天然居士の独り言

主に日記主体のブログです。

この1年・・・

2020年12月31日 17時25分19秒 | 日記
 この1年、世界中が新型コロナウイルスの感染が広がり、
 多くの感染者を出し、亡くなる方も多く、
 そして、未だ感染の拡大が止まりません。

 歴史を振り返ってみると、島国である日本も何度か感染が起きています。
 6世紀、仏教が日本に入って来た頃、天然痘も入り多くの人が亡くなりました。
 天然痘は8世紀中頃の天平時代にも大流行を起こしています。
 江戸時代には、何度かコレラが入って来て、多数の犠牲者が出ています。
 大正時代の1918年にはスペイン風邪が入り、
 1921年までの3年間で、38万人以上の方が亡くなっています。
 これらの事は歴史的事実として知っていましたが、
 現代社会においてパンデミックが起こるとは思っていませんでしたし、
 その影響を受けるとも思っていませんでした。
 ともかく1日も早い終息を待ち望んでいます。

 僕の身の回りでも、2月に長男が転落事故を起こし、大怪我を負いました。
 8月には障害が残りましたが退院し、
 9月からは会社に復職して、今は元気に通勤しています。
 この間、僕の出来る事は余りありませんでしたが、オタオタしていました。

 僕は6月から、頼まれてある会社の役員になりました。
 名ばかりの役員で、月に1・2回行くだけです。
 本社が鬼怒川温泉のチョッと先にあるため、車で行っていますが、
 これからの冬、どうしようかと思案中です。

 今年も何人かの方が旅立たれました。
 3月には、とてもお世話になった元の上司が亡くなりましたし、
 8月には、飲み友達だった人と古くからの仲間が亡くなりました。
 いずれの方も、生涯忘れられぬ人たちです。

 今年も大人の休日俱楽部のパスを使って
 1月には、千葉県長南町の笠森観音に行って来ました。
 四方懸造と呼ばれる特殊な構造の観音堂を見て来ました。
 また、宇都宮から秋田に行き、青森までの特急に乗って、新青森から帰って来ました。
 雪景色が見たいと思ったのですが、余り見られませんでした。
 1日列車に乗っていて、疲れました。
 更に、宮城県の白石市、東京の中野区の哲学堂などに行って来ました。

 コロナで休日俱楽部パスが取り止めになったので、
 3月には群馬県の高崎市、6月には茨城県の結城市、静岡県の伊東市に行きました。
 9月から休日俱楽部パスが復活し、
 長野県の上田市、山形県の酒田市、新潟県の弥彦村に行って来ました。
 酒田市では、休日俱楽部パスの旅で初めて泊まって来ました。
 やはり1泊すると色々見て回れます。
 酒田市を満喫して来ました。

 11月には、常磐線で上野から仙台に行き、途中で福島県双葉町に行きました。
 東日本大震災から間もなく10年になりますが、復興はまだだと感じました。
 更に、岩手県奥州市、宮城県仙台市に出掛け、
 そして新潟県で、彫師石川雲蝶の作品を巡るツアーに参加して来ました。

 また、長男の関係で、埼玉県の上尾市、さいたま新都心、所沢市、
 東京都の武蔵村山市、江戸川区など、
 これまで全く縁のなかった場所にも行く事が出来ました。
 書き出してみると、新型コロナウイルスの予防策として、
 外出を自粛されている方には、申し訳ないと思う位出歩いていたなぁと思います。
 ほとんど濃厚接触者のいない僕は大丈夫だろうとは思っていましたが、
 それでもかなり注意をして出掛けました。
 来年は、そんな注意をしないで出掛けられるようになると良いですが。

 間もなく2020年も終わります。
 1年間、手前勝手な事ばかり書いていたこの日記にお付き合い下さり、
 誠に有難うございました。
 また来年も出来るだけ続けたいと思いますので、宜しくお願い致します。

 皆様が、良い年をお迎えになれるよう、
 そして新型コロナウイルスが1日も早く終息するよう祈念して、
 今年の日記を終わります。

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江戸の情報屋・・・

2020年12月29日 18時45分05秒 | 日記
 江戸時代末期、江戸の町に情報を売っていた人がいます。
 将軍が上野東照宮への参詣するための御成道(おなりみち)の途中、
 現在のJR秋葉原駅の西口辺りで、
 筵を敷いて古本屋を営んでいたのですが、
 彼が扱うのは、本よりも情報だったようです。

