天然居士の独り言

主に日記主体のブログです。

プチ旅行・・・

2015年11月29日 20時28分50秒 | 日記
 宇都宮市の北部、旧河内町に岡本家住宅と言う重要文化財の建物があります。
 普段は敷地内の建物を見られないようですが、
 昨日の下野新聞には岡本家の所縁のある画家の個展をやっているとありましたので、
 これは内部を見て来ようと思って行って来ました。

 車で行こうと思ったのですが、
 場所が分かりづらそうな感じで、JR岡本駅から歩いて10分程度との事なので、
 電車で行くのも良いかと調べていたら、
 10時03分発の烏山行きのアキュムがあるのが分かり、これは電車でと決めました。
 アキュムはご存知ない方も多いかと思いますが、
 2014年3月15日に栃木県の烏山線に導入された、
 国内初の蓄電池駆動電車(EV-E301系)です。
 烏山線は、宝積寺から烏山は非電化区間で、現在もディーゼルカーが走っています。
 高崎鉄道管理局管内では唯一の非電化区間らしく、運転手の確保の問題もあって、
 今回アキュムを導入する事にしたと聞いた事があります。
 このアキュム、電化区間ではパンタグラフから充電し、
 非電化の区間では蓄電池を使って走ります。
 実際に乗ってみましたが、車両は明るい感じがしたものの、
 普通の電車と変わらないなぁと言うのが感想です。
 僕は宇都宮から岡本までの1駅きり乗りませんでしたので、
 本当は非電化区間を乗らないと感じは掴めないのかも知れません。
 アキュムは1日3往復の運行です。

 岡本駅で、電車を降りて、人に道を訊きながら岡本家住宅に向かいました。
 駅名が岡本で地名が岡本ですから、岡本家は古くからの家柄なのでしょうね。
 岡本家住宅は江戸中期の建物で、
 2つの主屋を折れ曲がった形に配置しているのが特徴です。
 1968年に重要文化財の指定を受けましたが、
 2007年までは、住居として使われていたとの事です。
 2011年の東日本大震災で被災し、
 2012年3月から2014年9月まで解体修理が行われました。
 この建物の活用策の第一弾として、今回の絵画展が行われました。
 絵は、栃木県内で活躍した故福田俊三の作品です。
 21点ほどの絵が、古い民家の土間や室内に展示されていました。
 絵は風景画が多く、岡本家住宅を描いたものもあり、
 雰囲気が合っていると思いました。

 個展を見てから岡本駅に戻り、宇都宮に帰って来ました。
 電車を使うと、短い距離でも旅行している気分になりますね。
 正にプチ旅行の感じでした。

 宇都宮駅でお昼にコロッケ蕎麦を食べて、ブラブラ歩いていたら疲れたので、
 途中にあったパチンコ屋に入ったら、少し小遣いを頂きました^^

 家に帰った後、アイロンを掛けながら、
 全日本大学バスケット男子の決勝を見ました。
 昨年、入院中の同居人と見ましたが、応援していた東海大は負けてしまいました。
 今年は、同じ組み合わせになりましたが、今年も東海大は負けました。
 家のテレビは仏壇の前にあるので、同居人も悔しがっているかも知れません。

 今日の写真をアップしましたので、宜しければご覧下さい。
 http://photozou.jp/photo/album/2882708

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墓参り・・・

2015年11月28日 20時21分39秒 | 日記
 昨日は、同居人の大学時代の友人が墓参りに宇都宮に来てくれました。
 1人の方は、北海道からです。
 多分他の用事もあったのでしょうが、東京にいる娘さんの所に一昨日来て、
 昨日の夕方には北海道に帰るとの事でした。
 もう1人は、東京在住の方ですが、一緒に来られました。

 僕はお2人とも初対面でしたが、お名前は承知していました。
 毎年年賀状が来ていたので、
 同居人がそれを見る度に、今年は会えると良いなぁと言っていたのを覚えています。

