天然居士の独り言

主に日記主体のブログです。

夏越の大祓い・・・

2017年06月30日 20時01分49秒 | 日記
 今日は6月30日、夏越の大祓いの日です。
 ここのところ、何か所かの神社に行きましたが、
 茅の輪が出来ている所がありました。
 昔から、このようにどこの神社でも茅の輪くぐりが行われていたのかどうか、
 気になっています。

 僕が最初に茅の輪を見たのは、2006年6月30日に、仕事の途中で寄った、
 栃木市の大神(おおみわ)神社でした。
 ここは室の八嶋があるので、その1か月位前に行きましたが、
 その日は、一緒に近くまで行った若い職員にも
 室の八嶋を教えてあげようと改めて寄った次第です。
 前に行った時にはなかった茅の輪が出来ていたので、よく覚えています。
 大神神社について、興味のある方は、下記をご覧下さい。
 記事を載せて何年か経った後で、熱心な方からのコメントが寄せられています。
 https://blogs.yahoo.co.jp/tennnennkozi/37394174.html

 僕が小さい頃、この時期を選んで神社に行った訳ではないのですが、
 見掛けた事がありませんでした。
 どうなのでしょうね?
 どこかの時点で、急速に神社業界に広まったような気がしています。
 少しネットで調べてみると、以前は小さくて個々人が持っていた茅の輪が、
 江戸時代初期に大きくなったとの記述がありました。
 もし、この経過などを存知の方がいらっしゃったらご教示下さると有難いです。

 夏越の大祓いと言うと、今年も半分終わってしまった事を意味します。
 改めて月日の過ぎる速さを感じずにはいられません。
 僕が無職になって、3か月が過ぎた事になります。
 無職になる前は、家の片づけや身辺整理など色々やろうと思っていたのですが、
 ほとんど出来ていません。
 いつでも出来る事なので、目を瞑って遊び歩いている感じです。
 遊ぶのを止めようとも思いませんが、
 片付けなども少しはやらないといけないなぁと思います。
 どうなるか分かりませんが、
 年の後半を迎えるに当たり、書いて置くことにしました^^

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旅日記その4・・・

2017年06月29日 20時28分58秒 | 日記
 今回のシリーズの最終日、25日は青森市に行って来ました。
 大人の休日俱楽部切符を買った時には、
 始発の新函館北斗行きのはやぶさ1号の指定席は取れませんでした。
 これを使わないと青森の日帰りは難しいので、諦めて別の所に行く予定でいました。
 鶴岡行きの特急の指定席を変更するため駅に行った時に、
 改めて空席がないか訊いてみました。
 初めはないとの答えだったのですが、盛岡から新青森までならば取れるので、
 仙台盛岡間は立ち席特急券でどうかと言われ、それで手配してもらいました。
 仙台盛岡間は40分程度です。

 青森では、田舎の方に行くAプランと青森市内を回るBプランを計画しました。
 天気が良ければA、悪ければBのつもりでした。
 ところが、土曜日の深夜長男が帰って来ました。
 仕事で外国に行くので荷物を取りに来たとの事でした。
 土曜日は、彼を待っている訳にもいかず早く寝ました。
 25日、Aプランだと帰りは9時過ぎになります。
 彼が帰って来たのに顔を合わせないのもどうかと思い、
 Bプランにして、帰りの新幹線の指定を早い時間に変更しました。
 18時35分に宇都宮駅に着いて、長男と待ち合わせてビールを飲みました。
 このシリーズの打ち上げも兼ねてです^^

 宇都宮を出発したのは、午前6時54分の下りの朝一の新幹線です。
 8時に仙台に着いて、8時6分発のはやぶさに乗り換えました。
 やはり車内は満員で、立ち席特急券の人が何人もデッキにいました。
 僕は、盛岡で指定席に座りました。

 新青森に着いたのが、9時49分です。
 すぐに奥羽本線の青森行きが来て、青森駅に着いたのは10時4分でした。
 駅前に出て、余りにも良い天気なので、
 これならばAプランだったと思いましたが、仕方ないですね。
 駅前からバスに乗って、棟方志功記念館に行きました。
 棟方志功は青森市の出身です。
 1975年(昭和50年)に記念館が出来たとの事でした。
 棟方は、この年、記念館が開館する2か月前に亡くなっています。

 棟方の作品は、例えば「弁財天の柵」と言うように、「柵」を使っています。
 これは、四国の巡礼の際に寺へ納める廻札の事で、
 自分の願いと信念を込める意味で使っているようです。
 また、作品の中に「道祖土頌(さやどしょう)」がありました。
 この板画は、1950年(昭和25年)に、第24回国画会展に出品されたものですが、
 その時は「板歎異経十二芸業仏達板画屏風」とのタイトルでした。
 その後、尊敬する陶芸家の濱田庄司に捧げるため、
 濱田の窯場のある地名を使って変更したとの事です。
 現在も益子町には道祖土(さやど)という地名があります。
 思わぬ所で地名を聞いて嬉しくなってしまいました。

