昨日は、群馬県の高崎市に行って来ました。
長くお付き合い頂いている方は、ご存知かと思いますが、
僕は、幕末から明治にかけての絵師、河鍋暁斎が好きです。
これまで何度か河鍋の美術展に出掛けています。
3月22日までですが、高崎市のタワー美術館で、
「暁斎×暁翠」との展覧会が開催されています。
暁翠は暁斎の娘です。
新型コロナウイルスで、各地の美術館が休館となっている中で、
高崎市の見識を支持したいと思います。
都内の美術館では、1枚の絵を10人程度で観る事はざらにありますが、
地方の美術館では、10枚の絵を1人で観られる事が多いですからね。
ちなみに、栃木県立美術館も宇都宮市美術館も休館しています。
そのような訳で、その美術展を目的にして高崎市まで出かけて来ました。
高崎にはこれまで2度ほど行っています。
1度目は、建築家のブルーノ・タウトの住まいや白衣観音など郊外でした。
2度目は、昨年上信電鉄沿線を歩きました。
最初は車で行く事も考えたのですが、
今回行きたかったのは市の中心部だけだったので、列車にしました。
宇都宮からは宇都宮線で小山に行って、そこから両毛線に乗り換えます。
両毛線で2時間程度かかりますので、のんびりとローカル線の旅になります。
この両毛線の電車は、4両編成のすべてがベンチシートです。
窓外の風景を楽しむのには、チョッと難しいのですが、
1か所2席だけ、トイレの前の席が進行方向を向いていました。
途中の足利でこの席が空いたので、
そこに座って群馬県内の風景をぼんやり見ていました。
高崎に着いて、最初に高崎市タワー美術館に行き「暁斎×暁翠」を観ました。
一昨日の日記に書いた、チョッと経緯のあった美術館です。
入館料を払おうとしたら、65歳以上は無料との事でした。
群馬県民でなくても無料です。
これで、とても気分が良くなってしまいました。
絵の方ですが、毎度の事ながら暁斎の絵は素晴らしいと思いますし、
放屁合戦図など面白いのもあって堪能出来ました。
また、暁斎の弟子に鹿鳴館などを設計した有名な建築家のジョサイア・コンドルがいて、
コンドルに対しては暁英との雅号を贈っています。
2人で、日光を旅した事があるのですが、その時のスケッチが巻物になって出ていました。
暁翠の絵は、父親の手法を取り入れながら描いていて、面白い絵もあったのですが、
やはり迫力に欠ける感じがしました。
タワー美術館から、高崎市美術館に行きました。
JR高崎駅の東口と西口にあります。
高崎市美術館では、シャガールの版画集の展示が行われていました。
『聖書』、『オデッセイ』、『ダフニスとクロエ』など279枚の版画が展示され、
版画を観るだけで、聖書やオデッセイの内容が理解できるような感じでした。
シャガールの絵は、余り好きではないのですが、
高崎市美術館には、他に目当てがありました。
それが旧井上房一郎邸です。
この建物は、フランク・ロイド・ライトの助手として来日し、
日本で多くの建物の設計を行った、
アントニン・レーモンドの自宅をコピーしたものです。
レーモンドは、映画「ここに泉あり」で有名になった群馬交響楽団の本拠地の
群馬音楽センターを設計していて、彼の代表作の1つとなっています。
井上の旧宅を見ながら、そこの説明などを読んで、
井上が群馬交響楽団の創立などにも深く関り、
高崎市の文化に大きな貢献をした人物だった事を知りました。
ブルーノ・タウトに住まいを紹介したのも井上で、
2人の有名な建築家との親交なども知りました。
なお、レーモンドは日光にある旧イタリア大使館別荘も設計しています。
詳しくは下記をご覧下さい。
http://tennnennkozimitearu.seesaa.net/article/a41699599.html
午後1時を回っていましたが、
美術館の近くにカツ丼の有名店があるので昼食のために寄ってみました。
500円のカツ丼です。
味は悪くないと思いましたが、やはり500円のカツ丼の肉でした。
天気が良く山が綺麗に見えそうなので、
高崎市役所の21階の展望台に上がってみました。
雪を被った浅間山や谷川岳なども見えて、綺麗でした。
展望台の上からは群馬音楽センターも見られます。
市役所から出てその前にある、公園に行きました。
高崎城の址に音楽センターなどが建っています。
高崎城の石垣や櫓も復元されていて、城址の雰囲気がありました。
そして音楽センターです。
1961年(昭和36年)に完成していますが、
建設にあたっては、当時の高崎市の予算が約7億円の時、
市の予算から1億円、市民の寄付から1億円を募って建設されました。
音楽ホールの脇に、「昭和36年ときの高崎市民之を建つ」の碑がありました。
残念ながら内部を見る事は出来ませんでしたが、
ガラス越しに見た階段などの意匠も素晴らしいと思いました。
音楽ホールから高崎神社に行ってみました。
拝殿と本殿の下が駐車場になっていて驚きました。
やはり神社を維持するのも大変なのかも知れません。
高崎神社から高崎駅まで歩きました。
高崎市は文化水準も高くセンスの良い街だと思いました。
その源泉に、音楽センターがあり、井上房一郎がいたのかも知れません。
そんな事を考えながら、行った時と同じルートで帰って来ました。
当然の事ですが、電車の中では爆睡して来ました^^
昨日の写真をアップしましたので、宜しければご覧下さい。
http://photozou.jp/photo/album/2882708
長くお付き合い頂いている方は、ご存知かと思いますが、
