天然居士の独り言

主に日記主体のブログです。

この1年・・・

2016年12月31日 17時25分34秒 | 日記
 2日ほど日記が空いてしまいました。
 一昨日の夜、長男が帰って来ました。
 北九州から盛岡に帰る友人も来て泊まりました。
 3人で飲みに行ってしまったので、日記は休みました。

 一昨日・昨日と遊びに行かずに、家の掃除や片づけをしていました。
 昨夜は珍しく長男は家にいましたが、
 夕飯の準備も面倒くさいので、結局寿司を食べに行ってしまい、
 日記も面倒くさくなってしまいました。

 この1年、色々な事がありました。
 1月には、スキーバスの大きな事故がありましたが、
 僕もバス旅行で南房総に行きました。
 バス旅行も久しぶりでした。

 2月に、次男がグアムで結婚式を挙げたので、行って来ました。
 2人は入籍を済ませていましたが、喪中との事で式を挙げていませんでした。
 2人と僕と長男、彼女の父親と妹の総勢6人の挙式でしたが、
 想像以上の立派な式でした。
 僕は、長年の夢だった実弾射撃が出来たので、満足しました^^
 また、2月は生まれて初めてアイスホッケーの試合を見ました。

 3月には、初めて埼玉県の川越市に行って来ました。
 長い間行きたかった街ですが、良い所でした。

 4月に熊本県で大きな地震が続けて起こりました。
 東日本大震災の時も2日前にやはり大きな地震がありました。
 大きな地震の後は気を付けないといけないですが、防ぎようがないかも知れません。

 5月は、初めてNHKホールのコンサートに行きました。
 佐渡裕さん指揮のオーケストラとアリス=紗良・オットさんのピアノでした。
 この月は、カラバッジョ展にも行きました。
 若冲展は余りの混雑に断念してしまいましたが、芸術の月でした。
 オバマ大統領の広島訪問も印象に残りました。

 6月は、大人の休日倶楽部切符を使って、盛岡、新潟、東京、松本と
 4日連続で日帰りの旅をして来ました。
 また、イギリスの国民投票の結果、大方の予想と異なり、
 イギリスがEUを離脱する事になりました。

 7月には、参議院議員選挙で予想通り、与党が圧勝しました。
 また相模原市の障害者施設で19人の方を殺害する事件が起こりました。

 8月には、小池都知事が誕生しました。
 また天皇陛下が生前退位のご意向をビデオで発表されました。
 リオデジャネイロオリンピックでは、栃木県出身の萩野公介選手が、
 水泳で日本初の金メダルを取りました。
 陸上400mリレーの銀メダルも凄かったですね。
 準備が間に合わないとの話もありましたが、無事に終わって良かったですね。
 そして、夏の甲子園では、作新学院が54年ぶりに優勝しました。
 栃木県のスポーツ選手が大活躍した月でした。

 9月には、会津若松に1泊で行って来ました。
 天気は悪かったのですが、楽しい旅行でした。
 バスケットボールのBリーグが開幕しました。
 地元の栃木ブレックスは、開幕戦で秋田ノーザンハピネスに負けてしまい、
 どうなるかと思ったのですが、その後順調に勝ち進んでいて、
 現在東地区の2位です。
 また東京で初めてピアノの連弾を聴きました。

 10月には、茨城県にある海浜自然の家に泊まって来ました。
 海の正面にある建物ですが、雄大な景色を堪能して来ました。
 宇都宮城址祭が開催され、社参行列を見に行きましたが、この日爆弾事件がありました。
 危ういところで、僕は巻き込まれなくて済みました。

 11月のアメリカ大統領選挙では、予想を覆してトランプ氏が勝ちました。
 これから世界はどうなるのでしょうか?
 宇都宮市長選挙も行われました、LRT推進を掲げた現職が勝ちましたが、僅差でした。
 27日には、同居人の三回忌を行いました。

 今月は、宇都宮市内でも行った事のない所に行って来ました。
 また、那須の山の上にある、那須高原自然の家に泊まって来ました。
 寒かったですが、キャンプファイヤーを囲んで楽しく過ごして来ました。
 さらに上京して篠山紀信さんの写真展を見て来ました。
 新潟県の糸魚川市で大火がありました。