 棟方の旅行記も展示されていて、棟方が福岡県に行った時に、
 先日ユネスコの世界遺産に指定される事になった、宗像大社を知り、
 字は違うけど同音なので、繋がりを感じたとの記述もありました。

 棟方の作品の中に、善知鳥(うとう)神社の祭礼を描いたものがありました。
 謡曲の中に「善知鳥」がありますし、栃木県内の塩原温泉の奥に善知鳥沢があります。
 その外、各地に地名として残っています。
 そんな事から行ってみたくなり、係りの方に場所を尋ねたところ、
 記念館からそれほど遠くない場所で、棟方が小さい頃過ごした場所の近くとの事なので、
 善知鳥神社に回ってみました。
 青森市内では、一番大きな神社との事ですが、
 主祭神が、市杵島姫命・多岐津姫命・多紀理姫命の宗像三女神なのに驚いてしまいました。

 善知鳥神社から、青森市のランドマークになっているアスパムに行きました。
 僕は20年ほど前に青森市に行った事があります。
 その時、アスパムに上りたいなぁと思ったのですが、
 仕事で行ったため、時間がなくて上がれませんでした。
 ようやく念願が叶いました。
 1986年に建設されたとの事なので、老朽化している感じもしましたが、
 展望室からの眺めは良かったです。

 そこから、青函連絡船のメモリアルシップの八甲田丸に行きました。
 アスパムと八甲田丸の間は、青い海公園になっています。
 ウッドデッキの遊歩道があり、海がよく見渡せてとても良い景色でした。
 20年前の朝散歩した時には、釣りをしている人が沢山いましたが、
 現在では禁止されているようです。

 僕は青函連絡船に乗った事はありません。
 それでも、八甲田丸には、どことなく懐かしくなるような雰囲気がありました。
 船内の各所に人形が設置されているのもあるのかも知れません。
 船室には、飾り毛布が展示されていました。
 同居人と横浜の「日本丸」に乗った時に、飾り毛布を見て同居人がいたく感激して、
 彼女の仕事でも使えると、本を取り寄せて勉強していた事を思い出しました。
 船の煙突を利用した展望台に入ったら、今でも油の匂いがしましたし、
 八甲田丸の1階には、本物の列車もありました。

 八甲田丸にいた時から、ねぶたのお囃子が聞こえてきました。
 どこかで練習でもしているのかと思ったのですが、
 「ねぶたの家ワラッセ」に行ってみて、そこから聞こえて来ていたのが分かりました。
 ワラッセは、2011年(平成23年)に完成した、ねぶたを紹介する施設です。
 祭に実際に出た大型ねぶたを展示していて、
 さらに、土日祝日には、ねぶた囃子生演奏&ハネト体験ショーが行われています。
 お囃子を聞き、実際のねぶたを見られて、
 本番の時に来なくても良いかと思ってしまいましたが、
 それほど臨場感がありました。

 ワラッセを出て、お昼を食べました。
 僕は、どこに行っても余り土地の名物は食べません。
 いつも手軽に済ましてしまいますが、
 最後の日でもあるので、魚を食べようと思い、
 青森駅前のお店に入って、海鮮丼にしました。
 ホタテと海峡サーモンが美味しかったです^^

 青森から新青森駅に行って、お土産などを買って、
 15時17分発のはやぶさに乗って無事に長男と合流しました。

 青森の写真をアップしましたので、宜しければご覧下さい。
 http://photozou.jp/photo/album/2882708

 4日間にわたり、拙い旅日記にお付き合い頂き、有難うございました。
 夏は青春18切符のシーズンですし、その次の大人の休日俱楽部切符もあります。
 またどこかに行きたいと思っています。
 
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旅日記その3・・・

2017年06月28日 20時52分22秒 | 日記
 前日鶴岡から帰って、どの位疲れるか分かりませんでした。
 そのため、3日目はもし疲れていたら休息日でも良いかと思っていました。
 しかし、朝起きたら余り疲れた感じがありませんでした。
 前夜、ビールを飲んだのが良かったのかも知れません。
 しかも良い天気です。
 それで、洗濯をしてから、もし行くとしたらと考えていた仙台市に行って来ました。

 仙台市では、市内の観光スポットを巡る循環バスのるーぷる仙台を運行しています。
 平日は20分間隔、土日祝日は15分間隔との事なので、
 行くなら土日かと思っていました。
 バスで巡れば余り歩かないで済むとの頭もありました。

 新幹線の時刻を調べずに9時過ぎに家を出ました。
 駅に着いて、来た最初の新幹線に乗って、仙台に着いたのは10時47分でした。
 宇都宮から仙台は、概ね1時間10分程度です。
 在来線で東京に行くより時間が掛かりません。
 僕が高校時代に友達と行った時には7時間弱掛かりました。

