豊臣秀吉が藤堂高虎に褒美として与えたとされる黄金の茶道具が、
27日のオークションに出品されるとのニュースが昨日ありました。
この黄金の茶道具は、江戸時代に津藩主だった藤堂家に伝来したもので、
秀吉が作らせたとされる黄金の茶室で使用されていた茶道具のようです。
秀吉が、1592年から1598年にかけて2度にわたり朝鮮半島へ攻め込んだ
文禄・慶長の役の際、
藤堂高虎は、船奉行として水軍を率い、戦果をあげました。
秀吉から、その武勲を称えられ、領地を8万石に加増され、
さらに、自らが黄金の茶室で愛用していた黄金の茶道具が授けられたと、
藤堂家には伝えられているとの事です。
オークションの主催者によると、
茶碗や、湯を沸かす釜、火を入れる風炉など10点からなり、
金と銀の合金製で、金の含有率は80~88%との事です。
主催者は評価額を
1億5千万~3億円と見積もっていると報じられています。
そのような茶道具が残っていたのかと驚きました。
まだまだ思いもよらぬ物が残っているのかも知れないなぁとも思いました。
豊臣秀吉は、1585年(天正13年)に黄金の茶室を造らせたとの事です。
全て金箔張りで、広さ3畳の組み立て式で運搬可能だったようです。
秀吉が関白に就任した翌年の1586年(天正14年)、
年頭の参内で御所に運び込まれ、正親町天皇に披露されました。
北野大茶湯などでも披露され、
文禄元年(1592年)には大坂城から名護屋城に運び込まれました。
その後大阪城に運ばれ、大阪城にありましたが、
1615年(慶長20年)、大阪城が落城した時に焼失したとされています。
この黄金の茶室は復元されています。
僕は、熱海のMOA美術館に復元されたのを見ましたが、
他に大阪城の天守や、伏見城、名護屋城博物館など9か所にあるようです。
MOA美術館の黄金の茶室は写真可でしたので、
2018年10月14日に撮った写真を参考までに添付して置きます。
黄金の茶道具の真贋は分かりませんが、
オークションに出るのですから、ある程度信頼出来る物だと思います。
茶室と一緒に大阪城で保存されていたら、焼失してしまったはずですから、
藤堂高虎に下賜されたから残ったのでしょうね。
明日と明後日、チョッと出掛けますので、日記などを休ませて頂きます。
お含み置き下さい。
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