天然居士の独り言

主に日記主体のブログです。

開戦のような・・・

2023年05月31日 19時11分53秒 | 日記
 今朝目が覚めた時は曇っていました。
 その後ゴミ出しなどをして朝食を摂りながら天気予報でも見ようと思い、
 テレビを点けたのが、午前6時50分頃でした。
 そうしたら、北朝鮮から弾道ミサイルの可能性があるものが発射され、
 政府は、ミサイルが沖縄県周辺に落下する可能性があるとして
 全国瞬時警報システム(Jアラート)を発令したとのニュースで
 大騒ぎしていました。
 北朝鮮は29日、日本政府に対し、31日から6月11日の間に、
 「人工衛星」の打ち上げを行うと通告していましたので、
 予告通りかと思いました。

 それから、NHKはこの関連のニュース一色になりました。
 北朝鮮は31日午前6時19分ごろ、沖縄県方面に宇宙発射体を発射し、
 Jアラートが発出されたのが午前6時30分ごろです。
 どうもこのミサイルらしきものは、
 午前6時35分頃には、朝鮮半島西側の黄海の上空で消失したようですが、
 Jアラートが解除されたのは、午前7時4分でした。
 それは良いのですが、その後もNHKのニュースは続きます。
 まるで、戦争でも始まったような感じがしました。

 岸田総理は午前7時30分頃に官邸に入りましたが、
 キチンとネクタイを締めていました。
 押っ取り刀で駆け付けた訳ではなさそうで、
 服装を整える時間があったのでしょう。
 そうした政府の状況とは関係なく、
 NHKのニュースはミサイルのニュースを流し続けました。
 天気予報も含め、その他のニュースも全部飛ばしましたが、
 午前8時からの朝の連続ドラマ「らんまん」も飛ばしたようです。
 僕は、バカバカしくなったので、テレビを消してしまいましたが。

 ニュースとして価値があるのは、
 打ち上げられた事と、
 それが国内に落下しない事が確認された事だと思います。
 それがどのような物なのかなどについては、
 情報がなくて推定ですから、状況が判明してからでも間に合う話です。

 NHKが何故、あんな放送を続けたのかが気になっています。
 多分、このような事態の際のマニュアルがあるのだと思います。
 下衆の勘繰りとしては、
 政府の意向を受けて、我が国の防衛費の増強を進めるため、
 徒に危機を煽っているのではないかと思ったのですが、どうでしょうか?
 ともかく、過剰反応だった事は間違いないような気がします。

 今のところのニュースでは、北朝鮮は早い段階で今回の失敗を認め、
 可及的速やかに、次の発射を予定しているようです。
 また、同じような騒ぎを繰り返すのでしょうか?
 
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異次元の親バカ首相・・・

2023年05月30日 18時08分41秒 | 日記
 今日のネットのニュースを見ていたら、
 日刊ゲンダイデジタルで、上記のような言葉を見付けました。
 上手い事を言うものだと感心しました。

 既に多くの方がご承知かと思いますが、
 昨日夕方、岸田総理大臣は、突然、
 長男の翔太郎首相秘書官を6月1日付で交代させると発表しました。
 翔太郎秘書官は、昨年末に首相公邸に親族を招き、忘年会を開いて
 大ハシャギしていたことを週刊文春に報じられ、猛批判を浴びていました。
 岸田総理は、先週金曜(26日)の参院予算委員会では、
 「厳重注意した」として野党の更迭要求を突っぱねていましたが、
 一転して更迭に踏み切ったような感じです。
 その背景には、世論調査の結果が、思った以上に伸びなかったとするのが、
 大方の見方のような感じですが、
 日刊ゲンダイデジタルには、
 「文春が今週はもっとすごい写真を続報で載せるという情報が
  出回っていた。」との話が載っていました。
 どうなるのでしょうね?

