天然居士の独り言

主に日記主体のブログです。

この1年・・・

2014年12月31日 19時07分43秒 | 日記
 毎年大晦日には、このテーマで1年を振り返る日記を書いて来ました。
 今年は最悪の年だったので、今年はどうしようかとも思ったのですが、
 楽しかった前半だけでも書いておこうかと思い直しました。

 今年は1月に、同居人とバスケットの試合を観に行きました。
 先日のように1階席ではなく2階の自由席でしたが。
 その日は午前中に県立美術館で、近代洋画の展覧会に行ってからでした。

 2月の節分の日、日光輪王寺のガラ撒きで、
 景品と引き換えられる白いボールが手の中に飛び込んで来ました。
 今年は良い年になると思ったのですが・・・。
 今年の2月は大雪が降りました。
 お昼を食べに出るのも大変だと思い、
 久し振りに同居人に弁当を作ってもらいました。
 これが結局最後の弁当になってしまいました。
 また、同居人と茨城県の真壁のひな祭りに行って来ました。
 小さな街をぶらぶら歩き楽しい一時を過ごしました。

 3月に長男が緊急手術を受け、クローン病と診断されました。
 入院期間とその後少しの間、
 同居人は横浜の長男のマンションに泊まり込んで面倒をみました。
 その間にも、僕が横浜に行って、山手地区の散策などもしました。

 4月には、自宅近くで火事がありました。
 僕は出勤した後でしたが、休みで家にいた同居人は、停電が長時間続き、
 大変だったと言っていました。
 また、大田原市の富士ボタン園に行きました。
 花は少し早かったですが。

 5月には、足利市にあるフラワーパークに藤の花を見に行きました。
 同居人も僕も初めてでした。
 藤の花の最盛期は過ぎていましたが、他の花も綺麗でした。

 6月には、バスツアーで群馬県の富岡製糸場を見に行きました。
 更に碓氷峠の眼鏡橋を見て、軽井沢でミカドのモカソフトを食べて帰って来ました。
 天気は良くありませんでしたが、初めての所ばかりで楽しんで来ました。
 また、JR東の大人の休日倶楽部に入って、
 4日間新幹線乗り放題の切符を買って、
 同居人と青森県の弘前日帰り、翌日は秋田市日帰りに行って来ました。
 3日目は僕だけで山形市に行き、4日目は大宮にも行きました。
 4日間で3000kmの乗車距離でした。
 秋田市は同居人が是非行きたいと言っていた所です。
 安藤忠雄さんの設計による新美術館が完成し、
 そこに藤田嗣治の「秋田の行事」と言う、縦3m65cm、横20m50cmの絵があります。
 藤田が好きだった同居人は、これを見たかったようです。
 2人して感動を受けて帰って来ました。

 7月に近所の婦人科に同居人が行ってからは、
 彼女の闘病に付き合って月日が過ぎました。
 それは一昨日書きましたので、省略します。

 もうすぐ2014年(平成26年)も終わります。
 大変な1年だったとの思いばかりがありましたが、
 こうやって書き出してみると、楽しい事もありました。
 でも、この1年、終生忘れられない年になるのは間違いないと思います。

 今年も、日記などのコメントを頂くなど、お付き合い頂き有難うございました。
 来年もまた宜しくお願いいたします。
 皆さま、どうぞ良い年をお迎え下さい。

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同居人・・・

2014年12月29日 15時23分08秒 | 日記
 長い間、日記を休んでしまいました。
 9月以来バタバタしているためときり書きませんでしたが、
 ネット上では同居人と表現していた僕の妻が癌を患い入院していたためでした。
 その同居人ですが、癌の進行が早く、12月18日の早朝逝ってしまいました。
 20日に通夜、21日に葬儀が終わり、ようやく僕の生活も少し落ち着いて来ました。
 そこで、皆さんにご無沙汰してしまった事をお詫びしながら、
 同居人の事など書いておこうと思いました。