 振り返ってみると、世界的には大きな変化のあった年だったと思います。
 この影響は来年以降出て来るはずです。
 国内では、大きな地震が起こったり台風が来たりなど天変地異の年でしたし、
 予想も出来ないような事件が起こった年でした。
 僕自身は、初体験が多く楽しい1年だったと思います。

 色々な事のあった2016年ですが、間もなく幕を閉じます。
 1年間拙い日記をご高覧頂き、またコメントなども頂戴し有難うございました。
 来年がどのような年になるのか、よく分かりませんが、
 引き続き日記を書いて行くつもりですので、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
 皆様が良い年を迎えられる事を祈念申し上げて、今年の日記を終了します。

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小池都知事・・・

2016年12月27日 20時00分19秒 | 日記
 就任から4ヶ月を経過した小池都知事ですが、
 ここまでの経過を見ていると、
 騒ぐだけ騒いで、結果は変わらないと言う感じがしています。

 豊洲移転問題も、盛り土問題で、一部実施しなかった事が明るみに出ましたが、
 専門家会議でも土壌汚染や耐震強度で『問題なし』の意見が強いようで、
 白紙に戻す事にはなりそうもありません。
 徒に先延ばしして、市場関係者に負担を掛けているような気がします。

 東京オリンピックの3競技会場の見直し問題でも、
 大騒ぎになりましたが、結果的に若干の経費を削減しただけで原案に戻りました。
 正に大山鳴動して鼠一匹の状態です。
 そう質問した記者に対して頭の黒い鼠が沢山いる事が分かったと言っていましたが、
 その場凌ぎのような感じです。

 今、大騒ぎになっているのは、東京都以外の地方会場に設ける
 仮設施設の整備費負担問題ですが、開催を引き受ける各県の知事が猛反発しています。
 今回の騒動は、組織委員会が東京オリンピックの総経費を公開して、
 その内組織委員会が負担する部分を限定した事が発端ですが、
 東京都の意向が大きいと見て、各地方自治体の首長は小池知事にも要請したのでしょう。
 今回はどうなるのでしょうね?

 小池都知事の手法は、誰か敵役を見付けて、自分は正義の味方を標榜する
 劇場型の政治手法であることが見えて来ているように感じています。
 豊洲問題では、石原元知事やその部下だった都職員、
 競技会場問題では森会長を代表とする組織委員会などです。
 都政全般では、都議会自民党を敵役にしているように感じています。

 そして人を小馬鹿にしたような物言いがお好きなようです。
 昨日の各県知事に対しても、
 私の所に最初に来るのは筋違いでしょうとのニュアンスの発言がありました。
 アポイントで時間を指定したのが、各県知事側とは思えませんので、
 どうも性格が良くないような印象でした。

 彼女を支持する人が多いから都知事になったのでしょうが、
 僕は嫌いです。

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年賀状・・・

2016年12月26日 19時35分18秒 | 日記
 僕は、以前は、パソコンで年賀状を作り、プリンターで印刷して出していました。
 写真を入れていましたが、当然の事ながら僕が撮った写真を使っていました。

 一昨年は年賀状どころではなくなり、
 年が明けてから寒中見舞いを出しました。
 昨年はプリンターが故障していたので、買い換えるのも面倒だと思って、
 印刷会社に頼みました。
 今年も昨年と同じように印刷会社に頼みましたが、
 懐かしい人が集金に来てくれた話を先日書きました。

 昨年は宛名も手書きで出しましたが、それでもそんなに時間が掛からなかったので、
 今年も前例踏襲で、24日の午前中に書いて出しました。

 昨日の日記にも書きましたように、24日は後輩のお父上の通夜がありました。
 亡くなられた方は、僕の先輩に当たり、昔職場でお世話になっていた方でもあったので、
 通夜にも知り合いが沢山来ていました。
 その中の1人に、やはり先輩で、何年か会っていない人がいました。
 午前中、年賀状に「元気に過ごしております」と一言書き添えて
 出したばかりだったので、可笑しくなってしまいました。
 正直に言えば良かったかとも思いますが、言うのも間抜けなような感じがしたので、
 黙ってお互いの近況などを話していました。
 元旦に年賀状が届けば、お通夜の前に出した事は分かるかなと思いますが、
 その人からの年賀状には、何て書いてあるのかも楽しみになりました。