 昨年10月4日、翔太郎氏の秘書官起用の時から
 「公私混同」との批判が出ていました。
 今年1月に首相の外遊に同行した際には、
 公用車で観光三昧だった疑惑も報じられていました。
 この時、更迭する選択肢もあったと思うのですが、
 厳重注意で済ませました。
 忘年会は、昨年末の事でしたから、
 この時更迭していれば、と総理は思っているかも知れませんが。

 岸田総理に限らず、これまでの自民党政権では、
 決断が遅れるのが気になっています。
 コロナ対策でも、後手後手との批判が何度も出ていました。
 岸田総理は昨年の大臣ドミノ辞任で、かばい続けた挙げ句、
 追い詰められてからの更迭を繰り返しましたが、
 全く学習能力がないような感じがします。

 それと同時に、空気が読めない事も気になっています。
 国民が嫌う事の1つが身びいきとか公私混同があります。
 安倍政権の時は、モリカケ問題などお友達を贔屓にしていましたし、
 菅元総理は、バンドマンで無職の長男を大臣秘書官として抜擢し、
 多数の総務官僚との接点を持たせた後、
 総務省の許認可先へ就職させています。
 こうした国民感情に気が付いているのかいないのか、
 ともかく、値上げ続きで厳しい生活環境にある国民に対し、
 増税などの負担を強いて置きながら、身内に甘いと言う、
 ある意味自民党政権の「伝統」がいつまで続くのでしょうか?

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備中高梁へ・・・

2023年05月29日 19時10分14秒 | 日記
 2日目の一昨日は、倉敷から備中高梁に回りました。
 正式には高梁市ですが、駅名は備中高梁です。
 この町には1983年5月27日に行った事がありますので、
 丁度40年ぶりです。
 学生時代、司馬遼太郎の「峠」を読んで、河井継之助に興味を感じ、
 河井が師事した備中松山藩の儒学者山田方谷のいた場所は
 どんな所だろうと思って行ってみました。

 高梁市では、映画「男はつらいよ」の第8作「寅次郎恋歌」と
 第32作「口笛を吹く寅次郎」の2作の舞台になっています。
 志村喬が演じたさくらの夫の博の父親が住んでいる町となっています。
 8作は博の母親の葬儀、32作は父親の法事のため寅さんが高梁を訪れます。
 今回行くに当たって、両作とも観て予習しました。

 備中高梁には、備中松山城が残っています。
 江戸時代以前からの天守が現存している城を現存12天守と言いますが、
 その中の1つで、山城はここだけです。
 もちろん、日本百名城の中にも入っています。
 40年前は、駅から歩いて上りましたが、
 それだけでヘロヘロになってしまいました。
 今は、途中のふいご峠まで車で行く事が出来、
 そこから20分ほどで城に行くとの事でしたので、
 タクシーで峠まで行けば大丈夫だろうと思って出掛けたのですが、
 結果的にやはり険しい登りで、僕は30分以上時間が掛かりました。
 暑かった事もありそうですが・・・
 40年前には、天守の周囲は余り整備されていなかったような気がしますが、
 今は整備されていました。
 天守、二重櫓、土塀の一部が国の重要文化財に指定されています。
 特に石垣が素晴らしいと思いました。

 帰りも、タクシーに迎えに来てもらい頼久寺に行きました。
 頼久寺には、小堀遠州が作庭した庭が残っています。
 その説明を聞いていたら、
 遠州がヨーロッパの庭園の影響を受けているとの話がありました。
 小堀遠州は茶碗などをオランダのデルフトに発注していたとの
 話がありますので、
 庭にヨーロッパの影響があったとしても不思議ではないのかも知れません。
 ちなみに、デルフトは焼き物の町で、
 フェルメールが住んだ町でもあります。

 頼久寺から武家屋敷のある石火矢町に行きました。
 その中の1軒で、「男はつらいよ」の映画撮影があったとの事で、
 公開はされていませんが、門前に撮影当時の写真がありました。
 武家屋敷は2軒公開されていて、そこを観て来ました。

 石火矢町から近くの高梁基督教会に寄りました。
 この教会は、1889年(明治22年)に現在の教会堂が建設されていますが、
 それ以前から新島襄が布教に来ていました。
 そして、高梁出身の留岡幸助が洗礼を受けた教会でもあります。
 留岡幸助は日本の児童福祉の分野で大きな足跡を残した人です。
 当時の感化院、後の教護院、現在の児童自立支援施設を創設した人で、
 40年前に高梁に行った時には知りませんでしたが、その後知った人です。
 留岡幸助については、長くなりますので、別途書きたいと思います。

