天然居士の独り言

主に日記主体のブログです。

痒い所・・・

2018年07月30日 14時23分47秒 | 日記
 ここのところ、よく蚊に刺されています。
 蚊は35度以上になると活動しないと話題になっていますので、
 あるいは蚊ではないのかも知れません。
 最近、エアコンを点けると気持ちよくなって、畳の上で昼寝をしてしまいますので、
 あるいは畳にダニでもいるのかも知れません。
 ともかく、何かの虫に刺されています。

 僕の血などを吸って、脂分が多くて虫が成人病にでもなるのではないかと、
 気にはなっているのですが、
 虫にそのような知識はないようです。

 刺された所が手の届く範囲ならば、掻いたり痒み止を塗ったり出来ますが、
 一昨日だったか、背中を刺されてしまいました。
 これには困りました。
 痒い所に手が届かないのです。
 元々身体が硬いと言うのもあるのですが、ギリギリの所で届かないのです。
 仕方ないので、家の中で汗拭き代わりに持っているタオルで背中を擦ったり、
 森の熊のようですが、柱に背中を付けて動いたりしています。

 今朝、同居人が使っていた孫の手があった事を思い出しました。
 彼女が使っていたのは、硬いブラシの毛を植えた物です。
 僕は捨てた覚えがないので、思いつく場所を探したら、簡単に見つかりました。
 これでどこを刺されても大丈夫でしょう^^
 安心したせいでしょうか、見付けた孫の手で2・3度擦ったら、
 その後痒さを感じないで現在まで来ています。
 人間そんなものかも知れません。

 今日は、夕方出かけますので、早めに日記などをアップする事にしました。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台風12号・・・

2018年07月29日 20時08分50秒 | 日記
 東から西に向かう異例の進路をとった台風12号でしたが、
 今のところ、人的な被害は余り出ていないようです。
 特に気になっていた、先の西日本豪雨の被害地ですが、
 大きな被害が報じられていません。

 宇都宮では、昨日の昼間は雨が降ったり止んだりでしたが、
 夕方から雨脚が強くなりました。
 しかし日付が変わるころには上がったようです。
 その後は寝てしまって分かりませんが^^

 今日は朝から良い天気になりました。
 強い日差しで、湿度が高く、ともかく暑かったです。
 午後になって、風が出て来て、しかも涼しい風だったので、
 動かなければ過ごしやすくなりました。

 今回の台風の報道では、
 「異例」とか「前例のない」とか「今までの経験が役に立たない」などと
 かなり刺激的な言葉を使って注意を喚起していました。
 被害が少ないのは、こうした効果もあったのかも知れません。
 西日本豪雨から、まだ時間が経過していなかったため、
 災害に対する人々の認識も違った事も影響しているような気がします。

 しかし、台風は九州に再上陸した後、
 スピードを落として停滞する可能性も出ているようです。
 特に九州や四国では、まだ厳重な警戒が必要な状況のようです。
 被害が出なければ良いですね。

 今年の夏は、最高気温を更新するなど、異常な暑さが続いています。
 この傾向は、日本に限った事ではなく、
 アメリカのカリフォルニア州デスバレーで52.0度、
 アルジェリアのサハラ砂漠で51.3度を観測するなど、
 北半球全体が高温傾向になっています。
 これは、北半球をぐるっと高気圧の帯が取り巻いているような状況のためで、
 この高気圧が勢力を強めると、北から冷たい空気が流れ込みにくくなる上、
 晴天が続き気温が上昇しやすくなるとの事です。
 世界気象機関(WMO)は、世界規模の暑さを伴う異常気象について、
 「温室効果ガスの増加による長期的な地球温暖化の傾向に合致している」としています。

 やはり地球温暖化を何とかしないといけないのでしょうが、
 中々1国家だけの対応も難しいのに、トランプ大統領のような人もいます。
 余り悠長な事を言っていられない状況のような気がしますので、
 早く人類の叡智を集めて、対応策を講じて欲しいと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自動改札機・・・

