天然居士の独り言

主に日記主体のブログです。

首都機能移転・・・

2023年03月31日 19時00分48秒 | 日記
 文化庁が3月27日、京都に移転し、都倉俊一長官らが業務を開始しました。
 文化庁の京都移転は、
 安倍晋三政権が掲げた中央省庁の地方移転の目玉です。
 しかし、文化庁の中で京都に移るのは6部署で、7部署は東京に残ります。
 文化庁以外で地方移転が実現した中央省庁は、
 徳島県に移転した消費者庁と、
 和歌山県に移転した総務省統計局がありますが、
 これらも役所の一部が移っただけです。

 江戸時代以降、日本は東京を中心に発展してきましたが、
 遷都論が盛り上がったのは1987年~91年のバブル景気の時でした。
 人やお金が東京に集まり、東京一極集中が目立つようになりました。
 東京の地価はうなぎのぼりに上がり、
 東京23区の地価で
 アメリカ全土が買えるという計算が話題になったほどです。
 こうした事から、首都を東京から移すことで
 東京一極集中を是正しようとする議論が目立つようになりました。
 1990年には衆参両院で「国会移転の決議」が行われ、
 1992年には
 「国会等の移転に関する法律(国会等移転法)」が成立しました。
 1999年には、国会等移転法に基づき、
 国会等移転審議会が移転先の候補地を挙げました。
 最有力候補は、「栃木・福島地域」でした。
 東京から遠くなく、
 広大な国公有地や福島空港があったりすることが利点でした。
 次の候補地は「岐阜・愛知地域」で、さらに「三重・畿央地域」も
 可能性があるとして挙げられました。
 そのうえで2003年には、
 国会に設置された「国会等の移転に関する特別委員会」の
 中間報告が出されました。
 しかし、この辺で首都機能移転の論議は急速に下火になりました。

 背景には、バブルの崩壊があったからかも知れませんし、
 官僚たちが東京を離れる事を嫌ったからなのかも知れません。
 首都機能移転に要する経費が膨大になる事も、
 財政状況の悪化と共に影響があったような感じがします。
 代わって出てきたのが、中央省庁の一部移転ですが、
 これも、文化庁の移転で終わりそうな感じがしています。

 しかし、東京一極集中は今も進んでいます。
 東京都の人口は2000年に1200万人を超え、
 2020年には1400万人を超えました。
 東京では、超高層ビル建設による再開発が目立ち、
 街はどんどんおしゃれになっていて、
 地価やマンションの値上がりが進んでいます。
 日本全体の人口はこの間、減少しています。
 地方では、シャッター街などといわれるさびれた商店街や、
 限界集落といわれる過疎地が増えています。
 このままで良いのかなと思うのですが、
 誰も歯止めを掛けようとしない感じがしています。

 首都機能移転には、一極集中の是正と言う理念的な問題と、
 災害対策としての現実的な理由がありました。
 1995年の阪神淡路大震災、2011年の東日本大震災では
 東京が大きなダメージを受けなかったので、それなりの対応が出来ました。
 今、危惧されている首都直下地震や東南海トラフ地震の際、
 首都機能が同時被災すると、
 さいたま新都心がバックアップの機能を果たす事になっていますが、
 どこまで出来るのか分かりません。

 791年、首都は奈良から京都に移転しました。
 1192年(最近の説では、もう少し前ですが)、政権は鎌倉に移りました。
 室町幕府は京都に戻りましたが、1603年江戸幕府が開かれます。
 こうしてみると、
 概ね400年ごとに首都機能が移転して来た経過があります。
 既に江戸幕府以来420年が経過しましたが、
 このまま、東京が首都であり続けて良いのかなと思っています。

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重要文化財を観に・・・

2023年03月30日 19時08分40秒 | 日記
 重要文化財は、1950年に公布された文化財保護法に基づき、
 日本に所在する建造物、美術工芸品、考古資料などの有形文化財のうち、
 製作優秀で我が国の文化史上貴重なもの等について
 文部科学大臣が定めます。
 そのうち特に優れたものが「国宝」に指定されます。

