天然居士の独り言

主に日記主体のブログです。

暖かい日・・・

2024年01月31日 19時44分22秒 | 日記
 今日で1月も終わります。
 1年の12分の1が終わってしまった事になります。
 今年は閏年ですから、年末まで、後335日になります。

 元日に起こった能登半島地震から1か月になります。
 まだ断水の続いている地域もありますし、
 避難所で過ごされている方も多い1万人を超えるとの事です。
 日本海側は冬型の天気が続けば、雪や雨になります。
 僕としては、僅かな義援金とお見舞い申し上げる以外出来ませんが、
 頑張って頂きたいと思います。

 今日は、宇都宮の最高気温は13.2度で平年より4.5度高く、
 3月中旬並みの暖かさでした。
 天気予報では、今日は快晴で暖かいとの事だったので、洗濯をしました。
 しかし、午前9時頃になっても日が射しません。
 天気予報が大外れかと思い、気象庁の馬鹿野郎と思いました。
 しかし、やがて日が射して来て、その後晴れて暖かくなりました。
 お陰で、洗濯物は無事に乾きました。

 今日も歯医者に行って抜歯して来ました。
 先週も抜きましたので、これで3回、4本目です。
 後1本抜けば終わると思うのですが・・・
 抜いた後の入歯がどうなるのかもよく聞いていません。
 まぁ歯医者に任せておけば何とかしてくれるのだと思います。
 歯医者の予約が午前9時30分で、
 終わったのが、10時少し前でした。
 歯医者に行った時は曇っていましたが、終わったら晴れていました。
 何となく僕の気持ちのような感じでもありました。
 
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桐島聡容疑者・・・

2024年01月30日 18時13分51秒 | 日記
 1970年代に連続企業爆破事件を起こした
 過激派組織「東アジア反日武装戦線」のメンバー、
 桐島聡容疑者を名乗る男が
 今月25日に見つかったとのニュースがありました。
 その人物は末期癌を患っていて、昨日亡くなったとの事です。
 死期を悟っていたのでしょうか、自ら桐島聡と名乗り、
 「最期は本名で迎えたい」と語っていたと報じられています。
 論語に、「人の将に死なんとする其の言や善し」との言葉があります。
 人が死ぬ直前にいう言葉には、利害・かけひきがなく
 真実がこもっているとの意味です。
 そんな事から考えて、
 この人が桐島聡である事は間違いなさそうな気がします。

 彼は、「内田洋」の名前で、
 神奈川県藤沢市の工務店で
 数十年にわたり住み込みで働いていたとの事です。
 健康保険証がないので、入院などは自費診療だったとの事ですし、
 運転免許証などは持っていなかったようです。
 最後に所在が確認されてから、49年間行方が分からなかった事になります。

 彼の容疑は、爆発物取締罰則違反です。
 本来ならば、当然時効になる訳ですが、
 事件を共謀したとして逮捕・起訴された大道寺あや子容疑者が、
 日本赤軍がインド上空で日本航空機をハイジャックした
 「ダッカ事件」(1977年9月)で超法規的措置で釈放され、
 国外逃亡したことから停止しているとの事で、
 共犯者の公判中は時効が停止するとの刑事訴訟法の規定に基づくものです。
 刑事訴訟法では、このような事態を想定していなかったのでしょうね。

 彼は、早い段階で自首して裁判を受けていれば、
 また別の人生があったような気もしますが、
 それは生き方の問題ですから、
 傍観者が口出しすべき事ではないのでしょうね。

 現代の日本で、50年近く、本名を隠して生活出来た事に驚いています。
 上述のように、
 健康保険証を持てず、運転免許証も取得できなかった訳ですが、
 例えば、金融機関の口座などはどうだったのでしょうね?
 50年前ならば、
 口座新設はそれほど厳密ではなかったから出来たのでしょうか?
 所得税や住民税、年金などがどうなっていたのか、も分かりません。
 そうした社会生活を除けば、意外と出来るのかも知れません。
 桐島聡は、馴染みの飲み屋もあったようですし、
 意外と地域に溶け込んでいたような感じもします。
 どのように考えて生きていたのでしょうね?
 亡くなってしまい、もう分からないのかも知れませんが。