 この古本屋、「御成道の達磨」とあだ名が付いています。
 壁に向かって動かなかった達磨のように、店先に座り込んで、
 素麺箱を机代わりに、日中せっせと何やら筆記していた事から付いたようです。
 彼の本名は須藤由蔵で、今の群馬県藤岡市の出身の人です。
 江戸に出て古本屋を営み、屋号は「藤岡屋」としていたようで、
 本屋の由蔵なので、「本由」とも呼ばれていたとの事です。

 この由蔵が生涯に残した日記は250冊ほどになります。
 日記の期間は、
 1804年(文化元年)から1868年(慶応3年)の65年に及んでいます。
 内容は幕府の政策や人事、幕末の世相や江戸の事件、噂話で、
 瓦版などからの抜き書きも含まれています。
  原本は関東大震災で焼失しましたが、明治時代に筆写した物が残っていて、
 「藤岡屋日記」として出版されています。

 この由蔵が日々の噂話を書き留めておいたのは、
 今の通信社のように、情報を売るためでした。
 誰がそのような情報を買うのかと言うと、
 買い手は、各藩の江戸留守居役です。
 江戸留守居役と言うのは、江戸時代の外交官のような役職でしたから、
 由蔵から情報を仕入れて、藩への報告に使ったのでしょう。
 実際に情報収集を行わずに、手軽に買える訳ですから、
 留守居役などには重宝されたのだと思います。

 彼の商売の様子を四代目廣重を名乗っていた菊池貴一郎が目撃し、
 「江戸府内絵本風俗往来」の中で由蔵のことを、
 「顔色渋紙の如く、頭髪蓬々たりしを 手拭いにて包みたり。
  怪しむべきは、身柄よき武家の来たりて、
  破筵の片辺に着座して何か談話して
  余念なき様を見しこと数度なりける」と、
 得意のスケッチ入りで書いているとの事です。
 情報を売る行為は、江戸時代の庶民には奇異に写ったのかも知れません。
 「本由は 人の噂で 飯を喰ひ」との川柳が残されています。

 今日は、一日買い物やら片付けものなどをしていました。
 このコロナ騒動の中なので、息子達は帰省しない事になっています。
 そのため、そんなに一生懸命やる必要もないのですが、
 ここでやって置かないと、この先いつになるか分かりませんので、
 一通りやろうかと思いました。
 しかし、何か疲れてしまいました。
 そのため、以前別の所で書いたものをリライトして、お茶を濁させて頂きました。
 明日は、一応掃除をしようかと思っています。
 あるいは疲れて日記を休むかも知れません。

コメント (4)
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初詣・・・

2020年12月28日 18時31分18秒 | 日記
 相変わらず新型コロナウイルスの感染拡大が続いています。
 今朝の下野新聞には、621例目の方から1208例目の方の
 年代、性別、住まいの市町村名などの一覧表が2面を使って載っていました。
 これを見ると、感染経路が明らかになっていない方が多くなっている感じです。
 また、これまで県内で唯一感染者が出ていなかった県東部の那珂川町でも
 初めて感染者が出たとの事です。
 いつになったら収まるのでしょうか?

 今日、お昼を食べに出掛けた際、宇都宮市中心部の二荒山神社の前を通ったら、
 何人かの方が、神社の階段の前の参道に白いテープを貼っていました。
 初詣の混雑で密を避けるための目印を設置しているのでしょう。
 目検討で、1m位の間隔を空けているようでした。
 更に、行列の待機場所も準備していました。
 どの位の人が初詣に来るのか分かりませんが、
 やはり準備はしておかないといけないのでしょうね。

 初詣の習慣が出来たのは、それほど古いものではなく、明治中期頃のようです。
 元々は「年籠り」と言い、家長が祈願のために大晦日の夜から元日の朝にかけて
 氏神の神社に籠る習慣でした。
 やがて年籠りは、大晦日の夜の「除夜詣」と元日の朝の「元日詣」との2つに分かれ、
 元日詣が今の初詣の原形とりました。
 江戸時代末期までの元日の社寺参拝としては、氏神に参詣したり、
 居住地から見て恵方にあたる社寺に参詣(恵方詣り)したりしていたようです。
 こうした参詣は、神社でも寺院でも構わない事になっています。
 江戸時代までの神仏習合の伝統が今も続いているのでしょう。

