天然居士の独り言

主に日記主体のブログです。

アイソン彗星・・・

2013年11月30日 22時22分09秒 | 日記
 昨夜は、チョッと気の重い酒飲みでした。
 6人ほどだったのですが、気を遣う人がいたので、楽しい酒飲みではありませんでした。
 1次会だけでなく、2次会にも引っ張られてしまい、
 久しぶりに「北へ」と「函館の女」を歌わされてしまいました。

 今日は、朝から茨城県の結城市に仕事で行って来ました。
 行きは車、帰りは電車でしたので、気分的にはノンビリする事が出来ました。
 結城市も古い蔵が残っていて良さそうな街のようです。
 その内、街歩きをしてみたい所です。

 昨日、今年最大の天体ショーとして多くの天文ファンが注目していたアイソン彗星が、
 太陽に接近して消滅してしまうと言う出来事がありました。
 太陽の周囲をぐるっと周った後、
 太陽から離れると彗星の尾がきれいに見えるとの予測でした。

 彗星は、ちりや氷の塊でできていて、これを彗星の「核」と言います。
 太陽に近づくと、氷が溶けて周りに吹き出し、これが尾になります。
 アイソン彗星は、太陽に近づくほど、太陽の強い熱や引力を受けて、
 彗星が溶けたり壊れたりしやすくなっていたとの事でした。
 当然、科学者達はこれらの事を念頭に置いて推計していたのでしょうが、
 人智を越えるものがあったのでしょう。
 改めて太陽の力や不思議さを感じました。
 このような事もあるのかと言うのが正直な気持ちです。

 NASAの研究者などから、イカロスの翼を例えにした発言がありました。
 イカロスは、ギリシア神話に登場する人物で、伝説的な大工職人ダイダロスの息子です。
 ダイダロスとイカロスの親子はミノス王の不興を買い、迷宮に幽閉されてしまいます。
 彼らは蝋で鳥の羽根を固めて翼をつくり、空を飛んで脱出しましたが、
 イカロスは父の警告を忘れ高く飛びすぎて、
 太陽の熱で蝋を溶かされ墜落死したとされています。

 イカロスの名前を聞くと、越路吹雪が歌っていたイカルスの星を思い出します。

 イカルスの星
 作詞 岩谷時子 作曲 内藤法美
  遠い空にかくれた イカルスの星よ
  風のつばさにのった あの人を返して
  誰の眼にも見えない 美しい星を
  ひとりで取りに行った 私の人
  イカルスの星 イカルスの星
  あの人を見たら 帰れと言って
  この世でただひとたび めぐり逢う星を
  私の首かざりにしたいなんて

  青い海に沈んだ ひとつぶの恋よ
  そのつばさ太陽に 灼かれたあの人
  若いいのち忘れて 美しい星を
  ひとりで取りに行った 私の人
  イカルスの星 イカルスの星
  イカルスの星 涙の星よ
  哀しい愛の星よ イカルスの星よ
  あなたも泣きながら 帰ってゆく

 越路吹雪の歌がユーチューブにありました。
 http://www.youtube.com/watch?v=KW8CmaqOaqw

 アイソン彗星、正にこの世でただ一度巡り会う星になってしまいましたね。

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陸自の情報活動・・・

2013年11月28日 23時35分29秒 | 日記
 今朝の下野新聞の1面トップがこの記事でした。
 大新聞には載ってないようなので、コピーしてみました。
 「陸上自衛隊の秘密情報部隊「陸上幕僚監部運用支援・情報部別班」(別班)が、
  冷戦時代から首相や防衛相(防衛庁長官)に知らせず、独断でロシア、中国、韓国、
  東欧などに拠点を設け、身分を偽装した自衛官に情報活動をさせてきたことが
  27日、分かった。
  陸上幕僚長経験者、防衛省情報本部長経験者ら複数の関係者が
  共同通信の取材に証言した。
  自衛隊最高指揮官の首相や防衛相の指揮、監督を受けず、国会のチェックもなく
  武力組織である自衛隊が海外で活動するのは、
  文民統制(シビリアンコントロール)を逸脱する。」

