天然居士の独り言

主に日記主体のブログです。

この一年・・・

2017年12月31日 16時44分34秒 | 日記
 昨日、一昨日と宣言通り大掃除をしました。
 疲れてしまった事もあり、長男に振り回された事などもあって、
 日記を書けませんでした。

 今年も残り数時間で終わります。
 今年も色々ありました。
 この3月末に41年の勤め人生活が終わり4月から無職になりましたので、
 僕の人生の中でも大きな変化のあった年でした。
 時々街中で会う人から、「悠々自適ですね。」と言われますが、
 僕は「窮々自適です。」と答える事にしています。
 少しずつ生活に慣れて来ているように感じていますが、
 まだまだ考えていたような老後の生活ではないというのが本音です。
 「暇はあるけど退屈はしていません。」とも言っています。

 時間が出来たので、今年は遊び歩いて来ました。
 そんな事を含めて、ザっと今年を振り返っておきたいと思います。

 1月には千葉市に遊びに行って来ました。
 次男が千葉市の大学にいたので、2・3回行っていますが、
 中心部には初めて行きました。
 アメリカでは、トランプ大統領が誕生しました。
 色々な無理な政策が進められているような感じは今も変わりません。

 2月には、4年ぶりにスマホの機種交換をしました。
 また、休みを取ってJR烏山線でディーゼルカーの運行が終了するので乗って来ました。

 3月には、青春18切符を利用して在来線で熱海まで行って来ました。
 途中遅れが出たので、4時間を超えてしまいました。
 下旬には、那須の山で雪崩のため
 大田原高校の山岳部員7名と引率の教諭1名が亡くなる
 大きな事故が起きてしまいました。

 4月には、息子達が退職の慰労会を開いてくれました。
 とても嬉しかったです^^
 やはり青春18切符を使って
 熊谷市に桜と妻沼の聖天さんを見に行って来ました。
 また、ネットの知り合いから誘われてオンライン麻雀のグループに入りました。
 今でも時々やっています。

 5月には、長い間見たかった小山市間々田の祭の「じゃがまいた」を見たり、
 東京にミュシャ展を観に行ったりしました。
 バスケットボールのBリーグの栃木ブレックスが、初代チャンピオンになりました。
 また、鎌倉に行き横須賀に泊まって来ました。
 夜出かけたどぶ板通りは面白かったです。

 6月には、オンライン麻雀のリアル麻雀が東京であったので行って来ました。
 元の上司から頼まれて、ある社会福祉施設の役員になりました。
 名前だけで良いのかと思いましたが、色々あり、来年も続きそうです。
 また、大人の休日俱楽部切符を使って、
 初日は東京にバベルの塔展を見に行き、2日目は山形県の鶴岡市、
 3日目は仙台市、4日目は青森市に行って来ました。

 7月は、どこにも出かけませんでした。

 8月には、東京にアルチンボルド展を観に行って来ました。
 中々面白かったです^^
 また、先輩に連れられて
 長野県の菅平に早稲田と帝京大学のラグビーの練習試合を見に行って来ました。
 完敗でしたが、やはりこのシーズンも早稲田は年を越せませんでした。
 以前から行きたかった那須町の藤城清治美術館と戦争博物館にも行きました。

 9月には、大人の休日俱楽部切符で、初日に千葉県の銚子市、2日目には岩手県の平泉町、
 3日目国技館に初めて大相撲を見に行き、4日目は長野市に行きました。
 また、横浜に住んでいた長男が高崎に転勤する事が決まったので、
 引っ越す前に横浜で食事をするため、次男夫婦と中華街に行って来ました。
 そして、生まれて初めて山梨県に行って石和温泉に泊まって来ました。
 山梨県は初めてでしたが、見どころも多いと思いました。

 10月に総選挙がありました。
 僕の期待に反して自民党の圧勝になりました。
 野党側の足並みの乱れが自民党を利したような気がします。
 また宇都宮市内の映画館のヒカリ座に通うようになりました。
 既に4回行っています。
 そして、月末には国宝展を観に京都へ行って来ました。
 往復深夜高速バスを利用しました。
 余りよく寝られませんでしたが、何とか無事に帰って来ました。

