天然居士の独り言

主に日記主体のブログです。

洋館のある家・・・

2015年10月31日 17時54分17秒 | 日記
 宇都宮市内の県庁の西側の住宅地に
 洋館と日本風の家屋が一体になった住宅が何軒かあります。
 和洋折衷の独特な雰囲気の住宅です。
 その内の1軒は、僕の友達の家なのですが、
 小さい頃遊びに行った時の記憶では、1部屋だけ天井が高く、
 広々とした感じがしていたように思います。

 何故、洋館のある住宅が多いのか気になっていましたが、
 昔、このような住宅が得意な大工さんがいて、
 この地区で腕を振るったのかなと漠然と思っていました。

 いささか旧聞になりますが、
 18日の日曜日の下野新聞の地域紹介の所に、この洋館のある家の話が出ていました。
 新聞に出ていたのは、僕の知っている地区から南西方向にあり、
 東武宇都宮駅の西側の住宅街です。
 その中の1軒は、
 スタジオジブリの宮崎駿さんが幼少期に、疎開で住んでいて、
 現在はギャラリーとして使われている築80年の家との事です。

 そのような家は、
 戦前、宇都宮にあった陸軍第14師団の将校達の住宅として建設されたようで、
 高さが違う洋館と日本家屋の接合部分など、
 昔の建築技術がどれだけ優れていたかが分かる貴重な建物だそうです。
 現在45軒が残っていますが、
 老朽化などにより、10年前と比べて11軒減ったとの事で、
 空き家になっている家も6軒あるとの事でした。

 本当は、写真を撮って来てから日記に書こうかと思っていたのですが、
 中々出掛けられないので、忘れる前にと思い書いて置きます。
 その内、散歩がてらこのような洋館の写真を撮って来ようと思っています。
 また、友達にも会って、彼の家の来歴なども聞いてきたいと思います。

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共産党嫌い・・・

2015年10月30日 19時43分14秒 | 日記
 9月18日の安保法案の参議院通過直前の日記に下記のように書きました。
 >来年の参議院選挙は、
 >野党各党の平和への思いの本気度を試される面もあると思います。

 その時念頭にあったのが、共産党でした。
 各小選挙区に勝てる見込みのない候補者を立て、
 反自民の票を割るような事をしなければ良いがとの思いでした。
 しかし、そのすぐ後の9月19日、
 共産党の志位委員長は、
 戦争法廃止の国民連合政府をつくるという「国民的な大義」で一致する
 すべての野党が、来るべき国政選挙で選挙協力を行うことを呼び掛けました。
 これに対して、民主党は否定的な感じでしたが、
 昨日の記者会見で、民主党の岡田代表は、
 「(選挙協力の)前提として国民連合政府が条件になると難しい」と語り、
 共産党との選挙協力に否定的な考えを述べました。
 何とも教条主義的な対応のような気がしてなりません。

 次の参議院選挙では、政権交代はありません。
 まだ政権構想は早すぎるような気がします。
 安倍政権を破って国民の意思を示す事が何より大切な事だと思います。
 民主党では、先ずは理念があって、
 その実現の手段として政策があり選挙があると考えているような気がします。
 それはそれで一理あるような気がしますが、
 その理念の争いをしている間に、どんどん右傾化しアメリカ従属を強める安倍政権に、
 既成事実を積み重ねられて行くような気がします。
 先ずは参議院選挙で勝った上で、
 次の総選挙に向けて、政権の骨格を協議すべきなので、
 参議院選挙に勝つか負けるか分からない内に、政権構想を云々する事は、
 どうなのでしょうか。
 頭の良い人の陥りやすい間違いのような気がしてなりません。

 安保法制、TPPなど、
 安倍政権はどんどんアメリカ従属の姿勢を強めています。
 集団的自衛権など、国民は全く望んでいなかった事で、
 望んでいたのはアメリカだけです。
 その法案を廃止するために、どうすべきかを真剣に考える必要があると思います。

 次の参議院選挙からは、選挙権の年齢が18歳に引き下げられます。
 日本が戦争に巻き込まれた場合、
 戦場に行かねばならない世代が投票する事になります。
 彼等の戦争法にノーと言う意思の受け皿が必要な気がします。

 先日行われた宮城県の県議選では、民主党が低迷したのに対し、共産党は倍増しました。
 こんな事も背景になるのかも知れませんが、
 民主党は、基本的に共産党は嫌いなのでしょうね。
 そんな事を言っている場合ではないと思うのですが。

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宮崎県小林市・・・

2015年10月29日 19時32分25秒 | 日記
 昨夜は、アイロン掛けなど家事を片付けていたため、日記を休みました。
 日本シリーズはヤクルトが負けて1勝3敗となりましたが、
 今夜で決まってしまうのでしょうか?