 年賀状は本来、元日に出すもののようですが、
 明治時代に、1月1日の消印を多くの人が求めた事などもあって、
 年末から受け付けるようになり、元日に配達するのが定着したようです。
 正月はゆっくりしたいから、年賀状を書くのに追われるのも避けたい気もします。
 しかし、やはりギリギリに出した方が、色々な変化に対応出来ますね。
 以前、年末に亡くなった方からの年賀状を受け取った事もあります。
 来年はどうするか考えてみようかと思いました。

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快楽の館・・・

2016年12月25日 20時03分01秒 | 日記
 一昨日は上京して疲れてしまい日記を休みました。
 昨日は後輩のお父上の通夜に行ったので、日記を休んでしまいました。
 今日、出掛ける用事があって、
 葬儀に出席出来なかったので、止むを得ませんでした。

 一昨日上京した目的は、高輪の原美術館で開催されている、
 篠山紀信さんの写真展「快楽の館」を見たいと思ったからでした。

 家を出たのが7時半でした。
 7時48分発の熱海行きの電車に乗ろうと思ったのですが、
 宇都宮駅に着いたのがギリギリでグリーン券を買う余裕もありませんでした。
 何とか座れたので、そのまま新橋まで行きました。
 新橋で都営地下鉄に乗り換えて、泉岳寺に行きました。
 写真展の開館は11時なので、その前に寄ろうと思った次第です。
 泉岳寺は初めてですが、お参りする人が多いのですね。
 浅野内匠頭はもちろん、奥さんの阿久里などの墓もありました。
 門前の大石像は桃中軒雲衛門の奉納ですし、
 吉良上野介の首を洗ったとされる井戸の石柵は川上音二郎の名前が書いてありました。
 芸人はお世話になったとの事でしょうか?
 「吾輩は猫である」には、越智東風の泉岳寺での失敗談がありますが、
 漱石の頃から関係資料は展示されていたのですね。
 義士会館で資料を見ました。
 一番面白いと思ったのは、吉良上野介の首を吉良家が受け取った、その受書でした。

 泉岳寺から京浜急行の北品川に行って、品川神社に行きました。
 折悪しく境内で何かイベントをやっていて、賑わっていました。
 品川神社に板垣退助の墓があるのは知りませんでした。
 この神社には富士塚があります。
 これを見たかったのですが、イベントに来た子ども達の遊び場になっていました。
 それでも1合目から頂上まで上がりました。
 江戸時代の正に見立ての文化だなぁと思いました。

 そしてそこから歩いて、原美術館に行きました。
 原美術館は、横浜のホテルニューグランドや銀座の服部時計店などを設計した
 渡辺仁が設計した建物です。
 元々原美術館は、邸宅として建設されたものですが、
 現在は美術館として使われています。
 この美術館の休館日に館内で篠山紀信さんが撮ったヌード写真が、
 今回の「快楽の館」です。
 屋外に展示されていた写真は下着を付けていましたが、
 館内の写真はほとんど全裸です。
 篠山さんの写真は、2012年10月31日に新宿のオペラシティで、
 「写真力」と言う写真展を見ました。
 その時、写真の迫力に魅了されましたが、今回も写真に迫力がありました。
 壇蜜さんもモデルになっていましたが、彼女の体は綺麗ですね。
 写真展の詳細は下記の通りですが、
 http://www.art-it.asia/u/HaraMuseum/IoXcFNSpLejTadmKb86i/
 この中の女性が開脚で飛び上がっている写真は素晴らしいと思いました。
 彼女の足の指は曲がっています。
 飛び上がってこのポーズは大変だったのではないかと思いました。
 下から見たらどうだろうなどとは思いませんでしたが^^
 観に来ている人は女性が多いのにも驚きました。
 カップルが多かったですが、女性だけのグループもいました。
 昨年見た春画展と同じですね。

 原美術館から品川駅に出て、そこから両国に回り、北斎美術館に行きました。
 墨田区が新しく造った美術館ですが、
 建物は妹島和世さんが設計したものです。
 敷地の制約なのでしょうが、やはり狭い感じがしました。
 そこで1200円の美術展は、少し高いかなと感じました。
 しかし、北斎の浮世絵や肉筆画は、やはり素晴らしかったですね。
 さらに、伊藤晴雨の「貧しき或る日の北斎」は良かったです。
 伊藤晴雨は、知る人ぞ知る責め絵の画家ですが、
 味のある絵を描く人なのだと思いました。