2018年07月28日 19時36分44秒 | 日記
 今日のニュースを見ていたら、
 福井県で県内初めて自動改札機が設置されるとの記事がありました。
 9月15日に北陸線福井県内区間に導入する
 交通系ICカード「ICOCA(イコカ)」に対応するもので、
 イコカは牛ノ谷駅(福井県あわら市)から
 新疋田駅(福井県敦賀市)までの19駅で利用可能になります。
 福井駅と敦賀駅では、イコカ導入に先立ち同8日の始発電車から利用できるとの事です。

 まだ自動改札機のない県があった事に驚いています。
 これまで、JR西日本が管轄する2府16県のうち自動改札機がないのは、
 福井県、鳥取県、島根県の3県でしたが、
 2016年11月、鳥取県と島根県に自動改札機が導入され、
 これでJR西日本の管内は、全て自動改札機が設置される事になるそうです。

 僕が初めて自動改札機を見たのは、1973年(昭和48年)頃の事だと思います。
 当時学生だった僕は、よく京都や奈良に遊びに行っていました。
 そこで、多分近鉄線だったと思うのですが、初めて見ました。
 その時は、使い方がよく分からず、前の人のやり方を見習いました。
 乗る時に、入れた切符が一瞬姿を消すのには、若干不安な感じがしましたが、
 すぐに出て来て安堵した覚えがあります。
 自動改札機を見て、関西は進んでいると思いました。

 調べてみると、最初に自動改札機が設置されたのは、阪急電鉄北千里駅で、
 1967年(昭和42年)の事だったようです。
 それから50年が経過しましたが、
 まだJR四国の徳島県と愛媛県には自動改札機がないそうで、
 全国的にもこの2県だけのようです。
 愛媛県では私鉄の伊予鉄道が松山市駅に磁気券専用の自動改札機を導入していましたが、
 これは撤去されているとの事です。
 徳島県は、全国47都道府県で唯一、電化区間が全く存在しないため、
 徳島県には「電車」が一切走っていない事になります。

 自動改札機で切符が出て来なかった事が1度あります。
 昨年、東京駅で大人の休日俱楽部切符が出て来ませんでした。
 その時は、少し慌てましたが、駅員さんがすぐに来てくれて、
 切符を取り出してくれました。
 どうも入れる時のはずみで、切符の角が折れてしまったようです。
 その切符を使っている間は、出て来る度に嬉しくなっていました^^

 正直に言ってしまうと、僕は余り自動改札機が好きではありません。
 昔ながらの有人の改札が良いとは思うのですが、
 今の時代では、単なる郷愁できりないのでしょうね。

 ちなみに、栃木県内では、烏山線に自動改札機もICカードの読み取り機もありません。
 昨年の2月、電車で烏山まで行きましたが、
 その時はスイカが使えない事を知らずに宇都宮駅で入ってしまい、
 後で宇都宮駅に戻って取り消しをしてもらいました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

異常気象・・・

2018年07月27日 19時48分36秒 | 日記
 異常な猛暑が続いた今年の夏ですが、
 宇都宮は今日の最高気温が30.0度、昨日が29.2度と、だいぶ涼しくなりました。
 西日本では、まだ九州や中国地方で37度を超えているようですが、
 それでも一時よりは少し気温が下がっているようです。

 明日は台風12号が日本に接近、上陸する予報になっています。
 この台風、当初は関東地方を直撃するようなコースが予想されていました。
 しかし、途中から東海地方に上陸する予報に変わり、
 現在の予報では、伊豆諸島付近で、大きく西に曲がり、
 紀伊半島に上陸するような予報に変わっています。
 そして、前の豪雨で被害が出た地域に向かいそうな気配です。
 台風は偏西風等の影響で、南西から北東に向かうのが普通です。
 しかし、今回の12号は、東から西に向かうようです。
 普通の台風の逆ですね。
 気象庁は、今日記者会見し、
 異例の進路を取るので注意するよう記者会見を行いました。
 この台風の動きも異常気象の影響なのでしょうか?