 2面では、更に詳しい記事を載せています。
 外国に派遣される自衛官は、一度自衛官の籍を脱して、
 他省庁の身分として赴任するなどの具体的な記事が載っていました。
 この記事は共同通信の配信記事ですので、
 地方紙を読んでいる方はご覧になったかも知れません。

 これに関連して、共同通信からは次のような記事が配信されています。
 これもコピーしました。
 「小野寺五典防衛相は27日夜、陸上自衛隊の秘密情報部隊「別班」が
  独断で海外での情報活動をしていたとの共同通信の報道に対し
  「陸幕長に過去と今、そのような機関があるのかという確認をしたが、
  ないという話があった」と述べ、別班の存在を否定した。防衛省で記者団に語った。」

 陸上自衛隊の幕僚監部の秘密機関については、
 ミステリーにはよく登場するので、
 何となくそのようなものがあるだろうとは思っていました。
 したがって、この報道内容についてはそれほど驚いた訳ではありませんが、
 共同通信が今この記事を配信した意図には興味を感じます。
 秘密保護法案が衆議院を通過し、参議院での審議に入ったこの時期の
 タイミングを狙ったのでしょうね。

 昨日の株式会社リーグ・ミリオンのメルマガに面白い分析が載っていました。
 秘密保護法案に対する各新聞社の社説での論調を示したものです。

 どちらかと言うと賛成と分類したのが、
 読売新聞社と産経新聞社です。
 これに対して反対と分類したのが、
 朝日、毎日、日経、東京でした。
 共同通信社などの通信社は入っていません。

 秘密保護法案、次第に反対の声が強くなっていると感じています。
 法案の概要が示された段階で、マスコミがキチンと反対の意思表示をしていれば、
 もう少し違った流れになったような気がしますが、どうでしょうか?

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公約の撤回・・・

2013年11月27日 23時14分58秒 | 日記
 自民党沖縄県連は今日の県議団議員総会で、普天間飛行場(同県宜野湾市)の
 同県名護市辺野古への移設を容認する方針を決めたと報じられています。
 県連は2009年末に辺野古移設容認から県外移設要求へ立場を転じ、
 2010年以降の国政選で「県外」を県連独自の公約として戦って来ましたが、
 事実上の公約撤回になります。

 辺野古移設を容認してきた自民党県連は、
 県外移設を訴えた民主党政権が誕生した2009年、
 「政権党が県外移設を主張する今、苦渋の選択で受け入れた辺野古移設を
  容認する必要がなくなった」として県外移設要求に転換しました。

 2010年参院選沖縄選挙区と、昨年末の衆院選で「県外」の独自公約を訴え、
 比例での復活当選も含めて衆参計5人の国会議員が当選しています。
 昨年6月の県議選で当選した県議団15人中、14人が辺野古移設に反対の立場でした。
 県連所属の国会議員5人は、既に25日に辺野古容認で一致しています。

 今回の公約の撤回、政治家として余りにも酷いのではないかと思います。
 公約の中にも軽重があるのは仕方ない事で、
 全ての公約を守れとは僕も言いませんが、
 沖縄県における辺野古移設の問題は、
 簡単に撤回できるような軽いものではないはずです。

 投票してくれた有権者の事を思えば、自民党本部からの圧力に対して、
 離党して戦うのが本来の姿のような気がします。
 もし自民党に残りたいならば、
 一度辞職して改めて有権者に信を問うべき問題のような気がします。

 この問題、最近の政治家の質の低下を物語るものです。
 主義に殉じると言う言葉すら知らないのでしょうね。

 こうした中、沖縄県名護市の稲嶺進市長が今日沖縄県庁を訪れ、
 普天間飛行場移設に向け政府が県に提出した名護市辺野古沿岸部の埋め立て申請に
 反対する市長意見を川上好久副知事に手渡しました。
 当面、仲井真弘多知事が埋め立て許可申請にどのように対応するのかが、
 焦点になりますね。
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減反廃止・・・