 11月は、京都に行ったのが僕にとっては大旅行だったので、
 県内の太平山に紅葉を見に行った程度でした。

 12月に65歳になり高齢者になりました。
 先週は東京に都電に乗りに行って来ました。

 書き出してみるとよく遊び歩いたなぁという感じがします。
 来年も出来れば遊び歩きたいと思いますが、
 もう少し落ち着いた生活をしないといけないかなぁとも思います。
 いずれにしても先ずは健康ですね。
 気を付けて生活したいと思います。

 今年も拙い日記にお付き合い頂き有難うございました。
 また来年も続けたいと思っておりますので、
 どうぞ宜しくお願い致します。
 皆様のご多幸を御祈念申し上げて、今年の日記を終わります。

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大掃除・・・

2017年12月28日 18時12分24秒 | 日記
 昨日から大掃除を始めました。
 これまでは、仕事があるとの言い訳が出来ましたが、
 今年は言い訳出来ません。
 僕としては、埃では死なないと言うのが信条なのですが、
 そうも言っていられません。

 同居人が旅立ったのが2014年の暮れでしたから、
 その年は大掃除どころではありませんでした。
 その後2年間、僕が掃除していない所は、結局4年間やっていない事になります。
 
 昨日は台所回りからと思って始めましたが、
 思わぬ所に油の汚れなどが付いていて、しかも中々落ちず、途方に暮れてしまいました。
 家に洗剤なども結構あるのですが、どこにどれを使えば良いのか分からず、
 しかも説明書きの字が小さくて読みづらいのです。
 さらに、例えばアルミには使えないと書いてあるのですが、
 どれがアルミなのかもよく分かりません。
 そんな事で、昨日は時間が掛かってしまい、予定の半分も出来ませんでした。

 昨夜は、関係している施設の役員の忘年会でした。
 と言っても5人だけでしたが。
 大田原市と那須塩原市から3人、東京から1人が宇都宮に集まりました。
 宇都宮在住の僕が出ない訳にも行きませんよね。
 会場は駅前の居酒屋でした。
 新しい綺麗な店でしたが、料理は今一つだったような感じでした。
 何か、ずるずると施設の運営に引き込まれそうなのが気になりますが、
 折角縁のあった所ですから、無下にも出来ないなぁと思っています。

 忘年会が終わって歩いて帰りましたが、
 途中で、やはり忘年会の流れのような人と何人か行き会いました。
 カラオケに引っ張り込まれそうになりましたが、
 疲れていたので、振り切って帰って来ました。

 今日も大掃除です。
 昨日終わらなかった所をやって、中庭の落ち葉を拾って、トイレの掃除をして、
 途中買い物兼散歩に行ったりして終わってしまいました。

 明日も大掃除です。
 明日の夜には長男が友達を連れて来る事になっています。
 それまでに一通りはやらないといけないでしょう。
 何となく憂鬱です。

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プリンター・・・

2017年12月26日 19時25分56秒 | 日記
 昨日年賀状を仕上げました。
 ここ3年程、年賀状は印刷会社に頼んで作っています。
 それ以前は、僕の撮った写真を取り込んで年賀状を作成し、
 家のプリンターで印刷していました。
 しかし、どうも僕とプリンターの相性が良くないようです。
 現在のプリンターは3台目ですが、
 買ってからそれほどの時間が経たないのに壊れてしまいました。
 メーカーに相談して、エラーメッセージなどをスクリーンショットで写して
 送って調べてもらいましたが、それでも解決しませんでした。
 それで、プリンターを使わないでこれまで来ています。

 勤めていた間は、プリントする必要が出来た時には、
 職場のパソコンにデータを送って、
 余り大きな声では言えませんが、プリントしていました。
 勤めを辞めてから、1度だけ紙で持っていた方が良いデータがあったのですが、
 それは知人に頼んでプリントして郵送してもらいました。

 先日、急にプリントする必要が発生しました。
 どうしようかと思いました。
 その知人に改めてお願いするのも気が引けましたし、
 郵送してもらうのに時間も掛かります。
 弟の所に行ってプリントしてもらう事も考えました。
 そうした時に、コンビニでプリントできるとの話を以前聞いた事を思い出しました。
 それでUSBにワードの文書をコピーして持って行ってプリントしようと思いました。
 ところが出来ませんでした。
 店員さんに尋ねたところ、ワードは印刷できず、PDFならば印刷出来るとの事でした。
 近くに別のコンビニがあるので、行ってみましたが、同じくワードはダメでした。
 仕方なく、家に一旦帰って、PDFに置き換えて再度コンビニに行き、
 無事にプリントする事が出来ました。
 1枚10円でした。