 同居人の病気については、彼女の幼なじみ以外誰にも知らせませんでした。
 彼女も知らせる事を望んでいませんでしたし、
 病状の進行も早く知らせる間もありませんでした。
 今年の2月、寒中見舞いを出したので、同居人の死を知り、電話は頂いていたのですが、
 東京に住まわれている方も体調を崩された事などのため、
 昨日になってしまったとの事でした。

 JR宇都宮駅の新幹線改札口で待ち合わせをして、
 直接霊園の墓にお参りして頂きました。
 その後自宅に来て頂いて、宇都宮名物の餃子を食べに行きました。
 お2人とも、とても喜んでくれました。
 その後、また自宅に戻ってコーヒーを飲んで話をし、
 駅までお送りして、改札口で別れました。

 お2人から、同居人の学生時代の話を聞く事が出来ました。
 僕の知らない事ばかりでした。
 遠路、わざわざ宇都宮まで来て下さって、本当に有り難い事だと思いました。

 昨日はお2人がお帰りになった後、職場に行きました。
 行って色々話をしている内に遅くなってしまい、
 日記を書く力がありませんでした。

 今日は土曜日でしたが、仕事でさくら市に行って来ました。
 少し早目に家を出て、
 さくら市ミュージーアムで開催されている喜連川文書展を観て来ました。
 喜連川氏は足利氏の後裔の大名です。
 石高は僅か5000石でしたが、豊臣秀吉の計らいで家を再興し、
 源氏の末裔を称する徳川家康からは石高に係らず、10万石の家格を認められていました。
 江戸城に登城した大名や旗本が、
 将軍に拝謁する順番を待っていた伺候席と呼ばれる控席でも、
 喜連川氏は大廊下下之部屋が与えられていました。
 上之部屋には御三家などが詰めていましたが、
 下之部屋は加賀藩前田家のほか、福井藩松平家が詰めていました。
 その喜連川氏の引き継いで来た文書が展示されていて、中々面白かったです。

 その後式典に出席して、漫画家のちばてつやさんの講演を聴いて来ました。
 ちばさんは、現在宇都宮文星芸術大学のマンガ科の教授をされています。
 「明日のジョー」などの漫画で有名な方ですが、
 僕は「紫電改のタカ」や「ハリスの旋風」の頃からのファンです。
 細かい点にも気を配られたようなお話で、
 色々な漫画や力石徹が死んだ後の実際に行われた告別式の写真なども使って、
 とても良い講演だったと思います。

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無常・・・

2015年11月26日 20時04分41秒 | 日記
 昨夜は、ちょっと出掛ける所が出来たので、日記を休んでしまいました。

 昨日、ある方の訃報がありました。
 その方は、先週20日の金曜日に一緒に酒飲みをした人だったので驚いてしまいました。
 一昨日の夕方大動脈瘤破裂で倒れられて、
 病院に搬送されましたが間に合わなかったとの事でした。
 先週の金曜日にはお元気だったのですが。
 お年は確か77歳だったと思います。

 その時のメンバーに知らせるよう頼まれたので、
 それぞれ電話をしましたが、皆さん一様に驚かれていました。
 その中には、亡くなった方と一昨日の日中電話で話したと言う人もいました。
 全く普段の調子と変わらなかったとおっしゃっていました。

 亡くなった方は、かつての仕事の先輩で、色々な場面でお世話になった方でした。
 「○○(僕のあだ名が入ります)ちゃんよ~ そだっぺ 」とよく言われました。
 また、「早い話が~」と言うのが口癖でした。
 決して話は早くならないのですが、
 仲間内では、「早い話」と言うと、その先輩の事を指していると通じました。
 よく勉強もされていて、横文字も沢山使われていました。
 例えば「フィジビリティスタディ」と言う言葉もその方から教わりました。
 その方は綺麗な栃木弁なので、
 余り横文字を振り回さない方が良いかとは思ったのですが。
 その他教えて下さった事は沢山あります。