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特別展の後・・・

2024年01月29日 19時00分51秒 | 日記
 昨日は、県立美術館の特別展を観た後、常設展の方に回りました。
 県立美術館に行くと、概ね常設展を観に行きます。
 昨日は、令和5年度の第4期のコレクション展をやっていました。
 石川寒巌や小堀鞆音など栃木県出身の画家の絵の他に、
 福島県柳津町出身の斎藤清なの版画が何点か出ていました。
 斎藤清は、雪の会津の版画が有名で、
 2018年10月に柳津の美術館に行きましたが、
 そこで、モダンな感覚の版画も作っていたのを知りました。
 昨日は、そのモダンな感じの版画が出展されていました。

 そして、小泉斐(あやる)の富嶽全図巻が展示されていました。
 県立美術館が所蔵しているのを初めて知りました。
 小泉斐は、1770年4月(明和7年3月)、現在の益子町で生まれました。
 小泉斐の作品としては、鮎の絵が有名です。
 1795(寛政7年)に近江の日野に行った帰り、
 富士山麓で富士登山の水戸藩の一行と出会い、
 一緒に富士山に登りました。
 斐は、その時に見た富士山の状況を克明にスケッチして、
 帰宅後、それを清書したのが、この図巻です。
 富岡鉄斎が富士図製作に携わるとき大いに参考にしたとの事です。
 この絵の全てを観る事は出来ませんでしたが、
 登山の行程を示した図などもあって、素晴らしいと思いました。
 下記でその一部を観る事が出来ます。
 http://www.art.pref.tochigi.lg.jp/collection/title/0091.html

 美術館を出て、以前日記に書いた、めん小町に行きました。
 うどんや蕎麦などの麺工場が直売店と飲食スペースを設けている所です。
 平日はうどんで、土日が蕎麦になっていて、
 僕は、これまで平日きり行っていませんでしたので、
 1度蕎麦も食べたいと思っていました。
 うどんと同じように大盛が700円で、
 つけ汁は温かいのと冷たいのを選べます。
 僕はいつも温かい汁にしています。
 茄子が入った汁で美味しく、蕎麦を食べても美味しかったです。
 うどんの他にサービスでご飯1膳と漬物が付きます。
 蕎麦の時も同じようにご飯が付いていました。
 ご飯も食べようとしたら、舞茸ご飯との事で驚いてしまいました。
 長くお付き合い下さっている方はご存知のように、
 僕は舞茸アレルギーです。
 食べると、上を下への大騒ぎになります。
 昨日は、残念ですが蕎麦だけを食べて来ました。
 蕎麦は美味しかったです。
 下記のサイトに、うどんなどの写真もありますので、
 宜しければ、ご覧下さい。
 https://www.tochinavi.net/spot/home/?id=7735

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岡鹿之助・・・

2024年01月28日 19時02分07秒 | 日記
 現在、栃木県立美術館で、
 「春陽会誕生100年 それぞれの闘い」との展覧会が行われています。
 「岸田劉生、中川一政から岡鹿之助へ」との副題が付いています。
 春陽会は、1922年(大正11年)1月14日に設立された、
 院展の日本画部と対立、脱退した
 洋画部同人を中心に創立された団体との事です。
 今月の13日から開かれていて、3月3日までの会期です。
 ここのところ、展覧会は会期末ギリギリで観に行く事が多いのですが、
 今回は、なるべく早く行こうと思っていました。

 僕は、岡鹿之助の絵が好きです。
 ご存知の方も多いかと思いますが、
 戦前・戦後に活躍した画家で、パリで藤田嗣治に師事しています。
 点描画法を使った静かな絵だと思っています。
 岡鹿之助の絵、色々な展覧会などで、観る機会はあったのですが、
 1・2点だけの事が多く、まとめて観た記憶がありませんでした。
 岡鹿之助の名前を見て、是非行こうと思っていました。