 両国から次男の所に寄ろうかと思いましたが、
 電話したら長野に行っているとの事でしたので、そのまま帰って来ました。
 一昨日の写真をアップしましたので宜しければご覧下さい。
 http://photozou.jp/photo/album/2882708

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愚痴・・・

2016年12月22日 19時39分45秒 | 日記
 昨日は、後輩との酒飲みでした。
 先日珍しく彼から電話があって、
 近くまで行くので、たまに飲まないかとの話がありました。
 僕は予定が入ってなかったのでOKしました。

 彼は高校の3年下になりますが、かつて一緒の職場だった事があります。
 僕のポストの後を彼が追うような形の時期がありました。
 僕は書類の整理などが苦手で、机や棚を乱雑にしていました。
 彼は整理整頓がキチンと出来る人で、
 僕が異動した後の席に彼が座って綺麗に整理してくれました。
 そんな事が5年間で3度ほどありました。
 その後は別々でしたが、僕と同じポストに就いて、
 結局退職した時も同じポストでした。
 現在は別の所に勤めていますが、仕事の内容は似たような感じです。

 昨夜は、彼の愚痴をたっぷりと聞かされてしまいました。
 色々言われても僕にアドバイス出来る事は、ほとんどありません。
 それは彼も分かっている訳で、鬱屈したものを吐き出したかったのだと思います。
 話をしている内に、段々気分が晴れて来たようで、
 最後の頃は思い出話になっていました。

 昨夜の店は、同じ職場に勤めている女性のご主人とその母上がやっている所です。
 同じ職場の女性も綺麗でスタイルが良くて素敵な女性ですが、
 そのご主人も格好良くて優しそうな人です。
 お母様は一見加藤登紀子さんに似た人で、気をそらさない方です。
 料理が美味しくて、人気のある店で、昨夜もほとんど満席でした。

 店を出て彼と別れて、家に帰ろうとしたら、
 やはり忘年会シーズンなのでしょう、何人かの知り合いと行き会いました。
 その中の1つのグループに危うく拉致されそうになりましたが、
 僕も結構飲んでいたので、振り切って帰って来ました^^

 そのような訳で、昨夜は日記を書けませんでした。

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曜変天目・・・

2016年12月20日 19時38分13秒 | 日記
 今日のネットのニュースを見ていたら、
 今夜放送のテレビ東京の「何でも鑑定団」に、
 4個目の曜変天目茶碗が出るとの記事がありました。
 番組史上最大の発見と書いてありますので、
 本物である事は間違いないでしょうね。
 幾らの値が付くのか興味津々です。

 中国で焼かれた雑器の中で、室町時代に日本にわたり、
 茶人たちの間で人気となったのが天目茶碗ですが、
 その中でいちばん珍重されているのは、
 窯の中で偶然うわぐすりが変化し、
 美しい文様を呈した曜変天目です。
 文様は偶然の産物であり、再現するのは極めて困難とされています。
 現存する3点の曜変天目はいずれも国宝で、
 生産地の中国にも現存しないとの事です。

 現在国宝となっている曜変天目は、
 元徳川家が所有していて、春日局に下賜され、岩崎小弥太が購入し入手し、
 現在は静嘉堂文庫が所蔵する物。
 大阪の藤田美術館が所蔵する水戸徳川家に伝来の物。
 大徳寺龍光院が所蔵する筑前黒田家伝来の物です。

 記録によればもう1碗あったとされ、
 足利義政、織田信長が所有したとの事ですが、
 本能寺の変で他の多くの名物と共に焼失してしまったと言われています。

 天目茶碗を調べた鑑定士の中島誠之助さんは
 「鑑定団始まって以来、最大の発見」と断言したとの事です。
 これでは、見ない訳にはいきませんよね。
 特に織田信長所有の物なのか、記録になかった物なのかも興味があります。
 これからの放送を楽しみにしたいと思います。

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茶の考古学・・・

2016年12月19日 19時49分06秒 | 日記
 昨日は午前中の分だけ日記に書きました。
 午後は考古学セミナーの茶の考古学に行って来ました。
 18日の日曜日、墓参りには行かなくてはなりませんがそれは午前中です。
 午後はどうしようかと思っていました。
 小人閑居して不善をなすと言いますが、何か予定を入れておかないと、
 どこかに遊びに出てしまいそうだったので、
 勉強ならば家にいなくても同居人も許してくれるかと思った次第です。