 先日の酒飲みの席でも、昔話に花が咲きましたが、
 僕の1人暮らしについても心配してくれていました。
 お店の前で握手してお別れしましたが、それが今生の別れになるとは思いませんでした。
 「朝には紅顔ありて 夕べには白骨となる」とも言いますが、
 人の無常を感じずにはいられませんでした。

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家栽の人・・・

2015年11月24日 20時02分27秒 | 日記
 昨夜、漫画の「家栽の人」の原作者
 毛利甚八さんが亡くなったとのニュースがありました。
 「家栽の人」は1986年(昭和61年)から、
 ビッグコミックオリジナルに連載されていた漫画です。
 テレビドラマ化されたようですので、ご存知の方も多いかと思います。

 家庭裁判所裁判官で、植物に詳しい桑田義雄が主人公で、
 植物に関係させながら、少年審判・家事審判を解決していく話が中心で、
 罪を犯した少年達の心情や背景などを自ら調べながら、
 事件の解決と更生に取り組む姿を描いていました。
 とても温かみのある作品だったと思います。

 僕は、かつてビッグコミックのシリーズを友達達と回し読みをしていました。
 その中で、「家栽の人」を知り大好きになりました。
 回し読みが終わってからは、ほとんど読んでいませんが。

 お亡くなりになった原作者の毛利甚八さんについても知りませんでした。
 篤志面接委員として地元の少年院でウクレレを教えながら、
 少年事件の厳罰化の流れに反対し、
 少年院などを通した更生の可能性を発信し続けた方との事ですが、
 「家栽の人」からすると、さもありなんと言う感じです。

 58歳だったとの事で、早過ぎるご逝去だと思います。
 しばらく読んでなかった「家栽の人」ですが、単行本になっているようなので、
 出来れば改めて読んでみたいと思いました。
 また、毛利さんはルポライターとして、
 僕の好きな民俗学者の宮本常一を追った作品もあるようですので、
 これも読んでみたいと思いました。

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コンセールマロニエ20周年記念コンサート・・・

2015年11月23日 18時33分54秒 | 日記
 コンセールマロニエについては、先月の25日の日記に書きました。
 今年は20周年になるので、それを記念するコンサートが昨日ありました。
 出演者は過去のコンクールの優勝者など15名でした。
 15名の人達は、それぞれの各分野で活躍しています。
 弦楽器や管楽器の人は、NHK交響楽団などのオーケストラで活躍している人もいます。

 第一部の1曲目は、ヴィクトル・エワルドの「金管五重奏曲第3番」で、
 トランペット 牛腸和彦さん、松原真太郎さん、
 ホルン 所村映李さん
 トロンボーン 井上康一さん
 チューバ 池田幸広さんの演奏でした。

 2曲目からは声楽で、
 ソプラノの大貫裕子さん、テノールの村越大春さん、メゾソプラノ秋本悠希さん、
 バリトンの寺田功治さんがそれぞれ独唱で2・3曲歌ってから4人の重唱で、
 ヴェルディのオペラ「リゴレット」の「美しい恋の乙女よ」
 オペラ「椿姫」の「乾杯の歌」でした。

 第2部は弦楽器主体の演奏で、
 最初にロッシーニの「チェロとコントラバスのための二重奏曲」を
 チェロ金子鈴太郎さん、コントラバスを岡本潤さんが演奏しました。
 またトリオ・ラ・プラージュと言うグループを作っている
 クラリネットの近藤千花子さん、ヴァイオリンの田口美里さん、ピアノの渚智佳さんが、
 チャイコフスキーの「くるみ割人形」から3曲、
 そしてバルトークの「コントラスツ」を演奏しました。
 現代音楽は聴いているのも疲れるなぁと感じました。

