文化庁が3月27日、京都に移転し、都倉俊一長官らが業務を開始しました。
文化庁の京都移転は、
安倍晋三政権が掲げた中央省庁の地方移転の目玉です。
しかし、文化庁の中で京都に移るのは6部署で、7部署は東京に残ります。
文化庁以外で地方移転が実現した中央省庁は、
徳島県に移転した消費者庁と、
和歌山県に移転した総務省統計局がありますが、
これらも役所の一部が移っただけです。
江戸時代以降、日本は東京を中心に発展してきましたが、
遷都論が盛り上がったのは1987年~91年のバブル景気の時でした。
人やお金が東京に集まり、東京一極集中が目立つようになりました。
東京の地価はうなぎのぼりに上がり、
東京23区の地価で
アメリカ全土が買えるという計算が話題になったほどです。
こうした事から、首都を東京から移すことで
東京一極集中を是正しようとする議論が目立つようになりました。
1990年には衆参両院で「国会移転の決議」が行われ、
1992年には
「国会等の移転に関する法律(国会等移転法)」が成立しました。
1999年には、国会等移転法に基づき、
国会等移転審議会が移転先の候補地を挙げました。
最有力候補は、「栃木・福島地域」でした。
東京から遠くなく、
広大な国公有地や福島空港があったりすることが利点でした。
次の候補地は「岐阜・愛知地域」で、さらに「三重・畿央地域」も
可能性があるとして挙げられました。
そのうえで2003年には、
国会に設置された「国会等の移転に関する特別委員会」の
中間報告が出されました。
しかし、この辺で首都機能移転の論議は急速に下火になりました。
背景には、バブルの崩壊があったからかも知れませんし、
官僚たちが東京を離れる事を嫌ったからなのかも知れません。
首都機能移転に要する経費が膨大になる事も、
財政状況の悪化と共に影響があったような感じがします。
代わって出てきたのが、中央省庁の一部移転ですが、
これも、文化庁の移転で終わりそうな感じがしています。
しかし、東京一極集中は今も進んでいます。
東京都の人口は2000年に1200万人を超え、
2020年には1400万人を超えました。
東京では、超高層ビル建設による再開発が目立ち、
街はどんどんおしゃれになっていて、
地価やマンションの値上がりが進んでいます。
日本全体の人口はこの間、減少しています。
地方では、シャッター街などといわれるさびれた商店街や、
限界集落といわれる過疎地が増えています。
このままで良いのかなと思うのですが、
誰も歯止めを掛けようとしない感じがしています。
首都機能移転には、一極集中の是正と言う理念的な問題と、
災害対策としての現実的な理由がありました。
1995年の阪神淡路大震災、2011年の東日本大震災では
東京が大きなダメージを受けなかったので、それなりの対応が出来ました。
今、危惧されている首都直下地震や東南海トラフ地震の際、
首都機能が同時被災すると、
さいたま新都心がバックアップの機能を果たす事になっていますが、
どこまで出来るのか分かりません。
791年、首都は奈良から京都に移転しました。
1192年(最近の説では、もう少し前ですが)、政権は鎌倉に移りました。
室町幕府は京都に戻りましたが、1603年江戸幕府が開かれます。
こうしてみると、
概ね400年ごとに首都機能が移転して来た経過があります。
既に江戸幕府以来420年が経過しましたが、
このまま、東京が首都であり続けて良いのかなと思っています。