 明治以降の絵画・彫刻・工芸については、2022年11月現在で
 68件が重要文化財に指定されていますが、まだ国宝はありません。
 ちなみに、明治時代以降で国宝に指定されているのは、
 建造物の迎賓館だけのはずです。
 絵画で国宝になっているのは、
 1837年(天保8年)に、渡辺崋山の描いた
 『鷹見泉石像』が最新だと思います。
 68件の絵画・彫刻・工芸の重要文化財の内51点が、
 現在東京の竹橋の国立近代美術館で展示されています。
 もっとも、途中で展示替えがあるので、51点を全部観ようと思うと、
 2回は行く必要がありそうな感じです。
 詳しくは下記のサイトをご覧ください。
 https://jubun2023.jp/

 そのような次第で、昨日は上京してこの展覧会を観て来ました。
 最近、状況するのは新幹線が多いのですが、
 昨日は時間もあったので、在来線のグリーン車で行きました。
 車窓から各地の桜が見えました。
 満開の所が多く、綺麗でした。

 重要美術品の絵画等ですから、既に観た事がある物も何点かありました。
 例えば、横山大観の「生々流転」は、
 学生時代だったか近代美術館で観た覚えがあります。
 長さ40.7mの巻物です。
 以前観た時は、平に展示されていたし、混雑もしていなかったので、
 ゆっくり観ていて、首が痛くなった覚えがあります。
 今回は、若干角度を付けて展示されていましたので、
 そうでもなかったですが、
 最前列で観るためには順番を待つ必要がありました。
 その他、以前観た物の中では、青木繫の「わだつみのいろこの宮」や、
 中村彝の「エロシェンコ氏の像」、高村光雲の「老猿」など
 何度観ても良い作品もありました。
 初めて観た絵では、
 鏑木清方の「築地明石町」、「新富町」、「浜町河岸」や、
 山本芳翠の「裸婦」などが素晴らしいと思いました。

 美術館を出てから、浅草に桜を観に行きました。
 事前に調べたら、浅草の桜が8分咲きとの事でしたし、
 コロナ後の浅草の様子も知りたいと思いました。
 浅草に着いて、どこかでお昼でもと思ったのですが、
 どこの店も行列が出来ていました。
 行列のない喫茶店に入ったら、テーブルの上に灰皿が置いてありました。
 宇都宮を出てから5時間半程度煙草を吸っていなかったので、
 助かりました。
 さすがに浅草だと思いました。

 浅草は、特に外国人が多かったですね。
 半数以上が外国人だったような感じです。
 隅田公園の桜は、満開の感じでとても綺麗でした。
 昨日の様子を撮って来ましたので、宜しければご覧ください。
 http://photozou.jp/photo/album/2882708

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ダビデ像・・・

2023年03月28日 19時14分00秒 | 日記
 アメリカのフロリダ州のタラハシー・クラシカル・スクールで、
 11歳から12歳の生徒に
 ミケランジェロの代表作「ダビデ像」を用いて授業を実施したところ、
 一部の保護者から
 「子どもがポルノをみせられたと言った」などと苦情が寄せられ、
 校長が辞任に追い込まれたとのニュースがありました。

 ダビデ像は、ミケランジェロが1501年から制作を開始し、
 1504年9月8日に公開した彫刻作品で、
 現在は、イタリアのフィレンツェのアカデミア美術館に収蔵されています。
 ピエタと並ぶミケランジェロの代表作であるばかりでなく、
 ルネサンス期を通じて最も卓越した作品の一つと言われています。
 僕は、40年ほど前、この像を見ました。
 その迫力に感動した覚えがあります。
 実際にご覧になった方もいるかと思いますが、
 ダビデの性器がそのまま彫られています。
 この点を指して、ポルノだとの話が出たのでしょうか?