 第3部はシューベルトの「ピアノ五重奏曲鱒」で、
 ヴァイオリン田口美里さん、ヴィオラ大島亮さん、チェロ金子鈴太郎さん、
 コントラバス岡本潤さん、ピアノ渚智佳さんの演奏でした。
 この5人、それぞれ活躍していますので、中々練習も出来なかったと思いますが、
 息がピッタリ合った感じで、皆さん楽しそうに演奏していました。

 この中で、メゾソプラノの秋本さんは、第17回の声楽部門の優勝者ですが、
 僕は、この時の歌を聴いています。
 3年前と比べて、歌唱力など全てが向上したように感じました。
 一緒に聴いていた音楽評論家の先生も、
 皆さん上達されていると嬉しそうに話していました。

 途中15分ずつの2回の休みが入ったとは言え、
 3時間30分の演奏会は、些か長かったですね。
 疲れてしまいました。
 そんな事もあって、昨日は日記を休みました。

 今日は、朝から曇りで昼近くには雨が降り出しました。
 家の掃除をしたり、床屋に行ったりしてから、ラグビーの早慶戦をテレビで見ました。
 11月23日は早慶戦が毎年行われています。
 一進一退の緊迫した試合でしたが、ロスタイムに横山君のペナルティーキックで逆転し、
 32対31で早稲田が勝ちました。
 今シーズン、帝京に大敗し、筑波にも負けた早稲田ですが、
 ワールドカップラグビーなどに出場していた藤田君や
 怪我で出場出来なかった選手が戻って来て、
 チーム力が向上しているような感じがします。
 次の明治戦がどうなるか、更に大学選手権がどうなるか楽しみです。

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写真・・・

2015年11月21日 20時16分37秒 | 日記
 昨夜は酒飲みでした。
 年に2・3回ほど集まっていたメンバーの中で、
 今回叙勲を受けられた方がいたので、そのお祝いの会でした。
 メンバーが元の上司や先輩ばかりなので、気を使う飲み会でしたが、
 10人余りなので、始まってしまえば和気藹々でした。
 普段集まっていた店の予約が取れなかったので、グレードが上がった高級店でした。
 このお店、だいぶ前に何度か行きました。
 部屋は昔のままですが椅子テーブルになっていました。
 やはり僕のように膝を痛めている人も多いからでしょうか、
 いずれにしても高齢者にはその方が良いですね。

 順番が逆になりましたが、一昨夜は、次男が帰宅したので日記を休みました。
 一緒に飲みに行った訳ではないのですが、
 彼の小さな頃の写真が欲しいと言うので、それを探していました。
 久しぶりに見る写真を見ている内に時間が経ってしまいました。

 僕と同居人の結婚式や新婚旅行の写真なども見ていて懐かしくなってしまいました。
 写真に写った僕はかなり痩せていました。
 この30年余りで凄く太ったのですね。
 昨年から、少し痩せたのですが、到底あの頃のレベルには達していません。
 同居人の方が体型は変わらなかったようです。
 写真の1枚1枚にその当時の事が浮かんで来ました。

 当然の事かも知れませんが、やはり長男の写真の方が多いですね。
 しかも次男がある程度の年齢になってからはビデオカメラを買って撮っていたので、
 余計彼の写真が少なくなってしまいました。
 昨年、ビデオカメラのテープを2本ほどCDに焼いてもらって、
 入院していた同居人に見せましたが、続編を見せる事が出来ない間に、
 彼女が旅立ってしまいました。
 次男にはCDを持たせて、そこからプリントするように言いました。

 次男は既に結婚しているのですが、
 服喪期間中と言うのでまだ式を挙げていません。
 年が明けたら、外国に行って身内だけの式を挙げる予定です。
 その際あるいはその後の披露宴で写真を使いたいとの事でしたが、
 彼の写真が少ないので申し訳ない思いをしました。

 今日は小春日和の良い天気になりました。
 午前中に洗濯をして、墓参りにも行って来ました。
 霊園にはほとんど人がいなくて、静かな雰囲気の中で線香を上げて来ました。