 当初の予報では、関東地方直撃と見られていましたので、
 豪雨被害の出た地域には行かなくて良かったと思っていましたが、
 最悪のコースを辿りそうです。
 自然とは何と無慈悲なものかと思わずにはいられません。
 台風の進路に当たる皆さんは、十分にご注意下さい。
 台風から離れた関東地方でも、明日の昼までに150ミリ、
 さらに明後日の昼にかけて300~500ミリと、
 記録的ともいえる大雨が予想されています。
 被害が出なければ良いですが。

 今回の台風、夏休み中の土日に来るので、
 各地のイベントに大きな影響を与えているようです。
 明日予定されていた隅田川花火大会は、
 明後日への順延が決まっているそうですし、
 栃木県でも明後日に予定されていた小山市の花火大会が、
 31日に順延になっています。
 多くの方が迷惑を受けているのでしょうね。

 昨日から涼しくなり、台風が来るとの事なので、
 秋になるのかなぁと思いましたが、
 そんなに甘くはなさそうで、来週はまた35度程度の暑さになる予報です。
 少し暑さに慣れたかなとは思いますが、
 出来れば余り暑くならなければ良いと思っています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

死刑執行・・・

2018年07月26日 20時07分18秒 | 日記
 今日、オウム真理教の一連の事件で、
 死刑判決を受けていた13人の内6人の死刑が執行されました。
 今月6日に7人が執行されていて、時間の問題かと思っていましたが、
 前回の執行で国際的な批判があった事位では、
 次の執行を停める訳にはいかなかったのでしょうね。
 改めて日本が野蛮な国だと世界的に宣伝したようなものかも知れません。

 現在の死刑制度では、死刑囚に執行が告げられるのは、当日の朝です。
 午前7時の起床後、7時25分頃の朝食後各房に戻ります。
 そして執行を告げられるのは午前9時で、そこで刑場に連行されます。
 従って、朝食は何も分からずに摂る事になります。
 執行を告げられると、荷物の片づけや整理なども許されず、
 その場で強制的に連行されてしまいます。
 執行は、概ね10時位ですから、
 執行を告げられて1時間ほどでこの世を去る事になります。
 死刑囚にとっては、この午前9時頃の時間帯は極度に緊張を強いられる事になります。
 特に各房の通路に刑務官の足音が聞こえるだけで、その極致に至ると言われています。
 死刑の執行は、日曜日と祝日、年末年始には行われませんので、
 この日だけは、緊張せずに済みます。

 かつて、昭和40年代までは、死刑囚が執行を告げられるのは、前日か前々日でした。
 死への準備の期間と考えられ、死刑囚の希望する食事をできる限りの範囲で与え、
 特別の入浴や親族との面会を許可し、
 同囚や宗教教誨師や担当刑務官らを交え「お別れ会」を行うこともあったとの事です。
 しかし、1975年10月3日に福岡拘置所で死刑執行当日の朝に、
 前日死刑執行を通知されていた死刑囚が
 左手首を剃刀で切り付け自殺する事件が発生したため、
 それ以降は死刑囚への執行を前日に通知しなくなったと言われています。
 予告なしで、執行の1時間前にいきなり通達というこの方法は、
 非人道的だとの批判が根強くあります。

 今回の6人の死刑囚は、同罪の7人が執行されました。
 本来は、同じ罪の執行は同時に行われるのが通例ですが、
 物理的な問題もあって、分散されたのだと思います。
 6人の死刑囚は前の執行から20日間、どのように過ごしたのでしょう。
 当然、自分も執行される事は理解していたでしょうから、
 普通の死刑囚よりも緊張を強いられていたような気がします。
 今回の執行に関する報道の中には、
 「松本元死刑囚の執行がされてから、残された死刑囚のなかには
  精神的に不安定だった者もいた」と関係者が語っているとの事もありました。

 今回の執行では、林泰男死刑囚が仙台拘置所で、
 端本悟死刑囚、豊田亨死刑囚、広瀬健一死刑囚が東京拘置所で、
 岡崎一明死刑囚と横山真人死刑囚が名古屋拘置所で執行されています。
 多分、それぞれの拘置所の処刑施設は1か所のはずです。
 特に東京拘置所では、どのように執行したのか気になります。
 執行された後、30分は遺体をそのまま宙釣りして置くと言います。
 その後の検視処置等で相当の時間を要すると思います。
 それまで、次の死刑囚を待たせていたのでしょうか?
 2番目以降の死刑囚に処刑を告げるのはどのようにしたのでしょうか?