 考えてみると、プリンターをこれまで使っていたのは、年に1度の年賀状くらいです。
 その他は、コンビニで十分なのかも知れません。
 いずれプリンターを買おうかと思っていましたが、
 しばらく様子をみようと思っています。

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クリぼっち・・・

2017年12月25日 18時10分20秒 | 日記
 クリぼっちと言う言葉をご存知のない方もいるかも知れませんが、
 5年位前から流行っている若者言葉です。
 「クリスマス」 + 「独りぼっち」を省略した言葉で、
 クリスマスイブに、友達や恋人と一緒に過ごさずに、
 一人で過ごす事を表しているようです。

 僕よりも上の年代の人は、クリスマスと言うと飲みに行く人が多かったかも知れません。
 昔は、バーやスナックなどでクリスマスパーティの券などを売っていました。
 僕の年代は、どちらかと言うと家で家族揃ってケーキなどを食べる方が多いと思います。
 かつて、冬場に忙しい部署にいて、12月は休みがなくて帰宅が深夜でした。
 家で夕飯を食べるのは日曜日だけでしたが、それでも昼間は仕事に出ていました。
 しかしその職場でも、クリスマスイブだけは定時に帰る決まりになっていました。
 僕が家で家族と過ごしていたのは、そんな事もあるのかも知れません。

 クリスマスイブに人を誘うのも気が引けますし、
 僕には誰からも声が掛かりませんから、
 今年もイブは普段通り孤食かと思っていました。
 ところが、一昨日先輩から連絡があって、友人と酒飲みするのだけど、
 僕の知っている人でもあるから来ないかとのお誘いがありました。
 どうも、その先輩は昨日がクリスマスイブとは思っていなかったような感じで、
 僕のクリぼっちを解消してやろうとの気持ちはなかったようですが。

 声を掛けてくれた先輩は4つ年上で、高校も大学も同じ人ですが職場は違いました。
 もう一人の人は大学は違いますが、職場は同じで、
 以前1年間だけでしたが、一緒の職場で働いていて、僕の上司だった人です。
 僕が大学に入ったばかりの時に、この3人で会った事がありました。
 僕が8時30分からの授業を何日か取った話をしたら、
 それは無謀だと言われた覚えがあります。
 その意味は、半年位過ぎたら分かりました^^
 昨夜はそんな思い出話や、面白い話を聞く事が出来楽しい酒飲みでした。

 帰り道、誘ってくれた先輩と方向が一緒だったのですが、
 その先輩の奥さんが頼みがあると言っていたから、家に寄ってくれと言われ、
 結局その先輩の家に連れ込まれてしまいました。
 奥さんの頼みは分かりましたが、少し考えさせてもらう事にしました。
 そのような次第で、昨夜は久しぶりに飲みに行ってしまい、
 結構酩酊してしまったので、日記を休みました。
 
 昨日には終わそうと思っていた年賀状ですが、
 高校の駅伝を見たり、久しぶりに競馬の有馬記念なども見てしまったため、
 終わりませでした。
 今日になって終わして、散歩がてら出して来ました。

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東京へ・・・

2017年12月23日 20時12分42秒 | 日記
 昨日は東京に行って来ました。
 今月はどこにも行っていないなぁと思ったので、
 かねてから乗ってみたかった都電に乗ろうと思い出掛けました。
 都電は、学生時代、早稲田から大塚駅辺りまで乗った覚えがあるのですが、
 三ノ輪橋まで全線は乗った事がありませんでした。

 都電の始発駅は早稲田です。
 高田馬場から早稲田大学まで歩いて、少しキャンパスの中をふらふらしました。
 旧図書館の会津八一記念館に、大隈重信が講演している模型があり、
 それが宇都宮の劇場が会場だったので、日時など確認したかったのですが、
 現在、大隈重信の記念館を建設中との事で見られませんでした。

 そして都電です。
 都電は、今は東京さくらトラムと言う名称になっているのですね。
 電車も綺麗ですしスマートな感じで、昔のチンチン電車とは違うような気がしました。
 しかし、出発の合図は相変わらずチンチンとベルを鳴らしていました。
 鬼子母神前で一旦降りて、鬼子母神にお参りして来ました。
 本堂は重要文化財との事でしたが、境内は昔の雰囲気を残しているなぁと思いました。