 仙台駅に着いて、るーぷるの一日乗車券を買ってバスに乗りました。
 やはり土日なので混雑していました。
 最初の観光スポット、瑞鳳殿に行きました。
 ここでバスの乗客の大半が降りましたが、同じ位の人が乗ったような感じでした。
 バス停から結構きつい坂を上り、更に石段を上りました。
 瑞鳳殿は、伊達政宗の遺命によって造営された霊廟です。
 残念ながら1945年(昭和20年)の戦災で焼失してしまったため、
 1979年(昭和54年)に再建されたものです。
 桃山文化の遺風を伝える豪華絢爛な装飾はとても綺麗です。
 また、境内には二代忠宗の感仙殿、三代綱宗の善応殿もあり、立派な建築でした。
 瑞鳳殿の脇には、殉死した人の供養塔も復元されていました。
 まだ殉死禁止令が出る前に政宗は亡くなったのですね。

 境内を出たところに、瑞鳳寺と言う立派なお寺がありました。
 仏前に香や花を供えるために造営された寺院である香華院との事です。
 この境内にある冠木門は、
 三代藩主伊達綱宗の側室「椙原お品」邸にあったものを移築したとの事ですが、
 通称は高尾門と呼ばれているとの事です。
 綱村は、吉原の名妓高尾太夫との噂があった人です。
 言う事を聞かない高尾太夫を殺害してしまったとの俗説もあり、
 それが伊達騒動に繋がるとの話もありますが、どうなのでしょうか?
 「椙原お品」が高尾太夫だったのかも知れませんが、
 お品の来歴は、一応明らかになっているようです。

 瑞鳳殿からるーぷるで青葉城址に行きました。
 本丸跡は高台にありますので、仙台の街が一望できます。
 有名な伊達政宗の騎馬像もあります。
 僕は高校時代に来た事があります。
 その時、林子平の日時計があった記憶があるのですが、今はありませんでした。
 ボランティアガイドの方に訊いてみましたが、ご存知ないとの事でした。
 50年以上前の事ですから仕方ないですね。
 林子平は、蒲生君平、高山彦九郎とともに寛政の三奇人と呼ばれた人で、
 海国兵談を著しましたが、こえが幕府から発禁処分を受け、仙台藩で蟄居していました。
 バスの中から、林子平の墓所の表示板を見ましたが、今回は行きませんでした。
 青葉城も広い敷地です。
 本当は、もっと色々見たい気もしたのですが、
 この日はなるべく歩かないようにしようと思っていたので、
 本丸だけをサッと見るだけにしました。

 青葉城から、またるーぷるに乗りました。
 バスは、東北大学の建物の間を走りました。
 さすがに旧帝大ですから、広大な敷地だと思いました。
 丘陵地に様々な学部の建物が、ゆとりを持って建てられている感じでした。
 バスの車窓から見える若者たちも賢そうでした^^

 仙台市で一番行きたかった、大崎八幡宮に行きました。
 初めて見ましたが、とにかく壮麗な建物でした。
 大崎八幡宮は、1607年(慶長12年)に社殿が造立されています。
 現在の日光東照宮は、徳川家光が1636年(寛永13年)に造営したものですから、
 それより古いですね。
 拝殿と本殿を一体化し石の間と呼ばれる一段低い部分を設けていて、
 権現造と呼ばれる建築様式です。
 ボランティアガイドの方は、京都の北野天満宮が発祥だと言っていました。
 調べてみたら、造営は同じ年で、
 発祥は滋賀県大津市坂本の比叡山東麓にある日吉東照宮との事でした。
 日吉東照宮は、天海が創建したものです。

 大崎八幡宮から、仙台駅近くまで戻り、少し青葉通りを歩いて来ました。
 さすがに東北随一の都市ですね。
 土曜日の午後と言う事もあって、多くの人出でした。
 若い人が多い印象でした。
 洗濯物も気になったので、早めに家に戻りました。

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旅日記その2・・・

2017年06月27日 21時34分44秒 | 日記
 大人の休日俱楽部切符利用の2日目、
 23日は山形県の鶴岡市に行って来ました。
 以前、上司の奥様が鶴岡市の出身で、
 「とても良い街よ。時間の流れがゆったりしているの。」と
 言われた事があり、
 かねてから行ってみたい街の1つでした。
 宇都宮から鶴岡に行くのはかなり不便です。
 朝7時の山形新幹線に乗っても、鶴岡に着くのは12時42分ですし、
 上越新幹線を使って新潟から行っても12時45分です。
 日帰りは難しいかと思っていました。
 しかし、宇都宮を朝4時37分の在来線の始発に乗ると
 10時18分に着く事が分かりましたので、
 それで行ってみる事にしました。

 前の日、東京から早めに戻って、夜9時には寝ました。
 もっとも普段の生活と比べて余りにも早かったので、
 よく眠れませんでしたが、
 ともかく、午前3時に起きて、午前4時10分には家を出ました。
 始発電車ですが、久喜を過ぎた辺りからどんどん人が乗って来ます。
 僕の前に座ったサラリーマン風の人は、
 毎日この時間なのだろうか?
 昨夜は何時に家に帰ったのだろう?と、そのご苦労を思いました。