 教会から、観光案内所で教わった和食の店に入りました。
 「口笛を吹く寅次郎」は、寅次郎が二日酔いになった僧侶の代わりに、
 法事に行くシーンがあります。
 その和食の店に、寅さんが行った法事の家を描いた版画がありました。
 店の女将さんに訊いてみたところ、
 既にその家は壊されてしまったそうですが。

 和食の店から、山田方谷記念館に行きました。
 10年ほど前になりますが、岡山県出身のある人から、
 山田方谷をNHKの大河ドラマで取り上げてもらうよう
 署名活動をしていて、そこに署名した事があります。
 まだ取り上げられてはいませんが、
 高梁市の各所で大河ドラマ化の宣伝を見ました。
 大河ドラマは余り好きではありませんが、
 それだけの人物のような気がします。
 記念館では、方谷が4歳の時に書いたとされる「風月」を
 見る事が出来ました。
 その他、様々な資料が展示されていました。

 山田方谷は、軍制を改革し、農民兵を導入します。
 これを長州の久坂玄瑞が見て、
 高杉晋作の奇兵隊のヒントになったとされています。
 奇兵隊は、陰惨な話も多々ありますが、
 それなりの歴史的な役割を果たしました。
 河井継之助も越後長岡藩で軍制改革を行い洋式化された軍隊を作り、
 戊辰戦争の中でも最大の激戦と言われる北越戦争を戦いますが、
 長岡の町のほとんどを焼失させ、長岡藩は窮乏し、米百俵の話になります。
 備中松山藩も、官軍となった周辺の諸藩から攻められそうになりますが、
 方谷は無用の被害が生ずる事を避けるため、無血開城して降伏します。
 史料を見ながら、方谷の偉大さを感じる事が出来ました。

 一昨日の写真をアップしましたので、宜しければご覧ください。
 https://photozou.jp/photo/album/2882708

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倉敷へ・・・

2023年05月28日 18時43分34秒 | 日記
 2日ほど日記を休みました。
 一昨日は、岡山県の倉敷市に行きました。
 昨日は、長い間行きたかった所に行って来ましたが、
 それはまた明日でも書こうかと思っています。

 倉敷には、2012年11月10日に行きました。
 この時は、仕事絡みでもありましたし、連れもいたので、
 余りゆっくりとは見られませんでした。
 そんな事もあったので、行った次第です。

 宇都宮を朝出て、5時間ほどで倉敷に着きました。
 どこかでお昼を食べようと思い、アーケードの商店街を歩いていて、
 レトロな喫茶店を見付けて、日替わりランチがあったので入ってみました。
 地元の小母さんたちが三々五々来ている感じで、
 小父さんが一人でお昼を食べていました。
 何となく懐かしくなるような雰囲気でした。

 アーケード街を抜けて、美観地区に行きました。
 11年前の記憶と比べて、
 今の観光地によくある、若者向けの店が増えたような気がしました。
 人を呼ぶためには、このような店が必要なのでしょう。
 美観地区に残る、
 古い町家である井上家住宅の改修工事が終わったとの事なので、
 入ってみました。
 担当の方が、倉敷独特の蔀戸などを熱心に説明してくれました。

 更にブラブラして、アイビースクエアに行きました。
 11年前は、蔦はすっかり枯れていましたが、
 赤煉瓦の壁に蔦が絡んでいてとても綺麗でした。
 中庭なども素晴らしいですね。
 アイビースクエアは、倉敷紡績の工場を活用していますが、
 敷地内に倉紡の記念館がありました。
 普段は入館料300円との事ですが、
 G7の閣僚会議が行われたとの事で無料でした。
 今回のG7サミットで唯一僕が受けた恩恵だと思いました。
 展示の中に、棟方志功の襖絵があり、
 その天衣無縫な書が気に入ってしまいました。