 古代ギリシャ美術では、女性については外陰部を隠していたものの、
 男性については性器を露出した全裸で描かれるのが一般的でした。
 この伝統は古代ローマ美術にも受け継がれますが、
 ローマ帝国がキリスト教に改宗すると、
 裸体の英雄の像は作られなくなりました。
 やはり40年ほど前、ローマのバチカン美術館に行った事があります。
 ラファエロの「アテネの学堂」や
 システィナ礼拝堂の「最後の審判」などを見ました。
 そこにあった多くの彫刻の男性の性器が、
 イチジクの葉を象った漆喰のような物で
 隠されているのを奇妙に感じました。
 多分、彫刻を収蔵した際に、ギリシャか古代ローマの作品は、
 修復したのだと思います。
 それこそが中世のキリスト教の考え方だと思いましたし、
 ダビデ像のように隠さないのが、
 人間性の解放を目指したルネサンスなのだと理解しました。

 性器が露出している現象面では、芸術とポルノと同じなのかも知れません。
 何が芸術で、何がポルノなのか、
 中々一律の線引きは難しいような気がします。
 歴史的な経過などで、多くの人が芸術だと認めた物が芸術と
 考えるべきなのでしょうか?

 僕は、いっその事、おおらかにすべてを人間の営みとして、
 難しい線引きを止めても良いような気もします。
 長い人類の歴史の中では、
 何らかの規制を行う方が異例なのかも知れません。
 少し考えてみましたが、難しくて、よく分かりません。

 明日は、所用により日記などを休ませて頂きますので、
 お含み置き下さい。

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満開の桜・・・

2023年03月27日 19時16分05秒 | 日記
 今日は、昨日の雨が上がりました。
 朝の内は、良い天気でした。
 宇都宮の桜を見に行かなくてはならないかと思いました。
 カメラを持って行こうかとも思ったのですが、
 少し雲が出ていましたし、
 花が雨に当たってどうかなぁとも思い、カメラを持って行きませんでした。

 途中で、友人の奥さんと行き会いました。
 赤門の桜が満開ですねと言われ、
 これから見に行きますと答えたら、
 カメラを持って行かないのですか?と言われ、
 今日は手ぶらですと言っておきました。

 赤門は、慈光寺と言うお寺です。
 かつて赤門がありましたが、戦災で焼失し、その後再建されました。
 宇都宮では一番早く咲くと言われています。
 やはり、桜は満開でした。
 曇っていて日が当たらないせいか、あるいは雨に当たったせいか、
 色が余り鮮やかではありませんでした。
 赤門の桜、以前はライトアップしていましたので、
 何度か同居人と夜桜を見に行った事がありました。

 赤門の桜から八幡山公園に回りました。
 桜は、ほぼ満開でした。
 やはりかつて、毎年のように見に行っていました。
 結婚前にも行った事があり、公園内の茶店で心太を食べた事がありました。
 その茶店は、もう何年も前に廃業し、今は廃屋になっています。

 ここのところ毎年カメラを持って行っていましたが、
 写真を撮る事に一生懸命になって、
 以前の事を思い出しながら散歩すると言う事がありませんでした。
 若干、持って来れば良かったと思った事もありましたが、
 持って来ても、毎年撮る場所は同じかとも自嘲しました。

 八幡山公園を出て、お昼を食べた後、
 宇都宮駅前の、田川の枝垂桜を見に行きました。
 満開に近い樹もありましたし、まだ全く咲いていない樹もありました。
 気の早い樹もあるし、おっとり構えた樹もあるのでしょう。

 芭蕉の句に、「さまざまの こと思い出す 桜かな」があります。
 そんな句も頭に浮かびながら散策して来ました。

 言葉だけでは、よくお分かりにならないかも知れませんので、
 2021年3月26日に撮った写真がありますので、
 参考までにご覧頂ければ幸いです。
 http://photozou.jp/photo/list/2882708/9396155