 大宮駅に着いたのは5時53分です。
 まだ新幹線の乗り換え口はシャッターが下りていました。
 6時にシャッターが開いたので、新幹線ホームに上がり、
 6時34分発のとき号に乗って新潟に向かいました。
 新潟到着が8時13分で、そこから27分発の特急いなほ号に乗りました。
 予め、指定席を左側の窓際とお願いしていたので、
 途中から、有名な笹川流れなど日本海の景色を眺める事が出来ました。

 鶴岡に着いて、真っ先に観光案内所に行きました。
 そして、案内の女性がとても綺麗な人だったのに驚きました。
 これで鶴岡の好感度は5割増しでした^^
 ただし、まだ新人だったようですが。

 そこでバスの行き先と時間を確認して、南岳寺に行きました。
 奥さんが留守の事があるので、
 電話で確かめた方が良いと案内所で言われ確認しました。
 南岳寺は鉄龍海上人の即身仏があります。
 エジプトのミイラを見た事はありましたが、即身仏は初めてです。
 お寺の奥さんから、
 鉄龍海上人の話や衣を12年に1度替えるなどをうかがいました。
 即身仏はさすがに写真に撮れませんでした。
 お堂の内部だけでもと粘ったのですが、やはりダメでしたので、
 上人の肖像画だけ撮らせて頂きました。
 南岳寺には、明治時代の不思議な霊能者として有名な
 長南年恵のお堂もありました。

 南岳寺を出て、致道博物館に歩いて向かいました。
 途中、近道かなと思って歩いたところで道が分からなくなりました。
 自転車に乗った高齢のご婦人に道を尋ねて教えて頂きましたが、
 言葉が半分位きり分かりませんでした。
 途中お腹が空いたと感じた時に、
 「大盛り10円、特盛20円」と幟のあるラーメン屋がありました。
 まだ新しい店で、若いご夫婦がやっている店でした。
 大盛りのつけ麺を食べましたが、美味しかったです。

 致道博物館は重要文化財の建物などを集めた博物館です。
 西田川郡役所や旧鶴岡警察署庁舎、
 独特の形をした田麦俣多層民家などがあり、
 国の名勝になっている酒井家の庭園も見事でした。
 この内残念な事に旧鶴岡警察署庁舎は修復工事中でした。
 
 致道博物館は、鶴ヶ岡城三の丸跡地にあり、
 一帯が鶴岡公園となっています。
 弘前、秋田、山形とそれぞれの城址に行きましたが、
 関東の城址は、本丸の一部など狭い敷地のところが多いのに対し、
 東北地方の城址は広大な敷地が残っていて、
 江戸時代の雰囲気を伝えていると思いました。
 鶴ヶ岡城の中にある、荘内神社などに行きました。
 神社の前に藤沢周平記念館がありました。
 藤沢周平は鶴岡出身です。
 僕は余り読んでいないので、
 外観を見ただけで、大宝館に行きました。
 大宝館は、1915年(大正4年)に建てられた、
 赤いドームと白壁が特徴の洋風建築です。
 開館当初は物産陳列場、戦後は市立図書館として利用され、
 現在は、明治の文豪高山樗牛などの、
 鶴岡が生んだ先人たちの偉業を讃える資料を展示しています。
 旧陸軍の参謀だった石原莞爾が鶴岡出身だったのは知っていましたが、
 他の人は余り知りませんでした。
 しかし、数多くの人物を輩出した土地である事が分かり、
 鶴岡の文化水準の高さを感じました。
 学校給食を始めたのも鶴岡だそうです。

 そして、藩校致道館に行きました。
 ここは、1805年(文化2年)、
 庄内藩7代目藩主酒井忠徳によって創設された学問所に始まります。
 東北地方に現存する唯一の藩校建造物で、
 孔子を祀る聖廟、講堂、御入間、表御門などの建物とその敷地一帯は
 国の史跡に指定されています。

 藩校の近くで、現在鶴岡市の文化会館を建設中です。
 兜のような形で、銀色の外壁を持つ独創的な建物です。
 先ほど調べてみたら、設計は妹島和世さんの事務所が行っていました。
 妹島さんの建物は、東京の北斎美術館で見ましたが、通じるものがある感じです。
 今年の8月に完成予定との事ですので、出来上がったら、また見てみたいと思いました。

 藩校から、カソリック教会に回りました。
 1903年(明治36年)に建設された教会で、国の重要文化財になっています。
 黒いマリア像があるので有名です。
 併設している幼稚園があり、
 退園時間だったようで、お迎えの親御さんなどで賑やかでした。

 最後に、庄内藩の御用商人として発展し、後に鶴岡一の豪商となった
 旧風間家の屋敷に行きました。
 約4万個の石が置かれた石置屋根が特徴で、国の重要文化財になっています。
 品の良い小父さんが丁寧に説明してくれました。
 丙申堂と旧風間家の別邸の釈迦堂も見られました。
 立派な庭園がありました。