 宮崎県に小林市があるのを最近知りました。
 宮崎県南西部、霧島山の麓にある人口4万8千人ほどの町です。
 僕はこれまで全く知りませんでした。
 あるいは、昔バスで鹿児島から都城に行った事があるので、
 宮崎自動車道で通ったのかも知れませんが、印象には残っていません。

 この小林市で作成した移住促進のPRムービーが今話題になっています。
 自然豊かで、星が綺麗で、僕の好きな潜り橋があって・・・
 とても良い所だと伝わって来ます。

 このムービーはとてもセンスの良い作品だと思います。
 どう良いのかと説明するとネタバレになってしまいますので、
 敢えて書きません。
 下記のアドレスからご覧になって下さい。
 1分40秒程度のものですが、必ず音声をオンにしてご覧下さい。
 https://www.youtube.com/watch?v=jrAS3MDxCeA

 最近、地方で様々なPRのための映像が作られていますが、
 中には、名所旧跡などを並べただけの、見ていて楽しくないものもありますし、
 奇を衒い過ぎたようなものもありますが、
 自治体が作成したとは思えないようなセンスの良さを感じるものもあります。
 これからも各地で良い作品が出来ると楽しいと思います。

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日本シリーズ・・・

2015年10月27日 18時19分12秒 | 日記
 最近余りプロ野球を見なくなりました。
 かつては、巨人戦はほぼ全試合テレビ中継がありましたが、
 今はほとんど無くなってしまいました。
 そんな事もあって見なくなったのですが、
 今年のクライマックスシリーズは結構見ました。
 特に巨人対ヤクルトの試合は、よく見ていました。

 僕が小さい頃は、野球選手になる事が夢でした。
 長嶋選手がデビューしたのが1958年(昭和34年)ですから、その頃ですね。
 いわゆる「巨人・大鵬・卵焼き」の時代です。
 やはり巨人が好きで応援していました。
 しかし、いつの頃からか、アンチ巨人になりました。
 多分高校の頃からなのでしょう。
 みんなが応援するから巨人が嫌いと言う感じになっていました。
 外のチームでどこが好きと言うことはなかったのですが、
 強いて挙げれば、神宮球場を根拠地にしていたヤクルトスワローズと言っていました。

 そして今年、そのヤクルトスワローズがリーグ優勝を果たしました。
 その時、栃木県の地元新聞の下野新聞の一面にヤクルトスワローズの優勝が載りました。
 クライマックスシリーズで巨人を下した時も一面でした。
 その理由は、ヤクルトスワローズを率いる真中満監督が
 栃木県の出身だからだと思います。
 真中監督は、栃木県の大田原市出身です。
 宇都宮学園(現在の文星芸術大学付属高校)の野球部で、
 1988年(昭和63年)、3年生の時に春夏連続で甲子園に出場しています。

 僕は野球に詳しくないのでよく分かりませんが、
 多分栃木県出身でプロ野球の監督を務めたのは、
 作新学院が1962年(昭和37年)に初めて春夏連覇した時の投手の
 八木沢荘六さんだけなのではないかと思います。
 八木沢さんは、ロッテの監督を務めていましたが、
 日本シリーズには出られませんでした。

 今年の日本シリーズはそれぞれリーグ優勝を果たした、
 ソフトバンクとヤクルトの対戦ですが、
 ここまでのところ、ソフトバンクの2連勝で、神宮球場に場所が移りました。
 今夜はどうなるでしょうか?
 出来れば、ヤクルトに優勝してもらいたいと思います。
 その翌日の下野新聞の扱いも楽しみです。

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新・映像の世紀・・・

2015年10月26日 19時19分55秒 | 日記
 昨夜、NHKで「新・映像の世紀」が放送されました。
 ご覧になった方も多いかと思います。
 20年前に放送された映像のデジタル・リマスター版との事です。
 20年前の放送を僕は見ていませんので、比較は出来ませんが、
 どうも気になる点が何点かあったので、書いておきます。

 昨夜の放送は第一次世界大戦を中心とした映像でした。
 大戦中、性病が蔓延したため、コンドームを配り、
 慰安所を設けて、兵士達が列を作っている映像がありました。
 これは事実であるとは思うのですが、
 人物中心に番組が出来ているのに、この部分だけ違和感がありました。
 あたかも日本の従軍慰安婦問題を念頭に、
 戦争中はどこでもそうだったと言いたいような意図を感じました。

 現在の中東問題は、第一次大戦の時のイギリスの三枚舌外交が原因と言われています。
 オスマントルコ帝国の分割に端を発しています。
 その時、アラブ側を欺いた人物として、「アラビアのロレンス」が述べられていましたが、
 イギリス政府の意図を彼が承知していたとは思えません。
 少なくても説が分かれるような気がしますが、断定的に過ぎないか気になりました。

 第一次世界大戦中にロシア革命が起こります。
 連合国側のロシアを切り離す工作として、
 レーニンがドイツから資金を提供されてロシアに派遣され、
 革命を起こして連合国から抜けたとの流れで放送されていました。
 しかし、これはロシア革命を矮小化し過ぎているのではないかと気になりました。
 当時のロシアの状況を踏まえた、革命の歴史的な必然性があると思うのですが。

 そんな事などは感じながらも、当時の映像を見るのは貴重な事だと感じました。
 遺体が多数転がっている場面もモザイクなしで放送されました。
 西部戦線の塹壕の様子もよく分かりましたし、
 ロレンスに関する映像が、映画「アラビアのロレンス」とよく似ていて、
 監督のデビッド・リーンはこの映像を見たのではないかとも感じたりしました。
 レッド・バロンと呼ばれた戦闘機乗りのリヒトホーフェンの姿も見る事が出来ました。
 彼の愛機の映像だけが赤かったのは変でしたが^^

 色々問題点もありますが、説明や編集を鵜呑みにしないで見れば、
 良いのではないかと思います。
 今後、1ヶ月に1度程度放送されるようなので、続きも見たいと思います。
 番組の詳細は下記をご覧下さい。
 http://www.nhk.or.jp/special/eizo/

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コンセールマロニエ・・・

2015年10月25日 20時02分49秒 | 日記
 昨日はコンセールマロニエがありました。
 レセプションもあったので、帰りが遅くなり日記を休みました。

 コンセールマロニエについては、既に何度か日記に書きました。
 とちぎ未来づくり財団が主催する、クラシック音楽のコンクールで、
 今年で20回目を迎えました。
 毎年2部門ずつ実施していて、今年はピアノ部門と金管部門でした。
 それぞれの部門の優勝者には100万円の賞金が出ます。
 2009年のチェロ奏者の登竜門、ロストロポービッチ・コンクールで
 日本人として初めて優勝した宮田大さんは、
 2002年のコンセールマロニエの弦楽部門で優勝しています。

 参加者は栃木県内に限らず、全国から集まります。
 審査委員のメンバーも一流の人です。
 審査員長は音楽評論家の丹羽正明さん、副審査員長が音楽学の沼野雄司さん、
 ピアノ部門は植田克己さん、小川典子さん、高橋アキさん、弘中孝さん
 金管部門は水野信行さん、田宮堅二さん、神谷敏さん、稲川榮一さんです。

 昨日の優勝者は、ピアノ部門がベルリン芸術大学の学生の井村理子さん、
 金管部門がチューバの東京藝術大学大学院生の田村優弥さんでした。
 田村さんは栃木県出身で、栃木県出身者が1位になったのは、9年ぶりとの事でした。

 レセプションで、参加した若い人や審査員の先生達と話が出来ました。
 栃木県には初めて来た人もいましたし、ご両親が栃木県出身の人もいました。
 お父さんが単身赴任で栃木県で働いていた事があり、
 幼稚園生の頃お母さんと一緒に来たと言っていた人もいました。

 金管の伴奏をしていた若い女性が、ピアノのある先生と話をしたいけど、
 恐れ多くて近寄れないと言っていたので、
 折角の機会なのだからと、その先生に引き合わせて上げました。
 その彼女はしばらく憧れの先生と話が出来て、とても喜んでいました。

 若い人と話も出来て、とても楽しい一時でした。
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10月21日・・・

2015年10月23日 19時52分40秒 | 日記
 昨年の9月30日、救急車で移送されて入院した同居人でしたが、
 抗癌剤による免疫力の低下から感染症を起こしてしまい、入院が長引いていました。
 感染症や痛みへの対応が何とかなりそうになっていましたが、
 10月16日、CT検査で血栓がある事が判明して、その対応が加わって、
 また点滴に繋がれてしまいました。
 しかし、病気と闘おうとする意欲は低下していなかったような感じでした。