 改めて都電に乗りました。
 平日ですから、そんなに混まないかなと思っていたのですが、
 終点の三ノ輪橋まで、立っている人が多かったです。
 地域の高齢者の足代わりになっているようで、多くの高齢者が乗って来ました。
 1度座れたのですが、次の駅で杖を突いた高齢者が乗って来たので、
 すぐに席を譲ってしまいました。
 電車は最新式なのに乗っている人は、昭和の人だなぁと思いました。

 三ノ輪橋の商店街、ジョイフル三ノ輪を少しぶらぶらしました。
 結構シャッターを下ろした店もあり、余り活気を感じられませんでした。
 蕎麦の名店、砂場を見付けたので、入ってみました。
 ここも昭和の雰囲気の店でした。
 余り値段を見ずに、鴨南蛮蕎麦を頼んでしまいました。
 食べていて、鴨肉が沢山入っていますし、つくねも入っていました。
 これは高いかなと思って、改めてメニューを見たら1950円でした。
 もちろん鴨の少し甘い風味があって、美味しかった事は間違いありません。

 三ノ輪橋から折り返して、荒川車庫前で降りました。
 都電思い出広場で、古い電車を見ようと思ったのですが、
 残念ながら、ここは土日きり開いていないようでした。
 悔しいので、柵の外から写真を撮って来ました。

 さらに王子駅に行って、王子神社に寄って来ました。
 東京十社の一つです。
 立派な拝殿でした。
 境内に関神社と言う髪の神様の社殿がありました。
 美容師業界、演芸、かつらなどに携わる人々から信仰を集めているようです。

 王子から東京駅に出て、整備された東京駅前の広場を見て、
 KITTEに入って、東大の収蔵品の陳列場を見て来ました。
 弥生時代の語源となった現在の東京都文京区弥生出土の土器とか、
 以前読んだ、神谷敏郎さんの「あるミイラの履歴書」で詳細に解説されていた、
 東大医学部所蔵のミイラのX線写真などもあって興味を感じました。

 KITTEには、真っ白で大きなツリーがありました。
 高さは4階分位でしょうか?
 時々色が変わりましたが、やはり白が一番綺麗でした。

 その後丸の内のイルミネーションを見て帰って来ました。
 昨日の写真をアップしましたので、宜しければご覧下さい。
 http://photozou.jp/photo/album/2882708

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椅子の高さ・・・

2017年12月21日 19時25分53秒 | 日記
 今日のネットのニュースを見ていたら、
 朝鮮日報日本語版の記事で、安倍総理は韓国人と会う時には、
 意図的に自分よりも低い椅子を出して、
 安倍総理の方がやや高い椅子に座り
 「見下ろす」の位置関係を取っているのが確認されたとの記事がありました。

 写真は下記のアドレスでご覧になれます。
 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171221-00000840-chosun-kr.view-000

 上段左側の写真は、14日に行われた韓国の保守系最大野党「自由韓国党」の
 洪準杓(ホン・ジュンピョ)代表との会談です。
 同じ日の数時間後、同じ場所で行われた
 安倍総理とアントニオ・グテーレス国連事務総長との面談では、
 上段中央の写真のように、椅子が変わっていて、同じ高さになっています。
 その後、19日に訪日した
 韓国外交部(省に相当)の康京和(カン・ギョンファ)長官との会談時は
 椅子が再び洪準杓代表との会談時のものに戻っています。

 下段、左側の写真は今年5月の文在寅大統領就任直後に、
 大統領特使として訪日した文喜相(ムン・ヒサン)元国会副議長との会談の様子で、
 やはり低い椅子になっています。
 中央の写真は、6月に丁世均(チョン・セギュン)国会議長が訪日した時の写真ですが、
 安倍総理と丁世均議長のソファーの高さは同じでした。
 これは、官邸が当初丁世均議長に低い椅子を出しましたが、
 それを見た丁世均議長が「それなら会わない」と言ったため、同じ椅子に変えたとの、
 関係者の談話が報じられています。