 来年の初詣は、混雑回避の観点から、年内に済ませる事が推奨されています。
 神社などでは、お守りや破魔矢などを年内に授与するようです。
 そうなると、これまで混雑の中で長い行列を作って参詣していたのは、
 何だったのだろうかと言う気になります。
 寺社などでは、初詣の時の賽銭や縁起物の頒布が
 大きな収入源になっているのでしょうから、
 初詣がなくなると、経営的に難しくなるのかも知れません。
 緊急避難的措置なのでしょうね。
 韓国では宗教関係の集まりで大きなクラスターが発生し、
 これによって、全国的に感染が拡大したようですから、止むを得ないのかも知れませんが、
 それにしても、人間の都合で変えられるものだと言う気がします。
 宗教とは何なのだろうと言う気にもなりました。

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ラブホテル・・・

2020年12月27日 18時34分28秒 | 日記
 表題はラブホテルですが、僕が行った話ではありませんので、
 ご期待に沿えないかも知れません。

 恋人などが利用する場所としては、江戸時代には出会い茶屋などがあり、
 明治以降は、待合とか貸席などと呼ばれていました。
 戦後は連れ込み旅館とか、
 温泉マークが付いていた事から逆さクラゲなどとも呼ばれていました。
 高度成長期に自動車が普及すると、郊外型のモーテルが増えました。
 これに対し、街中の車でなくても入れる所を一般的にラブホテルと呼ぶような感じです。
 もちろん、これは厳密な定義ではありませんが。

 かつて宇都宮市中心部には、何軒かのそうした所がありました。
 しかし、次第にモーテルに客を奪われたのでしょうか姿を消しました。
 僕は入った事がありませんが、現在市の中心部には3軒あるようです。
 いずれも僕の散歩コースの近くにあります。
 当然ですが、ラブホテルを目指して散歩している訳ではありません。

 ここ半年位ですが、僕が馴染みになった蕎麦屋が東武宇都宮駅近くにあります。
 そこの行き帰りに1軒のラブホテルの前を通る事が多くなりました。

 もう大分前の事ですが、
 僕が歩いて行くと、向こうから高齢の男性とそれなりの年齢の女性が歩いて来ました。
 男性は確実に僕よりも年齢が上の感じですし、女性は50代位に見えました。
 その二人が腕を組んで、女性の方がとても仲良さそうに話している感じでした。
 最初、父娘かなと思ったのですが、その二人が、件のラブホテルに入りました。
 え@@!と言う感じで驚きました。
 二人の態度からすると、あるいは女性はプロなのかも知れませんが、
 そのような雰囲気ではありませんでした。
 世の中は、色々あるものだと思いました。

 それから少しして、僕がラブホテルを通り過ぎた辺りで、
 20代前半位の若い女性と30代後半位の若干遊び人風の男性とすれ違いました。
 男性はしきりに女性のご機嫌を取っている感じですが、
 女性はかなり思い詰めたような硬い表情でした。
 この二人、余り釣り合わないなぁと思って、何気なく後ろを振り返ったら、いません。
 ラブホテルに入ったときり思えませんでした。
 どのような事情か分かりませんが、女性が幸せになれるようにも見えませんでした。
 やはり世の中色々あるものだと思いました。

 更に、それからしばらくして、その日は天気の良い日曜日でした。
 前述のカップルとすれ違った辺りで、やはり若いカップルとすれ違いました。
 両方とも20代だろうと思います。
 女性はとても楽しそうで男性に話しかけています。
 男性は背が高く、無口なようで、女性の話にうなずいているようでした。
 二人とも健全な若い恋人たちと言う感じもしました。
 彼らの向かう先には、宇都宮の観光名所の1つになっていて、
 国の重要文化財にも指定されている大谷石造りの教会があります。
 デートでそこにでも行くのかと思ったのですが、
 念のためと思って振り返ったら、二人の姿が消えていました。
 女性に主導権を握られそうな感じのカップルでしたが、幸せになれそうな気もしました。