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花散らしの雨・・・

2023年03月26日 19時30分52秒 | 日記
 宇都宮は、1日冷たい雨の天気になりました。
 午前中、車で出掛けましたが、車から見えた小学校の桜は、
 ほぼ満開かなと思う位に咲いていました。
 天気が良ければ、迷わず花を見に行くのですが。
 今年の桜は、各地で早いようです。
 宇都宮で3月中に満開になるのも珍しい事だと思います。

 今朝の新聞に、旅行会社のチラシが入っていましたが、
 桜を見るツアーが何件か載っていました。
 催行される日を見ると、通常の時期の設定のようで、
 これでは終わっているだろうなぁと感じる所が何か所もありました。
 旅行業者なども頭が痛いところかも知れません。

 桜が満開になった時に降る雨を
 「花散らしの雨」と言うのを聞いた事があります。
 中々粋な言い方だなぁと思ったのですが、
 調べてみたら、古くからの言い方ではなさそうです。
 最近、テレビの天気予報などで
 気象予報士の方が言い出したような感じでした。
 「花散らし」の意味について、久しぶりに家の広辞苑で調べてみたら、
 「旧暦3月3日を花見とし、翌日若い男女が集会して飲食すること」と
 あり、九州北部地方でいうとの注釈がありました。
 この表現からすると、古来の歌垣などと同じような習俗だったのでしょう。
 若い男女が集まって歌のやり取りをして飲食をすれば、
 当然カップルが成立する訳で、
 花を散らすと言うのも綺麗な表現のような気がします。

 源氏物語の第11帖は、「花散里」です。
 光源氏の恋人の一人がそのように呼ばれていたようです。
 『古今和歌集』には、素性法師の歌で、
 「花ちらす 風の宿りは たれかしる われに教へよ 行きて恨みむ」が
 ありました。
 「花を散らす」との言葉通りの使われていたようです。

 「花散らしの雨」の表現は今使われているのかどうか分かりません。
 ネットの情報では、言葉の意味が違うので、
 気象予報士が自粛しているような話があります。
 原義を大切にするのも必要かなとも思いますが、
 言葉は生き物でもありますから、使っても良いような気がします。

 大相撲三月場所は今日千秋楽になりました。
 横綱・大関が不在で、どうなるかと思いましたが、
 関脇・小結勢が、番付通りの活躍をしたように感じました。
 結果は2敗の大栄翔が3敗の霧馬山が本割でも優勝決定戦でも勝って、
 初優勝しました。
 それなりの地力が付いて来たような感じがしますので、
 来場所大関になるような気がしますが、どうでしょうか?

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郷に入っては・・・

2023年03月25日 18時32分31秒 | 日記
 先日、鬼怒川温泉のチョッと先で会議がありました。
 会場に入ってマスクはどうするの?と訊いたところ、
 特に決めずに、各自の判断に任せているが、
 ほとんどマスクを着用しているとの事でした。
 郷に入っては郷に従えかと思い、僕も着用する事にしました。

 その日の午後は、宇都宮に帰って、ある金融機関でも会議がありました。
 やはり担当の女性に、マスクはどうしているのかと訊いてみました。
 客が不安に感じないよう、行員はマスクをする事にしているとの事でした。
 他の出席者もマスクをしているので、僕もする事にしました。

 昨日は、福島市で会議がありました。
 新幹線に乗るため、駅まで歩いて行きましたが、
 暖かかった事もあるのでしょうか、結構マスクをしていない人がいました。
 駅に入ると、さすがにマスクをしている人が多かったですね。
 僕もマスクをして、ホームに上がったところでマスクを外しました。
 新幹線は換気が行われているので、マスクの必要はないとの事でしたが、
 結構混んでいたと言うのもあるのでしょうか?
 やはりマスクをしている人が多かったです。
 座った所が通路側だった事もありマスクをしました。

 福島市は、宇都宮よりは気温が低かったです。
 会場まで、駅から歩いて10分ほどでしたので歩いて行きましたが、
 ほとんどの人がマスクをしていました。
 会場は、やはりマスクをしました。
 帰りも同じようにして帰って来ました。