 そこから大原美術館に回りました。
 前回も観ましたが、エル・グレコの「受胎告知」をはじめ、
 モネ、ユトリロ、セザンヌ、シャガール、キリコ等々の西洋絵画をはじめ、
 青木繫、岸田劉生、中村彝、藤田嗣治等々の作品の他、
 大原美術館のコレクションの立役者の児島虎次郎の作品が沢山ありました。
 コレクションは著名な作家の他、僕の知らない若い作家の作品もあり、
 若い作家の育成にも気を使っているような気がしました。
 民芸館では、
 棟方志功、濱田庄司、河井寛次郎、バーナード・リーチなども
 観て来ました。

 大原美術館から「語らい座 大原本邸」と名付けられた
 大原家住宅を見てから、
 川船に乗りました。
 最後の便が空いているとの事でしたが、20分ほどの間、
 船頭さんの説明を聞いて、倉敷の町の成り立ちなどを知りました。
 最後、那智神社に行きました。
 倉敷の町を見下ろす高台にあって、中々立派な神社でした。

 歩いた所の写真などをアップしましたので、
 宜しければご覧ください。
 https://photozou.jp/photo/album/2882708

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黄金の茶道具・・・

2023年05月25日 17時13分41秒 | 日記
 豊臣秀吉が藤堂高虎に褒美として与えたとされる黄金の茶道具が、
 27日のオークションに出品されるとのニュースが昨日ありました。
 この黄金の茶道具は、江戸時代に津藩主だった藤堂家に伝来したもので、
 秀吉が作らせたとされる黄金の茶室で使用されていた茶道具のようです。
 秀吉が、1592年から1598年にかけて2度にわたり朝鮮半島へ攻め込んだ
 文禄・慶長の役の際、
 藤堂高虎は、船奉行として水軍を率い、戦果をあげました。
 秀吉から、その武勲を称えられ、領地を8万石に加増され、
 さらに、自らが黄金の茶室で愛用していた黄金の茶道具が授けられたと、
 藤堂家には伝えられているとの事です。

 オークションの主催者によると、
 茶碗や、湯を沸かす釜、火を入れる風炉など10点からなり、
 金と銀の合金製で、金の含有率は80~88%との事です。
 主催者は評価額を
 1億5千万~3億円と見積もっていると報じられています。
 そのような茶道具が残っていたのかと驚きました。
 まだまだ思いもよらぬ物が残っているのかも知れないなぁとも思いました。

 豊臣秀吉は、1585年(天正13年)に黄金の茶室を造らせたとの事です。
 全て金箔張りで、広さ3畳の組み立て式で運搬可能だったようです。
 秀吉が関白に就任した翌年の1586年(天正14年)、
 年頭の参内で御所に運び込まれ、正親町天皇に披露されました。
 北野大茶湯などでも披露され、
 文禄元年(1592年)には大坂城から名護屋城に運び込まれました。
 その後大阪城に運ばれ、大阪城にありましたが、
 1615年(慶長20年)、大阪城が落城した時に焼失したとされています。

 この黄金の茶室は復元されています。
 僕は、熱海のMOA美術館に復元されたのを見ましたが、
 他に大阪城の天守や、伏見城、名護屋城博物館など9か所にあるようです。
 MOA美術館の黄金の茶室は写真可でしたので、
 2018年10月14日に撮った写真を参考までに添付して置きます。

 黄金の茶道具の真贋は分かりませんが、
 オークションに出るのですから、ある程度信頼出来る物だと思います。
 茶室と一緒に大阪城で保存されていたら、焼失してしまったはずですから、
 藤堂高虎に下賜されたから残ったのでしょうね。


 明日と明後日、チョッと出掛けますので、日記などを休ませて頂きます。
 お含み置き下さい。

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めん小町・・・

2023年05月24日 18時36分01秒 | 日記
 月に1回程度は、鬼怒川温泉のチョッと先の会社に行っています。
 大体午前中に会議があるので、
 帰りに気になる店に寄ってお昼を食べて来るのが、
 楽しみになっています。

 最近、めん小町と言う、製麺所がうどんを提供してくれる店で、
 お昼を食べて来るのが多くなりました。
 場所は、宇都宮市の北部で、旧上河内町にあります。
 現在は宇都宮市と合併しましたので、宇都宮市ですが。
 昨日も、雨の中出掛けて、帰りに寄ってうどんを食べて来ました。