 帰りは、新庄回りの山形新幹線でした。
 丁度宇都宮発着の一筆書きで一周して来た事になります。
 乗り換えに時間の掛かる余目の駅はどんな所か見たかった事もありますし、
 新潟・大宮の混雑した所に行くのもどうかなぁと思った次第です。

 鶴岡市は思ったよりも良い街でした。
 今回は、観光スポットを駆け回った感じでしたが、
 ゆっくり歩きたい街だと思いました。
 クラゲで有名な加茂水族館もありますし、また行ってみたいと思いました。

 23日の写真をアップしましたので、宜しければご覧下さい。
 http://photozou.jp/photo/album/2882708

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旅日記その1・・・

2017年06月26日 19時38分16秒 | 日記
 日記が5日ほど空きました。
 多くの方は察せられたかと思いますが、
 今回も大人の休日倶楽部切符を使って、22日から昨日まで各地に行って来ました。

 大人の休日倶楽部切符は、JR東日本の「大人の休日俱楽部」の会員になると、
 購入する事が出来ます。
 連続した4日間、JR東日本管内の新幹線も含めて乗り放題で、価格が15000円です。
 更に6回分指定席も取れます。
 2014年6月、当時元気だった同居人と一緒に、青森県弘前市、秋田県秋田市に行き、
 僕一人で、山形県山形市と埼玉県大宮市に行きました。
 2015年11月には、秋田県秋田市と角館市、長野県長野市、東京の春画展に行きました。
 2016年6月は、岩手県盛岡市、新潟県新潟市、東京都の出光美術館、
 長野県松本市に行きました。
 今回が4回目になります。

 22日は別の所に行こうと思って、特急の指定席も取ってあったのですが、
 天気予報は雨マークで23日は晴マークになっていましたので、
 22日が曇り、23日が雨の東京に行く事にしました。
 東京の目的は、上野の東京都美術館で開催されている「バベルの塔」展です。
 宇都宮の駅から8時32分発のなすの号に乗って、9時22分に上野駅に着きました。
 上野駅構内の販売所でチケットを買いましたが、
 65歳以上ならばシニア料金で1600円が1000円との事でした。
 僕は、後半年で65歳ですから、残念ながら通常料金にしました。

 美術展は、待ち時間もなく入れましたが、中はやはり混んでいました。
 今回、ヒエロニムス・ボスの真作も2点見られました。
 「放浪者(行商人)」と「聖クリストフォロス」です。
 「聖クリストフォロス」は、首吊りになっている熊など奇怪な場面が描かれていました。
 その他、ボスの影響を受けた絵もありました。
 そして、ピーテル・ブリューゲルのエッチングもその影響を受けて奇怪な作品でした。
 先日見た、宇都宮美術館の「ベルギー奇想の系譜」展が、若干不満だったので、
 今回は満足しました。
 また、エッチングの中には、
 ブリューゲルの特徴である農民の絵画に繋がるものもありました。

 そしてバベルの塔です。
 思っていたより小さい絵でした。
 さすがに絵の正面では、足を止めて見る事が出来ず、
 少し離れた所からは動かずに見られましたが、細部が分かりません。
 東京芸大がコンピュータを使って解析したビデオなどを見て、
 詳しく知る事が出来ました。

 最近、寛永寺に関する本を読んだので、美術館を出た後、寛永寺の諸堂を見ました。
 現在の上野公園が概ね江戸時代の寛永寺の境内で、広大な面積です。
 最初に行ったのが、開山堂です。
 寛永寺の開山である慈眼大師天海大僧正を祀る堂で、
 天海僧正が尊崇していた慈惠大師良源大僧正も祀っているので、
 一般的に両大師と呼ばれています。
 ここには、寛永寺旧本坊の表門があり、また脇には幸田露伴の旧宅の門もありました。

 国立博物館の裏側の歩いて行くと、
 道路から厳有院(徳川家斉)霊廟勅額門だけを見る事が出来ます。
 寛永寺には歴代徳川家の15人の内6人の将軍の御霊屋がありましたが、
 戦災でほとんど焼失してしまっています。
 この勅額門は奇跡的に残ったもので国の重要文化財になっています。
 中には入れないのですが、常憲院(綱吉)の霊廟勅額門も遠くに見えます。

 更に寛永寺の根本中堂にも行きました。
 ここは、川越市の喜多院の本地堂を移築したものです。
 そして、黒田清輝記念館も無料なので、入って来ました。
 今は焼失してしまって残っていませんが、「昔かたり」の下絵が出ていました。

 本当は、寛永寺の清水観音堂など、もっと見て回るつもりでしたが、
 午後1時を過ぎてしまい、お腹も減ったので、アメ横に下りて、
 冷やし中華を食べて、新幹線で帰って来ました。
 22日の写真をアップしましたので、宜しければご覧下さい。
 http://photozou.jp/photo/album/2882708

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旅日記その1・・・

2017年06月26日 19時34分58秒 | 日記
 日記が5日ほど空きました。
 察せられたか方もいるかと思いますが、
 今回も大人の休日倶楽部切符を使って、22日から昨日まで各地に行って来ました。