 マスクをするかどうか、状況を見ながら、したり外したりしていますが、
 これも中々面白いと思っています。

 今日は、高校野球の作新学院対香川県の英明との試合がありました。
 序盤英明が1点先行し、
 作新が追い付いて1対1のまま膠着状況が続きました。
 6回裏、英明が3点挙げました。
 この時、解説の方が、点数が入ったのでゲームが動くと言いましたが、
 その通りに7回表に作新が2点を挙げて1点差に詰めました。
 そして8回表に作新が4点を挙げて勝負があったかと思ったのですが、
 その裏、英明にスリーランホームランが出て逆転されました。
 これで作新の負けかと思ったのですが、
 9回表、今度は作新にツーランが出て、また逆転しました。
 9回裏もかなり際どい場面がありましたが、
 投手交代で、からくも作新学院が逃げ切ったと言う感じでした。
 地元の高校と言う事を除いても面白いゲームでした。
 作新学院は、ベスト8一番乗りで、
 次は山口県の光高校と山梨学院の勝者との対戦になります。

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野球のファン・・・

2023年03月23日 18時39分41秒 | 日記
 ご承知の通り、昨日、ワールドベースボールクラシック(WBC)で、
 日本が見事優勝しました。
 投手力も打撃力も素晴らしいチームが出来上がったと思っています。
 今回のWBCに関して、
 3月の18、19日に実施した
 朝日新聞の世論調査の結果に興味を感じました。
 日本代表の活躍を楽しみにしているかを尋ねたところ、
 「楽しみにしている」は80%で、
 「それほどでもない」18%を大きく上回りました。
 「楽しみにしている」は男女別では男性81%、女性80%と
 大きな違いはありませんでしたが、
 年代別では70歳以上で89%となるなど高齢層で高い傾向が出たとの事です。
 一方で30代では69%と全体と比べると低めになっていて、
 代表選手と年代が近い18~29歳では
 76%と全体よりわずかに低かったとの事です。

 日本国内での5試合のテレビの世帯視聴率は、
 軒並み世帯視聴率は40%超え、
 準々決勝のイタリア戦は48.0%だったとの事です。
 特定層別視聴率を測定するスイッチメディアや、
 都道府県だけでなく市町村別視聴率を割り出しているインテージによれば、
 70歳以上の高齢者が格別に盛り上がっていて、
 地域では岩手県の視聴率が傑出していたとの事です。
 70歳以上は暇だと言うのもあるのかも知れませんが。

 今の70歳以上の世代、子どもの頃の遊びと言うと、
 野球が多かったと思います。
 子どもが3・4人集まり、チョッとした広場があれば、
 野球をやる事が多かったような気がします。
 ゲームが出来なくてもキャッチボールなどをしていました。
 長嶋茂雄さんが、プロ野球にデビューしたのが、1958年です。
 長嶋さんに憧れ、将来何になりたいかと訊かれたら、
 プロ野球の選手と答える子ども達も多かったと思います。
 かく言う僕も小学生の頃はプロ野球の選手になりたいと思っていましたし、
 グローブやバットなどを買ってもらって、
 とても嬉しかった覚えがあります。
 亡父や弟ともよくキャッチボールをやっていました。
 テレビでも、ジャイアンツ戦を中心に、
 毎日のように実況中継がありました。

 今の子ども達のスポーツはどうなのでしょう?
 かつてのように野球の一点集中と言う事はなく、
 サッカーやバスケット、バレーなど
 選択肢が多くなっているように感じます。
 それが悪い事ではないのは間違いないと思いますが。
 
 今回のWBCの優勝で、
 人気に翳りが出て来たように感じていた野球に、
 子ども達の人気が出るようになるでしょうか?