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11月18日・・・

2015年11月18日 20時18分33秒 | 日記
 今日は同居人の11回目の月命日です。
 昨日午前中休んだ事もあったので、今日も休む訳にもいかず、
 墓参りは今週末にする事で勘弁したもらう事にしました。
 まもなく一周忌の法事もありますし。

 昨年の11月16日まで自宅で静養していた同居人は、
 17日に抗癌剤の治療のため入院しました。
 そして昨年の今日から別の薬による治療が始まりました。

 僕は夕方1時間早く職場を抜け出し、病院に行きました。
 ここまでの入院期間中、個室で食事を摂っていましたが、
 この日は食堂で他の人達と一緒に食べていました。
 僕が行った時は、丁度皆さんと食べながら話をしているところでした。
 看護師さんから呼ぼうかと訊かれましたが、
 余りにも彼女が楽しそうにしているので、呼ばずにそのままにしました。
 あの楽しそうに話している彼女の姿が今も忘れられません。

 部屋に戻った彼女に何の話をしていたのか訊きましたが、
 病院内の医者や看護師の噂話だったとの事でした。
 これまで、個室できり過ごしてなかったので、
 他の人との他愛のない話が楽しかったようです。

 彼女は、まだ薬の効果が現れなくて、それなりに元気でした。
 今にして思うと、彼女の命は残り1ヶ月だった訳ですが、
 そんな感じは微塵もありませんでした。
 しかし、翌日退院して、また家で過ごしている間に、
 日を追うごとに薬の副作用が強くなりました。

 何度も書きましたが、僕の悔いが残っているのは、この辺の事情です。
 2度目の抗癌剤治療をパスして緩和ケアに行っていれば、
 もう少し元気で明るく過ごせる時間が長くて、
 もっと沢山話が出来たのではないかと思います。
 あの時には彼女に助かって欲しい気持ちが一杯で、
 助かる望みが少しでもあるならば、それに賭けてみるべきだと思い、
 強く再度の治療を彼女に勧めました。
 結果的に彼女を苦しませて、命も短くしてしまったような気がします。
 それなので、僕は一生、彼女に謝り続けなければいけないと思っています。

 仕事の合間などに、今日は一日その事が頭を離れませんでした。
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女性の神職・・・

2015年11月17日 18時22分04秒 | 日記
 昨夜は、酒飲みでした。
 直接仕事とは関係ありませんが、
 現在同じような立場の人の集まりでしたから、
 ほとんど旧知の人なので、和気藹々の雰囲気に、ついつい飲み過ぎてしまいました。

 今日は午前中、後輩の父上が亡くなったため、仕事を休んで葬儀に行って来ました。
 場所は宇都宮市の郊外にある斎場でした。
 昨年の同居人の葬儀以来、僕は行った事がありません。
 少し落ち込むかなと思ったのですが、止むを得ません。
 しかし葬儀の建物は火葬の建物と別なので、少し気が楽になりました。
 3年ほど前に同居人の友達のお姉さんの葬儀に一緒に来た事を思い出していました。

 今日出席した葬儀、神葬祭と言うのは承知していましたが、
 祭主になった神職が女性なのに驚いてしまいました。
 後輩の住まい近くの神社の宮司のようです。
 今は女性の宮司もいるのですね。
 年の頃は30代位かなと思ったのですが、日本的な顔立ちの綺麗な人でした。

 戦前は男尊女卑の考え方から、神職に女性はいなかったようですが、
 最近では徐々に増えているようです。
 神道では穢れを嫌います。
 死は穢れなので、神社で葬儀は行いません。
 今の世の中で「女性は穢れている」などと言うと
 誰も相手にしてくれないかも知れませんが、
 かつては、そう思われて来ましたから、神職に女性がなれなかったのでしょうね。
 しかし、神道の最高の神は天照大神で女性ですから、
 女性が神職になっても何の不思議もないのかも知れません。
 そんな事を考えていました。