 更に、執行の床板を落とすボタンは3もしくは5個あって、
 それぞれ刑務官が一斉に押す事になっていますが、
 どの刑務官が押したボタンが実際に作動したのか分からないようになっています。
 それで実際に執行する刑務官の心理的な負担を減らすためです。
 担当する刑務官は通院中の者や新婚の者、
 妻が妊娠中の者、親族に重篤患者がいる者などは除外されます。
 執行担当の刑務官も当日の朝命令されるとの事です。
 今日は多くの刑務官も大変だったと思います。

 いずれにしても、今回の一連の大量処刑によって、
 死刑制度の非人道性が明らかになったような気がします。
 改めて、国民的な議論がなされると良いと思っています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大間抜け・・・

2018年07月25日 20時00分24秒 | 日記
 もうしばらく前の事になりますが、
 夜、風呂に入ろうと思って、裸になって浴室に行きました。
 浴室が温まっていないのが不思議でした。
 そこで、気が付きました。
 風呂のスイッチを押すのを忘れていたのでした。
 風呂については、栓をしないでスイッチを押して、
 裸になって風呂場に行って気が付いた事は何度かありますが、
 スイッチを押し忘れて風呂に入ろうとしたのは、初めてでした。
 我が家の風呂は、お利口なので、風呂を入れ終われば教えてくれます。
 その声を聞かずに、どうして風呂に入ろうとしたのかも謎です。

 先日、顔を洗おうとして、洗面所に行きました。
 携帯電話をズボンのポケットに入れようとしましたが、何故か入りません。
 どうしたのかと思ってよく見たら、ポケットがありません。
 変だと思って気が付きました。
 ズボンを裏表逆に穿いていたのでした。
 時々、シャツを前後逆に着たりすることはありますが、
 ズボンの裏表逆なのは初めてです。

 そして今朝、半ズボンを穿こうと思いました。
 そこでグラっとしました。
 慌てて、近くのタンスに手をついて、倒れるのは免れましたが、
 咄嗟に何が起こったのか分かりませんでした。
 そして、半ズボンの1つの足の所に、両足を入れてしまったことに気が付きました。
 危なかったです。
 こんな事も初めてですが、近くに掴まる物があって良かったです。

 新しい大間抜けが3つ溜まったら日記に書こうと思っていました。
 今朝、ようやく3つになった訳ですが、
 次はいつになるか、当然の事ながら全く分かりません。
 出来れば、これが最後になれば良いがと思っています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夕涼み・・・

2018年07月24日 19時39分38秒 | 日記
 昨日、「夕涼み よくぞ男に 生まれけり」の句を書きました。
 その時、書こうかと思ったのですが、長くなりそうなので、止めました。
 その事について、今日は書きます。

 夕顔棚納涼図屏風と題する絵があります。
 国宝になっていますので、ご存知の方も多いかと思います。
 所蔵している東京国立博物館では、納涼図屏風とのタイトルになっています。
 ネットで見る事が出来ますので、ご覧頂ければと思います。
 http://www.emuseum.jp/detail/100160/000/000?mode=simple&

 作者は、江戸時代前期の狩野派の絵師の久隅守景です。
 狩野探幽の弟子で、最も優秀な後継者とされていて、探幽の姪と結婚しています。
 その後、狩野派と距離を置くようになり、加賀に渡って制作活動を続けました。
 生没年など明らかになっていませんが、宝井其角と同時代である事は間違いありません。
 夕顔の棚の下で、夕涼みしている親子3人の絵です。
 男は浴衣のような着物を着ていますが、脇に座る女性は腰巻一つです。
 この女性が男の妻なのか、娘なのか説が分かれています。
 僕には妻のように見えますが、いかがでしょうか?