 日曜日なので、混んでいるかと思いましたが、
 それほど混んではいませんでしたので、ゆっくり観る事が出来ました。
 今回の展覧会は、東京ステーションギャラリーで行われ、
 この後、長野県立美術館、愛知県碧南市の藤井達吉現代美術館と巡ります。

 実際に行ってみると思わぬ絵に巡り会えます。
 岸田劉生の日本画に驚きました。
 「寒山拾得」と「童女飾髪之図」は絹本墨画着色で、
 人物は麗子像に似ていました。
 石井鶴三の吉川英治の「宮本武蔵」の挿絵、
 木村荘八の永井荷風の「墨東綺譚」の挿絵、
 中川一政の尾崎士郎の「人生劇場」の挿絵なども良かったです。
 また、建築家のアントニン・レーモンドの題不詳の絵も驚きました。
 レーモンドは、群馬県高崎市の群馬音楽センター、
 奥日光の旧イタリア大使館別荘などを設計した人です。
 春陽会の展覧会にも絵を出展していたようです。

 そして、岡鹿之助です。
 「魚」、「窓」、「観測所」、「山麓」、「群落(A)」、「段丘」の
 6点が出ていました。
 年代を追って展示されていて、とても良かったです。
 下記に展覧会のサイトがあります。
 http://www.art.pref.tochigi.lg.jp/exhibition/t240113/index.html
 そこに岡鹿之助の「窓」、「群落(A)」の2点がありますので
 宜しければご覧ください。

 その他、萬鉄五郎の絵も何点か出ていましたが、
 重要文化財になっている「裸体美人」に似た絵もありましたし、
 全く感じが違う漢字の絵もありました。
 栃木県日光市出身の小杉放菴などの絵と共に、
 古川龍生や駒井哲郎の版画などもあり、
 春陽会に関係する僕が知らなかった作家の絵が沢山展示されていました。
 中谷泰の「春雪」は、日本共産党中央委員会所蔵になっていました。

 とにかく、ゆっくり観られて良かったです。
 その後、常設展示も観て来ましたが、面白い絵が展示されていました。
 書き出すと長くなりますので、続きは明日と言う事にします。

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墓参り・・・

2024年01月27日 18時21分44秒 | 日記
 昨日が、2年前に他界したお袋の祥月命日でした。
 昨日、墓参りしようと思っていましたが、
 弟の都合が悪いとの事で、今日になりました。
 「死に仏より生き仏」が、亡父がよく口にしていた我が家の家訓です。
 本来は三回忌になりますが、諸般の事情で後日行う事にしています。

 弟夫婦と霊園で待ち合わせました。
 我が家の墓は、日当たりの良い所にあるので、
 それほど寒くはなく助かります。
 風がほとんどなかったのも良かったです。
 霊園から帰って、弟夫婦が家に寄りました。
 その後、馴染みの中華屋に行って3人で昼食を摂りました。
 このような場合、以前は蕎麦屋から出前を取っていたのですが、
 その蕎麦屋が出前を止めてしまったので、止むを得ません。
 弟も定年になって第二の職場も終わり家にいますので、
 話をする機会が減ったのでしょう、前よりも話すようになった気がします。
 それとも、独居生活の僕に気を使って話をしてくれるのかも知れませんが。

 少し前の事ですが、仏壇の花を買いに行った時に、
 花屋の息子さんから、
 季節ものですから、菜の花はどうですかと勧められました。
 菜の花を仏壇に供えるのは初めての事です。
 何日か過ぎてから、菜の花の背が高くなっているような気がしました。
 切り花ですから背が高くなることはないだろうと思い、
 錯覚だとばかり思っていました。
 しかし、やはり実際に伸びていて、錯覚ではないと分かりました。
 一緒に買った菊とほぼ同じ高さだったのが、
 10日近く経ってから、菊よりも20cm程度高くなっていました。
 霊園に行く前に花屋に寄り、その話をしました。
 やはり菜の花は背が伸びるそうで、
 ストックなども大きくなるとの事でした。
 菜の花は生命力のある花なのかも知れません。
 仏壇の花としては、花びらが散って大変な感じはしますが。