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栃木SC・・・

2015年11月15日 20時41分24秒 | 日記
 今朝の下野新聞の1面トップは、当然の事ですが、パリの同時テロでした。
 そして1面の2番目のニュースが、栃木SC降格決定的との見出しの記事でした。

 栃木県内には、5つのプロスポーツがあります。
 自転車の宇都宮ブリッツェン・那須ブラーゼンと
 バスケットボールのリンク栃木ブレックス、アイスホッケーの日光アイスバックス、
 そしてサッカーの栃木SCです。

 栃木SCは、サッカーのJリーグのJ2に所属していますが、
 今シーズン成績の不振が続いて来ました。
 昨日、京都サンガ戦に負けたため、
 最終節の1試合を残して、J2の22チームの中で最下位です。
 最下位のチームはJ3トップのチームと自動入れ替えになります。
 入れ替え戦になる21位の大分トリニータとは勝ち点3の差ですので、
 次に栃木SCが勝って、大分が負ければ勝ち点では並びます。
 しかし、得失点差が大きくて、大分と13点ありますので、
 事実上21位になるのは不可能と言う状況になりました。

 栃木SCは、1953年(昭和28年)に栃木教員サッカークラブとして発足しました。
 1994年(平成6年)に現在のチーム名に変更し、
 2008年(平成20年)にJFLで2位に入って、J2昇格を決めました。
 J2の最高位は、2013年(平成25年)の9位でした。
 この時には、前半上位クラスにいたので、J1昇格も夢ではないかと思いました。
 しかし、この年の秋に債務超過が表面化し、経営再建に取り掛かり、
 県民の募金活動などや経費削減で存続危機を乗り越えた所でした。
 チームの存続のための経費削減でしたが、
 それで優秀な選手が流出してしまい、この状況に至ったような気がします。

 J3でもプロチームに変わりはないと思いますが、
 J3も13チームのリーグ戦です。
 簡単には再昇格するのも難しいと思います。
 選手達に頑張ってもらう以外ないですね。

 今日は、余り外出もせずに大人しくしていました。
 膝の状況は、そんなに急に治る訳ではないでしょうが、
 それでも少しは良くなったような気がします。

 
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パリのテロ・・・

2015年11月14日 19時57分15秒 | 日記
 昨日は、ある仕事の打ち上げの酒飲みでした。
 若い女性もいたので、楽しく飲んで来ました。

 ご心配頂いた膝痛は、だいぶ良くなりました。
 まだ痛い所もありますが、かなり回復したと思います。

 今日は、1日雨だったので、家で大人しくしてようと思ったのですが、
 お袋の所に行ったり、買い物をしたり、図書館に本を返しに行ったりで、
 結構動き回ってしまいました。

 パリの13日夜(日本時間14日朝)、複数の場所で同時多発テロが起きました。
 「神は偉大なり」と叫んでいたとの報道もあり、
 フランスのオランド大統領は、イスラム国の犯行と指摘したと報じられています。
 現段階で120人以上の死者が出ているとの事が、
 何の罪もない人々の命を奪う、憎むべき犯罪です。
 フランスでは、風刺誌襲撃事件以降、最大級の警備がひかれていたはずですが、
 それをかいくぐっての襲撃だったのでしょう。
 どこが次に狙われるのか、世界中を不安に陥れる事になります。

 テロの警戒が更に強まると、住民や観光客など、不便になるのは間違いありません。
 イスラム国の犯行とすると、今回の事件を契機に、更にイスラム国への攻撃が強まり、
 多くの市民に犠牲が出る事が懸念されます。
 報復の連鎖にならなければ良いがと思います。

 パリに多くの日本の高校生が修学旅行に行っているのにも驚いてしまいました。
 宇都宮の作新学院の情報科学部美術デザイン科の
 2年生36人と教職員3人が行っていたようですが、全員無事だったとの事です。
 若い内に外国の空気を吸って来るのは悪い事ではありませんが、
 父兄の負担も大変だろうなぁと思ってしまいました。

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