2013年11月26日 23時04分36秒 | 日記
 政府の農林水産業・地域の活力創造本部(本部長・安倍晋三総理大臣)は、
 今日、首相官邸で会合を開き、コメの生産調整(減反)を
 5年後の2018年度をめどに廃止する方針を正式決定しました。
 国が各農家に生産量の目標を配分する制度から、
 生産者や農業団体が需要に応じた生産量を判断する仕組みに移行する事になり、
 1970年(昭和45年)の減反政策の本格導入以来、
 ほぼ半世紀ぶりのコメ政策の転換となると報じられています。

 日本の農業は豊葦原の瑞穂の国と言われるように、米作中心の農業でした。
 こうした中で戦後の農政は、米の生産を押さえる事で動いて来ました。
 いわゆる減反政策です。
 背景としては、戦時中にできた食糧管理制度に基づき、主食の米の生産・流通に
 国が責任を持つという考え方が根本にあります。
 食管制度の下では、コメ生産者は経営判断を国に依存し、
 米価下落などのリスクも国が負っていました。
 ガット・ウルグアイラウンドを受けて1995年(平成7年)に食管制度が廃止され、
 2004年(平成16年)には、作付けしない面積を割り当てる「減反」から、
 生産量の目標を配分する「生産調整」に移行しましたが、
 国による割り当てという食管制度の根幹は残っていました。

 政府は今回の減反廃止政策で、水田で飼料用米の生産を奨励する方針を示しました。
 また、農家の規模拡大や、農家が加工や販売を行う「6次産業化」を進め、
 農家の創意工夫で所得を拡大し、後継者を確保し、
 国内農業を持続可能なものにするとしています。

 本当に大きな政策転換なのかどうか、どうも僕には判断が付きません。
 個々の農家やJA農協などの農業団体から反対の声が上がらないのを見ると、
 十分な根回しが行われているのかも知れません。
 あるいは、色々な制度は変わっても、農家の実質的な所得には、
 それほどの変化がないのかも知れないと穿った見方も出来るような気がします。

 いずれにしても、日本の自然や農村の風景を守って来た
 中山間地域の農業を担っているのは、高齢者の小規模農家だと思います。
 こうした農家が、この政府の方針に乗れるのかどうか、
 その辺をよく見極める必要があるように思います。

 僕は、農業は単なる産業ではなく、
 日本の風土を守る社会的な意義のある産業だと思っています。
 それが荒廃する事のないような政策となって欲しいと思います。

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引きこもりの一日・・・

2013年11月23日 20時58分35秒 | 日記
 昨夜、足が痛いのは捻挫か何かで腱が炎症でも起こした可能性が高いので、
 カンメルパスタを使おうかと思っていました。

 前から日記をご覧頂いている方は覚えていらっしゃるかも知れませんが、
 昨年の5月原因不明の足の痛みに悩まされていました。
 脊柱管狭窄症と診断される前の事です。
 馬や牛用の消炎塗布剤でカンメルパスタと言う薬があって、
 人間が使っても効果抜群との話を聞きました。
 知り合いの獣医さんに話をしたら、親切にも届けてくれました。
 昨年は、1度これを使って効果が出なかったので、
 医者に行く事にして、脊柱管狭窄症と診断された次第です。
 ちなみに、この脊柱管狭窄症は、現在のところ症状が出ていません。

 昨日、獣医さんにお会いした時に、また使っても大丈夫かなと聞いてみました。
 昨夜、風呂上がりに使おうと思っているところに、獣医さんからメールがあって、
 止めた方が良いとの内容でした。
 それで、素直に使用は止める事にしました。
 風呂に入っていて、少し具合が良くなっているようにも感じたものですから・・・。