 明日は所用のため、日記などを休ませて頂きます。
 あるいは、2・3日休むかも知れませんが、
 今のところどうなるか分かりません。
 お含み置き下さい。

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時の氏神・・・

2023年03月22日 18時39分09秒 | 日記
 岸田総理は、21日電撃的にウクライナを訪問し、
 ゼレンスキー大統領と会談を行いました。
 この訪問、G7のメンバーの首脳の中で、
 岸田総理だけがウクライナを訪問していなかったので、
 僕も行かなくちゃカッコ悪いと言う事だったような感じがします。
 行ったからと言って、何か和平への見通しが出来た訳ではなさそうです。

 これと比べるのには、余りにも次元が違いするような気もしますが、
 中国の周近平主席がロシアを訪問し、
 ロシアのプーチン大統領と長時間の会談を行ったようです。
 中国は、ロシアによるウクライナ軍事侵攻から1年となる2月24日に、
 「ウクライナ危機の政治的解決に関する中国の立場」と
 題した文書を発表し、
 「すべての当事者が対立を激化させず、
  ロシアとウクライナが互いに歩み寄ることを支持する」として、
 直接的な対話をできるかぎり早く再開して
 全面的な停戦を実現するよう呼びかけています。
 こうした流れの中でのロシア訪問だったのだと思います。
 中国が仲介するとすれば、
 ウクライナへのアプローチはどうするのかと思いますが、
 アメリカのウォール・ストリート・ジャーナルは、
 習主席がロシア訪問のあとにウクライナのゼレンスキー大統領との
 オンラインの会談も計画しているとも伝えています。
 ゼレンスキー大統領とのオンライン会談が
 実現するのかどうか分かりませんが、
 積極的に中国が仲介に動いている感じがします。

 周主席の3期目が決定した3月10日、
 中国は、ここ7年間断絶していた、イランとサウジアラビアの
 外交関係が正常化することになったと発表しました。
 ペルシャ湾をはさんで向かい合う
 イランとサウジアラビアはともに産油国です。
 同じイスラム教の国ですが、
 イランがいわば「シーア派を代表する国」であるのに対し、
 サウジアラビアは「スンニ派を代表する国」です。
 互いが経済的・政治的な影響力を周辺国に対し駆使して、
 覇権争いを続けてきました。
 アメリカが中東に対する影響力を低下させている中で、
 中国が仲介に乗り出し、成果を挙げたように感じています。

 直近で、こうした中国の外交が成果を挙げている中での、
 周主席のロシアへの訪問です。
 僕は、どこが仲介するにしても、
 ともかく和平が実現するのが先だと思いますので、
 中国の仲介が功を奏するのを期待したいです。
 しかし、中国への対抗意識をむき出しにしているアメリカが、
 黙って中国の手柄にさせるとも思えません。
 ウクライナに対する何らかの働きかけがありそうな気がしますが、
 ウクライナは、それをどのように受け止めるのでしょうか?

 ロシアがウクライナに侵攻した時、
 アメリカをはじめEC諸国などは、ロシアへの制裁措置で、
 ロシアの侵攻を止めさせようとしましたが、結果は出ていません。
 仲介する動きを示した国もなかったような感じです。
 中国が本気で仲介に乗り出し、
 時の氏神になってくれれば良いがと思っています。

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野球・野球・・・

2023年03月21日 18時14分06秒 | 日記
 ご承知の通り、今日は、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の
 準決勝、日本対メキシコの試合がありました。
 試合開始は午前8時からでした。
 そして、午前9時からは、
 甲子園の石橋高校対能代松陽高校との試合もありました。
 朝食を済ませてからテレビの前で、WBCの試合を観始めました。
 午前9時になってからは、高校野球の方を観ました。
 途中、時々切り替えながら、両方の試合を観ていました。
 石橋高校と能代松陽との試合は、緊迫した試合展開で、
 最後まで分からないかと思っていましたが、
 8回裏に大きなエラーが出て負けてしまいました。
 やはり緊張するのでしょうね。
 一方的な試合にならないで良かったと思います。