 ベッドに寝ているばかりでは体力が落ちてしまうからと、
 夕食後病院内の廊下を散歩するようになったのは、10月21日の事でした。
 それまでも、日中の暖かな日などには、僕と一緒に病棟から1階に降りて、
 玄関前のベンチで外気に当たる事がありました。
 その時は、とりとめのない思い出話などをしていました。
 しかし、病院内は日中かなり混雑していて、散歩するのには不安な感じでした。
 人のいなくなった夜ならば大丈夫だろうと、僕が誘いました。

 エレベータで1階に降りて歩き出した際、同居人は突然僕の手を握りました。
 彼女の右手は、点滴をぶら下げたキャスター付きの棒を押していましたので、
 空いている左手で僕の右手を握っていました。
 2人で手を繋いで歩いたのはいつ以来だろうと彼女に訊きましたが、
 彼女も思い出せない感じでした。
 後で、彼女は手を繋いでいた方が歩きやすいからと言っていましたが、
 それは彼女の照れなのかも知れません。

 1階のフロアを半周して、コンビニなどがある場所に近づきました。
 前から若くて綺麗な感じの女性が歩いて来るのが見えたので、
 咄嗟に僕は手を離そうとしましたが、彼女は却って力を入れて離してくれませんでした。
 彼女は、綺麗な人の前では格好を付けてしまう僕の性癖をよく知っていましたから、
 僕をからかうために手を離してくれなかったのだと思います。

 その後コンビニに行って、彼女の欲しい物を買って、会計をしましたが、
 店の外でそれを待っていた彼女は、
 店の反対側にあるスターバックスを見ていて動かなくなってしまいました。
 どうしたと声を掛けたら、カフェラテが飲みたいと言うので、
 それを買って病室に戻って一緒に飲みました。

 それからしばらくの間、夕食後の散歩は続きました。
 もちろん手を繋いでです。
 そしてスターバックスでコーヒーを買うのも毎度の事になりました。
 僕が会計している最中、ミルクや砂糖などをかいがいしく用意してくれました。

 前に6月18日の日記に彼女が残した僅かな俳句について書きました。
 その中の「手を借りて 歩く廊下に 菊揺れて」は、
 こんな状況を詠んだものだと思います。

 そして、ある夜から、
 僕が帰る時に自分の部屋から顔を出して送ってくれるようになりました。
 長い廊下、人が通る事はほとんどなかったので、
 多分僕の姿が見えなくなるまで見ていたのだと思います。
 僕も、この辺が限界かなと思う所で振り返って手を振りました。
 もう一つの「薄紅葉 夫(つま)の背中に 合わせる手」は、
 そんな時の気持ちだったのかも知れません。

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バグパイプコンサート・・・

2015年10月22日 18時13分38秒 | 日記
 昨夜は、バグパイプコンサートに行って来ました。
 日光の中禅寺湖畔にあるイギリス大使館別荘が栃木県に移管され、
 現在、改修工事が行われていますが、来年の夏に公開される予定です。
 それを記念して、県立博物館と県美術館と総合文化センターの3館が連携し、
 イギリス関連の文化イベントが行われ、その一環としてのコンサートでした。
 ちなみに博物館では名前に“日光”がつく動植物展、
 美術館では、ターナーやコンスタブルのイギリス美術が展示されます。
 この3館合同の料金が500円と破格の金額です。

 バグパイプと言うと真っ先に思い出すのが、
 映画「史上最大の作戦」のイギリス軍コマンド部隊の進撃のシーンです。
 銃弾が飛んでくる中を「勇敢なるスコットランド」を演奏します。
 この曲をユーチューブで聴けますので、興味のある方はどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=i_0HUOeoXpY

 昨夜は、日本在住のジェラルド・ミューヘッドさんの演奏でした。
 タータンチェックのキルトを着て正装で演奏しました。
 曲目は、「勇敢なるスコットランド」の外、
 「アメージング・グレイス」や日本の曲などもありました。
 途中バグパイプに合わせて、日本人女性のスコットランド舞踊などもあり、
 楽しい演奏会でした。
 なお、ミューヘッドさんに付いては、下記にホームページがありましたので、
 興味のある方はご覧下さい。
 http://bagpipeworld.main.jp/

 その後、バグパイプやイギリスの習慣などについてのレクチュアがありました。
 バグパイプはリード式の楽器で、
 ミューヘッドさんもおっしゃっていましたが、日本の笙に音色が似ています。
 バグパイプと言うとスコットランドを思い浮かべますが、
 元々はヨーロッパ各地にあったようで、
 ブリューゲルの絵にも描かれているとの事でした。
 全部で1時間余りでしたが、とても良かったと思いました。