 茶の考古学とのタイトルから、茶碗などの遺物の話かと思っていたのですが、
 茶についての、有史以前から千利休辺りまでの話でした。
 僕は日本に茶が入って来たのは、鎌倉時代初期で、
 栄西が南宋からもたらしたものと思っていたのですが、
 これが間違いである事を教わりました。

 正倉院文書の中には、茶の記載が23件あるとの事であり、
 東大寺要録には行基が茶の木を植える事を勧めたとあります。
 また、日本後紀の弘仁6年(815)4月22日の条に、
 嵯峨天皇が琵琶湖西岸の韓崎へ行幸した帰途、
 大僧都永忠より茶を献じられたと記されていて、
 これが歴史に残る最初の記載との事です。
 平安京の地図には、茶園が記されていて、既に茶の栽培を行っていました。

 しかしながら、茶を飲む習慣が定着していた訳ではなかったようで、
 遣唐使が廃止されて国風文化の時代が到来する10世紀以降、
 茶は「季御読経」という宮中の特殊な儀礼などに伝承されるにとどまり、
 茶の歴史は中断に近い状態になったと考えられているそうです。

 その後、12世紀の末、臨済宗の僧栄西は、禅宗を持ち帰る中で、
 宋代の新しい茶の製造法と利用法を学んで中国から帰りました。
 その栄西がもたらした茶は、現代とよく似た緑茶の粉末を攪拌して飲む習慣でした。
 1214年(建保2年)、将軍源実朝が二日酔いで苦しんでいた時、
 栄西が茶を献じて、実朝の二日酔いが回復した話が、「吾妻鏡」に記されていて、
 栄西はこの時、茶の効能を説いた書物である「喫茶養生記」を献上しています。
 この頃から、茶は寺院から武家社会へ、さらに庶民の生活へとひろがります。

 鎌倉時代の博学の僧無住が著した説話集の「沙石集」に、次のような説話が見えます。
 面白いので載せておきます。
 或牛飼、僧の茶のむ所にのぞみて云はく、
 牛飼「あれは、いかなる御薬にて候やらん。己らがたまはる事は、かなふまじく候にや」
  と云ふ。
 僧「是は三の徳ある薬なり。やすきことなり。取らせん」と云ふ。
 僧「その徳といふは、
  一には、坐禅の時のねぶらるるが、是をのみつれば、通夜ねられず。
  一には、食にあける時服すれば、食消して身かろく、心あきらかなり。
  一には、不発になる薬也」と云ふ時、
牛飼「さてはえ給はり候はじ。昼は終日に宮仕候て、夜こそ足もふみのべて臥せ候へ。
  ねぶられざらん、術なく候べし。
  またわづかに食べ候少飯が消し候はば、ひだるさをば、いかがし候べき。
  また不発になり候なば、女童部が側へもせ候べくはこそ、
  すかして衣物ばしも、すすがせ候はめん」と云ふ。
 是一つ事の、人によりて徳失有る事なり。

 要約すると、
 ある牛飼いが、僧侶の茶を飲むところを見て、
 私にももらえないかと尋ねたところ、
 僧侶は、茶というのは三つの徳がある薬だと答えました。
 一つには眠気ざまし、二つには消化を助ける効果、三つに性欲を抑制する効果です。
 この話を聞いた牛飼いは、そんな薬はごめんですと言ったとの事です。

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祥月命日・・・

2016年12月18日 20時26分12秒 | 日記
 今日は同居人の2回目の命日です。
 3回忌は既に3週間前に行っていますので、
 今日は僕だけで墓参りに行こうと思っていました。
 午前9時頃に家を出て、花屋さんで花を買って霊園に着きました。
 昨年の命日も暖かだったと思いますが、今日も風がなく暖かでした。
 着ていたジャンパーを脱いで、
 墓の清掃などを行いましたが、寒くはありませんでした。
 霊園もほとんど人がいなくて静かでした。
 ゆっくり墓参りが出来ました。

 家に帰ってから弟夫婦が来ました。
 彼らは法事にも来てくれましたが、改めて線香上げに来てくれました。
 同居人が好きだったチョコレートを持って来てくれたので、
 彼女も喜んでいるでしょう。

 2年が早かったような気もしますし、長かったような気もします。
 彼女がいない生活に慣れて来たような感じもしていますが、
 今でも玄関を開けて彼女がただ今と言って
 入って来るような感じもします。
 人間の存在とは何なのでしょうね?
 司馬遼太郎は小説「峠」の中で、
 陽明学の根本を「万物万象は我が心に帰す」と表現していますが、
 それもあるのかも知れません。

 しばらく彼女の夢を見ていません。
 今日は、墓前で
 「どうしたんだよ?たまにはおいでよ。」と言って来ました。
 果たしてその内来てくれるでしょうか?