 同居人は7月に腹痛を訴え、近所の婦人科の病院に行きました。
 そこで卵巣癌と診断され、自治医科大学付属病院を紹介されました。
 自治医大は僕の家からだと車で45分程度かかります。
 家の近くには済生会宇都宮病院や県立がんセンターなどがありますが、
 自治医大が卵巣癌の手術例が多いとの事で納得しました。

 8月中は、検査や手術の準備で通院し、
 9月2日に入院、4日に手術を受けました。
 しかしながら、病巣を全部取り切れずに一部残ってしまいました。
 その次の抗癌剤治療に期待をしたのですが、
 卵巣癌にも幾つかの種類があって、
 同居人の癌は症例の少ない極めて珍しい癌との事でした。
 抗癌剤治療による副作用で白血球数が低下し、感染症を起こしてしまい、
 これに対処するために時間が掛かりました。
 何とかコントロール出来るようになり、一旦は自宅に戻れたのですが、
 別の薬による抗癌剤治療を始めたところ、この抗癌剤が効かず、
 医師からは緩和ケアを勧められる状態になってしまいました。
 緩和ケアが満床で順番待ちをしていましたが、
 緩和ケアの医師が自宅近くの病院の方が良いでしょうとの事で、
 済生会宇都宮病院への転院を手配してくれました。
 その移送の当日、出発の1時間ほど前から、容態が急変し危篤状態になりました。
 同居人は転院を渋っていた感じもあったので、
 今になると、転院を決めた事がどうだったかとも思ってしまいます。

 転院を渋っていた理由が、そんなに珍しい癌ならば、死亡後に是非解剖して、
 今後の卵巣癌治療に役立てて欲しいとの気持ちがあったからでした。
 病床にありながら死亡後の病理解剖を申し出ていて、主治医を驚かせていました。
 それだけ、自分を苦しめた癌への憎しみや悔しさがあったのだと思います。

 危篤になってからも、2日ほど頑張りましたが、
 18日の早朝、僕と子ども2人、姉夫婦に見守られながら旅立ちました。

 医師から緩和ケアを勧められた時に、年を越す事は大丈夫だと言われていたのですが、
 医師の予想を越える癌の進行だったのだと思います。
 何の準備もしていなかったので、葬儀等の手配が大変でしたが、
 多くの方に来て頂き、元の職場の人などから、
 僕の知らない同居人の話を聞かせてもらって、
 改めて同居人の素晴らしさを知る事が出来ました。

 同居人が癌と診断されてから、僕はどうしたら良いのだろうと考え続けて来ました。
 結局、出来るだけ一緒にいてやる事以外思いつきませんでした。
 幸い、今の僕の仕事は比較的時間が自由になります。
 職場の人達には迷惑を掛けましたが、
 少し早く職場を出て病院に行ったり、用事のない時には休んだりと、
 同居人と顔を合せなかった日は、ほとんどありませんでした。
 一緒に色々な事を話しました。
 病気にならなければ、こんなには話さなかったような気がします。
 葬儀後、多くの人からアッと言う間だったねと言われましたが、
 僕としてはかなり長い期間だったように感じています。
 それだけ濃厚な時間だったのかも知れません。

 同居人が心配していたのが、長男の病気と僕の生活でした。
 次男は、幸い婚約者が出来て、同居人を何度か見舞ってくれました。
 長男の病気は、今のところ落ち着いているようですし、
 僕も暗中模索ながら、一人の生活を始めつつあります。

 昨日は落ち込んでいる僕を心配した長男が、
 NBAプロバスケットボールの、リンク栃木ブレックスとトヨタ東京の試合の
 8000円近くするコートサイドのチケットを手配してくれて、一緒に観て来ました。
 同居人と何試合かブレックスの試合を観て来ましたが、常に2階の自由席でした。
 同居人の遺影を持参して行きましたが、
 実際に観せてやりたかったと思う位、その迫力に感動しました。
 
 これからは、家事の合間に、これまで感じた事などを含めて、
 少しずつ書いて行こうと思っていますので、
 従前のようにお付き合い下さるようお願い申し上げます。

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