 こうした対応、他の国に対しても行っているのかどうか分かりません。
 あるいは、国連事務総長のように国家元首級の来客には、花柄の座面の高い椅子を出し、
 それ以外の人にはピンク色の低い椅子を出しているのかも知れません。
 しかし、どうも花柄の椅子の方が高級そうに見えます。
 普通は、来客に良い方を出すのが礼儀だと思いますが。
 いずれにしても、韓国の世論を刺激しかねない問題ですから、
 日本政府は釈明すべきことだと思います。

 また、18日にあった河野太郎外務大臣と韓国の康京和外務大臣との会談で、
 来年2月の韓国・平昌冬季五輪への安倍総理の出席をめぐって
 慰安婦問題に絡めて、
 日本側が韓国側に、外交的な駆け引きを仕掛けたとも報じられています。
 先日は、慰安婦像を設置したアメリカの都市と長年姉妹都市だった、
 ある市が姉妹都市を破棄するとの愚かな判断をしましたが、
 慰安婦問題で感情的になるのは、両国にとって得策ではないと思います。

 僕はかねてから、中国外務省の華春瑩報道官のファンです。
 普段から彼女の堅い表情ばかりを見て来ましたが、
 今日は、可愛い笑い顔を見る事が出来ました。
 日本人記者から出た、パンダのシャンシャンに関する質問に対し、
 発音が似ている日本の杉山外務次官と間違えて、頓珍漢な答えをします。
 パンダの事だと指摘されて気が付いた彼女の笑顔が良かったと思います。
 宜しければ、TBSの映像がありましたので、ご覧下さい。
 http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3244419.html

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パンダ・・・

2017年12月20日 19時32分56秒 | 日記
 僕はパンダが好きです。
 愛くるしいと言うか、少し間抜けな動作を
 映像で見ていると気持ちが和らぎます。

 昨日、上野動物園で生まれたパンダのシャンシャンの一般公開が始まり、
 実際に見るためには抽選で、かなりの高倍率になっています。
 シャンシャンが生まれて以来、NHKは異常な位取り上げています。
 関東地方だけの報道なのかどうかは分かりませんが、
 他に伝えるべき事はもっとありそうな気がしています。

 和歌山県の仁坂吉伸知事も、今日の記者会見で、シャンシャンの報道に関して、
 「上野のシャンシャンしか世の中にいないのか、というくらいの浮かれようだ。
  最後に『和歌山にもいるんですよ』と一言くらい入れてくれたらいいのに」と
 注文をつけたと報じられています。
 正にその通りのような気がします。
 和歌山県白浜町の「アドベンチャーワールド」では、
 現在、5頭のジャイアントパンダが暮らしていて、
 昨年9月にはメスの結浜(ゆいひん)が生まれています。
 その時に今のような報道はなかったような気がします。

 他にも、神戸市の市立王子動物園にも1頭のメスのパンダがいますので、
 現時点で日本にはシャンシャンも含めて9頭のパンダがいる事になります。
 これらのパンダは、全て中国から借り入れています。
 日本国内で誕生したパンダも、中国との取り決めにより
 概ね性成熟に達する4歳になった時点で
 中国に譲渡しなければならない事になっています。
 パンダは、ワシントン条約で絶滅危惧種に指定されていますので、
 国際的な商取引が禁止されています。
 しかし、例外的に繁殖・研究を目的とする場合は貸し出す事が出来るようになっています。
 そのレンタル料も高額で、つがい一組で年間1億円程度との事です。
 なお、上記のアドベンチャーワールドは、民間企業であるため、
 レンタル料を公表していないようです。
 そのレンタル料は本種の研究費や生息地保護資金に充てられています。

 中国では、以前からパンダ外交と呼ばれるように
 パンダを贈って外交を進めて来た時期があります。
 日中戦争の最中、中国国民党指導者の蒋介石の妻、宋美齢は
 1941年に2頭のパンダを贈り、
 到着が真珠湾攻撃の数日後というタイミングもあって
 「愛らしいパンダの中国と卑怯な日本人」という工作が成功したと言われています。
 日本に初めてパンダが来たのは、日中国交正常化によってでした。
 1972年10月28日に上野動物園に中国からカンカン・ランランの2頭が贈られました。

 パンダの動画は多数ありますが、その中でも有名なのが下記の動画です。
 ご存知の方も多いかと思いますが、14秒ほどですから、ご覧下さい。
 同居人も大好きでした。
 https://www.youtube.com/watch?v=9Cfgt2EQFKo