 この絵は、豊臣政権の時に小浜城主だった歌人の
 木下長嘯子の歌に基づくと言われています。
 「夕顔の咲ける軒端の下涼み 男はててれ 女(め)はふたの物」
 「ててれ」は褌または粗衣のことで、「ふたの物」は腰巻きです。
 長嘯子は「天下至楽」の光景としてこの歌を詠んだとの事です。
 この長閑さは、一つの理想なのかも知れません。

 江戸時代の初期には、
 女性も夕涼みの時、このようなリラックスした格好だった人もいたのかも知れません。
 そうなると、其角の俳句は何を詠んでいるのかと言う気になります。
 あるいは、久隅守景の絵は農村の姿で、
 其角の俳句は江戸の町の様子なのかも知れません。
 どなたか詳しい方はいらっしゃらないでしょうか?
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

湯上り・・・

2018年07月23日 20時04分20秒 | 日記
 連日暑い日が続いていますが、
 今日は、ついに最高気温の記録を更新してしまいました。
 既にご承知の事と思いますが、埼玉県熊谷市で41.1度を記録しました。
 先日も書きましたが、これまでの記録は、
 高知県四万十市の江川崎で、2013年8月12日に記録した41.0度で、
 その前が、2007年8月16日に埼玉県熊谷市と岐阜県多治見市で記録した40.9度です。
 熊谷市は首位奪還した訳ですが、喜んでいるでしょうか?
 明日も強烈な暑さのようです。
 簡単に更新されなければ良いと思っています。

 ここのところ、風呂上がりに涼みに戸外に出ています。
 我が家は細い路地の奥にあります。
 この路地に出ると、風が吹き抜けるので涼しいのです。
 路地は南北になっています。
 通りは東西ですが、路地から通りまで出ると、更に涼しい風が吹く時があります。
 周囲は大体舗装されていますが、それでも風が涼しいのは、
 やはりまだ宇都宮は都市化が進んでいないからなのでしょうか?
 それとも、直線距離で500mほどの所にある田川のお陰なのでしょうか?

 僕は、大体風呂に入るのが午後11時過ぎです。
 そのままでは身体が温まっているので寝られません。
 そんな事から戸外に出て風に当たるようになったのですが、
 当然のことながら正装して出る訳ではありません。
 パジャマの半ズボンと下着のシャツだけです。
 時々、通る人や車もありますが、時間が時間ですから、
 余り変な目では見られなと思っています。
 首からタオルを下げて、団扇を持っている事が多いので、
 涼んでいるのだろうと思ってくれるでしょう。

 「夕涼み よくぞ男に 生まれけり」と言う俳句があります。
 江戸時代前期の俳人、榎本其角(後に宝井其角)の作です。
 其角は、芭蕉の弟子であり、蕉門十哲の1人です。
 酒を好み作風は派手で、平明かつ口語調の洒落風を起こしました。
 この句は、その特徴がよく出ているような気がします。

 女性は、いかに深夜とは言え、下着姿で屋外に出づらいでしょうね。
 正に、よくぞ男に生まれけりだと思っています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

決勝・・・

2018年07月22日 19時41分40秒 | 日記
 第100回全国高等学校野球選手権大会の県予選は、
 今日、作新学院と白鴎大足利との間で決勝が行われました。
 初回、2点を挙げた作新学院が先制しましたが、
 2回でエースの高山投手が降板し、
 林投手が急遽交代して登板し、どうなるかと思いました。
 しかし、試合は、白鴎大足利の熊谷投手との投げ合いになり、
 作新学院が2点を守り切って優勝しました。
 良い試合だったと思います。
 作新学院は8年連続で、夏の県大会では、48連勝との事です。
 今回で、夏の甲子園の出場は14回目になり、県内の高校では最多です。
 1962年(昭和37年)に出場した時は、初めて春夏連覇を達成しました。
 その後低迷していた時期もありましたが、一昨年は久しぶりの全国優勝を果たしました。
 ここのところ作新学院がばかりが出場していたので、
 他の高校にも、出場させてやりたいとも思っていましたが、
 第100回の記念大会でもありますし、栃木県を代表する高校としては、
 やはり作新学院なのかも知れません。
 甲子園で活躍すれば良いと思っています。