 以上、街中を歩きながら見掛けた光景です。
 いずれも僕が勝手に想像した内容ですから間違っているかも知れません。
 想像して楽しんでいると言われるかも知れませんが。

 ともかく、また何か面白い光景を見掛けたら書きたいと思いますし、
 書けるような光景に出会いたいとも思っています。
 
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安倍前総理大臣・・・

2020年12月26日 18時52分33秒 | 日記
 昨日は、年賀状を書くために日記を休みました。
 午前中、取り掛かるのが遅かったので、終わったのが夕方になってしまいました。
 僕の年賀状は、写真を入れて近所の印刷屋にお願いしています。
 それで、宛名を書いて、一言書くだけなのですが、
 普段字を書かなくなった事もあり、疲れました。

 一昨日の夕方、安倍前総理は記者会見を行い、桜を見る会問題について、
 総理大臣在職中の国会での答弁で、事実と異なる事を述べていたと陳謝しました。
 事実と異なる事は簡単に言えば嘘だと思うのですが、
 答弁した時には知らなかったと言って逃げた訳です。
 国会で答弁するためには、キチンと事実関係を確認して述べるものだと思うのですが、
 秘書の言うまま、とても常識的でないような事を100回以上も答弁していた訳です。
 国会の場は、その程度のものだと言っているような気がします。
 道義的責任があると言っていましたが、国会を軽視した政治的責任だと思います。
 昨日は衆参両院の議院運営委員会で、同じような釈明をしましたが、
 どうも野党の追及も中途半端なものだったような印象があります。
 安倍前総理は、一連の釈明を終わって、これで説明責任を果たしたつもりのようです。
 しかし、これらの話で、どれだけの国民が納得したでしょうか?
 僕は到底納得出来るものではありません。

 記者会見の中で、記者からの補填した金はどこから出たのかとの質問がありました。
 この点の答えを用意してなかったのか、すこし慌てたような感じがしましたが、
 この補填金はポケットマネーから出ていたようなニュアンスだったと思います。
 これだと、公職選挙法違反である買収を認めたような気がしますが、
 この点を何故特捜部が追及しなかったのかも気になります。

 今回、東京地検特捜部が急に桜を見る会について、捜査を行ったと報じられた時に、
 何人かの人が、
 秘書は略式起訴、安倍前総理は不起訴で決着するだろうと言っていましたが、
 その通りの結果になりました。
 これをどう見るかと言うのは面白いテーマのように思います。

 安倍政権では、検察庁の人事に介入し、
 検事総長に安倍政権に近いと言われた黒川弘務東京高検検事長を据えようとしましたが、
 黒川氏は、「賭け麻雀」報道を受けて辞職に追い込まれました。
 こうした人事への介入についての検察庁の報復ではないかとの見方もありましたが、
 安倍前総理を起訴するまでの追及を行わなかった事からすると、
 今後検察庁の人事に政権が介入すると、もっとキチンと捜査するぞとの
 威嚇のような感じもします。
 あるいは、桜を見る会問題に決着を付けるために、
 一応検察に捜査をさせて、安倍前総理の身の潔白を図り、
 3度目の総理大臣就任に道筋をつけようとしたとの見方もあるかも知れません。
 事実、昨日の国会では、
 安倍前総理は検察の捜査においても不起訴になった事に触れて
 追及を交わそうとしていました。

 どうも今回の一連の動きには、何らかの裏があるような気がします。
 やがてそれらが明らかになるのでしょうか?

 少なくても安倍前総理については、
 年明けの国会の場で、まだ追及があるような気がしますし、
 安倍前総理を追及する人達は、検察審査会への申立を行う事になるような気がします。
 故意か偶然か、賭け麻雀で不起訴になった黒川前東京高検検事長に関しては、
 不起訴(起訴猶予)とした東京地検の処分に対し、
 検察審査会が「起訴相当」と議決した事が同じ日に報じられました。

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過去最多・・・

2020年12月24日 18時46分55秒 | 日記
 新型コロナウイルスによる感染拡大が止まりません。
 東京都は、今日888人の感染が確認され、
 これまで一番多かった12月17日の821人を上回り過去最多となったとの事です。
 更に、東京都を取り巻く、神奈川県、千葉県、埼玉県でも、過去最多と報じられています。
 まだ今日の感染者が全国的にどの位になるか情報がありませんが、
 全国的にも過去最多となりそうな勢いです。

 東京都の感染者数は、検査体制などから、曜日ごとに感染者の数に変動が出ますが、
 ここのところ毎日、その曜日の感染者数が最多になっていましたから、
 感染者数の多い木曜日や金曜日が増える事は、ある程度予想された事です。
 これがどこまで増えるのかが一番気になります。
 栃木県内にある獨協医科大学の増田道明教授によると、
 コロナウイルスは、気温が低いと感染力を失いにくい点を挙げ、
 「同じ接触具合でも夏は運良く感染しなかったが、
  冬は感染するということがある」との事です。
 これから本格的な寒さになりますから、終息する見通しは立たない感じがしています。

 栃木県でも、ここのところ1日30人前後の感染者が出ていて、急増している感じです。
 下野新聞では、これまで感染者の感染経路など詳しく報じて来ましたが、
 人数が増えて、次第に簡略化しているような感じがします。
 昨日、福田富一知事が臨時の記者会見を開き、
 感染者急増による医療現場の逼迫を受け、「県医療危機警報」を初めて発令しました。
 今日から来年1月11日まで、
 県民に地域を問わず不要不急の外出を控えるよう呼び掛けました。
 栃木県に限らず、これだけ感染者が増えると、外出を控える人も増えそうな気がします。

 非常にうがった見方で恐縮ですが、
 これだけ感染者が増えて、ホッとしているのが菅総理のような気がしています。
 あるいは、最高のタイミングで、GOTOトラベルの停止を決めたと
 思っているかも知れません。
 菅総理が一時停止を発表したのが12月14日でしたが、
 最後のタイミングだったかも知れません。

 もちろん、この停止措置は遅過ぎた訳ですし、
 そもそもGOTOキャンペーンを始めた事が、大きな間違いだったと思います。
 菅総理は、旅行で感染するエビデンスはないと強弁していましたが、
 新型コロナウイルスに対し、有効な予防措置は3密回避と外出自粛以外にありません。
 税金を使って、旅行や会食、イベントの開催などを促すGOTOキャンペーンは、
 全く逆の方法だった訳です。
 しかも国民に気の緩みを生じさせた事も間違いないと思います。
 停止を発表した夜に、会食をはしごした菅総理が、
 国民に危機感を持てと言いながら、危機感がない事が明らかになりましたが。

 ウイルスを巡る行動が、社会的な人間関係を悪化させることが懸念されます。
 感染者でも、無症状から命を失う患者まで幅広いため、
 恐怖心や警戒のレベルに個人差があるのはある程度やむを得ないのかも知れません。
 前述の増田教授は、
 「自分と価値観や行動が異なる人と反目するのではなく、自分をどう守るかが大切。
  ウイルスより人が怖い社会状況を作ってはいけない」と念を押したとの事で、
 全くその通りだと思います。

 明日は所用のため、日記などを休ませて頂きます。
 お含みおき下さい。

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阿部定・・・

2020年12月23日 17時53分15秒 | 日記
 昨夜のNHKBSプレミアムの「アナザーストーリズ」で、阿部定を取り上げていました。
 この「アナザーストーリズ」は、毎回違うテーマを掘り下げています。
 興味のないテーマの時は観ていませんが、昨夜は興味がありました。

 阿部定は、ご存知の方も多いかと思いますが、
 1936年(昭和11年)5月18日に東京市荒川区尾久の待合で、
 性交中に愛人の男性を扼殺し、局部を切り取った事件を起こした女性です。
 この1936年は2・26事件が起こった年で、厳しい報道管制が行われていましたが、
 何故かこの事件は大々的に報道されていたとの事で、
 報道には何らかの意図があるのではないかと示唆していました。

 阿部定は、懲役6年の刑を受け、栃木県の栃木女子刑務所に服役した後、
 1941年(昭和16年)に「紀元二千六百年」の恩赦を受けて出所しています。
 1947年(昭和22年)に阿部定は坂口安吾と対談を行っていて、
 その内容は雑誌に掲載されていました。
 番組に出演していた小説家の村山由佳さんが、
 実際に面と向かって話をすると、あの坂口安吾ですら、
 普通の男と同じような話きり出来なかったと語っていました。