 石橋高校の決着が付いてから、WBCの方に切り替えました。
 日本は、追い付いたのに引き離され、
 これは悪い展開かなと思っていましたが、
 9回裏、村上選手の逆転サヨナラ打が出て、日本が勝ちました。
 良かったですね。

 今日は、お彼岸の中日です。
 僕は、昨日墓参りに行って来ました。
 行く途中、馴染みの花屋に寄って花を買いましたが、
 おかみさんが、WBCの試合を観たいから、
 一日早く墓参りに行くと言う人が何人かいると言っていました。
 僕は、霊園が中日には大混雑するので、昨日行ったのですが。

 今日、試合が終わった後、お昼を食べに馴染みの焼きそば屋に行きました。
 焼きそば屋のおかみさんが、先ほどまでは人通りがほとんどなかったのに、
 試合が終わってから急に人が多くなったと言っていました。

 WBCは、明日アメリカとの決勝になります。
 どのような結果になるでしょうか?
 僕は観たいのですが、明日は午前中出掛ける用事があります。
 試合の始まる頃には家を出ないといけませんし、車です。
 残念ながら観る事は出来ないような感じです。


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袴田事件・・・

2023年03月20日 18時45分13秒 | 日記
 袴田事件は、1966年(昭和41年)6月30日、
 静岡県清水市(現:静岡市清水区)で発生した
 一家4人が殺害された強盗殺人・放火事件です。
 被告人として起訴された袴田巌さんに対し、
 1980年(昭和55年)に死刑の有罪判決が確定しましたが、
 袴田さんは死刑確定前から冤罪を主張していました。
 2014年(平成26年)3月27日、
 静岡地方裁判所が再審開始と死刑及び拘置の執行停止を決定しましたが、
 2018年(平成30年)6月11日に東京高等裁判所で再審請求が棄却され、
 弁護側が、最高裁に特別抗告を行い、
 2020年(令和2年)12月22日に
 最高裁判所から東京高裁へ審理が差し戻され、
 2023年(令和5年)3月13日に
 再び同高裁で再審開始の決定がなされていました。
 この決定に対して、
 検察が特別抗告を行うかどうかが、ここのところの焦点でしたが、
 今日、東京高等検察庁は、特別抗告を断念すると発表しました。
 今後、静岡地方裁判所で再審が開かれる事になります。

 この袴田事件については、
 1981年(昭和56年)4月20日に、
 袴田さんが静岡地裁に第1次の再審請求を申し立てていますが、
 2008年(平成20年)3月24日、最高裁が特別抗告を棄却し、
 第一次再審請求は、再審が認められずに終了しています。
 そして同年4月25日に袴田さんの姉が請求人となり、
 静岡地裁に第2次再審請求を行い、それが今回終結した次第です。

 3月13日に出された東京高裁の審理の争点は、
 事件からおよそ1年2か月後の1967年(昭和42年)8月31日に、
 味噌製造工場にある味噌の1号タンク内から、
 従業員が発見した血染めの「5点の衣類」でした。
 因みに、被害に遭ったのは味噌製造会社の専務一家です。
 高裁の決定では、捜査機関による捏造の可能性にまで踏み込んでいました。

 これから行われる再審でどのような判断が出るのかは分かりませんが、
 検察庁が特別抗告を断念した事から考えると、
 再審無罪となる可能性は高いものと思われます。

 これまで死刑確定後、再審無罪となったのは4件あります。
 1983年(昭和58年)7月15日に決定となった免田事件、
 1984年(昭和59年)3月12日の財田川事件、
 1984年(昭和59年)7月11日の松山事件、
 1989年(平成元年)1月31日の三島事件です。
 いずれも、昭和50年前後に起こった殺人事件で、
 強引な捜査と自白偏重の裁判が問題となった事件だと思います。

 再審請求事件としては、飯塚事件もあります。
 これは、既に死刑が執行されてしまった事案の第二次再審請求です。
 かなり冤罪の可能性があるように思いますが、
 どのような結果になるのかも興味があります。

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