 大人の休日倶楽部切符は、JR東日本の「大人の休日俱楽部」の会員になると、
 購入する事が出来ます。
 連続した4日間、JR東日本管内の新幹線も含めて乗り放題で、価格が15000円です。
 更に6回分指定席も取れます。
 2014年6月、当時元気だった同居人と一緒に、青森県弘前市、秋田県秋田市に行き、
 僕一人で、山形県山形市と埼玉県大宮市に行きました。
 2015年11月には、秋田県秋田市と角館市、長野県長野市、東京の春画展に行きました。
 2016年6月は、岩手県盛岡市、新潟県新潟市、東京都の出光美術館、
 長野県松本市に行きました。
 今回が4回目になります。

 22日は別の所に行こうと思って、特急の指定席も取ってあったのですが、
 天気予報は雨マークで23日は晴マークになっていましたので、
 22日が曇り、23日が雨の東京に行く事にしました。
 東京の目的は、上野の東京都美術館で開催されている「バベルの塔」展です。
 宇都宮の駅から8時32分発のなすの号に乗って、9時22分に上野駅に着きました。
 上野駅構内の販売所でチケットを買いましたが、
 65歳以上ならばシニア料金で1600円が1000円との事でした。
 僕は、後半年で65歳ですから、残念ながら通常料金にしました。

 美術展は、待ち時間もなく入れましたが、中はやはり混んでいました。
 今回、ヒエロニムス・ボスの真作も2点見られました。
 「放浪者(行商人)」と「聖クリストフォロス」です。
 「聖クリストフォロス」は、首吊りになっている熊など奇怪な場面が描かれていました。
 その他、ボスの影響を受けた絵もありました。
 そして、ピーテル・ブリューゲルのエッチングもその影響を受けて奇怪な作品でした。
 先日見た、宇都宮美術館の「ベルギー奇想の系譜」展が、若干不満だったので、
 今回は満足しました。
 また、エッチングの中には、
 ブリューゲルの特徴である農民の絵画に繋がるものもありました。

 そしてバベルの塔です。
 思っていたより小さい絵でした。
 さすがに絵の正面では、足を止めて見る事が出来ず、
 少し離れた所からは動かずに見られましたが、細部が分かりません。
 東京芸大がコンピュータを使って解析したビデオなどを見て、
 詳しく知る事が出来ました。

 最近、寛永寺に関する本を読んだので、美術館を出た後、寛永寺の諸堂を見ました。
 現在の上野公園が概ね江戸時代の寛永寺の境内で、広大な面積です。
 最初に行ったのが、開山堂です。
 寛永寺の開山である慈眼大師天海大僧正を祀る堂で、
 天海僧正が尊崇していた慈惠大師良源大僧正も祀っているので、
 一般的に両大師と呼ばれています。
 ここには、寛永寺旧本坊の表門があり、また脇には幸田露伴の旧宅の門もありました。

 国立博物館の裏側の歩いて行くと、
 道路から厳有院(徳川家斉)霊廟勅額門だけを見る事が出来ます。
 寛永寺には歴代徳川家の15人の内6人の将軍の御霊屋がありましたが、
 戦災でほとんど焼失してしまっています。
 この勅額門は奇跡的に残ったもので国の重要文化財になっています。
 中には入れないのですが、常憲院(綱吉)の霊廟勅額門も遠くに見えます。

 更に寛永寺の根本中堂にも行きました。
 ここは、川越市の喜多院の本地堂を移築したものです。
 そして、黒田清輝記念館も無料なので、入って来ました。
 今は焼失してしまって残っていませんが、「昔かたり」の下絵が出ていました。

 本当は、寛永寺の清水観音堂など、もっと見て回るつもりでしたが、
 午後1時を過ぎてしまい、お腹も減ったので、アメ横に下りて、
 冷やし中華を食べて、新幹線で帰って来ました。
 22日の写真をアップしましたので、宜しければご覧下さい。
 http://photozou.jp/photo/album/2882708

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足利市へ・・・

2017年06月20日 20時20分29秒 | 日記
 今日は、足利市立美術館で開かれている、
 「リアルのゆくえ」と題する美術展を観に行きました。
 この美術展は、以前平塚市美術館で開かれていたものですが、
 NHKの日曜美術館で取り上げられ、足利市立美術館でも開催されるのを知ったので、
 行ってみたいと思っていたものです。

 足利市立美術館は、足利市内の公営住宅の3階までを利用した美術館です。
 詳しくは下記をご覧ください。
 https://blogs.yahoo.co.jp/tennnennkozi/62813117.html
 今年のゴールデンウイークの頃、日本刀の山姥切り国広を展示し、
 数多くの刀剣女子が来て、入場に3時間待ちなど大きな話題になりました。
 なお、「リアルのゆくえ」は、
 足利市の後、愛知県碧南市と兵庫県姫路市の美術館に巡回する予定です。