 今年、2回戦で姿を消した僕の母校ですが、
 旧制中学の頃でしたが、1924年(大正13年)の第10回大会に出場しています。
 僕が高校に在学中聞いたところでは、
 甲子園球場ではなく鳴尾球場だったとの事でしたが、
 この大会から甲子園で開催されていますので、甲子園球場だったのかも知れません。
 1回戦で佐賀中学に勝って、栃木県勢として初の1勝を挙げています。
 参加校が19校と少なかったので、ベスト8となり、
 準々決勝で鳥取一中に負けました。
 それ以来出場はありませんが・・・。

 大相撲名古屋場所も今日千秋楽になりました。
 3横綱1大関休場と言う異例の場所でしたが。
 関脇御嶽海が13勝2敗の好成績で優勝しました。
 3横綱不在で、大関も豪栄道・高安ともにカド番脱出がギリギリの不調でしたから、
 この成績は割り引かなくてはならないかも知れませんが、
 今場所は、時間の掛からない速い相撲が多く見事だったと思います。

 新大関の栃ノ心、序盤は強さが目立っていましたが、
 途中から足の指の怪我で休場となってしまいました。
 来場所、いきなりカド番になってしまいますが、
 怪我をキチンと治して来場所は頑張って欲しいと思います。

 栃木県出身の十両、貴源治は新入幕も見えて来たかと思っていましたが、
 負け越してしまいました。
 やはり来場所の奮起を期待したいと思います。

 ここのところの暑さ、相撲放送が始まると、エアコンを入れて凌いで来ましたが、
 明日からどうすれば良いかと、少し考えています。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心頭滅却すれば・・・

2018年07月21日 19時56分50秒 | 日記
 相変わらず暑い日が続いています。
 昔、僕が小さい頃、「暑い 暑い」と言うと、
 亡父は、
 「心頭滅却すれば火も亦た涼しと言って、気持ちがだらけているから暑いので、
  ピシッとすれば暑くはない。」とよく言っていました。
 同じような事を言われた方もいるのではないかと思います。
 さすがに今年の猛暑は、そんな精神論で凌げる暑さではありませんので、
 もし言っている人がいるとすれば、それは止めた方が良いかと思います。
 逆に言うと、かつては、精神論で対処できるほどの暑さだったのかも知れません。

 「心頭滅却すれば火も亦た涼し」は、
 甲州塩山恵林寺の快川紹喜が残したと伝えられている有名な言葉です。
 快川紹喜は、禅僧ですが、京都の妙心寺の43世に就任した後、
 武田信玄に迎えられて塩山恵林寺に入り、信玄に機山の号を授けています。
 信玄の死は3年間秘匿されていましたが、その葬儀では大導師となっています。

 織田信長の甲州攻めにより武田氏が滅亡して領内が混乱します。
 中世において寺院は聖域であるとする社会的通念があったため、
 信長に敵対した六角義弼らを恵林寺にかくまい、
 織田信忠の引渡し要求を拒否したことから、
 一山の僧100人余りと楼門に閉じ込められ、焼き討ちにあって焼死します。
 この時の辞世の言葉がこの句と言われています。
 元々は禅宗の仏教書である「碧巌録」に載っている杜荀鶴の詩の転結句です。
 正確には下記の通りです。
 安禅不必須山水 安禅は必ずしも山水を須いず
 滅却心頭火自涼 心頭を滅却すれば火も自ずから涼し

 もうしばらく前の事ですが、
 岩井三四二さんの歴史短編小説集の「難儀でござる」を読んでいたら、
 その中の一編、「一句 言うてみい」に、
 快川和尚の袈裟が残っているとの話がありました。
 大分県臼杵市の月桂寺に残っていて、臼杵市の文化財になっているようです。
 山門の中に押し込められ、火を点けられた快川和尚は、
 その時着ていた袈裟を脱いで、弟子の南化玄興に渡すよう、やはり弟子の湖南に命じます。
 湖南は、織田軍の包囲を抜けて南化に袈裟を伝えます。
 この南化は、稲葉一鉄が帰依した高僧でした。
 南化に弟子入りし、その法嗣となった湖南は、快川和尚の袈裟を譲られ、
 稲葉氏が臼杵に移封された事に伴い稲葉典通に請われて、月桂寺の開山となりました。
 このため、袈裟が今も伝えられているとの事です。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする