないかも知れません。

コメント (4)
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カラス・・・

2019年06月18日 17時37分27秒 | 日記
 この日記は、カラスの死骸の話ですので、気持ちが悪くなる方もいるかも知れません。
 そのような方はスルーして下さい。

 今日の午前中は車で出掛けていました。
 用事が終わっての帰宅途中、
 片側1車線の市街地の道路の反対車線のセンター寄りに何か黒い物が落ちているのが、
 遠くからでも分かりました。
 交差点の近くで、先行の車がスピードを落としていますので、
 僕もスピードを落としながら、その物体に近づきました。
 その内、その黒い物体がカラスであるのが分かって来ました。
 動きませんから、既に死んでいます。
 先方の信号が赤なので、順繰りに停車して行きましたが、
 僕の車は、丁度カラスの脇で停まる事になってしまいました。
 もう少し車間を空けて手前で停まっても良かったかと後で気が付きましたが、
 ともかくカラスの脇に停まったので、子細に様子を見ざるを得ない状況になりました。

 そのカラスは、少し胴体が潰れている感じで、3・4片の赤い肉片が飛び散っています。
 対向車線の車は、避けて運転する事が可能な位の道路幅がありますので、
 僕が停まっている間に通った車は、総て避けていました。
 そのため、カラスの体は、それほどの損傷を受けていない感じでした。
 また、羽根もほぼそのままの感じで、
 ネコや他のカラスが肉を啄んだような感じはしませんでした。
 因みに、カラスは鳥類の中では例外的に共食いをするとの事です。
 通行量の多い道路ですから、ネコやカラスも近寄れないのかも知れません。

 羽根の感じが、少し褪せたように見えましたので、
 あるいはかなり高齢のカラスだったのかも知れません。
 しかし、身体に傷がありますから、自然死ではない事は間違いありません。
 道路を歩いていて、轢かれたのかも知れませんが、
 その時には、もっと身体の損傷が激しいような気がします。
 やはり死因は、車にぶつかったのだと思いました。
 どうしてぶつかったのかは分かりません。
 普通の乗用車ではなく、トラックなどの大きな車のような気がしますが、
 その根拠はありません。
 あるいは高齢で、反応が鈍くなっていたり敏捷性が劣っていたのかも知れません。

 僕は、それほど車を運転する訳ではないですが、
 道路上で、犬や猫などが死んでいるのは、最近少なくなりましたが、たまに見ます。
 しかし、カラスなど鳥類が死んでいたのは初めて見ました。
 自分の車に鳥がぶつかりそうになった事はありますが、
 ぶつかった事もありません。
 何となく、鳥は車にはぶつからないものと思っていましたが、
 そうでもないようですね。

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偶々・・・

2019年06月17日 21時22分32秒 | 日記
 先週の木曜日、ある会議がありました。
 ある企業が設立した公益財団法人の会議でした。
 そこで会う人に話をしてくれと頼まれていた事がありました。
 余り大した内容ではなかったので、安請け合いをしてしまいました。
 ところが会議の前後、お互いに他の人との挨拶などがあったため、
 ゆっくりと話す機会がありませんでした。
 頼まれた人には、その旨連絡をしておきました。

 今日は良い天気になりました。
 長年、ある内科で処方してもらっている高血圧の薬が明日で切れます。
 今日の内に、その医院に行かなくてはならないと思っていましたが、
 午前中読んでいた本が面白くて、出掛ける時間が遅くなってしまいました。
 もっと早い時間に出掛けて、馴染の店でお昼を食べようと思っていたのですが、
 遅くなった上に、医院も混んでいて、終わったのが12時を回っていました。
 馴染の店には、混雑する12時前に行く事にしていますので、
 どうしようかと思って歩いていましたが、
 在職中によく行っていた蕎麦屋に、しばらく行っていないのを思い出しました。
 12時過ぎですから、知り合いに会う可能性が高く、それも面倒だとは思ったのですが、
 お腹も空いていたので、その蕎麦屋に入りました。
 幸い店内を見回すと誰も顔見知りがいませんでした。