 高橋由一に始まる日本の洋画の中で、特に写実に絞った美術展でした。
 高橋の鮭が1点出ていましたし、五姓田芳柳、原田直次郎、中村不折、岸田劉生など
 著名な作家の絵が出ていました。
 特に原田直次郎の「神父」は素晴らしいと思いました。
 足利市出身の画家牧島如鳩の「魚籃観音」も出ていましたが、何度見ても良い絵です。

 明治時代の画家、僕の知らない人の作品も沢山出ていました。
 僕が知っているのは、本の一部なのだなぁと感じました。

 写実をキーワードに、現代の作家の作品も出ていました。
 上田薫の「なま玉子C」は、生卵だけを描いた162cm×130cmの作品ですが、
 その生々しさに驚きました。
 また吉村芳生の「コスモス」は色鉛筆で描かれた作品ですが、
 その緻密さも素晴らしいと思いました。
 磯江毅の「深い眠り」は熟睡している女性のヌードですが、
 思わず見てはいけないのではないかと思うほどリアルでした。
 その外、伊丹十三の父親の伊丹万作の絵も初めて見ました。
 とにかく、良い美術展でした。

 美術館を出て、足利市内でお昼を食べた後、
 鑁阿寺(ばんなじ)に行きました。
 鑁阿寺は、元々は足利氏の居宅跡で、日本の百名城にも入っています。
 1234年(天福2年)に足利義兼の子の義氏が追善供養のため、
 大御堂(現本堂)を建立し寺院化を図ったとされています。
 詳しくは下記をご覧下さい。
 https://blogs.yahoo.co.jp/tennnennkozi/49167262.html
 鑁阿寺本堂は、2013年8月に国宝に指定されています。

 鑁阿寺から紫陽花の名所でも行こうかと思ったのですが、
 暑くて疲れてしまい、余り体力を消耗したくない事情もあったので、
 真っ直ぐ帰って来ました。
 鑁阿寺の写真は下記にアップしましたので、宜しければご覧下さい。
 http://photozou.jp/photo/list/2882708/9057158

 明後日から、4日ほど出掛ける予定です。
 行先は、これから天気予報を睨みながら決めますが、
 天気の関係で、東北地方中心かなと思っています。
 明日は準備や調べものなどのため、
 少しの間日記を休みますので、お含み置き下さい。

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立ち位置・・・

2017年06月18日 20時14分03秒 | 日記
 今月15日の夜は酒飲みだった事は一昨夜書きました。
 飲んで家に帰ったところで、元上司から電話がありました。
 最近、ある社会福祉施設の評議員を引き受けたが、
 無給だけれど、その社会福祉施設の
 理事になってくれないかとの話でした。
 非常勤でもありますし、年間何回か出席すれば良く、
 しかも理事長をやはり別の元上司がやっていて、
 人がいなくて困っているとの事だったので、
 一応OKの返事をしました。

 翌日、その理事長から電話が掛かって来て、
 17日の午前10時から評議員会と理事会をやるので
 出席してくれとの話でした。
 何と慌ただしい事かと思ったのですが、
 場所は宇都宮市内なので、昨日はその会議に出席しました。

 10時前に会場に着いた時に、
 10時~15時の表示があり、若干嫌な予感がしました。
 評議員会にも出席して、それが12時位まで掛かりました。
 そこで昼食かと思ったのですが、引き続き理事会をやるとの事でした。
 それならば、すぐに終わるだろうと思っていたのですが、
 色々協議する事があって、終わったのは15時でした。

 僕がこれまで経験した理事会などは、
 資料などがキチンと出来ていて、
 質問に対する応対などもしっかりしていて、
 言うなればシャンシャンで終わる事が普通でした。
 漠然とそのつもりでいたのですが、
 今回の理事会は、どうするか一からの議論をしなければならず、
 それで時間が掛かってしまいました。
 事務局体制がしっかりしていないのですね。
 途中で、これは大変だと思いました。
 理事は僕と理事長を含めて6人、それに監事の2人が加わって8人です。
 誰もお腹が空いたと言わないので、
 新参者の僕としては何も言えずにいました。

 その理事長、20年近く前に一緒に仕事をした事があります。
 優秀で熱心な事は間違いないのですが、
 周囲の事が目に入らなくなる傾向の人だった事を思い出しました。

 その社会福祉施設は、それなりの歴史もありますが、
 国の社会福祉法人制度が今年の4月から大幅に改正されました。
 それへの対応をキチンとやらないといけないので、
 まだこれから片付けない問題が多いような感じです。
 経営状況もギリギリの感じでしたし、
 少し特殊な施設なので、運営上の問題もありそうです。

 この施設とどのように関わって行けば良いのか、
 どうも上手く考えがまとまりません。
 頼まれたからとは言え、余り無責任な事は出来ませんが、
 かと言って、のめり込むと大変なような気がします。
 まだ施設にも行っていませんので、
 その内来てくれと言われた事もあり、行かなくてはなりません。
 現場を見ながら、僕の立ち位置を決めなくてはならないのでしょう。