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日本宗教史・・・

2024年01月26日 19時07分27秒 | 日記
 一昨日から、
 末木文美士(ふみひこ)さんの「日本宗教史」を読んでいました。
 末木さんは、仏教学者であり、
 東京大学の教授から名誉教授になっている方で、
 2006年4月20日に出版された本です。
 古事記や日本書紀の神話から始まり、
 オウム真理教事件や世界的宗教戦争まで、
 宗教の動きを俯瞰して述べています。
 新書版の240ページですが、
 古代が「仏教の浸透と神々」、中世が「神仏論の展開」、
 近世が「世俗と宗教」、近代が「近代化と宗教」とのタイトルで、
 宗教の動きを的確にコンパクトに述べていて、分かりやすいと思いました。

 著者の主な関心は、
 歴史時代以前から歴史を一貫して貫く「古層」なるものはなく、
 古層自体が歴史的に形成されてきた点にあるようです。
 記紀神話自体が7~8世紀に形成されたものであり、
 その150年程度前に日本に入って来ていた仏教の影響を受けており、
 現在の記紀神話をもって
 仏教以前の古層の信仰と考えるのは不適当であるとしています。
 最近、保守系の人で、
 神道は縄文時代から引き継がれて来たと言う人がいますが、
 これは、少なくても実証的な話ではないのでしょうね。

 仏教と神道の間には、歴史的に複雑な関係があります。
 日本に仏教が到来した当初は「仏教が主、神道が従」であり、
 平安時代には、「仏、菩薩が仮に神の姿となった」とし、
 「阿弥陀如来の垂迹を八幡神」「大日如来の垂迹が伊勢大神」とする
 本地垂迹説が台頭するなどしました。
 そして、江戸時代末期には、神仏分離が唱えられ、
 更に強権的な廃仏毀釈が行われ、貴重な文化財が廃棄されたりしました。
 こうした歴史的な変転について、この著作の中では、
 思想的な背景などについても述べられています。

 日本の宗教では、
 仏教とキリスト教の伝来が大きなインパクトのある出来事でしたが、
 キリスト教が伝来後、短期間で信者が増えた原因として、
 浄土真宗など一神教的な仏教の下地があったからとする指摘も
 なるほどなぁと思いました。

 その他、とても簡単には書き切れない豊富な内容であり、
 何か所か、そうだったのかと目から鱗の思いもありました。
 また、僕の知識が足りなくて、理解するのが難しい点もありました。
 僕は、本は基本的には図書館から借りて読んでいますが、
 この本は購入して、もっと腰を据えて読んでみたいなぁとも思いました。

 いずれにしても、久しぶりに本当に良い本を読んだと言う気がしています。

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AIによる自動音声・・・

2024年01月25日 19時06分13秒 | 日記
 最近、NHKのニュースを見ていると、
 「AIによる自動音声でお伝えします」との案内の後、
 人間の声とほとんど変わらない音声が流れます。
 よく聞くと、何となく人工的な感じの声だとは思うのですが、
 前もっての案内がないと、分からないかも知れません。

 ニュースのアナウンサーは、原稿を読み上げるのが仕事でしょうから、
 AIならば、間違えはないでしょうし、時間通りなのかも知れません。
 原稿作成からAIが読み上げるまでに、
 どの位の時間が掛かるのか分かりませんが、
 緊急なニュースなど、手作業で字を書いて、アナウンサーに渡せば
 すぐに放送できます。
 現実に、そのような場面を見る事もあります。
 人間のアナウンサーの方が、柔軟に事態に対処出来ると思うのですが。
 あるいは、原稿そのものをAIが作成しているのでしょうか?