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死刑執行・・・

2017年12月19日 16時54分57秒 | 日記
 法務省は今日、2名の死刑囚の執行を行ったと発表しました。
 僕は、頑固な死刑廃止論者です。
 以前は、死刑が執行される度に、死刑制度の問題点などを書いて来ました。
 最近では、2016年3月25日に、
 女性5人を殺害した鎌田安利と
 連続保険金殺害事件の吉田純子の執行があった時に書きました。

 今回執行されたのは、
 1992年に千葉県市川市で一家4人を殺害した関光彦死刑囚(44)と、
 1994年に群馬県安中市で交際女性とその両親を殺害した松井喜代司死刑囚(69)でした。
 この内、関死刑囚は、犯行当時19歳でした。
 犯行時に未成年だった死刑囚の執行は、1997年8月1日の永山則夫以来の事です。

 死刑に反対するのは、色々な事由があります。
 世界的に見た場合、アムネスティインターナショナルによると、
 2016年12月末現在で、
 すべての犯罪に対して廃止した国は104カ国、
 通常犯罪のみ廃止した国が7カ国、
 10年以上執行がなく、事実上廃止した国が30カ国、
 存置している国が、57カ国との事で、
 7割以上の国が事実上廃止しています。
 そうした、世界的な趨勢が理由の1つです。

 もう1つ大きな理由は、冤罪の可能性があるためです。
 1990年(平成2年)5月12日、
 栃木県足利市にあるパチンコ店の駐車場から女児が行方不明になり、
 翌13日朝、近くの渡良瀬川の河川敷で、女児の遺体が発見された、
 いわゆる足利事件を覚えている方も多いかと思います。
 1991年、事件と無関係だった菅家利和さんが、被疑者として逮捕され、
 起訴されて、で有罪(無期懲役刑)が確定し、服役していました。
 しかし、遺留物のDNA型が、2009年5月の再鑑定の結果、
 彼のものと一致しないことが判明し、服役中だった菅家さんはただちに釈放され、
 その後の再審で無罪が確定しました。
 被害者が1人でも、女児の場合、
 奈良小1女児殺害事件のように死刑になる場合があります。
 菅谷さんは、危ないところだったと思っています。
 現在でも冤罪が発生しています。
 物的証拠がなく、状況証拠を積み重ねて立証した場合など、特に多いようです。
 もし冤罪だった場合、処刑されてしまっては元に戻せません。

 タリオ法と言って、古代のハムラビ法典に載っていた、
 「目には目を歯には歯を」の残虐性はお分かりになると思いますが、
 もっとも残虐な「命には命を」にどうして気が付かないのかなと思います。
 北朝鮮や中近東の一部の国では、今でも公開処刑が行われています。
 そうしたニュースに接すると、何と野蛮な国だと感じますが、
 死刑を廃止した国の人は、存置している国をどう感じるでしょうか?

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3回目・・・

2017年12月18日 18時09分55秒 | 日記
 今日は同居人の3回目の祥月命日です。
 彼女が旅立ってから、早いもので3年になりました。

 一昨年は一周忌、昨年は三回忌でしたので、
 息子達が集まる機会がありました。
 今年はどうしようかと思ったのですが、
 一人で墓参りしても、彼女は喜ばないかと思い、
 息子達に、昨日の日曜日に来られるかどうか、声を掛けてみました。
 日帰りならば何とかなるとの事なので、
 息子達と同居人の姉を加えて4人で墓参りをして来ました。
 長男が、1時間も遅刻して来たので、あたふたしましたが、
 何とか無事に墓参りが出来、
 その後彼女が好きだったフランス料理店に行って、
 色々な思い出を話しながら、美味しい料理をお腹一杯食べて来ました。

 同居人の実家は商売をやっていたので、
 息子達を生んだ後の間しばらくは、義姉の所で厄介になっていました。
 長男の出産のために家を建てるのを急いだと昨日聞きました。
 そう言えば、建前に呼ばれた時、彼女のお腹は大きかったと思い出しました。
 次男の時は、2歳になった長男も一緒だったので、
 義姉も感慨深いものがあったと思います。