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金曜日の夜・・・

2016年12月17日 20時23分15秒 | 日記
 今日は土曜日ではないかと思われる方もいるかと思いますが、昨夜の話です。

 毎週金曜日は、僕の好きなテレビ番組があります。
 夜9時からのNHKBSプレミアムの「新日本風土記」と
 夜10時50分からのNHK総合の「ドキュメント72時間」です。
 見られない時もありますが、なるべく見ようと思っています。
 昨夜は両方とも良い内容でした。

 「新日本風土記」は、東京都の新宿の花園神社界隈の話でした。
 内藤新宿の語源になった内藤家の子孫の方や、
 花園神社の近くにあるゴールデン街のママさん、
 花園神社のお囃子の女の子など、多くの登場人物が面白かったです。
 また花園神社と言えば、唐十郎さんの状況劇場の紅テントでも有名ですが、
 その経緯、そして現在も行われている野外劇の椿組など、興味深く見ました。

 「ドキュメント72時間」は、前にも書きましたが、
 同じ場所に72時間カメラを据えて、そこで繰り広げられる人間模様を描く番組です。
 昨夜は、10月に沖縄で開催された世界のウチナーンチュ大会の模様でした。
 このウチナーンチュ大会は5年に1度開催されます。
 沖縄県から南米やハワイに移住した人やその子孫の集まるイベントで、
 今年は7000人を超える人が来たとの事です。
 沖縄から海外への移民は1900年頃から本格化し、
 太平洋戦争後においても、アメリカ合衆国による沖縄統治下では、
 引揚者の流入による過剰人口とアメリカ軍基地化による農地不足から、
 海外移民が進められてきました。
 ブラジルやアルゼンチンのサッカーのユニホームを着た陽気な人々、
 ブラジルでは昆布が貴重品との事で沢山買い込む人など多くの人が出ました。
 また、アメリカ軍基地内にあった高校の卒業生たちもアメリカ全土から
 同窓会のために集まっている姿もありました。

 昨夜はこの両番組を見る事が出来、良い夜でした。

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懐かしい人・・・

2016年12月16日 19時49分58秒 | 日記
 昨年もそうでしたが、今年も年賀状は印刷会社に頼みました。
 自分の写真を使ってプリントするのも面倒なので出来合いのデザインです。
 先日出来上がって、昨日職場に集金に来てもらいました。
 来た人を見て驚いてしまいました。
 30年ほど前、仕事上の付き合いがあった人でした。
 当時は別な印刷会社に勤めていて、
 現在の印刷会社に移って8年になるそうです。

 僕はその頃、冬の間とても忙しい職場にいて、
 仕事の最終段階で冊子を印刷する業務がありました。
 当時は活版です。
 連日、印刷工場に通って、校正をしていました。
 期間は2週間程度だったと思いますが、それを5・6年続けていました。
 上司の目がなくなるので、気分的に楽になりますし、
 印刷工場の帰りに麻雀屋に直行したり、
 お昼を食べ歩いたりと楽しい思い出があります。
 冬の間、土日もなく帰宅するのも午前様になるのが普通だったので、
 その開放感があった事も間違いありません。

 印刷工程の最終段階になると、やはり深夜までになる事もありました。
 帰ると言う職工さんを引き留めて作業をしてもらったり、
 時には怒鳴り合ったりと、普段は出来ない仕事をしていました。

 昨日来てくれた方と、少しの間昔話をしてしまいました。
 職工さんの中には、アル中の人がいて、酒が入らないと手が震えていた事や、
 校了にした中の1ページ分の活字を落として台無しにしてしまった事など、
 当時は大変でしたが、今にして思うと楽しかったと意見が一致しました。

 懐かしい人と行き会うのも良いですね。

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