 先日亡くなった女剣劇の浅香光代さんは、
 阿部定と面識があり、その様子を語っていました。
 一時期、阿部定は、芝居・見世物一座で本人が講釈し、
 踊りを見せて、最後は自分の局所をチラッと見せていたとも語っていました。
 浅香さんの談話は、亡くなる2か月位前に撮影されたようですが、
 世志凡太さんと一緒に、お元気そうに話をしていました。

 阿部定が映画出演をしていた事も番組の中で紹介されていました。
 これは、1969年(昭和44年)に製作されたオムニバス映画で、
 実際に起きた猟奇事件を題材にした、「明治・大正・昭和猟奇女犯罪史」と言う映画です。
 監督は、「網走番外地シリーズ」の石井輝男ですが、
 東映ポルノ「異常性愛路線」と呼ばれる一連のエログロ作品も監督していました。
 この映画で主演していた俳優の吉田輝雄さんも出演し、
 浅草の東橋の上のシーンは望遠カメラで撮影し、
 音声は別に録音していたものを当てたと語っていました。

 この映画、僕も3年ほど前にCATVの「チャンネルNECO」で観ました。
 本物の阿部定が出て来て驚き、2017年10月3日の日記に書きました。
 ご記憶のある方も多いかと思いますが、全文を掲載しておきますので、
 お時間のある方はご覧になって下さい。
 この映画の最後は明治時代に死刑になった「高橋お伝」の話で、
 土方巽が怪演していますが、今回調べていて土方が阿部定に心酔して、
 一時期、彼女が営んでいた酒場の常連客だった事を知りました。
 「明治・大正・昭和猟奇女犯罪史」への阿部定の出演は、
 土方との縁があったのでしょうか?

 阿部定は、1971年(昭和46年)に千葉県市原市の旅館から失踪した後、
 行方が分からなくなりました。
 この失踪の時、旅館の女将への置手紙が残っていました。
 旅館の箸袋の裏に鉛筆で書かれたものですが、
 中々達筆だったように見えました。
 その後、彼女がどのよう生活を送り最期を迎えたのかは、
 「アナザーストーリズ」でも分からなかったようでした。
 
 以下、前述の日記の全文です。

 阿部定・・・(2017年10月03日の日記)

 少し古い話になりますが、9月25日の月曜日の事です。
 パソコンをやりながら、テレビを見るのが常の僕は、
 何か面白い番組はないかと、探していて、
 CATVの無料の映画放送「チャンネルNECO」でやっていた、
 「明治・大正・昭和猟奇女犯罪史」と言う映画に行き当たりました。
 実際に起きた猟奇事件を題材にした1969年(昭和44年)のオムニバス映画で、
 吉田輝雄さんが演じた解剖医の村瀬を狂言回しとして、
 「東洋閣事件」「阿部定事件」「象徴切り事件」「小平事件」「高橋お伝」が描かれています。
 監督は、「網走番外地シリーズ」の石井輝男ですが、
 東映ポルノ「異常性愛路線」と呼ばれる一連のエログロ作品も監督していました。
 その一環での作品なのでしょうね。
 
 「東洋閣事件」は、栃木県の塩原温泉で実際に起こった日本閣事件を扱っていました。
 何故、日本閣を東洋閣としたのか、分かりませんでした。
 犯人の小林カウは、戦後の女性死刑囚の最初に処刑されています。
 ウィッキペディアでも仮名だったのですが、何かあるのでしょうか?

 次が阿部定事件でした。
 ご存知の方も多いかと思いますが、
 1936年(昭和11年)5月18日に東京市荒川区尾久の待合で、
 性交中に愛人の男性を扼殺し、局部を切り取った事件です。
 映画は、この経過を描いていましたが、話が終わった後、
 本当の阿部定が映画に出演して、
 「そうね、人間一生に一人じゃないかしら、好きになるのは。
  ちょっと浮気とか、ちょっといいなあと思うのはあるでしょうね、いっぱい。
  それは人間ですからね。
  けどね、好きだからというのは一人」と語っていました。
 映画に出演した時の阿部定は63歳だったとの事です。
 もちろん刑期を終え、出所した後の事でした。
 有名な阿部定事件の当人を映画で見る事が出来て、驚いてしまいました。