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昨日は・・・

2015年10月20日 18時33分35秒 | 日記
 昨日は、お袋をリハビリテーションの専門の病院から退院させるため、
 1日仕事を休みました。
 ここのところ休みが多いですが、それでも何とかなっています。
 と言う事は、僕の仕事はそれほど必要ではないのかも知れません^^

 午前中病院に行って、退院の手続きなどをしました。
 一昨日、弟夫婦と行って、ある程度の荷物は動かして置いたのですが、
 それでもやはり荷物はありました。
 荷造りをして、支払いをして、世話になった人に挨拶をしてと、やる事がありました。

 お袋を元のサービス付き高齢者住宅に連れて行きました。
 一昨日の荷物と一緒に片付けをして、
 ケアマネージャーの方と話をしたりして、結構疲れてしまいました。

 ここの所、宇都宮は暖かい日が続いています。
 昨日も色々動き回っていて、汗をかいてしまいました。
 夕方喉が渇いたと思ったら、無性にビールを飲みたくなりました。
 晩酌にビールを飲んだら、やる気も失せてしまい、
 結局日記などは休んで寝てしまいました。

 昨夜は、午後10時半に寝ました。
 日頃寝るのは午前0時を中心に1時間程度の幅の間ですから、
 1時間程度は早く寝た事になります。
 今朝起きたのは通常の午前6時30分頃でした。
 たっぷり寝た感じはありましたが、まだ疲れは取れていないようにも感じました。

 今週、僕がいてもいなくても変わらない仕事をしながら、
 疲れを取ろうかと思っています^^

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10回目の月命日・・・

2015年10月18日 18時36分44秒 | 日記
 昨日は、宇都宮の中心街でジャパンカップサイクルロードレースの
 クリテリウムが行われました。
 大通りを通行止めにして、1周1.55kmの周回コースを作り、
 そこを20周するレースで、今年で6回目になります。
 明日行われるロードレースの前哨戦の位置づけです。

 写真を撮ろうとカメラを持って1時間前には家を出たのですが、
 道路沿いは、びっしりと人が場所を取っていて、
 写真を撮るポイントがありませんでした。
 世界の一流の選手も出場していますので、迫力があります。
 レースを観るだけで帰って来ましたが、何か疲れてしまい、日記は休みました。

 今日は同居人の10回目の月命日です。
 8月はお盆、先月はお彼岸でしたから、命日に墓参りに行きませんでした。
 今回は日曜日でもありますので行って来ました。
 とても暖かくて、気持ちが良かったです。

 僕が同居人と知り合ったのは、1981年(昭和56年)でした。
 その前の年に親父を亡くし、母一人僕一人になってしまっていたので、
 仲を取り持ってくれる方がいました。
 所謂見合いですね。
 最初に会った時に、どうもお互いにピンと来なかったような印象で、
 一応、それぞれが断ったように覚えています。
 その後、僕は2・3度見合いをしましたが、
 こちらは良いと思っても、先方が断って来たりして、話がまとまりませんでした。
 仲人さんが、お互い決まらないようだからと、再び話を勧めてくれました。
 そして2回目に会って、少し付き合ってみる事になりました。
 余りよく覚えていないのですが、何となく気が合うのが分かって来ました。
 面白いと思うポイントが同じなのですね。
 そんな事から1982年(昭和57年)の春に婚約して、
 その年の10月2日に式を挙げました。

 先輩などからは、2度も同じ人と見合いしたとよく笑われていました。
 僕は、彼女がいつまでも結婚出来ないで可哀想だから貰ってやったと言っていましたし、
 一生に一度位は、人命救助をしなくてはとも言っていました。
 彼女がどのような事で心を決めたのか、結局聞かずじまいになりました。

 結婚記念日は過ぎてしまいましたが、僕は彼女の生前から、よく忘れていました。
 25周年の銀婚式も後から思い出しました。
 今年も墓前で結婚記念日を忘れていた事を思い出しました。
 彼女も忘れていたのかどうか、分かりません。
 あるいは忘れたふりをして、僕の事を仕方のない奴だと思っていたのかも知れませんが、
 その事で怒られた事はありませんでした。

 結婚して32年余りでした。
 その間、色々な事がありましたが、
 それでもこんなに早く別れる事になるとは思っていませんでした。

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