僕は、幕末から明治にかけての絵師、河鍋暁斎が好きです。
これまで何度か河鍋の美術展に出掛けています。
3月22日までですが、高崎市のタワー美術館で、
「暁斎×暁翠」との展覧会が開催されています。
暁翠は暁斎の娘です。
新型コロナウイルスで、各地の美術館が休館となっている中で、
高崎市の見識を支持したいと思います。
都内の美術館では、1枚の絵を10人程度で観る事はざらにありますが、
地方の美術館では、10枚の絵を1人で観られる事が多いですからね。
ちなみに、栃木県立美術館も宇都宮市美術館も休館しています。
そのような訳で、その美術展を目的にして高崎市まで出かけて来ました。
高崎にはこれまで2度ほど行っています。
1度目は、建築家のブルーノ・タウトの住まいや白衣観音など郊外でした。
2度目は、昨年上信電鉄沿線を歩きました。
最初は車で行く事も考えたのですが、
今回行きたかったのは市の中心部だけだったので、列車にしました。
宇都宮からは宇都宮線で小山に行って、そこから両毛線に乗り換えます。
両毛線で2時間程度かかりますので、のんびりとローカル線の旅になります。
この両毛線の電車は、4両編成のすべてがベンチシートです。
窓外の風景を楽しむのには、チョッと難しいのですが、
1か所2席だけ、トイレの前の席が進行方向を向いていました。
途中の足利でこの席が空いたので、
そこに座って群馬県内の風景をぼんやり見ていました。
高崎に着いて、最初に高崎市タワー美術館に行き「暁斎×暁翠」を観ました。
一昨日の日記に書いた、チョッと経緯のあった美術館です。
入館料を払おうとしたら、65歳以上は無料との事でした。
群馬県民でなくても無料です。
これで、とても気分が良くなってしまいました。
絵の方ですが、毎度の事ながら暁斎の絵は素晴らしいと思いますし、
放屁合戦図など面白いのもあって堪能出来ました。
また、暁斎の弟子に鹿鳴館などを設計した有名な建築家のジョサイア・コンドルがいて、
コンドルに対しては暁英との雅号を贈っています。
2人で、日光を旅した事があるのですが、その時のスケッチが巻物になって出ていました。
暁翠の絵は、父親の手法を取り入れながら描いていて、面白い絵もあったのですが、
やはり迫力に欠ける感じがしました。
タワー美術館から、高崎市美術館に行きました。
JR高崎駅の東口と西口にあります。
高崎市美術館では、シャガールの版画集の展示が行われていました。
『聖書』、『オデッセイ』、『ダフニスとクロエ』など279枚の版画が展示され、
版画を観るだけで、聖書やオデッセイの内容が理解できるような感じでした。
シャガールの絵は、余り好きではないのですが、
高崎市美術館には、他に目当てがありました。
それが旧井上房一郎邸です。
この建物は、フランク・ロイド・ライトの助手として来日し、
日本で多くの建物の設計を行った、
アントニン・レーモンドの自宅をコピーしたものです。
レーモンドは、映画「ここに泉あり」で有名になった群馬交響楽団の本拠地の
群馬音楽センターを設計していて、彼の代表作の1つとなっています。
井上の旧宅を見ながら、そこの説明などを読んで、
井上が群馬交響楽団の創立などにも深く関り、
高崎市の文化に大きな貢献をした人物だった事を知りました。
ブルーノ・タウトに住まいを紹介したのも井上で、
2人の有名な建築家との親交なども知りました。
なお、レーモンドは日光にある旧イタリア大使館別荘も設計しています。
詳しくは下記をご覧下さい。
http://tennnennkozimitearu.seesaa.net/article/a41699599.html
午後1時を回っていましたが、
美術館の近くにカツ丼の有名店があるので昼食のために寄ってみました。
500円のカツ丼です。
味は悪くないと思いましたが、やはり500円のカツ丼の肉でした。
天気が良く山が綺麗に見えそうなので、
高崎市役所の21階の展望台に上がってみました。
雪を被った浅間山や谷川岳なども見えて、綺麗でした。
展望台の上からは群馬音楽センターも見られます。
市役所から出てその前にある、公園に行きました。
高崎城の址に音楽センターなどが建っています。
高崎城の石垣や櫓も復元されていて、城址の雰囲気がありました。
そして音楽センターです。
1961年(昭和36年)に完成していますが、
建設にあたっては、当時の高崎市の予算が約7億円の時、
市の予算から1億円、市民の寄付から1億円を募って建設されました。
音楽ホールの脇に、「昭和36年ときの高崎市民之を建つ」の碑がありました。
残念ながら内部を見る事は出来ませんでしたが、
ガラス越しに見た階段などの意匠も素晴らしいと思いました。
音楽ホールから高崎神社に行ってみました。
拝殿と本殿の下が駐車場になっていて驚きました。
やはり神社を維持するのも大変なのかも知れません。
高崎神社から高崎駅まで歩きました。
高崎市は文化水準も高くセンスの良い街だと思いました。
その源泉に、音楽センターがあり、井上房一郎がいたのかも知れません。
そんな事を考えながら、行った時と同じルートで帰って来ました。
当然の事ですが、電車の中では爆睡して来ました^^
昨日の写真をアップしましたので、宜しければご覧下さい。
http://photozou.jp/photo/album/2882708
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