 大盛700円で、牛蒡のきんぴらと椎茸の煮物が付きます。
 他にサービスとしてご飯1膳食べてもよく、これに漬物が付きます。
 時々遅くなって、ご飯が無くなってしまう時がありますが、
 その時はうどんの分量を少し多めにしてくれます。
 うどんは、なめらかでコシがあって美味しいです。
 つけ汁は温かいのと冷たいのを選べますが、
 温かい汁に茄子が入っていて、これに味が滲みて美味しいのです。
 店には、若い男性と女性がいますが、
 手際よく客を案内し、うどんの茹で上がるまで5分などと声を掛けて、
 サービス精神が旺盛なのも気に入っています。

 この店、最近は土曜日が休みになったようですが、
 日曜日はうどんではなくて蕎麦になるようです。
 一度蕎麦も食べてみたいのですが、
 自宅からだと車で20分程度は掛かるので、中々行けないでいます。

 先日の中学校のクラス会で、
 群馬県の館林に住んでいた事があると言う女性と話していた時に、
 めん小町の話になりました。
 館林はうどんが美味しい街です、
 昨年行った時に、舘林駅の前の美味しいうどん店で食べましたが、
 館林にも、めん小町があると彼女が言いました。
 同じ会社なのかどうかと気になったので調べてみたら、
 群馬県の邑楽郡板倉町で創業したとの事で、
 館林で製麵所を営んでいて、
 2001年に旧上河内町に宇都宮工場を建設したとの事でした。
 この工場の前を何度となく通りましたが、
 飲食店の方に入るようになったのは、鬼怒川に行くようになってからです。

 僕は、蕎麦が好きですが、うどんもラーメンもスパゲッティも好きです。
 以前、人類は麺類だとの日清食品のCMがありましたが、
 これは真実だと思っています^^

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128キロ差・・・

2023年05月23日 18時50分18秒 | 日記
 昨日の午後は、ある会議がありました。
 普通、僕が出席する会議は、座っていれば良くて、
 時々、「異議なし」などと言えば良い事が多いのですが、
 昨日は違いました。
 表彰状をお渡しして、挨拶して、議事進行を行うなどを行いました。
 1年に1度の会議です。
 会議の後、講演会もあり、帰る事が出来ませんでした。
 その上、夕方来客もあったので、日記を休みました。

 昨夜、ネットのニュース見ていたら、
 「幕下・大日堂が128キロ差をはね返し 云々」との記事を見付けました。
 東幕下45枚目で体重124キロの大日堂(陸奥)が、
 3分を超える相撲の末に、
 252キロの西幕下47枚目の出羽ノ城(出羽海)を送り倒しましたが、
 体力を使い果たして、しばらく土俵上で動けなかったとの内容でした。

 昨日の時点で、両者とも1勝3敗で、負ければ負け越しと言う状況でした。
 結果、大日堂は踏みとどまり、出羽ノ城は負け越してしまいました。
 新聞の記事には載っていませんでしたが、
 両者は栃木県出身の力士です。
 大日堂は足利市出身の30歳で、出羽ノ城は、上三川町出身の29歳です。
 共に、三段目と幕下を行ったり来たりしています。
 大日堂の四股名は、
 多分足利市の鑁阿(ばんな)寺が
 「だいにちさま」と呼ばれている事からだと思います。
 鑁阿寺は、足利尊氏の先祖の足利氏の邸宅の跡で、
 お寺の本堂は国宝になっています。
 出羽ノ城の体重252.0キロは、現役力士の中では最も重いかも知れません。

 大日堂が立ち合いから猛然と突いて出ましたが、
 自身より128キロ、2倍以上も重い出羽ノ城を押し切れませんでした。
 たまらず距離を取って数秒間にらみ合います。
 大日堂は「何か起こると思って」と左の張り手を見舞ったが、
 これもあまり効果なし。
 懐に入りますが、またも膠着状態になり、
 次第に体力が削られていく中、
 寄られた際に相手の右をたぐりながらうまく回り込み、
 後ろを取って、懸命に巨体を押し、最後は送り倒しました。
 疲労困憊で土俵上でもしばらく動けませんでしたが、
 出羽ノ城に促されて立って、ようやく勝ち名乗りを受けました。
 やはり同郷と言う事があるのでしょうか?
 花道でも、まだ息が絶え絶えの状態で、
 「止まっているときは早く終わらせたかった」と
 苦笑いを浮かべたとの事です。