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昨夜は・・・

2017年06月16日 18時20分55秒 | 日記
 昨夜は酒飲みがありました。
 32年前、大学を卒業したばかりで、僕と同じ職場に配属され、
 一緒に働いていた人がいます。
 彼は、2年ほどで栃木県を去り、全国各地で働いていましたが、
 最近、東京に戻ったとの事で、昨日宇都宮に来ました。
 そこで当時のメンバーが集まっての酒飲みになった次第です。
 25年ほど前になるようですが、
 彼が結婚したので、嫁さんを連れて来た事があり、その時も酒飲みをしました。
 酔っぱらった連中が嫁さんを胴上げしてしまい、
 それ以来、彼が宇都宮に来たとの話は聞いていません。
 僕も彼と会ったのはその時以来です。
 昔の事が、どんどん思い出されて楽しい酒飲みでした。

 飲み会の会場を出たら雨が降っていました。
 そこで傘を借りて帰りましたが、途中で雨は止み、
 僕の家の近くでは道路が濡れていませんでした。
 局地的な雨だったのですね。

 昨日未明、参議院では与党側が強行して共謀罪法を成立させました。
 委員会に付託されていた案件を、委員会の裁決を省略して可決したものです。
 所管の法務大臣がまともに答弁出来ず、
 国連の特別報告者からも懸念が表明されているような法案を強引に可決成立させた事は、
 余りにも酷過ぎると思います。
 2013年の特定秘密保護法、2015年の安保関連法、そして今回の共謀罪です。
 国民の声を無視した暴挙ばかりですが、
 益々日本の将来が心配になったと感じています。

 同じく昨夜、野際陽子さんが亡くなったとのニュースがありました。
 知的なお姉さんと言う感じの風貌が僕は好きでした。
 81歳だったとの事です。

 今日は、ある会議があって、健康の森に行きました。
 家を出る時は晴れていたのですが、途中から雨が降り出し、
 健康の森の大きな駐車場に着いた時は激しい雨になりました。
 僅か20分ほどの間の事です。
 車の中に傘を入れてなかったので、
 車の中から、会議の主催者に電話して、少し待って欲しいと言いました。
 改めて携帯番号の便利さを感じました。
 結局、建物の近くの駐車場に行くように言われ、傘を持って来てくれました。
 会議が終わった後はすっかり晴れていました。

 帰宅して、今日は余り歩いていないので、散歩にでも行こうかと思っていたら、
 また雨が降り出しました。
 先ほどの雨より激しい雨です。
 家に何かぶつかる音が聞こえたので、外を見たら雹が降っていました。
 僕が見たのは直径2cm程度の雹でしたが、もっと大きなのも降った感じがしました。
 農業地帯に降ったかどうか分かりませんが、降っていれば大きな被害になりそうです。
 激しく降っては小止みになりまた激しく降るのを繰り返していました。
 雹が家に当たる音を聞いているのも不気味な感じがしました。

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高層マンションの火災・・・

2017年06月14日 20時33分24秒 | 日記
 ロンドンで高層マンションの火災がありました。
 ビル1棟が炎に包まれた映像を見ていて、慄然としました。
 現在のところの報道では、200名以上が居住していたようですし、
 多数の被害者も出ているとの事です。

 各地に高層マンションが建設されています。
 宇都宮市内でも、我が家から見える所に、100m程度のマンションが建設途中です。
 高さが31mを超える建物は、建築基準法や消防法で、
 スプリンクラーの設置や内装の不燃化、
 室内でも防炎性能のあるカーテンやじゅうたんなどの使用が義務づけられ、
 防火区画も一般の3000㎡から、1000㎡に設定されていて、
 火災の発生や拡大を未然に防ぐ取り組みがなされています。

 現在、消防のはしご車が届くのは40m程度だそうです。
 高層マンションの火災では、直接ビル内に突入して消火するのが基本だそうです。
 そのため、消防隊が素早く消火・救助活動ができるように
 非常用エレベーターの設置が義務づけられているとの事です。
 このエレベーター、昇降路・機械室は、耐火構造の壁、床、天井に囲まれ、
 機械室の出入口には、通常の火災で1時間は火炎を閉じ込めることができる
 「特定防火設備」を設置しています。
 もちろん、予備の電源を持っていますし、
 屋内消火栓などの設置も義務付けられています。

 しかし、事前の想定を超える事が多いのも現実です。
 人間のやる事に完全はないと思っています。
 危険性がゼロと言うのはあり得ないような気がします。

 高層マンションの火災と言うと、タワーリングインフェルノを思い出します。
 あの映画は、手抜き工事が原因だったと思います。
 そして、屋上にあった巨大な貯水タンクを破壊して鎮火させました。

 今回のロンドンの高層マンションは、1974年に建設されたとの事で、
 老朽化していたのかも知れません。
 しかし、それだけを原因とするのではなく、
 原因や設備の状況などをキチンと調べて対応策を講じて欲しいと思います。

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