 阿部定事件は、大島渚が「愛のコリーダ」として描きました。
 日本初のハードコアとの事で、現在でも完全版は見られないと思いますが、
 ネットでは見られます。
 人物の存在感など、さすがに大島渚と言う感じもします。

 話を戻しますが、この映画では、
 他に戦後の混乱期、買い出しの女性を騙して殺害した、小平事件も取り上げ、
 小池朝雄が熱演していました。
 小平の処刑シーンも出ていて驚きました。

 最後の「高橋お伝」は、明治の初めに起こった女性が起こした殺人事件です。
 犯人の高橋お伝は死刑となり斬首されましたが、
 これが日本では最後の女性の斬首刑とされています。
 この時処刑したのが、八代目山田浅右衛門の弟吉亮です。
 映画では山田浅右衛門になっていて、それを土方巽が怪演していました。
 この話だけ、それまでの実録物風ではなく、幻想的なシーンになっていました。
 映画の最後に、解剖医の村瀬が、大学の標本室のような所で話を締めくくりますが、
 これは、高橋お伝の局部が保存されていたとの話をベースにしているのでしょう。

 この映画、現代では、女性からの批難が集中して、
 公開出来ないような代物だと思います。
 しかし、当時の時代を反映させた映画である事も間違いないような気がします。

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令和3年度予算・・・

2020年12月22日 18時49分47秒 | 日記
 昨日、政府は、令和3年度予算案を閣議で決定しました。
 国の来年度予算案は、一般会計の総額が106兆6097億円と、
 今年度の当初予算を3兆9517億円上回って過去最大となりました。
 歳出が大幅に膨らんだ背景には、
 高齢化に伴って「社会保障費」が今年度より1507億円増えて
 過去最大の35兆8421億円となったことや
 「防衛費」が今年度より610億円増えて、
 やはり過去最大の5兆3235億円に上ったこと、
 それに新型コロナウイルスへの対応として、
 国会の承認を得ずに機動的に使いみちを決められる「予備費」として
 5兆円を計上したことなどがあります。
 この内、予備費は今年度5000億円ですが、更に5兆円の予備費を上乗せしました。
 ですから、実質的には、予算総額が増えていない事になります。

 何故このような措置を行ったのかが分かりません。
 新型コロナウイルス対策として、政府は、今年度の第1次補正予算で
 1兆5000億円の予備費を計上したのに続き、
 第2次補正予算案でさらに10兆円を積み増しました。
 平成に入った1989年度以降の当初予算は、
 ほとんどの年度で3500億円が計上されてきましたが、
 大規模な自然災害が相次いでいることを受けて
 昨年度と今年度は5000億円が計上されたところです。
 今年度の補正予算で使い勝手の良さに気が付いたからでしょうか?
 ともかく、予備費は国会の承認が必要なく執行できますので、
 恣意的な支出になりかねないものです。
 今年度の補正予算編成の段階でも議論がありましたが、
 国会への上程後、野党側がどのように対応するのでしょうか?

 当初予算の、財源不足も深刻化しています。
 税収が新型コロナの影響による企業業績の悪化などを見込んで
 今年度の当初予算より6兆650億円少ない57兆4480億円としています。
 また新規の国債の発行額は、歳入不足を補うための赤字国債が37兆2560億円、
 建設国債が6兆3410億円の合わせて43兆5970億円に上り、
 今年度の当初予算の段階から11兆408億円増えています。
 この国債は、やがて償還しなければなりません。

 新型コロナウイルスの感染拡大が収まらない現在の状況の中で、
 国の予算でその対応が手厚くなるのは当然の事だと思いますが、
 国難とも呼ぶべき緊急事態の中では、不要不急の事業は抑制的であるべきだと思います。
 特に防衛費の伸びが突出しているのが気になります。
 本当にこれだけの増額は止むを得ないものなのでしょうか?
 防衛省の予算を見ると、サイバー攻撃に対する対処とか、ミサイル防衛など、
 将来的な経費も多く、すぐに必要なものとも思えないのですが。
 その他、各省庁では、菅総理に逆らえないからなのでしょうか、
 デジタル庁の設置を含め、デジタル化の関連予算などが目立ちます。
 これらも、本当に今必要なのとも思えません。
 どうも今回の予算案では、財政健全化の言葉を忘れてしまったような気がしました。