 そのように考えると、この自動音声、何故使うのかが分かりません。
 やがて、ニュースだけでなく
 テレビ番組などでも使う目標があるのでしょうか?
 アナウンサーの人件費の抑制が目的なのでしょうか?
 伝えるべき事が分かれば、
 人間だろうがAIだろうが同じなのかも知れませんが。

 元日の能登半島地震の際、大津波警報が出た事もあって、
 女性アナウンサーが、
 命令口調のような強い言葉で、避難を促していました。
 この放送自体に、色々な声がありました。
 これがAIによる自動音声だった場合、どう感じるかなと思いました。
 僕は、自動音声で同じことを繰り返され、しかもそれが命令口調だったら、
 腹を立てて、テレビのスイッチを切ってしまいそうな気もします。

 今の社会の流れからすると、
 AIの自動音声など、人間の関与を少なくしていくのが
 社会の方向なのでしょうが、
 機械よりは人間が好きな僕としては、
 何となく割り切れない思いがしています。

 
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新幹線の事故・・・

2024年01月24日 18時39分30秒 | 日記
 23日午前10時頃、東北、上越、北陸新幹線で
 架線トラブルによる停電が発生し、
 東北新幹線の東京―仙台間、
 上越・北陸新幹線の東京―高崎間の各上下線が、
 終日運転を見合わせる事故がありました。
 この事故で、計約12万500人に影響が出たとの事です。
 原因は、架線を支える部品が破断して架線が垂れ下がり、
 そこに上りの北陸新幹線「かがやき504号」が接触して
 停電になったようです。

 東北新幹線の仙台から先、上越・北陸新幹線の高崎から先は、
 それぞれ折り返し運転をしたようですが、
 どのような状況だったのかは分かりません。

 東京・仙台間は、新幹線ならば2時間掛からずに行きますが、
 在来線で行く事も出来ます。
 東北本線経由だと特急がないので、7時間程度かかりそうですが、
 常磐線には特急がありますので、
 それを使えば4時間半程度で行けそうです。
 JR東日本では、事故後1時間程度で、
 常磐線のいわき止まりだった特急を
 仙台に延伸するなどの措置を講じたようです。
 東京から高崎までは、新幹線ならば1時間かかりませんが、
 在来線で2時間程度です。

 これまで、何度か僕も利用し、その事を日記に書いて来ましたので、
 ご存知の方も多いかと思いますが、
 JR東日本の大人の休日倶楽部の4日間乗り放題の切符があります。
 年間3回、2週間程度の利用期間が設定されていますが、
 新幹線も乗り放題になります。
 現在、この切符の利用期間中で、確か1月31日までだったと思います。
 僕は、今回は色々あって、
 4日間出掛けるのが難しかったので、使いませんでしたが、
 利用されている方も多く、
 運休の混乱に巻き込まれた
 同好の士もいるのではないかと気になっています。

 強い寒波による大雪も交通などに影響を及ぼしています。
 特に、岐阜県関ケ原町付近の名神高速で上下線でそれぞれ6km程度の
 立往生が発生しているとのニュースです。
 宇都宮では、雪は降っていませんが、今日は風が冷たく寒い一日でした。

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雪・・・

2024年01月23日 18時44分14秒 | 日記
 先日の日記にも書きましたが、
 関東地方北部は、
 この前の土日大雪の可能性もあるとの予報が出ていました。
 僕は、本当に大雪になったら困るなぁと思っていました。
 昨日と今日、鬼怒川温泉のチョッと先で会議があったからです。

 普段、その場所までは車で行きます。
 概ね1時間15分程度です。
 しかし、僕の車はノーマルタイヤです。
 冬用タイヤを買えば良いだろうとの考えもありますが、
 基本的に雪が降ったら運転はしない主義ですし、
 雪の中、運転する機会もほとんどありませんので、
 勿体ない気がしています。
 昨年も一昨年も、鬼怒川温泉辺りに雪が降ったため、電車で行きました。
 宇都宮から鬼怒川温泉まで、直接電車で行く事が出来ません。
 一度栃木県南部の新栃木まで行って乗り換えて鬼怒川温泉に行きました。