 昨日は、上記のような次第で大相撲を観る事が出来ませんでした。
 十両以上だと、NHKの速報で結果を見られますが、
 幕下は見られないので残念だと思っていました。
 この稿を書くに当たって調べていたら、
 YouTubeに動画がアップされているのを知りました。
 便利な世の中になっていますね。
 興味のある方は下記からご覧ください。
 https://www.youtube.com/watch?v=SsG1y1KqYbM

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G7サミット雑感・・・

2023年05月21日 19時05分20秒 | 日記
 政府が大騒ぎしていた広島でのG7サミットが終わりました。
 どの位の経費が掛かったか分かりませんが、
 壮大な無駄遣いのような感じがしています。
 警備に当たった人や、日常生活に支障を受けた人など、
 多くの方がご苦労されたような気がしています。

 G7サミットの参加国は紆余曲折がありました。
 1975年、フランスのランブイエで、6か国の先進国の首脳会談が始まり、
 翌年にはカナダが加わりました。
 1998年サミットからロシアが加わり、G8になりましたが、
 2014年のロシアによるクリミア併合によって、
 ロシアの参加資格が停止されたため、
 G7に戻り、現在に至っています。

 僕は、サミットに関しては以前から余り肯定的ではありませんでした。
 何となく各国の首脳が
 年に1度集まっての親睦会をやっているような感じがしていて、
 会議に至るまでの事務方の調整で会議の声明などの中身が決まり、
 首脳の会議はセレモニーに過ぎないと思っています。

 今回、広島で開催される事で、
 核軍縮が前進するのではないかとの
 期待を持っていた方も多いかと思いますが、
 残念ながらそうした方の期待を裏切る結果になったような気がします。
 各国首脳が、原爆の悲惨さを目の当たりにしても
 政策には影響しないのでしょう。
 結果的に、既得権益を守る核拡散防止と核の傘を
 追認しただけだったような気がします。
 岸田総理は、盛んに成果を強調していましたが、どうでしょうか?

 今回のサミットでは、ウクライナのゼレンスキー大統領が参加し、
 主役になった感じがありました。
 突然の来日のような印象を与えていますが、
 ゼレンスキー大統領の随員たちはIDカードをぶら下げていましたので、
 以前から、それなりの準備が進められて来たのでしょう。
 ゼレンスキー大統領の身の安全を心配する声もありましたが、
 こうした動きはロシアも察知していたと思います。
 いずれにしても、
 ウクライナはコストパフォーマンスの良い外交をしたような気がします。

 G7の各国を見ると、老大国と言う言葉が浮かびました。
 世界の政治経済の流れの中で、どれだけの力があるのか、
 主要な位置にいるのは、アメリカ位なのではないかと言う感じがしました。
 その事は、今回、グローバルサウスと言う言葉で、
 新興国や途上国との連携を打ち出していますが、
 G7各国の相対的な力の低下を示しているような気がします。
 中国に対して懸念を表明する一方で、
 ロシアの侵攻を止めるために、中国の仲介を促していますが、
 これなども、G7の経済制裁では、
 実効性がない事の裏返しのような気がします。

 いずれにしても、現在の国際社会では、
 G7の役割は終わったような気がします。
 新たな仕組みが必要な感じがしました。


 なお、明日は所用により日記などを休ませて頂きます。
 お含み置き下さい。

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女性の声・・・

2023年05月20日 18時58分25秒 | 日記
 女性の魅力は色々ありますが、
 その1つに声があるのではないかと、少し前から思うようになっています。
 きっかけは、2年ほど前に観た、『座頭市と用心棒』でした。
 岡本喜八が監督した映画で、1970年(昭和45年)の、
 座頭市シリーズの20作目になる作品です。
 タイトルに用心棒が入っている通り、
 三船敏郎演じる用心棒も出演している他、
 嵐勘十郎や滝沢修も出演するなど豪華な出演者の映画でした。
 この映画でヒロインを演じたのが若尾文子さんでした。
 座頭市からも用心棒からも、思いを寄せられると言う役回りでした。
 若尾さんは、昔から好きでした。
 テレビドラマで観て知っていたのだと思うのですが、
 何のドラマだったか分かりません。
 あるいは、『ちん・とん・しゃん』と言うドラマだったかも知れません。
 何となく、粋なお姉さんと言う感じで好きでした。