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冬至・・・

2020年12月21日 18時13分50秒 | 日記
 昨夜寝ている間に、寒いと感じたような気がします。
 どうして寒いのかと思いながら、さらに丸まって寝たようです。

 目が覚めた時にも寒いと思いました。
 幸い今日はゴミの日ではありませんし、
 特に早く起きる必要もありません。
 寒い日は、寝坊した方が省エネにもなると勝手に思い、
 午前7時半頃まで寝ていました。

 先ほど、今日の最低気温は何度だったのかと確認したら、
 氷点下5.0度だったとの事で、もちろん今季最低気温です。
 平年よりは3.8度低く、最も寒い時期を下回る事になります。
 寒い訳です。
 この気温が記録されたのが午前6時44分でした。
 寝ていて良かった訳です。

 今日は冬至です。
 同居人がいた時には、ゆず湯にしていましたし、
 大好きなけんちん汁やカボチャの煮物などを出してくれました。
 今は何もしませんが、
 今日行った馴染みの中華料理店で、カボチャの煮物を出してくれました。
 美味しかったですし、嬉しかったです。

 明日の最低気温は、少し暖かくなって、マイナス2度との事です。
 明日はゴミの日なので、早く起きなくてはなりません。

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1日のはずが・・・

2020年12月20日 15時55分24秒 | 日記
 一昨日、日記を休む旨を書きました。
 一昨日は出掛けていて、夜9時近くに帰宅しました。

 風呂に入って、メールをチエックしようと思いパソコンを開いたら、
 ディスプレイに主に赤い線が出て、消えたり動いたりします。
 この症状は、昨年の今頃から出ていて、そろそろパソコンの寿命かと思ったのですが、
 色々調べてみて、電池を放電したりしている内に直りました。
 1か月位前から、やはり同じような症状が出ていましたが、
 パソコンを立ち上げて10分位で消えるので、そのまま使っていました。

 一昨夜の症状は、それよりも重症の感じで線が一面に広がり、
 マウスもキチンと動きません。
 1時間位経っても、改善しないので、これはダメかと思いました。
 今のパソコンは買ってから6年半位経過していますので、
 そろそろ買い替え時かと思っていたところでした。
 しかし、パソコンに取り込んである文書や写真のバックアップを
 ここの所サボっていました。
 慌てて外付けハードディスクにコピーしようと思ったら、
 このハードディスクがほぼ満杯になっていてコピーできません。
 それで、新しいハードディスクを買って置いたのを思い出しました。
 曲がりなりにもパソコンが動いている内に、徹夜してでも、
 新しいハードディスクにコピーを取らなくてはと思いました。
 しかし、新しいハードディスクをパソコンが認知してくれません。
 完全に参ってしまいました。
 眠くなって来た事もあるので、諦めて寝る事にしました。
 どうも電源を落とした時にこの症状が出るような気がしたので、
 一応、パソコンの電源を落とさずに、スリープモードにしておきました。

 昨日は、午前中弟が来ると言うので、
 慌てて簡単に部屋を片付けたりしてパソコンに触れませんでした。
 お昼を食べて買い物をして来た後、恐る恐るパソコンを開いてみました。
 そうすると、一昨夜と同じような線が出たのですが、
 数も少なく、ここ1か月位と同じように10分もしない内に消えました。
 しかも、何となくパソコンの動きも軽いのです。
 更に、新しいハードディスクを繋げてみたら、パソコンが反応するのです。
 これは今の内にバックアップを取って置こうと思いました。
 そんな事をしていながら、
 バスケットボールのブレックスの試合のテレビ放送を観ていたりしたので、
 日記を休んでしまいました。

 どうして問題が解決したのか、よく分かりません。
 電池の放電も行いましたし、再起動も掛けました。
 何が良かったのでしょうか?
 あるいは、新しいパソコンと取り換えられると大変だと思った現在のパソコン君が、
 頑張って、自らを直したのでしょうか?
 だとすると、その健気さに応えない訳にもいかないですね。

 今日も、最初に線は出ませんでしたが、10分もしない内に消えました。
 いつまで良好な状態が続くか分かりませんが、
 今のままならば、パソコンの買い替えは少し先になりそうな感じです。
 
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