 大盛り蕎麦と野菜のかき揚げを頼んで待っていたら、
 先日、話をするよう頼まれた人が入って来ました。
 向こうも一人です。
 先日は、どうもと言う挨拶から始まって、世間話をしてから、
 件の頼まれた話をしてみました。
 色々な事情があって、中々頼まれた内容の実現は難しそうで、
 その理由なども話してくれました。
 どこの業界も、外から見ていたのでは分からない事があるのですね。
 余り難しくしてしまっても困ると思い、僕も粘りませんでした。
 それで世間話に戻って、二人とも蕎麦を食べ終わって、店の前で別れて来ました。

 一つ義理が果たせて良かったですが、
 偶々出掛けるのが遅くなって、偶々医院が混んでいて、偶々お腹を空かせたから、
 頼まれ事を果たせた訳で、人生は面白いものだと思いながら帰って来ました。

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熱海へ・・・

2019年06月16日 17時50分01秒 | 日記
 一昨日は熱海に行って来ました。
 熱海で一泊と言うと、
 あるいはお忍びでの温泉旅行かと思われる方もいるかも知れませんが、違います。
 ネットの麻雀グループのオフ会が熱海のホテルで行われたためでした。
 集合は午後1時です。
 この時期に熱海に行くのならば、見たい花がありました。
 以前、ネットの知り合いに教えて頂いた、ジャガランダの花です。
 最近有名になっていて、熱海市では、お宮の松のあるサンビーチの近くに、
 ジャガランダの遊歩道を整備し、
 6月8日からジャガランダフェスティバルを開催しています。
 この花は、咲くか咲かないかその年になってみたいと分からないとの事ですが、
 今年は咲いているようなので行ってみる事にしました。

 宇都宮から熱海までは在来線で直通電車が出ています。
 乗り換えの面倒がありませんし、グリーン車を使うとゆったりと行けます。
 グリーン料金は50kmまでと51km以上で別れていて、
 51km以上の場合、事前購入すれば平日980円、休日780円です。
 しかも大人の休日俱楽部だと3割引きになります。
 東京まで行くのと熱海まで行くのは同じ料金ですから
 コストパフォーマンスが良いのです。
 ただし、時間は3時間40分程度かかります。
 新幹線を利用すれば、宇都宮から新大阪に行ける時間です^^

 午前7時1分発の熱海行きに乗って、熱海に着いたのが10時44分でした。
 熱海の駅が賑わっているのに驚きました。
 観光案内所には多くの人がいて、職員に訊くのも時間が掛かるようでした。
 サンビーチまで下って、ジャガランダの遊歩道に入りました。
 遊歩道に近づくと、甘い良い香りが漂って来ました。
 ジャガランダは、南米原産のノウゼンカズラ科の木で、
 世界3大花木(カエンボク・ホウオウボク・ジャカランダ)の1つとの事で、
 1990年(平成2年)7月に、
 ポルトガル・カスカイス市との国際姉妹都市提携記念として植樹されたのが始まりで、
 2000年には、国道沿いに植樹されて広まったようです。

 ジャガランダが植えられているのは、熱海の海岸沿いです。
 熱海の海岸も人工海浜なので、何となくワイキキの海岸に似ていると思っています。
 海なし県在住の僕としては、海を見るだけで満足してしまいますが、
 今回は、ワイキキの海岸を見て来たばかりなので、それほど感動しませんでした。
 熱海の街中でお昼を食べて、少し歩いてみましたが、
 廃業した映画館などがあって、
 時間があればゆっくり歩いても良いかなと思いました。

 午後1時、参加者全員が揃いました。
 全部で10人ですが、女性7人男性3人です。
 年代は、多分ですが70代7人60代3人だと思いました。
 ホテルの麻雀室で早速麻雀が始まりました。
 そのホテルは昔ながらの温泉旅館なので、麻雀室も広く20台位卓がありましたし、
 何組か麻雀をやっていました。
 最近、ネットの麻雀ばかりなので、実際の牌に触ると、慣れるまでに時間が掛かり、
 点数もすぐに出て来なかったりしました。
 でも、ネットよりは面白いですね。

 麻雀の後、懇親会があって、その後カラオケに行きました。
 女性4人で麻雀を再開した人達もいましたが、僕はカラオケでした。
 栃木県の北部の地酒「天鷹」の一升瓶を持って来てくれた方がいて、
 それを冷で飲みながら、ご自分の畑で採れた落花生を炒って来てくれた方もいて、
 御馳走になりました。
 女性3人の歌が上手なのに驚いてしまいました。