 『座頭市と用心棒』でも同じような粋な役割でした。
 そして僕が彼女を好きな理由が、もちろんその容貌もありますが、
 その声だと思いました。
 柔らかく温かみがあって、人を包み込むような声だと思いました。
 u-nextを使うようになってから古い映画を観ていますが、
 1956年(昭和31年)の溝口健二監督の遺作『赤線地帯』や、
 1957年(昭和32年)の増村保造監督の『青空娘』、
 1962年(昭和37年)の川島雄三監督の『雁の寺』などを観ました。
 若尾さんは1933年生まれとの事ですから、20代の頃の映画です。
 やはり瑞々しい美しさだと思いました。
 声は、年齢的なものもあって、少し高い感じはしましたが、
 温かみのあるのは、若い頃からなのだと思いました。

 僕は、昔から浅丘ルリ子さんも好きですが、
 彼女の歯切れのよい話し方も好きです。
 『男はつらいよ』のリリー役が
 最も彼女のイメージに合っているような感じがしています。

 僕は、気が多いので、他にも多くの好きな女優さんがいますが、
 それぞれの声や話し方で好きになった人も多いです。
 僕の声は、若い頃から甲高く、ハスキーで、
 全く魅力的な声ではないと思っています。
 もっと低い声で、深みのあるような声だったら
 良かったのにと思うのですが。
 自分の事を棚に上げて、
 他の人の声の話をしていて良いのかなとは思うのですが、
 最近、考えている事なので、ご容赦下さい。

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地震・・・

2023年05月19日 19時04分20秒 | 日記
 ここの所、地震が多いのが気になっています。
 今日のtenki.jpの記事によると、
 5月に入ってから、今日までの間に、震度4以上の地震が12回あり、
 今朝も愛媛県で震度4の地震があったとの事です。

 今月5日には、
 石川県能登地方を震源とするマグニチュード6.5の地震が発生し、
 石川県珠洲市で最大震度6強を観測しています。
 亡くなった方が1人いますし、
 多くの家屋が倒壊するなどの被害がありました。
 この地震の後、石川県で震度4以上の地震が頻発しているとの事で、
 被害に遭われた方などは、不安に感じているのではないかと思います。
 11日には千葉県南部を震源とするマグニチュード5.2の地震が発生し、
 千葉県木更津市で震度5強、千葉県君津市で震度5弱が
 観測されていますし、
 13日にはトカラ列島でマグニチュード5.1の地震が発生し、
 鹿児島県十島村で震度5弱が観測されました。

 珠洲市の地震では、その原因として「流体」が挙げられています。
 「流体」とは地下にある水などを指しています。
 これは、地中のプレートが動くにつれて、流体も沈み込み、
 これが熱せられて、上昇していき、高い圧力を発生させ、
 岩盤の亀裂や断層の隙間に入り込んで、
 地震を引き起こすと言う事のようです。
 僕は、浅学なので知りませんでしたが、
 地下水は、ある意味どこでも流れていて、
 それが温泉などになると思っていましたが、それだけではないのですね。

 上記に上げた3か所の地震、地域がバラバラですし、
 原因も違うようなので、
 首都圏直下型の地震や、東南海トラフ地震とは関連がなさそうですが、
 やはり、備えて置く必要はあるのでしょうね。

 また、世界的にみても、大きな地震が増えているようで、
 今日の午前11時57分頃、
 南太平洋にあるニューカレドニアのローヤリティ諸島の南東を震源とする
 マグニチュード7.7の大きな地震があったとの事です。
 11日にも、やはり南太平洋のトンガ諸島で、
 マグニチュード7.6の地震がありました。

 地震は防ぎようがありませんし、
 大きな地震が起こる事は不可避な事のようです。
 非常に自分勝手な考えですが、
 僕が生きている間には、
 大きな地震が起きなければ良いがと思うのが正直なところです。

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