昨日、最高裁は、大阪市の水族館「海遊館」での男性管理職のセクハラ発言について、
「出勤停止などの処分は妥当」と判断し、企業側の厳格な処罰を認めました。
身体に触れるなど直接的な行為だけではなく、言葉のセクハラを認めた事になります。
今日は、この話題が出た職場も多かったのではないかと思います。
人が嫌がる事をしないのは当然の事だと思いますが、
今の日本では、セクハラだけでなく、
モラハラとかマタハラとか色々な問題が提起されていて、
最高裁の判断のように、迂闊な発言で処分を受けかねない状況になりつつあります。
マスコミなどでは、企業が研修などを行い、問題があれば処分するべきとの論調です。
こうした状況が続けば、何も言わないのが得策と言う事になりかねません。
お行儀は良いでしょうが、それで本音で付き合う人間関係が築けるのでしょうか?
人間は生き物ですから、醜い部分もあれば間違いもあり、愚かさや猥雑さもあります。
これらをどんどん排除して行った場合、綺麗ではあるけれど無味乾燥な社会になり、
人間関係もギクシャクしたものになるのではないかと心配しています。
特に、最近の風潮は、人間の愚かさを許さない懐の狭さを感じます。
程度の問題はあるとは思いますが、
些細な事には、もっと大らかに構える必要があるのではないかと思います。
昔の諺に、「水清ければ魚住まず」がありますが、
正にそんな感じの社会になりつつあるような気がします。
「出勤停止などの処分は妥当」と判断し、企業側の厳格な処罰を認めました。
身体に触れるなど直接的な行為だけではなく、言葉のセクハラを認めた事になります。
今日は、この話題が出た職場も多かったのではないかと思います。
人が嫌がる事をしないのは当然の事だと思いますが、
今の日本では、セクハラだけでなく、
モラハラとかマタハラとか色々な問題が提起されていて、
最高裁の判断のように、迂闊な発言で処分を受けかねない状況になりつつあります。
マスコミなどでは、企業が研修などを行い、問題があれば処分するべきとの論調です。
こうした状況が続けば、何も言わないのが得策と言う事になりかねません。
お行儀は良いでしょうが、それで本音で付き合う人間関係が築けるのでしょうか?
人間は生き物ですから、醜い部分もあれば間違いもあり、愚かさや猥雑さもあります。
これらをどんどん排除して行った場合、綺麗ではあるけれど無味乾燥な社会になり、
人間関係もギクシャクしたものになるのではないかと心配しています。
特に、最近の風潮は、人間の愚かさを許さない懐の狭さを感じます。
程度の問題はあるとは思いますが、
些細な事には、もっと大らかに構える必要があるのではないかと思います。
昔の諺に、「水清ければ魚住まず」がありますが、
正にそんな感じの社会になりつつあるような気がします。