 昨日は、朝食後からまた麻雀を、お昼近くまでやっていました。
 生憎の雨だったので、ホテルのバスで駅まで送って頂き、
 そのまま熱海発宇都宮行きの電車で帰って来ました。
 乗ってから駅弁を食べたので、
 小田原までは覚えていたのですが、その後気が付いたのは品川でした。
 若干疲れましたが、とても楽しい2日間でした。

 ジャガランダの花などアルバムにアップしましたので、
 宜しければご覧下さい。
 http://photozou.jp/photo/album/2882708
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歴史学者・・・

2019年06月13日 15時43分06秒 | 日記
 僕は歴史が好きです。
 何でも古いものが好きなので、自分では好古学と呼んでいます。

 今日のネットのニュースを読んでいたら、
 現代ビジネスの
 「『俗流歴史本』の何が問題か、歴史学者・呉座勇一が語る」が面白いと思いました。
 小説家の井沢元彦さんの『逆説の日本史』などの氏の一連の「歴史ノンフィクション」は、
 史料に基づかない想像を多く交えており、
 学問的な批判に堪えるものではないと切って捨てています。
 この記事によると井沢さんと筆者の呉座さんとは、
 週刊ポスト上で、何度か論争があったようです。
 チョッと長い文章なのですが、ご興味のある方はご一読下さい。
 歴史学を専門とする学者の考え方が分かるような気がします。
 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65110

 20年位前に、ある学者(専門は歴史学ではありません)と酒飲みをしていた時に、
 司馬遼太郎がもてはやされているけれど、
 彼は小説家だから、嘘を書いても良いのだよね。
 学者は嘘は言わないのだけれど、
 どうして学者を信じないで小説家を信じるのだろうと言われた事があります。
 その時はその先生が僕の恩師に当たる方で、仕事上お世話になっていた事もあり、
 特に反論はしませんでしたが、
 歴史的事実を並べただけでは面白くないから、
 事実を踏まえて想像を働かせるのが歴史小説なのだと思います。
 先日、河井継之助の道中日記「塵壺」を読みました。
 その日記から読み取れる河井継之助は、
 金が足りない事を嘆き、外人の家に行って良いのかどうか迷う、
 30歳台の普通の若者の姿だったように感じました。
 司馬遼太郎が名作「峠」の中で描いた河井継之助とは違うかなと思いました。
 「峠」では、「塵壺」の中の文章を結構使ってはいますが、
 描こうとする人物像に合う部分だけを使っている感じです。

 歴史小説は史実とは異なります。
 司馬遼太郎が誰かを取り上げて執筆を始めると、
 関係する資料が神田の古本街から消えるとの話がありましたが、
 それだけ資料を渉猟して描いたにしても史実ではない部分が多いです。
 歴史小説を脚色した大河ドラマなどは、
 更に史実とはかけ離れたものになっているような気がします。
 だから僕は大河ドラマを見ないのですが^^

 最近、歴史修正主義と称される、右派の人達の言動が目立つような気がしています。
 読んでいないで書名を挙げるのも気が引けますが、
 百田尚樹さんの「日本国記」などは、正に「俗流歴史本」なのでしょう。
 単純に娯楽としての読み物ならば構いませんが、
 事実を捻じ曲げて、政治に反映させようとするのは、いかがなものかと思います。

 20年以上前、ある博物館に見学に行った時、
 説明をしてくれた高名な考古学者(既に亡くなられていますが名前は伏せます)に、
 当時脚光を浴びていた年輪年代法について、
 実際の暦年と測定値との検証はどのようにするのか尋ねた事があります。
 そうしたら、それは我々がキチンとやっていますと、ピシャリと言われてしまいました。
 素人が何を言うのかとの態度で、僕もムッとした覚えがあります。
 学者には、そのような反応をする人がいるのも間違いないですが。

 明日はチョッと泊まりで出掛けます。
 明後日には戻りますが、何時に帰るか分かりませんので、
 申し訳ありませんが、日記など2日間お休みします。
 どこに行くか、国外ではないとだけ申し上げておきます。

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