 今回も2日続けて電車で行くのは
 容易でないと思いながら覚悟していました。
 ところが、雨になったので、無事に車で行って来ました。
 鬼怒川温泉は雪が全くなく、周囲の山にも雪がない感じでした。
 しかし、日光の高い山は、綺麗に雪を被っていました。
 行く途中、塩谷町の道の駅から、
 男体山と女峰山をスマホのカメラで撮りました。
 写真を貼っておきます。

 高い山には、雪が積もっていましたが、
 スキー場などには雪がないとの話を聞きました。
 栃木県では、
 那須町のスキー場「マウントジーンズ那須」(標高1440m)が、
 この冬の営業終了後に閉鎖することになっています。
 その理由とされるのが、近年の雪の少なくさとの事でした。
 県内には、標高1640mのハンターマウンテン塩原がありますが、
 これは営業を継続するようです。

 街の中での生活には、雪がない方が良いですが、
 雪がなければ、スキー場などの観光施設などが困るでしょうし、
 雪は水を貯える役目もありますので、春からの水も心配になります。
 栃木県内は、今のところそんな状況ですが、
 天気予報では、この冬一番の寒気が来ていて、
 特に、日本海側などは警報級の大雪になると報じられています。
 能登地震の被災地も大雪になりそうで、心配です。
 雪が必要な所と要らない所、上手く分けて降ってくれれば良いのですが。
 


 
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祖国のために・・・

2024年01月22日 19時10分32秒 | 日記
 今日のニュースを見ていたら、
 ジャーナリストの櫻井よしこさんのX投稿が物議を醸しているとの、
 女性自身の記事に目が行きました。

 その投稿は、
 「あなたは祖国のために戦えますか。
  多くの若者がNOと答えるのが日本です。
  安全保障を教えてこなかったからです。
  元空将の織田邦男教授は麗澤大学で安全保障を教えています。
  100分の授業を14回、学生たちは見事に変わりました。」との事です。
  どうやら、ご自身の有料動画コンテンツの広告のようです。
 この投稿に対して、
 「先ず櫻井よしこよ、お前が銃を持ち先頭切って戦いに行け」
 「櫻井よしこ、お前が率先して行け。人の命を軽んじるな!!」
 「いかなる戦争にも、大義などない。戦争は決してしてはならない」との
 批判が続々と上がっているとの事です。
 僕は、安全保障を学校で教えなかったのではなく、
 それよりも大切な平和を教えて来たと思っていますが。

 櫻井さんは、日本の右派を代表するような人ですが、
 僕には、時計の針を戦前に戻そうとする人だと思っていて、
 ジャーナリストと言うよりも、扇動者だと思っています。
 櫻井さんのような扇動者はいつの時代も現れるものです。
 そうした扇動に乗ってしまい多くの人達が命を失って来ました。
 先日の日記でもチョッと触れましたが、
 1930年のアカデミー賞を獲得した名画「西部戦線異状なし」では、
 学校に通う若者たちを老教師が熱狂的に扇動して戦場に赴かせ、
 若者たちは次々に死んで行きます。
 このような扇動者がいるから、戦争がなくならないのだと思っています。

 日記に何度か書いた事があるので、
 ご記憶の方もいらっしゃるかと思いますが、
 「戦争絶滅受合法案」と言うのがあります。
 どうも長谷川如是閑のようですが、
 戦争が始まったら、
 国家の元首や大臣、戦争に反対しなかった議員や聖職者などを
 一兵卒として最前線に立たせろと言う法案です。
 一昨年の3月2日の日記にも書きましたので、ご参照下さい。
 戦争絶滅受合法案・・・ - 天然居士の独り言 (goo.ne.jp) 

 戦争で命が失われるのは、戦争を決めた人ではありません。
 櫻井さんの投稿に対する批判などを見ていて、
 そうした事を分かっている人たちもいる事に
 何かホッとする思いもしました。

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