 今日は、とても良い天気でした。
 宇都宮市の紅葉も綺麗になって来たので、
 本来ならばどこかに撮りに行きたいところですが、
 まだ足の痛みは残っていますので、自重して一日家にいました。

 今日は勤労感謝の日ですから、大学ラグビーの対抗戦、早稲田対慶応の試合もあるので、
 それを見ようと思っていた事もありました。
 その試合ですが、早稲田が試合開始直後から、連続してトライを挙げて、
 69対7で快勝しました。
 早稲田は、全日本のメンバーとしてチームを離れていた、
 フルバックの藤田慶和選手が戻って来て、バックスに厚みが増した感じでした。
 攻撃の幅も出て来たように思います。
 12月1日の明治戦、その後の大学選手権も楽しみになって来ました。
 出来れば、決勝で帝京を破って欲しいですが、どうなるでしょう? 
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猪瀬都知事・・・

2013年11月22日 23時08分21秒 | 日記
 昨日は、仕事で出掛けていましたが、
 車を降りる時に、ふとした弾みで足を捻ってしまいました。
 昨夜は足も痛いし、眠かった事もあって日記を書く気力が湧かずに寝てしまいました。

 今朝になっても足の痛みは取れていません。
 医者に行く事も考えたのですが、大切な用もあったので、
 足を引きずりながら仕事に行って来ました。
 相変わらず痛くて、ゆっくりと歩いています・・・。

 今朝のネットのニュースによると、
 医療法人「徳洲会」グループが、昨年12月の東京都知事選の前に、
 猪瀬直樹都知事側に5千万円を提供していたことが分かったとの事です。
 徳洲会が公職選挙法違反容疑で東京地検特捜部の強制捜査を受けた後の今年9月、
 猪瀬都知事の秘書が全額を返却したそうですが、
 朝日新聞の取材に対し「私はまったく関知しない」「知らないと言ったら知らない」と、
 全面的に関与を否定したとも報じられています。

 今日猪瀬都知事は記者会見を行い、
 「5千万円は個人としての借り入れであり、選挙担当者は知らなかった」と
  再三にわたり強調しました。
 「政治家としての意識がまだ弱かった。借りるべきではなかった。
  一切手を付けずに9月に返却した」と述べました。
 また、議員会館で直接徳田衆議院議員から現金で受け取ったとの事です。
 知事選の運動費用収支報告書によると、
 3050万円の収入のうち3000万円は自己資金を充て、
 都知事の資金管理団体は、知事選までに2181万円余の寄付を集めましたが、
 2000万円以上が使われずに翌年に繰り越され、
 徳洲会関係の寄付の記載はなかったとの事です。

 知事選後、だいぶ時間が経過していますが、
 徳洲会の捜査がなくても、お金を返したのでしょうかね?
 今日の知事の会見内容を信じる人が、どの位いるのでしょうか?


 猪瀬都知事と言うと本田靖春の、「我、拗ね者として 生涯を閉ず」が思い出されます。
 この中で、本田は、
 「猪瀬氏は勉強家だし、仕事熱心だし、世渡りも上手だと思うのだが、
  なぜか、人に好かれない。それは、単に、威張りすぎるから、といったような
  表面的理由だけによるものではなさそうである。」と述べています。
 肯かれる方も多いのではないかと思います。
 この問題、どのような決着になるでしょうか?
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膝痛・・・

2013年11月20日 21時59分07秒 | 日記
 先週、龍王峡に行ってから膝が痛くて仕方ありませんでした。
 それまでも、例えば米沢市に行ったり菊水祭などで20000歩以上歩いた時など、
 歩き出しが痛い事がありました。
 歩いている内に治りますので、余り気にしていなかったのですが、
 今回はいつまでも痛みがありますし、痛みが膝の周囲で場所が変わります。
 酒飲みの後や風呂に入った後など少し痛みが和らぎますので、
 あるいは血流の問題かとも思いました。
 先日の日曜日に健康の森に行ったのも、温水の中で歩けば違うかと考えての事でした。
 しかし、そろそろ年も年なので取りあえず医者に行った方が良いかと思い、
 今日の午前中、予定が入っていなかったので、医者に行って来ました。

 昨年、脊柱管狭窄症でお世話になった先生です。
 整形外科は混んでいますね。
 診察開始前に病院に入ったのですが、既に20人以上待っていました。

 レントゲンを撮って診てもらいましたが、
 骨や軟骨に異常がないので、腱の炎症だろうとの診断で、
 湿布薬でしばらく様子を見る事になりました。
 骨や軟骨に異常がないのならば、心配する事もなさそうです。
 歩き出しが痛いのは、やはり老化現象で、ヒアルロンサンの注射で治るとの事でしたが、
 どうするかは考えてみようと思います。

 その病院、2年前の年末に左膝が痛くて行った事を完全に忘れていました。
 看護婦さんにまた左膝かと訊かれて、行った事を思い出しました。
 日記を確認したところ、12月8日に痛くなって翌日その病院に行っています。
 脊柱管の方の印象が強かったからかも知れませんし、
 僕が呆けて来たのかも知れません。

 その時、歯の具合も悪かったと日記に書いてありましたが、
 今回もやはり歯が悪くなって痛むので、
 昨日の帰り道、歯医者にも行って来ました。
 やはり身体中にガタが来始めているのかも知れませんね。
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安重根・・・

2013年11月19日 21時52分22秒 | 日記
 昨日は僕の職場は休みだったのですが、世間は休みではなく、
 ある会議が催され、仕方なく出席しました。
 会議終了後に懇親会があり、日記は休んでしまいました。
 酒飲みの方は、旧知の人も多く久しぶりに会う人と楽しく過ごす事が出来ました。

 菅義偉官房長官は今日午前の記者会見で、
 初代総理大臣で初代韓国統監を務めた伊藤博文を中国・ハルビンで暗殺した
 安重根をたたえる石碑の建立計画が韓国と中国の間で進められていることについて、
 「わが国は、安重根は犯罪者であると韓国政府にこれまでも伝えてきた。
 そうした中でこのような動きがあるのは日韓関係のためにはならないのではないか」
 と述べました。
 石碑は、暗殺現場となったハルビン駅に建立する計画で、
 韓国の朴槿恵大統領が今年6月に中国の習近平国家主席に協力を要請しています。
 朴大統領は18日、ソウルで中国の揚潔チ国務委員と会談し、
 計画が「うまく進んでいる」と謝意を伝えていたと報じられています。

 安重根が伊藤を殺害したのが1909年10月26日、
 旅順の関東都督府地方法院から死刑判決が出されるのが1910年2月14日、
 死刑が執行されたのが、3月26日です。
 この都督府の総督は大島義昌と言う人物で、
 元長州藩士で戊辰戦争に参戦し、後に陸軍に入って、
 日露戦争の時には第3師団長でした。
 戦争後、陸軍大将に進み新設の関東総督に就任しています。
 この大島義昌は安倍総理大臣の高祖父になります。
 大島義昌の娘秀子が陸軍軍医監本堂恒次郎と結婚し、
 その娘の静子が安倍寛と結婚していますが、
 その息子が安倍晋太郎で更にその息子が安倍晋三総理大臣になる訳です。

 安重根の人物像については、国によって評価は分かれるでしょう。
 日本の国内においても、
 韓国支配の象徴的存在であった伊藤の暗殺は、
 民族の独立を願う志士の純粋な行動であるとの評価もあります。
 そうした歴史的な人物の記念碑を作る事に、
 どうして官房長官が不快の意を表明するのか理解できません。
 一国の英雄は、相手国の仇敵である事はままある事です。

 日韓関係は、一時改善の兆しがありましたが、
 先週発売された週刊文春に、
 「安倍総理周辺によると、総理は「中国はとんでもない国だが、
 まだ理性的に外交ゲームができる。一方、韓国はただの愚かな国だ』と
  語っていたという」との記事が載りました。
 これに韓国では猛反発しているようです。
 こうした微妙な時期に、他国が英雄と思っている人物に関しての論評は、
 日本政府は日韓関係の改善を図る意思がないと思われても仕方ないような気がします。
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健康の森へ・・・

2013年11月17日 22時40分33秒 | 日記
 宇都宮市の西側の駒生地区に、とちぎ健康の森があります。
 元々は国立療養所のあった所に県が建設したもので、
 面積21haの広大な敷地の中に、
 「生きがいづくりセンター」、「健康づくりセンター」、「リハビリテーションセンター」が
 設置されています。
 1997年(平成9年)に、
 1期工事分の「生きがいづくりセンター」と「健康づくりセンター」が完成し、
 2001年(平成13年)に「リハビリテーションセンター」が完成しました。
 総工費は、244億円だそうです。

 この中の健康づくりセンターの中には、
 検診などを行う施設の外に、運動施設もあって講習を受けると、
 様々なトレーニングマシンや温水プールなどを、
 2時間500円の値段で利用できます。

 僕は、以前から時々行っていたのですが、
 どうも面倒になってしまって、ついつい足が遠のいていました。
 確認したところ、最後に行ったのは、昨年9月8日でした。
 1年以上行っていなかった事になります。

 今日は、チョッと思う所があって、温水プールに行って来ました。
 僕は泳げないので、専ら水中歩行です。
 しばらくぶりなので、疲れるのが早かったような気もします。
 プールの脇にジャグジーがあってこれが気持ち良いのですよね。
 30分位ジャグジーに浸かって、
 温泉に行ったのと同じような感じになってしまいました。
 運動も少し出来ますので、温泉よりも良いかも知れません。
 もちろん温水は温泉ではありません。

 今の僕の職場は、基本的に日・月が休みです。
 月曜日は健康の森も休みなので、利用できるのは日曜だけになってしまいます。
 少し続けないといけないなぁと思いながら帰って来ました。
 
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秋深し・・・

2013年11月16日 23時02分27秒 | 日記
 ここのところの寒さが緩んで、今日は良い天気になりました。
 日中ポカポカとして、正に小春日和でしたね。
 色々とお出掛けになった方も多いかと思います。

 僕は仕事でした。
 通勤途中に、公孫樹が何本か立っている小さな公園のような所があるのですが、
 葉がだいぶ黄色くなって来て、とても綺麗になっていました。
 緑の葉もまだ残っていて、そのグラデーションも良いですね。
 いい色になったなぁと思いながら歩いていて、
 今日は11月16日、いい色は当たり前かと思いました。

 秋深しと言えば、「秋深し隣は何をする人ぞ」の松尾芭蕉句が思い出されます。
 芭蕉が詠んだ句は正確には「秋深き隣は何をする人ぞ」です。
 1694年(元禄7年5月)、芭蕉は江戸を発ち、故郷の伊賀上野へ向かいました。
 伊賀上野から、京都などに旅をしますが、9月には大坂へ行きます。
 ここで体調を崩した芭蕉は、門人の家に泊まりますが、10日夜に発熱と頭痛を訴えます。
 20日には一端回復して、長谷川畦止の家で行われた俳席にも出席します。
 29日に堺の商人根来芝柏の大阪の邸宅で俳席が催されますが、
 また容態が悪くなったため、発句を届けさせただけで欠席します。
 それがこの「秋深き」の句です。
 この後、更に病状が悪化し、10月5日に御堂筋の花屋仁左衛門の貸座敷に移り、
 門人たちの看病を受けました。
 8日に、「病中吟」と称して「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」を詠みます。
 この句が最後の句になって、12日に息を引き取ります。享年51歳でした。
 従って、「秋深き」の句は、芭蕉が最後から2番目に詠んだ句になります。
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