 今日は、買い物もあったので、
 午前中、彼女がパートで働いていたデパートに行って来ました。
 売り場の陰から彼女が出て来るような気がしてなりませんでした。
 ついでに宝くじも買って来ました。
 デパートで働く前、やはりパートで、宝くじの販売もやっていて、
 その時の友達とは、最期まで付き合っていました。
 生前は、当たりませんでしたが、
 仏になったのですからその法力で、今度こそ当てて欲しいと思います。

 お昼を食べた後、彼女の実家のあった辺りを散歩して来ました。
 店も終い、土地も処分してしまいましたし、大きな開発もあったので、
 以前の面影はほとんどありませんが、
 それでも僅かに残る建物などを見ながら、感慨にひたって来ました。

 古代の中国の殷周の時代には、親の服喪期間は3年とされて来ました。
 孔子の時代から、それは長過ぎると言う人もいて、
 そのやり取りは論語に載っています。

 また、論語には下記のような言葉があります。
 「子曰わく、父在せば其の志しを観、父没すれば其の行いを観る。
  三年父の道を改むること無きを、孝と謂うべし。」
 もちろん、同居人は僕の父親ではありませんが、
 何となくこの言葉が頭の中にあって、
 なるべく彼女と同じやり方で家事などやって来ました。
 今後も基本的にはそんな感じかと思いますが、
 少しは僕なりの工夫も加えてやって行こうかと思っています。

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北朝鮮の漂流船・・・

2017年12月15日 19時40分52秒 | 日記
 海上保安庁は一昨日、北朝鮮籍とみられる船の漂流・漂着が
 12月13日正午時点で83件に上り、
 海保がデータの集計を始めた2013年以降で最多になったと発表しました。
 これまでの最高が2013年の80件でした。
 今月に入っては、既に24件となっていて、最多だった11月の28件に迫っています。

 秋田県の男鹿半島から西に約400kmの排他的経済水域にある
 日本海の好漁場大和堆で違法操業する北朝鮮の木造漁船などは、
 11月月下旬以降、ほとんど確認されなくなっているとの事ですが、
 これまでに遭難した木造船が今後も日本海沿岸に流れ着く可能性はあるとの事です。

 ニュース映像で見る木造船は、貧弱な船体で、
 とても日本海の中央部まで出漁するような船には見えません。
 経済制裁の影響で石油価格が高騰し、水を混ぜた燃料を使用している船が多く、
 そのためエンジンの故障も多いのではないかとの指摘もあります。
 いずれにしても、あのような船で出漁するのは、命がけの行為のように感じます。
 漂着する船体からは、既に多くの遺体が発見されていますし、
 日本海岸に漂着する遺体も多いとの事です。
 難破した船が全て日本に漂着する訳でもないでしょうから、
 既に多くの人命が失われているのではないかと思い、心が痛みます。

 漁船の乗組員達が、北朝鮮政府の指示で出漁しているのか、
 手っ取り早く稼げる事から漁船に乗っているのか分かりませんが、
 北朝鮮の置かれている状況が垣間見えるような気がします。

 11月23日に、秋田県由利本荘市の船舶係留施設で発見された漁船には、
 8人の男性が乗っていましたが、全て帰国を希望したとの事で、
 長崎県大村市の入管施設へ移送し、
 早期に中国を経由して帰国させるとみられると報じられています。
 このニュースは今月2日ですので、あるいはもう帰国したのかも知れません。
 余談ですが、何故長崎県に一旦行かねばならないのか分かりません。
 何となく江戸時代のような感じもするのですが。

 この8人、折角劣悪な経済状態と言われる北朝鮮を出国できたのですから、
 何故そのまま亡命しないのかも気になっています。
 北朝鮮に残された家族などが、収容所送りなどの措置を受けるような、
 いわば人質になっているので帰国しなければならないのでしょうか?

 今回の漂着船問題で、北朝鮮有事の際、
 木造船で避難民が押し寄せて来るとの問題の指摘も、ネット上に出ています。
 漂流した乗組員が帰国を希望していると報道されているのは、
 日本政府が、避難民が来るのを押さえるため、乗組員の亡命希望を無視して、
 帰国させているとの、うがった見方をする人もいますが、どうでしょうか?

 確かに北朝鮮有事の際には、その可能性もあるとは思います。
 かつて、地中海で中東からの多数のボート難民が命を失った問題が頭を過りますが、
 今は、北朝鮮有事を起こさない事に全力を尽くすべき時のような気がします。

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